掲載: 2009.01.09


2008年12月、師走も半ばを過ぎた碓氷峠の様子・その3です。
なお、文中コメントは当サイト管理人の個人的なものです。碓氷峠鉄道文化むら等関係部所には関係ありませんし、当サイト関係者一致の公式見解でもありません。全ての文責は管理人一人にのみあります。

撮影日:2008.12.20
(特記画像除く)

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動態保存EF63の様子。


動態保存されているEF63形の留置線。
左から189系「あさま」2両、EF63-12、EF63-24+EF63-25。


EF63-24+EF63-25。


EF63-24。
EF63-24とEF63-25は廃線直前に茶色に塗装変更され、碓氷峠鉄道文化むらへはそのままの姿で搬入されました。その後、運転体験で活躍してきました。褪色が目立ってきたため、2004年3月、両機とも園内で青色塗装に戻され、2007年に他の屋外展示車両ともども塗装補修されました。職員の方やファンクラブ洗浄ボランティアの努力で、今も綺麗な状態を保っています。


同上。


EF63-12。
EF63-11とともに長年に渡り横川駅旧4番線に留置され、窃盗被害や悪戯も相俟って痛々しい外見になっていました(経緯に関しては過去ニュースをご参照ください)。2005年末に園内へ搬入され、2006年春以降より園内で動態復元作業が行われました。11号機は2007年春、12号機は同年秋に整備が完了。綺麗な姿を取り戻しました。


クハ189-5+モハ189-5。
横川駅旧4番線に留置されていた189系「あさま」編成で解体を免れた2両です。EF63-11・12と同時に園内へ搬入され、2007年11月頃より同所で塗装修復作業が開始されました。2008年初頭に作業がほぼ完了し綺麗な姿を取り戻しました。しかし、早くも汚れや褪色が目立ち始めています。
現在のところ「アプトくん」線路越しに見ることができるだけで、近づくことはできません。


ヨ8841。
EF63形運転体験で連結体験(有資格者のみ)に使用される他、イベントでEF63形に連結され「トロッコ列車試乗体験」でも使われています。


EF63形動態保存線の出発線と、「シェルパくん」ホーム。「シェルパくん」用機関車はオーバホール中で不在です。


EF63-11。
かっての痛々しい姿が嘘のように美しい姿になって、運転体験で活躍しています。


同上。


同上。
私が見た時は、運転体験初心者(第一回目?)の方たちが運転していたようです。女性の方が混じっていました。
ちなみに運転体験者には女性が結構いるそうです。中には碓氷峠鉄道文化むらに頻繁に通い、運転体験の資格者になった女性もいるとか。


動態保存EF63の留置線。
EF63で賑わっていた往年の横川を思い出させる光景です。


同上。


同上。


留置線脇の本線を走行するEF63-11。


同じく。


動態保存の運転区間終点=県道との立体交差橋上で、碓氷峠を背景に停止中のEF63-11。
県道の旧中山道踏切立体交差化が完了し、2005年6月1日より運転体験区間が立体交差橋上まで約100m延長されました(区間延長工事は5月までに完了)。これにより運転体験区間は全長約400mになりました。


同上。


同上。
2エンド(軽井沢寄り)の顔。


停止中のEF63-11から軽井沢方向を見る。左側は「シェルパくん」とEF63運転体験兼用の旧下り線。右側は坂本付近までが遊歩道「アプトの道」に使われている旧上り線。
この付近の架線は撤去され、旧下り線のみEF63運転用に架線が張り直されています(EF63-11の2本先の架線柱まで)。運転区間のさらなる延長(25パーミル区間に限定するとして旧丸山変電所付近まで)は送電の問題で難しいそうです。


EF63-25と12の並び。


旧中山道踏切跡。跡と行っても、側溝蓋に流用されたラックレール以外には、数年前までここに踏切があったことを示すものはありません。
ここから、「アプトの道」(右奥方向)は旧上り線区間に入ります。


旧中山道踏切跡脇の招魂碑(右側)と碓氷路交通殉職者鎮魂碑(左側)。


旧中山道踏切跡の県道立体交差橋。
停止中のEF63-11。パンタグラフが一旦下ろされ、エンド交換作業中のようです。


エンド交換が完了し、出発線へ戻るEF63-11。


EF63留置線の脇を戻っていきました。

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