戸田の渡
とだのわたし
戸田の渡し付近を南から見たところ。
中山道道筋は手前新幹線高架の左(西)側から河原中央あたりで右側にぬけ、
渡河地点は高架の影あたりだと思われる。
(2000.9.28)
戸田の渡し跡の碑が戸田側に立てられている。
この渡しは天正年中(1573-1591)よりあったとされる。
渡船場の管理は下戸田村が行っており、
寛保二(1742)年には船の数は3艘、天保十三(1842)年には13艘となっている。
安永元(1772)年には幕府公認の河岸場となり天保三(1832)年には5軒の河岸問屋があった。
明治八(1875)年に木橋の戸田橋が完成し渡しは廃止となった。
(1999.8.5)
蕨之駅・戸田川渡場(英泉)
荒川の戸田の渡しの当時の様子を偲ぶことができる。
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