一本杉の碑
いっぽんすぎ のひ
文久四(1864)年正月の朝、ここで仇討ちが行われたので有名な所。 討たれたのは千葉周作門下、丸亀の浪人河西祐之助、 討ったのは水戸家家臣宮本鹿太郎他4名。
河西は宮本の父を討った後、僧となるために江戸に向かう途中だった。 河西を哀れんだ村人が供養塔を建てたが、今は失われてしまっている。
(98.2.6)
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