五料茶屋本陣
ごりょう ちゃやほんじん
江戸時代に参勤交代などで中山道を通行する大名や公家などが休息したところで、
本陣のような宿泊用施設ではなく、休憩や昼食あるいは他の大通行が関所にかかっている間の
時間待ちなどに利用された。
そのため部屋数は少なく、上座と呼ばれる書院造りの上段の間・下の間・式台・通りなどを備えている。
家族の生活の場は、勝手・茶の間・中の間・納戸などからなっている。
また、茶の間に続く広い座敷は名主役宅として村役所の機能を果たしていた。
五料の茶屋本陣は2軒あり両家とも中島姓なので、「お西」「お東」と呼んでいる。
両家の先祖は共に天文年中(1540頃)諏訪但馬守が松井田西城を構えたときの家臣中島伊豆直賢と伝えられている。
お西に伝わる慶長六(1601)年の「五料村御縄打水帳」によると、
すでにその頃五料村に土着し名主役を勤めていたことがわかる。
両家とも代々名主役(二人名主制)を勤めており、天保七(1836)年から明治五(1872)年までは
交代名主制となり一年交代で名主役を勤めている。
現在の建物は両家とも文化三(1806)年の大火で焼失し、同年中に再建されたものである。
使用材は松と杉が主で大黒柱などには欅を使用している。
東西に土蔵を配し鼓山を眺める南面の借景庭園はすばらしく、裏庭の景観も心和むものがある。
お西は昭和四十八(1973)年中島公男氏から町に寄贈され、保存修理工事を行い昭和五十九年秋に公開開館された。
家族の居間などは江戸時代の再建当時に復元したが、
上座の部分は明治十一年九月六日に明治天皇が北陸東海道御巡幸の折
「御小休所」として使われた。これを受けて昭和九年に文部省指定史跡となっているので、
明治十一年に大改修された状態のままに保存されている。
間口十三間、奥行七間、総二階切妻造りで、上座の上部は二階に見えるが、
壁で仕切られていて天井には入れないように造られている。
(98.9.23)
(98.8.17)
| お西の門。
| (98.9.23)
| 入口脇の風呂場。
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(98.9.23)
| 茶の間。
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| 勝手。
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(98.9.23)
| 下の間。
| (98.9.23)
| 上段の間。
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お東は平成四(1992)年中島徳造氏から町に寄贈された。
復元工事は天保十年の住居絵図面・万延元年の絵図面と解体時の調査を参考にして
建築当初の姿に復元整備された。
但し、板葺きであった大屋根は防火上の配慮から板葺風のスレート瓦葺になっている。
間口十三間、奥行七間、総二階切妻造りで、
上座は建築当初のままの式台と表の間・次の間・上段の間、
これに鍵の手の入側(畳敷きの通路)が付いている。便所も旧位置にそれぞれ三ヶ所復元されている。
(98.9.23)
(98.8.17)
| お東の門。
| (98.9.23)
| 上座の寄り付き(玄関)。
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(98.9.23)
| 居間。
| (98.9.23)
| 勝手と茶の間。
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(98.9.23)
| 上段の間。
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説明文参考:五料の茶屋本陣パンフレット
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