碓氷関所跡
うすいせきしょ あと
醍醐天皇の昌泰二(899)年に群盗を取締まるために、
碓氷坂に設けられたのが関所である。
この地に関所が移ったのは、元和年間(1615-1623)といわれ、
幕藩体制を中心とした徳川幕府の確立・安定という政治的意味をもつものとなり、
いわゆる「入鉄砲に出女」の取締まりをねらいとしたものになった。
明治二(1869)年廃関されるまで中山道の要所となった。
門柱および門扉は当時使用されていたもので、
総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものである。
ほかに屋根材6点と台石も当時のもので、
昭和三十四年一月、東京大学教授工学博士藤島亥治郎氏の設計により復元された。
この位置は番所跡にあたり、復元された門は東門である。
松井田町教育委員会 説明版より
東側から
(1998.9.23)
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