【運用の目的】
8月24日から8月29日の日程で、小笠原・父島(JD1)からの運用が決まった。
きっかけは、毎年ハムフェアにDXCCのQSLチェックで来日する、ARRLのK5FUV(Bill Kennamer)の小笠原行きに同行する話からだった。
最初はただの観光旅行を兼ねた小規模なハム運用のはずだったが、途中で彼の友人のW5UN、K5GW等から、
小笠原での144MHz・EMEの運用の話が持ち込まれた。
このリクエストで、その後のJD1行きの計画は、大幅に変更させられる事になった。
なにしろ、小笠原は日本領土(東京都!)、運用は日本の法律の"ルール"で行わなければならない。
これは、外国での運用に慣れているメンバーを、大いに悩ませる事になった。
「144MHz EME 運用」の項で紹介する様に、JD1での144MHz・出力200WのEME局の誕生は、
免許取得をめぐって出発直前まで難航したが、出発間際になってようやく小笠原で使用するコールサインが7J1YAM (Ogasawara EME Club )と決まった。
今回は米国籍のケナマー氏がクラブ代表者となったため「7J1」のコールサインの割り当てとなった。
日本から参加の3人はクラブ・メンバーとして運用する。
ただし、この7J1YAMは144MHzのEME専用の固定局となるので、HF帯にオンエアするときは、それぞれの個人コールで運用する事になった。
◎ 7J1YAM Operating Team
K5FUV/7J2ADX "Bill" Kennamer
JA1BK/JD1 "Kan" Mizoguchi
JA1RJU/JD1 "Kazu" Ogasawara
JK7TKE/JD1 "Koji" Fukui
【運用場所】
8月24日午前10時、芝浦埠頭を出発した小笠原海運の「おがさわら丸」は、翌日の朝、約25時間の船旅の後、小笠原・父島の二見港に無事到着した。
父島での滞在先、兼7J1YAMの設置場所となる「境浦ファミリー」のオーナーの遠藤さんの出迎えを受け、二見港から3Kmほど離れた境浦に向かう。
境浦は二見港から南へ湾をなぞってのびる快適な舗装道路を3Kmほど走った所に位置している。
短いトンネルを何度か通り過ぎると、左手に「境浦ファミリー」のこざっぱりした白い建物が見えてきた。
ここは、海抜が約30mほどあり、道路を隔てた向かい側の海には、太平洋戦争当時に魚雷攻撃を受けて座礁した、輸送船「浜江丸」を見下ろす事ができる、
小笠原村の中では比較的高い場所に位置している。
境浦ファミリーと門前の方位標識
われわれには、本館から50mほど離れた二棟の"離れ"が提供された。
しかし、うっそうと茂る樹木に囲まれた建物を眺め、
想像していた以上にアマチュア無線の運用には条件の悪い場所であることに正直なところガッカリ。
「何処にアンテナを建てたらいいの?」と言うのが全員の第一印象だった。
バーチカル・アンテナ一本ぐらいは建てられそうだが、144MHzの24ELを建てるスペースは見あたらない。
肝心の東側は樹木が生い茂り、その後ろは切り立った崖になっているのだ。
われわれの「戸惑い顔」を察したのか、オーナーの遠藤さんは、「近くにいい場所があるので、そちらを見ますか?」と言ってくれた。
この場所より悪い所は無いだろう?と、さっそく"その場所"を見に行く。
そこは本館から150mほど離れた広場だった。
以前はセメント工場として使われていた所らしく、現在は朽ち果てた機材が広場の片隅に転がっているだけ。
広場の傍らには物置となっている二棟の建物があり、100Vの商用電源も引き込まれている。
2棟の物置と物置の間にトタン屋根が架かっているので、この下を運用場所として使わせてもらうことにした。
これで何とか"雨露"だけはしのげそうに思えた。
しかし、後日襲ってきた台風4号の前触れの豪雨には、この"オープンハウス"は無力だった。
両側を大きなシートで囲ったものの、湿気は"霧状"になって舞い込んできて、
容赦なくリグやパドルの上に降り注ぐといった最悪の状態!。
CWで運用する事の多かったK5FUV/7J2ADX・Billは、"水浸し"で誤動作するパドルで苦労しながらキーを叩いていた。
"訂正だらけ"のCWは、けっしてキー操作が"下手"だった訳では無く、
この様な悪条件で運用しての事だったことを、彼の名誉のためにもお伝えしておかなければならない。
それでも、雨が降っていない時には風通しもよく、夜などは亜熱帯の気候とは思えないほど涼しく、快適な場所だった。
ただ、「蚊取り線香」を常時5、6本炊いて置くことと、ヤモリやトカゲ、ガマが足元に入り込んで来ても気にしない"心の広さ"が必要だった。
小笠原は「酸性土壌」なので「蛇(へび)」は住めない場所、と聞いてこれだけはホッとした。
小笠原・父島
【滞在延期】
約一週間の予定だったJD1(Ogasawara Is)での運用は、父島近海で発生した台風4号の接近で「おがさわら丸」が台風を避けて一日早い出港が決まり、
われわれのスケジュールも大幅に変更される事となった。
米国への帰国便の関係で滞在を延期出来ないK5FUVと、JA1BKの2人は日程を繰り上げ、
27日の便で他の宿泊客と一緒に島を離れることになった。
残るJA1RJUとJK7TKEの2人は、28日のスケジュール終了まで残留、予定の決まらない"次の便"まで滞在する事が決まった。
残留した2人は、27日から空室となった本館に"住まい"を移動した。
台風に備えて別館を補強するとの理由からだったが、これは願ってもないことだった。
本館の庭は、別館よりも空地がありアンテナを張る場所が確保出来そうだった。
台風の接近を前に、庭にHFのアンテナを移動した。
何とかインバッテットVの半分の角度のアンテナを建てることが出来た。
これでも台風が荒れ狂う中で、交信を楽しむ事が出来たのはありがたかった。
本土を襲う台風は、大体一日で通過してしまうのが普通なのだが、
台風の発生場所に近い小笠原諸島では"発達途上の台風"が足踏み状態で停滞する事が多いとかで、
今回も丸々4日間、暴風雨の中に閉じ込められる事となった。
結局、台風が去り迎えの船で東京に戻ってきたのは9月4日だった。
【6mでの運用】
6mの運用は、EMEのスケジュールの後に予定していたが、結局運用出来たのは台風通過後の9月に入ってからだった。
9月2日のオープンで、VK4's、V73、BV、VR2、YB0、JD1とJR6、JA1、2、5エリアとQSO出来た。
ほかに、受信だけだったが、HL1LTCも入感していた。
Esシーズンも終わった後で、JA本土は短いオープンだけだった。
JA以外のDXの入感範囲と信号の強さは1エリア(本土)で聞く"それ"とは比較にならないほどFBだった。
9月2日のコンデションが良かったのかも知れないが、夕方からJR6、BV、VR2がほとんど同時に入感、
その後はVK4、YB、V73が13:00z頃まで安定して聞こえてきた。
とくにV73ATの信号はそれほど強くはなかったが、遅くまで安定に入感して"ラグチュー"が出来そうなほどだった。
【小笠原での6m事情】
小笠原・父島に滞在中、6mにQRVしているJD1BIA・田久保 洋さんにお世話になった。
父島は民家が集中している西海岸沿いの二見港付近からは、本土に対して300m程の山越えとなり条件は良くない。
6mがオープンすると車で見通しの良い場所まで移動して、運用していると言うのもうなずける。
田久保さんがQRVしている場所は、二見港からほど近い三日月山の南裾。
本土に対してはこの三日月山越えとなり、ここも条件は悪い。
ときどき、見晴らしのいい山に移動して運用することもあるとのことだった。
父島のJD1BIA・田久保さんのシャック
【6mのQSO局】
Esシーズンをはずれた小笠原での50MHzのオープンはローカルのJD1BIAを除き全て9月2日にQSO。
8/30 JD1BIA
8/31 JD1BIA
9/2 JA1WLO BV2PU
JA1WLO(SSB) VR98LC
JA1BWA JA5FFJ
JR2HCB VK4BRG
JA2DDN VK4FNQ
JE2DWZ VK4APN
JR6GV V73AT(CW)
JR6GV YB0ARA/9
JR6BU V73AT(SSB)
【JA1RJU・小笠原 一夫】
JA1RJU/JD1の設備(FT-847)/6m 4EL(HB9CV)
運用するJA1RJU/JD1/JK7TKE/JD1
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