7J1YAM (OGASAWARA EME CLUB)

小笠原で初の144MHz EME運用



7J1YAMを運用するK5FUV/7J2ADX、JA1BK
(1998 Aug.25〜Aug.28)



【EMEの運用】

 日本の免許制度の中で、V.UHFの200Wの大電力の免許取得が簡単でないことは、最初から予想されたが、144MHzのEMEの準備を進めている段階で、 やはり最初に突き当たったのはこの問題だった。
最近は日本でも200Wや1KWが免許される様になったとはいえ、移動局は免許資格の別に関係なく、従来通りの50Wに制限されていること、 144MHz帯での通常のパワーは、こちらも最大50Wに抑えられていることだった。 144MHzで200Wの免許を受けるには、"特別許可"の免許を申請しなければならなかった。 当然、固定局の免許申請となる。
米国では考えられない日本の免許制度の壁に、申請者のK5FUV・Billも、出発間際には小笠原でのEMEの運用を半ばあきらめていた。 準備していたEMEのアンテナも持参するのを中止する事にした。 ただし、免許が取得出来た時に備え、日本で入手し難い144MHz帯の200Wアンプだけは持ってやってきた。
来日してから、関係当局との再度の交渉の末、出発4日前の8月20日になって、小笠原に滞在する期間の8月25日から28日までの僅か4日間の限定免許ながら 「144MHzの200W局」の免許取得に成功した。 小笠原でのコールサインも固定局・7J1YAM(名称:Ogasawara EME Club)と決まった。
免許の取得に望みをかけて、アンテナを除く大部分の機材を既に小笠原に送っていたJA側のメンバーは、この決定にひと安心。 出発の直前まで、アンテナやケーブルの調達など、最後の準備に追われた。 EME用のアンテナが届いたのは出発の前々日だった。 あとは、小笠原到着後の現地でのアンテナ設置など、指定された条件をクリアー出来れば、この時点で晴れて小笠原に初の144MHzのEME局が誕生することになるのだ。


"Ogasawara EME Club 7J1YAM" の落成検査に立ち会う免許人のBill K5FUV=7J2ADX

【EME Antennaaの組み立て】

 宿に落ち着く間もなく、144MHz用のアンテナの設置に取りかかった。 夕方までにアンテナ工事を終え、報告する事が7J1YAMの最後の免許条件だったため、大至急アンテナ工事を終えなければならない。 幸い、境浦ファミリーの敷地内に適当な広場があり、ここを提供して頂いた。 2棟の物置と物置の間にトタン屋根が架かっているので、この下を運用場所として使わせてもらうことにした。
4人で手分けしてアンテナの組み立てを行った。144MHzのアンテナとはいえ、2本並べると驚く程の大きさになる。 当日の09:00z(18:00JST)に、ヨーロッパとのスケジュールが控えていることもあり、日が暮れない内に組み立てを終わらなければならない。
アンテナ工事は順調に進み、予定通り無事終了した。工事完了の報告後、正式な7J1YAMの免許状の写しが東京からFAXで送られてきた。
これで、小笠原・父島に初の144MHzのEME 200W固定局・7J1YAMが誕生した。


2m EME-Antennas の組み立て

【EMEの運用報告】

 今回は個人の休暇に合わせた日程と、簡単な設備などから、正直なところEMEでのQSOの可能性は、かなり難しいものに思われた。 とくに"月の位置"は、太陽と月がほとんど同じ軌道上にあり、ノイズレベルは高くなることが予想された。 さらに、運用地の境浦地区は、父島の西側に位置するため、東側の北米に対して最も条件の良いパスとなる"月の出"の低仰角の時間帯が、 200m以上の山に遮られて使えないことなどだった。
当初これは大きな問題と考えられた。固定局のために、条件の良い山の上などに移動する事は出来ないので、 アンテナの仰角(EL=エレベーション)の高い状態のQSOに限定されたスケジュールをこなすことになった。


144MHz 12EL X 2 Antennas/200W EME Station(FT-847+AMP)


【2m EME Schedule】

いよいよ初日(25日)のヨーロッパとのスケジュールは、09:00z(18:00JST)から始まった。

      09:00-09:30z  F3VS     AZ 255.3   EL 24.3
      09:30-10:00z  SM5FRH   AZ 259.1   EL 17.9 
      10:00-10:30z  I2FAK    AZ 262.6   EL 11.4
      10:30-11:00z  SM2CEW   AZ 266.0   EL  4.9
各局30分の持ち時間と、1分間隔の送受によるスケジュールは、緊張の中にも淡々と進められていった。 しかし、初日のスケジュールは、期待に反して収穫は何もないまま終わってしまった。
小笠原からヨーロッパ方向(270度方向)は、障害となるものは何も無いので期待していたのだが、信号のカケラも聞こえなかったこの日の結果に、 明日からのスケジュールに一抹の不安をおぼえる。なにしろ、朝方に予定されている北米方向の東側には、200-300mの山が"邪魔"をしているのだ。


7J1YAM 144MHz 12ELX2 EME-Antennas Beam./(Left)to EU & (Right)to North America


 EMEのスケジュール終了後の夜間は、各局の個人コールを使って、HF帯でQSOを楽しんだ。 各バンドとも高さの低いダイポールだったが電波は驚くほど良く飛んでくれた。 とくに7MHz帯の飛びはすばらしく、ヨーロッパ、南米、アフリカまでローパワーでQSOが出来た。 意外だったのは多くのDX局から"初めてのJD1のQSO""ニューカントリーありがとう"と言われたことだった。
クラブコールの7J1YAMは、144MHzだけの免許なので、残念ながらHF帯で使う事は出来ない。

翌朝(26日)、いよいよ期待している北米方向のスケジュールが始まった。運用者はK5FUV・Billが担当した。

 
      00:00-00:30z    KB8RQ     AZ  98.6   EL 17.1
      00:30-01:00z    W5UN      AZ 102.5   EL 23.5  QSO 
      01:00-01:30z    K5GW      AZ 106.7   EL 29.8  QSO
      01:30-02:00z    VE7BQH    AZ 111.0   EL 35.9
 悪条件の中での運用だったが、結果的には相手の設備に助けられ、この日に初のEMEによるQSOが、W5UN、K5GWを相手に成功した。 私(JA1RJU)は早朝まで7MHzでヨーロッパ・ネットに付き合わされ、交代した後だったので、残念ながらこの記念すべきQSOに立ち会う事は出来なかった。 意外なほど早くQSO出来た事に驚かされ、さすが相手は"EMEのビッグステーション"だけはある、と感心する。
朝の北米のスケジュール成功に気を良くして、夕方からのヨーロッパのスケジュールに臨んだが、台風4号の接近による、 豪雨と強風で、アンテナの方位が定まらず、残念ながらスケジュールは中止することになった。
この台風の接近により、当初予定されていた帰りの船便(28日出港)は、一日早まり、翌27日の昼に父島を出港することに決まった。


 27日の朝、昨夜の豪雨は、明け方になって一時的に収まり、薄日が射す天気となった。 昨日のスケジュールでのQSOに刺激されて、アンテナを2mほど上げる。 これで少しはトタン屋根の影響は少なくなり、ビームパターンの改良が出来るはず...という程度の変更だった。
今日の便で帰京することになったK5FUVとJA1BKは、北米とのスケジュールが、EME運用の最後となってしまった。 昨日の話し合いで、JA1RJUとJK7TKEの両局は、次の便まで滞在し、残るスケジュールをこなす事に決まった。 ただし、次の便が何日になるのか予定が立たず、はっきりしていることは、この台風4号が日本近海から遠ざかった時という事だけだった。
われわれと一緒の船で来た客の大部分は、今日の船で島を離れるという。 「境浦ファミリー」の客もわれわれ二人を残し全員が帰ることになった。
 
      00:30-01:00z    K5GW      AZ  99.1  EL  6.0  QSO (W5UNから変更)
      01:00-01:30z    KB8RQ     AZ 104    EL 14.0
      01:30-02:00z    VE7BQH    AZ 108    EL 18.0
      02:00-02:30z    K5GW      AZ 110    EL 20.4  QSO
 最後のスケジュールはJA1BK、K5FUVの運用で始められた。船の出発時間が迫っているため、二人のEME運用のチャンスは最初のK5GWのスケジュールのみだったが、 この日もK5GWの信号は最初から確認出来た。
帰京する二人が出発した後の北米のスケジュールは、JA1RJUによって運用されたが、K5GWはこの時も"良く"聞こえた。 "生"で聞く144MHzのEME信号は初めてだったが、この日の信号は、50MHzで聞く弱いヨーロッパのスキャッターより強かった。
台風から逃れる様に出港した「おがさわら丸(Ogasawara-Maru)」を見送って、午後からのヨーロッパのスケジュールに向けて準備をする。 一時的ながら天候も回復して雨は降っていないので、今晩10:10z−12:10zのスケジュールに期待がかかる。 ところが、スケジュール一時間前になって突然強風と豪雨が襲ってきた。 台風が更に接近して、暴風圏に入ってしまったようだ。
スケジュールどころではなくなったため、倒壊を防ぐため、144MHzのEMEのアンテナを降ろす事に決定。 ついに一日の免許期限を残して、144MHz EME局・7J1YAMは、この日でQRTした。
この判断は正しかった。翌朝風雨のなかを点検に行くと、HF帯のアンテナのマストは先端が折れ、ダイポールは地面に舞い降りていた。
台風4号はその後も小笠原近海に居座り続け、強風と豪雨が4日間続いた。



7J1YAM EME License (145MHz 200W A1)の免許状コピー



 今回の144MHzのEME運用は、免許の問題もからむ中での短いスケジュールのうえ、途中で予期しない台風に遭遇するなど、十分な運用が出来なかったが、 この経験は、今後の本格的な運用に向けての"予備運用"として、大いに意義あるものだった。
心残りだったのは、北米と共にスケジュールを組んでいたヨーロッパ方面が、台風4号の影響による強風などで、満足に対応出来なかった事だった。
7J1YAMの全運用期間を通じ、電波の反射体である"月"を眺める機会は一度もなかった。

                                                   (de JA1RJU/Kazu Ogasawara)

7J1YAM(OP.JA1RJU/JD1=Left & JK7TKE/JD1)



【包括免許制度の勧め】

 今回の小笠原でのEMEの運用にあたり、日本の免許制度の"不自由さ"を改めて感じさせられました。
先進国(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、イギリス等)では、資格試験に合格し、 局免許(コールサイン)がもらえれば、資格の範囲で自由に運用できる、いわゆる「包括免許」が行われています。
これに対して、日本の現行制度では「資格」と「局免許」は、連動した扱いとはなっていません。 資格の範囲内であったとしても、申請していない「機器」は使えず、 200Wを超える電力を必要とする時には「予備免許」「落成検査」といった手続きが必要です。
機器を「自作」していた時代ならいざ知らず、ほとんどの機器がメーカー製となった現在、 戦後すぐにできた現行のアマチュア無線の法律は、戦後50年を経過して現状にそぐわなくなっています。
日本でも「包括免許」を希望する声は以前からたびたびありましたが、そのつど日の目を見ることなく消えていきました。 これは郵政省(関連の団体を含めて)自身が自分たちの職場をなくすようなことに、耳を貸さなかったためと考えられます。
アマチュア無線局が122万局を超える現在、プロの無線局とは根本的に異なるアマチュア無線を、より自由に楽しむために、 「包括免許制度」の導入を積極的に働きかける良い時期でしょう。

 現在、インターネットに総務庁の「国の行政に対する苦情」の受け付けコーナーがあります。 先に「包括免許導入」に対する意見を寄せたところ、この問題に「興味」を示していますので、郵政省の監督官庁である総務庁から「包括免許制度」導入を働きかけるのも有効です。 なるべく多くの皆さんから「意見」を寄せて下さい。



Ogasawara Is.
父島から運用


Ogasawara Is.
父島 写真集


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