2003/01/27(月) ■RT そろそろRTのタイヤが消耗してまずいことに。購入してから17000km以上走っているし、替え時か。RTを購入したエクセルオート、こちらも引っ越したがあちらも移転してやたらと遠くなってしまい、行くのに1時間程度かかるのが気が重い。大阪市を南北に縦断するような感じなのだ。 一方、都島区(自宅の区の隣の区)にも、もう一つBMWモーターサイクルのディーラーがあって、こちらはバイクで10分かからない。一度試しに行ってみるか。 2003/01/25(土) ■X22 10時頃到着。600Eからデータを移して試す。直っているみたい。 修理レポートによれば、やっぱりシステムボード交換とのこと。これ、有償だと5、6万円は取られているよな。ブルブル。筐体のトラブルも直って返ってきた。まずは新品並みになって安心。こんなに時間がかかるとは思わなかったが・・・。 マザー交換の影響からか、IBM ACCESS CONNECTION(ネットワーク環境を切り替えるユーティリティ)が無効になっていてちょっと焦るが、ロケーションを設定し直したら有効になった。職場のネット環境が少し変わってDHCPになり、自宅と違うのはPROXYサーバーの有無くらいで、以前とは違ってこのツールを使わないとにっちもさっちもいかないという状況ではなくなっているが、修理前動いていたのが動かなくなっているのは気持ち悪いので。解消して良かった。 2003/01/24(金) ■故障 到着日によって発送先を職場か自宅か変えたいので、今日の午後最終確認のTelを入れる。今のところ、予定に変更ないみたい。やれやれ、ようやく戻ってきますか。明日は一日自宅待機だな。 考えてみたら、X22故障発覚から1ヶ月近く経ってしまった。年末年始を挟んでサポート自体が休みだったり、修理にやたらと時間がかかっていることが重なったんだけど、代替機がなければ全くシャレになっていない事態。 IBMの修理サポートは何回か利用していて、保証期間外の有償修理でいずれも1週間強でマシンは手元に戻ってきていたのでそこそこ満足していたが、今回ので信頼ちょい落ちですな。家電修理(ビデオデッキ)の経験から言っても、10日間戻ってこないばかりか連絡もないってのは論外だと思うなあ。ビクターもソニーも「部品はこれこれを換えて、いくらかかります」ってのは2〜3日で連絡してきたよ。まあ有償修理と無償修理で違うだろうけど、有償修理の時は速くて無償修理の時は遅いってんじゃ、ちょっとサポート姿勢が問題視されても仕方ないと思うなあ。逐一ユーザーに報告せよとまでは言わないが、遅れるなら遅れるで、見通しくらい自主的に連絡してくれよと思う。 僕は使い続けるつもりだけど、他人にIBMマシンを薦める気はちょっと失せちゃったかなー(^^;)。TrackPointIVマシンが世の中からなくなると真っ先に困るのは自分なので(^^;)、薦めまくりたいところなんだけど、こんな貧弱なサポートじゃ薦めた人に恨まれちゃうよ・・・。 ■靖国神社 以前と違って、太平洋戦争はアジア解放戦争だったとかいう恥知らず・国益を害する歴史認識を得意になって開陳するページはなくなったようですが。何かシンパ学者を使って自己正当化を延々とやっているページがございましてね。 僕は個人的には「A級戦犯を合祀しているからけしからん」と言っているんじゃないし、そういう理由で反対している人をよく見かけるが、これは言葉足らずではないかと思う。A級戦犯と言われる人の中には、殆ど言いがかりじゃないかと言われる人もいるし、逆に本来責任重大で、A級戦犯として処刑されても仕方ないような人間が生き残ったりもしているし、裁判が終わるまでに自決して結果的にA級戦犯とはならなかった人間もいる。戦勝国による極東裁判が100%妥当性のあるものではないのは確かだろう。でも、問題は「A級戦犯かどうか」ってことじゃない。 自動車生産台数で100倍もの差がある、国力に天文学的格差がある超大国と勝てると思って戦争をしでかして、いくつもの戦争終結のチャンスを潰した挙げ句、特攻隊であたら若い命を死地に追いやり(首相は知覧の平和記念館はいったことがあるのだろうか?)、太平洋の島々で何万人もの将兵を文字通り全滅を賭して戦わせ、挙げ句に主要都市は殆ど全て丸焼けにされて二発も原爆を落とされて、罪もない国民の多くを困窮・塗炭の苦しみの底に追い込んだ、そういう致命的な結果を招いた責任が問われているのだ。当時指導的立場にいてこういう事態を招いた連中は文字通り、万死に値する間違いを犯したのであって、それは本人が死んで償ったとしてもとてもじゃないが埋め合わせようがない。何せ軍民死亡者300万人以上の大惨禍である。結果的に戦犯になったかならなかったかは、あまり関係がない。戦犯だから、ではなく、「当時の戦争について指導的立場にあった」から、相応の責任が生じるのだ。こういう連中に対しては仮借なく批判的に評価する必要があると思う。神棚に上げて拝んでいる場合じゃないのだ。そうした連中を無批判に祀る施設などけしからんと思うし、ましてや「不戦の誓いを新たにする」などという性質の施設でも断じてないと思う。 当時の権力者・指導者の犯した間違いを認めず、英霊として神格化して祀ってしまうところで、不戦の誓いは成立するか?するはずがなかろうが。冷静に間違いを客観的に分析しないと。 こういうことを書くと、す〜ぐ右とか左とか決めつけたがる風潮があるが、そういうことじゃないよこれは。日本のことだけを考えても、当時の日本国民が強いられたあまりにもあまりにも大きな犠牲を考えれば、当時の戦争指導者を無批判に祀る気にはどうしてもならないし、してはイカンと思う。ましてや周辺諸国は一方的に侵略を受け、収奪されたのだから、彼らが靖国神社参拝にナーバスになるのはこりゃもう当たり前であって、それを無視して参拝を強行するのはあまりにも近視眼的で感傷的で歴史に学ばない傲慢な者の行いじゃないかと思う。 右とか左とか、そんなレベルの問題じゃないヨ。 2003/01/22(水) ■X-22 サポートより仕事中Tel。昨日の電話では、今日発送とのことだったが、直した部品もおかしいようで、さらに部品交換しようとするが、しかし部品がなく部品待ちで発送は金曜日になるという。連絡はしないわ、こちらから連絡した際に確認した期日も守れないわと、度重なる齟齬に、さすがに平謝り。到着は土曜日になるようなので、その場合は自宅へ送るように伝える。 帰宅途中、天王寺のソフマップでDVD-Rメディアを物色していると着信。今度は修理の担当の人から直接。システムボードを交換して再起動しているので、Administrator権限の設定されたログイン名を教えて欲しいとのこと。あー、マザー交換やっとるんですか。ソフマップのテーマの流れる中、ログイン名をひゃらっと伝えてしまったが、これソーシャルエンジニアリングの新手だったらマズかったかも・・・。何か仕事中サポートにかかってきたのとは話がちょっと食い違っているような気もするし・・・。信用しているからな>IBMサポート。あと、電話してつついたら急に動き出した印象をますます強く持つ(^^;)。 まあとにかく早く直して返してくれというのは切に願う。もうやだWin98(^^;)。 今日の仕事中も、Win98環境で大きなWordファイルを編集中にWordが逝って10分ほどの作業がぱあになったりしてやはり不安定だす。仕事に使う環境じゃないな。Win2000+256MBならIE10個立ち上げたところでアプリ1つ落ちることなかったのに・・・。それと、600E、HDD交換してハイパネが効かないんで、会社と家との間でいちいち電源をOnOffしなくちゃいけないのが面倒。 以前IBMの修理サポートで働いていたhal9さんより、保証期間内の修理は通常は到着後2日で発送処理するので、部品がなかったのでは、とのツッコミメール頂く。多分そういうことで放置はしてなかっただろうとは思いますが、それならなおのこと、到着から10日経ってもユーザーに何の連絡もないというのは、ちょっとマズいのではないかと思います。代機のないユーザーなら、激怒されてもおかしくないヘボ対応では。まあそういうユーザーならもっと早くサポートに(怒りの)電話入れていると思うけどさ。良かったね、オレが温厚なユーザーで(^^;)。 むしろこういう場合はきゃんきゃん吼えまくってブラックリストにでも載ってしまった方が、後々も緊張感を持ってくれて迅速な対応が望めるんじゃないか、という気がしないでもないが、俺様の良心がそういうことを許さないなあ(^^;)。でも、これ以上不手際を重ねるようだと、さすがにちと怒った方が良いような気がするが。 2003/01/21(火) ■X-22 一応Webで修理状況を確認できるのだが、向こうにブツが到着して以来、「ただいま修理中です。」のままステータスが動かない。 開腹必要なバックライト交換という重症とはいえ、もう到着して10日以上経っていて、ちょっと時間かかりすぎだ。直接電話して確認すると「明日返送する予定」とのこと。う〜ん、大丈夫かな? まあ、オレみたいな、これあるを予想して(正直、堅牢さという意味でThinkPadには信用をそれほど置いていない)過去のマシンを予備機として使える状態で取っておくようなユーザーなら多少の遅延も多めに見ていられるが、そういう人間ばかりじゃないので、もちっと早急に修理して返してもらいたいものだと思う。やはりやいのやいの電話でうるさく言わないと迅速に対応してもらえないもんかな? それにしても、一度堅牢な2000に慣れると、Win98はちょっと怖くて使いにくい感じが。もっとも、今緊急的に使っている600Eはメモリが96MBしかないせいもあるが・・・。 2003/01/20(月) ■貴乃花引退 満身創痍の連敗でついに引退。 引退のいきさつから、もっと潔く引き際を、と苦言を呈する人も多いだろうが、最後の最後まで苦闘し、最後は平幕力士に無様に寄り切られる醜態まで見せる、そこまでのあきらめの悪さは、オレ的には好ましく感じられる。こういう土俵に対する並はずれた執念があったからこその名横綱だったんでは。紛れもなく一時代を築いた大横綱の現役引退で、寂寥感。 若貴時代は例の「失われた十年」とぴったり重なる感も。世間がそんなんでも、とてつもなく充実した日々を送った人間もいる。充実したものになるか失ったものになるかは本人次第、か。 それにしても、プロスポーツの世界は、同世代のプレイヤーは引退の時期。寂しいことだよ。 2003/01/16(木) ■『戦中派不戦日記』 東京大空襲(これも罹災当人の描く臨場感溢れる描写。まさに戦場)を経て疎開、終戦。終戦に対し、「一度も負けたことがないのに、初めて負けた」ということにがっくり来ている人が多い。ノモンハンでのこてんぱんぶりとか分かっている今となってはナンセンスな嘆きだが、皇軍無敵神話が浸透しきっていたことは察せられる。 山田青年の通う東京医科大学の疎開先の飯田市には、僕も何度か行ったことがあり、駅の描写などは何となく情景が目に浮かぶ。 やはり占領後の日本の行く末に怯えていたのが良く分かる。結果的に米軍を中心とした連合軍が比較的寛容な占領軍だったのは幸いだったが。 あと、さすがに後年筆で身を立てた方だけに、筆まめな人だなあ、と感心。手書きのノートでこんな内容の詰まった日記は、オレには一生かけても書けそうにないな、とか。PCなんていう省力装置を使ってですらこの体たらくだからねえ(^^;)。 2003/01/14(火) ■大戦 山田風太郎の文庫版『戦中派不戦日記』を読む。医学生の山田青年の見る、昭和20年の東京。新装版とかで文字を読みやすくしているために、やたらと分厚い。前書きで著者本人が書いているけど、文語体の決然とした文体が、戦時の心理をよく現している。ほぼ毎日、B29の空襲・偵察があり、空襲も数日おき。激しい戦火が日常に押し寄せていたことが伺える。ドイツ敗戦まで読了。それでもまだ、山田青年は徹底抗戦の信念を捨てていない。これが当時の人間の当時の感覚か・・・。 小泉首相、靖国参拝。しょーもな。「不戦の誓いを立てた」って、そこはそういう誓いを立てるには明らかに不適切な施設でしょうが。本人が「不戦」のつもりかどうかは問題じゃなくて、「ようあの戦争を起こしてくれた!」って思っていると受け取られてもおかしくないからヤメロっつーのに、ちっとも本人には通っていないようだね。脱力。 それと。実質的に日本で一番責任ある立場の人間なら、当然、個人のポリシーを通すことを我慢しなくてはならない場面もある、ということを理解してない様子なのはどーよ?「和を尊ぶ」日本人的な美徳からも、かけ離れているような気がする。 やっぱり色んな意味で首相の靖国参拝支持できないなあ・・・。引退して行くんならお百度踏もうがどうしようが文句は言わないが・・・。 2003/01/08(水) ■X22病院行き 仕事始めの日にWebで申し込んだら、引き取り日が最速で8日といことで、今日の午前、職場からお馴染み日通パソコンポで引き取り。まあ1週間はかかるだろうねえ。来週中に戻るかどうかってとこか。 保証書が白紙だったので、購入したときの領収書を元に勝手に書いてしまったが、これで無効になることもないだろ、別にウソは書いてないし。 バックライト以外にも、充電ランプ常時点灯とか、CFカードのEJECTボタンが取れた(^^;)とか筐体系の不具合があったので、これもついでに直してもらうように書いたメモも一緒にパソコンポの箱に入れておく。無償で全部直ると嬉しいなあ。 とりあえず、ネットラジオを聞くのに台所に置いていた600Eに必要そうなデータだけ移して、しばらく使うことにする。重いなあ・・・。 しかし、会社のマシンのモニターがアナログ接続なら、モニタ切り替え器で使い分けても良かったんだけど、DVI端子しかなくてどうにもならず。まあモニタ切り替え器を常用するくらいならマシンを2台も使わないが・・・。 2003/01/02(木) ■明けましておめでとうです 今年もよろしく。 っつーかさ、ノートPC壊れちったよ(T_T)。バックライト点灯せず。最初は起動していないのかと思ったんだけど、画面をよくよーく見たらうっすらとデスクトップが表示されてる。でもこれじゃ実用にならん(T_T)。おかげで年末の休みにやろうとしていた種子島レポが出来ずに、年越しっす。 んで、これは実家近くに出来ていた24時間営業のネット&漫画喫茶(おいおいそんな便利なモン、大阪の自宅近くにもねえよ・・・)で、備え付けのモニターを強引につなぎ替えてノートPCを出力させて編集してます・・・。大阪の自宅にならモニターは余っているくらいで、モニターをさっさと実家に送っておけば良かったよ。あるいはC700ザウルスの環境構築をキッチリやっておけば・・・。 一瞬RTでモニターだけ運んでしまうか?どうせヒマだし、とか思いかけるけど、それなりに重量のあるものを如何にRTとはいえ、バイクで運ぶのはリスクありすぎと思い、やめました。 っつーわけで、手短に今年最初の更新。一応種子島レポもロケット打ち上げまでは上げましたので興味ある方はどうぞ。 |