51
綾波レイ、14歳。
マルドゥックの報告書によって選ばれた最初の被験者、ファーストチルドレン。
エヴァンゲリオン試作零号機専属パイロット。
過去の経歴は白紙。全て抹消済み。
惣流・アスカ・ラングレー、14歳。
マルドゥックの報告書によって選ばれた二番目の被験者、セカンドチルドレン。
エヴァンゲリオン制式弐号機専属パイロット。
NERVドイツ支部で誕生した、天才少女。母、惣流・キョウコ・ツェッペリン。
父親に関しては、本人のプライバシー保護のため、一部データを除き未掲載。
Episode-10「Dis-Code（不協和音）」
パシュッ。
空気が抜ける音と同時に、気密式のドアロックが解除される。
男は、胸ポケットにカードをしまうと、人気のない廊下を歩きだした。
コツ、コツ、コツ、コツ…。
やがて、一枚の扉の前で足を止める。
入り口もそうだったが、やけに重厚な、近年の無機質なものではなく、木（表面だけだが）でできている。
マホガニー材のような質感。
伝統にこだわる人物たちの意向によるものだ。
ピッ。
壁のスイッチを押すと、短い電子音が鳴る。
中では、コールを告げる電子音が鳴り響いたはずだった。
やがて、両開きの厚いドアが開く。
「！……リョウちゃ…加持さん」
「や、しばらく」
中から応対に出てきたのは、ワンレンの秘書風の女性だった。
彼女は目を見開いて、口にしてしまった名前を訂正する。
男、加持は、片手を上げて、なんでもなさそうに応じる。
「あなた、こんなところに来て、大丈夫なの？」
素早く中に加持を招き入れながら、女性は詰問口調で訊く。
「そう冷たくしなくても良いだろう。同業者なんだから」
「…どこから入ってきたのよ。入り口にはSPがいるはずよ」
「さあ？見かけなかったけど、昼飯でも行ってたんじゃないか」
「とぼけて…」
加持は肩をすくめ、女性は苦笑を浮かべる。
「あっちの方はどうなの？」
「あっち？ 残念ながら女性関係では、俺は昔から一途でね。残念ながら、君には、俺の愛は捧げられないのさ」
「バカ言ってるんじゃないわよ」
それでも、嫉妬のつもりなのか、秘書風の女性が加持の尻をつねる。
「あてっ…本気でつねるなよ」
「…どうなのよ？」
「それこそ、機密事項だろ」
加持が、おどけた笑みを浮かべる。
「相変わらずね…」
女性が、フッと微笑む。
「そりゃ、どうも」
「で、本当に大丈夫なんでしょうね。あちらに知られたら、まずいんじゃないの？」
「そうだな、アルバイトが公になるのは、公務員としてはまずいかもしれん」
相変わらず無精髭の生えたあごを撫でて、うーむと考え込む加持に、女性はあきれたようにため息をついた。
「そのくらいふてぶてしければ、大丈夫みたいね。…で、何の用？わざわざ一時的に任務を外れてくるほどのことなんでしょう」
「いや、たいしたことじゃないさ。…その内、君にお世話になりそうなんでね。あいさつ回りさ」
「…何かする気？」
「だから大したことじゃないって。…そうそう、外務省の八雲にも話通しといてくれる？」
「八雲さんっ？！…ホントに、何する気」
女性が詰め寄るが、加持は「また、今度」と言って煙に巻く。
「長官、いるかい？」
「万田さん？そりゃ、いるけど…」
「どういうつもりかね、加持君」
万田―――内務省長官は、無意味に広い執務机の向こう側から、呼びもしない部下の訪問を受けていた。
「いや、たまにはご挨拶でも、と思いましてね」
「…余計な気は回さんでよろしい。そんなことより、君の仕事の方はどうなっとるのかね」
「報告書をご覧になってませんか？」
「…目は通しているがね」
「ご心配なく。内偵は進めていますよ、予定通り」
「それならばいいが…」
万田は、その太りすぎの体をソファに沈める。
「ところで…先日の件は、災難でしたな」
「JAのことかね？」
固有名詞を出さないでほしいなあ…と、苦笑する加持。
「ええ、まあ…」
「まったく、口ほどにもない奴らだ。おかげで、こちらにまで飛び火したよ。三人の首が飛んで、いい迷惑だ」
首を切ったのはあなたでしょうにと、もちろん口には出さずに呟く加持。
それにしても、内務省はNERVの仕掛けに、まるで気付いていないようだ。
お気楽というか、お気の毒というか。
この人も、大したことはないな…もっとも、そんなだから、その椅子に座っていられるんだろうが。
加持は、自分の立場を正確に把握している。
日本政府内務省調査部所属。
特務機関NERV特殊監察部所属。
そればかりが、さらにはゼーレにも一枚噛んでいる。
加持の仕事は、NERVの監視・内偵、そして日本国政府に対する情報操作も含まれている。
特別権限を持つNERVにいいようにあしらわれた政府と戦自は、ゼーレの手の上で踊る。
そういった筋書き。
一見すると、馬鹿馬鹿しいほど短絡的な筋書きではあるが、肝心の内務省長官がこれでは、それもあっさりと成功してしまうように思えた。
ま、万田さんも、いいように使われるだけじゃつまらんだろう。
ここはひとつ、一蓮托生ということで。
「で？用件は何かね」
「はあ、実は銃の携帯許可を頂きたいのですが」
「？携帯許可なら受けているだろう」
「支給品はどうも手に馴染みませんでね」
「…よかろう。ここを出る前には、書類にして回そう」
「どうも。…あ、それともうひとつ」
「なにかね」
加持は、ことさら軽い調子を演出する。
「レベル3のアクセス権限を頂きたいのですが」
「レベル3…？！機密ラインぎりぎりではないか。どうする気だ」
「むろん、内偵活動に必要なんですよ。なんなら、正式な申請書、出しましょうか？」
万田は、ため息をつくと、手を軽く払った。
「よかろう。それも用意しておこう。用はそれだけかね」
「ええ、まあ。何なら、一緒にお食事でも」
「残念だが、男と食事を共にする趣味はない」
「そりゃ、気が合いますな。では、失礼…」
加持は、何事もなかったように、軽快な足取りで執務室を出ていった。
「一体、何しに来たのだ？あの男」
「まだまだ甘いなぁ…ここも」
加持は、笑みを浮かべながら、駆け出しのシェフが経営するレストランを批評するような軽い口調で呟いた。
官邸を出る際、加持の手には、自分の銃の携帯許可と、レベル3…ではなく最高レベルのセキュリティカードが握られていた。
52
「ハロー、シンジ。Guten Morgen！」
「おはよう、アスカ！」
アスカの声に、シンジは嬉しそうに振り返って、最高の笑顔で応える。
その、あまりの元気の良さに、アスカは思わず驚いて身を引いた。
「アンタ…朝っぱらからテンション高いわね。 なんかいいことでもあったの？」
「ううん、別に。なんで？」
「まあいいわ。
……フン」
アスカは、シンジの横を歩いているレイの姿を見つけると、露骨に視線を逸らした。
先日の出来事以来、アスカの中でレイの評価は、「よく分からない子」から「生意気な女」に格上げされていた。
…これを格上げと言って良いかは甚だ疑問ではあるが。
したがって、アスカは挑発を込めてレイを見るのだが、レイの方はそれには全然気付かず、きょとんとした顔で見返す。
それがまた、軽くあしらわれているようで、余計にアスカの怒りゲージを引き上げるのだった。
いきなり不機嫌モードに突入したアスカを見て、シンジは隣のレイに小声で訊ねる。
「…アスカと、何かあったの？」
レイは、シンジの方を向くと、こくんと首を傾げる。
ややあって、
「別に、何もないと思う......」
「そう…？」
レイが全然普通なので、アスカの態度に理由が付かず「？？」なシンジ。
まさか、自分の弁当をめぐって、冷や汗ものの対決があったとは、夢にも思っていない。
一方で、レイはそんなことは全然気にしていないので、「何かあった」には該当しなかった。
「そういえば、アスカって今、どこに住んでるの？」
「ん？ホテル暮らしよ、NERVのね」
「不便とか…ない？」
「別にぃ…荷物もまだ全部届いてないしね。要は、食べて、寝れれば問題はないのよ」
アスカらしい、実用的なものの考えだな、とシンジは笑う。
「でも、荷物来たら、整理とか大変なんじゃない？」
「そりゃそうだけど…って、別にアンタにあたしン家の住宅事情、心配してもらう筋合いはないでしょーが」
「う、うん…それもそうだね」
今回も、アスカと一緒に暮らせるんだろうか。
言ってはみたものの、その懸念のあるシンジにとって、アスカの住宅事情は大きな問題なのであった。
キーン、コーン、カーン、コーン…
そして、昼休み。
「……さあっ、メシやメシやっ！！」
いつものように、トウジの歓声が上がり、それを合図にしたように、教室内の生徒たちが思い思いに散っていく。
「おう、シンジ、ケンスケ、綾波、昼メシや！」
しばらく前から、トウジの呼びかける相手に、新たな一人が加わっていた。
レイは、一人で食べることに何ら問題はなかったのだが、それではいけないと思ったシンジが、トウジとケンスケに頼んで、一緒に食べるようになっていたのだ。
最初は、苦手意識を持っていた二人も、シンジを仲介したコミニュケーションを続けるうちに、今では普通に話しかけるようになっていた。
レイの方でも、さすがに自分から話しかけることはほとんどなかったが、二人のことは「鈴原君」「相田君」と呼ぶようになったし、話しかけられれば、ちゃんと反応するようになっている。
シンジ、ミサト以外に、はじめてレイの生活の中に入っていったのは、トウジとケンスケだった。
「うん！…はい、これ綾波の分」
「......ありがとう、碇君」
シンジは、自分のスポーツバッグ（合計4つの弁当を持ってこなければならないので、通学カバンの代わりにしている）から、弁当箱を取り出すと、その一つをレイに手渡す。
その間、トウジとケンスケは、近くの開いた机をくっつけて、広いテーブルを作っている。
「アスカ！」
そして、シンジは席を立つと、ヒカリと一緒にいたアスカの元へ、弁当箱を持っていく。
「はい、これ。アスカの分のお弁当」
シンジは、笑顔で弁当箱を差し出す。
それを見たヒカリが、驚きの表情を浮かべた。
昨日、あれほど緊張していたシンジが、今日はにっこりと笑ってアスカに対し、まるで力みがない。多少の照れはあったが。
シンジは、自分がアスカに恋しているんだ、という自覚を持った瞬間から、それを完全に受け入れてしまい、それを隠したりせずに、ごくストレートに自分の気持ちを表現している。
好きな人に対して、これだけ素直になれるシンジを、ヒカリは尊敬の眼差しで見つめていた。
自分には到底、シンジのように、自然にトウジに弁当を作って渡すことなどできない。
「あっそ……もらっといてあげるわ」
ヒカリがひやひやするほど、そっけなくシンジから弁当の包みを受け取るアスカ。
弁当箱は、昨日アスカが注文したとおり、一回り小さくなっていた。
アスカは、確かに不機嫌だった。
実は、これは「レイの次に」渡されたことに対して、なんとなくムッとした思いを抱いたからであって、シンジの弁当に対するものではない。
ファースト。
気に入らない。
昨日以来、アスカの不機嫌の矛先は、シンジからレイへと移っていた。
シンジは、昨日のように突然、逃げ出したりはせず、アスカの反応を予測していたように、微笑んだ。
碇くんって……すごい。
なぜとはなしに、感動してしまうヒカリだった。
「ね、アスカ。良かったら、みんなで一緒に食べない？洞木さんも一緒にさ」
どきっと、言われたアスカよりも、二人のやり取りを見ていたヒカリの方が体を硬直させる。
昨日、あのあとトウジが好きだということを白状させられてしまった（というか、全身で力一杯表現していた気もするが）ヒカリは、「応援するよ」と言ってくれたシンジから、色々と助言を受けていた。
中でも、「トウジは、まだ気付いていないみたいだよ」という言葉には、大きな安堵と、少しの残念さを見せた。
「ケンスケも気付いてると思うよ」という言葉には、再び真っ赤になってしまったが。
自分の気持ちを他人に知られることは、とても恥ずかしい。
しかし、同じく好きな人を知ってしまったシンジに対しては、連帯意識のようなものが生まれていた。
そして、シンジの「協力」の最初のステップが、この「みんなで昼食を囲む」ことだった。
いきなりヒカリが輪の中に入ったのでは、あまりにも見え透いてしまうだろう。
もっとも、その程度では、鋼の鈍感さを誇るトウジには分からないとも思われるが。
だが、アスカと一緒に、ということであれば、不自然さもない。
シンジとしても、アスカと一緒に弁当を食べられるのは、この上ない喜びだった。
だが、シンジの目論見は、あえなく失敗に終わった。
「遠慮しとくわ。一緒に食べたくないってヤツがいそうだしね」
「え？それって、誰のこと…」
「さあね。直接、訊いてみたら？」
分からないのに、聞けるわけないじゃないか、とシンジは思った。
トウジやケンスケが、そんなことを言うはずはないし、当然、レイだって言うはずはない。
だが、それはシンジの主観であって、アスカの主観は、また異なる。
正直、みんなで食べることに不満などなかったのだが、レイが一緒にいるうちは、絶対イヤだと思っていた。
「ねえ…アスカ。誰もイヤなんて言わないよ。だからさ…」
「弁当だけもらっとくわ。…ホラ、あんたも早く食べないと、昼休み終わっちゃうわよ」
「うん……でも、気が向いたら、おいでよ」
「向かないから行かない」
てこでも動きそうにないアスカの背中を見やって、シンジはやれやれと肩をすくめた。
そして、ヒカリに向かって、小さく「ゴメン」と手を顔の前に上げる。
ヒカリは、「いいのよ」という風に両手を小さく振った。
シンジは、何度か振り返りながら、トウジたちの元へ戻っていった。
少し、寂しそうに。
シンジの足音が遠ざかるのを確認して…アスカは弁当の包みをほどいた。
中から、ファイア・レッドの弁当箱が出てくる。
弐号機と同じカラーリングにしたつもりだろうか。
子供みたいな思考方法ね、とアスカは少しおかしかった。
パカッと蓋を開ける。
「！」
「わ〜……すっごい。これ全部、碇くんが作ったのかしら…負けそう」
「なに、ヒカリ。初めて見たの？」
「うん。実はそうなの。……へぇ、これじゃみんなが食べたがるのも頷けるかも」
だが、実はアスカの驚きは、ヒカリとは別のところにあった。
中身が、アスカの好物ばかりなのだ。
思い返せば、昨日もそうだった。
あたしの好きなもの知ってる？…まさかね。
「大したことないわよ」
アスカは、そう言いながらも、少し優越感にひたったように箸を取り出した。
だが、体は正直で、我知らず、ごくりと喉が鳴る。
「いっただきまーす」
アスカが食べたその味は、まったく彼女の期待を裏切らなかった。
裏切るどころか、想像を超えていたかもしれない。
くやしいが、シンジの料理は美味い。
昨日のも、まぐれなどではなかったらしい。
人がおいしいものを食べている時の常で、アスカは自然と笑顔になっている。
「…ねえ、アスカ。ほんとに良かったの？碇くん、せっかく誘ってくれたのに…」
自分の弁当を広げたまま、箸を付けてなかったヒカリが、未練がましそうにトウジたちの方を見る。
ヒカリの目には、とても楽しそうに食事をしている4人の姿が映る。
トウジは、相変わらずパンを食べていた。
…わたしも、鈴原にお弁当あげられたらな。
だが、きっかけなしにそれができるほど、勇気を出せないヒカリである。
「いいのよ、別に」
アスカは、不機嫌さをぶり返したようで、ご飯をぱくつくスピードが上がる。
「うん…」
それでも、まだ残念そうなヒカリ。
「そうだ、ヒカリも食べてみる？シンジの弁当」
「え？」
話題を変えたいのか、アスカが箸を止めて、卵焼きを一切れ差し出す。
「ダメよ！」
「…ヒカリ？」
意外なほどに強い口調に、アスカは一瞬、戸惑った。
「そのお弁当、碇くんがアスカのために作ったんだから、全部アスカが食べなきゃだめ」
シンジの気持ちを知っているヒカリに、それが食べられるわけがない。
これは、シンジの気持ちが詰まった愛情弁当なのだから。
そう考えて、ヒカリは勝手に顔を赤くした。
「わ、わかったわよ…」
そんなんじゃないわよ、とブツブツ言いながら、食事を再開したアスカを、やれやれと見るヒカリ。
「碇くんも大変そうね…」
「ふぐ？…あにが」
「んーん。こっちの話」
わたしと同じで、アスカも意地っ張りみたいだから。
一方、早々に食事を終わらせたシンジは、窓の外を見ていた。
第7使徒イスラフェル。
その襲来は、前回の歴史に倣えばアスカが来日して数日後―――おそらく今日だ。
細かいところまでは覚えていないが、確かあの時は、学校にいる時に非常招集を受けたような気がする。
早くに来なくて、本当に良かった…とシンジは本気で思う。
昨日までの自分だったら、おそらく結果はさんざんだっただろう。
その後、ユニゾン…という展開になったとしても、ヘタをすれば失敗していたかもしれない。
ともかく、使徒の撃退方法にまで思考が回るようになったシンジは、イスラフェルのことを考えていた。
コアを二つ持ち、分離・合体能力を持つ、第7使徒。
前回の経験を踏まえてみても、残念ながらシンジには絶対の信頼の置ける撃退方法は思いつかなかった。
方法の一つとして、シンジが最前衛を努めて、分離前の使徒を、その2つのコアごと叩く、というのがないわけではない。
ただ、これにしてみても、本当に分離前なら、2つのコアへの攻撃が有効なのか、やってみるまで分からない。
なにしろ、分離前に倒した経験は、シンジにはないのだ。
そして、問題は他にもある。
今回は、零号機が健在だ。シンジ・レイ・アスカという布陣は、前回よりも勝利の確率が高いといえる。
だが、このメンバー、アスカが戦闘のイニシアティブを握ろうとすることは疑いない。
特に、レイに対して異様な敵愾心を燃やしている、今の状態では。
戦闘になれば、悠長なことも言っていられないが、なるべくなら、アスカを押しのけて使徒を倒すようなことはしたくなかった。
その行動は、間違いなくアスカを刺激するだろう。
ただのプライドの問題なら、それほど深刻になる必要はないのだが、アスカにとって「エヴァの操縦で他者に勝ること」は、アイデンティティそのものなのだ。
甘い考えかもしれないが、シンジはアスカを傷つけたくなかった。
やはり、ユニゾンが最上の選択ではないのか。
結局、シンジの思考はそこに落ち着いてしまう。
アスカと心を通わせられるのか、という心配は無論あるが、少なくとも、今の自分ならば、前回より上手にユニゾンできる自信があった。
あのリズムは、今でも体に染みついている。2回目なのだから、当たり前だ。
だが、ユニゾンに持ち込むためには、変な言い方だが、一度、使徒に対して敗北しなければならない。
そのために、アスカとレイを危険にさらすのは、シンジには耐え難い。
避けて通れる危険なら…。
シンジの頭の中にあったのは、自分一人で出撃することだ。
難しいが、なんとか実現できないか。
1対1なら、ATフィールドの使い方次第で、もしかしたら…。
が、ここでシンジは、肝心なことを忘れていた。
やがて、シンジにレイ、そしてアスカの携帯電話が非常招集を告げ、三人はNERV本部へと向かった。
53
NERV発令所
「ええぇっ？！初号機、まだ使えないんですかっ？」
シンジの驚愕の声が、発令所内に響き渡った。
シンジに待機を伝えたミサトも、近くで聞いていたリツコも、その過剰な反応に驚いて、少年を見やる。
シンジの中で、これまで考えていた計画が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
まさか…まさか…。
「残念ながら、ね」
ミサトがため息をついて、チラッとリツコを見やる。
視線を向けられたリツコは、腹立たしそうに眉をしかめた。
「……工期が遅れてるの。先週、残り2週間と見ていた修理計画が、さらに2週間繰り下げられたわ」
リツコにしても、歯がゆくて仕方がない。
純戦力的に見ても、現状で一番シンクロ率の高いシンジを戦列から外さねばならないのは、マイナスだし、リツコ個人としては、シンジの実力をもっと見てみたい、という考えもある。
だが、初号機の扱いに関しては、ゲンドウが殊更、慎重に進めることを命じているため、これ以上の工期圧縮は不可能だ。
「こういう時のための、新しい運用計画もあるにはあるんだけどね。今回は、時間が足りなくてパス。やる気出してるとこ悪いんだけど、シンジ君は待機をお願いね」
ミサトが重ねてシンジに命じる。
シンジは、半ば呆然とそれを聞いていた。
ということは、待てよ…このままいけば、アスカと綾波がユニゾン？！
そ、そんな無茶なぁ…
シンジは、ほとんど泣きそうだった。
今の二人に、ユニゾンはどう考えても無理だ。
いや、レイはともかく、アスカが彼女に合わせるとは思えない。
い、いったい、どうすればいいんだぁ…
「ぷぷ…残念だったわね、シンジ。見せ場が作れなくって」
呆然と、間の抜けた顔をしているシンジを見て、アスカが可笑しそうに忍び笑いを漏らす。
彼女にしてみれば、先日のシンクロテストの借りを、意外なところで返せる、という思いだった。
「ま、安心しなさいよ。あたしが、ちょちょいと片づけてやるから。アンタは、特等席であたしの日本デビュー戦を、ゆっくり見てなさいって」
あ、アスカ…そうじゃないんだよ。
シンジは、説明したかった。
アスカの攻撃じゃ、使徒は倒せないんだよ。正確に言うと、通常の攻撃じゃあ…。
だが、現状でそんなことを言えるわけがない。
まったく、根拠がないからだ。
だけど…。
「僕が、綾波の代わりに零号機で…っていうわけには…いきませんよね」
シンジの発言に、ミサトにリツコ果てはアスカと当のレイも驚いた。
4つの視線に見つめられて、シンジの声は段々小さくなる。
「それは無理っしょ…。ちゃんとパイロットはいるんだし」
「シンジくん、何故そんなに戦いたいの？」
「い、いえ…」
リツコに怪訝な表情で訊ねられて、シンジは言葉に詰まる。
「碇君......大丈夫。私が頑張るから」
「う、うん」
「ちょっと、ファースト！あんたは余計なこと、しなくていいのよ！変な真似して、あたしの足を引っ張らないでよね」
「......なぜ。二人で同時に攻撃すれば、勝率は高くなる」
「とにかく、邪魔すんなって言ってんのよ！」
「......私は、作戦通りにやるだけ」
「〜〜〜っっ、ああ、そう！」
アスカは、ぶるぶると震えながら、怒りを露わにしていたが、やがて勢い良く踵を返して、ケイジへと向かってしまった。
それを見たシンジは、深い、深いため息をついた。
これでは、アスカに第7使徒の倒し方をレクチャーするどころではない。
頭に血が上っているアスカには、一蹴されるだけだろう。
「さ、レイも早くエヴァに搭乗して」
「......はい」
…仕方ない。
シンジは、ケイジに向かおうとしたレイの腕を掴んで引き留めると、発令所の入り口付近まで行って、耳元で囁いた。
「綾波……お願いがあるんだ」
「？」
「アスカが、使徒を倒したと思ったら、すぐに弐号機を使徒から引き離してくれないかな」
いきなりのシンジの意外な頼みに、レイは目を見開いてシンジを見る。
「碇君......なぜ？」
「うん……理由は上手く言えないんだけど。お願いだよ、綾波」
相手がレイだから言える説得だ。言うなれば、レイの自分に対する信頼を頼りにしている。
シンジは、良心が咎めないでもなったが、ことは二人の安全に関わる問題だ。この際、仕方がない。
シンジは両手を合わせて、頭を下げる。
「わかった......碇君の言うとおりにする」
「！ごめん、綾波…ありがとう」
「いいの」
レイが、一度、自分を振り返ってから、駆け出すのを見送って、シンジは怪訝な顔をしているミサトとリツコの所へ戻った。
そして、開口一番、
「ミサトさん…僕も、移動指揮車で連れて行ってもらえませんか」
「先の戦闘によって、第3新東京市の迎撃システムは大きなダメージを受け、現在までの復旧率は26％。実戦における稼働率はゼロと言っていいわ」
移動式車内。
ミサトの声を聞きながら、シンジは既視感を覚えていた。
「だから、今回は上陸直後の目標を、この水際で一気に叩く！ 弐号機と零号機は、交互に目標に対して波状攻撃。接近戦でいくわよ」
『了解！』
『......了解』
確かに、第7使徒との戦闘前に、こうした作戦説明をミサトから受けた覚えがある。
あの頃の自分は、戦場が選ばれる意味も、戦いの意味すらも、興味のないことだった。
だが、今、改めて聞かされると、これはかなりまずい状況だ。
もし、上陸を許せば、もはや対処のしようがなくなる。
「……ミサトさん」
「？なに、シンジ君」
マコトに何やら指示を飛ばしていたミサトが、振り返る。
「UNにN2爆雷の手配……お願いしておいた方が、良くありませんか」
「えっ？」
ミサトはじめ、マコトや他の作戦部員たちが、シンジに注目する。
「…どうして？」
ミサトは、シンジの言うことを掴みかねて聞き返す。
少なくとも、この時点においては、突拍子もない、とまではいかないが、必要を感じない提案だった。
「……万一を考えてですよ。上陸されてからじゃ、後手に回ります」
我ながら、説得力に欠ける根拠だと、シンジは思う。だが、他に手がないのだから仕方がない。
おそらく、二人は負けるだろう。
その時の被害と、二人の安全を万全にしたいというのが、シンジの思いだった。
「なぜ？ いつものシンジ君らしくないわ。戦う前からそんなこと言うなんて」
「………」
ミサトは、意外な感じを受けると同時に、苛立ちも感じていた。
「アスカとレイが信頼できないの…？」
「いえ。信頼してます。…信頼してるからこそ、いざっていう時のことが心配なんです」
「……シンジ君。こんなこと言いたくないけど、作戦部長は私で、あなたはパイロット。進言は謹んでちょうだい」
ミサトは、本当なら使いたくない、職務権限を使って、シンジの発言を封じた。
そうしなければ、司令部の権威に亀裂が生じるからだ。
「……はい。すみません」
シンジは、仕方なく黙った。
ミサトは、自分自身の態度にいらいらしたように、シンジから顔を背けた。
いけない……。
こんなに調和を乱してちゃ……どうしたらいいんだろう。
シンジは、発言を後悔していた。
だが、一度、経験しているからこそ、歯がゆくて仕方がない。
本当は、もっと上手く立ち回れるのではないか。
危険を避けられたのではないか。
そうした焦燥感が、身を焦がす。
いけないと分かっている。
そうした後悔は、自己過信というものだ。
自分には、できることとできないことがある。
なんでも一人でやろうとするのは、大きな間違いだ。
「アスカ、綾波……気を付けて」
『分かってるわよ。心配性ね、アンタは』
『碇君......大丈夫』
結局、シンジには、回線越しに二人にそう言うことしかできなかった。
「今回は、シンジくんの出番はなし、か…」
迎撃地点から、少し離れた場所では、加持が、双眼鏡を片手に、降下してくるウイングキャリアーを見つめていた。
54
海岸に、偉容を示して立つ、エヴァンゲリオン弐号機と零号機。
その背部には、すでにアンビリカルケーブルが接続されている。
弐号機の手には、長柄のポールウェポン（竿状武器）ソニック・グレイヴ。
零号機の手には、パレットガン。
すでに、戦闘準備は整っている。
『…まったく。二人がかりなんて、なんだか卑怯みたい。趣味じゃないわ』
『作戦だもの......仕方ないわ』
『アンタには聞いてないわよ』
「二人とも！私語は慎みなさい。来るわよ…！」
水平線に上がる、巨大な水柱。
白く波立つ海面から、硬質的で、それでいてなめらかな印象を持つ使徒が、ゆっくりと起き上がる。
第7使徒イスラフェルは、海水が雨のように降り注ぐ中、ゆっくりと顔を上げた。
「ミサトさん。あの使徒、光球が2つありませんでしたか」
「えっ？」
じっとモニターを見つめていたミサトは、シンジの言葉に驚いて、一度振り向くが、慌てて確認しようとして視線を戻す。
しかし、その時には使徒は体の向きを変えており、胸部が見えない。
「…気のせいじゃない？私には見えなかったけど」
「……今までの使徒と、違います。こいつ」
シンジのモニターを見つめる視線が、あまりに鋭いので、一瞬、言葉をなくすミサト。
『ミサト！どうすりゃいいのよ。指示を出すのはミサトでしょう』
「あっ…、攻撃開始！」
『オーケー！』
アスカからの催促があり、ミサトは慌てて作戦開始を告げた。
シンジは、無言でモニターを見据えている。
「あたしが先に行くわ。ちゃんと援護すんのよ」
見てなさい。
アスカは、一方的に宣言すると、レイの零号機を置いて、疾走を開始する。
レイは一瞬迷ったが、パレットガンを構えて前進を開始する。
有効射程に入ったところで、レイは引き金を絞った。
「おおおぉ〜〜〜〜〜〜っ！」
パレットガンの弾が、使徒のATフィールドに阻まれる。
だが、その攻撃により、使徒は進行を止めた。
「いけるっ！！」
それを見たアスカは、水没したビルの残骸を足場にして、ソニック・グレイヴを振りかぶったまま、跳んだ！
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ！！！」
一瞬。
アスカの目にも止まらぬ斬撃で、完全に両断される使徒。
シンジは、両断の瞬間を、網膜に刻んでいた。
コアは…両断されていない。
やはり…！
「アスカ、お見事！」
ミサトが歓声を上げると、指揮車内を勝利ムードが満たす。
『フフン、どってことない敵だったわね』
アスカの得意そうな声が、回線を通して聞こえる。
だが、その瞬間。
「綾波！」
『.........！』
シンジの声と同時に、レイの零号機が動いた。
一瞬、シンジが何を言ったのか分からなかった者たちが、視線を集める。
そして…。
ざばぁんっ！！
モニターの向こうでは、零号機が弐号機を水面に押し倒していた。
『......！』
『いたっ……ファースト！何すんのよ、アンタ…』
アスカの言葉は、途中で途切れた。
直前まで弐号機が立っていた場所を、使徒の攻撃が薙いだのだ。
……いつの間にか、2体に分かれた第7使徒の片方の攻撃が。
「うっそぉっ！？」
ミサトが、こんなんインチキっ！と叫ぶ。
「アスカ、綾波っ、早く退いて！！」
シンジの声に、目の前で起こった事象と、自分がしたことが起こした結果に驚いたレイが我に返り、素早く立ち上がると、弐号機を引きずるように海岸に上がる。
『ちょ、ちょっとアンタ、離しなさいよ！敵はまだ、生きてんでしょうがあ！』
『........』
「シンジ君っ、越権行為よ！アスカ、レイ、攻撃を続けて！」
「効きませんよ…！」
「なんですって？！」
ミサトは、あっけにとられる。
本当に、今日のシンジは常軌を逸している。
『ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ！でりゃあああっ！！』
アスカは、零号機の腕を振り払い、ソニック・グレイヴを振り上げる。
「アスカ！ダメだ！！」
……そして、弐号機と零号機は敗北した。
シンジの懸念通りに。
■次回予告
第7使徒イスラフェルに、手痛い敗北を喫したNERV。
窮地の状況に、加持が一計を案じる。
果たして、葛城邸へとやってくるアスカ。
しかし、ユニゾンの相手は、レイだった。
果たして、二人の心の溝は埋められるのか。
次回、新世紀エヴァンゲリオンＨ Episode-11「アスカの心、レイの心」。
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(updete 2000/07/22)