Episode-14「放たれし、はぐれ狼たち」


 

 

66

 

 

 

「てりゃあっ!」

「うわあっ」

 

NERV訓練室に、アスカの気合いの声が響き渡る。

 

動きを完全に見切り、低い位置から放った回し蹴りが、見事にシンジをひっくり返した。

とっさのことで、シンジはうまく受け身が取れないが、身につけたプロテクターのおかげで、衝撃は少なかった。

 

「つつぅ……」 

「あーあ、背中から落ちちゃって…受け身くらい取りなさいよ、シンジ」

「う、うん…ごめん」

 

シンジは、腰をさすりながら、なんとか立ち上がった。

 

チルドレン、本日の訓練メニュー。

生身による格闘技術訓練。

 

シンジは、これが以前から苦手だった。

それも当然かもしれない。

エヴァの操縦は、思考しただけで可能であるのに対し、生身の戦闘は、体が動いてくれなければどうにもならない。

その点、シンジは一介の中学生に過ぎないのだ。

 

それにしてもなぁ…。

 

シンジは、目の前で腰に手を当て、同じプロテクターを付けたまま、ほとんど息も乱していない栗色の髪の少女を見やる。

 

「?」

 

アスカって、やっぱり凄いや。

 

今のシンジは、すでに何回かの訓練を経過してきている。

格闘の「か」の字も知らなかった前回よりは、確実に強くなっているはずなのに、アスカとの差は、一向に縮まりそうもない。

幼時から、格闘戦技をも叩き込まれてきたのは、伊達ではないのだ。

そして、天性の格闘センスが、アスカにはある。

 

「だらしないのねぇ。優等生のシンジも、さすがに万能ではないってわけ?」

 

ここぞとばかりに、アスカは得意満面でシンジを見下ろす。

シンクロ率では、未だ遠く及ばないシンジだが、格闘技ではまったく自分にかなわないということに、アスカは気を良くしていた。

 

「……どうしたら、そんなに強くなれるのかな」

 

シンジが、思わずしみじみと呟いた。

 

「はあ?」

 

もっと、強くなりたい。

 

昔のシンジなら、決してそんなことは考えなかっただろう。

アスカやミサト、訓練相手に叩きのめされ、肉体を酷使して…。

なぜ、僕はこんな無駄なことばかりやらされなきゃならないんだと、いじけるだけだった。

 

だが、今はこの訓練の大切さが分かる。

体術を身につけるということは、その動きをエヴァで再現できるということなのだ。

シンクロ率の高い、今のシンジの場合、格闘戦技のレベルアップは、そのままエヴァの戦闘能力アップに繋がる。

 

それに……。

 

「なによ?」

「う、うん、別に」

 

いざという時、アスカを護れる男になりたい、というのは、現在のシンジには口が裂けても言えないことであった。

何しろ、アスカとの実力の差は歴然なのだ。

 

「アスカ!」

「な、なによ」

「もう一回、手合わせを頼むよ!」

「い、いいけど…?」

 

シンジの異様な迫力に、アスカは少しあっけにとられる。

さっきまで、沈んだような顔してたと思ったら…。

ころころ表情が変わる。

 

ヘンな奴ね…。

 

アスカは、クスッと笑った。

そして、少しシンジを見直した。

 

苦労もしないで、いい成績取ってる優等生かと思ったけど…。

少しは、根性もあるみたい、ね。

 

「…さあっ、どっからでもかかってきなさい!」

「うんっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…」

 

20分後…。

 

シンジは汗だくでへたり込んでいた。

 

やっぱり……僕って運動不足なのかなぁ。

 

「まだまだね」

 

シンジは、顔を上げてアスカを見た。

アスカは首にタオルを引っかけたまま、やはり息はほとんど乱れていない。

 

「うん……やっぱり、アスカは凄いや。どうやったら、あんな風に動けるの?」

 

シンジは、素直な感想を口にしていた。

訊かれたアスカも、満更でもない顔で、胸を張った。

 

「そんなもん、天から与えられた実力に決まってるじゃない。天賦の才ってやつ?」

「うーん…」

 

はっきり言われて、シンジは考え込んでしまう。

確かに、アスカの格闘戦技は、努力だけでは超えられないものがあるような気がする。

 

「……まっ、こういうのは個人差ね」

「えっ…」

 

シンジは、驚いてアスカを見た。

まさか、アスカの口から「個人差」なんていう言葉が出るなんて…。

 

「なによ」

「う、ううん、別に」

「フン…」

 

わずかに照れたように、怒った顔をしてみせるアスカに、シンジは慌てて手を振った。

 

「とにかく、あんたぐらい経験不足で落胆するなんて100年早いのよ。もっと練習しなさい」

「……そうだね」

 

シンジは、素直に頷いていた。

不思議な感じだった。

 

アスカの言葉は、僕に色んなことを気付かせてくれる。

 

彼女の言葉には遠慮がないが、言うことは正しい。

それは、今のシンジにとって、新鮮な驚きだった。

 

今の僕は、アスカよりも色んな知識を持っている。

だけど、アスカは、そんな僕が知らないことを教えてくれる。

大切なものを。

それはとても温かく…そして、嬉しい。

 

「ほら、汗くらい拭きなさいよ」

「うん……あ。

 ……タオル、忘れた」

 

シンジがそう言うと、アスカは「あっきれた」という顔でため息をついた。

 

「あんたって、しっかりしてるみたいなのに、変なとこで抜けてんのね」

「う……ごめん」

「仕方ないわね……ホラ」

「え?」

 

アスカは、自分の予備のタオルをバッグから取り出して、シンジの前に差し出した。

 

「……いいの?」

「そんなダラダラした汗見せられたら、こっちのが暑苦しいのよ」

 

シンジが訊くと、アスカはちょっとだけ顔を赤くして、押しつけるようにタオルを手渡した。

 

「ありがとう…」

 

フワッ…。

 

どきどきしながら、タオルを受け取ったシンジは、首を拭いて…。

 

あ、アスカの……匂いだ。

 

どきどきどきどきどき……。

どきどきどきどきどき……。

 

シンジは、胸の高鳴りを覚えていた。

 

これって…いつもアスカが使ってる、シャンプーの匂いに似てる。

 

アスカの……。

 

どきどきどきどきどき……。

どきどきどきどきどき……。

 

そう考えて、思わずアスカの入浴シーンを思い浮かべてしまったシンジは、ブルブルブルッ、と頭振った。

 

な、なに、考えてるんだろう、僕は…。

 

煩悩よ去れ、と言わんばかりに、頭をコツンと叩くシンジ。

しかし、顔の熱さは止まらず、慌てて顔をごしごしと拭く。

 

「ふーん…」

 

そんなことを考えているとは知らず、シンジの腕を見ていたアスカは、飲んでいたスポーツドリンクから顔を上げて、つかつかとシンジの側に寄る。

 

ぐにっ。

 

「えっ……」

「思ったより、筋肉はついてるじゃない。やっぱり、男の子…」

 

シンジの手を取って、力こぶをぐいっと押さえていたアスカは、すぐ側にシンジの顔があることに、はたと気付いた。

なんとなく、見つめ合ってしまう二人。

シンジは、すでにどきどきと鼓動が止まらない。

その顔を見たアスカが、サッとシンジから離れる。

 

「まっ、まあ、男なんだから筋肉くらいついてて当たり前よねっ」

「う、うん…」

 

な、なんであたしが、顔赤くなんなきゃいけないのよ…。

 

「そ、それに、女の子が筋肉なんかついてたら、美しくないもの。あ、あんたもそう思うでしょ、レイ!」

 

わずかに慌てたアスカは、レイに話を振ろうとするが…。

 

「……あれ、レイ?」

 

どこに行ったんだろう。

さっきまで、向こうでミサトと組み手をしていたと思ったのだが。

 

「あれ…ほんとだ。ミサトさんもいないや」

「もうっ、しようがないわねぇ。どっか行くんなら、一声くらいかけなさいよ」

 

そう言いながらも、アスカはスポーツドリンクを置いて、レイを探しに行こうとしている。

そんなアスカを、シンジはとても優しい目で見ていた。

 

「アスカ、どこ行くの?」

 

聞いてみる。

 

「別に…トイレよ」

 

案の定、アスカは素直には「レイを探しに行く」とは言わない。

そんなアスカの意地っ張りなところが、シンジには愛しくて仕方がない。

 

「このあたしが、直々に特訓してやったのよ。覚えたことは、忘れんじゃないわよ」

 

アスカは、そう捨てゼリフを残すと、スタスタと訓練室を出ていった。

しばらくして、シンジもその場を後にした。

 

 

 

 

 

67

 

 

 

チー……。

 

リツコの目の前のモニターを、データが流れていく。

 

「………」

 

かなりのスピードでスクロールしていくデータの羅列を、リツコの目がスラスラと追う。

そこに流れていくのは、シンジのデータだった。

 

碇シンジ、14歳。

サードチルドレン。

幼少より、叔父の家に預けられ、以後、父親との接触を持たなかった。

それが要因と思われるが、性格は自閉気味。

転校前は親しい友人もなく、何事にも、どちらかといえば無関心。

 

過去、サードチルドレンに選ばれた際に調査された、シンジのパーソナルデータが流れていく。

続いて、NERVへ来てからの使徒との戦闘データが表示される。

 

 

第3使徒、サキエル戦。

初搭乗で、シンクロ率42%を記録。

だが、戦闘経験のないまま戦場に出され、立ちすくんだまま、なすすべなく使徒に蹂躙される。

左腕損傷、頭蓋部に深刻なダメージを負って、沈黙。

のち、再起動。

暴走。

からくも使徒のATフィールドを破り、これを撃破。

コアへの攻撃が、使徒への有効打という事実が判明。

 

戦闘後、サードチルドレンは作戦部、葛城ミサト一尉の保護管理下へ。

だが、その後、心を閉ざす傾向に。

 

 

第4使徒、シャムシエル戦。

2度目の出撃も、前回よりはマシ、という程度。

シンクロ率も40%を割り込む。

パレットガンによる攻撃も、効果無し。

山腹に放り出された初号機は、そこで逃げ遅れた民間人2人を発見。

作戦部長の指示により、2人はエントリープラグに収容。

異物混入の影響で、神経パルスにノイズ。

シンクロ率は低下。

が、無謀とも思える使徒への特攻では、シンクロ率の急上昇を見る。

最高数値、60%を記録。

活動限界ギリギリで、使徒を撃破。

 

作戦後、サードチルドレンは精神の安定を欠き、逃亡。

2日後に連れ戻される。

 

 

第5使徒、ラミエル戦。

零号機の起動実験中の襲来に、初号機が緊急発進。

が、出撃直後、使徒の加粒子砲により、胸部装甲が完全に融解。

パイロットは、一時、心停止に陥る。

作戦部長、葛城一尉の構想の下、ヤシマ作戦がスタート。

 

そして…。

 

キーボードにかけていた、リツコの指が止まる。

 

シンジの変化は、ここから始まる。

少なくとも、自分の見る限りは。

 

使徒に対する布陣に関し、サードチルドレンは葛城一尉の案に、ファーストチルドレンとの攻守交代を進言。

結果、初号機が防御を担当。

思わぬトラブルで、砲手担当・零号機の発射が遅れる。

初号機はSSTO流用のシールドで零号機を防御。

のち、シールド融解。

初号機はATフィールドを展開、使徒の加粒子砲を10秒前後受け止める。

初号機のATフィールド貫通、5秒後、零号機がプロトタイプ・ポジトロンライフルを発射。

使徒、殲滅。

初号機は中破も、パイロットは目立った外傷もなし。

 

 

この戦いに関して、特筆すべき点はない。

あるとすれば、シンクロ率の最高記録を更新したこと。

そして、彼自身の性格の変化だ。

リツコには、この戦いを機に、シンジの自閉気味の性格が、180度変わったようにしか思えない。

 

……この後だった。

彼がレイをミサトのマンションに引っ越させると言ってきたのは。

あの時は、さほど問題はないと思ったけれど…。

………。

 

 

第6使徒、ガギエル戦。

弐号機移送中の使徒襲来という、非常事態のため、戦闘データは著しく少ない。

唯一の収穫は、セカンドチルドレンとサードチルドレンによるダブル・エントリーにより、シンクロ率が驚くべき数値を見せたこと。

 

 

この戦いにおいては、サードチルドレンの果たした役目は少ない。

弐号機は、当然ながらセカンドチルドレンの制御下にあり、彼女の戦闘能力の高さが証明された。

シンジの行動について、不審な点はない。

 

 

第7使徒、イスラフェル戦。

初号機は凍結中のため、零号機と弐号機のみが出撃…。

 

 

リツコは、ソーサーからコーヒーのカップを取り上げた。

もう一度、サーッとデータを流す。

コーヒーを一口、含み……ため息。

 

こうしてデータを見る限り、自分の考えはやはり杞憂なのではないか、という感じが濃くなる。

振り返ってみても、シンジの行動に、不審な点はほとんど見られないのだ。

確かに、その行動は突飛なところがあるが、それにしても中学生にしてはやる、というレベルであって、異常というレベルではない。

使徒に対する戦いはといえば、第5使徒戦以来、まともに戦っていないため、データ不足。

 

念のためと、先日の血液検査で採取したシンジの血液から、DNAパターンの照合までしてみたが、結果は白。

どこにも異変は見あたらない。

 

やはり、自分の思い過ごしなのかしら。

 

そう思うリツコだが、一度、芽生えてしまった疑問は、なかなか氷解しない。

なぜならば、こうしたデータに表れない部分にこそ、リツコは変化を感じ取っていたためだ。

第5使徒以降のシンジは、人が変わったようだ。

ミサトは「良い傾向」と決めつけているが、リツコは一概にその考えを支持する気にはなれない。

ことに、レイに対する彼のやりようには、別の意味で看過し得ないものもあるのだった。

 

ブブーッ。

 

インタフォン替わりのブザーが、リツコのラボ内に響き渡った。

室外モニターを見たリツコは、そこにお目当ての人物を確認して、言った。

 

「入りなさい」

 

プシッ。

 

「.........」

 

そこに立っていたのは、水色の髪の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりね……レイ」

 

リツコの言葉には、痛烈な皮肉が含まれている。

事実、レイが第5使徒戦以来、リツコと会うのを避けているのは、明らかだったからだ。

 

「.........」

 

レイは、紅い瞳の奥に、動揺したような色を浮かべている。

リツコには、それが気にくわなかった。

 

畏れ。それは、明らかに感情の産物だ。

レイは無言を通していたが、リツコの目にはそれがありありと見えた。

 

「まあいいわ。あなたに少し、聞きたいことがあるのよ」

「......なんでしょうか、赤木博士」

 

リツコは、くるっと椅子を回すと、レイに向き合った。

レイは、どことなく緊張感を漂わせているように見える。

 

「先日の第7使徒との戦い、見事だったわ」

「.........」

 

リツコの口から、いきなり賞賛の言葉が出てきたので、レイは少なからず驚いた。

リツコに個人的に褒められたことなど、これまで一度もなかった。

瞳孔が、わずかに大きくなる。

 

「再戦は……ね」

 

だが、急にリツコの声の温度が下がり、レイは体を固くする。

 

「最初の戦闘のこと、覚えているわね」

「.........」

「返事はどうしたの、レイ」

「......はい。覚えています」

「……弐号機が使徒を攻撃し、いったんは殲滅したと思われた。

 だけど、あなたはその後、弐号機をかばうような行動を取ったわね。

 ……まるで、使徒がまだ生きていることを、知っていたように」

「.........」

「なぜ」

 

鋭い視線が、レイを射抜いた。

 

「.........」

 

レイは答えない。

これは、リツコにとっても意外なことだった。

これほど頑ななレイを、リツコは初めて見た。

 

「答えなさい、レイ」

「.........」

「…命令には従うこと。教えたわね」

「......!」

 

それまで、彫像のように表情を固めていたレイに、はじめて変化が見られた。

目を大きく見開く。

そして、わずかに視線を落とすと、それがさまよい始める。

 

葛藤…?

まさか…。

 

驚いたのは、リツコも同じだった。

先ほどの言葉は、切り札を出したも同然だったのだ。

にも関わらず…

 

「答えなさい、レイ。これは命令よ」

「......!」

「これは司令の、命令よ」

 

レイは、びくっと体を震わせた。

 

もちろん、これは嘘だった。

リツコは、シンジへの疑惑も、今回のレイへの尋問めいた質問も、独断で行っている。

 

「......!......!」

 

リツコは、さらに驚愕した。

レイはまだ、迷っている。

 

司令の意志。

 

それは、レイにとって、至上のものであったはずだ。

即答して当然、言い淀むなど、あるはずのないことだった。

 

「レイ!」

「............いかり......くんが」

 

リツコが思わず声を荒げかけたその時、ようやく、レイが口を開いた。

言葉を、無理矢理押し出すように。

相変わらず、視線はさまよったままだ。

 

口にすることが、ひどく苦痛なように、レイは言葉を絞り出した。

 

『お願いだよ、綾波……』

 

少年の言葉が、顔が、脳裏を過ぎる。

だが、レイは抗いきることができなかった。

 

いかりくん........!

 

「碇、君......が、作戦前に......」

「シンジくん?!」

 

リツコは、レイの口から出てきた意外な事実に、目を瞠った。

 

どういうこと?

シンジくんが、作戦前にレイに指示を出していたとでもいうの?!

いったい、どんな指示を…

 

「レイ、それは一体、どういう…」

 

リツコが詰め寄ろうとした瞬間、

 

ブブーッ。

 

再び、部屋のブザーが鳴った。

 

こんな時に…!

 

リツコにとって、忌々しいだけでしかないその音は、レイには救いの使者だった。

一瞬、無視してやろうかという考えも頭をかすめるが、何か緊急の場合、言い訳のしようがない。

 

仕方なく、リツコはレイへの追求を中断して、モニターを見た。

 

『リッちゃん、いるかい?』

 

そこに映っていたのは、いつものごとく、お気楽な調子で手を振る加持の姿だった。

 

「加持君……」

 

リツコは、ため息をついた。

こんな来訪者なら、無視しておけば良かったという後悔の念が過ぎる。

だが、いったん返答してしまった以上、居留守を決め込むわけにもいかない。

 

「何か用?…今、ちょっと忙しいのだけれど」

 

リツコの口調が、素っ気なさを極めていたとしても、仕方あるまい。

 

『うわ、きついなあ、そのセリフは』

 

加持が情けない顔になるが、リツコはお構いなしだ。

この場は、なんとか門前払いで済ませたかった。

しかし…

 

『……用があるのは、俺じゃないんだ』

『リツコぉ、そこにレイいる?』

 

ひょこっと、画面のフレーム内に入ってきたのは、栗色の髪の少女だった。

 

なぜ、アスカが…?

 

リツコは、軽いとまどいを覚えながら、何と答えようか迷った。

 

「いえ、レイは…」

 

リツコが言いかけた時…

 

「アスカ......!」

 

レイが、必死に叫んでいた。

 

「!」

 

リツコは、またも驚かされる。

まさか、この状況で、レイが自分からアスカを呼ぶとは…。

 

『なぁんだ、やっぱりそこにいたの』

 

モニターの向こうのアスカは、のんびりとした口調で言う。

 

『アンタねぇ、あたしに断りもしないで、どっかに行くんじゃないわよ』

「ごめんなさい......」

『まあ、いいわ。……ちょっとリツコ、さっさと開けてよ、このドア!』

 

はあ…。

 

リツコは、思わずため息をついた。

もう、このままレイに詰問を続けるのは、不可能なようだった。

 

プシッ。

 

ドアが開く。

同時に、レイは飛び出していた。

 

「あ、いたいた…って、ちょっと!」

 

驚くアスカを後目に、レイはアスカの腕にギュッとしがみつく。

 

「.....アスカ」

「なに、あんた。もしかして、あたしに会えなくて寂しかったとか?リツコのとこなんか来て、道にでも迷った?」

 

アスカが、レイの肩をポンポン叩きながら、揶揄するように言う。

レイは、よく分からないながらも、コクンと頷いた。

 

「ばっかねぇ…。今度から、トイレ行くときは、あたしに言いなさい。連れてってあげるから」

 

アスカはくすくす笑った。

子供みたいな行動を取ったレイが、なんだか可愛く感じられた。

アスカの中ではすっかり、「トイレに行こうとして迷った」ことにされてしまったレイは、それでもアスカにしがみついている。

ほっとした顔で。

 

「そういえば、何かレイと話でもあったの、リツコ?」

「……いえ、もういいわ」

 

リツコは、あきらめ顔でそう言うと、軽く手を払った。

 

「?あ、そう。じゃ、またね。ホラ、行くわよレイ」

「......うん」

 

事情をまったく知らないアスカは、あっけらかんと言うと、レイにしがみつかれたまま、ずりずりと廊下を歩いていった。

 

 

 

 

「…いつも、あなたに邪魔されてる気がするわね」

 

ただ一人、リツコのラボに残った加持に向けて、リツコは皮肉げな視線を送る。

 

「俺が?リッちゃんの邪魔?そんなこと、したかい」

 

いかにも心外だ、と言う風情で、オーバーに両手を広げてみせる加持。

 

「よく分かったわね、レイがここにいるって」

「俺じゃないさ。葛城に聞いてね」

 

あの、おしゃべり…。

 

リツコは心の中で毒づいたが、これは加持の嘘だった。

実は、レイを探している時に加持と会ったシンジに頼まれたのである。

レイが一人でいなくなるとすれば、リツコか司令しかない、と考えた加持は、まずリツコのラボへ。

途中で行きあったアスカを、得たりとばかり連れてきたのであった。

 

「レイちゃんと、何を話してたんだい?」

「……別に、大したことではないわ」

 

素っ気なく、リツコは答える。

 

「そうか……ま、あまりここに籠もりきり、ってのも良くないぞ、リッちゃん」

「心配してくれてるの?」

「もちろんさ。……俺だけじゃなく、葛城もね」

「……それは、ありがたいことね」

 

言葉とは裏腹に、リツコの言葉は空虚に響いた。

加持は、内心、やれやれと肩をすくめる。

 

「……シンジくんも、嘆いてたよ」

「……え?」

 

初めて、リツコの関心が向けられたことに、加持は気付いた。

だが、そんな素振りはまったく見せずに続ける。

 

「せっかく招待してるのに、リッちゃんがちっとも家に来てくれないってね」

「ああ……」

 

期待していたのとは、まったく違う答えに、リツコは落胆したように息を吐き出した。

 

「忙しいのよ」

「……本当に?」

 

加持の瞳が、リツコを見つめる。

いつになく、真面目な光がたたえられている。

 

「どういう意味かしら?」

「いや別に……ただ、リッちゃんが、わざと忙しくしてるような気がしてね」

「……気のせいよ」

「………」

「………」

 

一瞬だけ、二人の視線が交錯した。

 

「……だと、いいがな」

 

加持は、それだけ言い残すと、片手を上げて部屋を出ていった。

 

プシッ。

 

背後で気密ドアが閉まる音を、リツコはらしくなく、ぼんやりと聞いていた。

 

 

 

 

 

68

 

 

 

 

 

 

 

男は、周囲を気にしながら、「目的地」へと向かって、身を隠しながら進んでいた。

 

 

……その様子を、NERV保安諜報部の監視役たちの目が、見つめている。

嘲笑混じりに。

 

ターゲット――――長髪を後ろで縛り、スーツをラフに着こなした男は、傍目には気付かれないほど巧妙に、歩みを進めている。

一応、見事だと賞賛できるレベルである。

だが……。

 

NERV保安諜報部を甘く見てもらっては困る。

彼らは、ターゲットが第3新東京を出発し、ここ松代―――第2東京に至るまで、完全な尾行を続けていた。

ターゲットは最初、車を使い、途中、鉄道を幾度か乗り換えたうえ、現在は徒歩という周到さだ。

だが、NERV保安諜報部の者たちは、彼を見失うことはなかった。

 

まだまだ、だな。

 

そういう思いが、保安諜報部員たちの脳裏を過ぎる。

彼らは、元公安のエリート部員、中には海外の一線の諜報部に所属していた者や、悪名高い公安4係出身の者たちもいる。

そうした人材を引き抜き、ゲンドウの構想を元に再組織されたのが、NERV保安諜報部である。

その任務は、チルドレン護衛に始まり、各諜報勢力への牽制・情報収集、そして今回のような危険人物の監視任務等、多岐に渡っている。

 

そんな彼らの目から見て、ターゲットの男は、「一流には違いないが、自分たちの裏をかける人物ではない」というのが、ここ数週間の総評であった。

もちろん、ここに至るまで、簡単に尻尾を掴ませたわけではない。

地道な監視活動の結果、男と、そして彼が現在、向かおうとしている場所にいる人物との繋がりを、突き止めたのである。

 

ターゲットの向かうその場所……それは、巧妙にその存在を隠蔽してはいたが、日本国政府内務省の関連施設であった。

 

ターゲットは、いったん、その施設を素通りして……隣の敷地内に侵入し、そこから非常口を使って施設内へと消えた。

その一部始終を、監視の目が捉えている。

 

「――――報告。特殊監査部所属、加持リョウジ一尉は、日本政府内務省との繋がりあり」

 

特殊な周波数帯を利用した軍用無線を使用し、暗号化されたメッセージが、いずこかへ飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ご苦労。引き続き、監視を続けてくれ」

 

NERV司令執務室。

 

報告を受けた碇ゲンドウは、毛ほどの感慨も見せず、新たな指示を付け加える。

 

「ただし、現状の人数はもはや必要ない。半数を、人物Cへのマークに回せ」

 

「……いいのか、碇」

 

昼なお、大部分を暗闇の支配する部屋。

副司令・冬月コウゾウは、いつものように彼の後ろに立ち、訊ねる。

 

「かまわん。十分に予測された事態だ」

 

ゲンドウは、呟く。

 

加持という男が、素直にNERVに繋がれているような男だとは、到底、考えられない。

あるいは、叩けばまだまだ埃が出てくるかもしれないが、少なくとも、障害にならない限り、彼がどんな組織に籍を置いていようが、影響はない。

 

「このまま、泳がせるつもりか?」

「必要な間は、な」

 

冬月は眉を寄せるが、ゲンドウは口元に笑みを刻んだ。

 

「奴には、まだまだ利用価値がある。必要がなくなれば、切り捨てるだけのことだ」

「………」

 

利用価値、か……。

 

ゲンドウの言葉を反芻しながら、冬月は漠然とした思いを抱いていた。

 

この男にとって、他人とは一体、何を意味するのか。

私が、この男の側にいるということは……碇にとって、私がまだ利用価値があるからに過ぎないのではないか。

 

……埒もない。

そんなことは、もう、とうの昔に分かっていたことだ。

 

私はただ、見届けたいのだ。

 

この男のやろうとしていること……彼が唯一、愛した女性……二つの結末を。

 

 

 

 

 

 

 

69

 

 

 

 

 

「遅かったわね、リョウちゃん」

 

その部屋に入ると、赤いスーツを着こなした、ワンレンの秘書風女性が出迎えた。

動き易さを重視してデザインされた上着と、体にフィットしたミニ、そして右側だけ覗くダークブラウンの瞳が、どことなく女豹を思わせる。

 

「や、悪い。お客さんを引き連れてきたもんでね」

 

加持は、相変わらず軽い口調で片手を上げると、暑そうに上着をパタパタさせた。

その言葉を聞いて、女性は唖然とする。

 

「……あきれた。わざわざ、尾行まかなかったわね、あなた」

 

女性の視線を受けた加持は、ただ、おどけたように笑って見せた。

その態度があまりにふてぶてしいので、彼女はいたずら好きの子供を見る女教師のような目をして、ため息をついた。

 

監視役の存在には、加持もとうの昔に気付いている。

それが、ゲンドウの手によるものであることも。

それならばと、今回は逆に、自分と日本国内務省との繋がりを示して見せた。

 

もちろん、それが意図的であることを知られるのはまずい。

そのため加持は、細心の注意を払って、相手を誘導した。つかず、離れず。

 

加持リョウジは、まあ一流といえる諜報員。

だが、NERV保安諜報部の目を欺けるほどの人物ではない。

苦労はしたものの、ようやく尻尾を掴んだ。

 

……そう、思わせることが、加持の真の狙いだった。

 

加持が現在、隠さねばならないのは、ゼーレとの繋がりでも、もちろん内務省との繋がりでもない。

ここで会う人物、この日行われる密談こそ、隠蔽されねばならない。

つまり加持は、内務省との繋がり、それ自体を隠れ蓑に使ったわけであった。

NERV保安諜報部は、してやったつもりで、完全に加持の仕掛けた心理的陥穽にはまり込んでいた。

 

「向こうもプロだからな、さすがに疲れたよ」

「うそ、おっしゃい」

「……相変わらず、やり方がえげつない」

 

その場に、もう一つ、声が加わった。

ソファに座って足を投げ出していた長身の男が、メガネの位置を直す。

シックなグリーンのスーツ。

 

「隣に万田さんが来てるのを利用したな?」

「えげつない結構。最高の褒め言葉だよ。それで安全が買えるなら、いくらでも甘受しよう」

 

ぬけぬけと、加持は言い切った。

 

内務省長官・万田は、現在、隣の部屋で定例会合の真っ最中だ。

もちろん、加持がここにいることなど、露程も気付いていない。

だが、彼の預かり知らないところで、すっかり当人も事態に巻き込まれているのであった。

もし、加持の行動が露見した場合、その捜査の触手は、万田にまで伸びるだろう。

一蓮托生とは、このことだ。

 

「万田さんが知ったら、脳溢血で倒れそうだな」

「世の中には、知らない方が良いことが多いってことさ」

「……気の毒に」

 

男はスッと立ち上がると、片手を差し出した。利き腕の方を。

 

「久しぶりだな」

 

加持は、その手を、やはり利き腕で握り返した。

ぐっと握り返される握力が、彼がますます腕を上げたことを証明している。

 

「……しかしなんだ、八雲。その似合わない伊達メガネは。まさか、変装のつもりか」

「放っておいてくれ。人の趣味にケチをつけるなよ」

 

八雲シンジ。

外務省国際情報局所属。

 

セカンドインパクト後、公安調査庁が法務省から管轄を移し、内務省が復活。

ために、現在は解体されてしまった内閣情報調査室と並び、かつて、日本における諜報組織の双肩を担った部署である。

 

八雲は、加持がドイツに赴任する以前、ミサトと出会う前からの知己であった。

 

そういや、こいつもシンジって名前だったな。

加持は、同じ名前の黒髪の少年を思い浮かべて、ひとり、小さな笑みを漏らした。

 

「……で、カナミの話じゃ、何か始めるつもりらしいな?」

 

八雲は、いきなり切り出した。

初めから、再会を懐かしむつもりなど、毛頭ないらしい。

彼も加持も、自分の立場を良く知っている。

 

「何する気だ」

「そうだな……」

 

加持は八雲の対面のソファに腰を下ろすと、膝に両肘をついて、目の前で指を組んだ。

八雲は再び腰を下ろし両足を組む。

ワンレンの女性―――カナミは、立ったまま腕組みをして、加持の背中を見下ろしていた。

 

そして、加持は口を開く。

 

「人類を滅亡から救う……ってのは、どうだ?」

 

加持は、人を食ったような顔で、そう言った。

一瞬、沈黙が室内を満たす。

 

「はあ?……何言ってるのよ、リョウちゃん。暑さで頭でもやられた?」

 

カナミは、また、この人のいつものクセが出た、と笑った。

……しかし、八雲は笑わなかった。

長めの前髪を、くるくると指で巻き取り、ピンと弾く。

それが、八雲のクセであることを、加持は思い出していた。

 

「ほう……そりゃあまた面白そうだな」

「だろう?」

「で、裏には世界征服を目論む、悪の秘密結社が存在するってわけか」

「さすが、察しがいいな」

「ちょっと、八雲さんまで…二人して、ふざけないでよ」

 

加持と八雲の二人が、やけに真面目な顔で、とんでもない話を進めるので、カナミはそれを彼らのジョークだと思っていた。

だが、はたと思い当たる。

この二人が、こういう状況で、意味のない冗談を言い合うような人間ではないこと。

そして、内容が冗談のようであればある程、それは真剣な証だということを。

 

「……マジ、なの?」

 

頬に汗を伝わらせながら、カナミは訊ねる。

 

「ま、信じる信じないは別として、だ」

 

加持は、静かな笑みを口元にたたえて、二人を見る。

 

「これを聞くと、後戻りはできなくなるんだが…いいかな?」

「いいも悪いも…聞かせるために呼んだんだろうが」

「ハハ…スマン」

「馬鹿もの。謝るくらいなら、はじめっから呼ぶな」

 

八雲は加持を小突くまねをした。 

 

「……ま、お前に声かけられた時から、覚悟はできてるさ」

「話が早くて、助かる」

 

八雲は笑う。

彼は、あらゆる状況を楽しんでしまう。たとえ、それが自分の命をチップとして賭ける状況であっても。

八雲シンジとは、こういう人物だった。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。私は、まだそんな覚悟してないわ」

 

カナミが一人、勢い込んで儚い抵抗を試みる。

正直、この二人のノリにはついていけない。

 

「じゃ、今しろ」

 

八雲がニコニコと笑いかける。

 

「む、無茶言わないでよっ」

「……もちろん、無理にとは言わない。だがそうなると…八雲に未練ができるなぁ」

 

加持は、深刻そうな表情を作って、眉間にしわまで刻んでいる。

 

「うむ……これはゆゆしき問題だ。カナミを残しては、俺は…」

 

八雲はそれを受けて、両手で頭など抱えてしまった。

 

「ふーむぅ」

 

こ、こいつらは……。

 

加持は、自分と八雲の関係を知りつつ、わざとらしいことを言う。

要するに、はじめからバレバレなのだ。

八雲がやる、といえば、自分は無条件でそれに付き合うということを。

こんなのを相手に、ごねて見せるだけムダなのであった。

 

「あーもうっ!分かったわよ。覚悟決めればいいんでしょっ、決めれば!」

「む、さすがはカナミだ」

 

八雲がしかつめらしい顔で頷く。

カナミはがっくりと頭を垂れた。

こういう男なのだ。

そうと知っていて、自分はこの男に惚れたのだから、仕方がない。

 

「スマン……」

 

そんな二人のやり取りを見ながら、加持は深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「読んだら、この場で焼却処分してくれ」

 

そう前置きして、加持は紙の束を八雲に渡した。

ワープロ打ちではなく、すべて加持の手書きで、「組織Zと人類補完計画について」と走り書きがしてある。

八雲は受け取ると、ペラペラとめくり始めた。

 

「………」

 

読み進めるごとに、八雲の顔に笑みが浮かんでくる。

それが、彼の一番、危険な表情、とんでもないことをやらかす直前の顔であることを、カナミは知っていた。

 

「今のところ、俺の知る全てだ」

「なるほど……こりゃ、100回は死ねそうだな」

 

すごい速さで、すべてのページに目を通し終えた八雲は、それをカナミに回す。

最初のページをざっと見たカナミは、目を見開いた。

 

「こ、これ……本当なの」

 

驚くのも無理はない。

そこには、現在、世界経済・政治・軍事を裏側から支配する存在、ゼーレと人類補完委員会、そして、彼らが遂行しようと目論んでいる人類補完計画とセカンドインパクトの真実に関する、加持なりの考察が書き連ねてある。

 

「傍証が、ほとんどないな」

 

八雲の言うとおり、それらはほとんどが、加持がNERVドイツ支部時代に集めた情報、ほとんどが推論の域を出ていない。

 

「今、巷を騒がせている化け物の襲来も、予定された計画の一部だというの?」

「……信じられないか?」

「いや、信じるさ。冗談にしちゃ、面白すぎるからな」

「……信じるしかないでしょ。もう、後戻りできないんだから」

 

加持は、正直、嬉しかった。

こんな話、他の者に話したとしても、一笑に付されて終わるところだろう。

こんな話ができるのも、八雲とカナミが相手だからだ。

彼らが変わらず、信頼に値する人物たちであることを、心から感謝した。

 

「現時点で証明は不可能だが、このまま彼らの計画通りに事が運べば、人類にとっちゃ、面白くもない結末が待つことになる」

「……で、俺はどうすればいい」

 

余計な言葉など、彼らの間には必要がないようだった。

八雲が加持を見ると、彼は髪をかき上げた。

 

「とにかく、知ることだ。目的が分からなければ、手の打ちようがない」

「道理だ。情報収集は戦いの基本、か。これは、俺の仕事だな」

 

ニヤリ、と笑う八雲。

彼の仕事は、情報収集・分析、そして情報操作に情報攪乱。

この手のことは、お手の物であった。

 

バサリと、カナミが紙束から顔を上げる。

 

「……一つだけ教えて。リョウちゃんは、何のためにこんなことを?」

「さて、どうしてかな」

「……例の彼女のため、かしら」

「それもあるかもしれない。……だがまあ、強いて言えば、なんとなく、かな」

「な、なんとなく?!」

「そりゃいい。伊達と酔狂ほど、戦う理由としてふさわしいものはないからな」

 

八雲が笑う。

むろん、彼は加持が本気で言っていることを理解している。

八雲自身、加持と同じ人種なのだ。

こういう状況に、どうしようもなく熱くなってしまう…。

 

救いがたい性だな、と思いつつ、それを改めようとは思わないのであった。

 

「ホントに、男って生き物は……」

 

二人の顔を見て、カナミは深いため息とともに、肩をすくめた。

それで、彼女も腹をくくった。

何を言ったところで無駄なのだ。この馬鹿たちには。

だから、自分が付いていなくてはならないのだ。

 

「で、私たちだけで、どうやるっていうの?世界的な組織を相手に…」

「それについては、心当たりがないこともない」

 

八雲が言う。

 

「……内調、内閣情報調査室や公安・警察組織が、なぜ解体されたか、知っているか?」

「え?」

 

唐突な問いに、カナミは目をパチクリさせる。

 

「……内務省の復活と、NERVなど他の諜報機関に、捜査官が引き抜かれたからだと、聞いているけど」

「それは、表向きの事情だ」

「じゃあ…なぜよ」

「肝心の人間に逃げられたのさ」

「はあ?」

 

八雲は笑った。

加持も、事情を理解して苦笑を浮かべた。

 

「セカンドインパクト。……15年前の惨劇を前に、右往左往した日本政府。

 混乱の中、復活した戦前の悪名高き内務省。

 権力争い……縄張り争い。

 愛想を尽かしたのさ。

 どうにか日本が安定を取り戻した時、彼らの姿は消えていたそうだ。

 中には、言われているとおり、転職した者もいる。

 だが、心あるエージェントたちは、世界中に散らばり、潜伏したらしい。

 そして今も、独自に動いている」

「……なんのために?」

「さて。

 ……待っているんじゃないのか」

 

怪訝な表情のカナミに、八雲はこれ以上ないという真剣な表情で応えた。

 

「待っている?」

「自分たちの出番を、さ。

 これは、日本の諜報機関だけに言えることじゃないぜ。

 CIAもMI6もGRUもMossadも…そして、俺たちもな」

 

八雲がニヤリと笑う。

 

「情報分野、ことに軍事情報を扱う者たちには、共通して言えることだがな。

 ずっと、閉塞感を味わってきた…。

 理由は分からない。

 ただ、大本の情報が操作されている気がする。

 誰かの手の上で踊らされてきたような…。

 今日、その理由がようやく分かった気がする。

 そうか……ホントに、踊らされていたとはな」

 

八雲の穏やかな口調の中に、カナミは彼の怒りを見た。

それは、諜報員としての屈辱であり、セカンドインパクトの時代を生き抜いてきた人間の尊厳を傷つけられたことへの怒りだ。

 

「……で、彼らと接触を取れるのか?」

「まさかな。それぞれが一匹狼だ」

「じゃあ、どうしようもないじゃない」

「……どこにでも、ネットワークは存在するものさ。そうだろ、八雲」

 

加持がカナミにウインクすると、彼女はフンと鼻を鳴らした。

 

「ま、やり方は任せてくれ。……だが、レスポンスは期待できないぞ」

「構わないさ」

 

加持は顔を上げると、八雲を正面から見据えた。

 

「……はじめから、そんなもの期待しちゃいないさ。

 どんなに小さな組織でも、それは存在した瞬間から情報の漏洩が始まるもんだ。

 そんな危険を犯すわけには、お互いいかないだろう。

 相手は、国連を裏から操るような化け物どもだ。

 連絡など一切、不要だよ」

「不要って…それじゃ、どうやって情報交換するのよ?収集だけしておいて、それを生かせないなんて、ナンセンスだわ」

 

カナミが呆れて訊く。

 

「情報交換なんて、する必要はないさ」

「はあ?」

 

加持は、心外だなという風に笑ってみせる。

 

連絡を取るということは、そこに横の繋がりが生まれることだ。

それは、裏を返せば一つ、危険が生まれるということだ。

それがどんな手段であれ、自分たちの存在が察知される恐れがある。

世界規模の秘密組織、などというものが存続しえないのは、実はここに理由がある。

現に、加持はゼーレの存在を知っているではないか。

 

「世界全体を舞台とした、地球規模の情報ゲリラ戦か」

 

八雲は、加持の意図を見抜いて顎を撫でた。

 

だが、独立したネットワークに情報だけが流れた場合はどうだろうか。

個々が自分の判断で動くのだ。一人の動きが露見したとしても、それ以上、糸の辿りようがない。

当たり前だ。お互いが、顔も知らないのだから。

横の繋がりのまるでない、単独の活動。

しかし、目的は一つ。

 

「こいつは……面白くなってきた」

 

そう言って、八雲は本当に楽しそうな表情を浮かべる。

 

「ホントに……そんなことが可能なの?」

 

カナミは、半信半疑のまま、加持に訊く。

 

「個性派揃いだからな。なにせ、自分から苦労を選ぶっていう、変わり種だ」

 

それはあなたもでしょ、とカナミは心の中で毒づく。

 

「それだけ、プロ意識が高いのさ。プライドも、ポリシーも、そして腕も人一倍ある。

 …知ってるか?かつて”ベレッタの魔女”とか言われた凄腕のエージェントも、今はアメリカにいるらしい」

「名前は聞いたことがあるが…もう、40近いんじゃないのか?」

「さあ…。『生涯現役』ってのが、口癖だったそうだがな。

 いずれにしても……どいつもこいつも、今の世の中に不満のある御仁ばかりだ。

 この情報に、食いつかないはずはないと思うが」

「どっちにしろ、分のいい賭けってことだな」

 

加持が、いつものおどけた口調で言う。

 

「……もう、勝手にして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で。情報戦はそれでいいとして…他にもやりたいことがあるんだろう?」

「……現在の日本政府は、踊らされっぱなしだ。もし、これで一朝事あらば、せいぜい上手く使い捨てられるだけ」

「スパイ本人が言うんだから、間違いなさそうだな」

「で、どうする?」

「組織内に楔(くさび)を打ち込みたい。政府、そして戦自にも…」

「血の気の多いのが良さそうだな」

「政府内については任せて。内務省とは別ルートで、人脈を作るわ」 

「で、お前はどうするんだ、加持。アルバイト先の方は?」

「……別に。そのまま続けるさ」

「だろうな。……時々、こっちにも顔を出せ。目くらましにはなる」

「リョウちゃんだけ、楽してる気がするけど…」

「ま、そう言うなって。俺にも、思うところがあるんでね。そうそう、例の日本重化学工業にも接触してみてくれるか」

「……この前失敗した、アレ?完全に切り捨てられてるわよ」

「だからこそ、さ。あの技術力と人脈は捨てがたい。それに、一度切り捨てられたものなら、良い隠れ蓑になる」

「当たってみるわ」

「よし。今後、連絡を取り合うことはナシだ」

「…?じゃあ、どうやって次に会う時を決めるのよ」

「……次に何か、事が起こったとき。あるいは、起こりそうな時。それでいいな、加持」

「了解」

 

 

 

 

 

 70

 

 

 

 

 

「……正直、驚いたよ」

「何がだ?」

「お前のことさ」

「………」

「ドイツに赴任する直前のお前は…なんというか、もっと破滅的だった」

「彼女に、フラレたばかりでね」

「…何が起こっても、それを他人事のように見ている。そんな感じだった」

「………」

「もう、会うこともないと…思っていたがな」

「………」

「…なぜだ?」

「……教えられたのさ」

「何を?」

「……可能性かな」

「………」

「………」

「まあ……またお前と組めて嬉しいよ」

「……俺もさ」

 

最後に、固い握手を交わして、加持は八雲と別れた。

 

自分は変わった。

 

加持は、自分自身、そう思っていた。

 

それは、ミサトと再会したためなのか、それとも……。

 

「猟犬……いや、狼は放たれた、か。

 さて、シンジくん。君はこの先に、何を見せてくれるのかな」

 

加持は楽しそうに呟くと、再び、虚々実々の駆け引きの渦巻く外界へと、戻っていった。

 

なぜか、今はミサトの声が聞きたい気分だった。

 

 

 


■次回予告 

 

第7使徒を倒し、一時の休息が、シンジたちに訪れた。

そんな中、第壱中には、中学2年生最大のイベント、修学旅行が迫っていた。

アスカに連れられ、レイと共に水着を買いに行くことになったシンジ。

少しずつ変わる日常。

だが、まさか、修学旅行に行けることになるとは、さすがのシンジも予想しなかった。

 

 

 

次回、新世紀エヴァンゲリオンH Episode-14「修学旅行に行こう」。

 

 

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(updete 2000/08/04)