中学生日記

Aパート
















僕の名前は、加持サトシという。


今年で中学二年生になった。


何でも、僕が生まれた年の2016年は、人類にとって、新たな始まりの年でもあったという。


僕は、このことを子守り歌がわりに聞かされながら育った。


小学校にあがるころになると、好奇心のままに社会の先生に訊いてみた。


ところが先生も首を傾げるばかり。


コンピューターが使えるようになってから図書館のデータも覗いてみたけれど、特に何も見つけられなかった。


「そんなの一般的には知られてないわよ」


と母さんは笑っていう。


そして、


「あなたが、十四歳になったら教えてあげる」


ともいっていた。


その謎も、あと一週間後に明かされる。


誰だって、子守歌がわりにそんなことを言われ続けたら、気にならないわけはないと思う。


だから、僕は、誕生日が近づくにつれ、期待と不安の入り交じったなんともいえない気分になる。


でも、多分お目出度い話なんだと思う。なんてったって人類の夜明けらしいからね。


もっとも、あのずぼらな母さんのことだから、話すことの内容ごと忘れてるかもしれないけど。









とにかく、誕生日を一週間後に控えた土曜日。


僕は自宅の前で、幼なじみであるケイと別れた。


僕の自宅、コンフォートマンションの七階の3LDK。


玄関には鍵がかかっており、案の定リビングには誰もいなかった。


最近、母さんが、「やっと土日もまともに休めるようになったわ」と喜んでいたが、あいにく今日は休みが


とれなかったんだろう。


父さんは、まだ海外へ出張中だ。確か最後に会ったのは二ヶ月ほど前だったような気がする。


・・・僕の誕生日までは帰ってくるっていってたっけ。


大きなおなかの音が誰もいないリビングに響いた。


今日の学校の授業は半ドン。当然給食もでない。僕は部活にも所属してないので家で食べることになる。


淡い期待を胸にキッチンを覗いたが、テーブルの上にはカップ麺が一つ。


・・・・母さん、もう少し料理してくれよ。


そんな嘆きにも、僕は慣れっこになっていた。


自室に戻り鞄を放り出すと、僕は手早く普段着に着替えて家を出た。


そして玄関の戸締まりをしっかりすると、小走りで走り出す。


目的地は同じマンションの十一階。


エレベーターを使うのももどかしく、僕は階段を一気に駆け上がる。


軽く息を弾ませる僕を、見慣れた表札が迎えた。


「碇」



とその表札には書かれている。まだ漢字すら読めない子供のころから何回見たのか見当もつかない。


僕はインターフォンを押す。


数秒の間を置いてドアが開いた。


「やあ、サトシくん」


見慣れた親しみのある顔が僕を迎えた。


碇シンジさん。


母さんとの古くからの知り合いで、歳は僕とちょうど15歳離れている。


小さいころからよく遊んでもらったものだ。


僕は、この人が浮かべる優しい笑みと温かい眼差しが大好きだった。


「あ、すみません。お仕事中だったんですか?」


シンジさんは小説家だ。仕事をしている時は眼鏡を掛けているのだ。


「いや、ちょうど一段落ついたところだよ」


シンジさんは眼鏡を外しながら笑みを絶やさない。


「それに、そろそろ、うちのヤンチャ坊主たちが帰ってくるからね。


サトシくんも、お昼はまだだろ?」


「あれ、お見通しですか」


「まあ、ミサトさんのことだから、お昼なんか作っておかないだろうし」


僕は頭を掻く。母さんの名誉のためにも反論したいのだが、僕は生まれてからこのかた、シンジさんの家でご飯を


食べた回数のほうが圧倒的に多いのだ。そもそも母さん自身が碇家を加持家の食卓に指定していたふしがある。


「あたしたちは家族だもの。遠慮なんてしなくていいのよ」


と、かつて母さんがビールをあおりながら宣言したことがある。それも碇家の食卓で。


普通、招待した家の人がそういう台詞を言うんじゃないかな、と僕は疑問に思ったが、その招待主であるシンジさ


んがニコニコしながらうなずいていたので、何も言えなかった。


「あまり物でお好み焼きでも作ろうとおもってたんだけど、手伝ってくれるかい?」


シンジさんは、食べていくか、などとは聞かない。


「モチロンですよ」


僕も遠慮なく甘えることにしている。


シンジさんに招き入れられた僕は、勝手知ったるなんとやらで、真っ直ぐキッチンへと向かう。


碇家のキッチンは、清潔で、良く整理整頓されていた。ちなみに僕の家のキッチンもキレイだ。


ただ単に使ってないからキレイなんだ、とは父さんの弁。


「冷蔵庫の下の段から豚肉を取ってくれるかい?」


愛用のエプロンをしながらシンジさんもキッチンにやってくる。


「はい」


僕は豚肉を差し出しながら、自らもエプロンをする。


「サトシくんは小麦粉を溶いといてね」


そういながらシンジさんは手慣れた手つきでキャベツをみじん切りにしていく。


うちの母さんの手つきと比べたら、神技とさえいっていいほど滑らかな手つきだ。


僕がお好み焼きの生地を作り終え、


「じゃあ、そろそろホットプレートを出しておこうか」


とシンジさんが口にした時、玄関先に元気な声が響いた。


「ただいまーっ! 父ちゃん腹減ったーーー!!」


にぎやかな声は真っ直ぐキッチンへとやってきた。


「おかえり、マモル」


「おう、サトシ、来てたのか」


この生意気な子供は碇マモル。小学二年生だ。容姿はシンジさんの子供の頃とそっくりなのに、


性格は勝ち気で喧嘩っ早いことこの上ない。平気で年上も呼び捨てにする様子を見て母さん曰く、


「母親似ね」ってことらしい。


そんなマモルの背後から控えめに出て来る影。


「おかえり、アヤノちゃん」


マモルの双子の妹、碇アヤノちゃんだ。


二卵性双生児なので、容姿がそれほど似てないのは当然だが、性格も見事なまでに百八十度違う。


やや引込み思案なところもあるけど、優しくて穏やかな性格をしている。


物静かなところなど、シンジさんの妹、レイさんに似ていると思う。


容姿のほうは、シンジさんの奥さんの小さい頃にそっくりらしく、長い栗色の髪に


透けるような白い肌をしていて、折り紙つきの美少女というやつだった。


アヤノちゃんは僕に気付くとペコリと頭を下げる。その仕草すべてから愛らしさが滲みでている。


「めしーめしー」


とランドセルを放り出して食卓につこうとするマモルを、シンジさんはホットプレートを置きながらやんわりと窘める。


「ほら、手を洗っておいで」


そう言われると、マモルはばつの悪そうな顔をして洗面所へと向かう。なぜか、この生意気小僧も滅多に父親に逆


らうことはない。


アヤノちゃんはとっくに洗面所から戻ってきていてタオルで手を拭いていた。


充分に熱したホットプレートに生地をたらすと、こうばしい香りがキッチンに溢れる。


薄く伸ばした生地の上に、たっぷりのキャベツを乗せ、さらによく炒めた焼きそばを乗せ、


目玉焼きの上にひっくり返して乗せる。いわゆる広島風お好み焼きというやつだ。


美味そうに焼き上がったそいつを、シンジさんは僕らの皿へと切り分ける。


「いただきます」


そう小さい声で呟いたアヤノちゃんと対照的に、マモルは猛烈な勢いでむさぼりついていた。


「あ、僕が替わりますから、シンジさんも食べて下さいよ」


僕は二切れほど平らげたところで、シンジさんに声をかける。


「じゃ、お願いするよ」


僕は道具一式を受け取り、焼き始める。


生地を丸く伸ばし、キャベツを乗せひっくり返す。手先は案外器用なほうなので、我ながら上手い手つきだと思う。



僕の分に手を出そうとしているマモルをケンセイしながら、彼女の皿の上にお好み焼きを分けてやる。


「ありがとう・・・」


か細い声でそういうとしずしずと食べ始める。本当に上品な食べ方だ。なんでここまでマモルと正反対なのだろう?


三十分ほどかけて、僕らは五枚ほどのお好み焼きを食べ終えた。


「ごちそうさまーーー」


満足したらしいマモルは椅子の上でそっくりかえった。


「おい、サトシ、ゲームしようぜ、ゲーム」


いっちょまえに爪楊枝をくわえながら、横柄に声をかけてくる。


「おまえね・・・。後かたづけくらいしろよ」


と僕。


「ああ、後かたづけは僕がやっておくよ。マモルは遊んでいいけど、なるべく宿題をすませてからね」


そういうとシンジさんはエプロンをとりながら席を立つ。


「手伝う・・・」


アヤノちゃんも食卓の皿を集めて流しへと運んでいく。


「はいはい」


おざなりに返事をしながらマモルも席を立つ。


僕も手伝おうかと流しに近づくと、シンジさんに制されてしまった。


「サトシくんはリビングでゆっくりしていて。


あ、できたらマモルの宿題でも見てやってくれないかな」


僕はちょっととまどったけど、結局甘えることにした。一つに、流しに三人は窮屈そうだし、


一生懸命お手伝いをしているアヤノちゃんの、お父さんとのささやかな時間を邪魔するのもヤボというものだろうし


ね。


「すみません。お願いします」


僕はそういうとマモルの後を追いリビングへと向かった。


ところが、マモルのやつは、自室に戻ったと思っていたのに、リビングのTVの前でゲーム機のセッティングに勤しん


でいた。


「こら、宿題はどーした、宿題は」


僕の呆れた声にマモルは振り返ると、


「ホームルームの時間にほとんど終わらせちゃったよ」


との答え。


「ほとんどってことは、終わってないんだろう?」


僕の問いにマモルは面倒くさそうに声を出す。


「だから、今、やってるところだよ」


「はあ ?」


「作文なんだよ、さ・く・ぶ・ん」


本当に可愛げのない答えかたをする。


「作文とゲームと、どう関係あんのよ?」


マモルは生意気に人差し指を立て、チッチッと振ってみせる。


「タイトル『僕のお父さん』」


「・・・・・・・」


「とゆーわけで、ゲームしながら父ちゃんの様子を観察するのだ」


「ゲームに熱中して、観察どころじゃないんじゃないか?」


でも、こればっかりは、なんとなくマモルのほうに理があるような気がしたわけで、結局僕もゲーム機のセッティング


を手伝うことになった。


今流行りの格闘ゲームで、三十分ほどマモルと渡り合い(勝敗は六:四で僕)、その後アヤノちゃんを交えて、双六


型のボードゲームで盛り上がる。


ふと気がつくと時計は3時を指しており、シンジさんはお茶の準備を始めていた。


シンジさんお手製のクッキーを齧りながら、さすがにおやつの後片付けは僕が引き受けることにする。


使い込まれたティーセットを片付け、リビングに戻ると、めいめいが自分の作業に没頭していた。


シンジさんはリビングの隅にあるデスクで携帯端末のワープロソフトを立ち上げている。


マモルはリビングのでっかい座卓で真っ白い原稿用紙を前に腕を組んでいた。


その斜め向かいではアユちゃんが宿題に励んでいる。マモルとはクラスが違うので、当然宿題も異なるらしい。


僕はリビングの壁にそなえられた巨大な本棚の前へと進む。本棚はほとんどいっぱいだ。各種辞典から、流行りの


小説、誰もが知っている名作」、外国の原本、果ては児童小説まで。


そんな中から僕は一冊の本を抜き出す。タイトルは『渚の少年』という。


シンジさんの処女作にして出世作だ。これでシンジさんは、なんとかという権威ある文学賞を受賞した。


史上最年少ということもあって、随分と話題になったものだ。うちにも何冊か贈られた記憶がある。


確かオビには、『一杯のかけそばを超えた!!』とかなんとかいう文句がつづられていたような気がする。


当時まだ幼稚園児だった僕は、その凄さがほとんど理解できず、ただよく知っているシンジにいちゃんがテレビに


出てるのを、誇らしげな眼差しで見ていただけだった。


結局この本を読めたのは、中学に進学してからだったが、当時の稚拙な理解力でも凄い感銘を受けた。


とても繊細で美しく、そして悲しい話だった。あまりの切なさに胸を締め付けられた僕は、自分でも気づかず涙で


ページを濡らしていた。


それ以来、この本は僕の愛読書になり、暇さえあれば、僕は本を紐解き、その世界に浸っている。


本棚の横のスペースが僕の指定席。そこで壁に背をもたせながら本を読む。


この感覚がなんとも幸せなのだ、というと、ケイのやつから、


「おじんくさい!!」


の一言で片づけられてしまった。


腰を降ろし、僕が本に視線を落とそうとしたとき、隣でぽふっという音がする。


見るとアヤノちゃんが僕の隣に腰を降ろした音だった。僕の視線に気づくと、にぱっと大輪の花が咲くように笑う。


その手にはメアリー・ポピンズがあった。


僕も微笑み返して、改めて本に視線を落とす。そしてたちまち本の世界へ没入していった。









・・・・・・いつの間にか部屋はオレンジ色に染まっていた。どうやら、結構な時間、読書に浸っていたらしい。


傍らを見るとアユちゃんはまだ読書に励んでいる。正面を見れば、シンジさんも一心不乱にキーボードを叩いてい


た。


親子そろって凄い集中力だとおもう。


マモルのやつはというと・・・・大の字に寝っころがってイビキをかいている。当然原稿用紙は白紙だ。


そろそろ薄暗くなるし、電気でも点けようかと僕が立ち上がると、静寂を破るように元気で奇麗な声が響いた。


「ただいまーっ」


その声にシンジさんは振り向き、アヤノちゃんは顔を上げ、マモルは跳ね起きる。


買い物袋片手に颯爽と(本当に!)リビングへ入ってきたのは、アスカさんだった。


長い艶やかな栗色の髪。


宝石のような青い瞳。


白磁のような顔はモデル顔負けに整っている。


事実、僕はこの人以上に奇麗な人を知らない。


「お帰り、かーちゃん」


第一声を上げたのはマモルだった。


しかし、その鼻っ柱をアスカさんの細い指先が弾く。


「ママかお母さまとお呼び」


アスカさんは腰に手をあててマモルをにらみ付ける。


「なんたってこんな子に育ったのかしら?」


鼻っ柱を押さえるマモルを尻目に、アヤノちゃんがアスカさんの細い腰に抱きつく。


更に苦笑を浮かべながらシンジさんが近づいていく。


「シンジ!」


アスカさんの顔がより奇麗に輝く。


アヤノちゃんを間に挟んだまま交わされるキス。


僕は反射的にそっぽを向いた。


子供のころから幾度となく目撃していたそれ。ほんの子供の頃、アスカさんのキスの恩恵を受けたこともある。


でも、いま、僕のこころの奥底で何かがチクチクと痛む。


どうして今頃になって・・・。





Bパートに続く