中学生日記

Bパート
















今でもあの日のことは、はっきりと思い出すことができる。


窮屈な礼服を着せられた、当時六歳の僕とケイ。


緊張していた僕はただ俯いて歩くだけ。


手に持った指輪を乗せた赤い台がひどく重く感じたのを覚えている。


ケイに小突かれて足を止めた。


顔を上げると大きな十字架とステンドグラス。


その前にはタキシードとウエディングドレスの二人の後ろ姿が。


「・・・・・・を誓いますか?」


「はい、誓います」


ぼーっとしていた僕の耳に馴染みのある声だけがはっきりと聞こえた。


「では、誓いの指輪の交換を」


僕とケイは一歩前に踏み出す。


そして二人が振り向いた。


僕はその姿を一生忘れることはないだろう。


純白のウェディングドレスに身を包んだアスカさんの姿。


まるで本当の天使のようだった。


幸福そうな笑みを浮かべながら、僕らから指輪を受け取る二人。


その時。


僕は大声で泣き出していた。二人はちょっと驚いた顔になり、隣にいたケイも困ったような表情をしていたが、涙が


どうしても止まらなかった。


その時、僕はとてつもない喪失感を味わっていたんだと思う。


大好きなアスカ姉ちゃんがどこか遠くに行ってしまうような寂しさ。


子供心に、「お嫁に行く」という言葉を額面通りに受け止めていた自分。


そんな僕の前で、アスカさんは身を屈めると、僕の両頬の涙を拭ってくれた・・・・・。


今だから分かる。


多分に早熟だった僕は、その日、初恋と失恋を同時に体験したのだということを。











「あら、サトシくん、いらっしゃい」


アスカさんの声が僕を現実へと引き戻す。


「・・・お邪魔してます」


僕は静かに深く呼吸した。どうにか胸の疼きは止まる。


「さっき携帯で、ミサトがね、今日はこっちでご飯を食べるってさ」


シンジさんと同じくらい母さんとつき合いの長いアスカさんは、母さんのことを名前で呼ぶ。


もともとアスカさんはクォーターで、外国暮らしが長かったためらしい。


それはともかく、母さんも「今日はご飯を食べる」じゃなくて「今日も」の間違いだろうに。


その時、アスカさんの買い物袋をのぞき込んでいたシンジさんが声を上げた。


「あれ?今日はパスタにするんじゃなかったっけ?」


シンジさんの手には、ブリの切り身やカブなどの野菜があった。


「それがね、なんか、ミサトが和食がいいんだってさ」


「ふ〜ん」


・・・・シンジさんの言いたいことはよく分かる。僕の母さんは食べ物にこだわったことはない。むろんシンジさんの料


理は何でも美味しいけど、あの人はビールが飲めれば何でもいいのだ。この間なんかケーキをつまみにして飲ん


でいた。


それがなんで和食なんだろう?


「すみません・・・・・」


僕は取りあえず謝ることにした。どちらにしろ、母さんのリクエストによってシンジさんの夕食の予定が狂ったのだ


から。


「あっ、そんな、気にしなくていいよ。実は僕も今日は和食が食べたいなー、なんて・・・」


シンジさんは慌てて手を振ってみせる。


そんなシンジさんをアスカさんがジト目で見ている。


この人は本当に嘘が下手なのだ。そのうえとても優しい。


考えてみれば、僕はこの人に叱られた記憶はない。


「ああ、時間もないし、急いで準備しなきゃ」


シンジさんはブリの切り身の入ったパックとカブだけを持ってキッチンへと行ってしまう。


その後を買い物袋を持ったアヤノちゃんがトテトテと続く。


「あ、僕も手伝いますよ!」


僕も慌ててその後を追った。









時計が七時をすぎたころ。


碇家のリビングの広いテーブルの上には、様々な料理がところ狭しと並んでいた。


キッチンの食卓は四人用なので、僕ら家族が食べにくるときは、大抵リビングでの食事となる。


それにしても凄い料理の数だ。


この料理のほとんどをシンジさん一人で、料理書も見ずにそらで作ってしまったのだ。


僕がしたこといえば、せいぜい材料を切ったり、料理皿の用意をしたぐらいである。


リビングで横になってテレビを見ていたマモルだが、並べられた料理を目にすると、


「おーうまそー!」


と開口一番、口と同時に手を出した。その手をアスカさんがつねりあげる。


「行儀悪いわね、もう!」


ちょうどその時、玄関のチャイムが鳴った。


パタパタとスリッパをはためかせながらアヤノちゃんが玄関へと向かう。


とたんに玄関に響く声。


「あらアヤノちゃん、こんばんは。また可愛くなったわね〜」


すがずかとリビングへ入ってくる気配。・・・・この人にもう少しデリカシーを期待するのは無理なのだろうか。


「母さん・・・・・」


僕は文句の一つでもいってやろうかと口を開きかけて、そのまま硬直してしまった。


母さんの後ろには、もうひとり人がいたのだ。文字通り、僕が最も親しい人物。


「父さん・・・・!?」


「加持さん!!」


シンジさんとアスカさんの声が見事にハモる。


「予定より早く仕事が済んでね。一週間早いご帰国と相成ったわけさ」


父さんは、相変わらず無精ひげに覆われた口元に明るい笑みを浮かべて、碇夫妻への挨拶と僕の疑問への回答


を同時に済ませてしまった。


「おかえりなさい」


しばしの間再会の挨拶が交わされたあと、シンジさんが僕らを食卓へと促した。


「あ、座って食べて下さい。冷めちゃいますから」


「帰国早々、リクエストさせてもらって悪いね。暫く日本食はご無沙汰だったんで、シンジくんの手料理が何より楽し


みでね」


父さんは笑いながらテーブルにつく。


そして僕もようやく納得が行く。だから母さんは和食を希望したのか。


「料理くらいあたしが作るっていったのに・・・」


と母さん。


「俺も正しい日本食の味を忘れたくないさ」


「どーゆー意味よ、それ」


アスカさんはアヤノちゃんを両手で抱きすくめながら、この光景を笑って見ている。マモルは完全に料理に心を奪


われており、一人さっさと席に収まり、うずうずしているようだった。









食事中。


なんとなく話題がレイさんの話になった。いま世界中を旅して廻っているという。


「ちょっと待ってて」


そういうとアスカさんは席を立ち、奥に行くと一枚のハガキを手に戻ってきた。


差出人はレイさんだった。


ハガキをひっくり返すと裏には風景写真が貼り付けてある。確かペルーのマチュピチュ遺跡だ。セカンドインパクト


の被害を免れた世界遺産の一つだったと思う。


その写真の下には一言『元気です』と書かれてあった。


簡素ここに極まれりというやつらしい。


「あの子らしいわね」


母さんはハガキを片手に笑う。


「まったく、写真を送るんだったら、自分の姿が写ったのを寄越せばいいのに!」


これはアスカさん。


「彼女は自分の時を埋め直そうとしているのさ・・・・・。手紙を寄越すようになっただけ可愛いものじゃないか」


父さんは日本酒を口に運びながらいう。


それ以上、父さんたちは何もいわなかった。僕には解らない話だ。だから僕もそれ以上聞かないことにしている。


というわけで、ひたすら料理をつっつく僕に、シンジさんは屈託なく微笑みかけてきた。


「サトシくん、芋の煮っ転がし、もっと食べる?」









あらかた食事も済むと、大人組はキッチンに席を移して本格的に飲み始めた。


僕ら子供組はリビングでテレビを見る。


それでも九時を過ぎるとアヤノちゃんお風呂に入って自室へと引っ込む。


僕はぐずるマモルをテレビからひっぺがし、風呂につけ込んで、自室へと放り込んでやった。


これは毎度のこととはいえホネだ。特に最近はマモルのやつも知恵と力がついてきて一苦労である。


どうにか一息つくと時計は十一時を指そうとしていた。


そんな僕に母さんは声をかけてくる。


「じゃあ、サトシそろそろ・・・・」


「はいはい」


僕は生返事をする。


母さんたちはいつも遅くまでシンジさんのところで飲む。


だから「おこちゃま」である僕は、先に自宅へと帰って風呂の用意をして寝るのだ。


「ううん、今日はあたしたちも帰るわよん」


母さんが紅潮した顔で思いがけないことをいった。


「ええ?まだいいじゃない」


アスカさんが抗議の声を上げるけど、母さんも父さんも曖昧な笑みを浮かべているだけだ。


「月曜も、振り替え休日だから、明日にでもまた飲みに来るって」


母さんがどうにかアスカさんをなだめる。


というわけで、珍しいことに僕たち一家は三人揃って碇家の玄関を出た。


「おやすみなさい」


シンジさんたちも玄関まで見送ってくれた。


同じマンションの十一階から七階までの帰り道である。距離的にはないも同然だ。


三人そろって肩を並べて歩きながら、僕の頭越しに父さんたちが短く言葉を交わす。


「早いな・・・」


「そうね・・・」


これまた僕には意味がわからなかいものだった。


ほどなく自宅に戻ると、僕は自室へと直行しパジャマへと着替えた。


お風呂の準備は、今日は母さんたちが自分でするのだろう。


僕は今夜はお風呂はパス。明日の朝でいいや。


「サトシ、ちょっといい?」


歯を磨こうと洗面所に向かった僕を母さんが呼び止める。


その顔はいつになく真剣だった。とてもシンジさんのところでビールを一ダースあけたばかりとは思えない。


はて、なんか説教されるようなことはしただろうか?成績だってこの頃良くなってきているはずだし・・・。


促されるままにリビングへ行くと、すでに父さんが座っていた。


「来たか。まあ座れ」


神妙な顔をしている僕と正反対に父さんはくだけた表情をしていた。


僕が腰を降ろすと、父さんの隣に母さんも腰を降ろした。その手にはビールのケースが握られている。


「まだ飲むのか・・・?」


これにはさすがの父さんも呆れ顔だ。


「ふん、素面じゃ話せないわよ」


母さんはフンゼンと鼻を鳴らすと一本目のブルトップを開ける。


一息でかなりの量のビールを流し込むと、母さんは改めて僕に向き直った。


「今日、あなたに教えてあげるわ。なんであなたの産まれた年が特別なのかを・・・・」


「え?」


僕は我ながら間抜けなほどに驚きの声を上げてしまった。


「でも、まだ誕生日にはなってない・・・」


「ほんとは、俺が帰ってきてからのはずだったんだが」


と父さん。そして父さんは壁の時計へと目を走らす。


「まだ日付はかわってないよな?」


母さんがうなずく。


「・・・・・奇遇なことだ」


父さんはしみじみといった。


僕は何も飲み込めてない。思わず訊ねてしまった。


「なんなの、今日は一体何の日なのさ?」


自分の誕生日がないがしろにされたような気分があったのかも知れない。ちょっと声が荒くなる。


父さんは、真剣な口調で静かに答えた。


「今日は・・・・・シンジくんが初めてこの街に来た日だ。ちょうどおまえと同じ歳にな」






Cパートに続く