X指定小説大賞参加作(オリジナル)

■ライク ア シングル(2)■

作・大場愁一郎さま

 

 

 

「へえ…すげぇなぁ…こんなに広くていいのかよ…?」

「キレイ…それにポプリが良い香り…!しかもこれ…わ、大場くん!これ造花じゃなくって本物の花だよ!?すってき〜!!」

「へぇ、生花かぁ…。なんかラブホテルってもっと下品なイメージがあったんだけど…偏見だったな。」

 先ほどの繁華街から少し離れ、人も車も少なくなったところにそれらしい施設の建ち並ぶ区画がある。

 二人が訪れたラブホテル『シャルム』は小綺麗なビジネスホテルのようなたたずまいを見せており、二階から五階がビジネスホテル、六階と七階がラブホテル、というように区分けされていた。フロントは共通であるが、エレベーターはそれぞれの宿泊施設で別々である。フロントは女性が担当していた。

 そして愁一郎も智秋も、三時間だけ自分達の物になった七階スイートルームの設備に感激し、一様に満足の声を漏らしていた。

 思いもしなかったほどの室内面積を誇るスイートルームには、裸足で歩き回りたくなるほどに柔らかな毛並みを有するカーペットが敷かれている。

 清潔で暖かで、思わず飛び乗りたくなりそうなダブルベッドも…テーブルを挟んで対面に置いてある対のソファーも大きくてフカフカだ。

 窓には就寝用の遮光カーテンと、大きなレースのカーテン。窓辺には爽やかに香り立つ生花が、意匠も美しい花瓶にセンス良く生けられている。花の選別も室内や雰囲気に実に良く合っている。

 テレビはなんとワイドテレビであり、なぜかその下のラックには通信カラオケシステムまである。もちろん有料放送のコントローラーもあるし、冷蔵庫も完備だ。

 そのうえ浴室とトイレはそれぞれ独立しているという贅沢ぶりだ。しかもその浴室がただものではなく、洗い場は暖かみのあるブラウンを基調とした三十センチ四方のタイル貼りで、浴槽も一人では持て余してしまうくらいに余裕がある。

 それになんといっても、部屋いっぱいに満ちているポプリの香りがなんとも上品だ。適温に調節されたエアコンのおかげで、そのささやかな演出は過剰に自己主張するほどでもなく実に調和がとれている。

 ラブホテルではなく、まるでどこかの高級ペンションにでも来てしまったかのような錯覚に陥るのは、なにも愁一郎達だけではないだろう。まさか繁華街のすぐ近くにこれほどまでに豪華なラブホテルが建てられていたとは…。

「おいおい大丈夫かな…?スイートルームだし、ちょっと高いなぁとは思ったけど…出るときになってもっと請求されたりしないだろうな…?」

「…大丈夫みたいよ、ほら、この利用案内。ここのオーナー、女性なんだって。」

「なになに…ふうん、新しいラブホテルの在り方、かぁ…。なるほどね。」

 室内を物色していた智秋が、各部屋備え付けのインフォメーションガイドを愁一郎に差し出して提示する。その冒頭には前書きに代えて、ここの女性オーナーのラブホテルに対する意識、意義めいたものが書かれていた。なんでも、女性が望むラブホテルのカタチとして完成したのが、この『シャルム』チェーンらしい。

「しっかし、こういうのもビギナーズラックってヤツかもな。」

「不倫のビギナーってのもカッコ悪いけどねっ。はい、上着ちょうだい。かけとくから。」

「あ、さんきゅ。ついでにネクタイも頼むよ。」

「ふふっ、なぁに?みさきとも普段からこんなやり取りしてるんだ?」

「う…なぁ、みさきのこと、今は止めてくれない…?」

 自分のオーバーとスーツ、愁一郎の上着をコートクロゼットに収めつつ告げた一言が二人の間に気まずい沈黙を生み出してしまう。智秋はハッと口許を押さえるものの…一度出た言葉を無かったことにはできない。愁一郎はせつなげにそっぽを向いてしまった。

「あの…ごめん、大場くん…わざとじゃないのよ…?」 

 シャツの胸元を押さえるようにし、失言に自己嫌悪してうなだれる智秋。きゅっと唇を噛み…心中で責め立ててくるみさきに頭を下げる。

 そんな深刻そうな智秋を前にして思わず立ちすくんでしまった愁一郎であったが、貴重な時間を大切にしたいと割り切り、自分から事を起こすことにした。積極性を振り絞り、スプリングの聞いたベッドへ飛び乗るように腰を下ろす。そのまま感触を楽しむようにピョンピョン弾みながら、うなだれっぱなしの智秋に振り返って呼びかけた、

「駒沢、こっちおいでよ。時間ももったいないよ?精一杯楽しまなきゃ…ね?それこそみさきに対しても悪いんじゃないかな?」

「うん…。」

 誘われるまま、智秋は愁一郎の横にちょこんと腰を下ろす。並んで座っているのはショットバーでも同じであったが、状況が状況であるだけに動悸は比較にならない。

 吐息が内側から押し出されるほどの高鳴りに目眩がしそうで、智秋は目を伏せていたのだが…愁一郎に背後から肩を抱かれると、キュッと身を縮こまらせてしまった。

「おっ…大場くん…」

「あ、あのぉ…なんだ…」

 そっと見上げると、愁一郎も気恥ずかしそうにそっぽを向いていた。鼻の頭に汗を浮かべ、あごを人差し指でカリカリしている。

「せっかく駒沢の方からアプローチ、かけてきてくれたんだからさぁ…お互いが…その…求めないと、本当に気持ちよくはなれないはずだぜ?」

「…けっこうあたしって、抱いてみたい女だったりする?」

「あっ、あのなあっ!いや、なんか…駒沢、このままほっとけなくなったからさぁ…。い、言っとくけどオレは消極的なんだぞっ!?」

 いたずらっぽいながらも智秋に図星を突かれてしまい、愁一郎は一層気恥ずかしくなって早口にそうまくし立てた。右手で智秋の肩を抱いたまま、かあっと体温が上昇してゆくのがわかる。

 確かに、智秋は愁一郎が高校時代にオナペットとして悪用していた女の子の一人である。

 妄想の中で果てるたびに自己嫌悪と後ろめたさに苛まれたのだが…愛しく思う気持ちにかわりはなく、翌日教室で朝の挨拶を交わせばたちまちそんな邪気は失せてしまったものだ。

 閑話休題。すると智秋も左手を伸ばし、愁一郎の背後から腰を抱いてきた。右手を前からそっと伸ばし、彼の左手を取ってつなぐ。ドキッと身を強張らせる愁一郎の肩に寄り添うと、彼の火照った横顔を眩しげな眼差しで見上げてつぶやいた。

「だったら…あたしもう、したいようにするっ。だから大場くんも…したいようにしてほしいの。何もかも忘れて、今だけ…あたしに欲望を吐き出して…。」

「欲望って、駒沢、お前…」

 意外な単語の登場に、愁一郎は智秋へと振り返っていた。

 その目と鼻の先には…ほんのり上気した彼女の素顔があった。

 柔らかな吐息が頬にかかる。

 あらためて化粧が控えめであることがわかる。

 広い額の下、甘えんぼで寂しがり屋な瞳がしっとりと潤んでいる。

 愁一郎はもう目が眩んでしまった。駒沢智秋という懐かしい友達に不義を働かずにはいられなくなってしまった。最愛の妻の面影から…目を背けてしまう。

「駒沢…キスしよう…?」

「いいけど…あたしってキス、そんなに上手くないよ?リードしてくれる?」

「その方が燃えるってモンだ。気にしなくていいよ…」

「なにそれぇ…」

…ちゅっ。

 ベッドに腰掛けたままで、智秋は愁一郎に求められるまま唇を差しだし…やがて甘く濡れた音とともに二人の唇は密着した。絶妙なまでの弾力と、胸の奥で炸裂を繰り返すときめきにお互い微かにあごが震える。徐々に重なる角度を大きくして深く吸い付き合い…十秒ほども息を止め、時間が凝縮されていく事実に浸った。

 すてき…。

 この一瞬に近い抱擁だけでも、二人は登り詰めんばかりに酔いしれた。

「ちゅ、ちゅっ…んんっ…おおば、くん…」

「ちゅ、ぱ…はぁ、こまざわぁ…」

 上手くないと言っておきながら、智秋はすこぶる積極的だった。向き直るよう体勢を変え、愁一郎の頬を押し抱くようにして唇を貪る。愛情に飢えていたのか、本当の愛情を教えてもらえなかったのか…妻帯者である愁一郎にそれをせがむよう、一生懸命といっていいほどにねちっこくねだってくる。密着感を楽しむよう、執拗に角度を変えてモグモグしながら味わってきた。

ちゅっ、ちゅっ…ちゅぶっ、もぐ、もぐ…

…んんん…ぢゅっ、んむ…ちゅ、ぱっ…はあ、はあ、はあ…

「ちゅ、ちゅっ、おおば、くん…」

「ぷぁ、ん…こまざわぁ…」

 愛しさとせつなさに満ちた吐息を息継ぎにして、唇を震わせながら離れる。愛しさで胸がいっぱいになりながら、真っ直ぐに互いの瞳を見つめると…今度は欲望が淫らなくらいに愛しさへ弾みをつけてくる。

ぬ、りゅ…れる、るっ…

「ぢゅ、んっ…!」

「ふぅ、ふぅ…れる、るりゅ…」

 愁一郎の方から舌を忍び込ませた。ざらつき、柔らかな舌は同種とのランデブーに成功し、友好を計ろうと艶めかしくもつれあう。

 智秋もディープキスは経験済みなのか、舌をできるだけ広げてくねらせ、ザラザラな腹どうしを強く擦れ合わせてきた。カカオフィズの味とカルーアミルクの味、そして互いの唾液の味が混ざり合い…強烈な媚薬となって二人の中枢を冒してゆく。

「なんだ…キス、上手いじゃん…。どこで覚えたんだよ?」

「その話、今はイヤ…。」

 ささやき合い、智秋はソファーから立ち上がった。愁一郎も合わせて立ち、ゆったりと抱き締め合ってからキスを再開する。欲しいように唇をせがみあうと、すがりついた互いの体奥からは暖かな鼓動が伝わってきた。

とくん、とくん、とくん…

 愁一郎は智秋のふくよかな乳房の向こうから…。

 智秋は愁一郎のたくましい胸板の向こうから…。

 命どうしが、やがて極めて近い位置…それこそつながりあってまでコミュニケーションを図ろうとしている。

 そう予感するだけで背筋は淡い恍惚に打ち震え、呼吸が早まり…唇の密着が、唾液の分泌が増してゆく。蜜月を過ごすにも打ってつけの美しい部屋の中央で、二人はのぼせてしまいそうなほどに唇を、舌を確かめあった。

にゅり、じゅり…れる、れろれろ…ぐちゅ、ちゅ…ぶちゅ…

 唇をすぼめるようにしてはついばみ、舌を差し入れて突っつき合い、そっと歯茎に柔らかさを押しつける。かつて憧れていた味が、今はもう思う存分味わえる事実に興奮してお互い微かに汗ばんでゆく。

 そんな心地よい高揚感に包まれながらも…手慣れている智秋に対して愁一郎は不可解な苛立ちを覚えていた。

 駒沢にディープキスを教えたのは誰なんだろう。少なくとも自分より上手いヤツだ。

 なんとなく悔しい。

 駒沢が…あれだけ親しくしていた少女が、だんだん別人のように…自分の知らない女性のように思えてくる。

 その苛立ちにまかせて愁一郎が唇を遠ざけると、智秋はすがりつくように頭を動かしてそれを追ってきた。ちゅちゅっと吸い付いて密封し、逃すまいと抱擁をせがむ。

 唾液をあごに伝わせながら唇を愛撫しあい、またくっついては舌を絡め合って…そうこうしているうち、二人が互いの背中にまわした両手には、もはや精一杯の力が込められていた。ぎゅっと乳房をたわませるほどに抱き締め合い、身も心もひとつになることを切望し始める。

「何度も言っちゃうけど、大場くんの唇、みさきだけのものだったのにね…みさき、いいなぁ。こんな美味しい唇、毎日味わえるんだもんね。」

「今夜限りなんだから、好きなだけ味わっていけよ。」

「ふふ、言われなくてもそうするつもりっ。ね…今さらなんだけどさぁ…。」

「どした?」

 とりあえず身体の奥に火がついたらしく、智秋は甘えかかるようそっと愁一郎の肩に顔を預けてきた。熱く火照った吐息が愁一郎の耳をかすめる。

「結局言えなかったけど…あたし、高校のときね?大場くんのこと好きだったんだよ?二人きりでよくおしゃべりしたじゃない。そんなときに、ああ、このままずぅっと…いつまでも二人きりでいたいなぁ、なんて思ったりしたのよ?ふふ、もう遅いけどね。本当よ?」

「嬉しいな。オレだってそう思ったりしたよ?そりゃあかわいい娘がたくさんいたからいろいろ移り気はしたけど…駒沢の言うように二人きりでおしゃべりしてたら…今なら告白しちまっても大丈夫なんじゃないかって、よくドキドキした…。」

 そこで一端おしゃべりを区切り、二人はベッドの端に再び腰を下ろした。並んで座り、智秋が愁一郎の左腕にすがりついて…ぴと、と寄り添う。

「…結局、選んでくれなかったんだよね?」

「オレが悪いってのかよぉ?」

「そう!イジワルだもん、デコオンナデコオンナっていつもあたしのことバカにして…。」

 ぷう、とふくれっ面になるものの、それはあくまで上辺だけであり…智秋はまた愁一郎に寄りかかり、愛おしく肩口に頬摺りする

「…でもね。そう言われるとムカッとする反面、安心したんだよね。あたしだけは他の女子より大場くんの側にいることが許されてるんだって。これって意識過剰?」

「おいおい…そんな風に思ってたのか、このデコオンナめ。」

「あぁ、また言った!」

「いへ、いへへっ!」

 からかうようにそう呼んだ愁一郎の頬を、智秋は左手でぎゅうっとつまんだ。両手をバタつかせて痛がる様子に以前と変わらぬ面影を見出して、ついつい微笑んでしまう。懐かしいワンシーン、そして憧れに胸ときめかせた一瞬が、今目の前にあるからだ。

 コクコク何度も頭を下げてようやく頬を解放してもらうと、愁一郎は苦笑しながら痛む頬を撫でさすり、あらためて智秋の肩を抱きよせた。居心地よさそうにもたれかかってくるのを見計らい、両手で肩をつかんでこちらを向かせる。

「駒沢…オレは駒沢のオデコ、けっこう気に入ってたんだぜ?悪気なんて…ま、本人は気にしてたんだろぉけど、なかったんだ。」

「やだ、あんまり見ないで…あたしほとんどスッピンだもん、恥ずかしいよ…」

「オレはスッピンしか知らないからな、こっちの方が好きだよ。」

「…アイツと違うんだね。」

「…忘れろって。」

 そう言うと愁一郎は…智秋の前髪を右手で上げ、広めの額に優しく唇を押し当てた。

 あ、と智秋が短い歓声をあげたまま、再び時間が止まってしまう…。

 額に感じる柔らかさ、温もり…。

 智秋はされるがまま、左手を愁一郎の腰にかけて歓喜に震えた。こうされることを望んで過ごしたせつない日々の記憶が鮮明に蘇ってくる。

 額にキスしてほしくて…独り寝で慰めるたびに何度も額を指先で撫でたりした…。あの憧れが今、現実の感触となって智秋の意識を狂おしく掻き乱す。

きゅっ、きゅう…。

 慰めるくせがついているのか…額にキスされただけで智秋は腰の奥を微かに鳴かせてしまう。ショーツの真ん中にぬめりが染みた。いつのまにか広めの額は性感帯としての特性を備えてしまったらしい。唇にキスされるのもたまらなく好きであったが、額にされるキスはまた別格の興奮をもって智秋を舞い上がらせてくる。

 以前付き合っていた男は…智秋の額についてはなにひとつ残してはくれなかった。文字通りなにひとつ…キスはおろか、感想の言葉すら…。

 そのぶん愁一郎に吸い付かれたときの感動はひとしおであった。思いもしない言葉が喉の奥から出てくる。

「お、おばくん…おでこ、もっとキスして…な、なめてぇ…!」

「いいよ、駒沢…」

 愁一郎は智秋のおねだりを拒むはずもなく、むしろ微笑みかけるよう積極的に口づけた。

ちゅ、ちゅっ…はあぁ、べちゃ、ぺちょぺちょ…ぶ、ちゅ…ちゅ…ちゅむ…

 額の中心に強く吸い付き、その辺りから生え際にかけてを愁一郎は舌を拡げて舐めあげた。まるで子犬がミルク皿にするよう一生懸命舐める。智秋は胸の前で拳をきゅっと固めながら、そのくすぐったい快感で悦に入った。

 そのくすぐったさは細波が押し寄せる優しさで額から下方へと伝わってゆき、胸の中をせつなく痛め…やがて身体中を熱くさせる。智秋は陶酔の溜息を吐き、求めたままに愛撫してくる愁一郎を上目遣いで見ながら尋ねた。

「あ、汗の味、しちゃうかなぁ…?」

「そんなことないよ、おいしい…駒沢のおでこ…」

「そお?ごめんね、変なこと頼んで…あ、はあぁ…あっ、やあっ!そ、そんなに強く吸っちゃ…あと、残っちゃう…!!」

ぶちゅ、ちゅうっ…。

 大きく拡げられた後、すぼめられた唇で強く吸われた痛みに智秋は小さく叫んだ。しかし時すでに遅く、愁一郎が唾液を残しながら唇を離した後には…紅くキスマークが残されている。今宵最初のキスマークであった。細い紡錘形で、髪の生え際ではあったが…少し前髪が揺れたりするとすぐに目立ってしまうだろう。

「大きめのヘアバンドで…隠してればいいじゃん…」

「そ、そんなのいつも持ち歩いてるわけないじゃん!朝までに消えるかなぁ…もう、大場くんったらひどいよぅ!」

「だって駒沢…気持ちよさそうな息、してるんだもん…」

「そ、そりゃあ…あっ、ん…ふ…」

 よっぽど額への口づけが気に入ったのか、先程までの抗議の声はどこへやら、愁一郎が再び唇を押し当ててくると智秋は目を細めて口許をハクハクさせる。

ぴちゅ、ちゅっ…れぇあっ…れぇあっ…ぺちゅ、ぺちゅ…ちゅ、ぢゅっ…

 愁一郎の唇が、舌が、唾液が額から熱と汗を奪う。それはもう壊れ物を扱うような丁寧さで、しかも念入りに施された。

 一夜だけなら…思いきり旧友を慰めたい。

 愛する女性がいる身にとっては、それは絶対に許されない不埒な行為であったろう。

 しかしそうしたいと欲することは不自然なことでもなく、ましてやそうすることに嫌悪を抱く男性は存在しないはずだ。もしいるとすれば、それは愛をどこか神聖視し、愛を絶対不変のものと信じてよしとする盲従者であろう。そうならそうで、ひとつだけの愛を守り通していればいい。それだけのことだ。それもまた不自然な行為ではない。

 ただ愁一郎も智秋も…そういった性分の持ち合わせを失っていた。

 愁一郎とて最愛の妻を裏切っていることに後ろめたさを感じていないのかと言われればそうでもなく…ましてや智秋にしてみれば、愁一郎の妻は旧来の親友なのだ。

 お互い、一夜だけと割り切っていたからこそ…こうして身体を求め合ったのである。ズルズル引きずるようなら…ここまで燃えはしないだろう。

 仮初めの恋人達には時間がないのだ。必然、愛撫にも情熱がこもるのも否めない。

「おおば、くん…」

「ちゅ、ちゅっ…はぁ、こまざわ…」

 名前を呼び合うだけにしても、以前からの呼びかけ方は同じであるが、その言霊はまた別格のものがこめられている。だからこそそう呼び、また、そう呼ばれただけでも胸が踊り、愛しさが果実を搾ったときのように溢れ出てくるのである。

 その愛しさにより、愁一郎の唾液には微かに発情のフェロモンが混ざり始めていた。

 生暖かい唾液でびちょびちょに濡れた智秋の額を右手で拭うと、愁一郎は思春期のように胸を高鳴らせながら彼女を見つめた。高校時代よりわずかに大人びた…だけど化粧っ気の少ないその顔は、やはり愛撫にこめられた愛情のためか、すっかりとろけそうになっている。のぼせてしまったように、ぽぉっ…としていた。

「駒沢…。」

「好き…って言わない。あたし、大場くんが好きだったよっ。」

「過去形でも十分さ。オレだって駒沢が好きだった…。」

「…嬉しい。あたし今、メチャクチャ嬉しい…!お願い、もう一回キスして…。オデコと、唇に…まさかこうなれるなんて…諦めてたから…!」

「時間は少ないんだ、イヤって言うまでしてやるよ…!」

 打ち震えながら、その想いを肺腑から搾り出して声にする智秋。叶わぬ夢と決めつけていたぶん、愁一郎と好意を交えることができた感動は大きかった。

 やはり自分は嫌われていたわけではなかったのだ。あの気にくわないデコオンナという呼び方さえ、まぎれもない好意の裏返しだったのだ。

 あの頃気に障ったなにもかもが…光の奔流よろしく胸の中で湧き上がり、今まで経験したこともないほどの愛しさに変わってゆく。

ちゅうっ…。

 額に丁寧なキスを受けると、それだけで智秋は歓喜に表情を和ませた。何度キスされても飽きが来ないらしく、心底嬉しそうに身をよじると焦れったさもあいまって愁一郎の身体を抱き締めてしまう。

「キスして…ね、キスぅ…」

「わかってるって。欲張りだなぁ、このデコオンナはっ。」

「あん、また言ったぁ…!ね、はやく、はやくっ…!」

ちゅ…ぷ、ちゅ…

 焦れる意識にまかせてキスをせがむ智秋。つい、と差し出してきた唇に愁一郎はにべもなく応じ…濡れる音とともに再び重なり合う。鼻息すら荒く…火照り、潤みきった声を間近に聞かせながら、二人は貪欲なまでに口づけを交わした。

 早鐘のような鼓動に急かされる息づかい…

 時折唇の端から漏れる、かすれかすれの鳴き声…

 二人分の唾液が混ざる音…

 角度を付けたとき、ふいに鳴る前歯どうしの衝突音…

 舌が交尾するようにくねり、もつれ、のたうちあう音…

 やがて、喉がそれらすべてを嚥下し…鳴る。

「ん、んん…おおば、くん…ちゅ、んっ、あ、あっ…もっ…んむ…」

「んく…はぁ、はぁっ…駒沢…んっ…ぷぁ…ん…」

 いくつもの感覚がないまぜになり…あの頃、どうしても越えられなかった友達の境界線を容易く飛び越えてゆく。背徳感によって加速を付けられた情熱は二人の身体に早くも汗の粒を浮き上がらせ、さらなる悦楽を望めとささやきかけてきた。

「ね、あたし…ホントはこんなインランじゃないんだからねっ!相手が大場くんだったからこそ、あたし、こんなになってるんだから…」

「オレだって、相手が駒沢じゃなきゃ浮気なんてしないよっ!」

「そうかしらねぇ?大場くん、モテモテだったじゃない!もしかしたら雅美や涼子、ユッカとかでも浮気してたかもね?」

 意地悪するようにささやきながら、智秋は愁一郎のシャツからボタンをひとつひとつ、手探りで開けてゆく。愁一郎もそれに倣い、智秋の襟元からブローチを外してひとつだけボタンを外した。

「なぁんであいつらの名前が出て来るんだよぉ…?」

「…知ってるくせに。あたし達みんな、大場くんのことが好きだったのよ?みさきから聞いてないの?」

「…聞いてたとしても、駒沢にしか望まなかっただろぉな。」

「そっ…やだ、おおばくん…っ。」

 鼻先がつかえんほどの至近距離でそう言われ、智秋はあからさまに舞い上がってしまった。決して明るいとは言えない照明の下でも耳まで真っ赤になるのがわかる。

「はははははっ!ウソウソ、知ってたよ。駒沢ったら、こんなくさいセリフも真に受けるんだからなぁ!」

「なぁに、それえっ…もうっ…いじわるなんだから…!」

「でも…オレはそんな駒沢がお気に入りだったんだぜ…?」

「…調子いいこと言って!ホント昔といっしょ…。ふふっ、でもあたしも大場くんが気に入ってたんだから…。」

 最終確認のように言葉を交わすと、愁一郎は右手で智秋のうなじを…左手で肩を抱いた。愁一郎からの求めにも智秋は嫌悪を示さない。目を伏せたのを確認して、愁一郎も同様に目を閉じると、そうなることがもはや自然とばかりに唇を重ねる。

ちゅっ…。

 今度はおとなしいキスであった。

 息を止めたまま、唇どうしの柔らかな密着を維持する。

 この静止状態は嬉しくて弾みっぱなしである胸中にあってなんとも苦しい。愁一郎も智秋も頬を染め、焦れったそうに身じろぎする。

 愁一郎はキスの感触をなぞるよう、ちょむ、と唇を動かした。一瞬の息継ぎの後に角度を付けて押し当て、智秋のおしゃべり好きな唇を塞ぎ続ける。

 気が遠くなるような興奮で血がたぎった。格別に親しくしていて、恋人どうしになるのも秒読みかとまで思っていた智秋と…まさか唇を交わしているなんて。激しく貪り合っておきながら、ようやく事の重大さに思い至る。耳鳴りまで聞こえるほど動悸が激しくなっていた。今さらながらに恥じらうよう、小さく鼻で息継ぎする。

 智秋も息苦しさに耐えていたらしく、愁一郎がそうするのに真似て鼻でブレスした。鼻息で互いの頬をくすぐると、愛撫するように唇をうごめかせる。

 すり、すり、と湿った薄膜を擦り合ってから、二人はそっと頭を離した。

「こまざわ…」

「おおばくん…」

 愛しい名前を呼ぶ声が震えている。

 互いに触れている両手も震えている。

 なにより身体が…暖かい部屋の中、寒さに耐えているかのように震えている。

 真っ直ぐに見つめ合うと、相手の瞳にだらしない…しかし、とても羨ましい表情をした誰かが見えた。それが今、途方もない興奮の最中にいる自分の姿だと気付くと…

「ああっ、こ、こまざわっ!!」

「あんっ、おおばくぅんっ!!」

 いてもたってもいられなくなり、二人は互いをきつく抱き締め合った。火照った頬を夢中で摺り合わせながら、愁一郎は智秋の華奢な身体を…智秋は愁一郎のたくましい身体を精一杯の力で抱く。

とく、とく、とく、とく…

 小刻みに、だけど力強い鼓動がひとつに溶け合うごとく感じられる。

 それはつまり、相手のすべてが…なにもかもが両腕のなかにあるということ…。

 愛しさを抑えきることはできなくなった。

「こまざわ、もっと…ちゅ、ちゅっ…はぁ、あむ、ちゅ…」

「んっ、ちゅ…おおば、くん…ちゅ、ん、はむ、んふぅ、ちゅ、ちゅっ…」

 欲しい気持ちを剥き出しにし、躊躇いや戸惑いを押さえ込むよう、きゅっと目を閉じて必死に唇を貪る。

 唇の密着面積を少しでも稼ごうと、摺り合わせるように押し当てたり…

 はむ、あむ、と角度を付けて唇を合わせたり…

 上唇、下唇を追いかけっこのようについばみあったり…

はあ、はあ、はあ、はあ…んんっ…はあ、はあ、はあ…

 愛おしく頬摺りしながら息継ぎの休憩をはさみ、そしてまたキスを繰り返す…。

「駒沢、ディープキス…しよ…?」

「…いいよ、あたし…もう…なんだか別人になっちゃいそ…」

 愁一郎の誘いかけを、智秋は当然拒まない。

 控えめな照明の下で淫靡に光る舌がわずかに差し出されると、二人して触れ合い、擦れ合いながら互いの口中へと滑り込んだ。ちゅ、と唇を重ねて密封すると、ざらつく舌どうしは柔らかくくねり、絡まり、もつれて…甘く唾液が混ざり合う。

「飲んで…。」

「んっ…。」

 智秋を少し上向かせ、愁一郎は攪拌した生暖かい唾液を彼女の口腔へと流し込む。なされるがままの智秋はそれでも拒むことなく、熱い吐息を鼻から漏らしながら、んく、んく…と小さく喉を鳴らして嚥下してくれた。

 なまじっか親しくしていた憧れの相手であるため、あまりの羞恥に目眩を覚える智秋であったが…愁一郎とキスしているという幸福感が色濃く意識に染みついてしまい、より深く酔わせてゆく。カクテル三杯よりも、愁一郎の唾液十ミリリットルの方が意識を冒す威力は強かった。フェロモンどうしも混ざり合い、いまや唾液は強力な媚薬と化している。智秋の両目はたちまちトロン…と媚びた目になってしまった。

「大場くんも飲んでみて…おいしいよ…?」

「じゃ、ご相伴…。」

ちゅ、ぢゅぢゅ、ひゅじゅっ…。

 陶酔の声に勧められるまま、愁一郎は智秋の形良い唇から混ざり合った唾液を口移しされ、欲張るようにすすった。額が広いうえに化粧が少ないため、実年齢よりも幼く見える智秋の唇をすすっているのが薄目で見えると…危険なほどの情欲に身体が熱くなってくる。なにかの禁忌を犯しているようにも感じられた。

 智秋の搾りたての唾液は甘く、飲み干せばその興奮に油を注がれたかのようになり、胸元から背中からがじっとりと汗ばんでしまう。精製したてのフェロモンがたっぷりと含有されているためだ。最愛の妻のものとはまた別の角度から愛欲を掻き立ててくる不思議な味。幾分とろみが増しているところからも、智秋が今強烈に発情していることが窺える。

 愁一郎が智秋の肩をそっと押すと、彼女は逆らうでもなくベッドに横倒しになった。愁一郎はシャツを脱ぎ捨て、タンクトップのみの上体になってから同様に倒れ込み、左腕で智秋に腕枕しながらなおもキスを続ける。

 お互いサカリのついた獣よろしく、荒々しい息づかいを隠そうともしない。無我夢中で舌を絡め、出し入れするために二人の口の周りは唾液ですっかりベトベトであった。

 もう互いが…愛しくてならない…。

 それぞれの頬に…

 それぞれの額に…

 それぞれのあごに…

 それぞれの首筋にキスを撃ちまくる。代わる代わる首を巡らせ、好きなところへ好きなだけ唇を押し当てて…そしてまた唾液を補給するように唇どうしが吸い付き合う。これ以上ないというほどの、愛情表現の百花繚乱であった。

 唇での戯れを重ねながら、いつしか愁一郎の右手は智秋の左胸をすっぽりと包み込んでいた。シャツとブラごしではあるが、女性の柔らかさをしっかりと感じることができる。

 学生時代にもそれなりのボリュームがあるな、とは思っていたのだが…女性としての円熟味を深めつつある年齢にさしかかり、智秋の乳房はいよいよもって食べ頃といった様子であった。いっぱいに広げた指で、もにゅ、もにゅ、と揉んでみる。

「いいか…?」

「んっ、はあ…なんかね、くすぐったい感じ…でも悪くない、いいよ、すごくいい…」

「そうじゃなくってな…触っていいかって…」

「あ、やだ…あたし…ね、ねえ?あたしの胸、どうかなぁ?」

「…なかなか大っきい。それに、なんともいえない弾力…重そう…。」

 羞恥で泣き出しそうに言うと、智秋は愁一郎の胸の中に擦り寄ってきた。背中にまわした左手に力を込めつつ、愛撫のお礼のつもりか胸板にゆっくり頬摺りする。ヘアバンドに上げ残された前髪が愁一郎の顔の下で小さく流れると、甘やかなシャンプーの匂いが鼻孔でほのかにたゆたった。

 愁一郎はそんな智秋の頭を左手で抱え込み、愛しさを込めて撫でてやる。学生時代と同じ、長くて艶やかな髪。そして思ったより小さな頭。

 最愛の妻とは違う女性でありながら、かつては一度ならず強い憧れを抱いた女性を抱いているのかと思うと…後ろめたさを感じながらも、心の片隅では歓喜の鐘が高らかに鳴り響いてくる。あまつさえ幸福感すら覚え始め、瞳に慈しみの色が漂ってきた。

 智秋は乳房を揉まれるのに合わせ、はふ、はふ、とふいごのように吐息を漏らしている。優しくかいぐりされていることもあり、すっかり甘えんぼになってしまった。

 愁一郎の愛撫に包み込まれることはなんとも居心地がよく、身体の中心を貫くようにせつない電流が何度も何度も走ってゆく。ヴァギナは特に強くその電流の影響を受け、ショーツに覆われた割れ目ごと鈍く痺れて感じるほどだ。ベッドの端から床へと消えている両脚を…特に膝どうしをすりすりと擦り寄せずにはいられなくなってしまう。

「駒沢…感じてきてんだろ?」

「…ん…ドキドキして…大場くんにこうされてて…ショーツのなか、もう…」

 智秋はまるで催眠術にかけられたようで、問われるままにそう答えた。

 実際、愁一郎に乳房を愛撫されてから十秒も経たないうちに、焦れたヴァギナは艶めかしく震え、くきゅ…と鳴いたのだ。その直後に細い筒の中へ熱が拡がってゆき、堪えるいとまもなくジュン…と漏らしてしまった。

 愛液の漏出は両脚をくねらせずにはいられないほどに多くなり、ジュク、ジュク…と割れ目にそってショーツを濡らしてゆく。その恥ずかしさがより一層興奮を引き出し、そしてまた漏らしてしまい…愛欲の堂々巡りに陥ってしまった。

 智秋が普段手淫にふけるときは、下着や衣服を汚さぬよう下半身を露出してから行う。それもすることを…濡れることを意識しつつするわけだ。

 しかし、自分のものではない愛しい男性の手で愛撫され、想いを込めて名前を呼ばれてしまうとその感じ方はもはや別物であった。濡らすのではなく、濡らされる状況に息が上がってしまう。せつなくうずく裂け目から頭のてっぺんまで、なにもかもがズキズキと感じてしまうのだ。

 直接裂け目に触れられなくとも、その焦れったい感触は強まった。

 気持ちよくて…気持ちよくって…ならないっ…。

「おおばくん、おねがい、ふ、服を…」

ぴた…。

 身体中が熱くてならなくなり、脱がしっこを提案しようと智秋がおねだりしかけたとき…愁一郎の両手から愛撫の手が止まってしまった。

 どうして、と言う風に見上げると、愁一郎は穏やかな微笑を浮かべて起きあがる。倣って起きあがった智秋の頭を左手で抱くと、人の悪い笑みを浮かべて別の提案をしてきた。

「駒沢、一緒にお風呂入ろ?背中、流しっこしようぜ?」

「えっ、そんな…おふろ…?シャワーじゃなくって…?」

「シャワーはもちろんだけど…オレは一緒のお風呂に入りたいのっ!駒沢と混浴!な、いいだろぉ?一緒に入ろうよぉ…。流しっこからシャンプーのかけあいからさぁ、せっかく立派な浴室があるんだからっ!」

 こつん、と額を合わせて駄々をこねるようにねだる愁一郎。そうすることによって興奮のボルテージを高めたいという意識もあったが、なによりまず智秋とじゃれあいたいのである。というよりむしろ、智秋と風呂で遊んでみたいという気持ちが大きいのだ。

 一緒の湯船に浸かっておしゃべりして…まんま銭湯をプールと勘違いしてはしゃぐ子供のように振る舞いたいのである。高校時代、男友達に負けないだけ遊び抜いてきた智秋だからこそ、抱いてしまう想いなのだ。

 智秋としてもそういう事情であれば望むところでもあるのだが…発情した身体で同じ湯船に浸かってしまうと、どんな醜態を晒してしまうか想像がつかない。正気を保っていられるかどうかが不安だったのだ。

 裸を見せてしまうのが恥ずかしい、ということもある。プロポーションには自信があったが、以前付き合っていた男はスタイルについて幾ばくの感想もくれず、ただ抱くだけだったために自信喪失に陥っているのだ。

 それら二つの想いが、愁一郎に嫌われてしまうのでは…幻滅されてしまうのでは…という杞憂を智秋に抱かせてしまう。唇を許しあうほど親交を深め合ったにもかかわらず、躊躇いを払拭することができない。初めての彼氏にふられたことがこんな形で影響を及ぼすとは、憎たらしいほどに意外であった。

「…大場くん、そりゃあ…あたしも一緒に入りたいよ?大場くんとお風呂入れるなんて夢みたいな話…。だけど…だけど、ね…?」

「…別にいいよ?じゃあオレ、駒沢の汗の匂い…忘れられないほどに吸っちゃうから…。石鹸の匂いもいいけど、汗くさいほうが生々しくって燃えるもんな…。」

 智秋が不安げに躊躇いを口にすると、愁一郎は心情を読みとったものかおどけるようにそう言って彼女のわきに鼻面を埋めた。左手で乳房を揉みつつ、すんすん、すんすんっと鼻を鳴らしてみせる。それはそれで智秋を羞恥の泉に投げ込み、ボッと音立てるように彼女を赤面させた。

 じゃれ合っている間にも…ブラの中はそれなりにじっとりしてしまっている。ブラの中のみならず、わきの下なんかは冷たく感じてしまうほど汗ばんでいるのだ。

 鼻先から手の平まで汗の感触を悟られてしまうのかと思うと…居ても立ってもいられなくなってしまう。

「もう…大場くんのヘンタイ!ちょ、だめっ!やめてっ!ああん、恥ずかしいようっ!」

「駒沢、すっげえ汗っぽい…。シャツ、じっとりしてて…濃いフェロモン、出てそうだ…。子供にはかがせられない匂いだぜ…オレでさえも…あ、やば…こんなっ…」

「もうっ!大場くんっ!!ヘンなこと言わないでよおっ!!」

 焦るようにわきから愁一郎を突き放す智秋。少し困惑したような愁一郎は抵抗するでもなく身を離し、どこかそそくさと背を向けてしまう。

 一瞬だけ智秋は見てしまったが…愁一郎のスラックスの前がやけに膨らんでいた。それで彼の不自然なリアクションにも納得がいく。

 恐らく愁一郎は…思わず勃起してしまったのだろう。余裕ありげに見せておきながら、情欲が剥き出しになった己の一部を晒してしまうのは照れくさくもあり、また後ろめたいらしい。人差し指で所在なさげにあごをカリカリする、照れたときに見せるクセがその心情を決定づけているだろう。それは智秋が高校時代から見知っている愁一郎のクセであり、現在でも変わっていないことに少しだけ胸が和む。

「大場くん、お風呂なんかより先に…したくなっちゃったんじゃないの?ふふふっ…!」

「み、見たなぁ…?もう…とにかくお風呂入ろうよ、キレイにしてからの方がいいだろ?脱がしっこするのがイヤなら先に入ってればいい、オレは後から入ってくるから…」

「ボッキしたままじゃカッコワルイもんねーっ?」

「ええい、うるさいっ!入るったら入るっ!決定!デコオンナ、さっさと入れ!風呂に入らないんなら、もうこのまま帰るからなっ!!」

「もう、ムチャクチャなわがまま言ってる…」

ちゅっ…。

 バツが悪くなって叫ぶ愁一郎の頬に、智秋は微笑みかけながら小さく口づけた。照れた表情で見つめてくる愁一郎に軽くデコピンを食わせる。

「大場くん?お風呂はお湯を張らないと入れないんだよ?」

「うっ…」

 よほど一緒に風呂に入りたかったらしい。智秋にそう言われてようやく逸っていた自分に気付いたらしく、愁一郎は言葉を詰まらせて耳まで真っ赤になった。

 ここだけの話、愁一郎はラブホテルという宿泊施設を利用したことがないのだ。

 独身時代に経験し損ねた甘いアバンチュールに思わず胸をときめかせ過ぎてしまった。気の張らない智秋相手ということもあり、子供のようにはしゃぎきっていたのである。

 それでも智秋は気を悪くしたりはしなかった。それどころか積極的に相手してくれようとする姿勢に感謝しているくらいだ。

 一方的で許されるはずもないわがままに、かわいい妻をそっちのけで付き合ってくれる愁一郎が嬉しい。高校時代の親しさで接しているような感覚は、まるで時間があの頃に戻ったようで胸が踊る。はしゃいでいるのは智秋もまた同じなのだ。

 申し訳なさそうにうなだれる愁一郎を見たことで、裸を見せてしまう躊躇いはきれいに霧散してしまった。ゲームを楽しむような気分で大胆さが前に出る。

「いいわ!こうなったらあたし、駒沢智秋と入浴を一緒することを認めましょう!」

「やった、そうこなくっちゃ!ああ…智秋、あの頃もスタイルよかったもんな…ワクワクするよっ!まぁ…みさきほどでもなかったけど。」

「なんだ、ちゃんと見ててくれたんだ…って、最後なんて言った!?」

「いれれっ!!な、なんれもないっ!!」

 手を打って喜んだ愁一郎のさりげないつぶやきを聞き逃すことなく、智秋は迫力を秘めた笑顔を浮かべ、両手で彼の頬をつねった。指先にはそれ相応の力が込められているらしく、愁一郎はかぶりを振って智秋から逃れる。

「あたし、お湯張ってくるね。」

「ん…」

ちゅっ…

 立ち上がった智秋は腰掛けたままの愁一郎にそう言うと、お辞儀するように頭を下げてキスした。浴槽に湯を張って戻ってくるまでの、ほんの数十秒の別れであるが…それだけの時間でも愛撫の余韻は残しておきたかったのだ。

 今夜だけは、妻でもある親友を忘れてほしい。

 そして、付き合っていた男を忘れさせてほしい。

 そのための愛撫なら智秋は惜しむつもりがなかったし、拒むつもりもなかった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

■→次回へ

 

 

 (update 99/04/01)