雑記林花或木
[1998/11]
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(1998/11/29)インターネット?

 インターネットは便利なのか、とかいう話題をテレビでやっていた。そりゃあ便利だわな、ないよりは。とはいうものの、なくても普通に暮らしてゆける世の中だから説得力に欠けるかもしれないが。どのように便利に使ったかと考えると、好きな分野の情報を検索できる、最新情報をゲットして、すぐさま店に走る。美味しいグルメも探せるし、ホテルの予約もできるし、普通ではなかなか見られない画像や映像も見ることができる。しかしそんなことは工夫しだいでネットに繋がなくても可能なことだ。高い金を払ってパソコンや端末を買ったりしてまでやる必要性はないとも言える。おそらく一生ネットに繋がなくても平穏に暮らしていけるだろう。それはそれでいい。

 私がネットに繋いで役に立っていることは何と言ってもコミュニケーションだ。たくさん友達も増えた。同じことに興味を持っている人達と知り合うきっかけにもなる。もともとパソコンを使っていて、インターネットに入ってきたので、パソコンは実用プラス趣味だった。繋いでいる人のほとんどはパソコンを使っているので、そういう人達とパソコンの話をできるだけでも嬉しいではないか。みんな、ひとのホームページを見るのが趣味なので、会ってそんな話をするのは楽しいではないか。実際に金を稼いで役立てている人もいるが、コミュニケーションは心の財産だ。それだけでもインターネットは充分に役に立っていると思う。ネットはメンタルクリニック。くれぐれも体調を崩すほど没頭しないように。さわやかな精神はズタズタの肉体に宿る・・・なんてことはない。

(1998/11/27)札幌4〜缶詰

 札幌のみやげ物屋に熊とえぞ鹿とトドの缶詰が売っていた。見るからに面白そうなのでつい買ってしまった。旨いかどうだかわからないので今回は味見のために自分の分しか買わなかった。ひとつ700円くらいで80〜90g入りだ。中味は写真のとおりどれも似通っている。3つともタケノコが入った大和煮なので味付けも一緒だ。味付けは悪くないが中味の半分以上がタケノコであった(¨;熊がいちばんタケノコ指数が高くて肉が少ない。熊は歯ごたえがあるが煮しめてあるので柔らかい豚肉風だった。えぞ鹿は歯ごたえがなくマグロみたいな感じだった。トドはクジラみたいな感じだがクジラの方が旨い。むりやり感想を書いてみたが、本当のところ、どれも同じような味だった。おみやげとして買うなら、めずらしさという点で、トドがお薦め鴨新米。でもまあどうでもいいや(;^_^A 白い恋人のほうが断然美味しい・・・

(1998/11/23)札幌3〜テイクオフ

 今回もリブレットを持参してホテルからカードモデムで接続を試みたが、ベッコアメ札幌APもテレホタイムはビジーの嵐でNG.朝ならOKなのだが。しかたないので夜はPHSで接続した。ベッコアメは札幌にもPIAFSのAPがある、こちらは一発でOKだった。

 祭りの後のすきま風を胸に薄曇りの街を歩く。今日は帰る日だ。チェックアウトして、忘れないうちに観光名所の時計台を見に行った。ずっと改修工事をしていたようだが、幸い10月1日から前面オープンしていた。旧札幌農学校の演武場だったという木造の白い建物がビルの谷間に佇んでいる。まるで教会のようだ。やっぱり絵になる風景だ。館内は資料館になっていて、時計台を織り込んだ昔の歌が、古い蓄音機のような雑音を交えて流れてきて郷愁を誘う。

 味の時計台というラーメン屋が近くにある。観光客がたくさん訪れる店らしいが、らめ元博士の推薦店舗一覧には入ってない。しかしまあせっかくだから入ってみた。市内にチェーン店が9店あるようだ。混んではいなかった。塩ラーメンを食べた。「村山首相来店」村山元首相が麺をすすってる大きな写真が店頭に飾ってある。なんか逆効果な気がするけど・・・

 ふと目に止まったドトールの看板に吸い寄せられるように一腹。

 二条市場は蟹やウニやあれやこれやの海産物を売る店が寄り集まっている一角で、アメ横みたいな風情だ。歩いているとビシバシ声をかけられる。ふたりずれの客が奥に入って行こうとすると、とば口にある店のオバハンが「ちょっとお兄さん、ちょっとちょっと」と呼び止めた。客は振り向きもせず奥へと進む。オバハンは「お兄さん、ちょっと待ってよ、ねえ、お兄さん」と奥まで追いかけていった。そこまでするかオバハン・・・

 次はラーメン横丁。ここは十数軒のラーメン屋が軒を連ねている路地だ。新宿大ガード近くの通称ションベン横丁みたいな感じだが、全部ラーメン屋である。「ひぐま」という店の前には行列ができていた。他の店には行列はない。客の入っている店もあるが、ひとりも入ってない店もある。気の毒だ。とはいえそこに入る勇気はない。

 最後にプチュプチュとイクラ丼を食べて帰途帰路についた。

(1998/11/22)札幌2〜超宏美オフ会

 寝不足のはずなのに、8時にセットしたモーニングコールより1時間も早く目覚めてしまった。熱い胸騒ぎ、ふと窓の外を見るとぎょぎょぎょぎょぎょぉ〜しこたま雪が降り続いている(¨; もう道路上も真っ白だ。これはえらいこっちゃ。怖じ気づいてしまった。今日こそ寒いんだろうなあ・・・どうしようどうしよう。とりあえずホテルの朝食を食べて一服したが、ずっとホテルにいるわけにもいかない、もったいない。とりあえず動き出した。外に出て少し歩いただけでNIKEの布スニーカーに雪がまとわりついた。染み込むのも時間の問題だ。えーい靴を買っちまえ、滑りにくく濡れにくいブーツを買って履き替えて出陣。

 北海道立近代美術館を訪れた。降り続く雪に埋もれて白い小奇麗な建物がひとけのない静寂の中に佇んでいた。周辺にはいくつかの立体オブジェが風任せの律動を続けている。赤や緑に塗られた部品が白い空間にアクセントを付けて、そこが死んだ空間ではないことを主張しているかのようだ。静かな館内でほっと一息ついた後、外に出ると雪は止んでいた。

 大通り公園に戻り積もった雪の中をうろついた。買った靴の調子は上々。もう空は晴れ渡っている。なんという天気の変わりようか。とりあえずお約束の高い所に登る。さっぽろテレビ塔。なんとなく東京タワーと似たような形状をしている。90メートルの展望台からは札幌市の広さがよくわかる。滑走路のようなまっすぐな道路が印象的だった。

 琴似の駅で待ち合わせ、メンツは昨日のらめ、ぐうた、D。らめのお勧めのラーメン屋ツアーその2・・・「山桜桃」と書いて「ゆすら」と読む。さすがに普通では読めないのか、暖簾にふりがなが振ってある。雪の後の割にそれほど寒くないとはいえ、外の日陰で待つこと30分、そろそろ冷えてきた頃に店内に行列してさらに20分、50分待ちの末、とんこつラーメンを食べた。待った甲斐のある味だ。旨い。柔らかい肉も旨い。

 待ち合わせの場所に向かうと、忽然と宏美さんが登場、おおすごい、ホントの宏美さんだ。動いている。そこに名古屋からおじちゃまが登場、念願の元超ビギナー宏美の毎日が漫談オフ会が始まる。

 1次会は喫茶店で積もる話、2次会は蟹を食べながら積もる話、3次会は居酒屋ライオンで積もる話、4次会はありゃま昨日と同じつぼ八で積もる話、あっという間に11時になりおひらき。アイスバーンと化した歩道をすべりそうになりながら移動するのが大変だった。さすがのジモティー宏美でも滑る時は滑る。靴のせいだと言っていたが、真相は迷宮入りだ。幸い誰もころばなかったのでよしとしよう。

 宏美さんに札幌名物チョコ白い恋人をもらってしまった(^o^) 宏美さんはまるで名物白い恋人のような人だった。けっして名物毛蟹のような人ではない。

(1998/11/21)札幌1〜Dオフ会

 いつもより早起きして開通したばかりの京急羽田空港線でJALに乗り込む。初めての国内線だ。羽田から飛び立つのは新鮮である。雪化粧をした街並み山並みを見ながら寝ていると、あっというまに北海道に到着。千歳空港からはJR快速で札幌まで30数分。なんとJR札幌駅では今日から自動改札になったらしく、とまどう人もいて、駅員がプラカードを掲げて説明に回っていた。はじめから厚着してきたのであちいのなんのって。朝から何も食べてないので、とりあえず札幌駅で揚げホタテのチャイニーズボールというどんぶり飯を食べた。外はいい天気だ。厚着のせいで体は寒くないが、耳が痛い、いや、聞きたくないという意味ではなく、むき出しの耳がちょっと痛い、いや、だから、文字どおり耳だけちょっと寒いのだ。それでも思っていたよりずっと暖かいので拍子抜けしてしまった。数日前に降った雪がところどころ残っていて歩きにくい時もあるが、靴がぐっちょぐっちょになるようなことはない。

 チェックインまでの合間に北大を散歩した。芝生の上にはまだらに雪が残っている。広大なキャンパスにポツリポツリと人の影、土曜日ということもあってやたら閑散としている。学生と苦楽を共にしたクラーク博士の胸像があった。全身像は羊ケ丘展望台というところに行かないと見られない。こりゃ見に行けない鴨新米。

 早々とお土産も買っちゃってチェックインした後、らめ、ぐうたと待ち合わせて、らめ一押しの純連にラーメンを食べに行くツアー。こってりした味噌味、何度かお土産にもらっていたが、やはり店で食べるのが一番だ。汁にそこはかとなく苦みがあって独得の味だった。

 その後、らめの別荘拝見ツアー。足の踏み場も無いおどろおどろしい魔窟を想像していたが、床に食べかけの麺がひからびて落ちていたり、牛乳が腐ってチーズになっていたり、牛肉が腐って納豆になっていたりという怪現象は見られなかった。意外にきれいなマンションで部屋もきれいでこざっぱりしたワンルームだった。それで家賃三万円というのだから驚きもごま塩だ。

 夜になり大通り公園のライトアップイルミネーションが美しく街を彩る頃、Dさんと待ち合わせて合流、初対面である。それも北の街で・・・関東の人なのに。いきなりカラーサングラスと豹柄のカウボーイハットで登場。何かと思えばhideファッションらしい。カナリはまっているようだ。Dさんのチェックインを待って再合流ということになったが、合流時間に携帯鳴らしてきた。ホテルが見つからないらしい。なんとこの薄ら寒くて歩きづらい夜道を30分もうろつきまわっていたらしい。こっちで地図を見ながら携帯ナビゲーションをして無事発見。居酒屋にて超オフ会の前夜祭オフ会の始まりだ。

(1998/11/17)まちがい電話留守録パート2

 あのぉ、みずきですけどぉ、あとではるかちゃんにお話があるのでぇ、帰ってきてからぁわたしの電話番号を押して下さい、ちゃんちゃん

 いろいろと想像してしまうこの前の留守録はおっちゃんだったけど、今回の留守録は女の子だった。小学3年くらいかな、ちゃんちゃん言うとるでぇ。ちゃんちゃん。みずきちゃんちの締めの言葉だね、きっと。おとうさんもおかあさんも言いたいこと言った後に、ちゃんちゃんと言う家系なのだな。そういう家系の子供を、ちゃんちゃん子と言うのは皆さんご存知の通り。「番号を押して下さい」ってとこが現代っこだね。10数年前だったら「番号を回して下さい」が一般的で「番号を押す」家庭はごく限られていただろうし、もっともっと前だったら「押してどないすんねん、どあほ!!」とののしられたことだろう。ちなみにうちの実家では未だに黒電話を回しているんだけど。みずきちゃんはきっとお友達のはるかちゃんからの電話を首を長くして待っているんだろうなあ。なんのお話があるんだろうなあ、お金のことかなあ、男のことかなあ、ちがうなあ、ポケモンカードのことだ、きっとそうだ、きっと・・・貸した消しゴムのことかな?

 そやそや、忘れとった。→ ところで、みずきちゃん、あんたどこのみずきちゃん?

(1998/11/15)どすこいちゃんこオフ会

 昨晩は渋谷のちゃんこ屋「志和」で、どすこいちゃんこオフ会をやった。参加者はどすこい、ゆりりん、もと、化け掘、加ト吉、ぐうた、けんたお、らめ、俺。どすこいさんが西日本からはるばるこのためだけに上京してきたので、ドスコイといえばちゃんこ鍋でしょう、とただそれだけの理由でちゃんこ鍋屋で開催した。ちゃんこ屋でなら「それでね、どすこいさん・・・」とか喋っても違和感ないだろうと思ったが、かえって照れてしまっている風情のらめであった。化け堀さんはもっと遠いところから用事のついでに参加してくれて、怪しげな薬物談義に鼻が裂いた。遅れてきたゆりりんは遅れてるというのに化粧品売り場をハシゴしてきたらしい。それもものすごく急いで買物をしたので化粧品売り場のアドバイザーもタジタジだったとか。そして風のように去って行く・・・いつものことである。そして宴も押し詰まった頃けんたおが現れた。これもいつものことである。2次会はカラオケで古い歌を歌ったりなんかして11時ころにお開きになった。どすこいさんと化け掘さんは(別々の)ホテルに帰っていった。

 今日になってPHSに留守録が入っていた。「どすこいです、いま、桂花で太肉麺を食べてきました」ご報告まいどありぃ

(1998/11/09)宏美外道

 こんどは宏美さんちの40000外道の景品が届いた。石田ひかりのテレカだ。どっちかというと石田ゆり子のほうが好きだけど
まあそれはこっちに \(^^\) (/^^)/ 置いといて。黄色い火の用心袋、なんて言っても写真がないから何のことやらわからんじゃろうけど小さな袋の中に何やら固い物が入っている。出してみたら時計だった。50円玉くらいの小さな時計だ。とは言え宏美さんが外道の記念に買ってくれたわけではない。白い文字盤にMERRY RAKERと書いてある。ピンクのソファに猫がいて、その横で女の子が本を読んでいる絵である。ベルトは無い。宏美さんが押し入れの掃除をしていたらポロリと飛び出した。20年ほど前に使っていた時計だという。竜頭を巻いてみたら動き出した。20年の眠りから覚めて、この世紀末に再び時を刻み始めた。これは宏美さんが歩んできた時間の続きなのかな。しかしそこには20年の隔たりがある。やはりこれは新たな時間なのだろう。若き日の想い出は20年前にこの時計と一緒に止まり、宏美さんの心の中の記憶として残っているのだ。「この時計をしていたころの宏美さんに会いたかったなあ」とメールしたら「ほう、今の私では不満か」と返事が来た。
まあその話もこっちに ヽ(^_^;))((^!^;)ノ 置いといて・・・

(1998/11/03)紅虎餃子房

 という怪しげな名前の渋谷の餃子屋に行った。109の8階にある。細長い春巻きみたいな焼き餃子が美味しかった。辛いラーメンみたいなのも美味しかったが辛いのが変な所に入って咳き込んでしまった。ことこと、JT、らめとひとしきり食べた後、ちかが来た。んでまた餃子。旨いけどすぐ腹一杯になってしまった。らめが真面目な顔で「レニレニくらげピリ辛あえって何だろう?」と聞くのでメニューを眺めたら「しこしこくらげピリ辛あえ」だった。レニレニってなんじゃい!!雨降りクラゲか。ふと外を見ると行列ができている。結構人気のありそうな店だった。その後喫茶店でちゃかぽこしていたが、JTがカラオケ行こうと言うので、ちょっと行った。帰りの特急券買ってきたことことに合わせて1時間のハイスピードカラオケをして早めに解散。明日は仕事だし。と思っていたら、山手線で人身事故があったらしく、急いで帰ったはずのことことはえらい目にあったらしい。と言っても轢かれたわけではないので安心安心・・・

(1998/11/01)電子樹木おしまい

 電子樹木を終わりにした。けっこうかっこいいクリスタルツリーだった。2か月ほどの付き合いだったが、もうこれっきりにしよう。成長し終わってこれ以上大きくはならない。もうあれこれ世話を焼いてあげなくても樹木は元気に生きて行けるだろう。独り立ちさせたのだ。1日会いに行かないと、昨日は来てくれなかった、と言う。10日も会いに行かないと蝿が飛んで腐って見るも無残な姿になってしまう。そういう状態の木がたまにある。見ると悲しくなる。その後は樹木のお墓に行ってしまう。そんな姿にさせるよりは自ら削除したほうがいいかなと思った。削除したなら死んだことにはならない。樹木の元気な姿はここにとってある。樹木は生き方を変えたのだ。非公開になった青空の下でトンボと戯れながらひっそりニコニコ生きている。

 電子樹木のソフトは重かった。というよりサーバが重かった。自分やひとの木の世話をしながら巡回しているとものすごく時間がかかる。最近では自分の樹木に会いに行って、ワンクリック(5点プラス)して、置き手紙を呼んで、最新の手紙のひとの木に会いに行って、ワンクリック(5点プラス)して、置き手紙を書いて、終了、という5分コースで過ごしていた。こうなってくると単に腐らせないためのルーチンワークみたいになってしまい、しょうもなくなってしまったのだ。半月前から、そろそろかな、と思っていた。同じ頃に始めてとっくに削除してしまった人もいるし、毎日せっせとお世話している人もいる。ひとそれぞれの生き方があるように、木にもそれぞれの生き方がある、ってとこかな。

 味の民芸の天ざるうどんを食べようと思って、クルマのエンジンをかけたら、カタカタ音がするだけどかからない。うわ、あんまり乗らないもんだからバッテリーが上がってしまった(;´o`)ひとのクルマのバッテリーを充電してやったことはあるが、自分のクルマのバッテリーが上がったのは初めてだ。しかたないのでJAFを呼んでしまった。JAFを呼んだのも2回めだ。1回めはずいぶん前の雪の日にサイドブレーキかけちゃったもんで、タイヤのリムにブレーキパッドが癒着しちゃって動かなくなった時だった。JAFに充電してもらって「バッテリー交換したほうがいいですよ」と言われて、はいはいとオートバックスでいさぎよく交換した。20000円。痛い出費だ。しかたがないので当初の計画どおり、味の民芸で天ざる特盛うどんを食べた。


CREATE:11/01/1998 by Kiyoharu Otake

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