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エクスペリエンスで考える
恋愛ゲームNextage 第12回

0.概要

 2008年までに高速ネットワークとP2Pテクノロジの発展により、ビデオゲームを初めとするパッケージ販売形態のデジタルコンテンツの「価値」は危機的状況に追い込まれる(可能性指数=0.5)。大規模コンテンツベンダではデジタルコピーを前提としたネットワーク認証技術の導入によるビデオゲームの「サービス化」が進行し(可能性指数=0.4)、一方で、認証基盤の構築が容易でない小規模の恋愛系ビデオゲームでは、キャラクタを軸とした「モノ」と「サービス」中心のマーケットと変質する(可能性指数=0.6)。そういった時代にあってメーカは今、送り手主導の「コンテンツ」の発想から、受け手中心の「エクスペリエンス」の発想への転換が求められている。

2002/12/21初版

1.デジタルコンテンツの崩壊

 高速インターネット接続環境がコモディティ化する中で、1999年に登場したNapsterのP2Pテクノロジはまさにパンドラの箱を開けてしまった。デジタルコンテンツはその性質上複製時に劣化が発生しない上に複製コストが極めて低いが、Napsterは更にそれを容易にインターネット上で「コミュニティ」に共有することを可能にしたのだ。Napsterはビジネス化を計画している途中で法律によって死んだが、それに続く2000年のGnutella(ピュア型)、2001年のWinMX(ハイブリッド型)、2002年のWinny(放流型)は、この新しく生まれたインターネット上の「P2Pコミュニティ」を更に「便利」に「安全」にした。

 これに慌てた既得権益層は、コピーコントロールのような技術面と、法律面から何とかコントロール力を維持しようとしているが、必ずしも上手く行っているとは言えない。コピーコントロールは正規ユーザに不便を与えるばかりで不正な利用をほとんど防げていないし、極めて複製コストの低いデジタルコンテンツを想定できていない既存の著作権法にはもうガタが来ている。Microsoftが究極のDRM(Digital Rights Management=デジタル著作権管理)技術としてハードウェアとOSレベルで連携するPalladium計画を打ち出しているが、恐らくプライバシ保護の観点から強力な反対にあって骨抜きになるだろう。

 その一方で、ネットワークの低コスト化と高速化、コンピューティング環境の高速化と大容量化は留まるところを知らず、P2Pテクノロジにしても同様でデジタル「共有」の敷居は下がるばかりである。これによって、技術面と法律面の双方から決定的な解決策が出ない限り、2008年までにビデオゲームを初めとするパッケージ販売形態のデジタルコンテンツの「価値」は危機的状況に追い込まれる可能性がある(可能性指数=0.5)。

2.サービスとしてのビデオゲーム

 パッケージ販売形態のデジタルコンテンツは、パッケージ生産コストが安価であるため、開発時に大きな投資をする時点にリスクがあるが、一旦投資を回収してしまえば後は売れば売るほど儲かる、というビジネスモデルである。しかし最大の「複製者」である生産者にとって生産(=複製)コストが安いということは、現在のデジタルコンテンツがそうであるように同様に一般の消費者が低コストで複製可能になった瞬間に生産者も消費者もなくなる。すなわち、このモデルが崩壊するということである。

 これを防ぐには1つには先に挙げたように技術面や法律面から複製コストを可能な限り上げることだが、いたちごっこになることは目に見えており、本質的な解決策とは考えにくい。何より品質を保ちつつ安価に複製ができるというデジタルコンテンツ本来の魅力を損なってしまう。むしろ複製を前提とした課金の仕組みを構築する方が健全だろう。具体的には森亮一が1983年に提唱した、コンテンツの「購入」ではなくコンテンツ「利用」に対して課金しようという「超流通」がある。細かい説明はGoogle等で検索すればいくらでも情報が得られるので省くが、常時接続ネットワークが普及した今、この考え方はより現実味を帯びて来ていると言える(実際にセガが2002/09/17に実験的に? 始めている。成功しているとは言い難いが…)。

 「超流通」とは異なるが、ネットワーク接続を前提としてインストール時にオンラインでアクティベート(有効化)したり、起動時にネットワーク経由で認証したりするという意味では、初回に登録するWindowsXPやOfficeXPを初めとする最近の高額ビジネスソフトウェアですでに一般的に使われているようになってきており、ネットワークゲームに限らずオンラインでアクティベートするという手法は近いうちに大規模ベンダのビデオゲームにも採用されていくと思われる(可能性指数=0.4)。いずれにしても、ベンダ側ではネットワーク上にソフトウェアをアクティベートしたり課金したりするサーバが必要であり、パッケージ売り切り型のビジネスからは外れることになるが、逆にこのサーバのサービスを停止すればユーザはソフトウェアを利用することができないため、ベンダはユーザのソフトウェア利用を完全にコントロールできるようになる(例えば、オンラインゲームのように、セーブデータをサーバに置く、ということが考えられる。その代わりとしてユーザはどこからでも同じセーブデータで遊べるようになる)。ビデオゲームはもはや購入する「コンテンツ」 ではなく利用する「サービス」となるのである。

 「サービス」としてのビデオゲームに馴染めないだろうか? そうは思わない。映画を観ても、映画のフィルムを所有したい、とはまず思わない。テーマパークで遊んでも、アトラクションを所有したいとは思わない、それと同じことである(後述する「エクスペリエンス」の観点からは「コンテクスト」依存性の高低が違うため本当は同じではないのだが)。「利用」について「サービス」として課金できれば中古問題や不正利用を防げるため、代わりに利用料金を下げることも可能になる。

3.エクスペリエンスの多様性

 とはいえ、ネットワーク認証技術は、認証サーバや問い合わせ対応のコールセンタを抱える必要がある分、大規模なベンダでないと構築・運用が容易ではない。パッケージ売り逃げの恋愛系ビデオゲームに適用するのは当面難しいと考えられる。そんな中でどうやって利益を守っていけば良いのだろうか。

 前段にあるように、既得権益層は何とか既存の「価値」の崩壊を防ごうとしている訳だが、著作者に適切な対価が支払われるべき、という点では納得できても、コピーコントロールに見られるように余りにもユーザが不在の対応ばかりのように感じられてきた。「コンテンツ」の送り手であるというもはや古臭い権益にしがみついているのである。しかし「コンテンツ」はもはや利益を生み出す源泉という点では危機に瀕している。私は、むしろこういう時期だからこそユーザの側に立った「エクスペリエンス」からの発想を提案したい。

 通常、「エクスペリエンス」と言った時は「コンテンツ」+「コンテクスト」と考えることができる。「コンテクスト」とは何か。「What」である「コンテンツ」以外の4W1H、すなわち「Where」「When」「Who」「Why」「How」である。分かりやすい例で言うと、ここに全く同じ料理があって、それを食べるとする。その時「店の雰囲気」が良ければくつろいで食事を取る事ができる。「お腹がすいて」いれば よりおいしく感じる。「気の合うパートナと一緒」であれば楽しく食べられる。「店員の笑顔が気持ちよければ」こちらも気分が良くなる。ただ料理が上手ければいいというものではない。全く同じ「コンテンツ」(ここでは同じ味の料理)でも、人が経験する「エクスペリエンス」は全く変わってくることが分かる。「コンテンツ」の価値は属物的で交換可能だが、個人の体験に根ざした「エクスペリエンス」は属人的で交換が不可能であり、複製に強い。これが「エクスペリエンス」からの発想である。

 しかし、デジタルコンテンツ、特に恋愛系ビデオゲームというものは、概して「コンテクスト」が貧弱である。どこで、いつ、誰と、なぜ、どのように遊ぶか、と言えば大抵は夜、1人で部屋に閉じこもって遊ぶのである。「なぜ」「どのように」に至ってはもう言いたくもなくなってくるところである。パーティゲームにしてみる、恋人としっとりと楽しむ恋愛系ビデオゲームを…というアイディアもなくはないだろうが、ここではいっそのこと逆に「コンテクスト」から解放されて楽しむことができる「コンテンツ」である、という考え方もあろう。

 そこで、別の観点からの「エクスペリエンス」を考えてみる。

i)カネを使う対象
 既成の社会的な価値観にコミットしない恋愛系ビデオゲームユーザは、「一般的」なマーケットには興味対象が少なくカネを使う対象が限られている。その点では恋愛系ビデオゲームという「コンテンツを購入する行為自体」が「エクスペリエンス」となり得る。プレイするかしないかは気分次第。いわゆる「積みゲー」というヤツだ。この場合、内容はさておいて、ともかく購入行動自体の「エクスペリエンス」を高めるようにプロモーションに力を入れ、購買意欲を煽ることになる。パッケージの工夫。初回限定特典も逆説的だが購入者の「エクスペリエンス」は向上する。「買うまでが楽しい」のである。

ii)キャラクタビジネスの「弾」
 ビデオゲームは膨大な開発工数がかかるが、労力がまるで違う抱き枕カバーがゲーム以上の値段で売れる(これは枚数によって1枚あたり原価がまるで変わるのでそれなりにリスキーだが)。開発者にとっては全く馬鹿馬鹿しいだろうが、しかしユーザにとってみれば開発にかかったコストはどうでも良く、期待される「エクスペリエンス」に対して対価を払うからだ。とすればほとんど労力がかからない物販は大いに利用したい。ビデオゲームはキャラクタビジネスを牽引する単なる「弾」と割り切って考えることができる。ひとたびゲームがヒットしたら、そのキャラクタはしゃぶり尽すべきだ。

iii)イベント・Webサービス/Webラジオ
 即売会や合同イベントへの参加、プライベートイベントの開催は今後拡大できる現実的な収入源として期待できるところである。「地方」ユーザ無視ではないか、という話はあるだろうが、それこそがそもそも全国一律なゲーム販売ではできない「Where」を意識したマーケティングであり、活動として間違っていない。一方で、「Where」を意識しないという点ではWebサービスやWebラジオ(ストリーミングサービス)はまだ収入源にはなっていないものの、やり方によっては期待できるのではないだろうか。

iv)クリエイタ個人のパトロンメディア
 現状ではあるクリエイタの応援のつもりでビデオゲームを購入しても、流通で中間マージンがどれだけ搾取されているのか、そして本人にどれだけの報酬が支払われているのか購入者は全く分からない。「誰に対して対価を払う」かをユーザが明示的に選択できると、特定のクリエイタのパトロンとして支えているという満足感、すなわち「エクスペリエンス」がぐっと向上する。ビデオゲームの開発には複数のクリエイタが絡むので、例えばユーザ登録葉書に200円分の「パトロンチケット」をつけ、ユーザが特定のクリエイタにゲームの利益の購入代金の一部を対価として渡せることをメーカが約束するのはどうか。人気原画家やシナリオライタ、音楽屋が中心になるだろうが、仮に2万本分の「パトロンチケット」があるクリエイタに行けば400万円。安月給が想像されるクリエイタへの報酬としてはまずまず悪くない(それでも同人の方が儲かるのではないかという話はあるが)。

v)より「リアル」なサービス
 先のユニバーサル恋愛体験プライベートデーティングサービスはあらゆる風刺を含むタチの悪いジョークだが、既存の風俗産業が恋愛系ビデオゲームユーザを余り取り込めていないという認識はあながち間違っていないと考えている。「コンテンツ」から一旦離れた、何らかの形でのより「リアル」な擬似恋愛サービスは新たな需要を喚起するのではないだろうか。

 i)〜iii)は単なる現状追認のようだが、あくまでもユーザが体験する「エクスペリエンス」の質を向上するという観点から行うことで、デジタルコピーの脅威を分散することが可能である。「コンテンツ」であるビデオゲーム本体がデジタルコピーのリスクに晒され売上の頭打ちが見えている以上、恋愛系ビデオゲーム市場は、キャラクタを軸とした(アナログな)「モノ」と「サービス」中心のマーケットに変質していくことが予想される(可能性指数=0.6)。

 しばしば聞かれるように、うちはあくまで「ゲーム」の内容で勝負する、というのはカッコいいと言えばカッコいいのだが、コピーフリーな時代にあってビジネスとしては苦しい方向に向かうことが避けられないと考えている。成熟期を迎えた恋愛系ビデオゲームに携わっているメーカは、より柔軟なエッジアダルトエンタテイメント企業として、一歩進んだビジネスへの転換が求められているとは言えないだろうか。「コンテンツ」屋という既存の枠に囚われず、是非創造力を大いに発揮して思いもよらない新しい「エクスペリエンス」を提供して頂きたい。


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