■1971 /inTopicNo.6) |
少し師匠の話も混ぜつつ・・・。 |
□投稿者/ westgenius 8回-(2005/09/10(Sat) 03:36:13)
■No1967に返信(Saga@玲音さんの記事) 強い酒を飲んでると作曲の師匠を思い出します。 あの人は一言で言うと「変」な人でした。出会ったのはまだ私が10代だったころですが私が作曲の道へ進まなかったのはあの人のせいかもしれません。 良かったのか悪かったのか、結局ピアノ弾きの道に居るわけですが。 出会った時の事は今でも鮮明に覚えています。 とりあえず知識が欲しいということで作曲家になるつもりはなく習いに言ったわけですが・・・。 「君は知識としての作曲に必要なことが欲しいんだろ。ならちゃんとした和声じゃなくて簡易的なやつでいいね。本は僕が買っとこう。」 それから三週間連続でその本を買うのを忘れたらしく結局自分で買った「ちゃんとした」和声の本を使うことになりました。 「いやあ、結果的にはそっちのほうが良かったよ。あははは。」 とかいってました。 最後に取った連絡は「今僕は十年に一度くらいの危機かも。また連絡するね。」 と言ってました、と言うかメールに書いてありました。それ以来連絡は取ってません。 元気かなあ・・・。
> 正直言ってあの日のライブのピアノ(エレピですが)の扱い方は、心あるピアノ弾きの方の眉をひそめさせるものだったかもしれないです。
心あるピアノ弾きではない・・・とは言わないまでも大丈夫だと思いますが。 私は「伝統」という物に関してはかなり懐疑的ですから、というより最初から私には信じるべき伝統が無かったのかもしれません。 クラシックやってる人間の言うことじゃないですがこれについては話し出すと原稿用紙80枚は堅いので今回はやめておきます。
> 縁があったら会えます。
ですね。そのうち機会がれば。 > チック・コリアの「スペイン」かハンガリアンジプシーあたりを持ちネタにして貰えれば、生ギターの32分の壁で迎え撃つのれす。
いつか来るかもしれない日に備えて持ちネタにしておきたいと思います。 ただまあジャズ(というかフュージョン系ですか?後ハンガリアンジプシーは一応バルトークなんかはかなり影響を受けてるようですが。)の奏法はクラシックとはぜんぜん別物ですからね。 その作曲の師匠、一応フリーのピアニストと言う肩書きもあってピアノも教えてたのですが生徒がジャズやりたいと言ったのをきっかけに自分もやり始めてついでにジャズも教え始めたようです。 理由はそのほうが生徒がきてお金も入るからだそうです。 そのとき全然違うと言うことに驚いていました。 よく考えたらあの人自分の曲書いてた偶にやるコンサートで発表する以外にも子供用の劇の音楽やったり前衛芸術の劇の音楽やったりCD出したり節操の無い人だったな。
ただギターで32分の壁で来るわけですか・・・。 言っておきますが私も早弾きはかなり得意ですよ。 ある演奏会で私がショパンのエチュード(練習曲)を弾く機会がありました。 なんか調子に乗ってて速いテンポで弾き始めたら引っ込みがつかなくなって(当たり前ですが)そのままのテンポで運よくミス無く弾けました。 そのとき例の作曲の師匠が 「すごいねーはやかったねー今度その曲でテンポの勝負しない?ミス一つごとに減点したりさ。」 などと言ってましたがそのとき私は「おれがぴあのでししょうにまけるわけないじゃないか。」 と全部ひらがなで考えてたのを覚えてます。なつかしいなあ。
とにかく早弾きは得意なんです。いつか出来るといいですね。楽しそうです。
> ワタシは「一芸でもプロで、なおかつ論理矛盾を自省できる人」と応えたら即時に「それは女性に求めてはいけない」と諭されました。 > > 過去にそういう女(ヒト)が居たのですが、『それは例外中の例外、求めたらダメ』と言われました。 > > どうやら稀有な女に会ってしまったみたいです。
稀有なヒトですね・・・逢った事がありませんから。 と言い切ってしまうのアレですが私のバヤイあまり女性とは深く話し合わないようにする人間で、今までにも 「目が笑ってない。」(自分ではわからんがそうなのか?) 「その行動は君らしくないよ。」(大きなお世話だほっとけ) 「君は私の事好きなわけ?」(お前とはそんな関係になってないし何故突然?ちなみに答えはNOだ) 「きみはMなの?」(違う。むしろSだな。) 「君ってホモなの。」「違う。男に興奮はしないから安心しろ。」 「童顔だよな。」(ほっとけ。気にしてるんだ) 「今日は年上みたい。」(知らん) 「私キミのこと好きだよ。」「またまた冗談ばっかり〜。」「ごめんなさい。」 (って今のそういう雰囲気じゃなかったけどマジだったのか?) などのいろいろなこと、または暴言をいろんな女性に言われてきました。ちなみにカッコ内は心で思ってたことですが早い話が私はそのこの言葉を私に言った彼女たちがそのタイミングでこんな言葉を言ったのかわからないことばかりでした。 早い話が私は女性の心の動きとかには極端に弱いというか鈍いので女性関係についてはあまり深い話は出来ません。 と言うか自分で振っといて何ですが・・・。 ただ友人にかなり女性関係ではゆるいヒトもいるのですが彼はとてもモテますが別にそうなりたいわけでもない。 やっぱりオンナというのは男とは違う生き物だと思っておいたほうがいいかもしれませんから。 わからんもんはわからんのです。 でもそういえば例の師匠は二回結婚式を挙げた、つまり今の奥さんは二人目だそうです。 お世辞にもカッコいいとは言えなくさらに甲斐性なし(「僕はね、奥さんのほうが今は収入は多いね」とか言ってました)なのに割とモテるようです。 こんなことなら授業中(マンツーマン)に脱線して話そうとした女の話と結婚の話聞いとくべきだったなぁ。
にしても「一芸でもプロで、なおかつ論理矛盾を自省できる人」かあ。 確かに理想かもしれませんね。むしろ私は論理矛盾を自省できる人だけでもいいかもしれない。 一応というか自分も一芸を行く人なので少しでも理解をもらえればそれだけでもうれしいと思う。 そういう意味で考えてみると裁判官、または外交官の女性とかならいいかもしれない。 まあじぃえんじぇん接点はなさそうだけど・・・と言うか少し違うか。
> とりあえず「旅ゲー」の第二段をしてみて下さいな。 > > 多分、westgeniusさんなら、ワタシが「楽典の違う音楽を融和させるためにどれだけ悩んで、そして結果を出したか」判っていただけると思います。
楽典の違う音楽を融和させる。ある意味音楽の永遠の課題かもしれませんね。 私の師匠もやってましたが・・・あの人はどこかずれてて・・・まあいいや。 少し真面目な話をします。笑われるかもしれませんが・・・私の考えですので。 ちなみに私は哲学の知識はかな〜りあいまいなので専門家の方は鼻で笑うかもしれませんが・・・。
人が人らしくあるために常に「なにか」が人のそばには在りました。 それは絵であったり彫刻であったりまたただ考える哲学であったりそして「音楽」であったり。 それ「芸術」たちは古代からあったイデア界への憧れであったりまたは究極の一アルケー的なものへの憧れだったのか。 だからニーチェが芸術はギリシャ悲劇が最高でそこから堕落してきたと言う意見、 私は好きじゃありませんがしかし古代から芸術に対する憧れがあったのも事実。 そこから長い年月がたち少しずつ芸術は前に進んでいます。 そして少しずつでも進んでいけばいつかは究極に美しい物、というか美のイデアのような物に到達できるのではないか。 そこへアクセスするためには芸術が必要になるんではないか。 そこに何があるかはわからないし何も無いかもしれない。 でも芸術をやるために非人情を求めると言う人の手で作られながら人の手を超えた物を崇拝する漱石の「草枕」的な思考の根源にはそんなものがあるような気がする 。 やはりこれは最初の一を内面に求めるデカルトの「コギト・エルゴ・スム」的な思想よりは外部、と言うか天界に求めるイデア的なものに近い気もする。 そして事実実際の芸術家にはそういう物を目指してる人が多い気がする。 例えば指揮者のチェリビダッケは「すべての曲には最も美しい究極の演奏がある。」 少し違うかもしれませんがこんな内容のことを言っていたそうです。 彼は指揮者としても有能でその言葉どおり演奏は少しずつでも前に行こうと推敲に推敲を重ねた物です。 でもそれが究極に美しいかと言うと私にはわかりません。 やはり一人の人間に出来ることはあまりにも小さい。 それでも前に進んでるかもわからない道を歩き続けるのは滑稽かもしれないし無様でさえあるかもしれない。 でも人はそれからは離れない。やったと言う事実は残るし運がよければ後の世にも残るかもしれない。 たとえ、いつかは忘れ去られる物でも。
だからその為にはそのままじゃ駄目かも知れない、上手くいかなくても前に進みたい。 そして今までの人がいろんな試みをして上手くいったり上手くいかなかったりしたんでしょうね。 その結果が無調音楽だったりミニマルミュージックだったりその他もろもろ・・・。 どれが上手く行ったかは・・・人によって意見が分かれるでしょう。
でもきっと嵯峨さんなら大丈夫ですよ。もちろん贔屓目(耳?)なしで聞きますが、きっと大丈夫だと思いますよ。
> 実際に曲を作曲するまで部屋の隅で鬱状態で一ヶ月以上考え込みました。
やっぱなりますか、鬱に。 私のピアノの師匠のとても上品な人なんですけど、一緒にコンサートで弾いたことがあるんですが、楽屋でその人は弁当を食べながらこういってました。
「ねえ、もう厭になっちゃうね。一生こんなことして行くんだと思うと。これからもずっと。」
その言葉を聴いたとき私も正直ゲンナリしました。 まあ私も実は人前で弾くのはあまり好きじゃないしその緊張はすざまじい物ですから・・・。 でも職が違うと鬱になるタイミングは違う・・・。 > 曲を聴く人には判ると思いますが、楽典的に理解していただけるのはwestgeniusさんが筆頭だと思います。 > > だからwestgeniusさんには聴いていただきたい。 > > もしその時westgeniusさんがお金が無いならワタシが送っても聴いて頂きたいぐらいなんです。
いやいや、買い被りですよ。 でも楽しみにしてます。楽しみですよ。本当に。 ちゃんとお金はあるんで安心してください。 > ハンガリアン、ルーマニア、フレンチ、オーストリアのジプシーの音楽は言わば「西欧正当クラシックの『裏』」になります。
そう、それで表と言うのはどこにあったか・・・。 それは修道院の中、後は一応街中も影響力があったという点では。 しかし表はやはり千年もの間に閉ざされた世界、 修道院の中で歌われ続けた拍節リズムの無い教会旋法で作られた「グレゴリオ聖歌」にあるわけですよ。 それに拍節リズムが出るまで五百年、そしてさまざまな人の手によって少しずつ変形して行きマショーという人がミサ曲を作りそれから何百年もかけてバッハたちの天才たちの時代へと受け継がれていくわけです。 > 著名なヴァイオリニストがそういうジプシー音楽に淫して来ました。 > > ワタシはそれを継承しつつ日本人でありたいのです。
そうですか・・・。私も偶に思うことですが・・・。でもやはり音楽にも国境はありますからね。 そして別に卑下する必要も無い。 なんかとても深酔いしたせいで普段飲み友達にも話さないことを長々書いちゃいました。 少しシリアスな空気のまま寝たいと思います。 おやすみなさい。
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