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コンピュータの天才が現代のモロー博士となって、一つの田舎街の住人すべてを「ジキル博士とハイド」に変えていく。天才の思惑では住人たちは超人類となるはずだったが、一部は先祖がえりしたように凶暴になり、姿も人狼のようなおぞましい怪物に変わってしまう。このへんはウエルズの懐かしき『モロー博士の島』そのままですな。街全体が化け物の住処になっってしまうのはキングの『呪われた町』だ。新味には欠けるが安心して楽しめるハイテクホラーにはなっている。
魔物と化した住民の追及から、孤絶して逃げ回る3人の登場人物。変身した両親を見てしまった少女。街に犯罪の匂いをかぎ付け調査に訪れたFBI捜査官。無残に殺された姉の死の真相を突き止めにきた女性ジャーナリスト。3人ともお互いの存在を知らず、誰を信じてよいのかさえ分からず、必死で潜み、隠れ、逃亡する。
読者は「神の視点」から彼らを見下ろし「早く出会ってくれ」とハラハラドキドキする。この手の小説の定石ともいえるが、さすがクーンツはベストセラー作家だと思えるのは、彼らの一人一人の描写に工夫があって個性が感じられることだ。
妻を亡くして息子と折り合いの悪いFBI捜査官は、生きる目的を四つも持っている。しかしそれは、ギネスビール、旨いメキシコ料理、ゴールディ・ホーンにいつか会うこと、死の恐怖、の四つなのだから、生きる理由がないのに無理矢理数え上げたと言った方がいい。両親が怪物になってしまった少女はショックを抑え必死で逃げ回るのだが、自分を励ますために、架空の新聞記事の見出しを空想して気をふるいたたせる。「賢明な少女機転を利かせて危地を脱する」というような具合だ。
ちょっとリアリティには欠けるが、登場人物を作者の人形から「人間」に格上げさせるには十分だろう。だからこそ彼らに感情移入もでき、スリルも増すというものだ。
冒頭1章10頁位で進んできた話が、ヤマ場にくると1章2、3頁で急展開して、いやがおうにもサスペンスをもりあげる。 やはりクーンツはうまい。深みはないが、何を読んでも損はしない。(「超訳」本は除く)
最大の悪役であるコンピュータの天才の顔が、私の頭の中ではプーチン大統領になってしまうのにはまいった。
石川淳、永井荷風、幸田露伴、九鬼周造という錚々たるメンバーの全20編の随筆集。最近の「エッセイ」と違って「随筆」は拡張高くなんとなく読みにくい。読みにくくても面白く読めたのももちろんある。
奇想の画家について「若冲・蕭白・春信−奇狂の価値」梅原猛。物見高い江戸人士にパンダどころではない騒ぎを巻き起こした「象の旅」大庭脩。前身は常陸の殿様だという噂もあった謎の非人頭車善七について「非人志願」花田清輝。
編者は江戸学者の田中優子。
20世紀も終わりに近づき、今世紀十大事件などの企画を良く眼にするが、本書は江戸時代約260年を対象にした事件簿。「家康江戸城に入る」に始まって「江戸を東京に改称」で終わる。収録した事件は約60。「由井正雪の反乱」「赤穂浪士切腹」「振袖火事」「安政の大地震」「桜田門外の変」なんてとこは教科書にも載っているな。「若衆歌舞伎の禁止」「女犯60人の破戒僧日道処刑」なんてのは絶対載っていないだろう。こんな本を日本史の副読本にしたら授業も面白いだろうと思うが、先生は大変だ。
それぞれの事件の紹介・解説も通りいっぺんではなく、著者の「史眼」を感じられてなかなか面白い。
著者は大衆芸能や江戸小咄などの著書がある元『思想の科学』の編集長だが、元々紙芝居作家として有名で「黄金バット」の生みの親である。
著者は、あの「フィネガンズウエイク」の訳者。英語にこだわる人は日本語にもうるさい。しかし厳格厳密な感じはしないのは著者の人徳か。いや文体の徳=文徳とでもいうか。ほろ酔い加減の言語談義というのほほんとした文章が読みやすい。広辞苑に立項されているのに他の辞書(大辞林等)収録されていない語、その逆に広辞苑にはなく他で立項目されている語。単に異動を指摘するのではなくその立項傾向から編者の思想を推理(邪推?)する。いや、こういう読み手がいるのでは、辞書の編纂者もうかうかしてはいられない。
読んだのはたしかだが、レビューを書こうと思ったら見当たらない。これだから、読了後早く書かねばいけません。追いつくのはいつのことやら。
クリスティやクィーンやカーでなく、サイコホラーでもハードボイルドでもない英米ミステリーってどんなのがあるのだろう。今回はたまたま、そんなミステリーばかりを続けて読んでしまった。
地味な社会派推理はきらいだけど、舌っ足らずな新本格派もなあ、と思っているミステリ好きには、このあたりの「埋もれた」作品群作者群が狙い目かも。
そういうジャンルでの私の一番のお薦め作家は『七人のおば』や『目撃者を捜せ』(ともに創元推理文庫)のパット・マガーなのだが、今回紹介する作家たちもなかなかの掘り出しものであった。
ただし、「埋もれなかった」作家たちの作品群に比べ、ある種の「華」に欠けるのはたしかだが。
シャーロット・アームストロング、マーガレット・ミラーと並んで「アメリカ女流サスぺンス御三家」と言われたマクロイの1948年の作品。
「以下の文章は、わたしが変死した場合にのみ読まれるものとする」という書き出しの手記ではじまるトリッキーなサスペンス。小説の前半は船上が舞台になり、若きヒロインに死の危険が迫る。消えたり出現したりする十万ドルの札束、存在しない庭師、いわくありげな乗員たち。
恐怖を盛り上げる文章が実にうまい。そして周到に張り巡らせた伏線。物語の謎を解く全ての手がかりは読者に提示されている。密室等のトリックはないが、間違いなく「本格的謎解き」小説である。
ニーリィは70年代に活躍し1983年まで15作品を発表したあと沈黙を守っている「幻の作家」。トリッキーなねじれたプロット、異常性格描写のうまさ、そしてサプライズ・エンディング。
今回読んだ2作品ともにエキセントリックな「ヤな」男が主人公で、扇情的な典型的なブロンド美人と彼女に嫉妬する地味な女性との三角関係の物語である。これだけ感情移入できない登場人物だらけの小説も珍しい。この辺が作品は面白いのに作家は忘れられてしまった原因かもしれない。
どちらの主人公も父親に屈折した感情を持っている。文字どおりのタイトルの「オイディプス」はベトナム帰りの男が憎悪する父親の継母と情を通じ、父を殺して大金を奪取しようともくろむ。計画をうまくいったと思えたが事態は予想外の展開をする・・・・ニーリィ作品としては小手調べと言ったところ。
「心引き裂かれて」はニーリィの最高傑作と言われているミステリーの醍醐味そのもののような、サイコミステリーの元祖。事前知識なしにこの結末を予想できる読者はまずいないでしょう。
こちらは1998年という最近の作品。変わった雰囲気の変わったミステリーである。
舞台はハワイ。男を渡り歩いて生きてきた年増の妖婦ノーラ。その夫ジャックは自らの死を偽装する保険金詐欺をたくらみノーラに持ちかける。ジャックを本当に殺してしまおうと考えたノーラは、年下の愛人である地元のサーファー青年チャドにジャック殺しを相談する。それを予想していたジャックはチャドにノーラを裏切ることを言葉巧みに囁く。ノーラもジャックの思惑を知る。三人の悪人の三すくみの緊張しきった関係を、地元のひとびとはなにか起こらずにいないと息をひそめて見守る。そして結末のドンデン返し。
作者のゴードンの本業は映画脚本家。最近の仕事は『ザ・ハリケーン』。
「ES細胞」は Embryo Stem Cell の略。日本語だと「胚の幹細胞」ということになるけれど、普通の細胞となにが違うのか。
成長した人間の細胞はすでに役割が決まっている。また同じ部位の細胞にも幹細胞とそうでない細胞がある。肝臓の幹細胞が分裂すると自分と同じ幹細胞と実際に働く肝細胞の2つに分かれる。
残念ながら指の先の幹細胞をちょっと切って肝臓に埋めても肝細胞にはならない。しかし、受精卵から分裂して間もない胚の細胞はなんにでも分化する能力を持っている。しかも胚の幹細胞は、一定の条件を満たせば体外で際限なく増やせることがマウスによる実験で証明されている。
となると、まず考えられるのは移植用臓器の量産ですね。また遺伝子操作なんて技術も簡単なようで、何百という受精卵を操作してやっと一つ成功というぐらいの確率らしい。それが何千という単位のES細胞を処理をして成功した細胞だけを取り出して普通の受精卵に融合してやるという方法で、はるかに簡便になるという。
当然、倫理的な問題はあるだろうが、人類の未来を変えかねない技術であることは間違いない。ヒトゲノムはもはやいかに応用するかという時代になりかけているのだろう。
この技術に先行しているのはアメリカのいくつかの民間企業だ。大統領みずからが、ことあるごとに演説でバイオテクロノロジーの未来について言及してあと押しをしている。
どこやらの、イットだかアイテーだかで産業が生まれその代表は例えばチャクメロだ、なんて言ってるリーダー?を選んで平気でいる国とはえらい違いだ。
将来、自分の細胞を使って自分の病気を治すのに、外国の企業に多大な特許料を払わなくてはならないということに・・・・なりそうだな。
大ベストセラー。『マジソン群の橋』が女性の秘めた夢なら、こちらは男性の幼き日の願望をくすぐるところが売れた要因か。しかし甘酸っぱい物語ではすまないところが胸苦しいのだが。
舞台はドイツ、15歳の少年が36歳の独身の女性と関係し恋に落ちる。二人にはすぐに別れが訪れるのだが、女性は少年にも誰にも明かしたことがない秘密を持っていた。
ミステリ的読み方をする私の悪い癖でその秘密はすぐ分かってしまったが、秘密そのものは話の半ばすぎで明らかになってしまう。それでも、先の展開は全然読めない。
ナチの戦争犯罪も係わってくるのだが、小説自体は声高に告発するのでもなく姑息に擁護するのでもない。淡々とした描写が主人公の静かな回想で綴られているのに、なぜか胸しめつけられどきどきしてしまう。
後半は少年(もう少年ではないが)の、女性への関わり方が書かれ、ラスト近く女性の少年への反応が書かれるが、女性の胸の裡は謎のままである。どうも内容を詳しく説明できないので自分でもじれったいが、読む人によって何通りもの読み方・解釈がある小説だと思う。
私にはコミュニケーション、主人公二人の関係が人間同士の関わり方の「距離」の問題を描いてるようで、その点いかにも今日的な小説に思えた。
題名の「朗読者」は主人公の少年のこと。朗読することが、彼の彼女へのコミュニケーションの手段だったのだが、なぜなのかは、本書を読んでください。
少年と著者は世代も職業も一致するのだが、自伝的要素はどのくらいあるのだろう。
いかんなあ、また、せつなくなって、目がうるんできちまったよ。
そして、小説ラストの方に出てくる刑務所長と同じく、私も少し怒っている。物語にはめられた自分に。
今月も性懲りもなくホラーばかり3冊
表題作は角川ホラー大賞受賞作。しかし読後感は「ホラー」というより「怪談」がふさわしい。岡山弁で語られる不幸な女郎の身の上話は、いかにも土俗的な、目を覆いたくなるような悲劇なのだが、独特の方言のリズムが乗せられて淡々と読まされてしまう。ところが、ところがラストで・・・・怖いよう。
表題作が傑作なだけに、他の収録作はちょっと食い足りない。土俗性を強調しすぎて怖さに切れがない。表題作が面白いだけに、語りの形式がたまたまはまったまぐれ当たりでないことを祈りたい。
こちらは題名通り石川県能登地方の方言で語られた九つの怪異譚。『ぼっけぇきょうてぃ』と比べると、一日の長がある・・はっきり言って遥かに面白い。
方言を使いながら土俗性に頼ることなく、怪奇談でありながらユーモアがただよう。いわゆる「奇妙な味」と呼ばれるジャンルに属する短編集だ。
冒頭の『箪笥』は色々なアンソロジーに収められている、日本を代表する「奇妙な味」の傑作短編。他には、エロス性と怪奇性と語り口が実に効果的に決まった『蛞蝓』がいい。
カタロニア、タイ、エクアドル、中国・・12の国を舞台に古代から現代に渡ってくり広げられるあやかしの物語集。
たとえば『美しい眼』では、マフィアに追われた男が逃亡先のシチリアの片田舎で神話の世界から蘇ったような恐怖に出会う。
『黒い血』では、享楽的な三人のフランス人の若者が、先祖たちが虐げたアフリカ人の怨念に遠い時間を隔てて襲われる。
『風のビリー』は開拓時代のアメリカ西部で「風のビリー」と呼ばれた誰も見たことのない謎の早撃ち男の物語。
どれも、うまいとしかいいようがない。ラストのひねり、語り口、筋運び、どこをとってもすきのない、いつも変らぬ職人芸。この著者の作品にはいつも「上品な大人の小説」という感じを受ける。過不足ない分破天荒さはないが、面白くなかったことのない、私には絶対安心できるブランド。
今月はホラー、それもクライブ・バーカーばかり6冊
血の本シリーズ1
血の本シリーズ2
血の本シリーズ3
血の本シリーズ4
血の本シリーズ5
血の本シリーズ6
ここのところ読了記が滞っていたのは、この『血の本シリーズ』についてどう書こうか迷っていたせいもある。SFでも怪談でもなく、「ホラー」というジャンルを意識して読みはじめてから、ついにたどりついたという思いがする、幻視の作家のホラーの極北。読んだあと他のホラーが色あせる、衝撃の作品集だった。
「スプラッターホラー」というキャッチコピー通り、たしかに血まみれ内臓まみれの描写は多いが、不思議と嫌悪感はない。その魅力は説明のしようがないので、覚悟を決めて読んでくださいとしか言えないのだが、現在は手に入れるのが難しいかもしれない。くそ(失礼)。私もYahooオークションを利用してやっとのことで読むことができたのだ。嬉しや。
比類なき想像力、見事な描写力はどの作品を読んでも堪能できるが、強いてベスト2をあげるとすれば、意志の力で相手の肉体を自由に破壊できる超能力を得た人妻の愛とエロスの物語『ジャクリーン・エス』、ゲイのカップルが秘密の山中で出会う驚異驚嘆の奇跡の巨人『丘に、町が』。
『ジャクリーン・エス』は『レベッカ・ポールソンのお告げ』に収められているので、こちらが手に入り易いかもしれない。
ホールドマンで「終わりなき」とくれば、バトルスーツSFの最高傑作「終わりなき戦い」を思い出す。
著者も思想的連続性は認めているがストーリー的に続編というわけではない。
冒頭、ガンダムやエヴァのようなバトルスーツ軍団がゲリラ戦をくりひろげるが、相手となる敵は「終わりなき戦い」のトーランのような未知の異星人ではなく、中南米の「途上国」であり、戦場も宇宙ではなく地球上である。
ゲリラ戦と言っても操縦者はロボットに搭乗してるわけではなく、脳に取りつけたジャックで部隊ごとの無線ネットに接続して、遠隔地のロボットを操縦している。ロボットと個人だけではなく、小隊中隊の構成員どうしも精神的に接続され知識体験を共有することができる。
主人公は戦士ではあるが、一つの任務が終わりロボットからジャックアウトしてる間は物理学者として生きている。パートタイマーのガンダム戦士というわけだ。
バトルスーツコンバットSFらしい戦闘シーンが終わると、主人公と年上の恋人のものうい日常が描かれる。恋人は主人公に愛されていることはわかっていても、彼が自分より深く精神的に融合している(と想像される)戦友たちにどうしても嫉妬してしまう。主人公のかつての恋人は戦友で、「接続してのセックス」の経験もあったのである。
戦争と対比させて未来社会の人間の都会人的苦悩を描く、という趣向かなと思って読み進んで行くと、突然話は急展開する。「精神接続」そのものが究極の平和をもたらす手段となる可能性と、それとは別に宇宙が破滅する可能性が発見されるのだが、そこから物語は俄然ローラーコースターサスペンスSFと化して走りはじめる。
ラストでは、また元のトーンに戻って「終わりなき平和」が訪れるのだが、その平和とは人間にとってなんなのだろう。
というような「結論」というか、あからさまな疑問を提示するほどこの著者は野暮ではない。読み手によって何通りもの解釈が可能な物語の結末。
ラストシーンは涙や怒りには無縁の静けさだけど、何度も読み返したくなるほど私には好ましい情景。
「とうけいいぶん」と読む。「東京」ではなく「東亰」を使っているのは、本書に描かれている「東亰」は我々が知っている東京ではないことを暗示しているのだろう。
舞台は江戸から東京に変って29年後。流行の物見台に忽然と現れて人を突き落とし、自分は全身から炎を発して消滅する「火炎魔人」。夜道に華やかな赤姫の姿で現れ獣のような爪で人を切り裂いては闇に消える「闇御前」。子供をさらってはその魂を蛍のように袋に入れてかつぐ「人魂売り」。パラレルワールドである「帝都・東京」は魑魅魍魎が跋扈する異界である。そして狂言回しは「人形遣い」。彼が舞台の影で事の顛末を話して聞かせるのは妖しくも美しい娘人形。
これらの奇ッ怪な事件を追う新聞記者と香具師のコンビが、鷹司公爵家にかかわりだすと、ホラーと思っていた物語が俄然ミステリーの様相を呈しはじめる。怪奇な事件の裏にあったのは実は公爵家のお家騒動であり、怪奇現象はすべて合理的な説明がつき、犯人はあきらかになり事件は解決にいたる・・・・と思われたのだが。
(特にラストは)人によって好みは別れるだろうが、私には思い切りツボにはまった妖美な伝奇ミステリー。
姑獲鳥の夏に始まる一連のシリーズの登場人物中、もっとも奇人度の高いテレパシスト探偵、薔薇十字探偵社の榎木津礼次郎を主人公とする中編集。
主人公と言ってもそこは希代の怪人、語り手の工員や部下の警官くずれを右往左往させるだけで自分はなんにもしない。最後に現れて超能力と破天荒な行動で無理矢理に事件を解決する。推理などは一切しない。博覧強記な陰陽師、京極堂こと中禅寺秋彦もちゃんと登場するから目茶苦茶なだけでは終わらないが、通常のシリーズより破天荒度は高い。笑劇<ファルス>と言ってもいい読み心地。
いつもは語り手役の小説家関口が、第三者の目で描写されてるのがシリーズの読者にはおかしくも楽しい。
肝心の事件の方は説明するまでもなく、どれも面白い。
本職は前衛芸術家にして尾辻克彦として芥川賞作家の顔を持つ作者は路上観察者としても有名である。そんな路上観察の眼で注目したのは一冊の辞書。三省堂の「新明解国語辞典」である。まずは一項目引用する。
れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。
これが辞書か?普通恋愛の説明に合体まで出すか?
もう一つ強力なのを引用しよう。
ぼっき【勃起】急に力強く起つこと。[狭義では、合体を思い、陰茎が伸びて堅くなることを指す]
また合体である。
きわどいのばかりではなんなのでもう一つ。
よのなか【世の中】同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方に持ちつ持たれつの関係にある世間
ここまでくると辞書も文学ですね。新明解も最初からこうだったわけではなく1、2版では穏当な解説がついている。3、4版から編者の個性が際だつのだが、著者は編者を「新解さん」と名づけ、その人となりに迫ってゆく。辞書という普通は注目されないものの面白さを見つける姿勢はまさしく路上観察者のものだろう。
新解さんが面白すぎる分、後半の身辺雑記的な「紙がみの消息」はいまひとつ。
最後に「新解さん自分を語る」ところを紹介しておこう。結構お茶目。
いっき【一気】用例:従来の辞典ではどうしてもピッタリの訳語を見つけられなかった難解な語も、この辞典で――に解決
江戸川乱歩賞受賞作だが、不自然な心理描写、女性主人公の女性上司のスーパーウーマンぶりなど作為がめだつ人物造形。トリックやサスペンスの前に小説としてのまずさが目立って楽しめない。
折角スーパーの万引き監視員という、いくらでも面白く描けそうな職業の主人公を選びながら、その職業の特性がまったく活かされていないのは、未熟・練達以前の問題だろう。
「だまし絵」という言葉で想起されるだろう、エッシャーやダリやホルバインの錯視による絵画は本書では対象とされない。アルチンボルドや国芳についても同じく。彼らについては最終章「これはだまし絵ではない」で言及される。
著者が問題とするのは、だまし絵の中核=「本物そっくりの絵」である。ここで言う本物とは、二次元存在である絵画に対する「三次元空間(物体)」を指す。
果物を描いた絵に鳥がだまされてついばみに来たというプリニウスの「博物誌」の逸話から、この「もうひとつの美術史」は始まる。
「本物そっくり」といっても色々なモティーフがあり、次々と提示される作品群は「こんな絵があったのか」という新鮮な驚きを与えてくれる。
おそらくは舞台芸術がその起源であろう、柱や壁や天井やもう一つの部屋を存在するかごときに描いた「建築空間を偽装する絵」。
絵の内か外か、虚と実の境界に浮遊する「キャンバスに止まった蠅」。
同様のモティーフ「剥がれかけた額のラベル」
絵画の平面空間である自らの属性を隠蔽する「描かれた壁龕」。
さらに過激に三次元性を偽装する「描かれた本棚」「描かれたカーテン」「状差しに止められた手紙」「机上の小物」。
「だます」意図がより明確な「壁に吊るされた狩の獲物などのオブジェ」。
いずれも迫真の描写であり、偏執的なほどの写実技術に支えられている。紹介されている図版のいくつかは(印刷されたものとはいえ)絵画とは信じられないほどだ。
これら見手をだますのを目的とした絵画は、自己の平面性を否定する逆説的存在でもある。すなわち「もうひとつの美術史」は極めて知的で皮肉な営為なわけで、その自己言及性は「メタ絵画」とも言えるのかもしれない。
雪舟の逸話など「だまし絵」の伝統のある日本画に全く触れられていないのがちと物足らない。ほぼ同じ視点で日本画を分析する日本絵画の遊びと併読すると、東西の共通点と差違が見えてくるようで面白い。
ばりばりのハードSF。
慣性相殺航法、真空からのエネルギー抽出、彗星雲内の生命・・と、魅力的な「空想科学」なアイデア満載でハードSF好きにはこたえられないが、それを除いても小説として十分読み応えがある。
主人公は「ミニブラックホールをこよなく愛する超天才物理学者」という、いかにもハードSFらしいキャラクターのマッカンドルー博士。
彼がホームズとすると、ワトソン役の語り手は女宇宙船長ジニー・ローカー。
読みはじめてしばらくは、この二人の仲はどうなってるのか(早い話セックスしてるのかしてないのか)気になって仕方がなかったが、これは作者の計算通りだったようだ。うまうまと術中にはまったわけで、ハードSFらしからぬ?芸の細かさだ。
二人の仲にはニヤリとさせられてしまったよ。
巻末に付録として作品中の「科学」の作者自身による解説が付く。
「刺青」「瘋癲老人日記」等、マゾヒズム的空想を描きつづけた「大谷崎」のマゾヒズム短編集。
被虐の悦楽といった官能描写より、むしろ奇矯であったり陰湿であったりするマゾヒストの生態が自虐的と言っていいような冷徹な筆で描き出される。
「日本に於けるクリップン事件」のみは小説ではなく、実際の東西のマゾヒストによる殺人事件の考察。女性に辱められ服従することを喜ぶマゾヒストがなぜ相方を殺害するにいたるのか、所収の他の作品にも全て通底するマゾヒストならではの論理は興味深い。
マゾヒストではない私にも面白く読めたのは、作品が、性的倒錯者のカミングアウトなどという低い次元のものではないからだろう。単なる告白などではなく、作者自身も含めた人間性の観察と分析というレベルで書かれているからこそ楽しめる。そしてやはり上質の文章。
エロティックモダンホラー・アンソロジー。
同じ趣向のアンソロジーならレベッカ・ポールソンのお告げの方がはるかに面白い作品が揃っている。
本書には新味に欠ける軽い味わいの作品が多い中で、F・ポール・ウイルソンの「三角関係」が古典的だが面白い。車椅子の老女の欲望の対象になった若者の恐怖。昨夜腕の中にいた可愛い少女は本当は誰だったのだろう?
かのヒッチコックの名作「サイコ」の続編。
サイコホラーとしては水準作。
う〜ん、こんなにうまいエンターテインメントの書き手が日本にいるとは知らなかったなあ。不覚。
今月は真保裕一にはまりまくって4点。
たいした冊数ではないけど、一番長いもので文庫判上下で千頁弱、松本清張を思わせる精緻綿密な情報量は膨大だが、ハリウッドムービーのようなスピーディな展開、軽快な文章力で長さを感じさせない筆力。同じ作家を続けては読まない私が、続けざまに読ませられてしまった。
食物汚染というミステリーとはかけはなれた題材をテーマにしながら、ちゃんとエンターテインメントしている、著者の江戸川乱歩賞受賞作。
ほぼデビュー作といっていいのだが、文章も筋立てもうまく水準以上の作。主人公は検疫所に勤める食品衛生検査官、いわゆる食品Gメン−著者の「小役人」シリーズの第一作でもある。
著者は十年以上のキャリアのTVアニメのディレクターであるが、乱歩賞をターゲットにしたのは他の長編ミステリ公募賞と違って「映像化」を前提にしていなかったからだそうだ。(現在は乱歩賞もTV局と提携している)現場でいかに原作がないがしろにされるかを散々見てきたらしい。さびしい話だ。
「連鎖」「取引」(未読)に続く小役人シリーズ第三作。
今度の主人公は気象庁地震火山研究官。地震と海底火山を材料にパニック小説ではなく、陰謀渦巻くミステリーが展開する。
ストーリーテリングも人物描写も一級品だが圧倒されるのは、やはり膨大な地震と火山に関するディテイルだ。
著者はなにしろ取材好きな人らしく、「不夜城」の馳周星とマカオのカジノに取材に行った時も、馳はポイントだけ聞くとさっさとカジノに「実戦」に行ってしまったが、真保裕一は一人で延々と取材していたというエピソードがあるらしい。
さもありなん。
小説版「クリフハンガーを舞台にしたダイ・ハード」。ハリウッドアクション大作の原作のようなローラーコースターサスペンス。
関東の電力をまかなう巨大ダムが厳冬期に冷血なテロ集団に占拠される。彼らに単身(まさに身ひとつで)闘いをいどむ発電所所員の山男。彼はかつて自分のミスで無二の親友を死なせたという心の傷を抱えている。その親友の婚約者だった女性がテロリストに人質にされてしまった。想像を絶する精神力と体力でプロの殺戮集団を一人ずつ倒して行く主人公。
解説で紹介されてた著者の「縦軸横軸も使わない冒険小説を書きたかった」という言葉。
縦軸=時間で、過去や未来を舞台にした作品。
横軸=空間で、外国、辺境(宇宙とかも入るのだろう)を舞台にした作品。
要するに「現実離れ」の方向を基準にした分類だが、本書は、そのどちらの範疇にも属さない「現代日本」を舞台にしても、これだけの冒険小説が書けるという稀有な見本だ。
痛快な偽札作りピカレスク(悪漢小説)にしてコンゲームノベル。
主人公はいわゆるフリーターだが、PCを駆使し小金をせこく稼ぐ知能派。悪徳暴力団に借金してしまった友人を助けるために、銀行のCDをすり抜ける偽札をPCとプリンタだけで作り上げる。その手順のリアルなこと。私の手持ちの機材だけでできそうな気がして、この冒頭だけで完全にはまってしまう。
換金にも見事に成功するのだが、暴力団にかぎつけられ罠にはめられそうなところを謎の老人に救われる。名前を変えて逃げ延びる主人公を助ける肉体派の友人、筋金入りの贋金作りらしいが過去を抹消した謎の老人、そして「スキャニングの妖精」を自称する女子中学生。(物語の後半ではちゃんと胸も膨らんで大人の女性に成長する)
暴力団とその黒幕の銀行を相手にした戦いは二転三転する。友情人情に厚く感情移入させられる主人公たちチームの闘いぶりは、手に汗握らせられるが、闘う手段はあくまで完璧な偽札造り。手段が法的に不正であるかぎり単純なハッピーエンドはのぞめないのがお約束だが・・・・ラストは読んでからのお楽しみ。 なぜこれほど面白い小説家がそれほど有名でないのか。
「ホワイトアウト」が織田裕二と松嶋菜々子主演で映画化されるらしいので、少しは違ってくるだろうか。
私的には読みながら勝手に高島政伸と深津絵理をキャスティングしてたんだけどな。
1月は理科系、とまではいかないが、理科的エッセイをまとめて読んでいる。小説と違い感情移入にエネルギーがいらない分、楽に読めるようだ。もちろん本格的な科学の本となったらそうはいかないだろうが。
清水先生、作文教室につづいて今度は理科教室である。
先生、作文教室の手際は商売柄見事なものだったが、理科となるとどうも勝手が違うようだ。
話題は進化論からはじまって、生物非生物の違い、動物と植物との違い、男女の分岐点と進んで行く。なかなか見事な構成だが、語り口はなんだかおぼつかない。どうも先生の理解度は私などとそれほど差がなさそうだ。
しかし、この「作者が科学者でないこと」こそが本書の良さそのものなのだと思う。
「理科なんて大嫌い」「科学なんて進歩してもいいことない」「科学でもわからないことあるんだからノストラダムスの方がすごいじゃん」なんていう人たちに、そんなことない、理科って面白いんだ、もっと面白がろうよ、と、専門家ではない作者が真摯に現代科学の色々な話題について解説してくれる。語り口は平易すぎるくらい平易、ギャグ満載。
だから、科学の最先端をシビアに知りたい人には向かない。なにしろ、ビッグバンを眉つばもんだと疑う落語の八五郎みたいな相手に一所懸命解説するのだが、相手の屁理屈にたじたじとなって最後には白旗を挙げてしまうのだ。もちろん解説する人もされる人も清水先生の分身なのだが、はっきり言ってたよりない。
だが、われわれは知性でここまでやってきたんだからこれからも知性でやっていくべきなんだ、という作者の言葉は正しい。われら「普通の人」がもう少し理科的考えを持っていたらオウムやライフスペースなんて輩の出る幕は無かったはずなのだ。
こちらはうって変わって自信満々のアシモフ博士。もちろんあのロボット工学三原則ののアシモフ、銀河帝国の興亡のアシモフだけど、実は化学の博士号を持ちSFの著作の何倍も科学解説書を書いている。博士自身、科学(&歴史)の啓蒙書を書くことこそ自分の天職と公言し、内容の質の高さでその言葉を裏づける。
すでに故人なので内容は最先端の科学というわけではない。清水先生の本の方が情報的にはずっと新しい。しかし深い学識と卓抜な発想に支えられた文章の説得力は(悪いけど)清水先生の遠く及ぶところではない。しかもその語り口の自信満々なこと。
中身は「物理学」「天文学」「化学」「生物学」「工学」「年代学]の6部17章に別れている。各章の冒頭、本題に入る前の導入部(つかみの部分ですな)面白さが秀逸で、ここを読むだけでも定価の価値は十分あると思うけど、そこでも必ず自慢話が入る。これだけ自慢話を臆面なくして全然悪い印象を持たせない文章を私は他に知らない。
ただし、アシモフ博士が自分が思いついたことを好きに書いているので、系統だった知識を得ることは難しい。楽しい科学話をただただ楽しみのためにだけ読むというのが、本書に限らず博士の著作の正しい読み方である。
私と同姓のこの「元」社会生物学者の著作は好きで代表作「そんなバカな」からずっと読んでいるが、はっきり言って、トンデモ本である。現にト学会の「トンデモ本の世界」にも堂々(?)収録されている。
著者のネタ元というか、基本となっている理論はかのリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」学説だけど、ドーキンスの学説はもちろんトンデモ学説などではない。ダーウィンの進化論にDNA理論やゲーム理論の成果を取入れた正統的進化論であって、現在世界を記述する手段としてもっとも説得力のある考え方だと私は思う。
それだけに世界は神が創ったと考える伝統的西欧的価値観から見ると危険な命題を含んでいる。なにしろ「進化」とは「神が定めた劣った動物が進んだ人間に成る過程」などではないのだから。
だからこそドーキンスの論の進め方は緻密この上ない、一分の隙もないこと論理展開を読んでるだけで陶然となってくるほどだ。それにひきかえ一神教と縁のない東洋人の竹内先生は気楽なものである。唖然とするような発想を、大胆不敵な論理の飛躍で強引に展開していく。
いわく「君主の起源は賭博の胴元だった」
いわく「賭博好きな男性に愛想をつかした女性は家を出てたくましく生き抜いて強靱な遺伝子の子孫を残して行く。すなわち賭博好きの遺伝子は強い子孫を作る」
いわく「往々にして財産を費消してしまう賭博好き遺伝子に対抗するため財産を持つ階級は賭博に代わる暇つぶしの手段として学問をする、または学問を庇護し援助する遺伝子を発達させた」
いわく「一夫多妻社会では男は複数の妻を調停しなければならないので、統治管理能力に長けた支配指導階級にふさわしい人材=遺伝子が受け継がれて行く。女性はライバルに差をつけ男を自分に通わせる能力=魅力が進化していく」
いわく「その魅力、単に扇情的なのではなく上品で飽きの来ない魅力である」
いわく「であるから皇室存続が危機に瀕してる日本ではなにはともあれ皇太子様に側室を」
・・・・ね、強引でしょ。
私が書くととんでもないが、著者の語り口は巧みで読んでるうちは実に楽しい。どこで突然論理が飛躍するかを見つけるのも、本書及び著者の他の著作を読むときの楽しみの一つである。
偏愛するミルハウザーの短編集。
表題作は人魚、ハーピー、空飛ぶ絨毯など怪しげな品々が展示された謎めいた博物館の話。展示物、館内地理、学芸員・・全てが虚実のわからない妖しい存在なのだが、それはこの短編集全体にもあてはまる。
ひたすらディテールを想像することによって虚空に架空の人間を創出する人々の話「ロバート・ヘレンディーンの発明」「幻影師アイゼンハイム」。
兎を追って穴に落ちてしまったアリスという少女の心象風景と詳細な穴内部を、穴を落ちて行く時間の中で描写する「アリス、落ちながら」。
ボール紙で出来たテーブルゲーム(探偵ゲーム)をする人たちの心理とゲームをしている環境、架空のゲーム内の登場人物とその心理、ゲームの世界の環境、を交互に同じ詳細さで語っていく「探偵ゲーム」。ちょっと筒井康隆の「朝のガスパール」を連想してしまうメタ小説ぶりだ。
アラビアンナイトの中のシンドバットの物語はいくつものバージョンがあるという書誌学的解説と、冒険をただうとうとと回想するだけとなった富豪シンドバットの倦怠と、いままさに冒険の真っ最中のシンドバットの物語が、交互に語られ時として交錯する「シンドバット第八の航海」。
等々等々、現実と虚構、虚構と虚構、虚構の虚構、ミルハウザーの重層世界。そして、もちろん柴田元幸の名訳。
作者は本職の外科医。手塚治虫、北杜夫、渡辺淳一、医者の肩書きを持つアーチストたちの作風の多くはヒューマニスティックである。真摯に生と死を見つめるという言葉が似合う作品が多い。
しかしこのブラムラインの短編集は惹句によれば「マッドな外科医作家が人間にまつわる妄想を軽やかに切除する」「クールなスプラッタ」なのである。考えてみれば医者のヒューマニズムに支えられた職業的側面は否定しないが「人間を物体として見る」というのは、私のような一般人にはなかなか望めぬ医者の特権的能力なのではないだろうか。その能力を駆使した文学作品がなかったのが不思議なぐらいだ。むしろ、医者作家はみずからの能力を自覚してるがために、かえってヒューマンな作品に傾斜していくのではないか、などとの妄想的なかんぐりをしてみたくなったりする。
この「器官切除」SF的な味わいもある前衛的作品が多いが、スプラッタというほど凄惨な描写があるわけではない。いや本当は相当グロティスクなはずなのに、いかにも医学的なクールな味わいが残酷とは遠い印象を与える。
作者紹介の「もっともJ.G.バラードに近いところにいる作家」というのは言い過ぎだろう。
来月は冒険小説中心の予定。