03/06/28(土) 虎の確率 03/06/23(月) アメグラ、SW、ジョージ・ルーカス 03/06/22(日) 空山基展 03/06/20(金) HTMLメールの疑問 03/06/18(水) ゴーギャンの授業 |
03/06/15(日) The Forgotten Planet 03/06/13(金) Painter8 03/06/12(木) 『私のグランパ』 03/06/03(火) 蜷川版『嗤う伊右衛門』だそうな 03/06/01(日) 会田誠作品集がやってきた |
2003/06/28(土)[ス]虎の確率
東京育ちなので、周囲には少ないが、ネットの知り合いには阪神ファンがそこそこいる。
彼らが、今年は妙に静かなのだ。
いや、4月いっぱいぐらいは結構はしゃいだ書き込みなんかがありましたが、ここんとこ、彼らのサイトに阪神のハの字も見かけません。
しかし、沈黙のむこうから、なんだか固唾を飲んでる気配が伝わってくるのである。
……本気なんだ。
もし「優勝」とか口に出したら、その途端、夢から覚めてしまうような気がしているのだろう。
安心してください。夢ではありません。阪神ファンではない(別にどこの球団のファンでもない)私にも阪神はいかにも優勝しそうな勢いに見えます。いまのうちから、もうはしゃいどきましょう。
巨人が3勝2敗ペースでいっても、阪神が残り5割でいけば追いつけないと聞くと、これはもう阪神優勝で決まりだと思う。しかし、巨人が10連勝して阪神が10連敗だと追いつかれると言われると、これはありそうな気がするのが不思議だ。
長期間だと確率の法則は強力だが、局所的にはかなりの偏りが生じる場合があるのを経験的に覚えているからだろう。
なんて書いているうちに12連勝12連敗が必要になってしまった。決まりだな。
◇
虎の確率といえばストックトンという人の『女か虎か』という有名な謎小説がある。こんな話しだ。(これから本物を読みたい人は以下の緑字の部分をとばしてください)
昔々、ある国に野蛮な王様がいた。王様には溺愛する一人娘がいたが、王女は身分卑しき若者と相思相愛となり、王様の目を盗んで密会を重ねていた。
しかし二人の関係はついに王の知るところとなり、王女は軟禁され、若者には死刑が宣告された。しかし、この国の死刑にはある特別な決まりがあった。
逃げ場のない闘技場に一人ひきずりだされ、二つある扉のどちらかを選ばなければならない。どちらか一つの扉の向こうには飢えた凶暴な虎がいる。こちらを選んだら死を逃れることはできない。そしもう一つの扉の向こうには美しい奴隷の娘がいる。こちらを選べばその女と結婚し自由の身となる。
若者を見守る観客のだれ一人、どちらの扉が女か虎か知っているものはいない。王とその王女をのぞいては。
自分の愛する人が、虎に命を奪われるか、自分より若く美しい女と結婚して自由になれるか。王女の見つめる中、若者は運命の扉を選ぶため闘技場にひきずりだされた。
彼の必死のまなざしと視線をあわせたとき、王女はかすかな身振りで彼に合図を送った。
歓喜の表情をうかべた若者が勇んで、王女に示された扉を開いたとき、
彼を待っていたのは、女だろうか、虎だろうか。
◇
高階秀爾『近代絵画史(上/下)』(中公新書)読了。
2003/06/23(月)[映]アメグラ、SW、ジョージ・ルーカス
ここのところ、NHK-BS2で、ジョージ・ルーカスの映画(もちろんSWシリーズ)をやっていた流れか、日曜の夕方にはなつかしきアメリカン・グラフィティが放映されていた。
公開当時は登場人物たちと同じ年代だったので、思い切りはまったものです。
今、冷静に映画として見ても、ジョージ・ルーカスがほんとうにうまく作っていることがよくわかる。故郷から旅立とうとする気持ちと故郷への愛着に引き裂かれる若者のジレンマは、SWのヤングスカイウォーカーに単純化されて再現されているよね。こんなに映画作りがうまいのに、なんでEP2はあんなになっちゃったんだろう。
*
スターウォーズシリーズの方、BSで放映していたのは、最初の3作=エピソード4〜6だ。あとからCGを足した「特別編」だった。
初版公開時も特別編公開時も劇場で見ているが、あらためてBSで見た感想は、「追加シーンは必要ない」だった。
最初の(今から見れば)素朴なSFXで撮ったシーンで映画としては完成している。付け加えられたシーンは単に「にぎやかし」でしかない。むしろきっちり編集されていた流れを阻害しているくらいだ。
もはや、見る側はCGやSFXだけでは満足できなくなってきている。いいことなのか悪いことなのかわからないが、映画本来の良さに立ち返ればいいだけなんだろうね。
なんにしても、元祖スターウォーズのオープニング(スターデストロイヤーが画面一杯に延々と映るシーン)を劇場で見たときの「これだよ!これが見たかったんだよ!!」という感激の記憶だけは永遠だ。
2003/06/22(日)[美]空山基展
空山基展は予想以上に面白かったですよ。
旧作ばかりだろうと思っていたのが、半分以上が(既存画集に収録されていない)新作だったのが第一の驚き。原画の大きさが思ったより小さかったことが第二の驚き。そして、印刷された画集で十分堪能していたつもりが、やはり原画を見なければ良さがわからないということを思い知らされたのが、第三の最大の驚き。
同行してくれた>H2さんは、会場にいた空山基ご本人に果敢にインタビューを試み、積年の疑問(一つの絵を次々とブラッシュアップしていくが、原画に直接描いているのか?)を晴らしていた。空山画伯も中国のことわざなどを繰り出しながら、明確に回答してくれました。
展示されていた作品の収録されていた画集を購入。ケースに凝るならもっと絵を大きく印刷してほしかった。しかし、やはり原画はいい。大きいのはいい。次の土曜日まで開催しているので空山基ファンや興味のある方は見逃さない方がよろしかろう。
会場をあとにしたあと、H2さんに三越裏にある洋書店を教えてもらう。画集や写真集やコミックなど、なんとも物欲を刺激されまくるマニアックな品揃え。これはまずいなあ(笑)いや、こんなところを知らなかったのは不明のいたり。教えてもらって感謝だが、ここにくるときはしっかり財布の紐をしめておかないと、かたっぱしから欲しくなってしまいそうだ。
その後、好々亭で飲茶、いそむらでギネスを飲みながら6時間ノンストップしゃべりまくりオフ。お疲れさまでした。
2003/06/20(金)[網]HTMLメールの疑問
デビット・ベッカムと木村拓哉の共通点はもちろん二人ともハンサムだということだが、好みの女性(のレベルというかジャンルというか)も似ているようだね。
◇
うちと相互リンクしているミュールさんのところでHTMLメールの問題についてわかりやすく書かれている。そこからリンクされているこちらの記事には、マナー的なことだけでなく、HTMLメールによる情報もれの可能性についても指摘されている。
もちろん私も、自分がHTMLメールを出すことはないし、もらうのもHTMLメールよりテキストメールの方が好きだ。といっても、HTMLメールが来ても不快になるということはない。自分がだらしがない性格なので、人の無作法にも無頓着なところがあるからだろう。私のような人間は知らずに他人を不快にさせているかもしれないので要注意だ。
幸い、私のところに来るメールはほとんどがテキストオンリーだ。例外は海外のAmazon。注文の確認などのメールまでHTML形式でくる。ところが日本のAmazon.co.jpからのメールはすべてテキストのみなのだ。この問題については、日本と欧米では温度差があるのだろうか。海外でのHTMLメールに対する認識度を知りたいとこだが、どこ調べればいいのやら。
もしかしたら、Amazon.comのページにはHTMLメールの可否についての選択項目があって、英語がからきしの私が見過ごしているという可能性はある。でも、Amazon.co.jpにはそんな項目は見当たらないよなあ。
2003/06/18(水)[本]ゴーギャンの授業
だれか、私の物欲をとめてくれ。調子にのって、また画集を買ってしまったよ。
Testament: The Life and Art of Frank Frazetta、ハードカバー、160頁で3,590円。収録の絵の半分は既存の画集で持っているものだったが、一回り大きいのと、別バージョンのラフも収録されているのがファンとしては嬉しい。
やっぱりフラゼッタの力強い絵はいいなあ。彩度の高い強烈な色彩もあこがれである。なんだか、またへっぽこ絵を描きたい気が起きてきたぞ。
◇
息子の部屋をのぞくと『近代絵画史上/下』(高階秀爾著/中公新書)なんて本を見つける。学校の一般教養の授業の副読本らしいが、面白そうなので借りてぱらぱらと読んでみる。
中学や高校の美術の授業でも絵画史なんて習ったかどうか覚えてないくらい何も知らないので、あらためてこういう本を読むとなかなか新鮮である。
今日読んだところはゴーギャンの章だ。ゴーギャンが若い画家とブルターニュの森に写生に行ったときに彼に与えたという言葉がすばらしい。
あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える? よろしい、それなら画面には真っ赤な色を置きたまえ……。それからその影は? どちらかと言えば青みがかっているね。それでは君のパレットのなかのもっとも美しい青を画面に置きたまえ……
当時のパリのアカデミーでは正確な色調による外界表現が重要だったらしい。その常識からすると、ゴーギャンの教えは実に乱暴なものだったわけだが、彼のいうとおり描いた若者のキャンバスには、なんだかわからないが不思議に美しく輝く作品が生まれていた……
読んでいるうちに面白いエピソードや言葉にぶちあたったら、またここに書き留めることにします。
2003/06/15(日)[美]The Forgotten Planet
ということで、Paolo Eleuteri Serpieriの『The Forgotten Planet』(2000)が来た。Amazonに注文した翌々日には届いた。日本に在庫があったのかいな?
14.95US$が1,534円、消費税込みでも1,611円だ。まあ、お得です。一番最初にDruunaのシリーズを手にいれたのは10年以上前だ。『Morbus Gravis』が載った「HeavyMetal」を銀座のイエナで買った。紙質の悪い3.95US$が1,580円もした。イエナが閉店するのも無理も無い。消費者にとってはいい時代になったものです。
絵は緻密だしセリフは英語だし、辞書をひきひき64頁読むのに半日かかってしまった。
絵は超絶的にうまい。その絵を見せることが最大の目的という作風のせいなのか、日本の漫画とは相当違いがある。
たとえば、ヒロインが廃墟の城から外を眺めていて、背後の物音が気付くシーンがある。彼女の顔のアップにこんなセリフがついている。
「なにかうしろにいる!音がきこえたわ。たぶん、足音!」
えらく説明的だ。これが日本の漫画だったら、ヒロインの背後のアップ、足音を表現した小さい擬音、ふりむくヒロイン、アップのヒロインに「足音?!」のセリフ、ぐらいにコマを文節してセリフは最小限にするだろう。
どちらがいいというわけではない。比べるのも愚かしいぐらい、まったく違うジャンルである。
一ヶ所空山基の『The Gynoids』(1993)の中の一点にそっくりのカットがあった。さすが世界の空山、Serpieriにまで影響を与えているのだろうか。
2003/06/13(金)[電]Painter8
COREL Painterのアップグレード案内がきた。
こんどのバージョンは8だそうだ。私はいまだに英語版の6なのだが、25,000円も払うつもりはないなあ。今年も年貢はパス。お代官さま、もうしわけねえだ。
色を絵の具感覚で混ぜて作れる機能なんて面白そうだけど、絶対必要というわけではないな。ブラシクリエーターというブラシデザイン機能もかなり充実したようだが、とても、使いこなせそうもない。まずデフォルトのブラシだけで700種類もあるという時点で、途方にくれてしまいそうだ。
通常版価格は68,000円、アカデミック版34,000円。フォトショップ優待版なんてのもあって49,800円だ。機能的にもレイヤーマスクがついたり、インターフェイスもPhotoshopにかなり似てきている。
ダイレクトメールのキャッチにいわく、
レイヤーマスク、チャンネルなどを含めて、Adobe Photoshopのファイルと互換性があるので、ソフトウェアを気にすることなくアートに専念できます。
だそうだ。
いっそのこと、ブラシエンジン部分だけPhotoshopアドインにして売り出さないかな。2〜3万円代くらいだったら絶対買うけどなあ。
どうも気合いが入らない紹介で申しわけない。アップグレードして快適に動かすにはハードもグレードアップが必要だが、まだその余裕も必要もないのだ。興味ある人にはきっちりレビューしているサイトを紹介しておきます。
詳細なレビュー→アトリエどどど
Painterを使い込んでいるプロのレビュー→JunkPaintingの4月28日の日記。
◇
モーリス・ルブラン『奇巌城』(創元推理文庫)、J・G・バラード『殺す』(東京創元新社)、阿部達二『江戸川柳で読む忠臣蔵』(文春新書)、鶴屋南北『東海道四谷怪談』(新潮日本古典集成/郡司正勝校注)読了。
2003/06/12(木)[本]『私のグランパ』
筒井康隆『私のグランパ』(文春文庫)読了。
読む前も読んだあとも、主人公のじーちゃん=ゴダケンは、菅原文太しか考えられないな。映画のキャスティング文句なしである。
「なあ慎ちゃん、あいつらをのさばらせちゃいけねえ。みかじめ料なんてものは法律違反で、本来あってはならねえもんだ。だからびくびくするのは、みかじめ料を徴収しているあいつらでなきゃいけねえ。ま、いいから、いつものを作っておくれ」
菅原文太の声が聞こえてくるようではないか。
ゴダケンのかっこよさスーパーぶりは予想の範囲を超えるものではない。地上げ屋のやくざを参らせるのも、もう一工夫あって欲しかった。
しかしそんなことより、じーちゃんと、孫娘をはじめとするじーちゃんの家族、昔世話になったり世話をした人々との交情がいいのだ。
かつてのハチャメチャSFの大家とは思えない、声高でない、端正な日本語と日常的なおさえた筆致で、じーちゃんの静かだけど破天荒な活躍がつづられていく。
ラストは孫娘の珠子に感情移入してわあわあ泣くのが正しい読み方でありましょう。
巻末の久世光彦の解説も秀逸。「役者」筒井康隆の声に惚れて出演依頼した話が面白い。
2003/06/03(火)[映]蜷川版『嗤う伊右衛門』だそうな
『嗤う伊右衛門』は。私の去年の読了本ベストワン。蜷川幸雄の演出は期待大だが、主演が唐沢寿明と小雪というのが、ちょっとなあ。唐沢寿明には文句はないけど、小雪の顔は好みじゃないのでなあ<私の好みで世の流れは決まらない
柴咲コウでもいいし、できればオダギリジョーと仲間由紀恵の『顔』コンビで。蜷川らしくないというなら、阿部寛と小西真奈美なんてどうでしょ。
いや、自分の好みの役者を並べたててるだけなんですけどね。
2003/06/01(日)[美]会田誠作品集がやってきた
注文していた画集(絵だけではないが)『孤独な惑星―会田誠作品集 』と同じ作家の漫画『ミュータント花子』が来ました。
いや、良い。会田誠は天才です。
なにより技術がすごい。できうれば印刷でなく、現物を見てみたいなあ。その意味で表紙が大作「巨大フジ隊員VSキングギドラ」の部分図で、ディテールがわかるのは嬉しい。今後展覧会を要チェックですな。
技術の高さは、強烈なテーマを表現するのに、既存の美術の文脈の中の色々な手法をうまいこと利用しているのでも良くわかる。日本の戦闘機がニューヨークを爆撃する「紐育空爆の図」は六曲一双の屏風絵として描かれ、一見洛中洛外図のようである。チマチョゴリとセーラー服の少女がそれぞれ太極旗と日の丸を持って対峙する「美しい旗」は戦争画、それも日清日露の頃のそれを連想させる。
ひねったユーモア感覚もツボだった。「岡田有希子の舗道」や「THE AMERICAN ART」には不謹慎とは思いつつ爆笑してしまった。
さて、これから『ミュータント花子』を読みます。ドキドキ。