05/05/29(日) クラシック・カツーンズ(アニメ) 05/05/25(水) そして誰もいなくなった 05/05/22(日) ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 05/05/20(金) 宗教的人物 05/05/18(水) 昏睡暴走無名犯 05/05/16(月) The 100 blue days [ 2 ] 05/05/09(月) よもつひらさか往還 05/05/04(水) アール・デコ展/春陽展 |
05/05/03(火) The 100 blue days 05/05/01(日) Bitter & Sweet 05/04/26(火) ステップフォードの妻たち 05/04/23(土) 四千年の国 05/04/16(土) 失踪日記 05/04/15(金) ゴッホ展/夜桜 05/04/06(水) リアル・ゲーム/寿命延長薬 05/04/01(金) ミラーマンの復習 |
2005/05/29(日)[漫]クラシック・カツーンズ(アニメ)
大昔、私の祖父の家にテレビジョンがきたときは、近所のこどもたちがのぞきにくるぐらいの事件だった。
私がそのテレビで見た初めての(記憶している)映像はフライシャー兄弟のアニメ『ガリバー旅行記』だ。その後、自宅でもテレビが見られるようになってからも、一番見たいのはアニメ。国産初のTVアニメ『鉄腕アトム』がはじまるのはまだ先の話だから、もっぱらアメリカ産のアニメばかり見ていた。
ディズニーやポパイはもちろん、『ヘッケルジャッケル』『ウッドペッカー』『バックスバーニー』なんて色々雑多な番組をかかさず見た。ビデオやDVDなんてなかった時代、見逃したりしようものならもう取り返しがつかない。一生の不覚といった気分になったものである。
いまやなんでもDVDになる時代。ふと思い立って昔のアメリカンアニメのDVDを検索してみた。結構出ているではないですか。しかも安い。早速3枚購入。下のリンクはアマゾンコムだが、買ったのは全て(価格調査の結果)ビデオユニバースだ。
まずは1958年の『Felix The Cat (Collector's Edition)』($9.98)。
邦題は「猫のフェリックス」だったかな。キャラだけは今もかなり知られているのではないだろうか。
黒猫フェリックスは何にでも変形する万能の黄色いバッグを持っている。この黄色いカバンをわが物にしようと狙っているのが悪の科学者「大博士」。毎回奇想天外なカバン強奪作戦を決行しては、フェリックスとカバンに痛い目にあわされる。
ラストで大博士は自分で作ったオシオキマシンでわが身にお仕置きを加えるのがお約束。このへんはタツノコプロのアニメに影響を与えているような気がする。
大博士とは芸のないネーミングだが、今回見直してみるとオリジナルも単にProfessorなんだね。それよりなにより当時白黒だと思ってみていたのが、綺麗なカラーだったのにビックリ。うちのTV受像機が旧かったわけではなく、当時はカラー放送自体なかったのだ。日本初のカラーアニメ番組は1965年の『ジャングル大帝』まで待たねばならない。
絵はさすがに古めかしいが、決してヘタなのではない。鉄腕アトムのアニメを再放送で見たとき絵がヘタで愕然としたが、それとはだいぶ違う。それを思うと日本のアニメもずいぶん進歩したものだ。
次は1941年の『The Complete Superman Cartoons - Diamond Anniversary Edition』($9.99)。
かのフライシャー兄弟の「スーパーマン」だ。なんといっても絵が素晴らしい。レトロなマシーンの美しさは必見。→サンプル1、サンプル2。
ただ、機械はなまめかしいのに女性(もちろんロイス・レーン)があまり美人でないのが残念。ファミリー向けにお色気を抑えたのでしょうか。
ちょっと期待はずれだったのが『Mighty Mouse and Friends』($3.95)。
「マイティマウス」はスーパーマンのように空も飛べる怪力の超能力ネズミ。ちょっと色っぽいテイストもあるスラップスティックアニメで、私はミッキーマウスよりずっと好きなのだが、購入したDVDには一話しか収められていない。他は似たようなアニメ(英語だとCatoonsというようですが)のアンソロジー。画質も音質も劣悪で安いだけのことはありました。
DVDを買うほどのことはないけど、ちょっと見たいという向きには次のサイトがおすすめ。
Searchウインドにキーワード(たとえば「Superman」)を入力し、カテゴリーに「Open Source Movies」を選んで「Go」ボタンをクリックすれば、5000ものタイトルから検索してくれる。該当の頁に飛んだらストリーミングで見てもいいし、ダウンロードもできる。いい時代になったものです。
さて今宵は、ベティ・ブープでも落としてみるとするかな。最初ベティさんをネット検索するとき、ブープ(Boop)なのにブーブ(Boob)と記憶していて、ぐぐったらアダルトサイトばかりヒットして、まいりました。
2005/05/25(水)[時]そして誰もいなくなった
政府は保育所の整備など育児支援策に重点を置いた少子化対策をとってきたが、十分な効果があがっていない。少子化は政府の想定を上回るペースで進んでいる。
出生率の低下ペースは鈍ってきたものの、このまま少子化の流れが続けば社会保障や経済社会に大きな影響を及ぼすことは避けられない。政府の少子化対策の見直し論が強まるのは確実だ。
(日経新聞:2005/5/24)
少子化は、日本ほどではないにしろ先進国共通の悩みだ。各国それなりの対策をしているのだろうけど、さしたる効果があがっているところはないようだ。
まあ、大変なのはたしかだけど子どもを持つのは面白い。だけど人様に薦められるものでもない。「家」制度が確固としてあった頃は一家を構え親になることは義務であり、それなりの社会的見返りもあった。今は得なことはなにもない。理屈で考えたら子どもを作る理由がなくなるのも無理はない。
だけど、あくまで理屈で考えたらであって、人間だって生物だ。生物はほっとけば子孫をつくるものである。
姉妹とその子供たちは英国ダービーの公営住宅に住む母親(38)と同居している。子供の父親は誰も一家を支援しようとしないため、一家は年に31,000ポンド(約600万円)の手当を受けて生活している。
ジュリーは娘たちの妊娠は学校に責任があるという。若いうちのセックスの危険性について説明をしなかったというのだ。「世間は私が悪い母親みたいに言うけど、責任は学校にあると思うの。若い娘への性教育は必要だわ。」
(Tokyo Fuku-blog:2005/5/24)
こちらが元記事(The Sun)。たくましい三母子の写真は必見。
なんとも無責任な「貧乏人の子沢山」のような感じがしてしまう。しかし、実は、こういった十代の妊娠出産を積極的にサポートするという政策をとった国があるというのをきいたことがある。たしかノルウェーだったが、そこも日本と同じくどんなに少子化対策をしても効果が上がらなかった。唯一、ティーンエイジャーの妊娠出産奨励?政策のみが効をそうしたそうだ。
日本だと若くて子どもをつくるのは優秀じゃない奴ばかりで、センスのない派手な漢字の名前をつけたり、変な髪型させたり(決して往生際の悪い某元世界チャンプのことではない)、虐待したりしてるような印象がある。しかし本当は十代で妊娠出産するのは生物的には一番いいはずだし、生物的に一番いい選択をして自己実現も可能な社会にしなければ、少子化なんて止まるはずがない。
でも、少子化がなぜ悪いか、もう一つはっきりしませんなあ。世界的に見たら人口過剰は間違いないんだから。世代間扶養を前提とした日本の社会モデルを見直すことの方が肝心だと思うけど、難しいのかな。思い切れば意外と簡単そうだけど日本の優秀な官僚の方々ではちょっと無理かな。
2005/05/22(日)[美]ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展
どこでも美術館が比較的空いているのは、「会期はじめ」「平日」「午前中(または夕方以降)」だそうだが、「会期終盤」「休日」「午後」という三重苦の中、国立西洋美術館に『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展』を見に行ってまいりました。
カラバッジョ派などと言われていて、たしかに光りと闇のコントラストが印象的だ。しかし描かれている光源がロウソクのせいか(ミュージアムショップでは蜜蝋を売っていた)、光りも闇も暖かく、カラバッジョより静的で宗教的な色合いが濃い。
大混雑ではないもののやはりそこそそこ混んでいた。特に大作「ダイヤのエースを持ついかさま師」の前は黒山のひとだかり。
全体に光りが当たっていて、宗教的なモチーフでもなく、いわゆるラ・トゥール的ではないが、すみずみまで神経の行き届いた精緻な傑作。人々の表情や、衣服の質感、凝った装飾品、見ていて飽きない。人気が集まるのも無理はない。
対照的なのが「書物のあるマグダラのマリア」。無駄なモチーフを削ぎ落としたシンプルな表現が、なんとも好ましい。
解説によれば「全裸なのにほとんど官能性が感じられない」だそうだ。
私は十分官能を刺激されましたが。
真作だけでなく消失作品を中心に模作も随分展示されていた。ルーブル所蔵の「大工のヨハネ」は出ておらず、代わりに模作だったのは残念だが、ラ・トゥールの真作は40点しか確認されていないそうだ。そのうち22点が見られたのだから、まあ良しとするべきか。
2005/05/20(金)[絵]宗教的人物
「Harpyia」の習作/途中。
2005/05/18(水)[時]昏睡暴走無名犯
16日午後2時ごろ、京都市中京区の寺町商店街にある土産物店「好栄堂」に、ワゴン車が突っ込んだ。この事故で、店員の鈴木典子さん(56)が頭を強く打って死亡し、買い物に来ていた観光客がけがをした。五条署は、運転していた生花店アルバイトの男(25)を現行犯逮捕し、業務上過失致死傷容疑で調べる。
男は調べに対し「姉小路通を走っていたが、途中から記憶がない」「過去に記憶が途切れたこともあり薬を飲んでいた」などと話しているという。男にけがはなかった。
(朝日新聞:2005/5/16)
ずいぶん不可解な記事ですなあ。
まず、なぜ被害者の名前が出ているのに加害者の名前は出ていないのか。
「過去に記憶が途切れたこともあり、薬を飲んでいた
」ってまで書いて肝心の病名が書いていないのはなぜか。
記憶が突然途切れる病気って色々あるけど、ポピュラーなとこでは癲癇(てんかん)、ナレコレプシー、糖尿病性昏睡。糖尿病やナルコレプシーなら病名出すだろうけど、出てないとこからみて十中八九癲癇でしょう。
こういうことが起きないよう未来の車には脳波検知器がついていて癲癇性脳波を検知したら発進できなくなる、というSFが筒井康隆の『無人警察』だ。この作品が教科書に載ったことをきっかけに「日本てんかん協会」が抗議し、びびった出版社の対応に激怒した作者が断筆宣言するに至ったのは、ご存じのとおりだ。
原因が癲癇でも糖尿病でも、きちっと服薬など自己管理して発作を抑えられる人にまで運転免許等を取り上げる必要はないだろう。事故を起した犯人が責められるべきは「昏睡すること」ではなくて「昏睡することを知っていて運転したこと」だ。だけど、人間は完璧ではない。ときには薬を飲みわすれることもあるだろう。結果的にこの事件のように人命が奪われることがあると、病気を理由に免許を制限することも差別とはいいきれない気がしてくる。
さらにおかしいのは、恣意的に名前を出したり出さなかったりするマスコミだ。せこい操作はせずに事実だけをきちんと伝えられないものかね。どうも「大衆を教導する」つもりになっているようなのがしゃらくさい。それに「病名」を理由に責任能力がないように扱われる方が差別された気分になるのではないかなあ。
*
マスコミの記事がいかに恣意的に書かれているかにはこんな例もある。
露天商手伝い川本隆之容疑者(29)から事情を聴いたうえで、16日未明に監禁の疑いで逮捕した。
産経新聞:「一緒にいたかった」供述 女子高生を手錠で監禁の男
3週間監禁された事件で、逮捕された露天商手伝い、鄭隆之容疑者(29)
読売新聞:好きになれ、と女高生監禁20日間…露天商手伝い逮捕
露天商手伝い鄭隆之容疑者(29)を監禁容疑で逮捕した
毎日新聞:手錠かけ、女子高生を22日間 容疑の29歳男を逮捕
露天商手伝い、川本隆之容疑者(29)を監禁容疑で逮捕した
容疑者名という重要な情報が見事に四紙で二分されている。これが芸能人や相撲取りが逮捕された事件なら、間違いなく芸名(or四股名)と本名、両方しっかり書かれることだろう。
ただ、どちらが情報歪曲度が高いかといえば、通名しか書かない朝日、毎日側だろう。これが韓国人や中国人ではない在日外国人、たとえば通名佐藤一郎、本名ジョン・スミスさんが犯罪を犯したとしたら、ジョン・スミスを伏せたまま報道されるとは、とうてい思えないものね。
2005/05/16(月)[絵]The 100 blue days [ 2 ]
2005/05/09(月)[本]よもつひらさか往還
倉橋由美子『よもつひらさか往還』(講談社文庫)読了。
古い木のドアと開けると、そこには年齢不詳のバーテンダー・九鬼さんがいて慧君という青年がカウンターに腰掛けている。彼は夜毎に九鬼さんのつくる妖しげなカクテルをを呑み、美女を伴ってどこかへ消えてゆく。慧君の行き先は毎回違うのだが、どうもこの世ならぬ体験をして来るらしい。
倉橋由美子の読者にはおなじみ、「桂子さん」シリーズに連なる連作短編集。主人公の慧君は桂子さんのつれあいの入江老人の孫の青年だ。
桂子さんと血のつながりはないようだが、『夢の通い路』の桂子さんと同じく、この世の人ではないものたちとこの世でない場所で交感し交歓する能力にめぐまれているらしい。もっとも桂子さんのように自力では無理で、メフィストフェレスのような九鬼さんの「魔酒」の力を借りなければならないが。
慧君のお相手は毎回違う。鬼女であったり、式子内親王の幽霊であったり、人形であったり、ドクロであったりする。ドクロといってもただのしゃれこうべではない、どうやら小野小町の骸骨らしいのだがこれがなんとも愛らしくエロティックなドクロなのですね。
彼女?たちと慧君は男女の契りを結び、ときには同棲?したりもするが、もちろん相手は魔界のもの。逢瀬も別離も夢か魔酒のもたらす幻のごとくで慧君を翻弄したり茫然とさせたりする。
物語はいわゆるホラーやファンタジーの約束事にはしばられない。能か狂言のような幽玄な雰囲気の中、軽やかに想像力は飛翔して読み手はめくるめくような、しかしまったり落ち着いた不思議な気分が味わえる。そう、いい酒を飲んだときのような気分ですね。
酒といえば肴、出てくる食べ物もおいしそうだ。ただしこれまた正体はわからない。龍の肉かもしれないし、鬼女の骨髄かもしれない。たとえば地獄の女王の化身であるふくろうがみずから食べさせる自分の羽根の根元の肉なんてものがでてくる。その味はこんな感じらしい。
最初は柘榴の実を思わせる果実の香りと甘酸っぱい果汁で口中を喜ばせ、次いで淡白だが複雑微妙な滋味を含んだ肉の味で舌を喜ばせた。
うー、よだれが出そうだ。
2005/05/04(水)[美]アール・デコ展/春陽展
実にさわやかなお出かけ日和。満開のツツジを見ながら東京都美術館に『アール・デコ展』を見に行く。
そういえば私のこどものころ「モダン」というのはこんな感じだった、ことを思い出させるデザインの、絵や家具や宝飾品や陶器や磁器やガラス器の数々で目の保養。
しかしなんといっても大好きなタマラ・ド・レンピッカの油彩画が見られたのが収穫。「電話と女II」「マルジョリ・フェリの肖像」、もっとも良いころの作品だと思う。なまで見たのははじめてだったけど、思ったより抑えた美しい発色、明確なフォルム、艶麗な陰影、作品には満足でありましたが、マリー・ローランサンが3点以上出ているのに、ポスターにも使われているレンピッカがたった2点なのは大いに不満。
*
同じ都美術館でやっている『春陽展』ものぞいてみる。(伊豫田さんの「Legion」を発見!)いつも思うのだが、この展覧会、特に絵画部門は上下にも配置されているので首が痛い。素晴らしい作品も多いのだが、あまりの密度に絵を見る気持ちの余裕が失われる。応募も多いのだろうからしかたがないのかもしれないが、ちとつらくて惜しい。
*
見終ったのが夕方、のども乾いたので館内のレストラン「ラ・ミューズ」につれとコーヒーでも飲もうかと立ち寄る。小腹もすいたのでケーキセットかサンドイッチでも食べるかなどと、話ながら入ったのだが、席についたら、なぜか生ビール2杯とソーセージにフライドポテトになってしまった。うまかった。
2005/05/03(火)[絵]The 100 blue days
Everybody has blue days
誰でも落ちこむ日がある。
素晴らしい動物写真と秀逸なキャプションが笑えるピクチャーブック。4、5年前に竹書房から日本語版が出たことがあるけど、今は絶版らしい。
動物百景の代わりにしばらくこれの紹介を続けてみたいと思います。絵が下手くそでわからないかもしれないけど、動物はホッキョクグマ。千代大海ではない。
2005/05/01(日)[絵]Bitter & Sweet
左は新聞に載っていたチンパンジーの赤ちゃん。霊長類の味覚に関する実験で上は苦いものを食べたとき、下は甘いものを食べたときだそうだ。あまりに面白い顔なので写真を元にちょっといたずら描きしてみたけど、う〜ん、残念ながら写真の方がずっと面白い。
そういえば、うちのこどもたちも赤ん坊のときはこんな顔したなあ。
◇
懸案のハーピーはやっと描きはじめたけど、あと一ヶ月くらいかかりそう。のんびり楽しみます。
◇
ピーター・リトル『遺伝子と運命』(美宅成樹訳/講談社)、浦沢直樹『プルートゥ2』(小学館)購入。
『プルートゥ』の今回のおまけはマーブルチョコレートパッケージ入りのアトムシール。私の世代には無茶苦茶なつかしいが、前回の『地上最大のロボットの巻』まるまる一冊に比べるとかなり割高な感じ。次はどうせなら『青騎士の巻』あたりをB5判でつけてくれると嬉しいのだが。
2005/04/26(火)[本]ステップフォードの妻たち
アイラ・レヴィン『ステップフォードの妻たち』(ハヤカワNV文庫)読了。
郊外の高級住宅地ステップフォードは美しく平和な町だった。だが主婦たちはみな家事にしか興味のないおとなしい女性ばかり。越してきたばかりのジョアンナは、そんな主婦にはなりたくなくて、最近越してきた活動的な主婦たちと友だちになった。しかしその友だちも、一人また一人と別人のように家事に励み始める。彼女たちにいったい何が?次は自分の番だと気づいたジョアンナは…
映画『スッテプフォードワイフ』の原作本。映画はファッションとセットを除けばまったくの凡作。チープなSFまがいのアクションといい、ふやけたハッピーエンドといい、悪い意味での最近のハリウッドらしい映画だった。
しかし、原作である本書は面白い。隠れた傑作ミステリーと言ってもいい。ミステリーというよりホラー、でもなく、いわゆる「奇妙な味」というとらえどころのない形容がふさわしい。
静かな日常的な描写の中にかすかな違和感が徐々に徐々に積み重なって、不安と恐怖感を醸成していくテクニックは同じ作者の『ローズマリーの赤ちゃん』を思い出させる。SF的な謎も映画のようなチープな見せ方はせず、最後まで謎めいて余韻を残す。さすがにアイラ・レヴィンはうまい。
よくこんな端正な原作を、あんなに凡庸な映画にできるものだと、逆に感心してしまいました。
2005/04/23(土)[時]四千年の国
『水滸伝』を読んでいると、ひんぱんに賄賂をばらまくシーンに出くわす。盗賊集団が主人公だからやたらと官憲に逮捕される。手元不如意だったりすると拷問されたりひどい目にあう。しかしたいていは牢屋役人のしかるべきところに金をばらまいて、手加減してもらう。拷問も形ばかりで牢内の楽な仕事につかせてもらったりする。別にとりわけ要領がいい奴というわけではなさそうで、それが当たり前のようである。
まあ、大昔の話ではあります。しかし、日本の時代劇でも賄賂のやりとりは出て来るが、もっと後ろ暗そうにしている。「越後屋、お前もワルよのう」「お奉行さまこそ」などと悪であることを自嘲?している科白が定番なのだから、少なくとも当たり前のことではなさそうだ。
*
こちらは現代の話。Aさんは亜細亜の某大国で工場を経営している。しかるべき役所のしかるべき担当者にしかるべき金を送らないと「おたくの電力の割り当てはない」と言われてしまうそうだ。一度割り当てをもらっても安心はできない。突然電気が停まったりする。あわてて贈り物をとどけると翌日にはなぜか復旧するのだという。
Aさんは日本人ではない、しばらく前に某英国から返還されたところの人ではあるが立派な某大国現地の人である。だから反日的いやがらせというわけではない。おそらく「あたりまえのこと」なのだろう。ただしAさんは「同じ某国人として恥ずかしい」と言っている。当たり前とは思っていない某国人もいるということだ。
*
もう一つは日本人のBさんの場合。海外在住で芸術方面のプロデューサーをしている。自分がマネージメントするミュージシャンを亜細亜の某大国でも売り出そうとしている。もちろんコンサートを開けば某大国でも歓迎されるであろうレベルのアーティストだ。ただしその国の体制では芸術的商業的イベントを行うにもお役所の認可を得なければならない。
Bさんは水滸伝の登場人物ではないので、普通に書式をそろえ、かの国の法律にのっとって申請をしたそうな。現代の役人は水滸伝の時代より親切らしく、なにも知らないBさんにていねいに「チケット千枚を(裏で)まわすように」と教えてくれた。もちろん断れば認可はおりないことが激しく予想される。結局、イベントはとどこおりなく行われたそうだ。
賄賂を堂々と要求した役人も悪気はないらしい。契約完了後悪びれもせず向こう持ちで一席もうけてくれてヤアヤアで終わったらしいが、「二度と某大国とは仕事したくない」というのがBさんの弁である。
2005/04/16(土)[本]失踪日記
吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス)読了。
全部実話です(笑)
突然の失踪から自殺未遂・路上生活・肉体労働、アルコール中毒・強制入院まで。
波乱万丈の日々を綴った、今だから笑える赤裸々なノンフィクション!
まったく上の紹介のとおり。リアルこの上ない。悲惨なのに笑える。(ごみ捨て場から拾ってきた)とんでもない食べ物がおいしそうに思えてくる不思議。主人公だけでなく読んでるこちらまで旨そうと思ってしまう。いや、読んでるときだけですが。
作者は元祖ロリコン漫画家として有名だが、SF者にとっては『不条理日記』や『メチルメタフィジック』の(本当の意味の)本格SF漫画家だ。さらにエロいの好きの私としては『やけくそ天使』のやけくそな作者である。いまだに単行本が出れば必ず買ってしまう三人の漫画家の一人である。
ノンフィクションといってももちろん漫画。またこの漫画がうまいのである。解説のとりみきも書いているとおり、例えば頁を三段に律義に割って、ほとんどのコマに全身像を描いている。うまいなあとつくづく思う。アップにすれば迫力が出ると思ってそうないまどきの漫画家には描けんだろうなあ、などと年寄りっっぽい感想が出るほどうまい。
失踪しようとホームレスしようとアルコール中毒になろうと天才は天才のままでありました。
2005/04/15(金)[美]ゴッホ展/夜桜
いまだ花粉症が治まらず、くしゃみを連発しそうで映画を見に行く勇気が出ない。美術館ならまだいいかもということで、竹橋の近代美術館に『ゴッホ展〜孤高の画家の原風景』を見に行く。
ゴッホが影響を受けたというゴッホ以外の画家の作品で数合わせはしているが、肝心のゴッホのめぼしい出品作は少なく、これで1500円はちと高い。「夜のカフェテラス」を見られたのは良かったけど、「アルルの跳ね橋」も「鴉が群れ飛ぶ麦畑」も「ひまわり」も「オベールの教会」もなんにも出ていない。やはりアムステルダムに行くしかないね。貧乏人はつらい。
*
次に行きたい展覧会は『アール・デコ展』。カルティエやシャネルはどうでもよいが、なまで見たことがないタマラ・ド・レンピッカの油彩画が見られるとあってははずせない。う〜ん、1点しかでてなかったら泣きだな。
*
美術館を出たところのお堀端の桜がまだ半分ほど残っていたので、ちょっとした夜桜見物。それにしても最近の桜の花はやけに白くないかい。昔はもう少しピンクが濃かったような。これでは「頬を桜色にそめた」が顔面蒼白になったことになってしまうじゃないか。
2005/04/06(水)[科]リアル・ゲーム/寿命延長薬
AZOZ BLOGから二題。
*
撃たれると電気ショック!本当に痛い「究極のシューティング・ゲーム」が間もなく登場か!?
アメリカ・テキサス州にあるVirTraシステム社によって開発された「本当に痛みを感じる体感システム」が、一般家庭用のゲーム機に使用されて間もなく登場するかもしれないとのこと。もともとは軍や警察が訓練で使用するために開発されたものとか。
この体感システムは、画面上で敵に撃たれると、実際に強い電気ショックがプレイヤーに伝わり、まさしくその痛みで本当に倒れこんでしまうかもしれないというもの。今まで軍の訓練等では「撃たれたら振動するベスト」が使用されていたが、「心臓が激しく鼓動して手に汗握る・・もっと緊張感のある体感システムを」と同社が更なる研究を行ってきた結果、開発されたものだという。(略)
痛い思いをしないでスリルを味わえるからいいのではないかと思うけど。
次はもちろんエロゲーに応用でしょうね。スタンガンなんていう雑駁なものではなく、もっと繊細かつ独創的なインターフェイスを開発してもらいたいものだ。
*
イギリス・アバディーン大学のジョン・スピークマン教授が、もし人間に投与した場合、寿命があと30年延びる可能性がある薬の開発に成功したとのこと。
研究対象となっているのは、新陳代謝に大きく関与しているチロキシンという甲状腺ホルモンの一種。このホルモンは病原菌や体内組織に被害を及ぼすものを体から除去する働きをしているとのこと。(略)
また、教授は「短命だったネズミと(新薬を投与して)長生きしたネズミの寿命の差を人間に置き換えて計算すると、それはおよそ30年となる。でも誰だってその30年を介護生活で送りたくはないでしょう。この薬が実用化されれば、もっと有意義に長生きすることができるようになるのです」と研究への意気込みを語る。(略)
本当なら慶賀すべきことだが、この計算があてはまるのは人間の寿命が50年そこそこだった頃のことではないだろうか。80年以上生きる人が珍しくなくなった現在はすでに寿命が30年延びてしまった状態ではないのだろうか。
コンピュータのスピードと一緒でCPUばかり早くしても全体のパフォーマンスは上がらない。メモリやハードディスクがついてこられなければ遅いままだ。人間の寿命も一ヶ所だけ延ばしてもどこかがボトルネックになっていれば一蓮托生で御陀仏だ。
究極の方法は遺伝子操作しかないだろうな。クローンを作って脳移植なども考えられるけど、どんな方法が実現してもだれでも使えるようにはなかなかならないだろう。「だれに」施すかが大問題になりそうだ。金正日に500年も生きられたりしたらたまらない。
2005/04/01(金)[本]ミラーマンの復習
筒井康隆『ミラーマンの復習』(角川書店)読了。
前作『ミラーマンの時間』は顔にアザのある少年が超能力を持つ話で、よくできたジュブナイルだった。続編?になる本書はだいぶ様子が違う。つながりのあるのは題名だけでまったく違う小説と考えていいだろう。
主人公は中年の社会学教授植木勝弘。あきらかに「実在のミラーマン」植草一秀氏のパロディだろう。「復習」は「復讐」にかけてあるのだろうけどさだかではない。
女子大で社会学を教えている主人公はハンサムでコメントがうまくマスコミの寵児である。美人の妻とかわいい娘を持ち家庭は円満、学生のうけもいい。しかし内面にはいろいろな(滑稽な)妄想がうずまいている。
妄想と現実をシンクロさせて現実の馬鹿馬鹿しさをきわだたせる手法は著者の得意とするところだが、やがて妄想と現実の境界があいまいになってくる。主人公だけでなく、読者でさえ書かれていることが植木の妄想なのか現実にしゃべったりやったりしていることなのかわからなくなってくる。不安である。だけど妙に快感でもある。
このもやもやぶりがどんどんエスカレートしていくのだが、突然焦点が合ったように妄想と現実が一致し、植木教授がわれにかえったとき、鏡を使ったワイセツ行為を教え子に告発され逮捕されてしまう。(現実事件の手鏡を使ったのぞきよりだいぶ大掛かりでずっと気持ちよさそうな方法です>詳細は読んでのお楽しみ)
しかし彼の犯罪の実行そのものはあいまいにしか描写されない。告発は本当なのだろうか。ここから小説はにわかに本格的ミステリらしくなってくる。
植木教授を救うべくさっそうと現れる探偵役は植木の同僚(という設定の)アノ唯野教授である。唯野教授に犯罪捜査なんてできるのかと読者は不安を抱くが、教授は得意の哲学的タームを駆使して警察の挙げてくる起訴事実を次々と煙に巻く論破する。そんな教授の雄姿?に感銘を受け協力していくのがアノ(アノばっかりだな)神戸美和子ではなかった神戸大助である。富豪刑事、そんなこをとして警察をクビにならないか心配してしまうが、彼だけでなく筒井ワールドのキャラクターがそこかしこに顔を出す。神戸家のお手伝いをしている美少女はたぶん火野七瀬だと思うが、読んだ人、どう思います?
後半は前半のメタ小説ぶりは鳴りを潜め、往年のドタバタSFを彷彿とさせるハチャメチャな展開となって楽しい楽しい。最後にはミステリファンも満足するだろうどんでん返しもぬかりなくある。筒井康隆ならではの意外すぎる犯人にはアンフェアの声さえもあがらないだろう。
筒井ファンなら絶対、買いの一冊。