06/12/29(金) 私的年間ベスト10【2006】 06/12/24(日) 2006クリスマス 06/12/16(土) フィギュアスケート黄禍論 06/12/11(月) 功名が辻 06/11/23(木) 名もなき毒 06/11/18(土) 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑 |
06/11/11(土) 誰か Somebody 06/11/09(木) モナリザの罠 06/11/04(土) ひさしぶりの更新 06/10/22(日) ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 06/10/07(土) トロイア戦記/ヘレネー誘拐・トロイア落城 06/10/01(日) 戦闘女神・吉田沙保里 |
2006/12/29(金)[本]私的年間ベスト10【2006】
ちょっと早いですが、恒例の今年の読了本のベスト10。今年は順位はつけません。読了日の昇順です。
読了記を書いていなかった何冊かについて少しだけ。
『孤宿の人』
当代一の巧者である著者がさらにステージを一つ上がったと思わせる時代小説。「泣かせ」が上手すぎるのが逆に欠点だが、それをとっぱらっても骨太の「悲劇」でありました。
『魔の山』
いい意味で予想を裏切られた快作。一度読んだだけではとても感想を書く気になれないので近いうちに再読したい。
『人体 失敗の進化史』
21世紀は生物学の時代だそうだが、世に流行るのはブレインマッピングや遺伝子工学などスマートなサイエンスだ。本書は「動物の解剖学」というまことに泥臭い、しかし生物好きの原点に帰った楽しさが新鮮な一冊。
*
今年はほとんど絵も描かず、本ばかり読んでいたような気がしたけれど、のべ50冊。年々読書量は少しずつだが落ちている。量より質と思いたいところだが、そんなことも考えず素直に読みたい本を読んでいくのが一番良さそうだ。なんとも平凡な結論だが、しかたがない。
2006/12/24(日)[絵]2006クリスマス
今年は見事なほど絵を描いていないなあ、ということで、今年はサンタガールは久々の休暇のはずでしたが、年賀状でも描くかという休日、ついうっかりサンタガールを描いてしまいましたので、載せます。
昨日はかみさんと竹の塚のイルミネーションを見物に行ってきました。足立区が気合いを入れているだけあって仲々見事なものでした。妻の友人の地元なのですが、その友人は自宅のイルミネーションで区内グランプリを勝ち取ったそうな。十万円以上は毎年かけてるそうですが、グランプリはささやかなれど、見返りでしょうか。
帰りに寄ったダイニングバーは下町とは思えぬお洒落度でしたが、安いだけに味はいまいち。山芋の大蒜バターソテーとシーフードオムレツは及第点だったが、ハウスワインは珍しいほどの不味さ。あわてて生ビールを追加してしまいましたとさ。
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ゆうべは少々酔っ払っていたので、どんな絵を描いて、どんな文章を書いたのかうろ覚え。目覚めたときは冷や汗物だったけど、それほどひどくはないようで一安心(まだ醒めてない?)
2006/12/16(土)[ス]フィギュアスケート黄禍論
フィギュアスケート・グランプリファイナルなんぞを見ていた。
今期シリーズの総合得点トップ6が出場する大会だが、女子シングルは日本が半分の3人、韓国・スイス・ハンガリーが各一人。実に東洋人が西洋人の倍である。しかもショートプログラムを終わった時点で上位3人は日本・日本・韓国の順である。ペアの方も上位2組は中国、3位はUSAだが女性は米国籍の日本人だ。つまりアイスダンス以外の女性選手は東洋人が上位を独占しているわけだ。開催国のロシア人は盛り上がらないのではなかろうか。
これからは東洋の時代だ、などと阿呆なことは思わない。おそらく、この現象の原因は2002年のソルトレークオリンピックの採点疑惑事件に端を発する採点法の大幅な変更だろう。詳しいことはウィキペディアでも見てもらうこととして、順位点というかなり主観的な採点法から、要素点という客観的採点法になったことは間違いない。
元々はカナダとフランスのペアが金メダルを争ったのがはじまりだったが、漁夫の利を得たのは日本を筆頭とする東洋勢だったようだ。
主観的な採点法では見た目と伝統の西洋人が有利に決まっているが、客観的に要素をこなせば高得点を得られるなら東洋人も負けていない。バイオリン等の弦楽器系コンクールで日本や韓国の東洋勢が強いのも同じ状況なのかもしれない。
あ、見ためについては伊藤みどりの昔ならいざしらず、今の日本選手は決してヨーロッパ人に負けてないと愛国心旺盛なエロオヤジである私は強く思うものである。特に浅田真央のしなやかな肉体や安藤美姫のグラマラスな肉体と比べると、ハンガリーやスイスの選手のボディは鈍重にさえ見えてしまうのは、日本人のひいき目でありましょうか。
日本男子も高橋大輔がトップに僅差の2位につけて健闘しているしなかなかハンサムなのだが、残念ながら顔もスタイルも見た目は1位のブライアン・ジュベール(フランス)に遠く及ばない。
2006/12/11(月)[TV]功名が辻
司馬遼太郎は別に好きな作家ではない。ただ単に仲間由紀恵見たさだけが理由だったが、大石静の手練れの脚本はなかなかのもので一年間十分に楽しませていただいた。戦国時代は好きな時代だし。
しかし、織田、豊臣、徳川の盛衰の歴史を見ていると、いわゆる戦国期の英雄と言われている人たちは、意外なほど戦死が少ないことに気がつく。信長は例外だが、他は家康にしても秀吉にしても畳の上で天寿を全うしている。あの武田信玄、上杉謙信もあれだけ戦っていながら最期は病死である。
逆にいうと、どんな華々しい死に方をしても戦死してしまった人間は、、否応なく歴史上の脇役の位置に蹴落とされてしまうということなのだろう。浅井浅倉はもちろん、明智光秀も松永久秀も、所詮、戦国歴史ドラマでは脇役でしかない。
何はともあれ、生きのびた者が勝者であった。比べれば現代の勝ち組負け組など、なにほどの差があろうとは思われぬ。生きていれば勝ったも同然。
2006/11/23(木)[本]名もなき毒
宮部みゆき『名もなき毒』(幻冬舎)読了。
どこにいたって、怖いものや汚いものには遭遇する。それが生きることだ。財閥企業で社内報を編集する杉村三郎は、トラブルを起こした女性アシスタントの身上調査のため、私立探偵・北見のもとを訪れる。そこで出会ったのは、連続無差別毒殺事件で祖父を亡くしたという女子高生だった。(AMAZONの商品説明より)
前作『誰か Somebody』は淡々としたソフトミステリーだったが、本書は「理由」以来久々の本格ミステリーだ。
犯罪も連続毒殺事件と本格派だし、登場人物も多く癖のあるキャラが何人も出てくる。アクションも泣かせもサスペンスもある。
その上、著者の出世作『火車』の犯人を上回る悪人キャラが登場する。この、一見普通なんだけど内面は毒のかたまりのような人物の造型こそ、本書最大の読みどころでしょう。この人物は、現代の社会人なら一人ぐらいは似たタイプに出逢ったことがあるのではないだろうか。あの人のあの人格がエスカレートしたらたしかにこうなるかも!というリアルな怖さがある。
前作の淡白な終わり方と大いに異なり、ラスト近くでは主人公が危機に陥るハリウッドムービー的クライマックスが訪れる。たしかに盛り上がるが、私の好みだけいうと、ここだけはあまり好きではない。『誰か…』のラストがあっけないという感想がたくさんあったが、むしろああいうラストこそこの連作にはふさわしい。
宮部みゆき得意の「いい人」キャラは、本作では運送会社のべらんめえ経営者・萩原社長。映像化するときは渡辺哲がいい。
2006/11/18(土)[美]肉筆浮世絵展 江戸の誘惑
江戸東京博物館に『ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑』を見に行った。
土曜日は夜7時半までやっているので、午後4時頃に入ったのだが、それでも結構な混みようだった。
やはり肉筆はいい。浮世絵は好きだが、大きさがせいぜいB4ぐらいしかないし版画の宿命で色数が限られる(そこが良いところでもあるのだが)。肉筆だとそういった制約から解き放たれた絵描きの技量一杯が見られるような気がする。
出品作では、やはり北斎が光っている。「大原女図」の艶やかさとデッサン力のたしかさ。「唐獅子図」の筆捌き。北斎の娘応為の「三曲合奏図」の帯の立体感の見事さも観客の目を奪っていた。
私の好きな鳥文斎栄之の作品がたくさん出ていたのも嬉しい。大身の旗本らしい凜とした品のよい色気が肉筆によく似合っている。栄之に限らず、肉筆の場合、衣服の模様・配色が版画ではできない緻密さ華麗さで描かれているのが眼福である。2点出ていた肉筆の春画でもそれは同じで、春画なのに肉体描写より衣服の描写に力が入っているようだ。
絵の形態も多様だった。掛け軸、屏風はもちろん、芝居の看板、団扇絵、風呂敷。北斎の竜虎・龍蛇の2図はこの展覧会のためにボストン美術館が元々の提灯絵として復元していた。
掛け軸は絵本体でだけなく表装がいずれもすばらしい。粋で豪奢。表装した職人の名は残っていないのかもしれないが、これだけで十分に芸術品でありました。
*
帰りは息子と待ち合わせ、娘のバイト先のイタリアン居酒屋へ寄るが土曜の夜とて満席で入れない。仕方がないので近くの豚カツ屋へ。有名な店ではないがここは何をたのんでもうまい。私と息子は上ロースカツ定食。口に入れると豚肉が香ばしい。肉が吟味してあるのだろう。妻はカキフライ定食。カキはプリプリで汁気たっぷりだが薄い衣はパリっと揚がっている。満足して店を出たあと、もう一度先程のイタリアン居酒屋へ。ハンバーグとタコのオリーブオイル焼き(どちらも絶品)でワインをいただく。満腹満足で帰ってきたが、う〜む、また太りそうだ。
2006/11/11(土)[本]誰か Somebody
宮部みゆき『誰か Somebody』(光文社カッパノベルス)読了。
財閥会長の運転手・梶田が事故死した。遺された娘の相談役に指名され、彼の過去を探ることになった会長の婿・三郎は、梶田の人生をたどり直し、真相を探るが……!? 著者会心の現代ミステリー。(AMAZONの商品説明より)
著者の最新ミステリー『名もなき毒』を読む前に、前作である本書をまず読んでみた。
ミステリーではあるが、謎解きやトリックはさほど秀逸なものではない。伏線もミステリーを読みなれた人にはすぐわかる。『模倣犯』や『理由』のような作品を期待して読んだ人は少々物足りない思いをすることだろう。
探偵役も実に平凡な人間だ。警官でも探偵でもなく普通の会社員、大会社グループのグループ内広報誌作成を業とする広報部勤務のサラリーマンである。妻が創業者の会長の妾腹の娘であることぐらいが特筆すべきところか。TVドラマなら敵役のポジションだ。
舅である会長には信頼されているが、とりたてて優秀というわけでも特殊な技能があるわけでもない。善人で妻と娘をこよなく愛する家庭人だ。妻は美しく性温順、娘も素直で可愛らしい。義父も人格者で、主人公に善意に発する依頼はするが無理もいわなければひいきもしない。
道具立てはリアルだが人間関係は現実味のない現代のおとぎ話のような設定だ。
となると「はぐれ刑事純情派」のような人情派刑事物を連想するが、私の読了後の印象はハードボイルドミステリーに近いものだった。
ハードボイルド系の探偵は常に孤独だ。本書の主人公は幸福な家庭には恵まれてはいるが、他の人間関係については孤独だ。傍目にはあまりにも恵まれているがゆえに、善かれと思って助けてきた被害者から、毒ある言葉を浴びせられたりする。実の両親親戚とは絶縁状態だ。
ここで「おとぎ話」のようだった主人公の境遇が、やはり哀しみや寂しさと隣り合わせであることが見えてくる。それゆえにこそ、彼にとって家族がどれほど貴重かが読者にひしと伝わり、おとぎ話のような設定の非現実性を忘れてしまう。
やはり宮部みゆきは、うまい。
2006/11/09(木)[本]モナリザの罠
西岡文彦『モナリザの罠』(講談社現代新書)読了。
ダ・ヴィンチの「仕掛け」を知的に読み解く。人気番組「世界一受けたい授業!!」で話題の美術案内人が誘う“芸術=興奮”ワールド。(AMAZONの商品説明より)
「デヴィ夫人」という呼び名はありえんという非難をときどき聞くことがある。「スカルノ元大統領夫人(未亡人)」であってデヴィという名前に夫人をつけるのは変だ、というわけだ。
しかし本書によれば「モナ・リザ」の「モナ」は正しくはイタリアのモンナ(夫人)、リザは実在したリーザ・ゲラルディーニのファーストネーム。すなわち「デヴィ夫人」とまったく同じ構造のわけである。
綴りは「モンナ(MONNA)」だが、では「モナ(MONA)」だったらイタリア語ではどんな意味になるのだろう。……なんと「女性器」を指す言葉だという。だから「モナ・リザ」と発音したらイタリアではどう聞こえるかというと……少なくとも「モナリザを見たい」などと軽々しく発言しない方がよさそうだ。
ただし、英語読みだとMONNAはMONAになってしまうので、あながち間違いだとばかりは言えないらしい。しかし著者によれば、だからこそ『ダヴィンチ・コード』の「モナリザという綴りに暗号が仕組まれている」という「事実」はおかしいことになる。ダ・ヴィンチが母国語のイタリア語を使わずわざわざ当時マイナーだった英語で謎を作るわけがないからだ。まして当時は絵画に画家自身がタイトルをつける習慣自体がなかったという。
わざわざ刺激的な部分を選んで紹介したが、本書はただ刺激的な謎本でも、ヒット映画の便乗本でもない。著者は「ダヴィンチ・コード」以前から、ダ・ヴィンチ及びモナ・リザに言及してきた人で、決して最近のダ・ビンチ謎ブームに乗ったわけではない。(出版社の意図はともかく)
著者には『絵画の見方』『名画の見方』といった著書があり、従来の感性に重きをおく絵画批評に異を唱える観賞法を展開している。本書でも定番のモナ・リザ批評が批判の対象とされている。
モナ・リザの絵そのものより、数多のモナ・リザ論、とりわけ現代の批評家も意識しないではいられないほどの金字塔とされているウォルター・ペイターのモナ・リザ論こそ、著者によれば「罠」の最たるものであるらしい。
ペイターは夏目漱石も東大で授業のテキストに使っていたほどの美文にして名文だそうだが、彼の批評によって、なんとモナ・リザは「吸血鬼」またはそれに類したモチーフを描いた絵とみなされていたことがあるという。なぜ?という答えは本書を読んでいただくこととして、現代の鑑賞者への影響についての部分を引用しておこう。
もし、あなたが『モナ・リザ』を見てもなにも「文学的」な気分を感じないことで、自分がこの絵を理解できていないように思っているとすれば、あなたも確実にペイター的な批評の被害者となっています。
後半は、北方の写実主義と南方の理想主義の融合とか、ルネッサンスの先駆だとか、色々と『モナ・リザ』の異色性を強調している。興味深いのだけど、少々贔屓の引き倒し気味の感じは否めない。
そのへんは差っ引いても、気軽に読める現代的な『モナ・リザ』解説本でありました。
2006/11/04(土)[雑]ひさしぶりの更新
今日、物欲日記を二年半ぶりに更新しました。いかに物欲がなくなったかという味けなくかつジジむさい内容です。やれやれ。
読了記もだいぶたまってます。インプットは結構しているのですが、アウトプットする気がなかなか起きません。とりあえず、買った本だけでも書いておこう。
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西岡文彦『モナ・リザの罠』(講談社現代新書)、マイク・コナリー『ブラック・ハート』(扶桑社文庫)、宮部みゆき『誰か』(カッパノベルス)購入。
2006/10/22(日)[美]ルソーの見た夢、ルソーに見る夢
世田谷美術館に『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢』展を見に行った。新日曜美術館で今日メインで紹介していた割には、そこそのの人出で大混雑というほどではなかった。
アンリ・ルソーの系譜にある画家たち=いわゆる「素朴派」や、それ以上にルソーに影響を受けた日本人画家たちの作品は充実している。岡鹿之助や松本竣介のような西洋画家ばかりでなく、土田麦遷や小野竹喬の日本画や植田正治のような写真家まで、バラエティに富んでいて楽しめる。
しかし肝心のルソーの作品は20展余りで少ない。横尾忠則や青木世一のルソーのパロディ作品は素晴らしいが、肝心のルソーの元絵、『眠るジプシー』『フットボールをする人々』『蛇使いの女』が出ていないのは、あまりにも淋しい。『私自身、肖像、風景』もなかったし。
2006/10/07(土)[本]トロイア戦記/ヘレネー誘拐・トロイア落城
クイントゥス『トロイア戦記』(松田治訳/講談社学芸文庫)読了。
ホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』を架橋する壮大な長編叙事詩である。作者は三世紀のギリシャの詩人クイントゥス。『イーリアス』のあとを受け、アマゾーンの女王の華麗な活躍、戦争の端緒を開いた王子パリスの末路、木馬作戦の顛末、絶世の美女ヘレネーの数奇な運命等、魅力あふれる多数の挿話をちりばめつつ、トロイア崩壊までを描く。本邦初訳。(AMAZONの商品説明より)
トロイア戦争後半から終結までの物語、まさに「戦記」である。その点、漂流譚でありファンタジーロマンの色濃い『オデュッセイア』より『イリアス』に近い。英雄や神々の感情描写ではホメロスに及ばないが、戦闘描写の密度の濃さは優るとも劣らない。
続々登場する戦士たちがなかなかキャラ立ちしていて華やかだ。
トロイア戦争最大の英雄アキレウスに立ち向かうのは、まずはアマゾネスを率いる女王ペンテシレイア。白い肌を黄金の甲冑に包み、月の輪型の盾を携え、諸刃の斧でギリシャ方の男たちを次々と殺戮する。しかし、所詮アキレウスの敵ではなかった。エチオピアの黒い英雄メムノーンもその豪勇で大いにトロイア勢を鼓舞するが、アキレウスの一撃で命を失う。そのアキレウスも神アポロンの見えない毒矢にアキレス腱を傷つけられ天に召される。
アキレウスを失い、トロイア方にはあのヘラクレスの孫エウリュピロスが来援しギリシャ軍はたちまち劣勢になる。この劣勢を一気に挽回したのが、アキレウスの嫡子ネオプレプトレモスの参戦である。ついに戦場で、ギリシャ神話の二大英雄アキレウスとヘラクレスの子と孫が刃をまじえ雌雄を決することとなる。
1800年も昔の物語だが、戦闘描写は結構詳細でなかなかえぐい。少し引用してみよう。
たちまち彼の胸をつらぬいて無惨な穂先が通り抜け、食道を断ち切って戦士に死をもたらした。埃まみれの血には食物がまざっていた。(略)
その矢は近くにいた勇敢なデーイオポンテエースの左目に当たり、右の目をつらぬいて飛びだし、眼球を切り裂いた。(略)デーイオポンテエースはまだ立ってよろめいていた。そこでテウクロスは二の矢を放ち、これはビシッと喉に当たった。その矢は一直線に飛んでクビの神経を断ち切った。苦痛にみちた死がデーイオポンテエースを襲った。
もちろん、古代ギリシャ文学である。リアリズムだけではない。戦士の蛮勇は死神に操られ、戦争は神々の意志であり、なかでも尊重されるのは至高の神ゼウスの意志である。そのゼウスでさえ運命の神の紡ぐ糸を左右する力はない。
男と男が殺し合っていた。死神(ケール)たちや運命神(モロス)は呵々大笑し、しきりに武者震いする不和の女神エリスはとてつもない声で叫び、これに応じて戦闘神アレースが恐ろしい声をあげ、トロイア勢には大きな勇気を鼓吹し、ギリシャ勢をひるませ、たちまちその戦陣をゆさぶった。
戦争の最後は誰もが知っている木馬作戦によるトロイア方の敗北に終わるが、物語は陵辱されるトロイアの悲劇もあまさず記していく。勝利者であるギリシャ軍にとってもハッピーエンドは待っていない。彼らのおごりを憎んだ神の意志によって招来された大嵐がギリシャ船団を襲い、彼らの帰路が苦難に満ちたものであることが暗示される。
そし、大地を揺るがす神ポセイダーオーンの起した天変地異によって、誇り高きイリオンの都トロイアが水没したところで物語は終わる。
古代の物語とも思われぬ少々ニヒリズムただようラストは、余韻深きものでした。
◇
コルートス/トリピオドーロス 『ヘレネー誘拐・トロイア落城』(松田治訳/講談社学芸文庫)読了。
トロイア戦争は世に名高いが、戦争の発端の一部始終を伝える作品となると、『ヘレネー誘拐』が現存するのみである。一方、戦争最後の夜の悲劇に焦点を絞り、有名な「トロイアの木馬」の製作過程を詳述した作品も『トロイア落城』の他にない。クイントゥス作『トロイア戦記』と相互補完し、トロイア戦争の全容把握に不可欠な小叙事詩二篇。本邦初訳。(AMAZONの商品説明より)
と、紹介にはありますが、小品でもあり読み応えは全然ない。『トロイア戦記』を読めば足りる。『トロイア落城』も『トロイア戦記』の後半部の方がはるかに詳しい。
2006/10/01(日)[闘]戦闘女神・吉田沙保里
土曜日は格闘技の日でした。K1でホンマンvsバンナではなく、もちろん、女子レスリング。マイナーな競技ながら、中継した日本テレビはグッジョブだ。
レスリング:世界選手権女子55キロ級でアテネ五輪金メダリストの吉田沙保里が4連覇と、国際試合100連勝を達成した。
いやあ、全面アウェーの中国でここまで全階級制覇というのもすごいが、吉田沙保里の101連勝は凄すぎる。こうなったらカレリンの114連勝や柔道の山下の203連勝も更新してほしいものだ。
100連勝のかかった準決勝は固くなったか、タックルを返されてヒヤッとしたが、あとは危なげなし。相手の攻めてくる動作の起りがしらにタックルで足を取るので、相手の攻撃がどんどん出なくなるのがわかる。すばらしい。
今の日本の五輪競技やメジャーな競技のアスリートで文句なく世界に敵なしは、吉田とハンマー投げの室伏広治の二人だろう。室伏の方が階級制ではない分グレードはちょっと上かな。