12/07/28(土) MacでWord/牡蠣の燻製/土手の異音 12/07/19(木) 黄色い部屋はいかに…/ジョーカー・ゲーム/他 12/07/17(火) ソーラーパネルでもつけるかい? 12/07/13(金) 白寿の挿絵画家 12/07/11(水) あっちで呑んでこっちで呑んで |
12/07/03(火) 第9地区 12/06/28(木) 反原発デモに出くわす 12/06/26(火) 武士マニュアル/大江戸死体考 12/06/16(土) 火星/慧可断臂図/セクシーな牛乳 12/06/10(日) ナインスゲート |
2012/07/28(土)[電]MacでWord/牡蠣の燻製/土手の異音
大学の課題でWordの使い方を教えてください」というので軽く請け合ったら、持ってきたのはMac!ちょっとあせったが、ヘルプ機能を駆使してなんとか面目を保つ。冷や汗。
2012/07/19(木)[本]黄色い部屋はいかに…/ジョーカー・ゲーム/他
都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたのか?』読了。
ミステリ評論の古典で名著。センスが良くかつ巧緻な構成の短編(SF/ミステリ/怪談)の名手らしく、論理性がたしかな評論は読んで面白いのだが、対象となるのはいわゆる本格推理。紹介される本格推理小説の名作たちにはあまり食指が動かない。ミステリやクライムノベルは好きだが、本格推理体質ではないんだな、私は。
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柳広司『ジョーカー・ゲーム』読了。
旧軍時代の架空のスパイ組織という設定のミステリー。市川雷蔵の陸軍中野学校を思い出した。あの映画も雷蔵の魅力が際立ち、当時としてはなかなか洒落た作品だったが、こちらのインテリジェンスはよりクールで面白い。色々と表現が難しいだろう太平洋戦争に対するバランス感覚も好ましい。
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リチャード・ニーリイ『愛するものに死を』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ1805)読了。
サプライズエンディングでなるニーリイにしては普通というか、今一つというか。などと感想を書こうと思ったら、うう、ひさしぶりにやってしまった。読了本データベースに入力したら、2001年に買ってとっくに「読了済」でございました。
2012/07/17(火)[雑]ソーラーパネルでもつけるかい?
これだけ陽射しが暑いと、ソーラーパネルでもつけないともったいないような気分にはなる。一軒分の屋根一つで一番暑い時間の冷房を丸々賄えたら御の字なのだが、もちろんまるで足りません。山の手線内側全部を更地にしてパネルを敷き詰めてもやっと原発一基にとどくかどうからしい。
電力会社のサイトをそのまま信じるのもなんなので、自分で計算してみよう。標準的な東芝の250Wパネルの面積は 1559mm×798mmなので80枚並べると接地面積はほぼ100m2で発電量20kWになる。
山の手線の内側の面積は65平方キロなので
65,000,000m2÷100m2×20W=1,300,000W(130万キロワット)
原子力発電所一基大体100万kwだから、やはり一台分強。さらに原発は基本24時間稼働だが、太陽光発電は日中のみで天候にも思い切り左右される。
今後、技術革新で発電効率が上がり低コスト化が進めば(例えば人工衛星に使われてるクラスが安価に製造できるようになれば)原子力の代替にもなれるかもしれないが、その点は以下の理由から悲観的にならざるを得ない。
現在の、水力発電にしても火力発電にしても、その大元は実は太陽エネルギーだ。火力は石炭でも石油でもガスでも化石燃料を燃焼して得られている。化石燃料は生物由来なのだから、遡れば全ては植物の光合成によって作られたことになる。それも何億年という時間をかけて地底に蓄積されていたものを人間が数百年で消費しようとしている。水力の方は言うまでもなく、山上に振った雨によって供給される川の流れをせき止めた位置エネルギーを利用して電気を得ている。こちらは元々は何十万平方キロという面積に降り注ぐ太陽熱によって蒸発した水蒸気が、高度のある山地で凝縮されたものだ。
どちらも長大な時間または広大な空間をかけて生成されたエネルギーが凝縮されているからこそ、人類の膨大な消費電力を賄えている。だから太陽光でも風力でも原子力・火力を代替するには、それこそ超広大な面積に超巨大な施設を設置しなければならない。狭くて山だらけの日本じゃ(自然をズタズタに破壊しても)無理でしょ。宇宙発電ならもしかしたら、とは思うけど、素人考えでも実現までのハードルの高さ困難さは想像するに難くない。
ゆえに再生可能エネルギーなどというものは、その発想からしてお花畑なおとぎ話と言ってさしつかえないと思う。一見成り立っているように見えるのは、政策的な買取制度で税金で補填されているからにすぎない。
かと言って、私も原子力発電所の増設などはこの期に及んで気違い沙汰としか思えない。増設は一切認めない代わり、現在休止中の原発の内で安全な順に順次稼働していけばいいのだ。「絶対安全」ではなく「中ではより安全」だ。運転してようとしてまいと危険なことに変わりないんだから。だって311の時に福島発電所がもし稼働していなかったとしても、結果は同じだったでしょう。
国内の原子力発電所の半分でもいいから稼働して、国費を留保し、今度は危険な順に速やかに廃炉を進めたらいいではないか。願わくば、そうしているうちに核プラズマや地熱や潮汐や地道に安定的に発電できる技術が花開くことを願ってやみません。
2012/07/13(金)[本]白寿の挿絵画家
朝日新聞で筒井康隆(77)の連載が始まったが、挿絵は息子の筒井伸輔(43)。
作家と画家の親子と言えば父子が逆だが、中一弥(100)が三男の逢坂剛(68)の挿絵を描いたのは90歳のとき。なんかかっこいい関係。左はその挿絵。(「重蔵始末」)。
こちらもお勧め→「亦々一楽帖」。
中一弥の挿絵画集で、構成を担当した乙川優三郎の短編が三編組み込まれている贅沢な本。
2012/07/11(水)[TV]あっちで呑んでこっちで呑んで
2012/07/03(火)[映]第9地区
ニール・ブロムカンプ監督「第9地区」DVD鑑賞。
CG満載のなんちゃってSF映画には近寄らないようにしていたのだが、妹に勧められた本作は最近には珍しい本当に面白いSFらしいSF映画。アパルトヘイトな地区に宇宙人難民が来たらという設定からして素敵。
あまりにもリアルな宇宙人収容スラムも、グロ汚なかわいいエイリアンの造形もいいが、なんといっても主役ヴィカスを演じたシャルト・コプリーが素晴らしい。エゴイスティックな典型的なダメ公務員が、とんでもない目にあってどう変わるのかまたは変わらないのか、この役者じゃなければこの面白さはなかったと思う。
ドキュメンタリータッチだが、アクションもチェースもある。ハリウッド的なものではないが、ちゃんとカタルシスもある。妙味のあるラストもいいし、これはおすすめ。
2012/06/28(木)[時]反原発デモに出くわす
夜の銀座で東電抗議デモに出くわす。再稼働反対ばかりで値上げ反対はない。まったく関係ない部落解放などのゼッケンつけた人たち。なるほどなあ。
私も東電には文句の百万言もあるけれど、まずは値上げ冗談じゃない!だよなあ。稼働していてもしていなくても危険なことに変わりはない。思想的な反対はからめんでほしい。経営陣の報酬を十分の一にしてプラズマ発電にでも開発費集中してくれ。
反原発デモは盛況のようだ。素朴な疑問だが、なぜ年間何万人も死者を出す交通事故に対し、反自動車デモというのは起こらんのだろう。
もちろん社会的メリットと死者が出るデメリットを比較して、安全対策を徹底的にした方が良いに決まっている。というのはもちろん自動車のことで、原発でも同じだと思うのだが、そんなこと一言でも言ったら電力会社の回し者呼ばわりされるのは必定だよなあ。
核分裂エネルギー利用自体なくす方向を目指すのは賛成だけど、原子力=悪ではないのだ。悪は人間の中にしかありません。
しかし、運命や災いとかは人間の外からやってくるので、やはりこれが一番こわいのだが。悪意の人間は2番目にこわい。
2012/06/26(火)[TV]武士マニュアル/大江戸死体考
氏家幹人『武士マニュアル』(メディアファクトリー新書)読了。
いかにも戦士な卜伝百首や無感動なマニュアルに徹した切腹作法は興味深いが、いつもの著者の往時の心情や世情が浮かびあがる緻密さに欠け、いかにも薄味。
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口直しに同じ著者の『大江戸死体考―人斬り浅右衛門の時代』を再読。これは無類の面白さ。
「大江戸死体考」によれば首斬人山田浅右衛門は俳諧を嗜んだが、最初からではなく、三代目が斬首前に辞世を詠む者などいても意味がわからなくては申し訳ないと風流に心がけ代々宗匠の資格を取るほどに勤しんだのが始まりな由。
かの山田浅右衛門。では、人斬りに穢れた家系として疎まれていたかと思いきや、江戸名物男として幡随院長兵衛や紀伊国屋文左衛門と並び称せられていたという。「世中にひゞ渡りしおとこ達」
「風の内ばかりなり奴凧」七代山田浅右衛門吉利辞世の句。他に「花になれ花になれとや春の雨」
西洋の首斬人=エクスキュースナーは黒覆面で斧みたいの振るってるイメージだが、罪人のために詩を読んだりはしそうもない。山田浅右衛門より無名性は高いだろうから記号的で心理的プレッシャーは少ないのかもしれないが。
2012/06/16(土)[雑]火星/慧可断臂図/セクシーな牛乳
2012/06/10(日)[本]ナインスゲート
DVD鑑賞「ナインスゲート」。
話はありがちな悪魔の書ものホラーだけど、さすがのポランスキー監督作品だけのことはある旧き探偵物語のようないい雰囲気。雰囲気を作っているのはキャスティング。主役はもちろんジョニー・デップだが、二人のヒロイン、レナ・オリン(蜘蛛女)、エマニュエル・セニエ(ポランスキー夫人)が良い。両者共ヌードありなのが、さらによろしい。
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上記の原作、ペレス・レベルテ『ナインスゲート』(集英社文庫)読了。
映画も素晴らしかったが、原作ははるかに豊穣。日本で比肩するとすれば「虚無への供物」とかかなあ。時間空間の広がりにおいてちとかなわないけど。
ラストの贋作家兄弟の扱いだけは映画の方が丁寧だった。スピンオフを作るとしたらタイトルは「セサミ兄弟の贋作日記」だろうか。
「悪魔の描いた(かもしれない)9枚の絵」の一枚、龍にのる女の顔が、映画だとヒロイン=アドラー嬢役の女優の顔そっくりなショットがあったが、映画用に別に描いたのかが気になって仕方がない。