Episode-03「人と紡ぎし絆」

  


 

 

 

22

 

 

 

 

「第2次コンタクト開始」

 

 

「A10神経接続異常なし」

 

 

「初期コンタクト全て異常なし」

 

 

「疑似プラグ、接続しました」

 

 

 

「シンクロ率…………きゅ、94.2%。ハーモニクスも、全て正常値です」

 

 

マヤの報告とともに、発令所内に驚きとも感嘆ともとれるどよめきが湧き起こった。

 

初号機による定期シンクロテスト。

 

 

 

「この間のは、フェイクじゃなかったみたいね」

 

リツコが、いつものように冷静な口調で評する。

だが、その言葉の語尾には、明かな興奮が看て取れる。

 

前回の第5使徒との戦いのさなか、シンジの初号機は、瞬間的に100%を超えるシンクロ率を記録している。

それが、計器のミスや一時のまぐれでなかったことが、証明されたのだ。

 

「だから言ったでしょ。シンジくん、何か吹っ切れたのよ、きっと」

 

ここ最近のシンジの変化を見て、それを確信へと昇華させていたミサトが、どこか嬉しそうに全面のモニターを見やる。

 

「…にしても、もう少し感動、とか感激とかできないの、アンタ?」

「性分よ」

「あっそ…」

 

ミサトは、やれやれとため息をつく。

だが、リツコは、ミサトが思っているほど冷静なわけではなかった。94.2%という数値は、リツコから見ても驚嘆の一語に尽きる。

何しろ、シンクロテスト観測史上、最高の数値なのだ。

幼少時から厳しい訓練を続けてきたドイツ支部のセカンド・チルドレン、自他ともに認める天才、惣流・アスカ・ラングレーでさえ、これまでの最高数値は81%に留まる。

 

これが、初号機による実戦の最中というなら、まだ驚きは少ない。

実際、暴走中のデーターは除外するとしても、瞬間的に高い数値をマークするのは珍しくない。

第4使徒との戦闘中、当時のシンジのシンクロ率が大きく変動したのは記憶に新しい。

傍証と検証データから言っても、シンクロ率がある種の感情に左右される側面は否定できない。

 

だが、これは、初号機の中枢神経に接続されているとはいえ、疑似プラグによるテストなのだ。

シンジが、第5使徒との戦いをきっかけにして、ひとつの壁を超えたとしか思えなかった。

 

以前、ミサトが危惧したほど、リツコは数値自体には疑問を抱いていない。…この時点においては。

むしろ、シンジの性格的な変化の方が気になる要素ではあった。

 

 

 

「あっ…シンクロ率、低下していきます!65…55…45…」

 

短時間だが、考えに沈んでいたリツコは、マヤの声を聞いて素早くモニターの数値を見る。

 

「まさかっ…精神汚染!?」

 

ミサトが、慌てて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

シンジは、疑似プラグの中で目を閉じていた。

意識を集中してみる。

 

だが、当然のごとく、母の存在は感知できない。

 

疑似プラグだからかな。

 

そう思ってもみるが、ここへ戻ってきて初号機に何度かエントリーした時も、はっきりとした存在は感じ取れなかった。

ただ……何か、とても温かいもので包まれているような感覚は、確かにある。

幼い頃、母の腕に抱かれたときのような感覚。

 

シンジは、第十二の使徒との戦いを思い出す。

閉じられた虚数空間の中で、確かに感じた母・碇ユイの息吹。

 

また、第十四の使徒との戦い(あれは戦いと呼べるかどうかも分からないが)の後、シンクロ率が400%を超えた時、確かに、すぐ側に感じた母の意識。

 

だが、最後の戦い、エヴァ量産機との戦いにおいて、ユイの明確な意識を感じ取っていたかといえば、そうではない。

あの時、確かにシンジは一体感を感じていた。

だが、それはあくまで初号機との、であって母との、ではなかった。

 

また、それ以前にも、幾度かシンジは、初号機の中で生命の危機、精神崩壊の危機に瀕したことがある。

第三使徒、そして、第十四使徒。

その双方で、初号機は暴走――――つまり、ユイの意識が覚醒したと考えられる。

だが、第十四使徒の時は、初号機のコアに危機が迫る以前は、ユイはまったく干渉していない。

第三使徒戦にしても、それは、シンジが意識を失った後だ。

つまり、自己防衛本能のゆえだ。ユイが、積極的にシンジに接触を図るということはなかったはずである。

 

だが、それでは困ることが一つある。

第十三の使徒との戦い。

この戦いにおいて、初号機はダミープラグを受け入れ、その意志に従っている。

 

今回、シンジが最初に阻止すべきは、この忌むべきダミーシステム開発の阻止である。

そのためには、エヴァとパイロットの間に、強靱な一対一の関係の構築を模索しなければならない。

シンジは、今の自分であれば、ダミープラグが起動しても、逆にダミーシステムそのものを押さえ込むことができる、と思っている。

別に、意志の力、とかそういうことではない。

それは、最後の戦いにおいて、感覚的に学習したものである。

 

あの戦いも、まんざら無駄ではなかった、というのは、シンジを苦笑させる。

最終的に勝てなければ、意味はない。善戦したから良いというわけではない。

シンジは、今回、負けるわけにはいかないのだ。

だが、あんな無惨な戦いでも、シンジの経験値を大きく向上させたことは間違いなかった。

シンジは、すべて前向きに取ることにしていた。

 

話を戻そう。

 

だが、たとえ現在のシンジがダミーシステムを制御することができたとしても、それは、ダミーシステムの完成阻止には結びつかない。

ダミーシステムの完成は、エヴァシリーズの完成をも意味する。

いかにS2機関を搭載したからといって、ヒトの意志無しでは、ダミープラグの挿入なしには、量産機は動かないのだ。

 

ダミーシステムの概要、開発過程については、レイ(カヲル)の記憶から知っていた。

当然である。

ダミーシステムは、レイのパーソナルにより、その基礎研究・開発が進められ、それをゼーレがカヲルのパーソナルに応用したにすぎない。

だから、シンジは何としても、レイのダミーシステム開発への関与を阻止する必要があるのだった。

 

無論、シンジはそんな打算的な考えでなく、ごく純粋に、レイを実験素材のモルモットになどさせるわけには行かない、という感情の方が大きい。

レイを「おもちゃ」にしたゲンドウとリツコに対して、暗い怒りがこみ上げてくるのを、シンジは感じる。

だが…

 

シンジは、ぶるぶるっ、と頭を振って、危険な感情を頭の中から追い払った。

自分は、復讐しに来たのではない。

むしろ、計画そのものを阻止し、父を説得、あるいは諭すために来たのだ。

ゼーレの、ゲンドウの計画の先に、未来など無いということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

視点を発令所内に戻す。

 

シンジのシンクロ率が急速に低下したことを受け、マヤをはじめとするオペレーターたちが、原因究明のため慌ただしくキーを叩く。

 

「パイロットの脈拍・脳波に異常なし」

「パルス・ハーモニクスともに変化ありませんが…」

「どういうこと…」

 

リツコが、報告を聞いて眉を寄せる。

 

「シンジくん…シンジくん…?」

 

マコトが、モニターの向こうのシンジに、声をかけてみる。

………

………

………

返答がない。

モニターの中で、シンジは軽く目を閉じている。

 

「…パ、パイロット…単にボーッとしているだけの模様…」

 

シゲルの最終判定が、緊張感に満ちていた発令所内を、一瞬にして静まり返らせる。

 

シーーン…

 

 

 

あっちゃ〜、と片手で顔を覆い、思わず天井を仰ぐミサト。

 

「……いい度胸してるわね、あの子」

 

リツコが、笑顔を張り付かせたまま、モニターを見やる。

そこだけが髪と違って黒い眉毛が、ピクピクと動いている。

 

「し、シンジくんっ」

 

その表情から危険を察知したマヤが、慌ててシンジを大声で呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

再び、疑似プラグ内のシンジ。

シンジは、自分に生命の危機が迫っていることも知らず、再びぼんやりと思考の海を漂っていた。

 

 

そういえば……

 

再び、最後の戦いに思いを致す。

 

僕がやられる瞬間…いや、その直前だったかな…。

 

体中が悲鳴を上げていて、意識も半ば朦朧としていて…。

 

あの時、最後に量産機2体に対して、無意識のうちに繰り出していた攻撃は、一体なんだったんだろう…。

 

うーん……。

 

確か、あの時……

 

アスカの声が聞こえて……それから…

 

 

『し、シンジくんっ』

 

 

その時、いきなりマヤの切羽詰まった声が聞こえて、シンジの思考は中断された。

はっと、急に目が覚めたかのように、意識がはっきりしてくる。

 

「あ、あれっ?」

 

思わず、自分のいる場所を、きょろきょろと確認するシンジ。

沈思するあまり、思考が、あの最後の戦いの戦場に飛んでいたらしい。

 

疑似プラグの中…?

 

その時、地獄の底から響いてくるような、冷たい旋律が、シンジの耳朶を打った。

 

『……シンジ君?』

「り……リツコ、さん」

 

モニターの中で、リツコは一見、微笑んでいるように見えた。

だが、それが悪魔の微笑みであることを、瞬時に察知するシンジ。

 

『今が実験中だということ……覚えてるかしら』

「は、は、は、はいぃっ」

 

思わず裏返った声を出して、疑似プラグの中で背筋をピン、と伸ばすシンジ。

そのまま敬礼でもしかねない勢いだ。

 

『そう。嬉しいわ、覚えていてくれて。…でも』

「は、は、は、はいぃっ!」

 

リツコの笑みが凄絶さを増した。

 

『…終わったら、絞ってあげる』

「ぅぐ…っ」

 

ボソリとした、低ーーーーい声の呟きに、シンジは、伝説のメデューサに睨まれたように石像と化した。

 

(シンジ君…お達者で)

 

ミサトが、縁起でもないことを心中で呟いた。

 

 

 

 

 

23

 

 

 

 

「―――また、君に借りができたな」

『返すつもりもないんでしょう』

 

ネルフ本部の一室。

電話をかけているのは―――碇ゲンドウ。特務機関NERV司令。

 

『彼らが、情報公開法を盾に迫っていた資料ですが…ダミーを混ぜてあしらっておきました』

 

受話器からは、妙に軽薄な調子の男の声が流れている。

だが、ゲンドウは別段、気にした風もない。

それがいつものことのようだった。

 

『政府は裏で法的整備を進めていますが、近日中に頓挫の予定です。例の計画の方も…こっちで手を打ちましょうか』

「いや、君の資料を見る限り、問題はなかろう」

 

ゲンドウは、執務机の上に置かれた書類の束を、指でパラララ…と弾きながら、電話口に答える。

背面の壁一面が、巨大な窓になっている司令室に差し込む夕日が、ゲンドウのサングラスに映り込んで、その表情を隠している。

 

『では、シナリオ通りに……おっと、そうだ』

 

ふと、思いついたかのように言う、電話の相手。

だが、それは彼一流の巧妙な話術だ。

大切なことをわざわざ最後に回し、さりげない口調で相手の精神回路に爆弾を仕掛ける。

 

『ご子息は、逸材らしいですな』

「………」

 

だが、ゲンドウは無反応のまま、サングラスの位置を直した。

この相手には、たいした効果を得られないようであった。

電話の男も、それを分かっていて、あえて行っているフシがある。

 

『何の訓練もなしに、最初の搭乗でシンクロ率40%オーバー。使徒を次々と撃破する、若き英雄』

「くだらん話はそのくらいで良かろう」

 

詩でも謳い上げるような口調の男の言葉を、ゲンドウは遮る。

 

『…最近じゃ、シンクロ率は90%を下らないとか?』

「切るぞ」

 

ほとんど問答無用に、ゲンドウは受話器を下ろした。

 

『日本で会うのを、楽しみにしてますよ…』

 

プツッ。

 

未練がましく続いていた男の言葉が、唐突に途切れる。

そのまま、室内は沈黙で満たされた。

 

 

 

 

 

 

24

 

 

 

 

 

「あふぁ〜ぁ〜あ……」

 

葛城邸の朝は、ミサトの大あくびから始まる……わけではない。

ミサトより、少なくとも1時間は早く起きたシンジによって、軽い掃除が済み、朝食が作られ、テーブルが整えられて…そうして、ようやくミサトが起き出してくる、というのが本当である。

 

「…おはよう、シンちゃん」

「おはようございます」

 

目をシバシバさせているミサトに、眠気覚ましの笑顔を向けるシンジ。

 

「おはよう、レイ」

「......おはようございます」

 

そして、しばらく前から、葛城邸の朝に、もう一人の人物が加わっている。

レイひとりでは、結局、食生活に不安を残すため、シンジは早々に、レイを食卓に招くようにしていた。

 

「いっただっきまーす!」

「......いただきます」

「はい、どうぞ」

 

3人で食卓を囲んで食べる朝食。

それは、もうすっかり見慣れた光景となっていた。

レイも、生活上に必要な言葉を、かなり覚えて使うようになっている。

 

目覚めると、シンジとレイのいる光景。

悪くない。

 

そのせいかどうかは分からないが、ミサトが朝の一本を開ける回数は、このところ減っている。

…もっとも、二日酔いの時には、「向かい酒よん♪」などと言って、2本も3本も一気に開けることがあったが。

 

葛城邸の食事時は、なぜか会話が少ない傾向にある。

それは、レイの存在のせいではない。

むしろ、一番、口数が少なくなるのはミサトだった。

シンジの料理は、最近ますます磨きがかかっており、いかな味音痴のミサトといえど、一般的な食事との差は歴然だということを悟らざるを得ない。

結果、しゃべる暇もなく、食べることに没頭する。

自然、口の動きは咀嚼に独占されるため、口数も少なくなるというわけであった。

 

んぐっ、はぐはぐはぐ…ごっくん。あーん…ぱくぱくぱくっ、もぐっ、ごっきゅん。

 

「…んぐっ!」

 

ドンドンドン!

 

「ミ、ミサトさん…そんなに慌てて食べなくても、まだ沢山ありますから」

 

まるで欠食児童のごとく食べ、喉を詰まらせるミサトに、シンジはほうじ茶の湯飲みを渡す。

 

んぐっんぐっんぐっ…

 

「ぷぅ…サンキュ、シンジ君。…だぁって、すんごくおいしいんだもん、シンジ君のお料理♪ ね、レイ?」

「......碇君のご飯はおいしい」

「あ、ありがとう。二人とも」

 

じーーーーーーんっ、と主婦の喜びを噛みしめるシンジであった。

 

「あっ、そうだ。今日、学校に行くからよろしくねン♪」

「あ、今日でしたっけ」

「......(もぐもぐ)」

「すみません、ミサトさん。忙しいのに」

「......(もぐもぐ)」

「いいのいいの。大事なシンちゃんとレイのためですもの」

「......(もぐもぐ)」

「ありがとうございます」

「ね、レイ♪」

「......(ごくん).....はい」

 

レイは、シンジの「綾波、ご飯はもっと良く噛んだ方がいいよ?」という教えを、忠実に実践しているようだ。

 

 

 

「いってきます!」

「......いってきます」

「はい、いってらっしゃい」

 

笑顔で手を振るミサトに見送られて、シンジとレイは一緒に登校する。

なんでもない日常の一コマ。

だが、シンジも、そしてレイも、ぽかぽかとした日だまりのような、なんともくすぐったいような感触を覚えていた。

レイは、少しずつ日常にとけ込んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミーンミンミンミンミンミーン……

ミーンミンミンミンミンミーン……

 

 

蝉の声。

 

 

シンジは、教室の窓から、外を眺めていた。

使徒の残骸…遺骸が見える。

 

使徒…。

 

そして、少し複雑な表情になる、シンジ。

 

使徒とはなんだろう。

なんのために、やってくるのだろう。

 

もう一度、原点に立ち戻ってみる。

使徒が目指しているのは、セントラルドグマのアダム。

だが、今はまだ存在しないから、リリスを目指しているということか。

 

アダムとの融合。

サードインパンクト。

 

使徒の存在意義が、最終的にそこにあるのであれば、自分は戦わなければならない。

殺さなければならない。

殺さなければ、生きられない。

第十八番目の使徒である、リリン―――僕たち人間が。

なんと、罪深いことだろう。

 

だが別に、シンジは綺麗事を言うつもりはなかった。

自分一人、ヒト一人にできることには限界があり、それ以上の力を欲すれば、それは必ず破綻を来す。

世界を救済する。全人類を補完する。

聞こえの良い言葉。

だが、それだけだ。

結局は、そうした個人の傲慢さが、他人を滅ぼし、自分を滅ぼす。

滅びたいなら、せめて自分だけで滅びればいい。

 

そう思ったのは、ゼーレの存在に思いを致したからだ。

 

シンジは、自分にできることをするだけだ。

ミサトを護り、レイを護り、みんなを護り、そしてアスカを護る。

そのためには、僕は、使徒を「殺す」。

迷いはない。

 

だが…。

 

それでも、ふと決意が鈍るのは、カヲルの存在を思い出すからだ。

彼の生は、自分たちの滅び。

彼の死は……果たして、自分たちの幸福なのだろうか。

 

そうではない気がした。

少なくとも、自分にとっては。

 

使徒も被害者なのではないか。

その考えは、最後の戦いの直後から感じていた。

何しろ、最後に戦っていたのは、同じヒト、人間が作り出した、歪んだ存在―――エヴァシリーズだったのだから。

 

使徒が人類を滅ぼすのは、神の意志であり、運命なのだ。

 

そう言われたのであれば、シンジは何の迷いもなく、理不尽な運命の化身、使徒に立ち向かうだろう。

だが、表面的な事象はどうあれ、彼らを利用しているのは、人間ではないのか。

たった一握りの、ゼーレという存在によってではないのか。

 

シンジは考えていた。

 

 

「......何を見ているの」

 

突然、背後からかけられた静かな声に、シンジはしかし驚かなかった。

紅色の静かな瞳。

それが、レイであることは、雰囲気だけで分かる。

 

「ん……」

 

シンジは、ちょっと振り返って、レイの顔を見ると、再び視線を外へと戻す。

レイは、その視線の先を追って、紅い瞳を向けた。

 

「......」

「………」

「......」

「…人と人の絆ってさ」

「.....え?」

 

唐突に切り出された話題に、レイは少し戸惑う。

シンジが、何を言おうとしているのか、分からない。

と、シンジが振り返って、レイの瞳を覗き込んだ。

シンジの目に、もう憂いはない。

微笑むシンジ。

 

「…人と人の絆って、素敵だよね」

「......」

「………」

「......ええ」

 

シンジの意図は分からなかったが、彼の言葉は、レイの中に染みこむように伝わってくる。

いつも、あたたかな波動をともなって。

 

 

キキキィッ…!

 

もの凄いブレーキ音を響かせて、車体の後ろ半分を回転させるような勢いで、赤い車が駐車場に入ってきた。

 

「おおおっ、いらっしゃったでぇ!」

「おおうっ!」

「わあっ」

「あっ......」

 

それがミサトの運転する車だと確認するや否や、後ろからトウジとケンスケ(手には当然ビデオカメラ)に割り込まれたシンジとレイは、窓枠に挟まれて身動きがとれない。

 

「ちょ、ちょっと二人とも…きつい」

「......くるしい」

 

しかし、二人は完全無視。 というより、シンジとレイの声など耳に入っていない。

 

運転席のドアが開き、ニュッと出てくる長い足。

全ての窓から外を覗き込んでいる男子生徒たちは、そのおみ足に視線が釘付け。

山吹色のジャケットに身を包んだ美女がサングラスを外すと、一同から、おおお〜という歓声が上がった。

 

「かっこいい!誰、あれ?」

「…碇の保護者?!」

「なに、碇って、あんな美人に保護されてんの?!」

 

どういう言われようだと、シンジはトホホとなった。

 

にこやかに手を振るミサトに、シンジは手を振り返す。シンジを見ていたレイも、同じように手を振る。

何かいい雰囲気だった。

 

「やっぱ、ミサトさんってええわぁ」

「うんうん」

「…そうだね」

「あれで、ネルフの作戦部長やいうのが、またすごいっ」

「うんうん」

「…ホントだよね」

 

ジロッ、とシンジを睨むトウジとケンスケ。

 

「シンジ…お前はもう、ええねん。それでなくても、モテモテなんやからな」

「そうそう!だから、ミサトさんは俺らに任せろ!」

 

はぁ、なんでそうなるんだよ…と教室内を振り返ったシンジは、複数の女子生徒からの視線にギョッとする。

……こ、これはうかつなことは言わない方がいいかも。

思わず汗をダラダラ流していたシンジだが、その中の一つの視線にぶつかって、表情を変える。

その視線の主、洞木ヒカリは、シンジと目が合うと、慌てて視線を逸らした。

 

シンジには、彼女が自分を見ていたのではないことが分かっている。

トウジだ。

好きな男が、目の前で他の女性にデレ〜っとしていれば、それは悲しくもなるだろう。

 

シンジは、とっさにトウジと、ついでにケンスケの首根っこを捕まえると、その視界からミサトを遠ざけるように、教室の中に連れ戻した。

 

「な、なにすんねん、センセ…」

「そうだぞ、シンジ!」

「…もういいだろ。綾波が苦しそうだよ」

 

シンジは、レイを引き合いに出して、二人に反省を求める。

チラッとヒカリの方を見ると、少しホッとしたような顔をしていた。

 

トウジもなぁ……早く洞木さんの気持ちに気付いてあげればいいのに。

 

…それはまったくの正論であったが、トウジも、シンジには言われたくなかったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

25

 

 

 

 

 

『零号機、冷却値をクリア。作業は、セカンドステージに移行してください』

 

作業アナウンスが響く。

 

 

 

定期起動実験を終えたレイとシンジ(といっても、実際に参加したのはレイだけ)は、ミサト、リツコ、マヤ、マコトといった面々とともに、昇降機に乗っていた。

 

「初号機の胸部生体部品はどう?」

「中破とはいえ、前部だけを見れば大破と変わりませんからね…。新作しますが、追加予算の枠…ギリギリですよ」

 

会話を交わすリツコとマヤの言葉通り、現状の初号機は完調とはほど遠い状態にあり、胸部などは、前回の戦いで使徒の加粒子砲によって溶かされたまま、新しい装甲もついていない。

右腕の損傷もひどく、とうてい実戦には耐えない。

 

これはある意味、シンジには大きな誤算といえた。

どうしても、実戦をレイの零号機に頼らざるをえなくなる。

それは、シンジにとって辛かった。

その思いが、つい口をついて出る。

 

「……ごめん、綾波。負担かけちゃって」

「どうして謝るの?......碇君は、何も悪くない」

 

意外なほどの勢いで、シンジを見るレイ。

 

「......だって、碇君は私を護ってくれた」

「う、うん…でも」

「気にしないで......」

 

シンジは、珍しくレイが見せた強い意思表示に、わずかにたじろいで納得する。

周囲には、なんとなく気まずい雰囲気が充満している。

マコトは、さかんに咳払いを繰り返している。

マヤは、口をぽかんと開けている。

リツコは、なぜかこめかみに指を当てて頭を振っている。

そしてミサトは、「ひゅーひゅー」と茶化しを入れていた。

 

「で、でも!これでドイツから弐号機がくれば、少しは楽になるんじゃないですか?」

 

その雰囲気に耐えきれなくなったシンジは、慌てて別の話題を振る。

が。

 

今度は自分一人に視線が集中しているのに気付いて、シンジは愛想笑いを張り付けたまま、一同を見回した。

 

「あ、あれ、どうかしました?」

「……シンジくん、よく知ってるわね。ドイツから弐号機が来るの。私、言ってなかったわよ、ね?」

 

ぽかんとした顔で、シンジを見るミサト。

 

しまった!

シンジはハッとした。前回は確か、ここで弐号機の話になったから、その話題を振っておけば自然だろうと思ったのだが、この時点では、シンジは弐号機のことは知らなかったのだ。

 

「…誰に聞いたの」

 

ミサトの反応を受けて、わずかに怪訝な表情を浮かべてシンジを見るリツコ。

 

「あ、えっと…別に誰っていうわけじゃないんですけど…職員の人が話してるのを小耳に挟んで…」

「ふう〜ん…そういや、最近、その話題で持ちきりよねぇ」

 

そうかそうか、と頷くミサトとは対照的に、リツコは静かにシンジを見ているだけだった。

シンジは、内心、冷や汗をかきながらも、普通の表情を保つのに全力を挙げていた。

確かに、先の発言は不用意だったが、別に致命的ではない。

その後のフォローにしても、的確だった。

「誰それに聞いた」と言えば、必ずそこから足がつく。確かめられれば、そんな事実がないことが分かってしまうだろう。

だが、「偶然、耳にした」と言っておけば、よほどの機密事項でない限り、不自然さはないし、確認のしようもない。

 

とにかく、この時はこれで済んだ。

シンジは、ほっと胸をなで下ろした。

 

「(あぶないあぶない。これから発言には、気をつけないとな…)」

 

へんなところで、未来からやってきた(?)という自覚の足りないシンジであった。

 

「…ところであれ、予定通り、明日やるそうよ」

 

リツコが、視線だけをミサトに送る。

 

「…わかったわ」

 

聞いていたシンジには、それだけで、二人の会話が何を意味するかを理解した。

 

そうか……もう明日なんだ。

 

JAの完成披露会。そして―――

暴走。

 

しかも、ただの暴走ではない。それは、仕組まれた暴走なのだ。

 

そこまで考えて、シンジはハタと、思考が止まる。

 

しまった……初号機は使えないんだった。

 

「......碇君?」

 

突然、立ち止まったシンジを不思議に思ったレイが、声をかける。

 

「えっ」

「......どうしたの」

「あっ、いや、なんでもないよ」

「そう......」

 

シンジは、手をパタパタと振りながら、逆にレイを促して歩き出す。

だが、その頭の中では、フルスピードで思考回路が回転していた。

 

どうしよう……。

僕がネルフに来ててもおかしくない状況は……

………

………

よし、これだ。

 

やがて、良い手を思いついたシンジは、明日に備えて、今日は早く寝ようと決心した。

 

 

 

 

 

26

 

 

 

ガラッ。

 

「おはよう」

 

「...............おはようございます」

「クワ…ッ」

 

いつもは、下着同然の格好で出てくるミサトが、軍正装を一分の隙もなく着こなしてダイニングに姿を現した。

その、いつになく真剣な表情に、レイはあいさつを返すタイミングが遅れ、そして、温泉ペンギンのペンペンは、くちばしをあんぐりと開けたまま、文字通り、開いた口がふさがらない。

 

ちなみに、今では、ペンペンはレイに非常に良くなついている。

今も、レイの膝の上で、仲良く朝食の時間を待っていた。

 

ミサトは、驚く一人と一匹には構わず、スタスタとダイニングを横切る。

 

「仕事で、旧東京まで行ってくるわ。たぶん帰りは遅いから、夕食は何かデバッて……って、なにこれ?!」

 

それまで、真剣な顔で渋く決めていたミサトが、シンジにあいさつしようとキッチンを覗き込んだ途端、ぐあっ、と普段の表情に戻る。

 

「あ、ミサトさん、おはようございます」

「お、おはようって……なに、この大量の料理は」

 

キッチンには、ゆうに6〜7人分はあろうかという料理が並んでいた。

 

「……ピクニックにでも行くつもり?」

「ん、まあ…似たようなもんですけど」

 

冗談のつもりで言ったのに、あっさりとかわされて、ミサトは唖然とする。

 

「そ、そお…悪いけど私…」

「あ、ミサトさん、朝、食べてる暇ないんでしょう」

「え?え、ええ…」

「でも、朝を抜くのは体に悪いから…はい、これ」

「これ…?」

「おにぎりです。軽く包んどいたんで、途中で食べてください」

「あ、ありがと…」

 

可愛い柄の包みを受け取りながら、なんでわかったのかしら…と「??」なミサトだった。

 

「じ、じゃあ、行って来るわ」

「いってらっしゃい。また後で」

 

思いっきり出鼻をくじかれたミサトは、なんとなく自信なさそうに、出かけていった。

後ろで、シンジとレイ、そしてレイにだっこされたペンペンが見送っている。

 

 

その声を背に受けながら、ミサトはひとつの疑問を浮かべていた。

 

また後で?

今日は遅くなるって言ったんだけどな…。

 

さっぱり分からない、ミサトであった。

 

 

 

「さて……僕たちも出かけようか」

 

ミサトの姿が見えなくなると、シンジは呟いた。

 

「......どこへ?」

 

当然の疑問を浮かべるレイに、シンジはにっこり笑った。

 

 

 

 

 

 

ネルフ発令所

 

 

 

 

 

「こんにちは!」

「......こんにちは」

 

「え?」

「あら?」

「はっ?」

 

背後の気密ドアがプシュッ、と音を立てて開き、突然シンジとレイが入ってきたため、シゲル・マヤ・マコトを含む、その場にいたオペレーターたち全員が、何事かと振り返る。

 

「どうしたの、シンジくん?レイちゃんまで…今日は、何も予定はなかったんじゃない?」

 

いち早く、マヤがオペーレーター席から立ち上がって、シンジとレイに近づいてくる。

 

「ええ、そうなんですけど…。実は、みなさんにお弁当を作ってきたんですけど……食べませんか?」

 

シンジは、愛想笑いを浮かべながら、後ろ手に持っていた大きなバスケットを両手で差し出して見せた。

続いて、レイも無言のまま、持っていたバスケットを差し出す。

 

「ええっ?」

 

これが、シンジの考えた「作戦」だった。

…よく考えると、作戦でもなんでもない気はする。

 

だが、今はちょうどお昼時。

弁当、と聞けば、たいていの人はそちらの方に気が向くのではないか、という読みがシンジにはあった。

 

「おおっ!」

「わあっ、本当に?」

「なになに、マジ?!これって、シンジ君が作ったのかい?」

「ええっ、どれどれぇ?」

「うひょー、ラッキィ!」

 

案の定。

一同は、なぜ、休日にシンジたちがNERV本部に現れたのかよりも、シンジの作った弁当の方に興味を集中する。

 

パカッ。

 

すかさず、バスケットの蓋を開けてみせるシンジ。

 

うおおおお〜〜〜〜〜〜〜!

 

一種、異様なまでのどよめきが、発令所内を満たした。

 

「す、すごい…」

「う、うまそう…」

「(じゅるるっ…)」

 

目が釘付け状態の、マヤ・マコト・シゲルほか多数。

 

「どうぞ、沢山作ってきましたから、みなさんで食べてください」

 

シンジのその声を合図にして…

 

「うぉぉっ、いいのっ?!」

「いっただっきまーす!!」

「ああっ、俺も俺も!」

「だあっ、それは俺が狙ってたやつじゃないか!」

「知るか。早い者勝ちだ!」

「きゃっ、お、押さないで…」

「だから、これは俺のだって!」

 

その場は、第一回、シンジ弁当杯・争奪バトルの会場と化していた。

 

そして、各々が手にしたものを口にした途端。

 

「「「「「「「「「「「「「「「「 うっ…… 」」」」」」」」」」」」」」」」

 

目を見開いて、そのまま固まってしまう一同。

 

「……あ、あの…お口に合わなかったですか?」

 

あまりの変化に、おずおずと上目遣いで一同を見るシンジ。

 

(う…うまい。うますぎる…!)

(ああ…幸せ)

(こんな美味い弁当、はじめてだ…)

 

「こ、これ…ホントにシンジ君が作ったのかい?」

 

一同の気持ちを代弁して、最初に口を開いたのは、マコトだった。

 

「ええ…そうです、けど…」

 

「「「「「「「「「「「「「「「「 うまいっ!! 」」」」」」」」」」」」」」」」

「うわっ」

 

「これもらいっ!」

「バカ、それを独り占めするんじゃないっ、お前は鬼か?!」

「フッ、俺は、このメシのためなら鬼にでもなってやるぜ」

「だめですっ、これはあげれません!」

「そんなにがっつくなよ!」

「お前こそっ!」

「ああんっ、それ取っちゃだめ!」

 

一瞬にして、第二回、続シンジ弁当杯・争奪バトルが始まった。

 

「......すごい」

「は、はは…ま、まあ、気に入ってもらえたみたいで良かった」

「碇君のお弁当は、おいしいもの......私も、食べたい」

「あ、綾波の分はこっちに分けてあるから」

「......ありがとう」

 

とにかく、また一つ、シンジの料理伝説が刻まれたようだった。

シンジにの手によって作られた弁当は、味だけでなく、オペレーターたちが、仕事をしながら食べられるようにと、細やかな心遣いが施されている。

こうしたところが、いかにもシンジらしく、また、それに気付いた者たちは感動を覚えるのだった。

 

シンジには、当初の目的とはまた別に、感慨深いものがある。

思い出されるのは、最後の戦いだ。

あの時…ここにいるマヤ・マコト・シゲル、そしてオペレーターたちの協力がなかったら、シンジは、弐号機を抱えたまま、量産機にやられていたに違いない。…アスカも道連れに。

 

あの時のお礼が言いたかった。そして、詫びたかった。

無論、それが現在において、意味のないことであるのは分かっている。

だが、シンジは、そうせずにはいられなかった。

 

「みなさんには、いつも迷惑ばかりかけているから…。いつも、僕たちを裏で支えてくれて、ありがとうございます」

 

前置きもなく、シンジはそう口に出していた。深々と頭を下げて。

 

シンジの弁当に目の色を変えていた一同が、食べるのをやめて、シンジを見る。

 

「う、ううん。そんな…」

「いや、あらためてそんなこと言われると…なあ?」

「あ、ああ…俺たちより頑張ってるのは、シンジくんやレイちゃんの方さ」

 

「…みなさん、これからもよろしくお願いします」

 

シンジは黙って、もう一度頭を下げた。

 

「……みんな、これ食べたら、仕事するぞ、仕事」

「「「「「「「「「「「「「「「 おう! 」」」」」」」」」」」」」」」

 

その場を代表してシゲルが言うと、一同は力強く頷いた。

シンジは、自分が何をしたのか、良くわかっていない。

それは、今の彼の持つ、何よりも強い力であることを。

 

レイは、そんなシンジとオペレーターたちを、無言で見つめていた。

 

シンジは、知らない内に、周りの者をあたたかくしてくれる。

......自分のように。

 

レイは、そんな少年の背に、そっと寄り添っていた。

 

 

 

「…何の騒ぎだね、これは」

 

その時、上の階から冬月副司令が下りてきた。

 

「あっ、副司令…」

 

冬月付きのオペレーターであるシゲルが、慌てて敬礼する。

 

「ふむ…昼食時なのは分かるが、オペレーターが空席だらけではな。…碇がいたら、どやされるぞ」

 

冬月の冷静なツッコミに、顔を青くしたオペレーターたちは、シンジの弁当をそれぞれ手にしたまま、慌てて自分の席に戻った。

 

「おや、シンジくんに…レイか。今日は、スケジュールはなかったと聞いているが」

「あ、副司令…副司令もひとつ、いかがですか?」

 

シンジは、バスケットに残っていたクラブサンドを、冬月に差し出した。

 

「ん?う、うむ…」

 

実を言うと、シンジが現在のシンジになってから、二人は初めての顔合わせであった。

シンジが、記憶にあるよりもずっと穏やかな顔をしているので、驚く冬月。

それは、彼の中の碇ユイの表情に似ていたからかもしれない。

普段ならば、もう一言くらいあっても良い場面だったが、冬月は素直にシンジからクラブサンドを受け取ると、それに目を落とした。

 

「お口に合うか、分かりませんが」

「いや…」

 

少し戸惑ってから、冬月は、それを口に入れた。

 

「……うまいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…その頃、ミサトとリツコは。

JA完成記念式典の式場にいた。

 

 

「…先程のご説明ですと、内燃機関を内蔵、とありますが」

「ええ、本機の大きな特徴です。連続150日間の作戦行動が保証されております」

 

日本重化学工業の時田シロウが、リツコの質問を受けて、淀みなくそれに答える。

 

「しかし、格闘戦を前提とした陸戦兵器にリアクターを内蔵することは、安全性の点から見ても、リスクが大きすぎると思われますが」

「5分も動かない決戦兵器よりは、役に立つと思いますよ」

 

時田の言葉に、優越感と嘲笑が混じる。

 

「遠隔操縦では、緊急対処に問題を残します」

「パイロットに負担をかけ、精神汚染を起こすよりは、より人道的と考えます」

 

リツコの口調は、次第に熱を帯びてきているようだ。

それは、ミサトだからこそ気付くほどの小さな変化だったが。

 

大人げないわね、とミサトは思う。

 

だが……。

 

冷静に考えると、時田の言うことは正論だ。

特に、「パイロットに負担をかけ」という一文が、ミサトの気分を重くしていた。

シンジやレイのことを思い出したからだ。

 

「人的制御の問題もあります」

「制御不能に陥り、暴走を許す、危険きわまりない兵器よりは、安全だと思いますがね。制御できない兵器など、まったくのナンセンスです」

 

時田の言葉は、そのままミサトに跳ね返ってくるようだった。

 

時田は、望遠で撮ったような、解像度の悪い写真のプリントアウトを見せた。

…第三使徒との戦いにおける、初号機の暴走した姿だ。

ミサトは、顔をしかめた。

 

「…人の心などという、あいまいなものに頼っているから、NERVは先のような暴走を許すのです」

 

この言葉には、ミサトもカチンと来た。自分ではなく、シンジを侮辱されたように感じたからだ。

 

「…その結果、国連は莫大な追加予算を迫られ、某国では2万人の餓死者を出そうとしているのです。その上、あれほど重要な事件にも関わらず、未だにその原因が不明とは…。せめて、責任者としての責務は、まっとうしてほしいものですな。…良かったですねぇ、NERVが超法規的に保護されていて。あなた方は、その責任を取らずに済みますから」

 

苦い思いを噛みしめるミサト。

目的のために他者を踏みつけにする、という構図に、嫌悪感を感じたからである。

…それは、自分のことだ。

 

「何とおっしゃられようと、NERVの主力兵器以外、あの敵性体は倒せません」

「…ATフィールドですか? それも、今では時間の問題にすぎません。いつまでも、NERVの時代ではありませんよ」

 

失笑と冷笑が、会場を満たした。

ミサトとリツコは、黙ってその屈辱に耐えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……ずいぶんと、大人しいじゃない。ミサト。あなたのことだから、もっと怒るかと思っていたけれど」

 

控え室で、大きな鏡の前に座って言うリツコ。

 

「そうね。…でも、あいつの言うことも、一理あるかもね」

 

自分がNERVに入ったのは、世界を救うためでも、パイロットの人権を守るためでもない。

…復讐のためだ。

セカンドインパクトを起こした、「敵」に対する―――。

時田の言ったことは、その動機はともかく、おそらく正しいのだ。

そのことが、ミサトの表情に影を落としていた。

 

「しおらしいことを言うのね。ミサトらしくもない」

「………」

「自分を自慢し、褒めてもらいたがってる。…たいした男じゃないわ」

 

リツコの手の中で、パンフとロムが燃えていく。

 

「でも…ATフィールドまで知られているとはね」

「極秘情報がただ漏れね」

「…諜報部は何やってるのかしら」

 

忌々しげに言うミサトに、リツコは黙って鏡の中の自分を見つめていた。

リツコは知っている。

この後、あの自意識過剰な男の顔が、恐怖に凍り付くことを。

その姿を想像して、リツコは、身内にたぎる怒りを収めた。

 

 

 

 

 

 

そして、JAは暴走した。

……計画した者の思惑通りに。

 

 

 

 

 

 

「…あ、日向君? 厚木にナシ付けといたから、シンジ君…の初号機は修理中だったわね。レイと零号機をF装備でこっちによこして」

 

独断での行動を取ることにしたミサトは、着替えながら電話の向こうのマコトに言う。

 

「招集に時間かかるかもしれないけど、ウイングキャリアーなら、第3実験場まですぐでしょ?」

『…いえ、レイちゃんならここにいます。シンジ君も来てますよ』

「……………は?」

 

電話の向こうから聞こえてきた意外な返答に、ミサトは、思わず間抜けな声を上げる。

 

『ミサトさん、呼びましたか?』

「わあっ」

『…聞こえましたか?二人して、お弁当を差し入れにきてくれてたんですよ』

「あ、そ、そう。まあいいわ。かえって好都合よね。じゃ、すぐ寄越して。じゃね」

 

ガチャン。

 

「……どうしたの?」

 

ミサトの様子を不審に思って、リツコが声をかける。

彼女は、ミサトの行動には反対だった。…当たり前である。

この「事故」は、初めから仕組まれたものであり、エヴァの能力を示すことさえできれば、あとは自動的に停止することになっているのだ。

 

「あー…びっくりした。いきなりシンちゃんが出てくるんだもの」

「シンジ君…本部にいるの?」

「ええ。レイも一緒だって。みんなにお弁当の差し入れですって」

「なにそれ…」

「さあ…そういや、今朝いっぱい料理作ってたわね。やだ…結局、『またあとで』ってことになっちゃったわ」

「…どういうこと?」

「ああ、今朝ね。『今日は遅くなるわ』って言ったのに、シンジ君たら、『またあとで』なんて言ってたのよ。まさか、本当になるなんてね。ハハッ…」

 

ミサトは笑ったが……リツコは笑わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NERV本部発令所。

 

「さ、零号機の固定が終わったから、急いで向こうに向かってくれ、レイちゃん」

「......ハイ」

「あ、日向さん」

「ん?なんだい、シンジ君」

「実は、お願いがあるんですが…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本気ですか…」

「ええ」

「しかし、…内部はすでに汚染物質が充満している。危険すぎる!」

 

JA暴走後の時田は、その自信の仮面がはげ落ちて、ひどく気弱な印象を与えた。

 

「うまくいけば、みんな助かります」

 

ミサトの力強い瞳に気圧されたように、時田が汗をぬぐう。

 

「…ここの指揮信号が切られると、ハッチが手動で開きますから」

「これで、リアクター上部から、内部に侵入できます」

 

ガシャン、という音に振り向くと、ほかの管制官たちが、ミサトに協力の意志を示していた。

無言で頷くミサト。

そのミサトを、時田はしばらく無言で見つめていた。

 

「希望――――」

「え?」

「プログラム消去のパスワードだ」

 

時田は、ミサトの顔を正面から見ることができず、背を向けたままで、それだけ言う。

 

「ありがとう」

「こちらの不始末を押しつけておいて、言えた義理じゃないが―――頼む」

「…任せなさい」

 

ミサトは、大きく一つウインクした。

 

 

 

 

 

 

 

 

プシュッ…

 

「……なっっ」

 

放射能防護服を着て、ウイングキャリアーのキャビンに入ったミサトは……そこにいる人物を見て、驚愕に目を見開いた。

 

「シンジ君っ?!」

 

ミサトと同じ、放射能防護服に身を包んだシンジが、手を上げてそれに応えた。

隣に座っているレイは、プラグスーツ姿だ。

 

「な、な、なんでっ?!ど、どうしてシンジ君がここにっ?!」

 

一瞬の驚愕から解放されたミサトは、コ・パイ席のマコトを睨んだ。

ミサトに睨まれて、マコトはトホホ…と肩をすくめながら、答える。

 

「…すみません。シンジ君が、どうしてもというもので」

「すみません。僕が無理言ってお願いしたんです。日向さんは悪くありません」

「シンジ君っ、一体、何を考えてるの?!…それに、その服。あなたまさか」

 

ミサトは、シンジの着ている放射能防護服を目にして、目をつり上げる。

 

「…あれに乗るんでしょう。ミサトさん」

「えっ…?」

 

これから説明しようと思っていたことを先に言われて、ミサトは言葉に詰まった。

 

「…僕も、一緒に行きます」

「なっ…!! そんな無茶な!」

「…無茶なのは、ミサトさんでしょう」

「…えっ…」

 

突然のシンジの反撃に、ミサトはぴくんと肩を揺らす。

 

「ミサトさん……自分を犠牲にしてでも、なんて考えないでください」

 

ぎくっ、と体を硬直させるミサト。

 

「な、なに言ってるのよ。私が、そんなこと考えるわけないでしょう」

 

しかし、シンジはそれには答えず、じっ…とミサトを見つめている。

漆黒の瞳で。

その目に、ミサトはすべて見透かされているような気がした。

 

「…忘れないでください。ミサトさん。僕も、綾波も…ミサトさんにもしものことがあったら…もう、今の自分ではいられなくなります」

 

シンジは、静かにそう言った。

その言葉が、ミサトに与えた衝撃は、どれほどのものだったろう。

ミサトは絶句すると、何も言えなくて……言い出せなくて、じっとシンジの黒い、優しい目を見つめていた。

そして、横にいるレイの紅い瞳を見つめる。

レイは、二人のやり取りに、どことなく不安そうな色をその瞳にたたえている。

 

「だめなんです。もう、誰一人欠けても。それを…忘れないでください」

 

「シンジ君……」

 

負うた子に教えられ、とはこのことだわ。

ミサトは、潤みがちな瞳を瞬かせながら、小さな笑みを浮かべた。

 

ミサトは、シンジたちチルドレンを真っ先に戦場へと駆り立てることに、罪悪感を感じていた。

初めてNERVに来て、右も左も分からない少年を、大人の論理で脅迫して、使徒と戦わせる。

暴走の危険があることが分かっていて、危険な実験に身を投じさせる。

それでも、シンジとレイは、何も言わずに戦い続ける。

…自分も第一線へと出て、苦痛を負うことで、その代償行為になると、そんなことを考えていた。

私は…バカだ。

私の仕事は、自らを傷つけることじゃない。

シンジとレイをサポートし、有利な環境に誘導し、最終的に彼らの命を守ることだ。

シンジは、そのことを、ただ見つめただけで思い出させてくれた。

 

ミサトに、もう迷いはなかった。

 

「……シンちゃんも…意外と押しが強いのね」

 

ふうっ、と一つため息をつくと、ミサトは苦笑した。それは、承諾のしるしだった。

 

「でもね、やっぱりエヴァパイロットであるあなたを危険な目に遭わせるわけにはいかないと思うんだけれど」

「…僕だって、自分にできることは分かってますよ。僕の役目は、ミサトさんをサポートすること。…もし、一人で脱出できないような状況になっても、二人ならできるかもしれないでしょう?」

「……わかった」

 

ミサトは、本当は嬉しかった。

嬉しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くわよ!」

「はいっ」

『.....了解』

 

ミサトの力強い合図とともに、ウイングキャリアーが高度を下げる。

 

『エヴァ、投下位置!』

「ドッキングアウト!」

 

エヴァ零号機の右手に包み込まれるような感じで身をかがめているシンジとミサトを乗せたまま、零号機の巨体がウイングキャリアーから切り離される。

 

風鳴り―――。

直後、着地の衝撃が来た。

 

『投下、確認』

「レイ、頼むわよ!」

『ハイ』

 

態勢を崩さずに着地を成功させた零号機が、前方を暴走するJAに向かって疾駆を始める。

 

あっという間に距離を縮めた零号機は、JAの背中を左手で鷲掴みにした。

衝撃が、ミサトとシンジを揺さぶる。

 

「あと4分ないわ!やって」

 

ミサトの指示に従って、レイが右手をJAの背面に運ぶ。

リアクター上部に取り付く二人。

シンジ、ミサトの順で乗り付けて…ミサトがバランスを崩す!

 

「きゃあ…っ」

「ミサトさんっ」

 

すんでのところで、ミサトの手を掴んで、あわや落下というところを食い止めるシンジ。

 

「み、ミサトさん…重い」

 

引き上げられたミサトは、ふくれっ面をした。

 

「わ〜るかったわね、重くて。これでも、先月から2kg減なのよ」

 

その時、零号機から通信が入る。

 

『碇君...葛城一尉......気を付けて』

 

OKサインを同時にかかげるシンジとミサト。

 

ニヤリ、と笑うミサト。

シンジは微笑んだ。

 

「行きましょう」

 

二人がかりで、ハッチをこじ開ける。

 

「…すごいですね」

 

内部の様子を見て、シンジが呟く。

そこは灼熱の世界。

 

「ここで待っててもいいわよン」

「…行きますよ」

 

そうしている間にも、時間は刻一刻と迫っている。

レイは、JAを抑えながら、かすかな焦りを感じていた。

 

 

「…こりゃ、いいダイエットになるわ」

「ミサトさん、ここ…」

 

シンジは、目の前のコンソールを見て、ミサトを促す。

 

「わかった」

 

即座にミサトがコンソールに取り付き、パスワードの入力作業に入る。

カードをスリットに通すと、キーボードを叩く。

パスワード入力画面―――。

 

キ・ボ・ウ

希望

 

変換された文字を入力する。

シンジは、だまってそれを見ていた。

 

が…。

 

ピーーーッ。

 

「ERROR」の表示。

 

やはり…。

 

「も、もう一度…」

 

ピーーーッ。

 

やはり、「ERROR」の表示。

 

「間違いない…プログラムが変えてあるんだわ……こりゃまいったわね」

 

軽い口調で言いながらも、唇を噛むミサト。

 

「ミサトさん…これ」

「え?」

 

シンジは、壁面に突き出ている何本もの棒のようなものを示す。

 

「押してみましょう、これ。制御棒ですよ」

「これを、ね」

 

見た感じ、到底、2人の力で動かせるようには見えない。

 

「…引いてもダメなら、押してみな…ってね!」

 

ミサトは、棒の一群に取り付くと、一気に押し始めた。

シンジも続く。

 

「ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!」

「くうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!」

 

『...碇君、葛城一尉......っ!』

 

レイの声が聞こえる。切羽詰まったような感じだ。

 

「はあはあはあはあはあはあ…びくともしないわね」

「はあはあはあはあはあはあ…でも、やるしかありませんよ。奇跡は、自分で起こしてこそ、価値があるんでしょう」

 

「いいコト言うわね、シンちゃん。…ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!」

「くうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「だめだ、時間がないっ!」

 

JAとエヴァ零号機をモニターで見ている時田が、悲痛な叫びを上げる。

ミサトに対する確執は、すでに霧散していた。

 

「臨界まで、あと0.1!」

「爆発します!!」

「っっ………ダメかっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「動けっっ……このぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!」

「ううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ…わあっ!!」

 

少しずつ、沈み込んでいく制御棒。

が、突然、抵抗が軽くなり、転げる二人。

 

その瞬間、炉心をモニターしている八角形の図が、次々に、正常値を示すグリーンへと変わっていった。

同時に、シンジたちのいるリアクター内にも、緑色の照明が戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やった!…内圧、ダウン!!」

「すべて、正常位置!!」

 

壊れたトーチカ内に、上がる歓声。

管制官たちも、時田も、ただ喜びと、そして理由の分からない興奮に、両手を振り上げる。

彼らは、ミサトと、シンジと、レイの活躍の一部始終を見ていた。

それが、彼らを高揚させていた。

 

「バカ」

 

一人、冷淡に、リツコは吐き捨てていた。

自分ひとりが、悪役になった気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンジとミサトは、リアクター内のコンソールに寄りかかって、荒い息をつきながら脱力していた。

 

 

…こうなることは、シンジには分かっていた。

だが、分かっていてなお、じっとはしていられなかった。

 

必死でやらなければ、本気にならなければ、なし得ないことがある。

シンジは、そう思う。

父さんには、無駄なことと、笑われるだろうか。

だけど、不器用かも知れないけれど、僕にはこうするしかできないんだ。

こうして、人と人の絆を見せることしか。

 

『碇君っ.....葛城一尉っ、大丈夫っ』

「ええ、なんとかねぇ」

「大丈夫だよ、綾波。安心して」

『そう.........よかった』

 

安心したようなレイの声が聞こえてきて、シンジとミサトもほっと胸をなで下ろした。

 

「……奇跡か」

 

ミサトが呟いた。

 

「奇跡は、用意されていたのよ。確かにね…」

「…いいじゃないですか」

「…え?」

 

ミサトは、シンジを見た。

 

「たとえ、これが用意されていた結末だって、僕たちがしたことが無駄だったとは思いません」

 

シンジは、きっぱりと言った。

 

「……そうね。本当に、そうね」

 

ミサトは、ゆっくりと…微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「お互いにいがみ合うのって、悲しいじゃないですか。ここに住む人たちを、大切な人たちを護りたいと思う気持ちは、一緒じゃないですか」

 

シンジは、最後に時田と面会し、汗だくのままで、彼にそう言った。

シンジは、ミサトを見上げると、お互いに笑い合った。

ミサトは、誇らしげに、シンジの肩に手を置いていた。

 

時田は、黙って、そんな二人の姿を見つめていた。

とても……穏やかな顔で。

 

別れしな、ミサトと時田が握手を交わしているのを見て、シンジは「これで良かったんだ」と思えた。

 


■次回予告 

 

とうとう、その日がやってきた。

シンジにとって、待ち望んだ、そして忘れられない日。

最期の時を脳裏に甦られせるシンジ。

そして、再びめぐり逢うふたり。

アスカ――――来日。

 

次回、新世紀エヴァンゲリオンH Episode-04「めぐり逢い」。

 

 

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(updete 2000/07/08)