30

 

 

 

「いやぁ〜……センセも案外スケベエやなぁ。タンパクそうな顔しとるくせに…」

「いや、まったく…」

 

「「 ! 」」

 

みょ〜に場違いな、トウジとケンスケの声が聞こえて、ハッ、と我に返るシンジ。

背中を向けているのに、ニヤニヤ笑いの波動が伝わってくる。

 

ぎくりっ、と体を硬直させるシンジ。

 

ジー………

 

ビデオカメラの音もする。

 

そうしてようやく、シンジは自分がどういう行動に出たかに気付いた。 

 

そ、そおぉ〜………

 

おそるおそる、最後の審判を受ける罪人のように、抱きしめている少女から体を離して、ゆっくりとその顔を覗き込むシンジ。

 

「「 !! 」」

 

その瞬間、同じくシンジの顔を見たアスカと、真っ向から視線がぶつかった。

 

お互いの首と腰に両手を回した、みょ〜にラブラブチックな状態で、思わず呆然と見つめ合ってしまう二人。

 

だが、ラブコメはそこまでだった。

 

 

「キャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ、エッチ、バカ、ヘンタイ、信じらんないっっ!!!」

 

 

 

 

 


Episode-05「ディス・コンビネーション」


 

 

 

 

 

「……あ、アスカ。その辺にしとかないと、シンちゃん死んじゃうわよ」

 

惨劇の現場に居合わせたミサトが、顔を引きつらせながら、その惨状を作り出している人物に声をかけた。

 

「死ねばいいのよっっ!こんなスケベバカ!」

 

ギロッ、と振り向いたその顔は、まさに般若。 だが、顔が赤いのは、怒りのせいだけではなさそうだ。

こうなったアスカは、手が付けられない。 …というより、自分の前でこんなに感情的になったアスカは見たことがなかった。

 

「ごっ、ごめん!ごめんってば、アスカ!」

「ア、アスカって呼ぶんじゃないわよっ!アンタ、初対面でしょっ!!」

「い、いたいっ、い、いや、でも…」

「でももストもないわよっ、あんた、この状況であたしに口答えする気?!」

「だから、わ、わざとじゃないんだって!」

「…わざとじゃないなら、なんだってぇのよっ!!」

 

ばきっ!

 

「うわっ」

「ふぅ〜っ、ふぅ〜っ、ふぅ〜っ…!!」

 

あ、アブなすぎるわね…。

ミサトは、汗をダラダラ流しながら、あっという間に見るも無惨な姿にされてしまったシンジを見る。

 

「な、なんでワイらまで…」

「カ、カメラがぁ〜…」

 

さらに、その隣では、とばっちりを受けたトウジとケンスケが伸びていた。

 

「アンタっ、自分が何したか、わかってんでしょうね!」

 

ぐいっ、と襟元をひっ掴んで、自分の目の高さまで、シンジを引きずり起こすアスカ。 

 

「う、うん…」 

「アンタ、こ、こともあろうに、このあたしに抱きついたのよっ!」

「う、うん……」

 

さっきの状態を思い出して、ポッと顔を赤らめるシンジ。

 

「ア、ア、アンタが顔赤らめてどうすんのよっ、そこは、あたしが赤くなるとこでしょ?!」

「ご、ごめん…」

 

アスカが、顔に血を上らせて、真っ赤になってシンジを怒鳴りつける。

シンジは、もうアスカの前では、情けない態度を取るのを止めようと決意していたのだが、こうして実際、アスカを目の前にすると、素の自分に戻ってしまう気がした。

それに何より、今回は自分が一方的に悪い。

どこの世界に、初対面で、強引にきつい抱擁を交わす男がいるというのか。

…まあ、約一名、心当たりがないわけではないが。

 

とにかく、この時点で、シンジがアスカに抱きつく理由は、まったく存在しないのだ。

 

マズった……。

 

シンジは、自分の軽率な行動を、激しく後悔した。

 

だけど……。

 

仕方なかったんだ。

だって…

だって、アスカともう一度出会えたんだもの。

 

シンジは、その事実を噛みしめる。

 

だから、こうして彼女が怒っているのを見ても、むしろ嬉しさの方が先に立ってしまう。

こんな風に、快活で、怒りっぽい、生命に満ちあふれた彼女を見たのは、もう遙か過去のことのように感じる。

最後に見た彼女は…怒ることも、話すこともなかったから…。

 

「……ちょっとアンタ。神妙な顔してるけど、あたしの話、聞いてるんでしょうねぇ?!」

「う、うん、聞いてるよ」

 

ずずいっ、と至近距離で睨まれて、シンジは思わず身を引く。

 

「と、とにかくごめん。悪気はなかったんだ。怒らせちゃったのなら、謝るから…」

 

「フン」

 

つーん、とアスカは顔を反らし、シンジの謝罪を受け入れない様子だ。

大体、アスカにしてみれば、シンジのその態度が気に入らない。

「スカシた」ヤツに見えるのだ。

妙に、大人びているといおうか。

アスカとしては、それがバカにされているように感じるのだ。

 

「あ〜あ、ウワサのサードチルドレンが、ヘンタイとはね…」

 

頭の後ろで手を組んで、あさっての方を向いて、嫌味たらしく言うアスカ。

大人しく甘受するつもりだったシンジも、さすがにこの言葉には訂正の余地を見出したようだ。

 

「そ、そういう言い方はひどいよ」

「あぁん?」

 

ジロリ、と剣呑なものを視線に込めて、シンジを睨みつけるアスカ。

 

「ヘンタイをヘンタイって言ってどこが悪いのよ。アンタ、自分の立場ってもんが分かってないの、この痴漢っ!」

「ち、痴漢ってなんだよ!だから、わざとじゃないって言ってるだろ?」

「わざとじゃなきゃ、何してもいいっつーの?!」

「そ、そんなこと言ってないじゃないか!」

「どさくさまぎれに、あたしのおしり触ったでしょう!」

「さ、さわってないよ!そんなトコ」

「そんなトコとはなによっ、あたしのおしりはそんなトコだっていうの?!」

「なに言ってるんだよ、アスカ!」

「だから、アスカって呼ぶなって言ってるでしょ!!」

 

「あ、えーと……私、ここの艦長に話があるから、先行くわ」

 

終わりそうもない、二人の口論に、ミサトは顔を引きつらせながら、そそくさとその場を後にしようとする。

正直、こんな展開になるとは思っても見なかった。

予想外といえば、これほど予想外なことはない。

アスカの態度もであるが、シンジも、やけに大人げない。

 

でも、ミサトは、久しぶりに少年らしいシンジの姿を目にして、どこかほっとしていた。

最近のシンジは、妙に大人びたところがあって、それはいいのだが、彼がひどく無理をしているような気がして、心配だったのだ。

顧みて、今のシンジはとても生き生きしている。

悪く言えば、幼いのだが、そんな表情ができるということは、シンジがアスカに気を許しているという証拠だろう。

そして、それはひっくり返せば、アスカも…。

 

「……まるで夫婦ゲンカや」

「……やってられないよな」

 

完全に置いていかれた格好のトウジとケンスケは、ヤンキー座りで向かい合ったまま、いじけていた。

 

そして、甲板の隅では、加持が笑い転げていた。

 

 

 

 

 

31

 

 

 

ここに至るまでの経過を多少、補足しておこう。

 

「今度、ドイツからセカンドチルドレンが来ることになったから。明日、一緒におでかけよン♪」

 

はじまりは、ミサトのこの言葉だった。

それは、シンジにとって予想した出来事…というか、待ちに待ったことであった。

むろん、不安がないわけではない。

 

一つは、向かった先の「オーバー・ザ・レインボウ」の船上で、使徒に襲われること。

 

第6使徒ガギエル。

その能力自体は大した脅威ではない。

だが、遭遇する場所に問題があった。

何しろ、相手は水中戦闘に特化した使徒である。輸送中の弐号機は標準装備しか積んでいないのだから、苦戦は必死だ。

かといって、今から戦場を変えるのは難しい。

使徒の狙いは、エヴァ弐号機…ではなく、セカンドチルドレンの護衛役として付いてくる加持リョウジ、正確に言えば、彼が輸送している「アダム」の幼生体だ。

 

シンジは、このアダムの移送自体を妨げることはできないか、とも考えたのだが、さすがにそれは不可能だった。

第一、この段階でアダムの入手に失敗した父が、別の手段を講じたとすれば、そこからは完全にシンジの予測の外になってしまう。

おかしな言い方だが、ある段階までは、ゲンドウとゼーレの計画は計画通り動いてくれないと、シンジとしても困るのだった。

現在、シンジが手にしているワイルドカードは、あくまで、前回とほぼ同じ歴史をたどる、という前提があってこそ価値のあるものだ。

前回の歴史と大きく違った展開になれば、シンジには大局を動かすことが不可能になるからだ。

 

すると、次善の策となるわけだが、使徒を沿岸で迎え撃てないか。

それには、加持に先に来てもらえば…。

考えかけて、シンジは、これも難しいな、と思う。

第一、どうやって加持と連絡を取ればいいのか。彼とはまだ顔も知らない仲である。

 

結局、シンジはこのどちらもあきらめた。

根本的な問題に気付いたのだ。

つまり。

ガギエルは水中専用タイプの使徒である。

元々、水際で叩く、などという作戦は成立しないのだった。

 

セオリー通りやるしかないか。

 

前回の作戦に不安がないわけではないが、今は、ガギエルのコアの場所を特定できているという利点がある。

しかし…問題は別にあった。

つまり、アスカにそれをどう説明して、いかに効率よく使徒を倒すか、だ。

はっきりいって、アスカがシンジの(それも初対面の)言うことに唯々諾々として従うはずがない。

それどころか、あまりに出しゃばれば、アスカの気分を害しかねない。

かといって、シンジは手を抜くわけにもいかない。

……堂々めぐりであった。

 

シンジのもう一つの懸案は、まさにそこ、アスカとの再会にあった。

もちろん、嬉しいし、会えるのが楽しみではある。だが、不安が存在することも、また確かなのだ。

 

アスカは、アスカだろうか。

 

よくよく考えれば当たり前のことなのだが、現在のシンジには、真剣な問題だった。

アスカとは、お互い分かり合えないままに、最後を迎えてしまった。

正直に言えば、恐いのである。

臆病、と思われるかもしれないが、それくらいアスカという少女は、シンジにとって大切な存在だった。

 

なお、シンジは気付いていなかったが、この時点では、シンジの代わりにレイがアスカを迎えに行く、というシフトも考えられなくはない。

もし、そうなっていたとしたら、シンジは驚き、慌てただろう。

だが、結果的に、修理中の初号機には戦闘能力はなく、レイが零号機とともに戦闘待機となったのである。

 

とにかく、アスカに会わなきゃ。

それが、自分の望みだったじゃないか。

アスカに会いたくて、僕は、ここへ戻ってきた気がする。

 

よし、と自分自身に気合いを入れて、出発の日を迎えたシンジだったが…。

 

いきなり出鼻をくじかれた。

 

「国連軍の誇る正式空母『オーバー・ザ・レインボウ』!その見学に、ぜひぜひ、この相田ケンスケをお加え下さいっ!」

 

玄関を出たミサトとシンジは、一体、どこで嗅ぎつけてきたのか、これあることを予想していたケンスケと、ミサト目当てでケンスケに付いてきたトウジと鉢合わせたのだ。

 

「だ、ダメだよ、ケンスケ!」

 

シンジは、即座に反対した。

当たり前である。前回と違って、今回は船上で使徒に襲われるのが分かっているのだ。

前回は二人とも無事だったが、危険は可能な限り避けたいシンジだった。

 

が。

 

「あら、いいわよン♪いつも山の中ばかりじゃ、退屈でしょう。豪華なお船でデート…っていうのもオツよ」

「ミ、ミサトさん!?」

「ホ、ホンマでっか、ミサトさぁ〜んっ!」

「ありがとうございます、ありがとうございます!相田ケンスケをよろしく!」

 

…というわけで、二人の同行はあっさりと決まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハアァァ〜……。

 

甲板の手すりにもたれて、船が波を切っていく様子を眺めながら、シンジは長い長いため息をついた。

 

アスカとの(シンジにとっては)再会。

 

最悪の出会いになってしまった…。

もしかすると、前回よりも悪いかもしれないよ、これじゃあ…。

 

シンジは、ひりひりと痛む頬を撫でながら、またまたため息をつく。

 

まさに、売り言葉に買い言葉。

 

ケンカなどするつもりは全くなかったのに、気が付くと、アスカは怒ってどこかへ行ってしまっていた。

ケンスケとトウジは、艦長に会いに行ったミサトの後を追いかけていったため、気が付くとシンジは一人だった。

しばらく、たた呆然としていたシンジは、そのままフラフラと甲板のヘリまで来て、こうして海を眺めていたというわけだ。

 

アスカとの対面については、前回の失敗を踏まえて、いくつか策らしきものを弄したつもりだった。

いきなりの平手打ちの原因となる、トウジの野球帽。

シンジはこれを、到着寸前にトウジに借りることで、回避を試みた。

 

が。

 

ハアァァ〜……。

 

自分で状況を悪化させてちゃ、世話ないよな。

 

結局、スタート地点で転ぶ、どころか逆走した挙げ句に池に落ちる、というような失態を演じてしまったシンジだった。

自分自身の間抜けさにあきれるしかない。

これまで、事前に色々と思考をめぐらして、好結果を得てきたシンジだが、アスカの前に出た途端、あらかじめ用意してあったセリフなど霧散してしまい、頭が真っ白の状態だった。

 

アスカには、嫌われちゃっただろうな…。

 

ついつい、思考が後ろ向きになってしまう。

どうも、アスカのこととなると、昔の自分が顔を出すシンジだった。

だが、彼は気付いていないが、それは後ろ向きなゆえではなく、前向きだからこそ覚える不安なのだ。

 

だけどアスカ……変わらないな。

 

ふと、笑みが浮かぶシンジ。

彼女の怒り方は、明らかに攻撃的だが、陰湿なところがまったくない。

後腐れがない、というべきか。

今、こうして落ち込んでいるのは確かだが、さっきの口げんかは、シンジに不思議な活力を与えてくれていた。

 

さて、どうしようか。

シンジは考える。

このままでは、使徒をどうやって倒すかどころか、アスカが弐号機に同乗させてくれるかどうかも疑わしい。

 

そうだ。

早くもう一度会って、ちゃんと謝らなきゃ。

 

この辺りの行動力が、前回のシンジにはなかったものである。

シンジがそう決意した時、突然、背後で声がした。

 

「碇シンジくん?」

 

「えっ…あっ!」

 

シンジは慌てて振り返って…「加持さん!」と言ってしまいそうになって、慌てて口をつぐむ。

だらしなくネクタイを緩ませて、袖をめくり上げたYシャツを着てそこに立っていたのは、紛れもなく加持リョウジだった。

 

「?どうかしたかい」

 

加持は、軽い違和感を覚えた。

 

今の反応は…?

 

初対面の人間に、突然、声をかけられて驚いた…というのではない。

むしろ、見知った人物の顔を見つけて、思わず声が出た、という類の反応ではないか?

 

当然ながら、この時まで、加持とシンジはまったく面識がない。

加持の方では、サードチルドレンとしての彼に興味を持って、色々と調べてはいたが。

 

葛城が教えたのかな?

 

だが、加持はすぐにその考えを笑って否定した。

ミサトが自分のことを、進んで他人に話すはずはない。むしろ、その手の話題は積極的に避けようとするはずだ。

第一、彼女は自分がここにいることを、まだ知らない。

 

だが、加持が思っているのより遙かに詳しく、シンジは彼のことを知っていた。

加持リョウジ一尉。

特務機関NERV特殊監察部所属、同時に日本政府内務省調査部所属でもある。

そして――――。

 

『バカ。あんた、ホントにバカよ…!』

 

フラッシュバックする「過去」。 ミサトの涙。

 

「あの…」

「おっと、スマン。俺は加持、加持リョウジだ。アスカの随行でね、ドイツからやってきたのさ」

「ああ…」

「…あんまり驚かないんだな」

「え? いえ、別に…あ、アスカ一人で来るとは、考えられないでしょう?」

 

一見、のんびりとした表情で突っ込まれて、シンジは無難な会話で取り繕う。

 

「おっ、いきなりファーストネームか。なかなかやるな、碇シンジくん」

「い、いやっ、それは、その…」

 

が、加持はさらに話題を転換して、シンジを狼狽させる。

この辺りは、さすがに役者が違う。

 

「あの…僕の名前を?」

「ああ、もちろん知ってるさ。この世界じゃ、君は有名だからね。何の訓練もなしに、エヴァを実戦で動かしたサードチルドレン」

「はあ…」

 

シンジがそう答えたのは、別に謙遜ではない。

ただ、最初の出撃を行ったのは、今の自分ではないから、なんと答えて良いか分からなかっただけだ。

シンジは、この時、言われて初めて、前回とほぼ同じ状況で最初の起動をこなしたことを知ったくらいだった。

 

しかし、さすがの加持にも、そこまでは分かるはずがない。

初対面の男に対する戸惑いと取って、意識的に口調を軽くする。

 

「で、アスカとはもう会ったかい?」

「え、はい」

「どうだい、彼女」

「どう、と言われても…」

「好みのタイプかい?」

「い、いや…そ、そんな」

 

おっと、これは脈ありかな。

 

思わず赤くなってどもるシンジに、加持は面白そうな視線を向ける。

 

「あの、いい子だと思いますよ。その、とっても活発だし……ちょっと、元気すぎる気はしますけど」

「はははっ、そうか」

 

社交辞令っぽいシンジの感想に、それでも加持は笑う。

 

「でも…」

「?」

「強靱な反面……すごく脆い部分がある、そんな気がします」

 

ほう…。

鋭いな、彼は。

 

加持は、一見、ごく普通の中学生に見えるシンジを、あらためて見やった。

 

「…キミは、葛城と同居してるんだって?」

「ええ、そうなんです……あれ? ミサトさんに、まだ会ってないんですか」

 

妙な違和感を覚えて、シンジは逆に聞き返す。

 

「ああ。…もしかして、来てるのかい彼女?」

「えっ…ご存じないんですか?」

 

加持は、もちろん分かっていて、言っているのであるが。

これも、少し考えれば、仮にも加持ほどの人物が、NERVの作戦部長たるミサトの同行を予測していないはずはないのだが、思っていたのとは違う展開に、すっかり加持のペースに乗せられていた。

 

「じゃあ、早く会ってあげてください。きっと、喜びますよ」

「?なぜだい」

「へっ? なぜって…その、加持さんはミサトさんの元恋人だし、会えば色々とその…」

「さあて、葛城が俺を歓迎してくれるかどうかは分からないけどな」

 

あまりに、加持の会話の流れが自然で淀みなかったので気付かなかったが、シンジはここで一つ間違いを犯している。

加持がミサトの元恋人、などということは、まだ知っていてはいけない事実なのである。

だが、加持はそれに気付いているのかいないのか、ただ、おどけたように肩をすくめてみせた。

 

「なにせ、一度ふられてるからな、アイツには」

「そりゃあ…表面上はつっけんどんになるかもしれませんけど、でも、絶対嬉しいと思います」

「…シンジくんは、ずいぶんと葛城のこと、分かっているみたいだな」

 

気が付くと、加持が静かな目で、自分を見ていた。

 

「え、いえ、別に…そんな」

「さすが、アイツと同居しよう、ってだけのことはあるよ」

 

またしても意表を突いたように、加持はハハハッ、と笑った。

 

完全にペースに乗せられてるなぁ…。

 

シンジは、ようやっとそれに気付いた。

加持の実力が、そのだらしない外見からは想像もつかないほど卓越しているいうことは、前回、よく分かっているつもりだった。

何しろ、自力でゼーレとゲンドウの計画のすぐ側まで迫った人物である。

だが、実際に彼と接すると、あまりの自然さに、ついついそれを忘れがちになる。

それは、加持の持つ類い希な話術の能力なのだ。

 

これは、そのうちボロが出るな…。

 

シンジは困った。

自分が、こういう方面で加持に遠く及ばないことは、良く分かっている。

ここで、加持の追求を受ければ、それをかわすのは困難を極めるだろう。

 

と、その時、向こうから救世主がやってくるのを、シンジの目は捉えた。

 

「あっ、ミサトさん、こっちです!」

 

きょろきょろと、誰かを捜すようにこちらにやってきたミサトに、シンジはいささかわざとらしく手を振る。

 

「あっ、シンジ君、こんなとこにいたの…ね……」

 

顔をパッと輝かせかけたミサトは、途中からそれを引きつらせた。

 

「よっ、葛城。久しぶりだなぁ」

 

こちらは慌てず騒がず、振り返ると、ウインクなんぞしている加持。

 

「かっ、かっ、かっ、かっ…」

 

ファイルを片手に、加持を指さしたミサトの指がプルプルと震えている。

 

「どした、葛城?」

「加持ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ??!!」

 

ばさっ、と持っていたファイルが足下に落ちる。

中に挟んだ書類が風に舞いそうになり、加持がしゃがみ込んでそれを拾い集めた。

 

「おいおい、これって重要な書類じゃないのか?」

「な、な、なんであんたがココにいるのよっ?!」

 

爽やかに微笑まれて、顔の温度を急上昇させながら、ミサトが加持を怒鳴りつける。

 

「なんでって…碇シンジくんと話をしてたんだが」

「そんなこと聞いてんじゃないわよっ」

「はいはい。アスカの随伴さ。ドイツから出張ってわけだ」

 

差し出されたファイルを、ミサトはひったくるように受け取る。

やれやれ、と加持はため息をつく。

しかし、随分、感情表現豊かだな、と加持は少し意外に思った。

無視される、くらいのことは覚悟していたのだが。

 

「…うかつだったわ。十分、考えられる事態だったのに」

 

まだ赤い頬のまま、ぶつぶつと呟くミサト。

加持は後ろを振り返ると、シンジに肩をすくめてみせた。

 

「シンジくん。どうやらやっぱり、葛城には歓迎されてないみたいだよ」

 

そのセリフを聞き逃せないのはミサトである。

 

「ちょっと加持っ!いっ、いったいシンジ君となに話してたのよ!!」

「なにって…」

 

ネクタイを締め上げられながら、加持はチラッとシンジの方を見る。

 

「別に、大したことは話してないと思うがなぁ…」

「大したことじゃないって…なによ」

「そうだな、例えば…」

 

加持が、にやっと笑った。

 

「俺と葛城が、タダならぬ関係だってことくらいかな?」

「な……な、な、なに言ってんのよっ!!」

「「「 ええええええぇぇぇ〜〜〜〜〜っっっ??!! 」」」

 

ミサトの爆発にかぶるように、ミサトたち三人の背後で、悲鳴が上がった。

シンジが目を向けると、アスカ・トウジ・ケンスケの三人が、ユカイなポーズで固まっている。

 

あっ、アスカ…!

 

その中に、クリーム色のワンピースの少女を認めたシンジは、慌ててさっきのことを謝ろうと走り出す。

 

「う、ウチのシンちゃんに、ヘンなこと吹き込まないでっ!!」

「いや、事実をそのまま話しただけだがなあ」

「そ、それがいけないっつってんのよっっ!」

 

シンジがすり抜けるその横で、もはや、どうやってもフォロー不能なセリフを連発しているミサト。

 

「そ、そんな…ウソや、ミサトさぁ〜ん」

「い、イヤーンな感じ…」

 

トウジとケンスケは、呆然と、ルルルーと涙に暮れている。

 

「あ、あの、アスカ!」

「!」

 

二人と同じく、固まっていたアスカは、すぐ近くでかけられた声に我に返る。

 

「さっきはゴメン!その、あんなこと言うつもりじゃなくて…」

「フンッ!」

 

一瞬だけ、シンジを見たアスカは、深々と頭を下げる少年から勢いよく顔を背けて、タッタッタ…と走り去った。

 

「あ……」

 

顔を上げたシンジが見たのは、アスカの後ろ姿だけだった。

 

やっぱり、アスカ、すごく怒ってるんだ…。

 

シンジは、すごく悲しい気分で、それを見送った。

すると、ポンと、横から肩に手が置かれる。

 

「シンジ……あのオンナが気になるんかいな」

「ええっ…い、いや…その」

「あれだけはやめとけ、碇」

「せや…あない凶暴なだけのオンナ、命がいくつあっても足りんで」

 

これまでに一体、何があったのかは分からないが、妙に達観したような顔で語るトウジとケンスケ。

 

「そんなことないよ!」

「へっ?」

「はっ?」

 

シンジが、突然大声を出した。

 

「碇…」

「本気なんか、アイツ…」

 

ケンスケとトウジは、アスカの去った方へ走っていったシンジを、唖然と見送った。

 

 

 

一方、何も考えずにズンズンズン、と艦内を歩いていくアスカは…。

 

「なんだって、あたしがこんなところ歩いてなきゃならないのよ!」

 

床を踏み抜きそうな勢いで歩きながら、ブツブツブツ…と呟いている。

時折、国連軍の兵士たちが行き交うのだが、アスカのキョーアクな顔を見て、おそれをなしたように脇へ避ける。

 

ただでさえ、いらいらしてるってのに……加持さんとミサトが?!

………。

………。

………。

 

あーっ、もう、い・ら・い・ら・するわねえぇっ!

全部、すべてアイツのせいだわ!

 

アスカは、すべての責任を黒髪の少年に押しつけた。

会っていきなり、自分を抱きしめたサードチルドレン。

物事を論理的に考える傾向にある理系のアスカには、シンジの不可解な行動の理由が、まるで分からない。

シンジの涙に濡れた、深く、黒い瞳を思い出すと、アスカは理由の分からないイライラに襲われる。

 

「う〜……分からない!全然わかんなあ〜いっ!!」

 

両拳を突き上げて喚くと、アスカは再び、ドスドスドスと歩いていった。

自分がいつになく感情的になっているのにも、気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

32

 

 

 

 

深く、昏い水底。

そこは、ほとんどの生物の死と静寂の支配する領域だ。

 

ゴポリ…。

 

光すら射し込まぬ、その空間に、静かに気泡が上がった。

 

ゴポ……ゴポッ…ゴポポ…。

 

やがて、赤い輝きが周囲にいくつも点り、それは、ゆっくりと浮上を開始した。

 

 

 

 

 

 

33

 

 

 

 

「オーバー・ザ・レインボウ」内の士官食堂では、アスカをつかまえた加持が、ジャンボサイズのストローベリー・パフェをおごらされていた。

 

「…で、ミサトとは、どこまでのおつき合いなんですか」

「どこまで、って言われてもな…今は、とにかくフラレの身でね」

 

はぐらかすように言う加持を、アスカはジト目で見やる。

 

「ホラ、食べないととけるぞ」

 

加持に促されて、アスカは背の高いパフェの容器に、長いスプーンを突き立てた。

…ちなみに、なぜ国連軍の士官食堂メニューに、ジャンボサイズのパフェが存在するかは、まったくの謎だ。

唇を尖らせたまま、もくもくと口元にパフェを運ぶ少女をしばらく眺めてから、加持は訊いてみた。

 

「どうだ、碇シンジくんは?」

「…サイッテェ」

 

一瞬にして、厳しい批評が返ってきて、おやおや、という顔を浮かべる加持。

アスカは、手にしたスプーンで、ざくざくと生クリームとアイスクリームを突き刺すスピードを上げた。

 

「アイツ、いきなりナニしたと思います?!」

「さて…」

 

本当は、見ていて知っているのだが、まったくそんなそぶりは見せない加持。

 

「抱きついたんですよ、いきなり!このあたしにっ!」

「ほぉ…」

「いきなり泣き出すし…」

「泣いた?…シンジくんがかい」

「そう!…ワケ分かんないわ、あのヘンタイ!」

「おいおい…もしかして、アスカが泣かせちゃったんじゃないのかい」

「あ〜、加持さん、ひどい!」

「ハハハッ」

 

笑いながらも、加持は、アスカが珍しく自分の前で見せる、演技ではない感情的な態度を、興味深く見やる。

 

加持は、アスカとはまったく逆の印象を、碇シンジという少年に対して抱いていた。

事前に伝え聞いた印象と、随分、異なっているというのが、加持の第一印象だ。

彼は、深い洞察力と静かな包容力を秘めているように感じた。

それまでの、「どちらかといえば頼りない、不安定な精神の持ち主」という評価とは大きく食い違う。

それが不自然に感じられないのは、彼がアスカやミサトの前で見せる、いかにも少年らしい反応のためだ。

 

とにかく、興味は尽きない。

アスカとの最初の対面でも、いきなり抱きつく、という選択肢は、加持の頭の中になかったものだったし。

 

「あんなのがサードチルドレンだなんて、信じられない!最初にシンクロ率が高かったのだって、絶対まぐれだわ!」

「さて…それはどうかな」

「えっ」

「彼のシンクロ率は、ここしばらく、90%を下らないという話だぞ」

「う、うそっ?!」

 

アスカは、パフェまみれになった口をあんぐりと開けたまま、固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハア……。

 

見つからない。

アスカ、どこ行っちゃったんだろう…。

 

アスカを追いかけて、艦内をあちこち回ったシンジだったが、結局、栗色の髪の少女は見つからず、途方に暮れていた。

前回は、必要最小限の場所しか回らなかったため、当然、艦内の構造など分からないシンジは、あちこちで迷った。

数週間の船上生活で、艦内の道を熟知しているアスカとでは、比較にならない。

 

シンジとしては、早くアスカに会って、なんとかその怒りを解いてもらいたいのだが、今回は積極的に自分から行動しているにも関わらず、それが空回りしているように思えた。

 

それに、正確には分からないが、もう、余り時間の余裕がない。 

第6使徒の襲来は、もう間もなくのはずだ。

事前に、加持にも伝えておきたいことがあったのに…。

 

「サードチルドレン!」

 

と、士官食堂の前を通りかかった時、シンジは目の前に、目的の人物二人を見つけていた。

 

「あっ、アスカ!」

「アスカぁ〜?」

 

ギロリッ、と睨みつけるアスカ。

 

「ぐっ……そ、惣流」

「惣流ぅ〜?」

「そ、惣流…さん」

 

最初の口論の際、シンジは、「惣流さん」と呼ぶことを強制されていた。…実力をもって。

呼びにくいことおびただしい。

シンジにとって、すでにアスカはアスカでしかあり得ず、「惣流さん」などと呼ぶのでは、他人に話しかけているようなものだ。

シンジは、トホホ…な気分になった。

 

「ちょっとつきあって」

「…え?」

「いいから、来るのよ!」

「ちょ、ちょっと…」

 

強引に手を取られて焦りつつも、シンジは、アスカからのアプローチに嬉しさを隠せなかった。

 

「あ、加持さんっ」

「なんだい、シンジくん?」

「…まだ、しばらくここにいらっしゃるんですか」

「?いや、もう食堂に用はないから、上にでも行っていようと思うけど」

「そうですか…」

「…なぜだい?」

「いえ、その…久しぶりに積もる話もあるでしょうから、ミサトさんのところへ行っていたらどうかな、と思いまして」

 

シンジの言葉に、アスカの眉がピクッ、と動く。

その目は明らかに、余計なコト言うんじゃないわよぉっ!と言っていた。

 

「…そうだな。そうさせてもらうか」

 

無精髭の目立つ顎をなでながら、加持は頷いた。

 

「ホラ!さっさと行くわよっ」

「い、いたた…そ、そんなに引っ張らないでよ、アスカ!」

「だから、アスカじゃないっ!」

「い、いたいってば、惣流…さん!」

 

アスカに引きずられるように歩いていくシンジ。

そんな二人の姿を、加持がほほえましそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バサァッ!

 

 

改造タンカーの甲板上、真っ白いシートをめくり上げたアスカは、「どうっ?」と言わんばかりの顔で、シンジを見る。

 

シート内に設置された簡易格納庫の中で、うつぶせに横たわっているのは、真っ赤なカラーリングのエヴァンゲリオン弐号機。

シンジは、その姿を複雑な表情で見つめた。

どうしても、最後の戦いで、量産機の槍に貫かれた姿が脳裏をよぎる。

 

「ちょっと!なにか感想の一つもないの」

 

難しい顔で黙り込んでいる(ように見える)シンジに、予想した反応が見られないので、アスカは苛立ったような声を上げた。

 

「えっ、あ…しょ、初号機とは随分、形が違うよね」

 

我に返ったシンジは、慌てて適当な反応を返す。

それを聞いたアスカは、当ったり前でしょっ!という風に胸を張った。

 

「あんたの初号機なんかと一緒にしないでほしいわね!」

 

言いながら、格納庫内に入ったアスカは、弐号機の背をのぼって、ちょうどエントリープラグのあるあたりに仁王立ちになった。

 

「あたしの弐号機は、世界初の実戦用の制式!本物のエヴァンゲリオンなのよ。 初めて乗ったようなヤツに、いきなりシンクロするテストタイプとはわけが違うんだから」

 

そうよ。

偶然に決まってる。

その後のシンクロテストの数値だって。

こんな、ひょろっとした頼りないヤツが、どれほどのものか、見せてもらおうじゃない!

 

アスカは、敵愾心を燃やして足下を見下ろしたが、弐号機の側に浮かぶはしけに立ったシンジは、何故かうつむいて足下を見ている。

 

「ちょっと、あたしがわざわざ説明してやってんのよ!ちゃんと見なさいよっ」

「だ、だって…」

「はん?」

「…そんなところに立ったら、その…見えるよ、アスカ」

「は?」

 

………。

………。

………。

 

沈黙。

次の瞬間、シンジの言わんとしたところを理解したアスカは、あっという間に顔を真っ赤にしてスカートを押さえた。

 

「ア、ア、アンタばかあっ?!なんで、そんなトコばっか見てんのよっ、H、ヘンタイ、すけべぇ〜っ!!」

「そ、そんな、ひどいよっ!アスカが勝手に、そ、そんな格好でのぼったのが悪いんじゃないかっ」

「あ、あたしのせいにする気ぃ〜っ?!人のす、スカートの中覗いておいてっ」

「ぼ、僕だって、見たくて見たワケじゃないよ!」

「な・ん・で・すってぇ〜…!!」

 

さっきは見られたと言って怒り、今度は見たくないと言われて怒る。

…げに、女心とは複雑なのであった。

 

 

ズズズ……ゴォォォォォォン……。

 

 

その時、遠くの方で衝撃音が響き、艦内が大きく揺れる。

 

「この衝撃はっ?」

「(来た……!)」

 

と、急いで弐号機の背から降りようとしたアスカが、はしけまでもう少しのところで足を踏み外した。

再び、横揺れが襲ったのだ。

 

「あぶないっ!」

「キャッ…」

 

ドスッ、ごち。

 

「つぅ〜…」

「いつつ…だ、大丈夫、アスカ!」

「えっ」

 

アスカは、シンジを下敷きにして、はしけの上に倒れ込んでいた。

下の調整液の中に落ちなかったのは、僥倖というべきだろう。

 

「ダメだよ、気を付けなきゃ!もしものことがあったら、どうするのさ」

「…わ、分かったから、早くどきなさいよ!」

 

真剣に注意をするシンジに気圧されたように、アスカは喚いた。

 

「え、でも…アスカが僕の上に乗ってるんだけど」

「し、知ってるわよ!足が絡まってるのっ」

「あ、そうか」

「もう、さっさとしなさいよ!」

 

普段よりもいくぶん慌てながら甲板に戻ったアスカは、水平線と艦隊の間に、白いしぶきが上がっているのを見た。

 

「なにあれ…!」

「使徒だよ…」

「あれが? 本物の…」

「………」

 

アスカは、一瞬、呆然とまだ見えない敵を見つめたが、やがて何やら閃いて、小悪魔のような笑みを浮かべた。

 

「………チャ〜ンス」

「………」

 

シンジは、背中にひしひしと嫌な予感を覚えつつ、アスカの浮かべたニヤリ笑いを見ていた。

 

 


■次回予告 

 

ぎくしゃくしたままの二人に、第6使徒ガギエルが迫る。

アスカの思惑もあって、弐号機は初の複座戦闘に臨む。

一方、痛打を被った「オーバー・ザ・レインボウ」に、加持は…。

ギリギリの戦闘を強いられるアスカとシンジに勝機はあるのか?

 

 

次回、新世紀エヴァンゲリオンH Episode-06「ダブル・エントリー」。

 

 

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(updete 2000/07/13)