Episode-06「ダブル・エントリー」


 

 

 

34

 

 

 

「ん〜…いい潮風だな。 そう思わないか、葛城?」

 

巨大な戦闘艦を横切っていく海風に、長い前髪をさらわれながら、手すりに背中からもたれている加持が言った。

 

「………そうね」

 

こちらは、加持と決して目を合わせないように、海面を見下ろしているミサトは、加持のセリフに警戒しながらそっけなく返事をする。

 

「あれ、随分固いなあ」

「あ、あんたが柔らかすぎるのよっ!」

 

手すりをバシッと叩いて、横の加持を振り返ったミサトは、すぐにまたプイッと顔を背ける。

 

やれやれ。 お姫様はご機嫌ななめか。

シンジくんの苦労が、身につまされるなぁ。

 

加持は、苦笑しながら、真っ青な空を仰いだ。

 

 

 

ちなみに、トウジとケンスケはというと…。

 

「おおおおっ、スゴイ、すごすぎるぅぅぅっ!!やっぱ、男のロマンはミリタリーだよ、ミリタリー!!」

「…ミサトさん……うそや」

 

「……艦長。ここはいつから託児所に」

「………」

 

「久しぶりに、子供たちのお守りができて幸せだよ(皮肉)」

と言っていた、護衛艦隊司令でもあるこの船の艦長は、本当にお守りをさせられていた。

 

 

 

 

沈黙――――。

 

新横須賀が近いせいだろうか。 近くを飛ぶ海鳥たちの声だけが響く。

 

「……碇シンジくんは」

「え?」

「彼は、どうだい?」

「………」

「………」

「………なっ、何言ってんのよ!あ、あの子とはそんな関係じゃないわっ!」

「…おいおい」

 

激しく勘違いしたミサトのボケに、加持は「そういう心当たりがあるのか?」と多少、顔を引きつらせながら突っ込んだ。

 

「そうじゃなくてだな…」

「へっ?……あっ、ああ〜シンちゃんね、シンちゃん。うん、とってもいいコよ」

「…ずいぶん嬉しそうに話すんだな」

「え?そ、そう」

 

途端にくだけた調子になって、加持の前だというのに笑顔を見せたミサトを、加持は眩しそうに見つめた。

8年ぶりに再会したとき、かつての恋人に感じた柔らかさが、彼の存在によるものだと、加持ははっきりと確信できた。

 

最後に別れたとき、彼女は、厚い氷の壁の向こう側にその身を置いていたように思う。

その氷を溶かした碇シンジという少年に、加持はますます興味を抱いた。…微かな嫉妬とともに。

 

「葛城がそう言うってことは、そうなんだろうな」

「…なによ。アンタは別の印象を持ったっての」

「いや、いい子だとは思うよ。だが、まだ、少ししか話していないからな」

「…人は第一印象がすべて、っていうのが口癖じゃなかった?」

「そうさ。 だが、彼には一度会っただけじゃわからない、何か深いものを感じる」

「深いもの…?」

 

ミサトは、思わず加持の横顔を見たが、彼はいつもと変わらない、とぼけたような顔をしていて、何を意図して言ったのか分からない。

 

「…確かに、少し前から比べれば、そういうところもあるかもしれない。 彼も、少し大人になったのよ」

 

ミサトは、ごく控えめに、最近のシンジのことを評した。

確かに、細かい点を挙げれば、色々と疑問に思わないでもない。

だが、それはみな良い方への変化であり、ミサトは別段、気にすることもないと思う。

 

「やれやれ…あまり、シンジくんばかりを褒めてくれるなよ。俺は、こう見えても嫉妬深いんでね」

「なに言って……んぅっ?!」

 

苦笑しかけたミサトに、加持は素早く手を取って、自然な動作で唇を重ねた。

ミサトは、あまりの事態の変化に目を白黒させるだけで、ロクな抵抗もできない。

振り返りかけた不自然な格好で、ミサトは固まっていた。

 

やがて、ゆっくりと二人の唇は離れ、静かな瞳で自分を見つめる加持を、ミサトは呆然と見やる。

 

 

 

ドガッッ……バッシャーーーーーーーーーンッッ!!!

 

 

 

「オーバー・ザ・レインボウ」の巨体を揺るがす、巨大な音と衝撃がやってきたのは、その時だった。

いつの間にか、海鳥たちの声は聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

35

 

 

 

 

 

「ちいっ、こんな最悪の場所で使徒と遭遇するなんて!」

 

ミサトは、艦橋へと続く通路を全力疾走していた。

艦内には、非常警報が鳴り響いている。

あの、頭の固いコチコチ艦長に、自分たちの命運を預ける気には、到底なれない。

一刻も早く、契約条項にある、NERVの有事指揮権を発動させなければならない。

 

「まったくだ。 しかし、俺、使徒ってまだ見たことないんだよ。いやあ、何だか楽しみでもあるなあ」

「何、お気楽なこと言ってんのよっ、アンタは!」

 

ミサトは走りながら、併走する加持を睨みつけた。

…その頬には、しっかりとミサトの手形がついている。

 

「だいたい、なんでアンタも一緒に走ってるのよ!」

「あれ、つれないなぁ。同じNERVの職員だろ?有事の際には部署を越えて協力し合うのがスジってもんさ」

「あ、悪夢を見てるようだわ…」

 

にこにこと微笑みかける加持を見て、ミサトは顔にタテ線を引いたまま、がっくりと頭を垂れた。

 

 

 

 

 

 

「くっそう…何が起こってるんだ」

「ちわ〜、NERVですが、見えない敵の情報と、的確な対処はいかがっすかぁ〜?」

 

艦橋は、すでにパニック状態に陥っていた。

伝令兵たちが、慌ただしく動き回っているが、冷静に見ると何の役にも立っていない。

 

「おおっ、ミサトさん…げっ」

「スゴイっ!本物の戦闘シーン、くくぅっ…はるばる来たかいがあったなぁ!」

 

ミサトが、いつものペースに戻って、おちゃらけたことを言いながら入ってくると、トウジは目を輝かせかけて、後ろに立つ加持に気付いて沈黙。ケンスケは、まったく気付かずに、目の前で繰り広げられるモノホンの戦闘シーンの撮影に大忙しである。

 

「戦闘中だ!見学者の立ち入りは許可できない」

 

ひときわ目立つ軍帽をかぶった艦長が、双眼鏡を目に当てたまま、苛立たしげな声を上げる。

 

「…葛城一尉の見るところでは、これは使徒による攻撃だそうですが?」

「全艦、任意に迎撃っ!」

 

加持の入れたフォローをも完全に無視して、艦長が攻撃を命じる。

 

「ムダなことを…」

 

ミサトの呟きに重なるようにして、「オーバー・ザ・レインボウ」の兵装から、魚雷が連続して発射される。

海中に投下された魚雷は、スピードを上げて白い航跡を描きながら、通常の艦船からは考えられない動きをする「敵」に、幾本も命中する。

 

一瞬、やった、と目を輝かせかけた艦長だが、「敵」が何のダメージも受けていないのを見て驚愕する。

 

「あの程度じゃ、ATフィールドは破れないなぁ」

「…どういう意味かねっ、加持君」

 

加持の、これ見よがしの呟きを聞きとがめた艦長が、振り返って彼を睨みつける。

加持は、後ろで縛った長い髪をかきながら、困ったような顔を浮かべた。

 

「要するに。

 使徒がATフィールドを使っている限り、艦長ご自慢の通常兵器では、傷つけるどころか当てることもできないんです」

 

ミサトが真剣な顔で、代わりに諭す。

意外そうな表情で、自分を見つめる艦長に、ミサトは先ほど見せた書類のファイルをチラチラと見せた。

 

「…できれば条項に従って、早々に指揮権を引き渡して頂けると助かるんですがねぇ」

「むむむぅ〜…」

 

艦長は、何やら唸るだけで、それに対して答えようとはしない。

 

この「わからんちん」がぁ…!

 

と、内心、ミサトは叫んでいた。

だが、ミサトの口から発せられたのは、先ほどから感じていた、ある疑問についてだった。

 

「…しかし、なぜ使徒がここに」

 

ぽりぽり。

実は、その張本人である加持は、関係なさそうな顔で頬をかいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドサッ。

 

………。

 

「これって…」

 

こちらは、改造タンカーの内部。

いきなり、赤いプラグスーツを手渡されたシンジは、一度、それに目を落としてから、片手に大きなバッグを抱えたアスカを見た。

 

「見てのとおり、プラグスーツよ」

 

何故か楽しそうに、アスカが答える。

 

「…もしかして、それって」

 

ふふん、とアスカは笑った。

 

「そう、アンタも一緒に乗って、弐号機で使徒を撃退すんのよ」

「はあ…」

 

シンジは、少々、気抜けした。

これならば、前回と何ら変わらない。 しかし、そうするとさっきのアスカのニヤリ笑いは…?

 

「ホラ、さっさと着替えなさいよ」

「こ、ここで?」

 

即断・即決・即実行のアスカは、無駄な時間が嫌いだ。

弐号機用のプラグスーツを手にしたまま、動こうとしないシンジを、いらいらと急かす。

シンジは、慌てて周りを見渡した。

 

…ここは甲板だった。

 

い、いくら端っこの方だからって、外で着替えろっていうの、アスカ?!

 

相変わらず無茶なことを言うアスカに、シンジはがっくりとうなだれた。

 

「いいでしょ、アンタは男なんだから。……いい、さっさと着替えて、ココ動くんじゃないわよ。いいわね!」

 

前世紀の理論でその問題を(一方的に)片づけて、アスカはやけに念を入れて、階下へと降りていった。

 

「ずるいよ、アスカ……自分ばっかり」

 

アスカが、自分も着替えにいったことを知っているシンジは、しくしくと涙を流しながらも、素直にシャツのボタンに手をかけた。

 

 

 

 

 

しゅるっ……パサッ。

 

階段を、念のため2階分降りて、もう一度上を確かめたアスカは、勢いよく、クリーム色のワンピースを脱いだ。

赤いチョーカーと白いレースのついたブラとパンティだけ、という姿になったアスカは、チラッと周囲を見てから、ブラのホックに手をかけた。

 

プチ……はらり。

シュッ。

ぐいっ……んしょ。

 

すぐに、一糸まとわぬ姿になったアスカは、一瞬だけ、頭上からわずかに差し込んでくる陽光の下に、その白い裸身をさらして、手際よく、シンジに渡したものと同じ、赤いプラグスーツを身につけていく。

赤は、彼女の色。

そして、弐号機の色。

足を、手を通していくごとに、集中力が高まっていくのを感じる。

 

「ねえ、アスカー?」

「きゃっ!!」

 

唐突に、頭上から響いてきた声に、アスカはバッと、まだむき出しだった胸を隠す。

怒りと羞恥に顔を染めたアスカが上を睨みつけたが、そこにシンジの姿はなく、ほっとする。

どうやら、単に声をかけただけらしい。

 

「なによっ!」

 

思わず焦ってしまった自分の行動を思い出して、アスカは、普段よりさらにつっけんどんに返す。

 

「だいたい、アスカって呼ぶなって言ってあるでしょ?!」

「ごめん。あのさ…」

「だから何よっ!」

「な、なに怒ってるのさ」

「怒ってないわよっ!」

 

絶対、ウソだよ。

シンジは、ため息とともにそう思った。

ちなみに、シンジは考え事をしていたため、まだシャツを脱いだだけの状態だ。

 

「あのさ…今回の使徒って、水の中から来るんだよね」

「あんたバカぁ?! そんなの見りゃ分かるでしょ」

「うん、でも…さっき見た感じだと、弐号機って、普通のB装備だよね」

「それが?」

「…水中に落ちたら、まずいんじゃないかと思うんだけど」

 

言ってもムダだろうな…と思いつつも、それでも一応、アスカの注意を喚起するシンジ。

アスカは、プラグスーツの装着を終えて、襟元から中に入っている長い髪を、バサッと払った。

 

「そんなもん、落ちなきゃいいのよ!」

 

ハァ……やっぱり。

シンジは、予想通りのアスカの反応に、ため息をつきつつズボンを脱いだ。

 

プシッ……シュンッ。

 

手元のボタンを押して、プラグスーツを体にフィットさせるアスカ。

空気を押し出す音が、今はまだ静かな艦内に響いた。

 

「アスカ…、行くわよ」

 

真剣な顔で呟いたアスカは、着替えた衣類をバッグにしまい込むと、一段飛ばしで階段を駆け上がった。

 

「行くわよ、サード………っ!!!???」

「??????!!!!!!」

 

ぴきっ……と、その場の空気が凍り付いた。

 

アスカが甲板上に現れた時……シンジは、ちょうどトランクスを下ろしたところだった。

 

アスカ、シンジの顔を見る。

シンジの……を見る。

もう一度、シンジの顔を見る。

ぷるぷる震えている。

 

シンジ、アスカの顔を見る。

自分の股間を見る。

もう一度、アスカの顔を見る。

ぷるぷる震え出す。

 

「きゃああぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!」

「さっ、叫びたいのはこっちだよっっ!!」

 

すごい悲鳴を上げながら、体ごと顔を背けるアスカ。 顔は真っ赤を通り越して、プラグスーツの色より赤い。

シンジは、もっともなことを、こちらも喚きながら股間を隠してうずくまる。 体中ゆでダコ状態だ。

 

「ばかばかばかばかあっ、な、な、なんでそんな格好してんのよっ?!」

「あっ、アスカがここで着替えろって言ったんじゃないかあっ!!」

「ア、アンタが遅すぎるのよっ?!あたしは、もうとっくに着替え終わってるわ!」

「し、仕方ないだろ!考え事してたんだからっ」

 

アスカが、チラッ、とシンジを見る。

…まだ股間を手で押さえてうずくまっていた。

ババッ、と慌てて後ろを向くアスカ。また、半裸を見てしまった。

 

「はっ、は、早く着なさいよ!」

「わ、わかってるけど…そこにいられたら着れないよ」

「わ、分かったわよっ!」

 

アスカは叫ぶと、ダッシュでまた階段を降りる。

 

2階分を駆け降りたアスカは、半パニック状態のまま、荒い息を鎮めようと、胸を押さえる。

 

ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……

 

心臓が早鐘のように鳴っている。

顔も頭も熱くて、血が上っているせいか、何も考えられない。

くらくらした。

 

み、み、み、みちゃった……。

 

ドックンドックンといっている胸に手を当てたまま、アスカはさらに顔を赤くした。

この場合、相手に「見せられた」のではなく、自分から「見てしまった」ことが問題である。

現に、前回の歴史になるが、トウジがパンツごとずり下ろしてしまった時、アスカは平手打ち一発ですませたものである。

 

だが、今回はひっぱたくどころか、まともにシンジの顔を見ることもできず、逃げるようにここまで来てしまった。

 

もういやっ、なんで、なんでこうなるのよぉ!

 

ああ…加持さん、ごめんなさい。

 

もう、お嫁にいけない…。

 

 

 

 

 

もう、お婿にいけない…。

 

甲板では、シンジが同じく似たような呟きを漏らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オーバー・ザ・レインボウ」の周囲では、戦闘が続いていた。

 

各戦艦や駆逐艦から、次々に洋上ミサイルが発射され、水中の使徒を直撃する。

……だが、使徒はまったく気にせず、悠々と旋回するように海域をめぐっている。

 

「なぜ沈まん!直撃のはずだっ」

 

艦長は愕然を通り越して呆然と叫ぶ。

 

だから、当たってないっつってんでしょぉがあ!

 

ミサトは、そう叫びたいのをこらえ、指揮権譲渡の完了を示す、弐号機引取の書簡を無言で艦長の目の前に差し出す。

 

「やっぱ、エヴァやないと勝てへんなぁ」

「うーん…やはり、セカンドインパクト前のビンテージものじゃ、最新の技術には勝てないってことだな」

 

トウジとケンスケの子供二人に、言いたいことを言われ、艦長は青筋を立ててプルプル震えている。

 

「サインを……お願いします」

 

ミサトが、笑顔を張り付けたまま、さらに書類を押し出す。

 

「ぐむぅぅぅぅ…しかし、ここで引き下がっては、われわれの体面が…」

 

ひぴくっ、とミサトの笑顔が引きつった。

 

「何いってんのよっ、こんな時に体面なんか関係ないでしょう?!第一、もうとっくにまる潰れよ!」

「な、な、失礼なことを言うなっ!三十路女は、だまって子守でもしていろっ!」

 

売り言葉に買い言葉。

ビキッ、と今度こそ完璧にミサトの笑顔が崩れた。

 

「だ・れ・が、三十路ですってぇ〜っっ!!!わたしは、まだ29よおおっっ!!」

「あがっ、あが、あごぉ」

「そんなこと言うのは、この口か?この口かぁ〜っ?!」

「あぐあぎうんっ、やえああえっっっ!!」

 

「つ、強いで…ミサトさん」

「うーんっ、美人作戦部長対ベテラン艦長!見応えのあるカードだよ、こりゃあっ!」

 

何を勘違いしているのか、ケンスケは二人の対決にカメラを回している。

 

「ほら加持っ、あんたもなんとか言いなさいよ!…って、加持?」

 

艦長の口を指で強引に開きながら後ろを振り返ったミサトは、いつの間にか加持の姿が艦橋から消えていることに気付く。

 

「や・く・に・たたないわねぇぇぇっっ!!」

 

ミサトの怒りの炎が吹き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、改造タンカー内のエヴァ弐号機格納庫では…。

 

「「あ、あの…」」

 

弐号機の前で、ペアルックのプラグスーツ姿のアスカとシンジは、互いに言いかけて、目があった途端、顔を赤らめて下を向いてしまう。

 

気まずい沈黙。

 

プシュッ……グウォォン…シューーー。

 

俯き合っている二人の前で、エントリープラグがせり出してきた。

 

「さ、さあっ、行くわよ!」

 

シンジの顔を見ないようにしながら、アスカはわざと大きな声でシンジを促す。

 

「うっ、うん」

「……早く乗りなさいよ」

「乗るって……僕から?」

「そ、そうよっ、さっさとしなさい!」

 

思わずシンジに見つめられて、先ほどの光景を思い出してしまうアスカ。

それを誤魔化すように怒鳴ると、シンジを蹴り落とすように、エントリープラグ内に入れた。

 

「あいたっ、ちょ、ちょっと待ってよ…どういうこと?」

「フフン」

 

情けない格好エントリープラグ内にひっくり返ったシンジを見て、ようやく普段の調子を取り戻したアスカは、ニンマリと小悪魔の笑みを浮かべた。

 

「アンタが起動させんのよ」

「……えええっ?!」

「ハン?天下のサードチルドレンさまは、初搭乗でもシンクロ率40%だそうね。それに、最近じゃ90%なんか楽勝なんですって?…なら、弐号機を起動させるくらいワケないでしょ!」

「そ、そんな無茶苦茶な…」

 

アスカのニヤリの意味はこれだったのか…。

やっぱり、僕のシンクロ率のこと気にしてたんだ。 …だけど、最近は90%って、なんでそんなことまで知ってるのかな。

 

「ホラ、さっさとやんなさいよ!時間ないわよ」

 

なら、こんなことさせないでよ…と思うシンジであった。

 

仕方ない…やるだけやってみよう。

 

「…じゃ、LCLの手動注水始めるよ?」

 

ハッチを閉めたシンジは、座席後部のアスカに聞いた。

 

「どうぞぉ」

 

起動などするわけない、と思っているアスカは、体を伸ばしたままで答える。

ため息をついたシンジは、LCLの注水を開始した。

もちろん、シンジにしても、パーソナルパターンの書き換えもなしに、弐号機を起動させられるとは思っていない。

大体、弐号機は特殊…というか本当は初号機が特殊なのだが、零号機との相互互換のようにはいかないのが分かっている。

シンジは考えた結果、ひとつの案を閃いた。

 

やがて、エントリープラグ内のLCLが満水になる。

シンジは、LCLの注水を止めた。

 

「L.C.L. Fullung.」

「?!」

 

シンジの口から、いきなりドイツ語が流れ出した。

それを聞いたアスカが、ガバッと体を起こす。

 

「Anfang der Bewegung. 

 Anfang des Nerven anschlusses. 

 Ausloses von links-Kleidung. 

 Sinklo-start…」

 

な、な、なんなの、コイツ!

 

スラスラと、ドイツ語で起動シークエンスを進めていく黒髪の少年を、アスカは唖然と見つめた。

 

実はアスカは、ドイツ語の思考ノイズを混ぜて、「FEHLER」つまりエラーを出してやるつもりだったのだ。

それが、ドイツ語どころか英語すら話せそうにない少年の口から、たどたどしいとはいえドイツ語が出たのだから、驚かない方がおかしい。

 

「………」

 

しかし、起動の直前の段階まで来たところで、シンジは急に黙り込んだ。

 

「ど、どうしたのよ」

「…あ、ゴメン。あと分かんないや」

 

あははっ、と頭に手をやって、屈託なく笑うシンジを、アスカはしばらく呆然と見つめた。

 

「や、役に立たないわねえぇぇぇっ、もう、いいからさっさとどきなさいよ!」

「うん。やっぱりアスカじゃないとね」

 

実は、シンジが喋ったのは、前回のアスカの言ったそのままをなぞっただけのことだ。

全文を覚えているのは、自分でも驚きだったが、とにかく、アスカと操縦を交代するという目的は果たした。

あのままだと、起動に失敗して泣きを入れるまで、交代してくれそうになかったのだから。 

 

「行くわよ!」

「うんっ」

「思考言語切り替え、日本語をベーシックに」

 

アスカの意志に即座に反応して、弐号機が目覚め始める。

その時、シンジは確かに、アスカを守るものの存在を感じ取っていた。

 

「エヴァンゲリオン弐号機、起動!」

 

 

 

 

 

36

 

 

「オーバー・ザ・レインボウ」主艦橋。

 

「ヘンね…」

 

使徒の動きを双眼鏡で観測していたミサトが、不審の声を上げる。

…ちなみに、この戦闘における指揮権は、たった今、国連軍からNERV、つまりミサトに移っている。

あの後、強引に艦長にサインさせたのだ。

 

「艦長…どんなに長い夜でも、いずれ夜は明けます」

 

艦長は、後ろでいじけているところを、副長に慰められている。

 

「なにがでっか、ミサトさん?」

「………」

 

トウジの問いにも、ミサトは答えない。

 

「確かにヘンだな……なんか、フラフラとさまよっているだけみたいだ。何か探してるみたいに」

 

同じく、ビデオカメラのフィルターを通して使徒の動きを追っているケンスケが、ミサトの心中を代弁した。

確かに、使徒の動きは不可解だ。

積極的に攻撃をしかけるでもなく、時折、思い出したように戦艦に体当たりを敢行している。

 

「まさか……弐号機が目的っ?!」

 

ミサトが叫んだ瞬間。

 

ズズズズゥーーーーンッッッ!!!

 

「きゃあっっ」

「うおおおっ」

「ああっ、か、カメラぁっ」

「ふごっ」

「か、艦長っ」

 

凄まじい横揺れが、「オーバー・ザ・レインボウ」を襲った。

あまりの衝撃に、車輪止めを噛ましてあるはずの甲板上の戦闘機群が、次々と海に落ちていく。

ミサトは目の前の計器類にしがみつき、トウジとケンスケは転がり、艦長は二人の体当たりを受けて沈黙。

 

「どうしたっ!」

 

さすがに慣れているだけあって、即座に飛び起きた副長が、伝声管に向かって状況を質す。

 

『左舷格納庫に浸水!』

「なにぃっ?!」

「隔壁閉鎖!急いでっ!」

 

驚いている副長を押しのけて、ミサトが指示を飛ばす。

 

「被害状況を報告しろっ」

 

目を回しているトウジとケンスケを押しのけて立ち上がった艦長が、帽子の位置を直しながら言う。

しばらくして、左舷から被害報告が入る。

 

『浸水は軽微!しかし、格納庫のハリアーはおしゃかです!』

「よし、それで済めば重畳だ」

 

ふうっ、と胸をなで下ろす一同。

 

 

 

 

 

 

しかし、ここに一人、「重畳」では済まされない人物がいた。

 

「おいおい…」

 

閉鎖された隔壁の前で、加持は一瞬、途方に暮れたような顔をした。

手には、耐核仕様のトランクを持っている。

 

「仕方がない。この際、覚悟を決めるか」

 

すぐさま気持ちを切り替えた加持は、もと来た道を戻り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…こんなところで使徒襲来とは。ちょっと話が違いませんか」

 

自分の部屋に戻った加持は、ドサッと荷物を放り出すと、椅子に腰を落ち着けた。

胸元からオペラグラスを取り出すと、シガレットをくわえながら、ブラインドの向こうを見る。

やがて、思いついたように、軍仕様の携帯電話を取り出すと、どこかへダイヤルし始めた。

 

『そのための弐号機だ。予備のパイロットも追加してある』

 

電話の向こうから、碇ゲンドウの声が聞こえてくると同時に、再び、低い振動が起こる。

今度のは、使徒への攻撃が再開されたためのものだ。

 

『…最悪の場合、キミだけでも脱出したまえ』

 

まるで、既定の事実を読み上げるようなゲンドウに、初めて加持はニヤリと笑った。

 

「それがそうも行きませんで」

『何…?』

「脱出手段が絶たれてしまったものでね。あとは、ご子息とアスカの活躍に期待するとしましょうか」

 

電話の向こうのゲンドウは、沈黙した。

 

「…さて、と。期待させてもらおうかな、シンジくん」

 

むしろ楽しそうに呟くと、加持は、「特等席」に向かうために部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『オセロー』より入電。エヴァ弐号機、起動中!」

「なにぃっ?!」

「ナイスっ、アスカ!」

 

副長の報告に、艦長は驚きの、ミサトは喜びの声を上げる。

 

「しかし、本気ですか…弐号機はB装備のままです」

「えっ」

「大丈夫かね、彼女は…」

『問題ないわっ!』

 

そこへ、弐号機から通信が入った。

 

「アスカ!大丈夫なの?」

『平気へいき、要は水に落ちなきゃいいんでしょ』

「…勇ましいなぁ、アスカ」

『加持さんっ!』

「加持ぃぃっ?!」

 

その時、艦橋のドアが開いて、加持が入ってきた。

その声に気付いたアスカが歓声を上げる。これで、いいところが見せられる、というわけだ。

 

『加持さん?!そこにいるんですか?』

「おっ、もしかして、シンジくんも弐号機に乗ってるのかい?」

「ええっ?!」

 

シンジの声が、回線に割り込んだ。 ミサトが慌てる。

 

『ちょっとサード!今はあたしが加持さんと話してんのよ、勝手に割り込まないでっ』

『ちょ、そんなこと言ってる場合じゃないんだってば!』

「な、なにやってんの…あの子たち」

「いやあ、シンジくん。残念ながら逃げ遅れてしまってね」

 

加持は肩をすくめた。

 

「あ、あんた…一人でトンズラするつもりだったわけぇ?!」

「まあまあ、今はちゃんとココにいるだろう?」

 

詰め寄るミサトを、加持が留める。

 

『艦長!』

「う、うむ?なにかね」

『「オーバー・ザ・レインボウ」の周囲から、他の艦を遠ざけてください!巻き添えを食います』

「うむ、わ、わかった」

 

その場の誰もが、シンジの意図を把握しかねたが、艦長はそれに従う。

 

『ミサト!甲板に非常用の外部電源、用意しといて』

「わかったわ!」

「一体、何をするつもりかね、君たちは?」

 

『いきますっ!』

 

 

 

 

 

 

 

改造タンカーの甲板上に立ち上がったエヴァ弐号機は、格納庫の電源をパージして、宙に飛び上がった。

 

「飛ぶわよっ」

「う、うん!」

 

外部電源の断たれた弐号機は、残り稼働時間のカウントダウンを始めるが、アスカは気にせず、弐号機をジャンプさせた。

 

その瞬間――――。

視界が開ける。

世界が回る。

 

アスカは、弐号機を、まるで羽でも生えているかのように操り、すばらしいスピードで宙を舞う。

 

すごいや……。

 

シンジは、弐号機が「オーバー・ザ・レインボウ」に向けて、次々と船上を八艘飛びしていくのを、素直な感嘆とともに見ていた。

やっぱり、アスカはすごい。

自分には、ここまでの動きはできないだろう。それは、天性の反射神経と動体視力、そして厳しい訓練のなせる業だった。

 

シンジは思う。

アスカは、シンクロ率にばかり目を向けているが、彼女の真価はそんなところにあるのではない。

ドイツ支部で養われた格闘術と、戦場を冷静に分析する戦術能力。

そうしたものこそ、シンジが遠く及ばないものであり、彼女自身の持つ輝きの一つなのだ。

そういったものは、例えば、レイにもシンジにも自分だけのものがある。

シンジには、強力なATフィールド、レイには、いかなる時でも冷静に戦況を見る安定性、といった具合に。

たぶん、それでいいのだと思う。

 

僕たちは、お互いに足りない部分を補い合って、戦っていけばいいんだ。

アスカにも、いつか、それが分かってもらえればいい。

 

凛々しいアスカの横顔を覗き込みながら、シンジはそんなことを考えていた。

 

 

 

 

『エヴァ弐号機、着艦しまーすっ!!』

「総員、耐ショック姿勢!」

「…でたらめだっ」

 

アスカの威勢の良い声とともに、弐号機が空から降ってくる。

しかし、その時…。

 

「あああああっ??!!」 <ミサト

「ぎゃあーーーっ!!」 <トウジ

「でっ、でたあっ?!」 <ケンスケ

「こ、これが使徒、か…」 <加持

 

着艦寸前のエヴァ弐号機に構わず、海面から跳ね上がってきた第6使徒ガギエルが、「オーバー・ザ・レインボウ」に覆い被さるように姿を現した。

 

 

「アスカッ、下!!」

「どうりゃあ〜〜〜〜っっ!!」

 

シンジがそれに気付いて叫ぶと同時に、アスカは、弐号機を錐もみ状に落下させた。

重力の勢いを借りて、アスカの(弐号機の)強烈なドロップキックが、ガギエルを船外に吹っ飛ばした。

盛大に水柱が上がる。

 

ガギエルにのしかかられる寸前で、九死に一生を得たミサトたちだか、今度はその目前に、体勢を崩した弐号機が、背中から落ちてきた。

 

「「「「「「 ぎゃああああああ〜〜〜っっ!! 」」」」」」

 

ズズーーーーーーーーーーン!!!

 

再び、使徒顔負けの衝撃が艦全体を襲い、ころころと部屋の中を転がる一同。

 

「あいったぁーー…アスカ、もうちょっち丁寧にやってよね」

「つつ…」

 

ミサトは、加持が自分を受け止めてくれたのには、気付いていない。

 

「…ワイらは無視かい」 <トウジ

「…運命なんてそんなもんだよ」 <ケンスケ

「…気が合うな、君たち」 <艦長

「…はぁ」 <副長

 

『文句言わないでよ。潰されそうなとこ、助けてあげたんだから!』

「そうだな。ありがとう、アスカ」

『キャッ、加持さん、だいじょうぶですかぁ〜?』

『……二重人格だよな、やっぱり』

『アンタは黙ってて!』

 

 

 

 

 

「外部電源、接続完了」

 

アンビリカルケーブルを装着したエヴァ弐号機は、カウントダウンが止まって、ゆっくりと立ち上がった。

 

「アスカ、右舷3時方向!」

「きなさいっ」

 

バカッ、と肩の武装パックが開き、出てきたプログレッシブナイフを掴み出す。

 

その、カッターナイフのような刃先が飛び出して赤熱すると同時くらいのタイミングで、ガギエルが、海中から再び飛びかかってきた!

 

「アスカっ!」

「とりゃあああああっ!!」

 

アスカは、恐るべき反射神経で、その先端を見切ると、体を左斜め前に沈み込ませながら、プログレッシブナイフを突き立てた。

 

ブシュゥゥゥゥゥゥゥッッ!!

 

「くうぅぅぅぅぅっっっ」

 

プログナイフから伝わってくる振動を受け止めながら、弐号機がズズッと後退する。

腹の下を斜めに切り裂かれたガキエルは、血のようなものを盛大に振りまきながら、海中へと落ちた。

 

 

 

 

 

「やったわ、アスカ!」

 

割れた艦橋の窓越しに、それを見ていたミサトをはじめとする乗組員たちから歓声が上がる。

 

「あ、あれを、あの子供がやったのか…」

 

艦長も、今の弐号機の戦いぶりを見て、驚愕と感嘆に目を見開いた。

 

「さすが惣流、言うだけのことはあるのう」

「ああ、いいシーンが撮れたよ!」

 

微妙にかみ合っていない、中学生2人の会話。

 

ミサトの肩に、さりげなく手を置いた加持も、賞賛の視線を弐号機の赤いボディーに注ぐ。

 

『フフン、ざっとこんなもんよ』

 

が。

 

『まだだっ!』

『えっ…』

 

シンジの警告が、回線から流れた。

その直後、倒したと思っていた使徒が、何の前触れもなく、弐号機に襲いかかった。

 

 

 

 

37

 

 

 

「!」

 

ガギエルの鋭い牙の群が、弐号機の肩口を捉えた、と思った瞬間。

シンジは、弐号機にシンクロした。

 

 

 

ズガガガガガガーーーーンッッッ!!!

 

「きゃああああっっ!!」

 

凄まじい衝撃が、エントリープラグ内を揺るがした。

 

『アスカっ?! シンジ君っ!!』

 

 

 

 

ギ…ギギギ……ギギギギギィ……

 

弐号機は、右肩口に食らいつかれたまま、船体の左側で使徒を受け止めていた。

 

『アスカっ、大丈夫?!』

「あいたたた…だ、大丈夫だけど」

 

 

 

加持は、揺れの収まった船内から、弐号機を見つめた。

肩には、鋭い使徒の牙が何本もくいこみ、大きな穴を穿っている。

シンクロしているパイロットは激痛にのたうち回っているかと思ったのだが、回線から聞こえるアスカの声には、ダメージはまるでない。

 

なんだ……?

 

 

 

 

「もぉうっ、なんでコイツ、死なないのよぉっ!!」

「……コアだよ」

 

座席の背後から、シンジの抑えたような声が聞こえた。

顔を下に向けているため、その表情は見えない。

 

「コア?」

『そ、そっか…!』

「使徒の弱点は、コアっていう赤い光球なんだ。それを叩かない限り…使徒は倒せない」

「アンタ、知ってんなら、もっと早く教えなさいよ!…おかげで、加持さんの前で恥かいちゃったじゃないのっ」

「…ごめ、ん」

 

そうして話している間にも、弐号機と使徒との間の力の攻防は続いている。

 

 

 

 

 

「いかんっ、このままでは艦が沈みますっ!!」

 

副長が、悲鳴のような声を上げる。

艦の左舷に力点が集中しているため、だんだんと左側に傾いてきているのだ。

 

『ど、どうすんのよ!』

『…コアを叩くんだ』

『だって、そんなものどこにもないわよっ?!』

 

確かに、アスカの言うように、のっぺりとした、伝説のクラーケンのように生白い使徒の体には、それらしきものなどどこにも見えない。

 

『…たぶん、口の中だよ』

『くちぃっ?!』

『体の外側にないなら、あとはそこしか考えられないだろ。…それに、さっきチラッと赤いものが見えたんだ』

 

無論、これはシンジのウソである。

だが、ガギエルのコアが、その口の中にあることは、前回の戦いで経験済みだった。

 

『…艦長っ』

「な、なんだ!早くしないと、沈むぞ」

『取舵一杯に切りながら、艦をフルターンさせてください』

「取舵…?」

「そうかっ」

 

シンジの意図に気付いたミサトが、副長を通じて合図する。

艦長も、それでようやく合点がいった。

シンジは、面舵で重心を戻そうというのだろう。

 

「取舵一杯(ボートヘルム・フル)!回頭後に、全速でフルターンをかける……しかし、長くは保たんぞ!」

『3分だけ、保ちこたえてください!』

「シンジ君、アスカ!同時にシンクロして、牙を抜くのよ!」

 

ミサトが、兼ねてから考えていた同調作戦を促した。

 

『ど、同時に?!』

 

アスカが、驚いたように反復する。

 

『…やってみます』

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっとアンタ、なにする気?!」

 

座席後部から身を乗り出してきたシンジに、アスカは驚く。

 

「ミサトさんの言った通りだよ。僕も弐号機にシンクロする」

「や、やあよっ!どうしてあんたなんかと…ちょ、ちょっとどこ触ってんのよっ!!」

 

下半身にのしかかられて、アスカ頬を染めながらシンジの頭をポコポコと叩いた。

 

「し、しようがないよ、狭いんだから…」

 

ピーーーッ!

 

その時、エントリープラグ内に、残り稼働時間が3分を切ったことを知らせる警告音が鳴り響いた。

実は、先ほどの攻撃の際、アンビリカルケーブルを食いちぎられていたのだ。

 

「…もう、時間がないわ」

 

アスカは、わずかに顔をしかめると、操縦桿をさらに手前に引き起こした。

操縦把を起こして、シンジの手に、自分の手を重ねる。

 

「…いい、こんなの今回だけだからね。調子に乗るんじゃないわよ」

「…分かってる」

 

 

 

 

 

 

「いい、アスカ、シンジ君。二人のシンクロで、食いついている使徒の口を、なんとかしてこじ開けてちょうだい。その瞬間、プログナイフと艦載砲で同時に使徒のコアを叩く」

『いい〜っ、そんなことできるのぉ?』

「他艦からの一斉砲撃は、この艦ごと沈めてしまう可能性があるの。無理は承知だけど、あなたたち二人ならやれるわ」

『あたしならやれる、ね…それって、殺し文句よねミサト』

「………」

 

ミサトは、黙っていた。

謝罪の言葉が出そうになるのを、なんとかこらえる。

無茶な作戦だということは、分かっている。だが、これしかほかに方法がない。

また、子供たちに、過大な負担をかけてしまう、という思いが、ミサトの胸を締め付けた。

 

「…大丈夫。彼らは、そんなにヤワじゃないさ」

 

ミサトの考えを読み取ったかのように、加持が、ミサトの後ろから両肩にポン、と手を置く。

ミサトは瞳を上げて、加持の目を覗き込んだ。

優しい目をしていた。

…あの頃と、変わることなく。

 

「加持くん……」

 

これは、偽善だろうか。

いや、違う。 とミサトは思う。

子供たちを心から信じるから、だから、不可能に見えるものが可能になり得るのだ。

 

「…艦長、使徒の口が開いたら即座に、搭載している砲門のうち狙点の合うもので、一斉射撃をお願いします」

「しかし、エヴァは大丈夫なのか…」

「大丈夫です…あの子たちなら」

 

ミサトの迷いのない瞳が、艦長の腹を決めさせた。

 

「…分かった。この艦とわれわれの命運、子供たちに預けよう」

 

 

 

 

 

 

 

「…いい、あくまでもあたしがメインよ。コアを叩いて、使徒を倒すのはあたし。分かってるわね」

「うん…分かってる。僕はシンクロできても、弐号機を動かすまではできない。アスカが頑張って」

 

フン、とアスカは顔を逸らして鼻を鳴らした。

 

「分かってるんならいいわ。…じゃ、いくわよ」

「うん」

 

二人の神経が、研ぎ澄まされていく。

シンジの手に重ねられた、アスカの手。

それは、そのまま意識に従って感覚を伸ばしていくと、やがて弐号機の中枢神経へと伝達される。

 

『考えを同調させてっ』

 

ミサトの声が響くが、それにはまったく気付かずに、アスカとシンジは同調を始めた。

初めての、ダブル・エントリー。

 

(開けっ、開けっ、開けっ、開けっ、開けっ、開けっ、開けっ、開けっ……)

(開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け……)

 

 

 

 

 

 

 

唐突に、弐号機の4つある眼が、輝きを帯びた。

ガギエルと押し合っている体が、少しずつ、盛り上がっていく。

 

ズ……ズズ……ズズズッ…

 

それに従って、弐号機の肩に食い込んだ使徒の牙が、ゆっくりと、傷口を広げながら抜けていく。

 

 

『………っ』

 

その時、加持は、シンジの声にならない、かすかな呻きを聞いた。

 

そうか…。

 

加持は、ようやく得心がいった。

アスカは気付いていないようだが、シンジが、弐号機の痛覚を自分の体に引き受けているのだ。

噛みつかれた瞬間から、今に至るまで。

そして、おそらくは、同乗の少女に心配をかけないために、体を引き裂く激痛を耐えて―――。

 

…なんて子だ。

 

加持は、身の内が震えるような感覚を覚えていた。

 

面白い。

こんなに、心が滾るのはどのくらいぶりだろう。

 

 

 

 

「いけぇ、シンジ!ここで男を見せるんやっ!」

「がんばれ、碇!」

 

トウジとケンスケの二人も、拳を振り上げて、奮戦する弐号機に声援を送っている。

 

 

ドドウッッ!!

 

シンジの小さな呻きと同時に、押され気味だった使徒の牙が、突然、力が抜けたように後退した。

その体を見ると……。

 

「!艦長…」

「…子供たちばかりに負担を負わせるのは忍びないのでな。…援護射撃のつもりだ」

 

艦長の指示に従って、直近のフリゲート艦から放たれた精密射撃が、一瞬、使徒の動きを止めていた。

照れたように、帽子のつばを下ろして表情を隠す艦長に、ミサトは微笑みながら頭を下げた。

 

「残り30秒!」

 

 

 

 

 

 

 

(開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!……)

(開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!……)

(開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!……)

(開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!、開けっ!……)

 

((開けえぇぇっ!!))

 

 

その瞬間、二人の思考が完全にシンクロした。

シンジとアスカは、その刹那、おぼろ気な誰かの姿を脳裏によぎらせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぐ……ぐぐ…ぐぐぐっ…

ぐばあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「開いた!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスカっ!」

 

「とぉりゃああああああああああああっっっ!!!」

 

「撃てぇっ!!」

 

 

 

ズガッッッッッッ!!!!!!!

ズドドドドドドドッッッッッンンン!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

次の瞬間、開いた口の中に輝く、禍々しい赤い宝珠は、弐号機のプログナイフと一斉射撃によって、完全に粉砕された。

 

 

アスカが、ガギエルの巨体を海面に蹴り飛ばす。

フルターンした「オーバー・ザ・レインボウ」が、全速力でその海域を遠ざかり……。

 

わずか数秒後、数十メートルの水柱を上げて、第6使徒ガギエルは撃退された。

今度こそ、太平洋艦隊の各艦から、歓呼の叫びが上がった。

エヴァ弐号機は、内部電源が切れ、停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やっぱりすごいや、アスカは」

 

弐号機のエントリープラグ内。

脱力したアスカの膝に、やはり脱力したシンジが、もたれるように体を預けている。

 

「…なにそれ、皮肉?」

 

さすがに疲れ切ったように、アスカが半眼で、膝の上のシンジを睨む。

 

「違うよ。…僕には、あんなスピードで使徒をかわすことはできないもの。あれは、アスカにしかできない。

 …すごかったよ、アスカ」

 

シンジは、顔を仰向かせて、にっこりと微笑んだ。

アスカは、目元に小さく朱を刻んで、不機嫌そうに顔を逸らした。

 

「……ちょっと、いつまで人の上に乗っかってんのよ」

「あ、ご、ごめん…すぐどくからっ」

 

言われて初めて、シンジは、自分がアスカのお腹の上に顔を乗せていたことに気付き、慌てて上体を起こした。

 

「いたっ、ちょっと、もっと静かに動きなさいよね。せまいんだから!」

 

あれ…?

 

シンジの肩に触れた瞬間、アスカはわずかな違和感を覚えた。

 

いま、コイツの肩……へこんでなかった?

 

アスカは、その疑問に思いを致してシンジを振り返った。

 

「?…なに、アスカ」

 

いつもとまったく変わらない、シンジのあどけない顔。

アスカは、気抜けしたように息を吐いた。

この記憶力の悪い少年は、また、アスカと呼んでいる。

 

「アンタねぇ、いい加減に……

 …………

 …ま、いっか」

 

フン、とそっぽを向くアスカ。

 

「…ほら、行くわよシンジ!」

 

鈍い衝撃とともに、エントリープラグのハッチが開いて、外界の光と、海の青さが二人の周囲に戻ってくる。

 

「!………うんっ」

 

それは、少年にとって記念すべき瞬間だった。

アスカが、再会してから初めて、「シンジ」と呼んでくれたのだ。

 

 

エントリープラグから、甲板を見下ろすと、ミサトと加持とトウジとケンスケと、そして艦長に副長に乗組員のみんな、

全員が手を振って、ふたりを出迎えていた。

 

 


■次回予告 

 

戦いの後。

束の間の休息。

「オーバー・ザ・レインボウ」を降りたシンジを加持が待っていた。

交わされるシンジと加持の会話は…?

 

 

次回、新世紀エヴァンゲリオンH Episode-07「Tactics(駆け引き)」。

 

 

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(updete 2000/07/14)