Episode-16「同気相求、捲土重来」
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『時田技師、お会いしたいという方が見えていますが』
日本重化学工業の時田シロウは、その日、自分のラボで来客を告げられた。
彼は数週間前まで、日本政府の援助を受けた戦自との極秘共同開発兵器「JA」の技術・開発部門のトップとして、輝かしい職責に就いていた。
だが、現在は政府援助も打ち切られ、開発部門そのもののの規模も縮小され、凋落の一途を辿っていた。
それは、先日行われた「JA」の完成記念式典において、披露パーティの主役である「JA」が暴走を起こし、炉心融解寸前で、特務機関「NERV」の主力兵器によって、それを食い止められるという、大失態に端を発する。
この「大失態」には、援助元である政府もすっかり頭に来たらしく、一時は開発責任者である時田の刑事責任を追及する動きまで認められた。
特にお冠だったのが、内務省長官の万田であり、彼は「JA」を積極的に現内閣に売り込んでいた張本人でもあった。
彼は、「JA」での成功を機に、自らが属する派閥内での地位を高めようという打算もあったようで、それだけに失望は大きかったということだろう。
しかし、時田を刑事事件の被告とすることについては、各所からの反対もあり、結局、取りやめとなった。
「彼のこれまでの社会的功績を鑑みて」というのが、その理由であったが、暴走事件発生時、その対処をたらい回しにして、結果的に「NERV」にすべての主導権を渡してしまったという責任、負い目。そうしたものを追求されることを避けたい、ことなかれ主義の政治屋たちの保身意識が、怒りを上回ったということだろう。
実際に、人的・物的被害が少なかったというのも、そうした流れを後押しする結果となる。
最終的に、時田の処理は、降格・減給、新規開発部門からの撤退という線で決着した。
時田個人としては、十分に予測していた事態であり、スケープゴートとして被告人席に着かされることを思えば、ありがたい処置であったともいえる。同時に処分を受けた同僚たちには、申し訳ないと思ったが。
また、開発部門からは外されたとはいえ、技術部門で自らの研究を続けることはできる。
エリート街道から転落した彼を、あからさまに嘲笑するような輩も社内には存在したが、時田はそれらを意に介さなかった。
むしろ彼は、「つまらない道を、いい気になって歩いてきたものだ」と、自嘲すらしたものだ。
先日の「暴走事件」は、学ぶところが多かった。
自分が作った物が、いかに危険なものであるか、あの暴走は教えてくれた。
制御不能に陥り、炉心融解の危険をはらんだ決戦兵器。
ナンセンスだ。
「NERV」の主力兵器のことを言えたものではない。
周囲からもてはやされ、煽られ、「NERV」への対抗意識を燃やすばかりに、肝心なものを見失っていたようだ。
技術者としては、失格だ。
時田はそう思い、初心に立ち返ることを決意した。
彼にその思いを強くさせたのは、「NERV」の作戦部長、葛城ミサト一尉。そして、あの少年…。
シンジ君…彼女は、そう呼んでいたな。
『お互いにいがみ合うのって、悲しいじゃないですか。
ここに住む人たちを、大切な人たちを護りたいと思う気持ちは、一緒じゃないですか』
彼のような少年の口から、その言葉を聞いたときの衝撃は大きかった。
…彼がおそらく、あの主力兵器のパイロットの一人。
あんな子供が、非常識な敵性体と戦っているのか。
情報としては聞いていたが、目の当たりにすると、なんともやり切れないものがあった。
深い色の黒い瞳が、印象的な少年だった。
「来客…?」
時田は天井を見上げて、頭の中のスケジュール帳を確かめるが、今日の来客予定はなかった。
また、上述のような理由から、彼自身を頼ろうとする関係者も、めっきりその数を減じていた。
「アポイントメントは受けていないが…どちらの方かな?」
時田は電話口の受付嬢に向かって問い直す。
『はい。第三航空の加藤さまとおっしゃられていますが』
第三航空?
時田は首を傾げた。
「第三航空」とは、戦自とアポを取る際に、時田ら日本重化学工業側が使うダミーネームだった。
加藤という名前にも聞き覚えはない。
「…お通ししてくれ。ああ、応接室の方ではなく、ラボの方にお願いするよ」
『はい。分かりました』
「初めてお目にかかります。第三航空の加藤と申します」
そう言って、知的な笑みを浮かべたのは、20代前半と思われる美女だった。
ビジネススーツをきちっと着こなした姿は、キャリア・ウーマンというよりは、弁護士事務所の事務員といった印象を抱かせる。
幾分、つり気味の目を、細いフレームの眼鏡が、柔らかい印象に包み込んでいる。
「どうも、初めまして…」
時田は、加藤と名乗る女性の差し出した手を握り返しながら、「やはり記憶にないな…」と内心、首をかしげる。
だが、「第三航空」を名乗っている以上、ただの業者や企業の誘いとも思われない。
と、その表情を読み取ったかのように、女性は柔らかい笑みを浮かべた。
「実は、私はただのメディエーター(仲介者)にすぎませんの。
本日、お伺いしたのは、こちらの方のご意向で」
そう言うと、加藤という女性はソファには腰を下ろさず、背後に控えていた男性と場所を代わった。
「本日は、アポも取らずにお伺いして、まことに申し訳ない。
失礼は承知ですが、面会を受けて頂き、感謝します」
「いえ、さほど忙しい身でもありませんので。…まあ、どうぞ」
男の慇懃な物言いに、時田の方がかえって恐縮し、少し慌てたようにソファを勧める。
肩幅の広い、がっちりとした体格の中年男だった。
40代半ばといったところか…しかし、その雰囲気からは、かなり鍛えられている様子が伺え、実際の年齢よりも若々しく見せている。
男がソファに身を沈めると、加藤と名乗った女性は二人に一礼して、部屋を出ていった。
どうやら、本当に仲介だけらしい。
「ごあいさつがまだでしたな。私、こういう者でして…」
差し出された名刺を時田は受け取った。
不釣り合いな名称が、その最初に綴られている。
『戦略自衛隊技術研究所 兵站部』
やはりそうか、と時田は先程からの疑問を確認した。
名前には、霧島とある。肩書きは一佐。
かなりの地位にある人物だということは、民間人である時田でもわかる。
「…失礼ですが。この部屋は防諜には向きません。
なんでしたら、場所を替えますが…」
これまでの例からして、戦自研の人物と会う際は、守秘義務が課せられていた。
共同で行われていたプロジェクトの性格からいっても、これは当然といえた。
腰を浮かしかけた時田を、男は片手を上げて制した。
「いや、ご配慮はありがたいが、ここで結構。
最低限の機密保持はしますが、外部に隠し立てをするつもりもないものでね。
…それに、あまりに隠し立てが過ぎると、叩かれる恐れがありますからな。
出る杭は打たれる…という格言もありますし」
「………」
大胆な人だと、時田は思い、それがそのまま顔に出た。
彼は、ポーカーフェイスには向かない人物のようだ。
「それは…先日の件のことをおっしゃっているのですか?」
男が暗に示唆した事実を読み取り、時田は愕然となる。
彼自身、ある種、漠然とした疑問は抱いていた。
自己弁護するわけではないが、「JA」の制御系には、かなりの自信を持っていた。
特に、リアクターの制御系とプログラミングには、技術者として心血を注いだつもりだった。
にも関わらず、「JA」は完全に制御不能に陥ったばかりか、リアクターは炉心融解の直前まで暴走した。
もしかしたら…。
もしかしたらそれは、外部からの工作の結果ではないのか。
そして、その外部からの工作とは…。
「し、しかし、あれは…」
実際に事態を解決したのは、NERVである。
炉心融解、水蒸気爆発といった危険を顧みず、「JA」のリアクター内に乗り込んだのも、NERVの作戦部長と少年だ。
それが、工作の張本人だなどということが、あり得るのだろうか。
葛城ミサト、そしてあの少年。
どう見ても、演技だなどとは思えない。
「…まあ、現場には現場の、裏には裏の事情というものがあるものですからな」
そう言って、男は時田を宥めた。
たとえこの会話が盗聴されていたとしても、実際に交わされた会話だけでは、何のことだか分からないに違いないが、かなり際どいやり取りであったことは間違いない。
「いやいや、失礼した。今日はこのようなことをお話ししに来たわけではないのです。
過ぎたことをほじくり返しても、良いことは何もありませんからな。
おまけにこの藪は、つついたらヘビどころが猛獣が飛び出して来かねない」
霧島という男は、不用意に時田を警戒させてしまったことを詫び、人好きのする笑みを、髭の生えた口元に刻んだ。
時田もなんとか平静を保ったが、思わず額の汗を拭っていた。
「実はですな、時田博士。
私は、あなたと、あなた方の技術を見込んで協力をお願いしたいのです」
「協力…と、申されますと?」
「…ありていにいえば、兵器開発のですな。
あの、使徒と呼称される敵性体に対する」
「いや…しかし、それは」
時田は意外の感を禁じ得なかった。
自分はすでに、新規開発プロジェクトからは外された人間である。
当然ながら、戦自との共同開発も打ち切られている。
この人は、何か思い違いをしているのではないか…?
その考えも顔に出たらしく、霧島はわずかに苦笑を浮かべた。
「むろん、博士が新規プロジェクトに関わり合いのないことは存じております。
誤解しないで頂きたいのですが、私の申しているのは、NERVの主力兵器に対抗する次期人型決戦兵器のことではなく、純然たる兵装、武装のことでして」
「はあ…?」
要点が掴めない時田は、懐疑的な表情で首を傾げる。
霧島は、そんな時田の前に、一枚の写真を滑らせる。
「これをご存じですかな」
「…? いえ、これは?」
そこには、長大な自走臼砲のようなものが写っている。
「14式自走陽電子砲です。プロトタイプですが。
…1月ほど前、日本全国で一斉停電があったのはご存じでしょう」
「ええ」
「実はあの際、これをNERVに徴収されましてね。
日本全国の電力をぶち込んで、あの敵性体を撃破したというわけです」
「なんと……それは凄いですな」
時田は素直に驚嘆の表情を見せ、霧島も満更でもない顔で頷く。
「これを持ち帰って、わずか数十時間で、あの決戦兵器用のポジトロンライフルに仕立て上げ、全国の電力をかき集めるというような芸当をしてしまうのですからな、さすがは、あれだけの兵器を運用しているだけのことはある。
…NERVは侮れませんよ」
「確かに…」
わだかまりを取り払ってみれば、技術的にNERVは大変優れていると言わざるを得ない。
ただ、その特殊性・隠蔽体質が、各種様々な憶測や嫉視を生んでいる感は否めないが。
「というわけで、現在のところ、NERVの決戦兵器以外に、あの敵性体を倒したのは、この陽電子砲が初めてというわけでして」
「ふむ…」
時田は、技術者として俄然、興味を誘われたようで、その写真を手にとって、洗練されたとは言い難い無骨なフォルムを眺めやった。
国連軍のN2地雷、爆雷ですら殲滅することのできなかった敵性体を倒した兵器。
「…つまりこれは、例の『ATフィールド』、超高出力兵器をもってすれば貫くことも可能であるという事実を示していると」
「その通りです。
…だが、現状では、いかんせん安定感からはほど遠い。
しかも…」
「…エネルギーの問題がある、と」
時田の問いに、霧島は頷き返した。
「一斉射ごとに、日本中を停電にしていたようでは到底、兵器とはいえませんからな。
そこで、です。…こちらは、非常に高度なリアクターの技術をお持ちだ」
霧島の言葉に、時田はわずかに苦笑めいたものを浮かべた。
「あ、これは…失礼。別に皮肉を申したわけではないのですが。
配慮が足りませんでしたな、申し訳ない」
「いや、どうぞお気になさらず。
その件については、まったく言い訳のしようのない失態をしでかしたわけですから」
「…ともかく、時田博士と、その周辺の技術力をお借りできれば、エネルギーという一側面をクリアできるのではないかと考えたわけでして。
安定性に関しては、まだ一考の余地がありますが、開発を進めれば単体兵器、あるいは兵装として、十分、実戦に耐えうるものができるのではないかと」
時田は両手の指を組み合わせ、しばらく考えに浸っていた。
「…お話は分かりました。確かに、研究・開発が進めば、敵性体に対抗しうるものができあがるかもしれません。
ですが、このお話はお受けできません」
「…なぜです?」
半ば、その答えを予想していたように、霧島は静かに問い直す。
「霧島さんが最初におっしゃられた通りですよ。
出る杭は打たれる。
…兵器の開発競争に、何の意味もないということを先日、私は気付かされました。
残念ですが、これ以上、NERVと戦自のいがみあいに参加する気はありません」
真剣な面もちで、時田はきっぱりと答えた。
その表情は緊張を含んでいたが、確かな決意が見て取れた。
だが霧島は、時田の予想に反して、笑みを浮かべた。
「…本日、お伺いしたのは、間違いではなかったようですな。これは、加藤さんに感謝しなければ」
「?どういうことでしょう」
「私も時田博士と、まったく同じ考えだということです。
私は今回の兵器開発を、NERVとの縄張り争いに使うつもりは毛頭ありません。
いえ、むしろ必要とあらば積極的に、完成した兵器をNERVに使ってもらうことも辞さない考えです」
霧島の言葉に、時田は少なからず驚いた。
「恥ずかしながら、双子山、紀伊半島と立て続けに、あの『使徒』というやつを目の当たりにしましてね。
これは些細なプライドや縄張り意識でいがみあっている場合ではないなと、心底思わされました。
我々が生き残るためには、あの敵性体は倒さねばならない。
極端な話、そのために使用される武器が、NERV謹製であろうと、戦自研製作であろうと関係はないわけです」
霧島の口調は淀みなく、芝居めいたところもなかった。
ただ、淡々と自説を述べている。
その姿に、時田は好感を覚えた。
「ひとつ…伺ってもよろしいでしょうか。
…それは、戦自の総意と考えてよろしいのですか?」
時田の視線に、霧島は自嘲めいた表情を浮かべた。
「…ご推察の通り。どこにでも頭の固い輩というのはいるものでして。
それで今日は、こうして伺ったわけです」
「なるほど。
…ですが、よろしいのですか?一佐ほどの方が、このようなことを独断で行ったとなれば、色々と問題もおありでしょうに。
立ち入って申し訳ないが、そこまでなさるのは、何のためですかな?」
霧島はしばらく沈黙した。
そして、眉間のあたりをもみほぐしながら、はじめて「弱さ」のようなものを滲ませた。
「ここから先は、特に他言無用に願いたいのですが…」
「ええ。諒解しています」
「実は現在、『JA』に代わる、人間搭乗型の決戦兵器の開発計画が進んでおりましてな。
その兵器というのが…居住性の問題から、パイロットはごく小柄な…そう、少年兵でもなければ搭乗できないというシロモノでして」
「………」
時田は不意に、シンジと呼ばれていた、あの少年の顔を思い出していた。
「その、パイロット候補者の中に…」
「お子さん…ですか?」
「………」
なるほどなと、時田は共感した。
あの少年の言葉を聞いた時の気持ちがわき上がってくる。
自分には子はいないが、いたとすれば、同じ思いを抱くに違いない。
「それも…あの敵性体を倒すためならば仕方ない…そう考えたこともあります。
が、実際には、NERVとの競争意識に端を発する計画そのものが、暴挙であると私は感じます。
開発を焦るあまり、子供しか乗れないようなものを設計するとは…」
歯がゆさと、いたたまれなさ。
不条理さに対する怒りが、霧島の彫りの深い顔に影を落としていた。
「……私はそんなエゴイストでしてね。
なんとしても、このくだらない抗争に終止符を打ちたいのです。
親馬鹿だと、お笑いになられるでしょう?」
「いえ……お気持ちはよく分かります。
………。
失礼な申し上げようですが、私は霧島さんが気に入りました。是非とも、協力させて頂きたい」
時田が右手を差し出すと、霧島は無骨な顔に精一杯の笑みを浮かべて、それを握り返した。
肉厚の掌の感触が、頼もしさを感じさせた。
「ありがとう」
待合室の椅子にもたれかかり、耳に付けた小型受信機に聞き入っていた美女、加藤は、聞こえてくる会話が終了したのを確認して、ゆっくりと立ち上がった。
この盗聴器は、高性能で逆探知されにくいが、有効範囲が狭いのが難点だ。
「意外な展開ね…」
美女は、漆黒の髪を掻き上げながら、口には出さずに呟いた。
戦自の中の異端分子を探り、組織内部の楔(くさび)にするための接触だったが、事態は思わぬ方向に転んできている。
美女は少し考えて…それが自分たちの基本方針に反していないことを確認する。
戦自内の権力分立は望ましい。
しかも、その一方がNERVと関係改善を行えば、さらなる選択肢も生まれてくる。
転がりすぎて、制御不能になったのでは本末転倒だが、さしあたって、彼らの行動を陰ながら援助することが良いように思われた。
「面白くなってきたわ」
元来、彼女自身も野党的な性格であり、大きな潮流に身を任せるよりも、抵抗組織に荷担して大局に一石を投じることを好む。
今後の展開を、頭の中で凄まじいスピードでシミュレートしながら、加藤、いやカナミは薄い微笑みを浮かべた。
様々な要素が絡み合い、前回はあり得なかった出会いが生まれた。
あの時、シンジの意識せずに投じた一石が、歴史の上に小さな波紋を投げかけている。
(つづく)
■次回予告
唐突に決まった修学旅行参加。
一抹の不安は残しながらも、嬉しさを隠しきれないシンジ。
チルドレンたちにとって、ひとときの休息が訪れようとしていた。
一方、ある目的をもって子どもたちに同行する加持と、第3新東京市に残ったミサトは…。
次回、新世紀エヴァンゲリオンH Episode-17「修学旅行へ行こう!(大人たちの都合)」。
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(updete 2001/02/17)