Research
続CS―(1)期待を裏切らない
恋愛ゲームNextage 第11回
0.概要
CS(顧客満足)の基本は、「期待を裏切らない」ことに尽きる。ただし、多くの場合商品力の弱さから意識的に期待を裏切らない限り販売数を確保できないのが現状と思われる。
2002/11/07初版
1.期待感をコントロールする
ビデオゲームはどうしようもなく、事前にその価値が分からない商品だ。基本的には人件費を中心として開発にかかった費用に、流通マージンと利益を乗せた分を回収するように値段がつけられているのだろう(当事者でないので分からない)が、そんなことはユーザにとってみれば全く意味を持たない。もちろん、その作品を買ったり遊んだりして関わることであるユーザが得られるあらゆる種の価値、恋ZEROで言うところのエクスペリエンスがどうであるかが全てである。そして、この価値は作品と関係を取り結んでみなければ分からない。ユーザは、この作品を遊ぶことで得られる価値を予想、あるいは期待して買っているのである。
例えば、パッケージにスク水(スクール水着)の女の子が描かれていれば、ユーザは当然スク水のそういうシーンを期待する。これはもう絶対なのである。そしてそれがもし仮にないとしたら断固として羊頭狗肉と糾弾するしかない(何力入ってるんだ?)。
だが、この期待はどういう訳か度々裏切られる。シナリオが酷い、絵が崩れている、声が下手、プログラムがへっぽこ、ボリュームが少ない、まるで使えない、作品の方向性が合わない、…などなど。どんなに作者が自信を持った作品であってもユーザがそれに満足しなければどうしようもない。そしてこの「満足」は「満ち足りる」「望みが達せられる」、すなわち事前(買う前)に抱いた期待にどれだけ応えてくれているかで決まる。つまりCS(顧客満足)を考える時、「期待を裏切らない」ということは最も基礎に据えられるべき課題ということになる。期待に応え、期待を大いに上回り、そしてできるならばいい意味で少しだけ期待を裏切る。それがベストである。
そうなるとここでリスクとなるのは「過大な期待」だ。過大な期待はまず間違いなく「期待外れ」感を招いてしまうので上手くない(過去のLeafにしてもそうだし、今だとKeyやageは相当な重圧が気の毒だが、あの段階になるともうどうにもなるまい)。適度に期待感をコントロールしてやることが必要ではないだろうか。ユーザが期待感を形成するのはWeb(オフィシャルサイト、流通、ニュースサイトなど)、メールマガジン、販促デモ、体験版、雑誌、イベント、ファンクラブ、とそれらによって広がる口コミ、そして先のパッケージ自身、など多岐に渡るが、それらがユーザに訴えかけているメッセージと、作品から享受できるエクスペリエンスが合致するように、訴求の仕方をコントロールしていけば良いということである。
2.シールの活用
期待感をコントロールということで、1つの大きな観点としては作品の方向性がある。恋愛系ゲームは楽しむために遊ばれるが、その楽しみの方向性としては、恋愛ゲームゾーニングマップで書いたように、「萌え」「抜き」「和み」「癒し」「泣き」「鬱」「笑い」と様々であり、実態としてユーザの志向性はもうバラけてしまっている。だからこそ2001年頃の鬱ゲーブーム時は「萌え」ゲーだと思って買ったのに蓋を開けたら「鬱」ゲーで騙された、という問題が出てきてしまったのである。
これを防ぐには、これはどんな方向性の作品か、ということが例えばパッケージに記載されていれば間違いにくい。まさに、ScheduleNGでやりたいのはそういうことなのだが、所詮ユーザレベルで参照できる範囲で、作品紹介やブランドやシナリオライタの傾向から推測しているだけであって、事前にプレイしないで設定されるその精度はたかが知れている。
かと言って、メーカが自分でやるのも客観性にかけるきらいがあるし、行灯記事しか書けない雑誌はアテにならない。そうなると、他に事前にプレイするチャンスがあると思われる機関は…1つあった。コンピュータソフトウェア倫理機構だ(「公正」な第3者機関、とはとても言いがたいが)。
ついでに例のシールを使ってみよう。大人向けの恋愛系ゲームの多くには18という文字に○がついたシールが張ってあるが、アレ、どんな収益構造になっているかは知らないけれど、ユーザには直接的なメリットが感じられない。そこで、恋愛系ゲームの7楽要素の中でも中心的な「萌え」「抜き」「泣き」を0-9の10段階で評価し付加してみよう。ユーザの関心としてはキャラクタの(実質/見かけ)年齢というのもあるが、それはさすがに誰も見間違わないだろう。むしろロリ絵パッケージでひっかけておいて中身熟女ゲーだったらいい度胸だ。
あと考えられる軸としては「モテ」「非モテ」だろうか。恋愛経験の違いは、特に恋愛をテーマとしたゲームにおいて「何をリアルと感じるか」あるいは「何を『快』と感じるか」という点で少なからぬ影響を与えると考えられ、製作スタッフとユーザの恋愛経験のミスマッチによって、合う合わないが出てくる可能性がある。
まとめると、こんな感じになる(図1)。
図1 シールの情報量を増やす(数字は典型的な萌え系抜きゲーの場合)
ついでに更なるシールの有効活用案としては、裏側にでもオフィス製品のようなアクティベーションキーを付加し、剥がしてオンラインでアクティベートしないとゲームが遊べないような、業界統一的なデジタルエクスペリエンスコントロール基盤を構築する、というのはいかがだろう。いや、そうなるとショップでシールだけこっそり剥がし出す輩が続出するだろうか?
3.そして期待は裏切られる
話がそれた。ビデオゲームの「サービス化」はとても興味深い分野だが、ひとまず今回の話に戻ろう。先ほどは、期待感のミスマッチの原因に、作品の方向性があるということだった。
しかし、多くの場合期待のミスマッチは、そもそも作品の方向性以前のところにあるようにも感じる。まず、少なからぬ恋愛系ゲームでは、ライトノベルと比較しても相当文章がショボい。恋愛系ゲームがゲーム性を捨てた以上はストーリかキャラクタしかないにも関わらず、大半のテキストが商業レベルに達していない(実際には無理矢理達してしまっているのだが)。パッケージの絵は良さげなのに、蓋を開けてみたら崩れまくっている、なんてことも珍しくない。あなたたちは本当にそのゲームを楽しいと思ってリリースしているんですか、と問い詰めたくなるモノが多い。ぶっちゃけ、商品力が弱過ぎる。
メーカとしては、作品の方向性はともかく、「シナリオ: 3点」などと、これはつまらないですよ、と言いながら売ることはできないので、事実を押し隠し、とにかく期待感だけを上げて売るしかない。正直者がバカを見る時代。正直に作品の出来映えや作品の方向性を申告したり、事前に「公正」な評価を下されたりしてしまっては、市場規模の小さい恋愛系ゲームでは恐らく採算に合うユーザベースに乗ってこないからである(実際、現状でさえ発売日買いにこだわる人に救われているようなもので、ネットで情報の伝達タイムラグが≒0になった今、レビュー待ちの人が増えれば1本辺りの販売数は減るばかりだろう)。商品力の弱いとはっきり分かる商品を宣伝し、売らなければならない営業マンや広報はかなり気の毒だと思うが、かと言って、騙されてそれを買わされるショップやユーザはもっとたまったものではない。
にも関わらず一方で、どうやらこの手のユーザはかなり甘く、地雷を引き当てると分かっていて次も踏んでくれる人が少なくない。いやむしろ、ゲームを積んだり、地雷を踏んだりすること自体が快感になっている例すらある(もっとも、そのエクスペリエンスが彼(女)にとって楽しいのであれば、誰にもその楽しみを奪う権利はない)。1回目に裏切られるのはメーカの責任だが、2回目以降は、ユーザの責任である。そんな訳で、メーカとしてはそんなユーザを小馬鹿にしつつただ「期待感の高い」作品をリリースし続けていればいい(場合によってはブランドを解散し、再結成すればいい)。甘過ぎるユーザと、顧客を舐め切ったメーカ。どうやらこの辺に、退場すべきメーカの淘汰と、恋愛系ゲームの全体的なレベルアップが実現しない、構造的な問題があるように思われる。