(1)北海道
北海道の特急列車は文字通り広い台地を駆け巡るものが多く、今では珍しくなった300km超の列車が4系統も存在します。そんな北海道ですが、民営化前後の航空機連絡にシフトする時期に、支庁内で完結する列車が走っていました。
列車名・区間 | 運転距離 | 本数 | |
---|---|---|---|
1986/3〜 | ホワイトアロー(千歳空港〜札幌) | 44.0km | 1往復 |
1986/11〜 | なし | ||
1988/3〜 | ホワイトアロー(千歳空港→札幌) | 44.0km | 下り1本 |
1990/9〜 | ライラック(千歳空港〜札幌) | 44.0km | 1往復 |
1992/7〜 | なし |
電車特急の短編成・高頻度化を進める中で、1986年3月に千歳空港発着の特急が誕生しました。多くは旭川まで直通でしたが、一部列車は千歳空港〜札幌間の運転となり、石狩支庁内で完結する列車となりました。
1986年11月にいったん消滅してJR化を迎えますが、1988年3月に復活。この際は千歳空港発着2往復のうち1本のみが対象でした。1990年9月には新車に列車名を譲り、列車名が変更となります。
1992年7月に新千歳空港駅が開業すると、この区間の運行は快速列車に置き換わり、特急列車としての運転は終了しました。
(2)青森県
県内に八戸・青森・弘前と規模の大きな都市が点在している青森県。2002年12月の東北新幹線八戸延伸を機に、新幹線連絡列車として県内完結列車が誕生しました。
列車名・区間 | 運転距離 | 本数 | |
---|---|---|---|
2002/12〜 | つがる(八戸〜青森) つがる(八戸〜弘前) | 96.0km 133.4km | 3往復 5.5往復 |
2010/12〜 | なし |
新幹線八戸開業前は、「はつかり」が新幹線連絡列車として盛岡〜青森・函館間を結んでいました。新幹線が八戸まで延伸された際には「はつかり」の名称を廃止し、八戸からの新幹線連絡列車として、青函トンネルを抜けて函館までを結ぶ「白鳥」と、青森県内で完結する「つがる」が設けられました。対応する新幹線の号数に合わせている関係上、途中で号数の変更はありましたが、新幹線が新青森に開通するまでの8年の間、運転本数も時刻もほとんど変わらずに県内を結びました。
(3)山形県
日本初のミニ新幹線として1992年7月に山形新幹線が開業した際、こちらも新幹線連絡列車として完結列車が誕生しました。
列車名・区間 | 運転距離 | 本数 | ||
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1992/7〜 | こまくさ(山形〜新庄) | 61.5km | 3往復 | 1993/3〜 4往復 |
1999/3〜 | なし |
新庄発着までの列車としては、1985年3月〜1991年8月の間、「つばさ」の一部に福島〜新庄間を運転する列車がありました。山形新幹線の工事本格化に伴いいったん新庄発着列車は廃止されましたが、1992年7月に山形新幹線が開業すると、改めて新幹線連絡列車として運転を再開しました。
半年後の1993年3月には、1往復の運転区間短縮により当該区間運転の列車が1往復増加します。その後は大きな変化なく推移しましたが、1999年3月に山形新幹線の延伸工事が本格化すると、「こまくさ」は全列車が廃止となりました。
表には記載していませんが、山形新幹線が延伸開業した1999年12月からは、朝の1本のみ、山形→新庄間の新幹線列車が運転されています。
(4)福島県
会津若松へは、長い間上野との間で「あいづ」が1往復のみ運転される形が続いていましたが、1993年12月に廃止となり、代わりとして新幹線連絡列車の形で運転されることになりました。
列車名・区間 | 運転距離 | 本数 | |
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1993/12〜 | ビバあいづ(郡山〜会津若松) | 65.3km | 3往復 |
1997/3〜 | ビバあいづ(郡山〜会津若松) | 64.6km | 3往復 |
2002/3〜 | ビバあいづ(郡山〜会津若松) ホリデービバあいづ(郡山→会津若松) ホリデービバあいづ(郡山〜喜多方) | 64.6km 64.6km 81.2km | 2往復(平日) 下り1本(土休日) 3.5往復(土休日) |
2002/12〜 | あいづ(郡山〜会津若松) ホリデーあいづ(郡山→会津若松) ホリデーあいづ(郡山〜喜多方) | 64.6km 64.6km 81.2km | 2往復(平日) 下り1本(土休日) 3.5往復(土休日) |
2003/10〜 | なし |
列車名を「ビバあいづ」として運転開始後、8年間は大きな変化なく3往復での運転を続けますが、2002年3月からは平日と土休日で列車名・ダイヤが異なる珍しい形となります。半年後の2002年12月には担当車両の変更に伴い列車名も変更されますが、一年たたずに快速列車化され、特急列車としての運転は終了しました
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