第二話
作・ヒロポンさま
その時、じんわりとこみあげてくるものがあった。
涙
そう、涙だ
それを見たアスカが、僕のことをギュッと、やさしく抱きしめてくれた。
頬と頬がふれあう。
二人分の涙が合わさって、一筋の流れを作り、枕カバーに、小さな、本当に小さな染みを作った。
再びアスカと一つになった瞬間、僕はわれ知らず涙を流していた。
僕が目覚めてからどれくらいたっただろう。部屋の壁に掛かった、時計の針は、午前一時を指している。夜中。眠ることの無い街の明かりが、星の見えないべた塗りの空を、うっすらと染め上げていた。
あの衝撃の再会の後、僕とアスカと、そして・・娘のユイカは、連れ立てってあの建物を後にし、アスカとユイカの住むマンション−つまり僕の家になるわけだが−に移動した。
そして今、僕は、そのマンションの寝室にある、セミダブルのベットに横になっていた。
「涙…どうして?」
すべてが終わった後、僕の胸に顔を埋めるようにしていたアスカが、ポツリとそういった。
−自分だって泣いていたのに
僕は、そう思った。しかし、その質問に答えなければいけないと思っていることも確かだった。
「すべてが、つながった気がしたから…」
あいまいな表現。それがとりあえずの答え。
「どういうこと?」
静かに問い掛けてくるアスカ。
十四年前−僕にそんな感覚はないけども−の彼女も時折見せた、静謐な心。普段の快活なイメージとかけ離れた、僕だけが見られるアスカのもう一つの顔。こういうアスカに触れるたびに、僕の心の殻は一つずつ外されてく。そして、それに反比例するようにだんだんと積み重なっていく想いが、あるがままの僕の姿を形作っていく。今も、そして、あの日々も…
「目が覚めた時。自分がサルベージされたと知った時……」
言葉を慎重に選ぶ。
「僕は、今の僕でないころの自分を思った。」
「今の僕でない頃?」
アスカは、少し体をずらして、僕に覆い被さると、僕の瞳を覗き込むようにして、そう口にした。
僕は、その奇麗な唇を何とはなしに見詰めながら、かすみがかった自分の思考を、何とか彼女に理解してもらおうと勤めた。
「そう、今の僕でない頃。サルベージされる前の、初号機に取り込まれていた時のボク…」
アスカは聞き役に徹することに決めたようだ。先を促すように瞳で、指図する。
「何の気負いも無い、無邪気なほどの、まったき全能感の中に僕はいた。すべてを知っていたような気がするし、すべてに知られていたような気もする。…今となっては、そうとしか表現できないんだけど………。僕は、確かにそこにいたと思う。」
アスカの反応をうかがう。
しかし、その瞳の奥にあるものを、読み取ることはできなかった。僕は話を続ける
「目覚めた瞬間に感じたのは、たぶん寂しさだった。産まれたばかりの赤ん坊の気持ちは、こういうものなんじゃないのかって、なんとなくそう思った。」
僕の右の手にアスカの手が重なった。彼女の指が僕の指を絡めとる。
首筋にかかる吐息がくすぐったい。
心臓の音。聞こえたような気がした。
「今の僕は、十四年前の僕とは違う。あれも僕であるということはもちろんなんだけど…何て言ったらいいのか……あの僕も今の僕も確かに僕だけど……」
「旨く言えないけど、取り込まれていた間の十四年。アスカやほかのみんなの間に流れた、その十四年という時間の流れとは違うかもしれないけど、僕の中にも確かに時の流れというものが存在して、僕は確かにそこにあって……」
「つまり、目覚めた時の僕は…十四年前の僕とは違った僕で……あの頃のあの日々に戻れた嬉しさを感じながらも、どこかそれとは隔絶した、シーンと静まり返ったものが心の片隅に在って……すべてが、遠いものにおもえて。自分が自分でなくなったような。あの頃の日々が今のこの時と結びつかないような。」
薄明かりに照らされた白い天井を無表情に眺めながら僕は語りつづけた。
気がつくとアスカは、さっきよりも強い力で僕にしがみついていた。
「ごめん……旨く言えてない。つまり、なんというか、僕は、すべてから切り離されて、宙ぶらりんになっているような…そういう不安が、ずっと心の中に在って、それが…」
顔に血が上るのを感じる。
「それが…その、アスカと、その…一つになった瞬間…なんていうか、全てとつながったような、十四年前の僕とつながったような、僕が僕であることが分かったような、そんな気がして……嬉しかったんだ。」
気づくと唇が重なっていた。
「おかえりなさい、バカシンジ」
今日二回目のその言葉。僕は、アスカが今の僕を理解してくれたことを知った。
「ただいまアスカ」
あの時に、返せなかった言葉。それを今、素直に口にできた自分自身に少し驚いた。
吐息のかかる距離にアスカの顔がある。
あの頃のアスカとあまり変わってないように思える。もちろん、ずっと大人びていて奇麗になっているけども、僕には確かにあの時のアスカと今のアスカが重なって見えた。
柔らかい感触。甘い香り。
気がつくと、僕はアスカに口付けていた。
僕たちは、再び重なり合った。
「ねぇ、あれ覚えてる?」
アスカが突然そういった時、僕は少し眠りかけていた。
「ちょっとー、もう寝てるんじゃないでしょうね!」
「ごめん、少し眠ってたかも」
「もう、私十四年ぶりなんだからね!今日は絶対に寝かしてあげない」
薄明かりの中でも、アスカの顔が赤くなっているのが分かる。
僕の顔も、多分、赤くなっている。
くすり、とアスカが笑った。
僕の顔にも笑みが広がる。多分すごくだらしない顔。
僕たちは、たまらず抱きしめあって、意味も無く笑い出してしまった。
「ねぇ、シンジ、あれ覚えてる?」
ひとしきり笑いあった後で、アスカが再び問うてくる。
「あれって?」
フフッ、アスカはいたずらっぽく笑うと、シーツを体に巻きつけて、ベット降りた。
そのまま歩いていって、端末が備え付けられているデスクの棚を開くと、何やら箱のようなものを取り出した。
それを手にこちらを振り返り、蠱惑的な笑いを浮かべるアスカ。シーツに隠されていない背中の白さ。肩甲骨の辺りの陰影が何とも艶めかしい……って、何を考えてるんだろう僕は…
いつのまにかその手には布のようなものが握られていた。箱はふたの開いたまま、デスクの上に置かれている。
アスカは、その布のようなものを持って、ベットに戻ると、目元にさっきまでと同じ笑みを浮かべたままで、聞いてきた。
「これ、なぁーんだ?」
それは、やはり布だった。長方形の布。白地で、真ん中からかなりの範囲が、赤黒い染みで覆われている。
僕は、それを知っている。
だからこう言った。
「覚えてるよ、アスカ」
思い出す。思い浮かべる。あの夜を
あの日、僕とアスカが、初めて結ばれた日。
僕は、初めての快感と少しの後悔の中で、呆然としていた。
思えば、単なる好奇心であったといえなくもない。アスカは、どう思っていたか分からないけど、苦痛に顔を顰めてじっと耐えていた彼女の姿が、僕の心を締め付けた。
僕は、形だけの後悔を自分の心の内にたゆたわせることで、自分の苦痛を和らげていた。
アスカのことは考えていなかった。自分を責めるふりをしながらも、横にある彼女の肢体を思って、下半身をうずかせていた。
不思議とそういう自分のずるさ、矛盾に不快感を覚えなかった。陰うつな自己嫌悪に身を浸すのは、もう一回出してからでも良い。そんなことを考て、平然としている自分が何とも不思議だった。
そんな僕にアスカが声をかけてきたのだ。
「ねぇ、ベットから降りて」
その言葉を聞いたとたん、僕は自分の考えが彼女にばれてしまったのではないかと、ビクっとした。そして、すぐに彼女に嫌悪され拒絶されるイメージが頭の中を駆け巡る。それは、まさに恐怖だった。
僕は、ただ黙って彼女の言に従った。そうする他なかった。
僕に続いて、アスカもベットを降りた。そして、おもむろにシーツを手繰り寄せると、それを僕の手に預けた。反射的に受け取る僕。
アスカは、僕が受け取ったのを確認してから、机の方に振り返ると、その上においてあったはさみを手に取った。
白いお尻が、目に眩しい。
僕は再び、例の疼きを感じていた。恐怖が意識の後ろに下がって、黒々とした欲望が沸き立ってくる。
僕がアスカの肩に手をやろうとした瞬間、アスカが振り向いてこう言った。
「これで、そのシーツを切って」
頬を染めながらそういうと、そっと僕にはさみを差し出した。
「切り取ったものを、持っていて欲しいの」
その言葉で、アスカの意図していることが、はっきりと分かった。破瓜の血。彼女の純潔の証、彼女の痛みの証を僕に持っていて欲しい。そう言っているのだ。
陳腐な言い方だけど、僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。
そして、悟った、やはり知っていたんだと。不安定な僕の心を、もしかしたらアスカそのものを見ていたわけではないのかもしれない、僕を。僕自身という人間を
ぎょっとして彼女を見る。彼女は−アスカは、静かな微笑みを口元に浮かべていた。
気がつくと僕は、跪いて(なぜかそうしてまった)、アスカの手から恭しくはさみを受け取っていた。
アスカが僕の手からシーツを取ってその部分を切りやすいように広げてくれる。
もしかしたら、アスカを本当に好きになったのは、この瞬間だったのかもしれない。
僕はまるで、何か神聖な儀式を行うように、シーツにはさみを入れていった。
一裁ち一裁ちが、僕の想いを強固なものにしていった。
二人裸のまんまで、その時は過ぎていった。
シーツをささげもつアスカと、その前にひざまずいてはさみを入れる僕。
その不思議な通過儀礼を経ていなかったら、今の僕たちはいなかったに違いない。
互いにつらい過去を抱えて、たた単に寂しくて、若い好奇心に任せて悪戯に体を求め合う。そんな僕らだったら、遠からず互いに傷つけあって、終わっていただろう。そうはならなくとも、まだ中学生だった僕たちの想いは、過ぎ行く時間の中で自然にさめていったかもしれない。
儀式の終了と同時に、僕は、自分の部屋に戻った。なぜか、そうするべきだと思ったのだ。
手の中には、アスカと僕の絆の証があった。
僕はそれを握り締めて眠りに就いた。
朝起きると、アスカはいつものアスカだった。
僕も、自分でも驚くほど自然に振る舞っていた。
僕は、たぶん確信を手に入れたんだと思う。真実の確信を。僕が人生の中で手に入れた二番目の確信。いつかある自分の死とは、別の、もう一つの真実を……
今、その証が再び僕の前にあった。
「これがね…。ユイカがお腹の中にいる間、これが私を支えてくれたんだ」
過去の思い出を見つめるように、その布に目線をやりながら、アスカが淡々と語る。
「ユイカが産まれてからは、あの子が私を支えてくれた。……知ってる?ふとしたしぐさが、本当にシンジにそっくりな時があるのよ。女の子なのにね……」
そういうと、アスカは僕にギュッとしがみついてきた。
「もう、どこにもいかないでね」
僕はただ黙って肯くしかなかった。
布を持つアスカの手に自分の手を重ねる。
僕は確かに帰ってきたんだ!
たぶん、明日からは、騒がしくなるだろう。
いろんな再会があるだろう。
夜が明けたら、新たな僕の人生が始まるんだ。
アスカのぬくもりを感じながら、僕はゆっくりと目を閉じた。
「ちょっと、なに寝てるのよ?」
「えっ」
「なに寝てるのかって言ってんのよ!バカシンジ!」
そういうとアスカは僕の鼻の頭に軽く噛み付いた。
「寝かしてあげないっていったでしょ!私は、十四年もずーーーーーーっとあんたを待ってたんだから!」
そこで間を置いて、クスリと笑う。
「だから…十四年分…ね!」
うっ、可愛い
「分割じゃ、だめかな?」
「だーーめ!」
−やっぱりアスカ、変わってないや
……夜はもう明けそうだ。
第二話終了
アスカ様とシンジくんの再会を、きっちりと書いておかなくてはいかんと思って書いたのですが……
うーん、どうだろう(笑)
えーと、この話しは、続きます。だらだらと
みゃあさん、そしてここまで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。
とりあえず、今回は、これにて
ヒロポン
みゃあと偽・アスカ様(笑)の感想らしきもの。
みゃあ「はふう………(ぽっ)(笑)」
アスカ様「(真っ赤)…………」
みゃあ「いやあ……『純』ですねえ」
アスカ様「…………(ぽっ)」
みゃあ「なんというか、『アダルト』っていう言葉よりやはり『純』という言葉が似合いますね、ヒロポンさまの小説は」
アスカ様「…………(ぽっ)」
みゃあ「確かに性表現ってのはあるんですが、これが人間ならば当たり前の『営み』として昇華されてるんですよね。睦み…うん、睦み合いって言葉がしっくりくるかな?」
アスカ様「…………(ぽっ)」
みゃあ「なんか…さっきから横でぽっぽ、ぽっぽと鬱陶しいですね(笑)どうしました、アスカ様?」
アスカ様「…………(ぽっ)」
みゃあ「……だめだこりゃ(^^ゞ。すみません、ヒロポンさまの小説のあまりの素晴らしさとらぶらぶさに、さすがのアスカ様もほだされちゃったようです」
みゃあ「素晴らしいですよ、ヒロポンさま。次もとびっきり甘〜いの、期待しております」
読んだら是非、感想を送ってあげてください。