第三話
作・ヒロポンさま
惣流ユイカ嬢は、歯が丈夫だ。
真っ白で、ピッカピカである。
物心着いてから−と言っても、十四年しか生きていないけれども−虫歯になった事がない。
今、そのユイカ嬢は、きらきらとした日差しの差し込む自宅の居間で、ゴロンと横になっていた。
ぼーっと、天井を見詰めている。
こういうボーッとした顔が、彼女の父親にそっくりだといっては、彼女の母親は、くすくすと笑ったものだ。
さて、繰り返すが、ユイカ嬢は歯が丈夫である。
しかし、昔からそうだったわけではない。子供のころは、彼女もよく虫歯になった。
まだ彼女に乳歯しか生えていなかったころは・・・
原因は、彼女の叔母にあった。
叔母と言ってもその頃の彼女の叔母−碇レイは、まだ高校生だったけども。
その時期も、レイは一人暮らしであった。これは、彼女自身が決めた事だった。孤独を好んだわけではない、ただ静けさを愛していた事は確かだった。部屋は以前の彼女の部屋に比べると奇麗に整理整頓されていた。それなりの生活感。日当たりのいいぽかぽかとした部屋に女の子らしい香。食事は、コンビニの弁当がほとんどであったが、たまに自炊する事もあった。食卓について、食事をとりながら自分の差し向かいに座る優しい眼差しの人を想像して、薄らと笑ってみせる事もあった。静かな、本当に静かな生活。
そんなレイの生活にも、時に騒がしい闖入者が入り込む事があった。
一人は、栗色の髪の少女−惣流アスカ・ラングレー。アスカは、一人で好き勝手な事をまくしたてては、レイの部屋にある紅茶を飲み散らかして、帰って行く。レイは、少女が部屋を訪れる事を迷惑だと思っていたが、決して嫌だとは思っていなかった。
もう一人の闖入者は、小さな女の子。くりくりとした瞳で彼女を見詰めては、無理難題を吹っかけてくるわがままお姫様だ。ユイカ−彼女の姪。栗色の髪の少女の娘。そして・・・何時も彼女が思い浮かべる優しい笑顔、その笑顔の持ち主のかけがえのない絆。
「はい、ユイカ、レイおばちゃんの家に着きました!さぁ、おばちゃんにご挨拶しなさい。」
彼女の姪の母親は、自分の仕事の都合でユイカをレイに預けにきたとき、玄関先で決まってこういう風に言う。
おばちゃんという言葉に反応して、レイの瞳にちょっとした感情の色があらわれる。
不快
「こんにちは!おばちゃん」
ユイカは決まって、ちょっと舌足らずな声音で挨拶すると、おぼつかない足取りで部屋に上がり込んできて、レイの足元に立ち、じっとその顔を覗き込む。
ユイカに呼ばれるぶんにはかまわないらしい。レイは、なんとも優しげな目でユイカを見詰めると、そっとその頭に手を置いて、部屋の中に招じ入れる。
「じゃあ、頼んだわよレイおばちゃん。ユイカ、レイおばちゃんの言う事ちゃんときかなきゃだめよ!」
比較的まともな事を言う母親に「はーい」と元気よく返事するユイカ。レイは、首だけで振り返って、ユイカのママに黙って肯いてみせる。
こういう光景が、この時期しばしば見られた。
そしてその度に、レイの愛する静けさは、ちょっとの間、彼女の部屋から遠ざかるのであった。
ユイカは、元気な子供で、レイは、無口な叔母であった。
レイは最初の内、せわしなく話し掛けるユイカに、「そう」とか「よかったわね」とか言う淡白な言葉を返して凌いでいた。しかし、さすがにこれではいけないと思ったのだろう。しばらくすると、自分の少ない口数を補うために、絵本を買ってきて、それをユイカに読んでやるのが、恒例となっていった。
楽しい話、せつない話、どきどきわくわくするような話。いろんな話をユイカに読んで聞かす。最初はぎこちなかったレイの読み方もやがては流暢なものになり、そのお話を通してのちょっとした会話も交わせるようになってきた。特殊な環境で育ち、人付き合いを苦手としていたレイにとって、これは恰好のリハビリであった。
やがて絵本が増えてくる。レイは本棚を一つ買った。彼女が買った初めての家具(この部屋の家具をそろえてやったのは、リツコやアスカである。)。やがて、その本棚は絵本でいっぱいになった。
さて、本を読む事によって、姪とコミュニケーションをとることに成功したレイであったが、ユイカがたまに起こす感情の爆発には、いつまでたってもうまい対応ができなかった。
爆発。つまり、泣くのである。
ユイカは、泣く。よく泣く。せつない話を聞いたとき。ママが恋しくなったとき。
そうなるともう、レイはどうしたらいいのかわからなくなってしまう。頭をなでてみたり、ぎこちなく慰めてみたり、そうやって、ユイカが泣き終わるまで、じっと待つしかないのだ。
ある日、ユイカが泣き出したときに、困り果てたレイは、何気なくおやつにと用意していたチョコレートを姪の口にほうり込んでみた。
突然口の中にチョコレートを放り込まれたユイカは、泣きながらも口を動かして咀嚼していった。ウッウッ、大きかった泣き声が小さくなっていき、やがてクチャクチャと鼻水を啜りながらチョコレートを噛む音だけが残った。
その日からレイは、ユイカが泣き出すたびに、チョコレートを口の中に放り込むようになった。
泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。泣く。放り込む。
こういうプロセスを繰り返す内に、ユイカ嬢は、めでたく虫歯だらけになったのであった。
「あんたバカァ!限度ってものがあるでしょ!」
アスカの罵倒。そして、今までとは別の理由で泣き出すようになったユイカの姿に、レイは、限度と言うものを学んだ。
これはまだ、ユイカに乳歯しか生えていなかった頃の話。
甘いものを食べ過ぎてはいけない事。歯はちゃんと磨かなくてはならない事。この二つの事は、みんなその頃に、歯医者の診療台の上で学んだ事だ。
そして、その後も、いろんな場所でいろんな事をユイカは学んだ。
足し算引き算掛け算割り算。地球が丸い事、海が広くて大きい事・・・・・数え切れないくらいの事を学んできた。
・・・・・・・子供の作り方も・・・・
ぼーっと、天井を見詰めるユイカ。
虫歯だらけの頃も、そして今も、ユイカは父親の事を待ち続けていた。
そして、その待ち焦がれた父親は、彼女の住むマンションの寝室で休んでいる。ユイカの母親と一緒に・・・・・・
「ええー、つまりですねぇ・・おしべとめしべが・・・」
小学校五年生のときに保健教諭から聞いた間抜けなたとえ話が、ユイカの頭の中をぐるんぐるんと廻っていた。
−いいユイカ。夫婦なんだから、男と女なんだから、そういう事をするのは当然なの。私がここにいるって事は、パパとママがそういう事をしたからで・・・・つまり、その・・・
一生懸命に自分を納得させようとすればするほど、頭の中に変な想像が浮かび上がり、なんとも言えない変な気分になってくる。
その変な気分が嫌悪感に変わっていきそうな予感がして、ユイカはとても恐ろしかった。
「ええー、つまりですねぇ・・おしべとめしべが・・・」
再び浮かぶ保健教諭のちょっと照れたような顔。
そして、なんとなくぼやけたその光景。
−ミユキのせいだわ。ミユキが妙な話をするから、こんな事想像したりするんだ。
いつも嬉しそうな顔で猥談をかたる親友の顔を思い浮かべる。
にへらにへらと笑うその顔に
−バカミユキ!
と心の中で悪態を吐く。
−パパがいて、ママがいて、私がいるんだ。だから・・・・平気。嫌じゃない。きっと大丈夫だ、私は・・・・
ユイカは、自分の手のひらをボーッと見詰めながらそう思った。
思ったとたんに、ぐるぐると廻っていた思考は、渾然一体となって消えていってしまった。
どうやら、とりあえずの片付け場所が見つかったらしい。再びユイカがその事を気にかけるまで、ちょっとした苦悩は、その場所で静かに廻りつづけるのだろう。
ガチャ
ユイカがとりあえずの心の平安を取り戻したその時に、アスカとシンジの寝室につながるドアが開いた。
「だめだよアスカ!そんな恰好で」
「いいじゃない、自分の家なんだから」
そんな会話を交わしながら、シンジとアスカが、ユイカの前をバスルームの方に向かって通り過ぎていった。
体に巻き付けたシーツをずるずると引き摺って歩くアスカ。その後ろをパジャマ姿のシンジがついて行く
二人ともユイカには、気がつかなかったらしい。
しばらくするとバスルームの方で、何やらいちゃいちゃしている二人の声が聞こえてきた。
「シーンジ!一緒に入ろうか?」
「だっ、だめだよ」
「いいじゃない、久しぶりに一緒にはいろーよぉ」
フゥー
ため息一つ。
ユイカは、ヨッと、勢いをつけて立ち上がり、ズンズンと激しい足取りでキッチンに向かうと、ガチャガチャと音を立てながら朝食の準備をし始めた。
−パパのエッチ、ドスケベ
ぷりぷりと怒りながらも手慣れた手つきで、料理を作っていくユイカ。
バスルームから聞こえてくる笑い声を聞きながら、ユイカは卵を一つぶち割って、フライパンの上にその身を叩き付けた。
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「おはようアスカ」
アスカが開けた扉の先に立っていたのは、加持ミサトであった。
思いっきり不機嫌なユイカに気を遣いながらも、いちゃいちゃと朝食を取っている最中に、来客を知らせるチャイムが鳴ったのである。
「何しにきたのよ」
「決まってるじゃない。シンちゃんに会いにきたのよ」
そういうとにんまりと笑って
「それよりさぁ、昨日の夜は、どうだった?やっぱ、久しぶりだから、すっごく燃えた?」
「アンタねぇ、いい年こいてなに下品な事言ってるのよ!」
顔を真っ赤にしてアスカがそう答える。
「あらぁ、失礼ねぇ。いい年こいてるから言えるんじゃないの」
ミサトは、四十を越えてすっかり居直ってしまったようである。
「とにかく、シンちゃんに会わせてよ。言っておかなきゃいけないこともあるし…」
その言葉にアスカの顔がわずかに曇る。
「……お父さんの…司令のこと?」
静かに肯いてみせるミサト。
それは、アスカが伝えることを拒否した事だった。
「入って」
アスカはそう言ってミサトを部屋に招じ入れる。
ミサトは靴を脱いで玄関先に立つと、おもむろに駆け出して、キッチンのほうに突入していった。
しばらくして、「シンちゃーーん」「ええ!ミサトさん?あっ、ちよっと、ムギュー(胸に抱き
しめられた音)」という会話(?)がキッチンのほうから聞こえてくる。
「あの年増!」
アスカは、玄関のキーをロックしながらそうつぶやくと、ミサトを追ってキッチンのほうに駆け出した。
朝食は、滞りなく胃袋の中にほうり込まれていった。
「おっ、おいしいよ」
「そっ、そうね、ユイカは料理が得意なのよね」
「きっと、シンちゃんに似たのねー」
むっつりと黙って食事をとり続けるユイカと、なぜだか分からないけど不機嫌なユイカに気を遣う両親。そして、なーんにも考えずにニコニコとシンジを見つめつづけるミサト。
シンジを抱きしめて離さないミサトを、アスカが無理矢理引き離し、ひとしきり悪態をついた後で、碇家の食卓には一応の安息が訪れていた。
「ねぇ、シンちゃん。ちょっち話があるんだけど、ベランダまできてくれない。」
食べ終えたシンジが、流しに食器を運ぼうとした時に、ミサトがそう声をかけた。
シンジは半分椅子から立ち上がった状態で、おそるおそる横に座ったアスカを見る。
アスカはシンジの顔を見ると黙って肯いてみせた。
「わかりました」
それを見てミサトにそう返事をするシンジ。
「…尻に敷かれてるのね。」ミサトがポツリと感想を漏らした。
幸運なことにアスカにその声は聞こえなかった。シンジと同じく食べ終えたユイカが、ガタンと音を立てて席から立ったからである。
ユイカは、ズンズカとシンジのほうに向かっていくと、手に持っている自分の食器の上にシンジの食器を重ねていった。
「あっ、ありがとう」
そういうシンジに黙って肯いてみせてから、くるっと背を向けて、流しに二人分の食器を運んでいく。
「……どうしたの?ユイカ」
ミサトが、きょとんとした顔でアスカに聞く。
「さぁ、朝からずぅーーーと、ああなのよ。」
「…焼き餅かしら?」
「えっ」
「アスカばかりがシンちゃんと仲良くしてるから…」
アスカは、その言葉を聞いて、うーーんとうなった後、黙り込んでしまった。
「大変ねー、シンちゃん」
ミサトは困惑気味のシンジに、そう声をかけると席を立ち、目で合図してからベランダのほうに向かっていた。
シンジもその後に続いていこうとする。
とっ、その袖口を引っ張るものがあった。
ユイカだ。
「あの、ちょっといいですか」
そう言ってシンジを引っ張っていく。その頬は少し赤かった。
アスカとミサトは、呆然として見送った後で、釈然としない目つきでお互いに見詰め合う。
しばらくそうした後で、ミサトは軽く肩を竦めてみせると、居間にあるソファにドッカと腰を下ろした。
ユイカは、シンジを玄関へと続く廊下に連れ出していた。
「どうしたの?」
シンジが問う。どこかぎこちない。しきりに首の後ろに手をやってみたり、手のひらを握ったり開いたりしている。
ユイカは体の横でせわしなく開閉を繰り返すシンジの手のひらを見つめながら、ボソリとこう言った。
「首……あの、首にキスマークがついてます」
「えっ!」
驚いたように首に手をやるシンジ。その顔は真っ赤に染まり、目線は宙をさ迷いだす。
ユイカは、そのシンジの姿を上目遣いにじっと見詰めていた。
数瞬の気まずい沈黙の後で、ユイカが再び口を開いた。
「あの…ばんそうこう」
小さい声でそういうと、シンジにバンソウコウを差し出す。
「えっ・・でも、その方がかえって目立つんじゃぁ……ミサトさんには、虫に刺されたとでもいっておけば……」
未だ動揺しながらそういうシンジの首に、ユイカの白くて細い指が添えられた。シンジの首についたアスカの所有印をなぞるように、その指を動かす。
自分の首を覗き込むようにしているユイカにシンジは釘付けになっていた。
−可愛いよな。この子が僕とアスカの娘。こうしてみると、アスカによく似てる。それになんだか良い匂いがする。
自分の父親がそんなことを考えている間に、ユイカはシンジの首にあるキスマークを子細に点検していた。
「あの…やっぱり、これを貼ったほうが良いと思います。」
指を離して、そう言うと、バンソウコウをシンジの首の跡に貼り付ける。
シンジは惚けたような顔で、間近にあるユイカの顔を見つめていた。
「はい、これで完全に見えなくなりました。」
そんなシンジを尻目に作業を終えたユイカは、ぎこちなく微笑んでそういった。
「あっ、ありがとう」
「どういたしまして」
ユイカは強張った表情でお礼の言葉に答えると、再びシンジを引っ張るようにしてキッチンに戻り、さっさと流しに歩いていって朝食の後片付けをし始めた。
−あの頃のアスカもよく分からなかったけど……この子が考えていることもよく分からないや
シンジは、慣れた手つきで食器を洗っているユイカの指先をボーッと眺めていた。
困惑。自分の中に広がるその形をシンジははっきりと認識していた。
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シンジはミサトの横に並んで、ベランダから見える街の光景をぼんやりと眺めていた。
その首に貼られたバンソコウを見つめながら、ミサトが静かに口を開く。
「シンちゃん。碇司令のことだけど……」
出てきた言葉はからかいでも冷やかしでもなかった。ミサトは、バンソコウの下にあるものを正確に洞察していた。しかし、脳裏に浮かんだその内出血は、今日に限っては、からかい半分で話題に上せてはいけない、なんだか神聖なもののように思えた。過酷な運命を潜り抜けてきたミサトにとって、その赤色は、容易に生と死を連想させるのだった。
だから、いつも横道にそれるミサトの口から、いきなり本題に沿った発言が飛び出てきたのだ。
「父さんのこと…」
シンジは、呟くようにそういった。先ほどユイカの前で見せた動揺はどこにもなく、その瞳は透徹として、すべてを見通しているようだった。
「あの戦いの後で、ネルフの職員のほとんどは、司令の命令でジオフロントから避難したわ。そして、全員の避難が終わったと同時に、爆発が起こったの。ジオフロントはがれきに埋まってしまって、本部も何もかも土の中だった。残った司令を探そうにも、戦闘の後で第三新東京市自体が廃虚のようになっていて、それどころじゃなかった。」
「副司令や加持くんが走り回って、国連を動かしてネルフ再建へのレールが敷かれ、すべての事後処理が完了するまでに十年かかったわ。その間ずっと、司令の探索は続いたのだけど…戦後四年目くらいから、だんだんとジオフロントに地下水が流れ込むようになってきて、捜索は打ち切り………………司令は、多分もう…」
「死んだんですね」
シンジは既知の事実を確認するかのようにそういった。
「残念だけど・・たぶん」
「知っていたような気がします。父さんの死を僕は正しく認識していたような、そんな気がします。」
「…シンちゃん?」
ミサトは得体の知れないものを見るような目でシンジのことを見つめた。
そのミサトの視線に、はにかむような苦笑するような、そんな笑いで答えるシンジ。
ミサトはその笑顔の中に、シンジの中で流れていった時間を見たような気がした。
「そうか、シンちゃんもいろいろあったんだ。……取り込まれてるのってどんな気分だった?」
「口では旨く言えません。何て言うか、自分が全てになったような、そんな感じです。」
そう口にしてから、シンジは昨日よりも、取り込まれていた時の感覚を遠くに感じている自分自身を発見した。それは、悲しさを伴った安心感をシンジの胸の中に送り付けてきた。
「そっか」
ミサトはシンジのいっていたことを咀嚼しようとしたが、すぐに放り投げてしまった。別に知る必要はない、そう思った。
「でも安心した。シンちゃん変わったわ。良い方に。これならアスカとユイカのこと任せられそう」
「僕で大丈夫なんでしょうか?」
その声は、誰か別の人に問うているように聞こえた。
「シンちゃんじゃないとだめなのよ」
体を反転させてベランダの手摺によっかかりながら、ミサトはそういった。その目線は、窓越しに朝食の後片付けを済ませる二つの背中に注がれている。
「女が子供を産むってことはねぇ、生半可なことじゃないのよ。命懸けなんだから…」
シンジは黙って、彼の何よりも大切な家族の姿に目をやった。
「僕は、帰ってきてよかったんですね。」
「あたりまえよ」
そう言うと、シンジのほっぺたを軽くつねる。
心地よい頬の痛み。
あったかい感覚。
ぽかぽかとした日差しが二人を照らしていた。
「あっ、言い忘れてたけど、シンちゃんにはもう一人家族がいるのよ」
ミサトは、シンジの頬から手を放すと、思い出したようにそう口にする。目元には悪戯っぽい笑いが浮かんでいた。
「家族?」
「そう。シンちゃんは、レイの生まれは知っているわね」
「はい」
神妙な顔で肯くシンジ。
「レイはねぇ、今は碇レイになってるの。シンちゃんの妹よ。」
「えぇ!」
「レイが希望したの。あの子戸籍がなかったのよ。それですべてが終わった後に、私たちがどうしたい?って聞いたら『碇レイ』になりたいって……あの子がそう言ったの。」
シンジはしばし呆然と立ち尽くした。
「シンちゃんを待っていた家族は、アスカとユイカだけじゃないって事、覚えておいてあげて」
そう言うとミサトは、自分の身辺の変転に呆然としているシンジを残して部屋に入っていった。
「あの」
気がつくと、ユイカが佇んでいた。
おずおずと遠慮がちに声をかける。
「ミサトさんは…」
シンジは、ユイカの後ろ−部屋の中に目をやりながらそう言った。
「えっ」
「ミサトさんは加持さんと結婚したんだよね」
「はい」
「みんな色々あったんだね」
「はい」
ユイカは自動的に肯いていた。彼女はシンジの顔に見惚れていた。
−なんだか、天使みたい
ポエティックにそんな事を思う自分を可笑しく思いながらも、ユイカはじっとシンジの顔を見詰めつづけた。
「あの、何か付いてる」
耐え兼ねたシンジが思わず声をかける。
「あっ、いえ」
ユイカは真っ赤になってじっと俯いてしまった。
「あの」
手を握り締めるシンジ。
「あの……君の父親は、僕でよかったのかなぁ」
気が付くとシンジは、ミサトにした問いかけを再び口にしていた。彼は了承を欲していたのだ。
娘。アスカと自分の娘。新しくできた近しい人。彼は彼女にどう対していいのか掴みかけていた。だから、ユイカの方でも自分をどう受け入れたら良いのか困惑しているのかもしれないと思っていた。
その考えは彼の脆弱な神経に、重い負担を与えていた。その重みがシンジとユイカを結ぶ視線の糸の上にのしかかって、触れ合う彼らの心を俯かしてしまうのだ。
ザンバラに切ったシンジの前髪が、風にさらされてゆれている。
ユイカには、シンジの心もゆれているように見えた。
ユイカは、初めてその少年を見たような気がした。
−今まで何を見ていたんだろう。
彼女はそう思った。
目の前にいる人は、彼女が待ち焦がれた父親。そして、それと同時に、十四歳の、自分と同い年の男の子なのだ。
そんな単純な現実を、ユイカは今になってやっと理解した。
ひとり肯くと、ポケットを探って、一つの包み紙を取り出す。
シンジは不思議そうにそれを見ている。
ユイカは、包み紙を取り外し、その中から褐色の固まりを取り出すと、シンジの口の前にそっと近づけていった。
「あーん」
その言葉に反射的に口を開けるシンジ。
その口の中に、柔らかい褐色がひょいと放り込まれた。
じんわりと暖かい甘みが口の中に広がっていく。
「チョコレート?」
ユイカは、こっくりと首を縦に振った。
なんとなく笑いが込み上げてくるのをシンジは止められなかった。
それを見てユイカの顔にも微笑みが広がっていく。
「パパじゃないとだめなんです。」
ユイカはそう言った。
そして、シンジに近づくと、そっとその手に自分の手を絡めた。
風が吹いてくる。
その風がユイカの髪をさらさらと揺らし、照り付ける日の光が、その髪に茶色がかった輪郭を与えていく。
−やっぱりアスカにそっくりだ。
自分の娘の笑顔を見詰めながら、シンジはそんな事を思っていた。
第三話終了
やっぱり三人称は難しい。文体も一定してないし……
ただただ冗長なだけの話になってしまった事を深くお詫び申し上げます。
なんか書いてる途中で煮詰まっちゃいまして……相変わらずのへぼさです。
えー、次回はシンジが学校にいきます(予定)。ということは、この話は、まだ続くんです。
すんません
みゃあさん、メールや掲示板で感想をくださった方々、そして、ここまで読んでくれた皆さん、本当に有り難うございました。
とりあえず今回は、ここまで
ヒロポン
みゃあと偽・アスカ様(笑)の感想らしきもの。
みゃあ「ねえねえ、アスカ様」
アスカ様「……何よ」
みゃあ「知ってますか、最近ユイカシンドロームが流行ってるらしいですよ」
アスカ様「はあ?」
みゃあ「DEADENDさまが某有名HPで宣伝してくださったため、ユイカらぶらぶ患者が飛躍的に増えていると……。アスカ様より可愛い、両親のいいところだけもらってる、もうめろめろ、などというご意見が多数…」
アスカ様「な、なんですってぇ〜〜!?このあたしより人気があるですって!!」
みゃあ「まあ、気持ちは分かりますね。だってユイカちゃんって素直で可愛いんですもん」
アスカ様「そんな……そんな」
みゃあ「あ、でも大丈夫ですよ。みゃあはいつでもアスカ様の味方ですから。アスカ様への溢れる想いで一杯なんですよ」
どばきぃ!!
アスカ様「あんたのは愛欲でしょうが〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」
みゃあ「違いますってば〜〜〜〜〜〜………(きらーん)」
読んだら是非、感想を送ってあげてください。