第四話Aパート

作・ヒロポンさま

 


 

「ねぇーシンジィー、家族で旅行に行かない?」

 

アスカがそう口にした時、僕は彼女の胸に顔を埋めてうつらうつらとしていた。

僕は、どうにも、その・・そういうことをした後、眠くなってしまう癖があって、今日もそんな感じで眠り込みそうになっていたのだ。

 

「へっ!りょほう?」

 

半ば無意識にそう答える。口にした後で、なんだかふわふわと漂っていた思考が、ゆっくりと引き結ばれてくる。

目の前には、アスカの豊かな胸。あの頃もそれなりに大きかったけど、今のアスカの胸は更に成長している。それに……とっても奇麗だ。

 

「旅行って?」

 

僕は、自分でも驚くくらい自然にアスカの胸に手をやった。そして、その感触を楽しみながら、

今度ははっきりとした口調で聞き返した。

 

「んっ、昨日リツコから聞いたんだけど、ネルフの保養施設に部屋の空きがあるんだって、だからぁ、あさってから家族で旅行に行かない?」

「あさってって、ずいぶん急なんだね。」

「だって、その日にしか部屋が空いてないんだもん。そこって、とっても空気が奇麗な所で温泉もあるっていうしぃ。今日リツコに無理言って、何とか休暇をもらって来ちゃったしぃ…………」

 

アスカは、一応大学の教授をやっている。確か、なんていったけ、なんだかやたら長ったらしい名前の大学付属研究所の教授らしい。そのアスカが、なんでリツコさんに休暇の打診をするのかというと、色々と複雑な事情があるのだが、つまるところアスカのいる研究所というのは、書類上だけで存在するペーパー研究所なのだ。

その研究所とネルフが共同研究を行っていることになっていて、アスカはそう言う名目で、ネルフに出入りしているのだが、その実態はネルフにいる他の多くの研究者とおんなじ立場なのだ。こういう事になった経緯はさらにややこしいらしく、日本政府の嫌がらせでアスカがネルフに入れなかったとか、国連のパイプを使って、アスカを大学に上手いこと放り込んだりとか、色々とあったらしい。

 

「休暇をもらったって……つまりそれは、もう決めちゃったってことだよね」

「そうなるわね」

 

悪びれずにそう言うと、さりげなくシーツを引き寄せて、僕の目線から胸を隠した。

アスカは、いつまでも初々しい。一昨日僕と一緒にお風呂に入った時も、自分から誘ったくせにすごく恥ずかしがっていた。こういうのって、きっと男の理想なんだろうな。そんな理想的な女性を一人占めできるなんて、僕はなんて幸せものなんだろう。

 

「ねぇ、おととい首にバンソコウつけてたでしょ」

「えっ・・うん」

 

黙ってアスカのことを見つめていた僕は、突然話題が変わったことに少し戸惑った。

 

「あれ、ユイカね?」

「うん」

 

ユイカ。僕の娘で同い年の女の子。あの日彼女がなにを考えながら、僕の首にバンソコウをはったのかはわからない。僕は正直言って、嫌われたんじゃないかとも思った。でも、あの後−ミサトさんとの会話の後で、彼女がくれたあったかい甘みが、そんな考えが杞憂である事を分からせてくれた。

 

「シンジはユイカのこと好き?」

 

アスカは、その奇麗な瞳に不安の色を宿しながらそう問い掛けてきた。

 

「うん」

 

僕は答える。自明の理だ。君と僕の絆を嫌うわけがない。

 

「よかった」

 

そっとすがりつくアスカ。柔らかくってすべすべして、自分でもどうしようもないくらい、僕はこの人が愛しい。

 

「ユイカとシンジ、なんだかぎこちないから少し心配してたんだ」

「しょうがないよ。お互いにまだ慣れてないんだと思う」

 

アスカは僕の言葉に黙って肯きながら、僕の右手をシーツの中から引っ張り出して、その上に頭をあずけた。

 

「今度の家族旅行の間に慣れてよね。そのための旅行なんだから・・・」

「そういうつもりだったの」

「そうよ。いつまでも『ユ、ユイカちゃん』なんて、上ずった声で自分の娘の事を呼んでるんだもの」

「それにぃ、ユイカとシンジがもっと仲良くしてくれないと、私も安心してシンジに甘えられないし…」

 

アスカは、胸を弄っている僕の左手にそっと手を添えながらそう言った。

 

「アスカもお母さんなんだね」

「当たり前でしょ、これでも娘に気を遣ってるんだから」

 

間接照明に照らされた青白い顔に、薔薇色の暖かさがにじんで見える。

 

「だ・か・ら、お願いねパパ」

 

上目遣いの目線で、可愛らしくしなをつくってそう口にする。

僕は、了解の意味を込めて、その唇にそっとキスをした。

 

 

 

************************************

 

 

 

「はぞくりょほう?」

 

ママの突然の提案を聞いた時、私はちょうど朝食のパンを口にしたところだった。

 

「そう、家族旅行」

 

ママは、パパの分のパンにバターを塗りながら、私の驚きにしれっと答える。

視線を横にずらしてパパの様子を見たが、驚いたそぶりはない。当たり前のことだが、ママの提案をあらかじめ知っていたのだろう。

 

−私だけが知らなかったのか…なんだか気に食わない。

 

どうでもいいことだが、ママとパパは、傍から見ると仲のいい姉弟にしか見えないらしい。パパの帰還祝いのパーティーで加持ミユキがそんなことを言っていたのだ。他にも「見ようによっては、あんたのママが、中学生を誑かしているように見えなくもないわね」なんて事を言っていたが、私はその意見を丁重に無視させてもらった。

 

「ネルフの保養施設にね、部屋の空きがあるのよ。そこ、温泉があったりしてとってもいい所なんだって」

「温泉かぁ」

 

ちょっと考え込むような口調。私を仲間はずれにした罰に、ちょっと両親を困らしてやりたくなったのだ。

 

「ユ、ユイカちゃんは、温泉嫌いなの?」

 

ぎこちなく。本当にぎこちなくパパが聞いてくる。私の方は少しずつ慣れてきているんだけど、私がパパに親しげにすればするほどパパの態度は硬くなっていく。最初はそれが、心の壁のように感じられて嫌だったんだけど、慣れてくるとなんだかかわいらしく感じられるようになってきた。自分の父親を可愛いと評するのもなんだと思うのだけど、思っちゃうものは仕方がない。

黒く澄んだパパの瞳。その瞳を覗き込んでいると、なんだか不思議な気分になってくる。

 

「そんな事ないです。温泉は好きです」

 

気がつくとそう答えていた。ちょっと、ごねてやれと思ったのに……

 

「じゃあ、決定ね」

 

ママがパパの前にあったコップに牛乳を注ぎながら、そう口にして、我が家のささやかな家族会議は閉会した。

 

「シンジ、牛乳をいっぱい飲んで早く大きくなるのよ」

 

大方ミサトさんにでも、何か言われたのだろう。あの朝の訪問以来、ママは何かと言うとパパに牛乳やいりこを差し出して、今のようなせりふを言う。

 

−そんなに急に大きくなるわけないじゃない

 

窓の外はいい天気。ママは恋する乙女の目で、牛乳をンキュンキュと少しずつ飲み干していくパパを見つめている。

今日も我が家は、あつくなりそうだった。

 

 

****************************************

 

 

見るからにアスカは不機嫌だった。

幸い運転に影響はないようだ。これだけが救いだった。

僕とアスカとユイカ、そして、綾波−ではなくて碇レイと加持ミユキの五人は、ワゴン型のエレカに乗って、目的地であるネルフの保養施設に向かっていた。

運転はアスカ。手慣れたハンドルさばきだ。僕は、アスカの容姿や身長やスタイルではなくて、こういう所にこそ時の流れを感じてしまう。

 

「はい碇君」

 

助手席に座る僕に、後部座席に座っている綾波(もう綾波じゃないんだけど…)が、プラスチックのフォークに刺さったりんごを手渡してくる。

 

「あっ、ありがとう」

 

首だけで振り向いて礼を言う。あの頃よりも少しばかり伸ばしている空色の髪にきめの細かい白皙の肌。神秘的な赤い瞳が、暖かく包み込むように僕の瞳を捕らえている。僕はその視線に耐え兼ねて、白い頬を縁取っている水色の流れに目線を合わせていた。

 

「レイさん、私にも」

 

そう口にするなり、綾波の持っているタッパーからりんごを一切れつかみ出して、口に入れたのは、加持ミユキ。ミサトさんと加持さんの娘だ。母親に似て紫がかった髪を腰のあたりまで伸ばしている。目は父親に似たのかちょっとたれ目で、きりっとしている時は少し近寄りがたいきつい印象を与えた母親と違って、柔らかい感じのする奇麗な女の子だ。

アスカの不機嫌の原因はこの二人であった。

そもそもの発端はユイカだった。昨日の朝食の後に、旅行の日程を聞かされたユイカが、

 

「明日ぁ!旅行ってそんな急な話だったの。明日はミユキとの約束があるんだけど」

 

と突然の日程に至極尤もな反応を返したことからすべてが始まったのだ。結局アスカの説得に応じたユイカは、ミユキちゃんに断りの電話を入れたのだが、これがいけなかった。どこでどういう具合になったのか、いつのまにかミユキちゃんも旅行に同行する方向に話が進んでいき、ユイカに可愛くお願いされてしまったアスカがそれを容認したのだった。

そこまでであったら、アスカもこんなに不機嫌にならなかったかもしれない。しかし、転がり出した事態はそう簡単に終局を迎えなかったのである。家族で一部屋に泊まることを主張したアスカが、もう一部屋確保すべく直接ネルフの総務課に押しかけていったのである。

そこで何があったかは、知らない。しかし、アスカが帰ってきた時には、いつのまにやら綾波も旅行に同行することになっていた。どうやら、総務に無理を言った時にリツコさんや綾波の名前を使ったらしい。それがどこからか漏れ伝わって綾波の耳に入ってしまったというのが事の真相であるようだ。

家族旅行に余計なやつ(アスカ談)が二人ついてくる。この事がアスカのいらいらを募らせているという次第なのだ。

ところで、僕がサルベージされてからこの二人と会うのは、これが初めてではない。一昨日にあった僕の帰還パーティーで、二人と会っていた。綾波とは再会。ミユキちゃんとは当然ながら初対面であった。僕はこのパーティーで、本当にたくさんの人と再会した。

リツコさん、マヤさん、青葉さん、日向さん、加持さんなどのネルフの面々(残念ながら副司令は公務のため主席できなかったらしい。ちなみに今は、司令をしているとの事)。そして、懐かしい友。相田ケンスケと鈴原トウジヒカリ夫妻(これには吃驚した)との再びの邂逅。僕との再会を本当に心から喜んでくれたたくさんの人たちに囲まれて、僕は改めてこの世界に戻ってこれた幸せを噛み締めたのだった。

 

閑話休題。

 

「はい、碇君」

 

物思いにふけっていた僕に、綾波がお茶を注いで渡してくれた。

 

「ありがとう」

 

綾波は、さっきからずっとこんな調子で、僕に食べ物や飲み物を渡してくる。正直僕はお腹いっぱいなんだけど、綾波のいたいけな瞳で覗き込まれると、とてもじゃないけど断りきれないのだ。それに問題は、お腹のことだけじゃない。綾波が僕にかまう度に、少しずつ角度を増していくアスカの眉が、僕の心を重くする。

ちらっとアスカを盗み見る。釣り上がった眉に、引きつった口元。僕はアスカが焼き餅焼きだということを、今更ながらに思い出していた。

 

「あんた、私のシンジになにちょっかいだしてんのよ!」

 

−ああっ、恐れていたことがついに起きてしまった。

 

臨界点を突破したアスカは、運転中にもかかわらず後ろを振り向いて、綾波を睨み付けている。関係ないことだけど、こういう時のアスカの顔も、とっても奇麗だ。

 

「ちょっかい?わからないわ」

 

無表情。真っ直ぐにアスカの視線を受け止めている綾波。僕は正直勘弁して欲しかった。綾波の隣に座っているユイカも、困ったような顔をして二人を見詰めている。

 

「大体あんたは、おまけでしょ!おまけならおまけらしくおとなしくしてなさいよ!」

 

オートドライブにしているのだろう。車はつつがなく目的地への道を進んでいる。僕はそれを確認してから、再び二人の方に注意を向けた。

 

「私はおまけなの?」

 

問い掛けるその瞳は、後ろを振り向く格好で交互に二人を見つめていた僕の顔に、まっすぐに向けられていた。

 

「なんでシンジに聞くのよ!」

「私はおまけなの?」

 

真っ赤な瞳に微妙な陰がゆれている。アスカのいらいらがつのっていくのが、ひしひしと感じられる。ユイカは僕の方に救いを求めるような目線を送ってきていた。ミユキちゃんに目をむけると、興味津々と言う顔で事態の推移を眺めている。口元に浮かぶニタニタとした笑いといい、この子は絶対に母親似だ。

何とかしなくてはという強迫観念にも似た使命感が、僕の中に渦巻いている。

 

「レ、レイはおまけなんかじゃないよ」

 

僕は、白い頬を見つめながらやっとそれだけ口にすると、急いでアスカに向き直って

 

「そうだよね。アスカ?」

 

と同意を求めた。ユイカもすかさずアスカの顔をじっと見詰める。

 

「なっ!ちょっとぉ………」

「……あぁっもう!わかったわよ。言い過ぎたわ」

 

じっと自分を見詰めていたユイカの視線と僕の言葉に気勢を殺がれたのか、アスカは意外に簡単に折れてくれた。この辺が昔と違う所だ。

 

「おまけじゃないのね?」

 

綾波は、今度はアスカに向かって聞いてくる。

 

「しつこいわね。悪かったわよ!アンタは、おまけじゃないわ!」

 

アスカは、綾波と目を合わせずに吐き捨てるように言う。

その言葉に綾波は静かに肯いてみせる。そして口を開いてこういった。

 

「あなた怒りっぽいのね」

 

車内の空気が一瞬で凍りつく。数瞬の後アスカが爆発した。

 

「なんですって!」

 

その瞬間、綾波は、大きく開けたアスカの口にりんごを一切れ放り込んだ。

 

ング

シャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシ

ャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリシャリ

早く食べて怒鳴り散らしたいのか、懸命にりんごを咀嚼するアスカ。

 

−可愛い

 

「おいしい?」

「あんたねぇ!」

 

やっとりんごを飲み込んだアスカが綾波に再び食って掛かる。

 

「おいしい?」

 

邪心のないまっすぐな瞳で再び質問する綾波。

 

「……おっ、おいしいわよ」

 

その瞳に気圧されたのか、アスカは小さい声で呟いた。

 

「そう、よかったわね」

 

薄らと微笑んで見せる綾波。

 

綾波の勝ち

 

ふぅーーーー

アスカは一つため息を吐くと、ようやく前方に向き直った。

 

「やってらんないわ」

 

−やっらんないのは、こっちだよ

 

ふとユイカと目が合う。彼女は、『いつものことですよ』という感じの苦笑を口元に浮かべていた。

ちょっとした諍いの後なのに、不思議とぴりぴりした感じはしなかった。なんだかのんべんだらりとした空気が車内に漂っている。

誰も口を開こうとしない。しかし、気まずくも重苦しくもない会話と会話の間のちょっとした沈黙。タイヤが路面を噛む音だけが、僕らの間に響いていた。

 

 

****************************************

 

 

「ああー、いい気持ち」

 

隣でお湯に浸かっているミユキが、頭にタオルをのっけて、体をのけぞらせながらそう口にした。

私たちがここに到着したのが、午後の四時。ネルフの保養施設なんて言ってたから、ペンションぽい建物とかを想像していたのだけど、想像と違ってちょっとしたホテルのような大きな建物だった。どうやらネルフの職員以外−一般のお客も相手にしているみたいで、ママやレイ叔母ちゃんの所属する組織の商魂のたくましさを見た感じだ。

 

私とミユキとレイおばちゃんの三人は、チェックインを済ませて部屋に荷物を置いた後、とりあえず露天風呂に直行したのである。

それにしても、とっても奇麗。大きな岩で縁取られた露天風呂は、四階建ての建物の屋上に作られていて、周りに植え込まれている緑もさる事ながら、正面に見える景色はまさに絶景だった。今はまだ明るいけども、ここから見る夕日や星空はどんなに奇麗なんだろうと想像してしまう。

 

「しっかしまぁ、ユイカも大変ねー、あてられちゃって」

 

ミユキが、人をからかう時に必ず浮かべる例のニタニタ笑いを浮かべながら、そう言った。柔らかく頬をかすめていく風が作り出した波紋の下で、年の割には立派な胸がゆらゆらと揺れて見える。

 

−また大きくなってる

 

私は親友の裏切りに、ちょっとしたショックを受けながら、からかいの言葉に答える為に口を開いた。

 

「仲がいいのよ。ミユキのところだって叔父様とミサトさんは、仲いいじゃない」

 

さっきからミユキは、何かと言うとパパとママのことを話題にする。パパとママは、ここに着くなり、連れだって散歩に行ってしまったのだ。その時の様子といったらもう、これ以上ないほどにベタベタで甘甘だったのだ。

 

「いやぁー、家はユイカの所ほどじゃないわよ。でも以外よねー、アスカさんって、もっとこう、キリッとして、いかにもキャリアウーマンって感じの人だと思ってたんだけどねぇー」

 

それは私も感じていたことだった。正直ママがこんなに甘えん坊だとは思わなかった。私と二人だけの時は、いつもしっかりして頼り甲斐があった強いママが、パパの側にいるとまるで私と同い年ぐらいの、ほんの女の子のようになってしまうのである。

 

「あれが、あの人の本来の姿なのよ」

 

それまで黙って私たちの話を聞いていたレイおばちゃんがポツリと呟いた。

雪のように−見たことないけど−真っ白い肌が、ほの赤く染まって、とっても奇麗。十四歳の私たちよりもよっぽど華奢なその体を、岩肌にもたれ掛けて、じっと遠くの空を見詰めている。

 

「そうなんだ」

 

ミユキは、なんだか納得したように肯いていた。

私は知っている。ミユキはレイおばちゃんが苦手なのだ。ワライカワセミのようにべらべらと喋りまくるミユキにとって、レイおばちゃんのような物静かな人は、距離感がつかみにくい相手なのである。

 

「昔のパパとママもああいう感じだったの?」

 

私は何気なくそんな質問をした。

 

「そうね」

 

静かな答え。

人形のように完璧な造形の横顔には、寂しさがたゆたっていた。

レイおばちゃんは、パパのことを「碇君」と呼ぶ。この言葉に込められた思いを、私はうすうす感づいていた。私のパパとレイおばちゃんが、本当の兄妹ではないということを聞いたのは、小学校五年生の時だった。

その時はそれほどのショックは受けなかった。レイおばちゃんは私にとって、何があろうとレイおばちゃんであったから。でもそれ以来、パパのことを口にする時のおばちゃんの顔に、今までは感じなかった感情の流れを感じ取れるようになっていた。

 

−レイおばちゃんの幸せってなんだろう

 

自分より頭半分ほど低いパパと腕を組んで、散歩に出かけていったママの背中を思い出しながら、私はふとそんなことを思っていた。

 

 

****************************************

 

 

湖面は鏡のようにシンと静まりかえっていた。

と言っても、僕には、その様子は見えないのだけど。

僕は、アスカの膝の上に頭を置いてボーッと空を眺めていた。

 

今、二人は、ボートの上にいる。

僕たちは、ネルフの保養施設の周りをぐるっと回っているうちに、いつのまにか小さな湖の湖畔にたどり着いたのだ。ちっぽけな桟橋にボートが何艘かもやってあった。奇麗だが単調な周りの風景を見飽きていた僕らは、どちらともなくボートに乗り込んでいた。

別に自然の情緒を解さない訳ではなかったけど、今の僕たちは奇麗な山並みや美しい草木よりもお互いのことが気になっていた。

アスカと僕は、散歩の途中、あの浅間山での出来事を話していた。温泉というキーワードが数少ない僕らの共通の思い出をよみがえらせたのだろう。あの時お互いに何を考えていたかとか、近江屋の風呂はどんな作りだったとか、そんなとりとめもない事を話しあった。

やがて話は尽きる。

僕たちは次の思い出に飛ぼうとして途方に暮れてしまった。

エヴァンゲリオン・使徒、いつかは思い出に変わるかもしれない、しかし、今はまだ鮮烈に過ぎるシーンとシーンの間を縫うようにして、僕たちは普通の思い出を見つけ出そうと努力した。

ボートに乗ってからもその試みは続けられた。別段、無理に思い出話にこだわる必要もなかったのだけど、僕たちは記憶の中にある恋人同士らしいエピソードを探し出す作業に夢中になって、世の中にある他の話題のことを忘れてしまっていた。互いに言葉を交わしながら、色々探し尽くしたが、結果は芳しくなかった。

柔らかい水の感触をボート越しに感じながら、僕たち二人は黙りこくるより他なかった。

 

「ねぇ」

 

そっと僕の髪を撫ぜていたアスカが、ひそやかにその唇を開いた。

 

「うん?」

「考えてみたら、私たちに思い出らしい思い出なんて、ほとんどないのよね」

「ずっと戦いばかりだったからね……」

 

言葉の最初に「しょうがないよ」と付けようとして、僕は何とか踏みとどまった。そんな言葉は、今の僕らには相応しくない。

 

「これから作っていけばいいよ」

 

空に浮かぶ雲を瞳で追いながら、力強く口にする。

 

「そうね」

 

アスカはにっこりと笑って、空を振り仰いだ。しばらくそうした後、もの問いたげな視線で膝の上にある僕の顔を覗き込む。僕は自分の見ていた雲をそっと指し示した。再びアスカが空を見上げる。白い喉元。奇麗なあごのラインのその先に、僕らの雲はあった。

僕たち二人は、しばらくの間、同じ雲をじっと眺めていた。

 

「ねぇ、一つ聞いてもいい?」

 

変わりつつあった雰囲気を纏い付かせながら、奇麗な唇が再び開かれた。

 

「なに?」

 

僕はその動きを見詰めながら、ぼんやりと返事を返す。

 

「あの頃……シンジは、もしかして、私よりもレイのことが好きだったんじゃない?」

 

アスカの口元には笑みが浮かんでいた。でも、その瞳だけは、この湖のようにしんと静まりかえって、この問いかけが単なる気まぐれではないことを僕に教えていた。

数瞬の迷いの後で、僕は真実を口にした。

 

「……そんな時期もあったかもしれない」

 

ゴツ

鈍い音。

アスカが、オールの握りの部分で僕の頭を思いっきり小突いたのだ。

僕が言葉を発してから何秒の間があったろう?すごい早業であった。

 

「正直に言ってくれてありがとう。バカシンジ」

 

アスカは、ぞっとするような微笑みを浮かべてそう口にした。

 

「でっ、でも、綾波のことは好きだったけど、僕が愛した女性はアス・・むうぅ」

 

何かに突き動かされるように言い訳をはじめた僕の口を、アスカの手がそっとふさいだ。

 

「本当に、ムードのわかんない男ねバカシンジ!アンタは正直に打ち明けた。私はそれをちゃんと受け止めた・・ちょっと殴っちゃたけど・・それでいいじゃない。こういう時、いい男はあんまりしゃべらないもんなのよ!」

「そうなの?」

「そうなの!」

 

一寸の沈黙。

気がつくと、口元からずらされた手が、優しく僕の頬を撫ぜていた。

 

「今は何も言わなくていい。でも、シンジがもう少し成長したら……その時は、私がずっと待っていた言葉を言って欲しいな」

「それってプロポーズのこと?」

 

ゴチッ

 

「あんたって男は!せっかく私が切なく決めてるんだから、察しなさいよ!」

「ごっ、ごめん」

 

カタ

ボートが少し揺れている。風が吹いてきたみたいだ。アスカの前髪がさらさらと流れて、そ

れを見上げているうちに僕はだんだんと眠くなってきた。

 

「少し眠ってもいいかな」

 

フフッ

不機嫌そうにしていた口元をほころばせて、アスカが笑う。

 

「いいわよ。でも、シンジって本当にお子様ね」

 

何か言い返そうとしたが、何も思い浮かばなかった。

黙って目をつぶる。アスカの暖かい腿の感触が心地良い。

 

−ところで、ユイカと僕が仲良くなる為の旅行なのに、アスカとこんなことしてていいのかな。

 

僕はそんな事を思いながら、心地よい眠りの世界に滑り落ちていくのだった。

 

 

Bパートに続く


 

みゃあと偽・アスカ様(笑)の感想らしきもの。

 

みゃあ「ああ……幸せ」

みゃあ「ヒロポンさまの小説をこんなに沢山読めるなんて……」

みゃあ「はぁ……ヒロポンさま。ヒロポンさまのは長ければ長いほどいいですよ(←さりげないぷれっしゃあ(笑))。素晴らしいです。冗長だなんてとんでもない。みゃあは幸せです。……長いっていうのは、良いことですよね(意味深(爆))」

アスカ様「ちょっと、あんた。イっちゃってる顔でなにブツブツ言ってんのよ、気持ち悪い…」

みゃあ「ああ…アスカ様。パパゲリオンですよ、いいと思いません?」

アスカ様「まあ…このページの中では比較的健全だけど…でもやっぱりあたしとシンジがらぶらぶってとこが最大の勘違いね」

みゃあ「あ〜あ。また心にもないことを。……作中のアスカ様はあんなに素直で可愛いのに」

アスカ様「お、大きなお世話よっ!」

みゃあ「続きも楽しみにしてますよ、ヒロポンさま。いつもいつも感想などありがとうございます。皆様の感謝もまとめて、ここでお礼いたします」

  


読んだら是非、感想を送ってあげてください。

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