第五話Cパート
作・ヒロポンさま
「失礼します」
シンジがそう言って入った職員室は、彼の記憶の中にあるそれの印象とたいして違う事のない空間だった。
窓際に置かれた書類のせいなのか、採光が悪く、蛍光燈の白い光が部屋の中を照らしていた。少し薄暗い廊下に慣れていたシンジは、その光に目を細める。奥行きがなく縦に長い空間。そこに所狭しと机が並べられていた。その机の上は備品その他で雑然と埋め尽くされている。その机の雰囲気に似つかわしく、教師達もなんとなく取りつく島もないような感じで雑然とそれぞれの仕事を取り行なっているようにシンジには見えた。
−やっぱりこういうのって苦手だよ
どこからか漂ってきたコーヒーの香に、胃袋がきゅっと収縮する。
そのとたん、チョコレートの香気が喉の奥から蘇り、シンジの心を少しだけ落ち着かせてくれた。
−可愛いよなユイカ……………僕とアスカの娘
可愛いと言う感慨に、すかさず自分とアスカの娘と言うフレーズを付け加えるシンジであった。
「おっ、可愛い感じの子じゃない……これが今日来る転校生?」
マユミが眺めていた書類を横から盗み見て、同僚の教師が声を掛けてきた。
同期で入った社会科教師で、実は大学も一緒という腐れ縁。ちなみに、マユミの担当は国語。ちょっと野暮ったい黒ぶちの目がねと、純和風の顔立ちにマッチしている。マユミは、口元の艶っぽい黒子がトレードマークの当年とって芳紀24年の新米教師だ。
「うん………そうなんだけど、まだ来ないのよ。お姉さんはもう見えられてるんだけどね」
「お姉さんって、さっき校長室に入っていった人でしょ。美人だったわよねー。山川先生なんて鼻の下伸ばしちゃってさぁー」
同僚の軽口に、口の端だけで笑って同意すると、マユミは再び書類に目を落とした。
「なぁに?何時にも増して暗い雰囲気じゃない?」
「うん」
「もしかして、今日来る新任の先生が気がかりだとか?」
黙り込んだマユミの反応を肯定と見て、さらに続ける。
「はぁ、あんたの人見知りも相変わらずよね。まあ、副担任として付き合っていかなくちゃならないんだから、気になるのは当然といえば当然なんだけどさぁ」
ズズーと茶を啜ってから言葉を繋げる。
「でも、珍しいわよねぇ。同じクラスに、転校生と新担任が一緒に来るなんて……」
「そうよねぇ……………」
彼女が、気の無いマユミの返事に肩を竦めてみせた時、たまたまその視界に一人の見慣れない男子生徒の姿が映った。湯飲みを手にしたまましばし沈思黙考してから、横目でマユミの机の上に置かれた書類を眺め見る。
「ねぇ、マユミ……あの子そうじゃない」
「えっ!」
「ほら」
改めて書類を覗き込んだ後、所在なげに扉の前に佇んでいる少年を指差した。
「……そう…みたいね」
几帳面に写真と見比べてから、マユミは得心したように肯くと、立ち上がってシンジの方へ近づいていった。
「君、碇シンジ君くんよね?」
マユミは、落ち着いた声で話し掛け、にっこりと笑ってみせた。背はシンジより頭半分高いくらい。その小柄な体躯が、理知的で落ち着いた雰囲気とあいまって、なんだかほっとさせられるような空気を彼女に纏わせていた。
「はい」
視界の中に入った数人の教師の誰かに声をかけようと物色していたシンジは、マユミの声を受けて正直ほっとした。
よかった最初に気づいてくれたのが、この先生で
緊張にこわばっていた頬がわずかに緩む。
「私、今日からあなたが編入されることになっている3年A組の副担任の山岸マユミです。よろしくね」
彼女は、そう言って手を差し出した。
「はい。よろしくお願いします」
シンジは少し赤くなりながらその手を握り返す。
−なんだか、可愛い感じの子ね。
見た目のとおりおとなしい気性のマユミには、シンジの律義でまじめそうな態度が好もしいものに感じられた。母性本能をくすぐる表情と、転校生らしい硬い雰囲気。少年の緊張をほぐしてやるために、彼女はクスリと笑ってみせると、柔らかい口調であたりさわりのない質問を発した。
「転校は始めて?」
遠いような近いような記憶が、シンジの頭の中を、形を持たぬまま横切っていった。なんだか複雑な感覚。シンジの少年らしい清潔感にあふれた瞳に軽い影がす。
「えっと・・・・・・・・・・・二度目です」
我知らずそっけない調子でそう答えた。
「そう」
幸いと言っていいのかどうか、マユミは、シンジの表情の変化に気づかなかった。
そこで、会話が途切れた。明らかにマユミは、生徒との応対に慣れていない様子だった。
「じゃあ、とりあえず校長先生に挨拶しに行きましょう。今、お姉さんがきて話をされてるけど、やっぱり本人もちゃんと挨拶しとかないとね」
わざとらしく、背後にかかった時計に目を遣った後、何気ない口調でマユミはそう口にした。
あまりにも、言葉がさらっと流れたために、シンジは最初その発言の中にあった一つの単語の存在に、気づかなかった。
しかし、それも数瞬の事
「あの、お姉さんって?」
それっていったい?
「お姉さんよ。先に見えられて、校長先生とお話しているの。そう言えば、普通は、父兄の方と一緒にくるはずなのにどうしたの?碇君が寝坊でもしたのかしら?」
マユミにしては、精一杯の冗談のつもりで発したからかいの言葉だったのだが、シンジの意識は一つの単語に釘付けになっていた。
「あの、お姉さんって?」
戸惑うようなシンジの表情をけげんに思いながらも、マユミはその問いに答えを返す。
「お姉さんはお姉さんよ。・・・・・えっと、確か碇レイさん、だったかしら」
瞬間シンジがかまった、ようにマユミには見えた。
「どうかしたの碇君?」
「いや、えっと、なんでもないです」
硬直から立ち直ったシンジは、自分の不自然な態度を取り繕うようにぎこちなく笑ってみせる。
−どうして、綾波が・・・・・・姉さんって・・・・そりゃ戸籍上は姉さんだけど・・・・アスカは何も言ってなかったし・・・・・
−やっぱりまだ緊張してるのかしら。それはそうよね、初めての街、初めての学校。緊張しないはずはないものね。
困惑しているシンジの様子をそう言う風に見て取ったマユミは、シンジの目を真っ直ぐ覗き込み、
「じゃあ、校長室に案内しますから」
とできるだけ優しい調子で口にした。
*
「おはよ」
「元気してたー」
冬休み明け。次々と登校してくるクラスメート達が挨拶を交わす声をどこか遠くに聞きながら、惣流ユイカは窓際にある自分の席に座りぼうっと外の景色を眺めていた。
ゆったりとした丘陵の上に立つ校舎の窓から見える光景は、周りが住宅街で高層建築物が少ないということもあって、ことさら見晴らしがよかった。何やら話しながら校門に入ってくる生徒達、その向こうに続く住宅街。その住宅街を横切る大通りを挟んだ向こう側に、緑に囲まれた公園が見える。
その公園の横にある白い建物がレイの住むマンションで、その公園から更に先、いくつかのとおりを挟んだ所にユイカ達の住むマンションが見える。様々な色の屋根が立ち並ぶ住宅街のずっと先に見える高層建築群は、市の中心地。そのまた向こうに見えるのは山々の稜線と空の青だ。
ユイカの茶色がかった瞳はそれらの光景すべてを捉えるとも無しに捉えていた。それは、にじみぼやけた色彩のパノラマだ。
シンジの娘だからなのか、それとも人との付き合いが深まるに連れてだんだんとぼんやりとした地の性格をあらわにしてきた彼女の叔母の影響なのか、ユイカはたまにこうしてぼうっとしている事があった。
心地よい風がユイカの前髪をゆったりとなぶっていく。絵に描いたような美少女の姿に、何人かの男子が憧憬の目線を投げかけた。
「ねぇ、知ってる?」
教室の後ろで久しぶりにあった友人達と何やら話し込んでいたミユキが、おもむろにユイカの正面に立って話し掛けてきた。せっかちなミユキは、しばしば主語と述語を省略して話す。
「何を?」
どこか色気さえ感じさせた放心の表情を即座に引き締めて、ユイカは当然と言えば当然の質問を返した。
「マナに聞いたんだけど、今学期から私たちのクラスの担任が変わっちゃうんだってさ」
「・・・・・どうして?」
「どうしてって、三浦先生が転任したからよ。なんでもお父さんの具合が悪かったらしくて、前から転任届を出してたみたいなんだけどね。やっと変わりの先生が見つかったって事で、さっそく転任しちゃったみたいなのよ」
ミユキは、どこからか聞いてきた話をユイカに注進する時の癖として、中学生にしては豊かな胸の前で軽く手を組んで、もっともらしく話して見せた。
ユイカはその話を聞きながらも、視線はその背後に向けていた。見知った顔をそこに見つけたからである。
ミユキもその視線に気づいて、首だけで振り返った。
そこにあったのは、中学生らしからぬ艶っぽい目を細めて笑っている友達の姿だった。先ほどまでミユキと話し込んでいたメンバーの一人で、今回の情報をミユキに与えた当の人物、霧島マナである。ユイカやミユキとよくつるんでいる活発な少女だ。
「それだけじゃないんだってば」
彼女は、ミユキによりかかるような格好で、二人の会話に絡んできた。
ユイカの奇麗な茶色よりもややくすんで見える髪をショーカットにした少女は、ユイカの前の机に「よっ」と座り込むと、そのままミユキの肩にあごを置いた形で再び口を開いた。
「なんと、このクラスには新任の先生だけじゃなくって、転校生までくるんだって」
その言葉を聞いて、ユイカとミユキは意味深な目線を交わし合う。
−パパ同じクラスになったんだ
はっきりと喜色を浮かべるユイカに、ミユキがウインクしてみせた。
「なになに?どうかしたの?」
空気を読む事には三人の中で一番長けているマナが、二人の様子に気づいて聞いてくる。
「なんでもなぁい」
ミユキは、マナが口を開くたびに、その髪の毛が頬に当たってくすぐったいのか、半分笑うような甘えた声音を出した。
「なぁんか怪しいわねぇ」
納得しないように交互に二人に疑いの目線を投げかけてくるマナを尻目に、ユイカは再び窓の外の光景に目をやった。
−やったね
*
「では、碇君はお姉さんと二人暮らしなんだね」
シンジの目の前のソファに腰掛けた初老の男−・・・校長が、甲高い声でそう口にした。
面長の顔の中にある柔和な目がシンジの事を見詰めている。定年間際にやっと校長になったと言う感じの苦労人タイプに見えた。実際、「セカンドインパクト」後の人材不足でもなかったら、校長にはなれなかったろうと、噂されている人物であった。別に悪い意味でそう言われているわけではない。要するに地位に執着のない人物なのだ。
先の質問に対するシンジの肯定の返事にも「ああ、そう」と気安く肯いてみせる。
シンジは人のよさそうな校長に好印象を抱きながら、目の前のテーブルに置かれたお茶を手に取った。
別に飲まなくてもかまわないと言う事は分かっているのだが、後天的な主婦感覚で、なんとなくもったいないような気がしたのである。シンジが手に取った湯飲みの横には、空の湯飲みと漆塗りの小皿が置いてあった。その小皿の上においてあった二切れのくり羊羹は、ついさっき彼の目の前で、彼の横に座っている人物の胃袋の中に消えてしまっていた。
ずずぅ
シンジはお茶おすすりながら、改めて自分の横に座る「姉」に目を向ける。
セミロングの奇麗な水色の髪に縁取られた、白く美しい顔。すべてが小作りで、すべてがはかなげで、消え入りそうで居ながら、それでいてどんな場所の空気もたわませるような存在感を持った女性。
碇レイの姿がそこにあった。
山岸マユミに案内され、職員室の奥にあったドアを開けて、校長室に足を踏み入れたのが、数分前の事。
入った瞬間に目に入ったのは、ソファに座っているレイの横顔だった。
−どうして綾波が?
その時のシンジの疑問は、人のよさそうな校長との会話の中でだんだんと氷解していった。
どうやら、学校側に提出された書類の保護者覧には「碇レイ」の名が書かれていたらしいのだ。しかも、それだけではなく、現住所もレイの住むマンションになっているらしい。
シンジは何度となくレイの事を見て目で問い掛けたのだが、レイはにっこりと微笑んでみせるだけでなんの素振りも見せなかった。
*
数分後。校長との対面を終えたシンジとレイは、廊下に出た。
校長室には、廊下側と職員室側の二つのドアがあったのだが、先に立つレイが廊下側のドアに向かっていたので、シンジも自然にそれについて廊下に出る事になってしまったのだ。とはいえこれは、シンジにとっては好都合であった。
釈然としない空気が二人の間を漂っていた。シンジのもの問いたげな雰囲気をを察したのか、レイが先に沈黙を破った。
「もしかして、アスカから何も聞いてなかったの?」
「アスカから・・・アスカは綾・・・レイが来る事を知ってたの?」
こくりと肯くレイ。
「それじゃあ、碇く・・・・シンジ君は、アスカの事も知らないのね」
「アスカの事?」
シンジ君と呼ばれた事で、シンジの頬が赤く染まっていた。
レイは、疑問の言葉を発したシンジを、真紅の瞳で見詰めながら、おもむろに廊下の先を指差した。
シンジが怪訝に思いながらも、細い指先の先を辿っていくと・・・・・・・
「・・・・・・アスカ!?」
そこには、まさに今職員室のドアを開けようとしている惣流アスカ・ラングレーの姿があった。
アスカは、シンジの声に振り返り、即座に二人の姿を認めた。
「あら、シンジ」
そう言って相互を崩すしてから、思い出したように表情を引き締めると、ツカツカとシンジとレイの方に近づいてくる。栗色の髪が背中で揺れていた。外で見るアスカの姿は、なんだかシンジには違って見えて、どこか近寄りがたいような大人の女性の雰囲気を漂わせていた。
アスカは、瞬く間に、シンジの正面までくると生気に満ちた紺碧の瞳で、じっと彼の顔を覗き込んで、
「シンジ君。今日からあなたの担任になる惣流アスカ・ラングレーです」
芝居がかった仕種と声音でそう言ってのけた。
瞬間シンジの目が点になる。
シンジの混乱をみこうしてのアスカの態度に、生真面目なレイが責めるような目線を向けた。真紅の瞳と紺碧の瞳が交錯する。多少後ろめたい所があるのだろう。アスカの方が先に目をそらした。
シンジは、その間も状況認識に没頭していた。
「アスカ…担任って?」
「私、先生になったのよ」
「なったのよって・・・・大学は?」
「ふふっ、やめちゃった」
ぺロッと可愛く舌を出す。可憐と言ってもいい仕種だが、無論シンジは感銘を受けなかった。
シンジは惚けたような目でレイの事を見た。
その目線の意味を悟って、レイはゆっくりと肯いてみせる。
−綾波のいってたアスカの事って、これなのか・・・・・。でも担任って・・・・アスカ、いったい何考えてるの?
「へへへへっ、シンジぃ、びっくりしたでしょ」
学生服を着た夫の頬をつんつんとつつきながら、嬉しそうに笑うアスカ。何時もの彼女の香りが、シンジの鼻孔をくすぐり、感じかけていたよそよそしさを優しく包み込んでくれた。
最近年上ぶって、シンジのほっぺたをつつくのがアスカの性癖になっていた。「こうやってシンジを困らせるのが楽しいのよねぇ」とのことなのだが、今度の事もそういう気持ちの延長線上にあるだろう。
シンジの方はシンジの方で、こういうことをされても、いや、されればされるほど、アスカを可愛いと思ってしまうのだから、始末に終えない。
レイは、「困った人ねぇ」と言わんばかりの目つきでアスカの事を、じろっと見ていた。
ふぅ
実際、細く小さい吐息がレイの桜色の唇から、我知らずもれた。
別にアスカに呆れたからというだけではなかった。実は、自分もシンジのほっぺをつんつんしてみたかったのだ。
*
「・・・・・っと言うわけなのよ」
人差し指を顔の横で立てて、アスカがそう口にした。
「まだ、何も説明してないわ」
碇レイが冷たい視線を投げかける。冷たいと区別の付く当たりが、昔の彼女に比べればたいした進歩であったが、はっきりいって、ちょっと怖い。
「やーねぇ、レイ。冗談よ、じょうーだん」
アスカは、ぎこちない笑いを浮かべながら、レイの頬を、つんつん突っついた。
−やだわ。レイったら、私より肌がスベスベしてる…………
ふに。アスカは、思わずその頬を掴んで引っ張ってしまった。ちょっと、悔しかったのである。
「ひかりくんにぃ、ひゃんとふたえてなはったのね(碇君にちゃんと伝えてなかったのね)」
ほっぺをひっぱられた状態で、視線だけは冷たいままにそう口にするレイ。
妙齢の美女二人が、中学校の廊下で、ほっぺを引っ張り引っ張られしているのだから、かなり奇妙な光景である。
シンジは、すんでのところで笑いをこらえながら、二人のことを見ていた。
「吃驚させようと思って・・・・・・・」
ばつが悪そうに答えながらも、手を放そうとはしない。
−レイのほっぺって、ぷにぷにして柔らかいのねぇ
そう思ったら最後、もう一方の手も知らず知らずの内に、レイの頬を掴んでしまっていた。この感触が、気に入ってしまったのである。
両側から、ぷにっと引っ張ってみる。
「あひゅか…………ひゃめてひょうだい(アスカ…………やめてちょうだい)」
はっきりと不機嫌の滲み出た声に、やっとアスカの手が離れた。
「くくっ………………いつも冷静なレイが、「あひゅか」だって………ふっ…はっはははははははははははっ」
アスカは、手を放した時には、口をモゴモゴさせただけで笑いをこらえていたのだが、元に戻ったレイの取り澄ました顔を見ると、ついに我慢が出来なくなって、笑い出してしまった。
リノリウムの床とコンクリの壁の廊下に意外と大きく響いたアスカの笑い声。シンジはいまさらながらに周囲の状況が気になり始め、きょろきょろと廊下を見渡したが、幸い辺りに人影はなかった。
しかしながら、アスカとの対面から既に数分の時間が足っている。シンジは、そろそろ話に区切りを付ける必要性を感じていた。
「アスカ」
アスカは、諭すようなシンジの声を受けて、目元に滲んだ涙をぬぐいながらシンジの方に向き直った。いつものように瞳で、シンジの発言を促す。
「びっくりしたよ。でも、どうして、その、先生になっちゃったの?それに、僕の保護者の事とか・・・・・」
率直な物言いをしたつもりでも、語尾が尻すぼみになってしまうのは、シンジ独特の癖だ。
「わからないの?」
アスカは少し悲しそうな顔をした。
「・・・・・・シンジのそばにずっと居たかったからに決まってるじゃない。・・・・・レイに保護者になってもらったのも、その方が私たちの関係を隠すのに都合がよかったって言うのもあるけど、それだけじゃなくって、私が保護者になりたくなかったから・・・・私はシンジのお母さんでもお姉さんでもないもの・・・私は、シンジの保護者なんかじゃなくって、配偶者だから・・・」
途切れ途切れに語るその言葉にシンジははっとさせられた。アスカの中にある奇妙な焦燥感に彼は薄々気付いていた。
失われた時間。
アスカはそれを取り戻そうとしているのかもしれない。
保護者だとか、28歳という自分の年齢だとか、そんな言葉や数字に過敏に反応する自分自身にアスカは気付いていた。彼女は、その心を、埋める必要性を感じたのだ。
埋めようとして埋められる物でないことは分かってはいる。でも、それでも、そういう自分自身も丸ごと受け止めて生きていくためには、その心に忠実でなければならないような気がしていた。
−欲張りかもしれない…………。レイに比べれば………私はずっと恵まれた立場に居る。それでも、それでも私は、もっと、いまよりももっと、シンジのことが欲しい。そのために私は、私らしく生きていきたい。
だから、心のままに振る舞うの………
それがアスカの形だった。分別や常識なんてものは、ユイカを産むことを決心した時から、とっくの昔に彼岸のかなたに放り投げてしまっていた。
「アスカ………ありがとう。僕も、いつも、アスカと一緒に居たいって思ってるよ」
何時もの優しい表情で、シンジはそう言った。あざとくなったのか、単なる慣れなのか、愛情にとりのぼせたアスカに必要なのは、ストレートな言葉であることをシンジは本能で嗅ぎ取っていた。自然と口を次いで出る愛情表現に、我ながら頬を染める。
「うん。知ってる」
アスカは、うれしそうに笑った。
「改めてよろしくね。碇シンジ君」
そう言った時の顔には、再び、いたずらっ子のような表情が輝いていた。
Dパートに続く
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