第七話Bパート

作・ヒロポンさま

 


 

2月13日(Xデー前日)

 

 

カーテンを開けると、清浄な朝の光が、腫れぼったい目の奥に射し込んできた。適温に調節された部屋の中に柔らかい熱が染み渡る。

シンジは目を細めて、朝日の中にたたずむ窓外の風景をぼんやりと眺めた。いつの間にか見慣れてしまった景色。立ち並ぶ家々とその向こうに見える稜線。下方の通りからは、エレカや朝早くから動き始めた人たちの音なき音が伝わってくる。

目に見える時間に、身体のチャンネルが少しずつ同期しはじめるのを感じたシンジは、足下に落ちた白い光を踏みしめて、彼らの寝室の大部分を占拠しているベットの縁に腰を下ろした。

彼の視線の先には、あどけない顔で眠る妻の姿があった。昨晩の名残をとどめない穏やかな寝顔は、よれよれのパジャマに少しくたびれた表情のシンジとは好対照。

満足しきったその様子に、シンジは少しだけ誇らしさを感じた。

 

「ぅん」

 

ぐずるような声を上げて、アスカが僅かに身をよじらせた。申し訳程度に身体を覆っていたシーツがはらりと捲れ美しい肢体がのぞく。

朝日に白い肌が輝いていた。さらさらと流れる栗色の髪の合間から、昨晩彼が付けた印が少しだけのぞいている。シンジは、かがみ込むようにしてその赤色に口を付けると、そのまま舌で柔らかな稜線をなぞり、桜色の頂点を優しく口に含んだ。

綺麗な人はいい匂いがするものだ。シンジは単純に普遍化し、その香りに混じる自分の唾液の臭いに倒錯した感動を覚えた。

柔らかな感触に包まれていた彼は、しばらくして、はっとしたように顔を上げた。視線は、最前見た彼女の内出血に注がれている。

彼は、慌ててベッドから立ち上がると、部屋の片隅にある姿見の前に立った。

 

「あっ・・・・やっぱり・・・・」

 

つぶやく声の行き先には、困惑した表情を浮かべた少年の姿が映っている。

シンジの首筋には、昨晩アスカがつけた所有印が、しっかりと残っていた。

 

 

 

惣流ユイカは、朝からご機嫌斜めだった。推定傾斜角45度。なかなかの角度である。

父親譲りの優しげな目元に、今は母親譲りの剣呑な雰囲気をまとわせて、玄関先で靴ひもを結ぶシンジの背中をじとっと見つめている。

隙なく着こなした制服といい、こうして見ると、昨晩自室で見せた幼い内面は微塵も感じられない。怒った顔は少女というよりも、むしろ大人っぽく、どこか鋭角的で不器用な女の形を体現していた。

女の形。当然かもしれない。ユイカは嫉妬しているのだから。

嫉妬の相手は、シンジの首筋についたキスマーク。

母親ではなく、母親がつけた印に嫉妬しているあたりが、今の彼女の複雑な心を如実に表している。

 

「あの・・・・ユイカ・・・・」

 

最前、白い光に包まれたダイニングで、彼の首筋についたものに気が付いたユイカが、にっこりと笑ってウィンナーにフォークをぶっすりと突き刺したのを目撃して以来、けなげにコミュニケーションを取ろうと努力し続けている彼女の父親が、華奢な背中越しに今日何度目かの情けない声を上げた。

 

「なぁに、パパ」

 

やけに明るい声で答えるユイカ。当然のことに、シンジは言葉を続けられない。指先だけが自動的に動き、毎日繰り返している作業を終えていた。

無言で靴ひもを結び終え、すっくと立ち上がったシンジを見て、ユイカの片眉がすいっとあがる。振り返ったシンジは、その顔を見て、引きつった愛想笑いを浮かべた。

 

「あの・・・・ごめん」

 

思わず謝る父親をユイカはかわいいと思った。

 

「どうしてあやまるの?パパ」

 

でも、ちょっとだけ意地悪をしてみたり。

 

「いや・・・だから・・・・ほら・・・」

 

いつの間にか、焼き餅を焼く娘に弁解をするのは当然のことと刷り込まれているシンジ。毎日を暮らすなかで、彼は、女としての娘の焼き餅を無意識に認めてしまっていた。

まぁ、ゆるしてあげてもいいか。そんなシンジの困った顔にすっかり満足したユイカは、にっこりと笑うと父親の首筋にキュッとしがみついた。

 

「えっ?ちょっとユイカ?」

 

制服に包まれた柔らかい娘の身体とアスカに似たいい香りに、おたおたとするシンジをちろっと見つめてから、ユイカは、父親の首筋についた赤い内出血に自らの唇を寄せた。

チュッ

 

「ユッユイカァ!?」

 

あわてふためくシンジ。

 

「えへへ」

 

ユイカは顔を上げると、ぺろっと舌を出して、

 

「ママと同じ虫除けだよ、バレンタイン近いから」

 

と屈託なく笑って見せた。

 

「さっ、学校行こう」

 

ただ赤くなるだけの父親の手に華奢な自分の手を軽く絡めて言う。すでにアスカは「なんで週番にあわせて、教師も早出なんかしなくちゃいけないのよ・・・・」などとぶちぶち言いながらも、出掛けてしまっているのだ。

よかった、機嫌直ったみたいだ。・・・・・・それにしても、ユイカ・・だんだんアスカに似てきてるな。

そんな父親の心の内は置いといて、惣流ユイカは、とりあえず今日もご機嫌だった。推定傾斜角0度。視界良好である。

 

 

 

惣流アスカ・ラングレーは、このあたりではちょっとばかり有名な美人である。しかも、絶世の。単なる美人は珍しくはないが、絶世の美人となるとそうはいない。したがって、彼女が教師として勤める、ここ第三新東京市第二中学校では、教師・生徒を問わず彼女に憧れている男は多い。

しかるに、教室はもとより職員室に於いても、彼女に面と向かって声をかけてくる男は絶無に等しい。なぜならば、彼女は見るからに無理目な女だからである。声をかけるのも憚られるほどの。むしろ、彼女の周りには男性よりも女性のほうが集まってくる。女手一つで子供を育てながら、輝かしいキャリアを積んできた女教師は、その猛々しいともいえる美貌と知性で、同性から嫉妬よりも羨望をかき立てているのである。

と言うわけで、ぶちぶち文句を言いながらも、早出の当番で職員室の鍵開けだの週番たちの監督だのという仕事にいそしんでいたアスカの周りには、今日も、きゃいのきゃいのと姦しい女生徒たちがオプションのようにまとわりついていたのであった。

 

「だぁぁ疲れた。あぁぁぁ疲れた」

 

アタシは絶対あんな風じゃなかったわ。アスカは、先刻まで自分の横で、速射砲のように話し続け、笑いカワセミのようにケタケタと笑い続けていた女生徒達の顔を思い出しながら、職員室の自分のデスクで、こりこりと肩を鳴らした。ちなみに、疲れの主な原因は寝不足にあるのだが、本人にその自覚はない。

肩を鳴らした後で、ぎゅっと伸びをする。こういう無造作な仕草が、嫌みなほどの美貌に親しみやすさを与えていた。

 

数分後

 

「どうしてあの娘達って、朝からあんなにテンションが高いのかしら」

 

自分で入れた紅茶で一服しながら、ぽけらっとアスカが呟いた。

 

「しょうがないんじゃないですか、若いんだから・・・・・」

 

なにやら書類を整理している山岸マユミの向こう側で、マユミと同期の社会科教師−山田ツカサが、お茶を飲みながら、眠そうな声で答えた。

アスカ・マユミ・ツカサと三人のデスクは並んでいる。別に教科別とか性別で分けたとか、そんなわけではなく、ただ単にこの学校に赴任してきた順だ。奥に行くほど古株。いいかげんなものである。

 

「バレンタインも近いしねぇ・・・・。いつもの三割り増しは浮ついてたわ」

「いいんじゃないですか、若いんだから・・・・」

 

二人に挟まれて、分厚いハードコピーの山を整理し続けているマユミは、何であたしだけ仕事してるんだろ?などという、もっともなことを考えていた。

 

遠くの方で、ざわざわと生徒達の登校する気配がする。HRにはまだ早い。新聞を読んだり、水虫の薬を足につけたり、適当に時間をつぶしている教師達。そんな教師連を後目に大量の書類を整理していた山岸マユミも、やっと仕事をなし終えて、わざわざ持参した梅こぶ茶をふうふうと吹いていた。

 

「ねぇマユミィ、今年のバレンタインどうする?」

 

暇になったマユミに、山田ツカサが問いかける。

バレンタインどうする?言わずもがなの義理チョコの相談である。お互いに相手がいないことを確認する作業でもあったりもするところが、ちょっと悲しい。

 

「ああっ・・・・また去年みたいに、二人からってことにして、各学年主任に箱ごと一個ずつ、校長と教頭にはネクタイってことでいいんじゃないかしら」

「ふぅん・・・・そんなところか・・・・無難なのが一番よね」

 

色気も素っ気もない会話だ。

 

「あんた達、そんなつまんないこと毎年やってるの」

 

マユミの隣に座った色気も素っ気もある私生活の持ち主が、あきれた調子で言う。

 

「人付き合いの潤滑油というか・・・惰性というか・・・」

「惣流先生も相乗りします?」

 

遠慮がちにマユミが聞く。

 

「えっ・・・・う〜ん、私はパス・・・・。初めて人にあげるバレンタインチョコが義理チョコっていうのはねぇ・・・・」

「えっ・・・惣流先生は、男の人にチョコあげたことないんですか?」

 

驚いて問うマユミ。ちなみに梅こぶ茶は、まだ一口も飲んでない。

 

「そうなのよ・・・」

 

肯定する顔はどこか寂しげ。クォーターと言うわりに小作りで日本的な目鼻立ちにさす陰を見て、マユミは、綺麗な人ぉと改めて見とれてしまった。

 

「ユイカちゃんのお父さんにもあげなかったんですか?」

 

あけすけな性格のツカサに、マユミはちょっと眉をひそめた。じっくりと絵画を鑑賞しているときに、邪魔をされたような気分だった。

 

「そうなのよねぇ・・・・あげたことなかったのよ。あの頃は、それどころじゃなかったし・・・・そんな慣習も知らなかったしね・・・」

「14年前って言えば、第三が一番大変だったときですものね・・・・・・・」

 

優しい視線で宙に浮かんだ追憶を撫でるアスカの横顔に、マユミは取り繕うような台詞を呟くことしかできなかった。寂しそうな風情にうたれたからではない、幸せそうなその様子が、なんだかとてもうらやましかったのだ。

 

まあ、それはそれとして、梅こぶ茶は、すっかりぬるくなっている。

ツカサは、デリカシーのかけらもなく、ぱりぽりとお菓子を食べ続けていた。

 

 

 

虫に刺される。その痕が痒くて掻いていると血がでてしまう。なかなか血が止まらなかったので、絆創膏を貼ってみる。

そんなことは、よくあることである。男子中学生が、年上の奥さん兼担任教師にキスマークをつけられて、その上、それを発見して焼き餅を焼いた同い年の娘にそのマークをなぞるようにキスされてしまったなどという奇想天外な話に比べれば、虫に刺されて云々なんて言うのは、よっぽど穏当な、というか話の種にもならないありふれたことだ。

そういうわけで、碇シンジは絆創膏を貼っていた。虫除けが虫除けとして機能するには、いささか年齢が若すぎたからである。とはいえ、アスカとユイカの心づくしは、念のたっぷりこもったおまじないとして、シンジの心をしっかりと捕まえている。

たまに気になるのか、彼が首筋に手を遣るのがその証。

今もまた、無意識に行われたその仕草を、霧島マナは、じぃぃぃぃぃっと見つめていた。

 

「う〜ん、怪しい・・・絆創膏の下は実はきすまぁくだったりして・・・・・・・・・・・・なぁんてね・・・・そんなわけないか・・・・」

 

シンジに向けた視線はそのままにぽつりと呟くマナ。少し疲れたような気の抜けた顔。

肉付きの薄いほっそりした頬を右手にのせて頭を支えていたのだが、それもズズッと下にずれていって、そのまま机に突っ伏してしまった。

 

「ふにぃぃぃ」

 

ダレダレである。

ちなみに今は、朝のHRの真っ最中。教壇でつまらなそうに連絡事項を伝えていたアスカが、マナのことをちらちらと見ているのだが、シンジに見とれている当の本人は気付いていない。

人を好きになることが、こんなに疲れることだとは思ってなかった。それが、マナの正直な感想である。先走る思考。脳味噌が勝手に稼働して、ああだこうだどうだそうだと、とにかくいろんな事を考えてしまうのである。

すでにマナは頭の中で、シンジに23回告白して、13回成功。地海空すべての場所でデートしたあげく、11回結婚して3回浮気され、2回離婚し1回再婚していた。

ともすれば不安な気持ちでいっぱいになりそうな心の内を、めいっぱいの妄想で飾り立てているのだ。乙女心は複雑怪奇である。

マナは、このどうにもコントロールできない心の内をはやくなんとかしたかった。シンジへの想いを前向きに自覚してからまだ一日も経っていないのに、とにかく、もうへとへとなのである。せっかちで、即物的な少女は、果てしない思考の果てに確かな現実こそを切望していたのである。どのようで形であれ・・・

というわけで、

 

・・・・・・もっと碇君と親しくなりたい。彼のことがもっと知りたい。なにより、このもどかしい感じをなんとかしたい・・・・・・。そのためには・・・・・・バレンタイン、やっぱりこれっきゃない

 

可愛いエゴイズムを胸に抱きながら、彼女は、想い人の横顔を見つめ続けていたのであった。

 

 

 

二時間目の休み時間は、15分。昼休みを除いての最長時間である。

普段なら、舌の向くまま気の向くまま、授業でため込んだ鬱積を晴らすように友人としゃべりまくるその時間帯に、加持ミユキは職員室を訪れていた。

当然本意ではない。朝のHR終了直前に担任の教師から、「あっ、そうそう。加持さんは、あとでちょっと私のところに来てね・・・・」とお声がかかったので仕方なくだ。

 

陽光の差し込む廊下よりもずっと暗い職員室の端で、ノートパソコンをいじっていた担任に声をかけると、職員室横にある生徒指導室で待っているようにとのお達しを受けた。なにかしでかしたの?と心配そうに目で問うてくる副担任に、にっこりと笑ってからその場を辞す。

数十秒後、ミユキは、生徒指導室の革張りのソファに深く腰掛けて、上履きのつま先をゆらゆらと揺らしていた。元々校長室に置いてあったソファは無意味なほどにふかふかとして座り心地が良い。

彼女がこの部屋に来てたいしてしないうちに、担任の教師が扉を開けて入ってきた。わずかに香るフレグランスが、殺風景な部屋の雰囲気を柔らかなものにしていく。

 

「わるいわね。呼び出しちゃって」

 

全然悪いと思ってないような声で言うアスカに、ミユキは微笑ましいものを感じて口元をほころばせた。

 

「いいえ。で、なんですか、アスカさん?」

「・・・・・先生」

「あっ・・・はぁい、惣流先生」

 

おどけたようなミユキの声。呼び出された用件はだいたいわかっていた。間違いなくシンジがらみだ。少し前にもこんな事があった。そう、始業式の日にシンジとユイカの行方がわからなくてそれで・・・・・

 

「まあ、大した用件ってわけでもないんだけどさぁ。ほら・・あの・・・・明日はバレンタインよね?」

「そうですね」

 

歯切れの悪いアスカの質問に笑いをこらえながら答える。

 

「シンジ・・・・・・どのくらい貰えそうなの?」

 

さすがに照れるのか、のどの奥で笑うミユキから視線をそらせて、アスカはぷいっと明後日の方向を向いた。なんだかんだ言っても、気になって仕方がなかったのであろう。わざわざ自分を呼びだして、こんな事を聞くアスカをミユキは可愛い人だと思った。

 

「う〜ん、シンジさん可愛いし、結構ファンもいるみたいだから・・・・・義理も含めて、それなりにはもらうと思いますよ。・・・・ただ、シンジさん結構独特のオーラを発してるから・・・・・・あんまり話している子とかも居ないみたいだし、正確な数はわかんないです」

「・・・・そうなんだ。シンジ、他の子とあんまり話さないのか・・・。ねぇ、話さないのは女子だけ?」

「う〜ん、男子もかなぁ」

「そっか、あんまり友達いないのかしら?」

 

少し心配そうな顔。シンジの交友関係には、彼女も思うところがあったらしい。

 

「そう言う訳じゃないみたいだけど、特に親しいって感じの友達はいないみたいですね・・・・・・。女子では、しょっちゅう話しかけてるのはマナくらいかなぁ」

「霧島マナね」

 

こんどは途端に不機嫌な顔。正直な人だとミユキは思った。わかりやすいにもほどがある。

 

「そうです・・・・・霧島マナです」

「今朝、ずっっっっっっっっっっとシンジのこと見てたわ。あの女」

「あの女って・・・・」

 

なるほど、それでバレンタインが気になり始めたのね・・・・・

と呆れながらも納得するミユキ。

 

「絶対、シンジにチョコあげるわね・・・」

「そうでしょうねぇ」

「あの女以外にも、何人かの女の子からもらうだろうし・・・・・」

「そうでしょうねぇ・・・・・」

 

もはや相づちを打つ以外、反応のしようがない。

窓の向こうのグラウンドでは、短い時間を縫って男子達がサッカーをしていた。アスカは、なにやら考え込みながら、右に左に転がるボールを目で追っている。ミユキは、その様子を見つめながら、なにやらいやな予感にとらわれていた。かつて、ユイカの誕生会で、レイが作ったバースデーケーキの最後のひとかけらを、ユイカの友達を押さえて食べてしまったときの。もしくは、ネルフの新年会で行われたビンゴゲームで、タッチの差でミユキの母ミサトに最新のエレカをかっさらわれた腹いせに、酔いつぶれたミサトの顔に卑猥な落書きをしたときの・・・そのほか諸々の唯我独尊、わがまま全開のアスカの姿が脳裏をかすめていく・・・・・・。

 

「担任権限で、校内でのチョコの受け渡し、禁止に出来ないのかしら・・・・」

 

・・・・・・ほら、来た

はふぅと物憂げにため息を吐きながら漏らしたアスカの言葉に、妙なリアリティを感じて、ミユキの頬にチィーっと汗が流れた。

 

「アスカさん・・・・それはちょっと・・・」

 

おそらくは、単なる思いつきを口にしただけなのだろう。しかし・・・・・・

 

「・・・・・ふぅん・・・」

 

控えめな諫言に耳を貸さずに、さらさらと流れる栗色の髪を肩に流して考え込む姿が、「アスカさんならやりかねない」というミユキの危惧を、シュコシュコと膨らましていく。

 

「あの・・・・・アスカさんも、ほら、せっかくだからシンジさんに・・・」

 

取りあえずフォローを入れてみるミユキ。

 

「手作りチョコとか・・・」

 

しかし、不機嫌そうな視線にさらされて、語尾が小さくなっていく。

それに、返ってきたアスカの答えと来たら・・・・・・

 

「やぁよ、手作りなんかしたら、ユイカと比べられるもん」

 

まるで子供だ・・・・

 

「でも、こういうのは愛情の問題ですから・・・」

 

子供にはわかりやすく言って聞かせなくてはならない。粘る彼女は、いっそ見事だった。なにしろクラスのバレンタインがかかっているのである。責任重大なのである。

 

「・・・・・」

 

アスカは、再び沈思黙考モードに入った。窓の向こう、視線の先のグラウンドには、サッカーボールが一つ、蕭然と転がっている。休み時間もそろそろ終わりだ。

つまらなそうにグランドから目を背けたアスカは、再びミユキに視線をくれて口を開いた。

 

「冗談よ。じょーだん。ちょっと言ってみただけ。・・・・・ふぅん・・・でも、手作りの件は検討に値しそうね・・・よし、ちょっと頑張ってみるか」

 

ほんとうに言ってみただけぇ?と一瞬思わないでもなかったが、とりあえず、ミユキはほっとため息をついた。

当のアスカは、最前までのアンニュイな雰囲気はどこへやら、今度は訳もなく上機嫌で、なにやら夢見心地の様子。少しうつむいて、にやにや笑ってみたりして・・・・

ミユキも災難である。

 

「あの・・・・ところで、ものは相談なんですが・・え〜っと・・・私もシンジさんにチョコあげて良いですか?」

 

微妙に薄幸な少女は、一段落吐いたところで、おずおずとアスカに話しかけた。

なにやら妄想に浸っていた顔が上がり、青い瞳がミユキをとらえる。

 

「一応、ほら、なんというか・・・・・その・・・お世話になってるし、あの・・・やっぱり、小学生の時みたいに、毎年毎年わけのわかんない下級生の娘達から貰うばかりで、自分から男の子にチョコあげないってのも体裁悪いですし・・・そっちの趣味があると思われるのもいやですし・・・それに、シンジさんは、その・・・・あの・・・・」

 

相談が相談だけにしどろもどろになっていく。アスカの怖さは骨身にしみてわかっているミユキである。

 

「・・・・・・・・許可」

 

キャラクターにないおたおたした様子に何を見たのか、一瞬にやりと笑ってから、アスカは自らの権限によりミユキの申請を聞き入れた。本来は許認可制なのである。

 

「はははっ・・・どっ、どうも」

 

卑屈な笑顔で礼を述べるミユキ。

 

「じゃあ、戻って良いわよ」

 

悠然と述べるアスカに、

 

「では、そういうことで」

 

と空元気気味に敬礼すると、ミユキはどっと疲れた様子で生徒指導室を後にした。

それから教室に戻るまでの道のりは、どこもかしこもがらがらだった。休み時間はとっくに終わっていたのである。

 

 

 

ミユキが、3時間目の授業を執り行っていた数学の教師に白い目を浴びせられていた頃、職員室に戻ったアスカは、自分のデスクにとりついて、携帯を手にしていた。

さすがに授業中なので職員室は閑散としていた。残っていた数人も、次の授業の準備をしているのか、室内は静寂に包まれている。

 

「ふんふんふん♪」

 

そのシンとした空気の中を、携帯のボタンを押すアスカの鼻歌がへろへろと流れていた。バレンタインできゃいのきゃいの騒いでいた女の子達やHRでの霧島マナの恋する乙女チックな視線に、なんだかついていけない壁のようなもの感じて、面白くなかった彼女であったが、今はすっかり上機嫌だ。

失ってしまった時間が感じさせる傷は、今を生きている教え子達の前で余計にひりひりと痛むけど、得ることの出来なかった季節は、形を変えて彼女の元にやってきていた。

 

・・・トルゥゥゥゥゥプッ

アスカの電話の相手は、ワンコールで電話口にでた。

 

「はい」

 

硬質で透明な声。綾波レイである。

 

「あっ、レイ。あたし」

「アスカ・・・・なにかしら?」

「今日の夕方、アンタんちに行くから」

「そう」

「よろしくね」

 

素っ気ない返答に怒りもしないのは、長いつきあいのたまものだ。

 

「あっ、それと、あんた今日は早番だったわよね。ちょっと買ってきて欲しいものがあるんだけど」

「なに?」

「あんたにとっても必要なものよ・・・・えぇっとねぇ・・・・・」

 

・・・・・・

 

明るく響く声に、その場に居合わせた教師連がなにごとかと目を向ける。しかし、お日様のような笑顔で見つめ返されると、全員が全員、年甲斐もなく頬を染めて視線をそらせた。

 

 

Cパートに続く

 

  


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