第七話Cパート

作・ヒロポンさま

 


 

昼休みの教室では、生徒達がそこかしこで机を寄せ合って、昼食を食べていた。やや閑散としているのは、それぞれ思い思いの場所に出かけて食べるものが多いからだろう。机の白い天板がぽつりぽつり。窓外の真昼の太陽のせいで、その白が薄暗い空間にぼやっとにじんでいた。

そんな教室の中で、その一角だけが華やかに色づいていた。

 

「数学の葉山って、怒ると鼻の穴がぴくぴく動くじゃない。それが、おかしくってさぁ。怒られたことより笑いを堪える方が辛くって、もう、大変だったわ」

「とりあず、授業がストップしたのはラッキィだったわよね」

「それよりさぁ、どうして遅れちゃったのよ?」

 

いわずもがなの加持ミユキ・霧島マナ・惣流ユイカの3人組である。この第二中学校選りすぐりの美少女達に囲まれて、碇シンジが黒一点、ぼそぼそと食事をとっている。ある意味、女慣れしている恐るべき中学生であったが、こういう状況はいかんともしがたい。

それは、他の男子達にもいえること。女の子には近づけても、女の子達にはなかなか近づけるものではない。張り巡らされた防壁。加えて遠巻きに突き刺さる嫉妬と羨望の視線。シンジが、未だに特定の男の友人が出来ないのには、こういう状況にも原因があるのだろう。

 

シンジとユイカの弁当は、色彩が同じ。二人で作ったモノだから当たり前だ。

たまに、互いの作ったモノに箸を向けたときは、意味ありげに視線を交わしたりして、勘ぐろうと思えばいくらでも勘ぐれる、いい雰囲気の二人である。

 

ここのところ新しく昼食のメンバーに加わったマナは、そんな2人の様子を気にすることもなく、ポテトサラダを箸に乗っけながら、他のメンバーの弁当を眺めていた。若者故のハングリーさからくるものではなく、ともすればシンジをじっと見つめてしまう自分の視線を逸らすためだ。

好意を漠然とだけ感じていたときは積極的に話しかけられたのに、積極的に行こうと思った途端に、意識しすぎて何もできない。

 

−ああっ、こりゃほんものだわ・・ほんとに碇君のこと好きなんだ・・それにしても・・・・ポテトサラダ美味しいし・・・あっ・・・ユイカの卵焼き美味しそう・・・・・・って碇君のも美味しそう・・・・んっ?

 

今更ながらの思考をなぞりながら、果てしない意味不明の世界に沈降していく意識が、あることに気が付いてぶくぶくと浮上してくる。そして、喉元を通り過ぎて、ぷかっと口の中から出てきた。

 

「ねぇ・・・・ユイカと碇君のお弁当、なんで中身が同じなの?」

 

 

瞬間、ミユキとシンジの動きがピタッと止まった。それを横目で見ながら、たこさんウィンナーを捕獲したユイカは、にっこりとマナに笑って見せる。

 

「ああっ、私が両方作ってるからだよ」

 

ふてぶてしいまでに自然な表情で、しれっと答えた。友達に嘘を付くのは気がひけるが、場合によっては躊躇い無くスラスラと言葉が出てくる。確かに彼女は、アスカの娘だった。

 

「シンジ君の家は、レイ母さんが忙しいからお弁当作れないのよ。だから、私がシンジ君のぶんもついでに作ってるってわけ」

「レイ母さん?」

 

あたえなくてもいい情報が、思わずぽろっと。確かに彼女は、アスカの娘だった。

 

「あっ・・・・・・」

 

えっと・・・パパと私は親戚って設定だから・・・レイ母さんは・・・えっと、おばちゃんって言った方がよかったんだっけ・・・前に説明したときは、なんていったかしら・・・食い違ってたら流石にまずいわよね。でも、覚えてないかも・・・えっと・・・ああっ・・どうしよう・・・・

 

焦りまくったユイカの思考。ほったらかしの、たこさんウィンナー。

 

「ほら、ユイカのところって、お母さんだけだったでしょ。それで、小さい頃はよく碇君のところに預けられてたのよ。だから、碇君のお姉さんは、ユイカにとってもう1人のお母さんみたいなもんなのよ」

「ああっ、それで、レイ母さんなんだ」

 

ミユキ、ナイスフォロー。

 

「そうなのよぉ」

 

この際、シンジが昔第3新東京市にいたという設定がなし崩し的に出来てしまったことには目をつぶって、ユイカはミユキの発言に乗った。ついでに、誤魔化すように、たこさんを口の中に放り込む。もぐもぐもぐ。たこさんも本望であったろう。

 

「ってことはぁ・・・ユイカと碇君って、親戚でもあり幼なじみでもあるわけか・・・」

 

自分の発言を受けて感慨深げに呟くマナを見て、ミユキは、「マナも、よくやるわ」と思った。もし自分に好きな人が出来たとしても、こうまで積極的にはなれないだろう。尊敬に値する。もちろん、今自分の横で、霧島マナの発言に警戒心をあらわにしている親友のことも。

 

まぁ、わたしにゃ関係なかけんね。

テレビで聞き覚えた謎の方言で、そんなことを思いながら、もくもくとクリームパンを平らげるミユキ。なんだか今日は妙に疲れている。フォローはしたし、もう混ぜっ返す元気は残っていなかった。

適温に調節された教室内。時折開閉する扉の彼方から聞こえてくる人のざわめき。窓越しに見える青い空。これでお腹が一杯になれば、後はもう寝るしかない。

 

 

「じゃあ、碇君って、前は第三に住んでたんだね」

 

とろんとした瞼のミユキが、クリームパンの最後のひとかけらを口に入れたところで、マナが再び口を開いた。

 

「・・・・うん、大分前のことだけどね」

 

困ったようなシンジの顔とむむって感じのユイカの顔を、もしゃもしゃと口を動かしながら眺めるミユキ。

 

「今どこに住んでるんだっけ?」

 

立て続けに質問するマナに、ミユキの眠気もだんだんと覚めてきた。手に持ったクリームパンのビニールをくしゃくしゃといじりながら、ユイカのことをちらっと見る。

 

必死になっちゃって・・・・ほんと、可愛い娘よねぇ・・

 

のんべんだらりと考えながら、脳細胞再起動。何しろ秘密の多い二人のこと。加えて、父は口べたで娘は自爆気味なのだ。いざというときには、ミユキのおおざっぱかつ強引なサポートが必要なのである。

 

「ああっ・・えっと・・・大きな池のある公園のそばに建ってるマンションなんだけど・・・」

 

たどたどしく答えるシンジ。

大きな池のある公園とは、レイのマンションのそばにある例の公園だ。ユイカとシンジの寄り道ポイントで、ミユキもよく付き合わされる。

 

「ああっ、あそこか・・・・ねぇ、ユイカは、碇君の家行ったことあるの?」

「あるけど・・」

「ねぇねぇ、どんな感じ?」

「えっ・・・普通かな・・・普通よねミユキ?」

 

天真爛漫に聞かれたところで、あのマンションにはシンジの部屋などないのだから答えようがない。ユイカは、自分の言葉の空虚さを知っているが故に、求めなくても良い同意をミユキに求めてしまった。

 

「そうね、普通よ普通」

 

ミユキの答えに、マナは意外そうな顔をした。

 

「なんだ、ミユキも行ったことあるんだ」

「えっ、ああっ、うん」

 

頷きながら、ミユキには、次の展開が何となくわかってしまった。これはもうサポートのしようがないだろう。多分・・・・

 

「ねぇ、碇君、今度私も行っちゃ駄目かなぁ?」

 

・・・やっぱり。

こう来ると、お人好しの碇シンジ氏はこう答えるしかないわけで。

 

「あっ、うん・・・・今度ね」

 

その言葉に、ユイカがにっこりと笑ってシンジを見、シンジも引きつった笑顔を返した。微笑ましい光景だ。端から見れば・・・・

 

「やったぁ」

 

箸を持ったまま拳を握りしめて嬉しそうにしているマナと、不穏な空気を漂わせて見つめ合う親娘を交互に眺めながら、ミユキは、ふぅっと本日2度目のため息をついた。それから、何の気なしに、手に持ったクリームパンのビニールを口元に持っていくと、ペラペラのそれをプゥッと膨らます。

 

 

数秒後・・・・・・・

 

パンッと乾いた音が、教室に響いた。

 

 

「ミユキぃ」

「ごみぃん、ちょっとやってみたくなったのよぉ」

 

 

 

 

 

 

じりじりと動く針先の向こうに、体育館横の水道から落ちる水滴の音や、下校途中に立ち寄るコンビニの品揃え、友達とのたわいもない会話に、部屋で自分を待っている柔らかなベットの感触・・そんな諸々のイメージがちらつきはじめると、並足だった時間が駆け足で過ぎるようになる。

そんな風に、午後の授業をあっという間に駆け抜けて、鼻歌混じりでHRも通り過ぎると、そこはもう放課後だ。

 

妙に機嫌のいい担任教師が、右手をひらひらさせながら教室を去ったのを確認してから、霧島マナは、鞄をひっつかんで、勢いよく席を立った。赤茶色の髪が揺らめく。その視線の先には、繊細な顔立ちの少年の姿があった。

制服に包まれたしなりのよさそうな細身の身体が、雑然とした教室を横切って行くころには、その少年もまた帰り支度を終えていた。

 

「あぁ、ちかれたちかれた」

 

けだるそうに首を回しているミユキと、通りすがりの友人達となにやら話しているユイカに挟まれた碇シンジが、確認するようにマナのことを見てから、鞄を持って立ち上がる。

途中までとはいえシンジと一緒に帰るようになって数週間。自分の存在が少年に認知されていることに、マナはちょっとした幸福感を覚えた。

 

「じゃあ、また明日」

 

ユイカが友人達に軽く手を振るのを見届けてから、シンジが教室の出口に向かう。その背中に、三人の少女がオプションのように付いていく。最近では、おなじみになったその光景に、教室に残ってだべっていた数人の男子が、虚しいため息を付いた。

 

 

 

 

放課後の職員室。

 

「あらあら、惣流先生は、お早いお帰りで・・・」

 

見慣れたエレカが校門の前を通り過ぎるのを見て、無気力社会科教師山田ツカサは、デスクに張り付いているマユミに苦笑して見せた。

 

「で、わたしらはなにしてんだっけ?」

 

ファイルケースの立ち並ぶ窓辺で憮然と呟く。学校帰りの生徒達が目の前をぞろぞろと通り過ぎていき、そこから桜並木とフェンスを挟んだグラウンドでは運動部員が用具をよたよたと運んでいる。

 

「・・・仕事」

 

なにやら書類に記入をしていたマユミの顔が上がり、さらに付け加えて言う。

 

「惣流先生は、仕事早いからね・・・」

 

肩にかかった髪を背中に流し、めがねにちょっと触ってから、マユミは再び仕事にかかる。その素っ気ない対応に、ツカサは肩をすくめると、再び窓外に視線を戻して疲れたように呟いた。

 

「ああっ・・・明日はバレンタインだってのに・・」

 

だってのにもなにも、何の予定もありはしないのだが。

 

「しょうがないでしょ・・・。ねぇ、それよりさぁ、校長のネクタイって、どんな柄が良いかなぁ・・・」

「そんなもん、買いに行ってから決めればいいじゃない。どうせ義理なんだからさ」

「もう、知ってるでしょ。私は、こういうのって最初にイメージ作ってから行かないと、なかなかその場じゃ決められないのよ」

「マユミ、決断力ないもんね・・・」

 

ツカサは、親友の過去の所行を脳裏に浮かべながら、しみじみと言ってみせる。

そのままぼうっと、下校する生徒達を眺めていた瞳が、好奇心にキランと輝いた。

 

「おっ!碇シンジ君は、今日もモテモテですなぁ・・・・」

 

視線の先には、三人の少女に囲まれて歩く、華奢な後ろ姿。

 

「ツカサ・・・・人の話聞いてる?」

「聞いてる聞いてる・・・・そんなん、あれよ、無難柄で良いのよ。無難柄で」

「・・・・無難柄って、どんな柄よ」

 

憮然としたマユミの声が、人間ウォッチングを楽しむツカサの横顔をすり抜けていった。

 

 

 

 

 

 

青い空に白い雲。ゆるゆると吹く涼しい風。

角度を失った太陽からのびる、細くて長い光線が差し込む白い部屋。窓辺では、ライトグリーンのカーテンがひらひらと揺れている。昼寝には丁度良い午後のひととき。窓の向こうにあるベランダには、木製のデッキチェアと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その上でくつろぐ一羽のペンギン。

 

「クワッ・・・クゥルゥルゥ」

 

さりげなくシュールな光景が、平凡な日本の午後に紛れ込んでいるこの場所は、言わずもがなの碇レイの部屋である。

 

プシュ

 

「・・とに、何でそんなにたくさん買って来ちゃうのよ」

 

圧縮空気の抜ける音とともにドアが開く気配がして、玄関から騒々しい声が聞こえてくる。

 

「碇君、チョコレート好きだから。それに・・・きっと必要になるもの」

 

ガサガサと鳴るビニールの音とともに、この部屋の主の声が響く。

 

「クエッ」

 

ブリリアントな午後を堪能していた、元野良ペンギンのペンペンは、よたよたとデッキチェアから下りると、彼の友人達を出迎えるために玄関へ歩いていった。

 

 

 

 

「そこでボールをお湯から上げて、こっちに移して・・・・そう・・・」

 

レイの指示に従って、溶かしたチョコレートが入ったボールを、水を張った盥(たらい)につけるアスカ。綺麗な栗色の髪をポニーテールにしている。熱気にさらされてうっすらと紅潮した頬にかかる後れ毛。紺碧の瞳は真剣そのものだ。

 

「そうしたら・・・木杓子で、ゆっくりとかき混ぜて。水が入らないように・・・」

 

流しに手をついて、アスカの手元を覗き込んでいるレイ。

さっきまで、かまって欲しそうに二人の周りをうろうろしていたペンペンは、飽きてしまったのかリビングのソファに座っている。開け放たれた窓から吹く風に目を細め、時折がちゃがちゃという物音にキッチンをのぞき見る。パイロットとして受けていた訓練の名残か、バランスの良い二人の立ち姿。栗色と水色が、並んでいる。その光景に、何の感慨も抱くことなく、彼は再び遠くの空を見た。

 

 

「結構面倒くさいのね。・・・・・ユイカも、こんな風にして作ったかしら。・・・ふふっ・・・あの子にも困ったもんだ。自分のパパにねぇ・・・」

 

アスカは、チョコを混ぜながら、娘が聞いたら、びっくりするようなことをさらっと口にした。ペンギン騒動での焼き餅っぷりや、普段の態度を見ればわかる。父親に対して抱くものとは微妙に違う気持ち。母親は何でもお見通しなのだ。

 

「しかたないわ。あなたの娘だもの」

 

ぐるぐると回るチョコを見ながら、アスカのつぶやきに、レイが答える。

 

「ある意味、アンタの娘でもあるでしょ」

 

同じものを見ながらアスカ。視覚に引っ張られて、無防備になった自分の意識を感じている。気の置けない友達がいるのは良いものだ。なんとなくミサトとリツコの二人を思いだして、彼女の口元にうっすらと笑みが浮かぶ。

 

「そうね。・・・しかたないわね」

 

親友の言葉に、その笑みがさらに深くなった。

 

「・・・・シンジが悪いんだぁ。あんなに綺麗な顔で笑っちゃってさ。あれじゃぁ、たいがいの子はメロメロになっちゃうわよ」

「碇君可愛いから」

「可愛いか・・・確かにね。でも、可愛いだけじゃないわよ。シンジは、そのうち絶対いい男になるわ。はぁ・・・なんだか心配」

「心配ないわ。碇君なら・・・・・」

 

一点の曇りもない信頼の表出に、アスカは、優しいような呆れたような、何とも形容しがたい視線でレイを見る。そして、答えるように微笑む顔から視線を逸らすと、止まっていた手を再び動かしはじめた。

 

「ふっ・・・・ふふっ・・」

 

ふいに、何かを思いだしかのように、アスカが口元を緩ませた。今日の彼女はよく笑う。栗色のしっぽをゆらして、肩を震わせる彼女を、レイが不思議そうな顔で覗き込んだ。

 

「なんだか変な感じだなっと思ってさ。・・・・レイと二人で、チョコ作ったり男の子の話したり。これってさぁ・・・もしかしたら、あの頃の、14年前のアタシ達がしておくべき事だったのかなぁ、なんてね」

 

ちらちらと横目だけを向けて、親友に答えると、アスカはまた1人で「ふふっ」と笑った。

レイの方は、相変わらず不思議そうな顔で、ぐるぐるチョコをかき混ぜる手元を見ていた。澄明な瞳の奥に、はかり知れぬ思いの欠片をチラッと覗かせる。

 

「そう?私には、何をしておくべきだったかなんてわからない。・・・・私の心は、あの頃に生まれたようなものだから・・・・」

 

その言葉に、アスカは顔を上げると、手元についていたチョコレートをぺろっとなめた。

 

「甘い・・」当たり前のことを呟いた後、また白い手がくるくると回りはじめた。

「そっか・・・・。そう言われてみればアタシもそうかな。シンジや・・・あんた、ヒカリや2馬鹿達。いろんな人たちにあって、アタシも変わったもの。」

 

チョコが固まってきたのか、木杓子に伝わる感覚が重くなってきている。アスカはボールを盥から出すと、それにあわせて、レイが盥を流しに運んで、新しい水に張り替える。チョコを冷やしていた水が生温くなっていたのだ。

盥に水を入れる音を聞きながら、アスカは綺麗な水色の髪を見つめていた。そして、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 

「ねぇ・・・アタシ達二人とも、あの頃に生まれ変わったんだとしたらさぁ、二人ともまだ14歳って事になるのよね」

「そうね」

 

細い指が、キュッと蛇口を閉める音が、やけに大きく響いた。

 

「てことはさぁ、二人でチョコ作って、男の子の話してるのは、ある意味当然って事なのか」

「そうね・・・」

 

コトッと置かれた盥に再びボールがつけられた。何となく二人の目が合う。深紅と紺碧の瞳には、ハッキリとわかる笑いの先触れが浮かんでいた。

先に耐えきれなくなったアスカの顔が、笑いの波動で崩れだす。木杓子をチョコに突っ込みながら、彼女は声を出して笑いはじめた。現在の綾波レイが、中学校の制服を着て、まじめくさった顔で自分の授業を受けているイメージが頭に浮かんでしまったのだ。

 

「ふふっ、・・・・あんたとアタシが14歳か・・・・ぷっ・・・くっくっくっくっ・・・・・あぁぁ、自分で言ってて受けちゃったわ」

「アスカ・・・・」

 

わずかに伝わる優しい雰囲気で、やっとそれと分かるほどの僅かな笑みをたゆたわせていたレイが、アスカの手元に目を向けて、たしなめるような声を上げた。

 

「へっ?」

 

職場で見せる毅然とした表情はどこへやら、気の抜けた無防備な顔が、生真面目そうな無表情と対面する。

 

「・・・・・ボールに水が入ってるわ」

「ああぁぁぁぁっ!」

 

銀色のボールはチョコを乗せたまま、ブクブクと盥の中に沈んでいた。

 

「チョコ、たくさん買っておいてよかったわ」

 

アスカを見つめる瞳に他意はない・・・・・・はずだ。

 

「・・・・アンタ、性格曲がってきたんじゃない?」

 

呟く言葉に、綾波レイはにっこりと微笑んで見せた。

 

 

 

 

数分後

 

型に入れたチョコレートを冷蔵庫に入れて、全ての作業が終わった。

 

「ふぅ・・終わったぁ」

 

そう言ってソファにばたんと倒れ込んだアスカに、危うくつぶされそうになったペンペンが抗議の声を上げる。

彼女の口元には相変わらずの笑み。誰かのために何かを作るのは楽しい。ユイカが中学校に上がってからは、自らキッチンに立つことはほとんどなくなっていたが、久しぶりにやってみると、心地よい満足感があった。

 

「ねぇ、アンタも休憩しなさいよ」

 

アスカは、暴れるペンペンを膝の上に抱えて、キッチンでなにやらごそごそとしているレイに、焦れたように声をかけた。

 

「・・・・紅茶切らしたみたい。・・・買ってくるわ」

 

ポニーテールの先でペンペンの嘴をくすぐりながら、キッチンに目を向けると、レイはすでに財布を手にとって、簡単に身支度を終えていた。

 

「アタシは別に良いわよ。なんだって」

 

言いながら何を考えたのか、ペンペンに向けていたしっぽを自分の鼻先に向けてみたりする。

 

「・・・・・他にも買わなくてはいけないものがあるから、やっぱり行って来るわ。すぐ戻るから」

「そっか、じゃあ気を付けてね。アンタ、ぼーっとしてるから」

「留守番おねがいね」

「りょうかひ・・へっへっ・・へっくち!」

 

アスカはくしゃみで返事した。

 

 

 

 

 

 

時間は少しだけさかのぼる。

 

レイが買い物のために部屋を出ようとしていた頃、シンジ達は、学校から公園へと続く道の中途にある商店街を歩いていた。小規模の店舗がメインのこぢんまりした庶民的な商店街だ。ちなみに、この通りから東に延びているアーケドを真っ直ぐに行くと、モノレールの駅に着く。

 

「白玉あんみつでしょ・・・フルーツ蜜豆・・・・チョコ入りの鯛焼きに・・・・小倉あん入りの鯛焼き・・えっと・・・・・・・あと、なに食べたっけ?」

 

自らが胃の腑に流し込んだものを指折り数え上げるミユキ。

ちょっと前まで、四人は、馴染みの甘味処に立ち寄っていたのだ。

 

「ごまアイスでしょ」

「あっ、そうそう・・・・あの舌触りは絶品よね」

「ミユキは、食べ過ぎだってば」

 

呆れ顔のユイカ。

 

「寄生虫でも飼ってるんじゃない」

 

二人のやりとりを聞いていたマナが、ミユキのお腹をじっと見ながら、ぼそっとつぶやく。

 

「んなわけあるかぁ!」

 

 

そんな会話を交わしながら満足そうに歩く女性陣。その横で、シンジは一人、胸焼けを堪えていた。甘味処は女の戦場。そこに足を踏み入れた男は、無事に帰ることはできないのだ。

 

・・・・どうして、あんなに食べられるんだろう。

 

自分がそれだけの量を口にしたわけでもないのに、目にした光景が、胃をふくらませ、胸の奥にあついものをこみ上げさせる。

一緒に食べて、なまじその甘さを体験しているだけに始末が悪い。シンジとて、けして甘いものが嫌いなわけではないのだが・・・・。

 

「・・・・あっ串カツ」

 

そんな彼の様子に気付くわけもなく、ミユキは、これまた馴染みの総菜屋の前で、物欲しそうに立ち止まった。

 

ウプッ

 

シンジは、思わず胃に手をやった。

 

「もしかして、まだ食べる気?」

 

にっこりと笑ってユイカ。ちょっと怖い。

 

「だって・・ほら・・・甘いもの食べた後って、辛いものが食べたくならない?」

「・・・・駄目よ。駄目」

「いいじゃんちょっとくらい」

「やめときなさい。・・誰がどう見たって、食べ過ぎなんだから」

「・・・・育ち盛り」

 

口に指を当てておねだりするミユキ。細面の大人びた顔立ちだけに、あどけないと言うよりコケティッシュに見えるのはご愛敬だ。

 

「バランスも考えるの!」

 

ユイカは、両親とミユキにだけは押しが強い。ちょっとだけ大きな声に、通行人がちらちらと彼女達の顔を盗み見て行く。

少しだけ離れた場所でその様子を傍観しながら、ユイカは典型的な内弁慶さんだな、とシンジは思った。

とりあえず、じゃれ合う二人をなだめようと、彼が口を開きかけたその時、華奢な背中に耳慣れた声が掛かった。

 

「・・・シンジ君、ユイカ?」

 

彼らが振り向いた先には、食材の入ったビニール袋を片手に商店街にたたずむ、碇レイの姿があった。

 

 

 

 

「買い物?」

 

名目上の保護者に、シンジが問うた。

ミユキとマナから少し離れて、彼とユイカとレイがかたまっていた。その横を自転車や買い物帰りの人々が横切っていく。この時間帯、車両は進入禁止。

空は薄い青。アスファルトの黒さが増している気がするのは、陽光が衰えてきたからか。下校時間に商店街を席巻する学生服の群も大分まばらになっていた。

 

「・・・紅茶切れてたから」

 

ビニール袋を差し上げるようにしながらレイが答えた。

 

「そうなんだ」

「アスカ、家に来てるわ」

「へっ?ママ、レイ母さんの所にいるんだ」

「ユイカ達も来る?」

「行く行く・・・パ・・じゃなくって、シンジ君も行くよね」

「いや・・その・・一応、僕は・・弟だし・・・」

「あっ!・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「そっ、そっ、そうだよね。シンジ君はレイ母さんと住んでるんだもんね。はははっ、私なに言ってるんだろうね。はっははははっ・・・」

「はっはははっ・・・・ははっ・・・はっ・・」

「・・・・・・?」

 

 

誤魔化すように笑う二人を見ながら、加持ミユキは、嫌な汗をかいていた。

 

自覚あるのかしら・・・この親娘は・・・

 

ちょいちょい

 

「あの人誰?」

 

制服の裾を引っ張りながら問いかけてくるマナに、数瞬言葉を詰まらせる。

ミユキは、不自然すぎる会話をマナが不審に思っていないらしいことに、とりあえず胸をなで下ろした。

 

「レイさんよ。ほら、碇君のお姉さん」

 

初対面のシンジに、シンちゃんと呼んで良いですか?などと聞いた彼女であったが、やはり呼びにくいのか、他人のいるところでは「碇君」と呼んでいた。事情を知るものの前では、「シンジさん」。どうやら、彼女は、母親より控えめな性格のようである。

 

「・・あの人が・・」

「アルピノなの・・・綺麗でしょ」

 

付け加えるように言う。水色の髪に真紅の瞳は、時に、回り道を必要とするのだ。

 

 

「こんにちわ」

 

いつの間にか、涼しげな視線が、こそこそと話し合う二人を捕らえていた。

 

「こっ・・こんにちわ・・」

 

妙に緊張しているマナに、危うく吹き出しそうになりながら、ミユキもぺこりと頭を下げる。

 

「・・・あなたは、シンジ君のお友達」

 

ずいぶんと子供扱いした言い方だが、彼女が口にすると自然な感じがした。

 

「はい・・霧島マナっていいます」

「そう・・・」

 

それっきり沈黙。

 

ミユキ達には慣れ親しんだ間だが、マナにとってはそうではなかったようだ。彼女は、じれったそうに下唇を噛んでから、場を取り繕うように、口を開いた。

 

「あっあの・・・ミユキ達、これから碇君の家にお邪魔するんですよね」

 

どうやら、会話自体はしっかり聞いていたらしい。ミユキは、今日何度目かの嫌な予感を覚えていた。ミユキ達と言ったところがミソか・・・。

 

「えっと・・・・私も、お邪魔して良いですか?」

 

控えめな言い方だが、相手の退路はしっかりと塞いでいた。

 

「いいわよ。いらっしゃい」

 

答える方は、もとより逃げる気はなかったらしい。そもそも自覚自体有るのかどうか。

ユイカとシンジは、レイの後ろで彫像と化している。

 

「あたし、しぃらない」

 

ミユキは、「碇君、いいよね」と、改めてシンジからも了承を取り付けているマナに気付かれないように、ぼそりと呟いた。

もちろん願望だ。

 

 

 

 

 

 

つづく

 

  


読んだら是非、感想を送ってあげてください。

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