PreEpisode-01「攻守交代」

  


 

 

 

 

 

 

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第3新東京市立第壱中学校屋上

 

 

 

 

蜩の声…。

 

 

 

「…えらい遅いなぁ。もう、避難せなあかん時間やで」

「パパのデータからチョロまかして見たんだ。この時間に間違いないよ」

「せやけど…出てけぇへんな」

 

ジャージ姿の鈴原トウジが呟いた瞬間。

 

鳥の羽ばたき。

何十という鳥が、一斉に木々の間から飛び立った。

 

相田ケンスケをはじめとするシンジのクラスメートたちが、どよめきを上げる。

 

今まで山であった部分がスライドをはじめ、中からミスマッチな内装むき出しの発進口が見えてくる。

 

「…山が動きよる」

「エヴァンゲリオンだ!」

 

トウジは半ば呆然と、ケンスケは興奮しきりに、発進口を見つめる。

 

エヴァ初号機、続いて零号機。

夕日を背に姿を現した2機の勇姿に、一同から歓声が上がった。

 

 

 

 

 

双子山仮設基地

 

 

 

 

「敵シールド、第17装甲板を突破!本部到達まで、あと3時間55分」

「四国から九州エリアの通電完了」

「―――各冷却システムは、試運転に入って下さい」

 

双子山山中、朝日滝付近。

響くアナウンスの声。

普段、あまり人の手の入ることのない山の中。

周囲は次第に喧噪を増し、それとともに、何ともいえない緊張感が漂い始める。

 

 

「精密機械だから、慎重にね」

 

 

シンジは、目の前の巨大なシロモノを、じっと見つめていた。

 

EVA専用改造陽電子砲―――通称、ポジトロンライフル。 

 

戦自研の自走陽電子砲を半ば強引に「徴発」という形で譲り受け、ネルフ仕様で組み立てられたものだ。 

 

「これを持って素早く動く…なんてことは、できそうにないですね」

「仕方ないわよ。間に合わせなんだから。もともと、野戦を想定したような兵器ではないもの」

 

継ぎ合わせ…という表現のぴったりする、幾本ものチューブやケーブルの繋がれた無骨な外見。

エヴァ本体と比較しても、相当の長重さが分かる。

シンジの呟きに、いつもどおり白衣の赤木リツコが、ファイルを片手に応答する。

 

「問題はないんですか?」

「理論上はね。けど、銃身や加速器が持つかどうかは、撃ってみないとわからないわ。こんな大出力で試射したこと、一度もないから」

 

どうとでも取れるシンジの問いに、リツコは、それを作戦に対する不安と解釈して説明を繋ぐ。

そうはいっても、パイロットを安心させるための無責任な保証などせず、推定される事象のみを淡々と語るあたりは、いかにもリツコらしいといえた。

 

シンジは無言のまま、ポジトロンライフルを見据えている。

その後ろ姿を、レイが見ている。

 

何やら周囲に指示を飛ばしていたミサト、葛城ミサト一尉が、シンジとレイを呼んだ。

二人に背を向けたままで、説明を始めるミサト。

 

「本作戦における、各担当を伝達します。シンジくん――――」

「いいですか」

「…なに、シンジくん?」

 

ミサトは両腰に当てていた手を下ろして、はじめてシンジを振り返った。

シンジは、軽く右手を上げていた。

 

「僕を防御担当にしてもらえませんか」

 

突然の提案に、ミサトは驚きを隠せない。

確かに、シンジを砲手―――つまり攻撃に、レイを防御にと指名するつもりだった。

しかし、それ以上に、シンジの方からこのような提案がなされたことの方が驚ぎだといえる。

 

「シンジくん…」

 

「…砲手を担当する自信がないの?」

 

リツコが、いつものように冷徹な視線を送り込んでくる。

容赦のないリツコの言葉に、ミサトは非難を込めた視線を送った。

 

シンジが弱気になったしても、それは無理もない。

あんなことがあったばかりだ。

先ほど姿を見せた時も、こちらを見て、泣きそうな顔をしていたし…。

 

 

 

そうじゃないですけど――――

 

いつものシンジから考えて、そんな返答を予想していたリツコは、次のシンジの答えに少なからず驚いた。

 

「はい。自信がありません」

 

リツコをまっすぐ見据えたまま、シンジははっきりと言った。

 

「…えっ?」

「…あのね、シンジくん。あなたに砲手を頼みたいのは、きちんとした根拠があるのよ。現時点で、シンジくんと初号機のシンクロ率は、レイと零号機のそれよりも高いの」

 

ミサトは、先ほどエヴァを起動した時の二人のシンクロ率を思い返しながら、なんとか説得を試みる。

シンジのシンクロ率は、第5使徒ラミエルに一方的に打ちのめされた後とは思えないほど高かった。

具体的に数値を示せば、通常、50%前後をさまよっているシンジのシンクロ率は、72.45%という驚異的な数値を示していたのである。

 

「今回の作戦では、より精度の高いオペレーションが要求される。だから…」

「すみません。でも…お願いします。」

 

ハァ…。

 

意外なほど頑迷なシンジに、ミサトは仕方ない、といった感じでため息をついた。

片手で顔を覆って、天を仰ぐ。

 

「レイ」

「はい」

「砲手、お願いね」

「......はい」

「ミサト!」

 

リツコが驚いて、抗議の声を上げるのを、ミサトは片手を上げて制した。

 

「仕方ないでしょ。パイロットが自信がないっていうんだから。無理にやらせたって、いい結果は生まれない。そうでしょ?」

「…責任は取れないわよ」

 

感情をねじ伏せる…というより、完全に突き放した口調で、リツコは背を向けた。

取り付くしまもないその背中を見やって、小さくため息をついたミサトは、次の瞬間、表情を引き締めた。

もう、あまり時間がない。

 

「…零号機のシールドは、初号機に換装。急いで!」

 

てきぱきと、周囲に指示を飛ばし始めるミサト。

 

「いい、レイ。あなたは、テキスト通りにやって、最後に真ん中のマークが揃ったらスイッチを押せばいいの。あとは機械がやってくれるわ。それから、一度発射すると、冷却や再充填、ヒューズの交換で、次に撃てるまで時間がかかるから…」

 

 

(すみません、ミサトさん)

 

ミサトがレイに説明するのを、シンジは横目で見ていた。

その呟きは、シンジの心の中だけで行われたので、気付いた者は誰もいなかった。

 

 

 

3

 

 

 

「…意外だったわね」 

 

シンジとレイが、プラグスーツに着替えるためにバンの中に消えると、リツコは独り言のように呟いた。

 

「何が…?」

 

慌ただしさを増した周囲の様子を眺めやりながら、ミサトは空返事する。

 

「シンジくんよ」

「ああ…攻守交代のこと?別に意外じゃないわよ。あんな目に遭った後ですもの。及び腰になったとしても、責められないわ」

「違うわね」

 

分かってないのね、と言いたげに、リツコは首を振った。

 

「シンジくんが臆病になっているとしたら、彼は迷わず砲手を選択するのではないかしら。実際、一発目を外したら、危険度は防御する側の方がはるかに大きいのよ?」

「それは…」

 

一瞬、口ごもってから、ミサトは言葉を継いだ。

 

「砲手であるレイを、それだけ信頼してるってことじゃないかしら」

「信頼?」

「ええ。レイはどんな時でも冷静さを失わない。今回のような精密さを要求される作戦では、彼女の冷静さは頼もしいと思うわ。一撃で使徒を仕留めさえすれば、防御側がリスクを負うことはない…」

 

言いつつも、ミサトは、シンジがそこまで考えるだろうか、という疑問を浮かべていた。

 

「信頼、ね」

 

鼻で笑われたような気がして、言ったリツコを少しにらむミサト。

 

「それに、あの子…いつからあんな顔をするようになったのかしら」

「…え?」

「ここに現れてからの彼。随分、落ち着いていたと思わない?」

「開き直ったんじゃないの?」 

「そうかしら」 

 

リツコにも、確たる自信があるわけではない。

ただ、さきほどの自分を見る少年の瞳に、これまでにはない光を感じたのは確かだった。

それは、意志の光、とでも言おうか。 

あきらめ、追従、いつものシンジの態度はそれであり、これまでも、進んで他人と目を合わせようとしたりはしなかった。

 

「ま、作戦にあたって変に過敏になったり、逃げ出したりしないだけでもありがたいわよ。…正直、不安だったもの」 

「そうね…」

「二人には…無事で帰ってきてもらわなくちゃ困るもの」

「………」

 

ミサトの言葉が、パイロット二人を気遣ったものであるのに対し、リツコのそれは、もっと冷徹だった。

だが、この時点に置いて、それが顕在化することはなかった。

 

 

 

 

4

 

 

カシュッ。

 

空気の抜ける音がして、青を基調としたプラグスーツが、シンジの体にフィットする。

レイは、車内を仕切るカーテンに手をかけたまま、それを見ていた。

レイはまだ、着替えていない。

 

シンジはというと、手首のスイッチに指をかけたまま、何かを思い出そうとするような表情で自分の思考に沈んでいるため、レイのその視線に気付かない。

 

「.........」

「………」

「.........」

「…?あ、なにかな、綾波」

 

ようやく、レイが自分をずっと見つめているのに気付いたシンジは、少しだけあわてて声をかける。

 

「.........」

 

レイは答えない。

ただ、じっとシンジの瞳を見つめている。

 

シンジの視線は揺らがない。

真っ直ぐな、瞳。

 

その視線を受け止めかねたように、レイはふっと目線を外す。

 

「さっき......」

「え?」

「......どうして」

「あ…」

 

シンジは、急激に顔色を紅く変化させた。

 

「ご、ごめん…その、さっきは…突然、抱きしめちゃったりして」

「........」

 

下を向いて、頭をかきながらしどろもどろに謝罪するシンジの言葉に、レイの目元が、凝視していなければ分からないほど、淡い色に染まる。

 

「.....違うわ」

「えっ?」

 

完全に見当違いのことを言っていたシンジは、ようやくレイの言わんとするところが別の場所にあることに気付く。

 

「なぜ、交代したの」

 

レイが言っているのは、シンジが自分から言い出した、先ほどの攻守交代のことだった。

 

「あ、ああ…」

 

シンジの瞳が、急速に落ち着きを取り戻していった。

その色に、レイの視線は惹きつけられる。なぜか、目を離すことが出来ない。

 

「今回の作戦では、防御する方が危険が多いだろ。綾波に、危険な方をさせるわけにはいかないよ」

「なぜ。初撃で使徒を殲滅すれば、防御の危険は、ない」

「…一発目が、当たるとは限らないだろ?」

 

レイには、シンジがまるで既定の未来を語っているように感じられた。

 

「.....そう。でも、私は当てるわ」

「…うん」

「それが、私の役目だもの」

 

シャッ。

 

言って、レイはカーテンの向こうに姿を消した。

 

「………」

 

シンジはしばらく、カーテンの向こうに映るレイのシルエットを見つめていたが、彼女が服を脱ぎ始めると、視線を前方に戻した。

そのまま、虚空を見つめるかのように、視線を固定し、両手で顔の下半分を覆うと、再び思考の海に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

双子山 エヴァ搭乗タラップ

 

 

 

 

 

街の灯が、波が引くように消えていく。

同時に、静けさを増していく第3新東京市。

 

それは、やがて日本列島全体へと及び、日本は闇に包まれた。

 

 

天は降るような星空。

そして、柔らかな光を投げかけている月―――。

 

 

少し離れたタラップの上に腰を下ろして、シンジとレイは、月光を浴びていた。

穏やかな沈黙の帳(とばり)が下りている。

 

作戦開始まで、あとわずか…。

 

 

「……綾波」

 

「.........」

 

「綾波は、恐くない……?」

 

「.........」

 

沈黙。

 

「......恐くは、ないわ」

 

そう。

レイにとって、死は恐怖と直結しない。

しかし、ある種の畏れは感じる。

それは、絆を断たれることへの、本能的な畏れ。

だが―――。

 

私が死んでも、代わりがいる。

 

レイが真に恐れるのは、自分にとっての唯一の存在意義が絶たれることだった。

 

「わたしには......」

 

「………」

 

シンジは、レイを見た。

 

「わたしには、ほかに何も―――」

「何もなくなんかないさ」

「っ......?!」

 

レイの言葉を先読みするように、シンジはレイが言うのを遮った。

 

「綾波には、何もなくなんか、ない」

 

力強く、言う。

その声に込められたもの。限りなく優しい波動。

 

レイは膝を抱えたまま、横のシンジを見た。

 

―――真っ直ぐな瞳が、自分を見ていた。

 

レイの視線は、シンジの黒い瞳に吸い付いたまま、離れない。

その中に、自分の顔が映っている。

 

「綾波は、綾波だよ。…エヴァのパイロットでなくても、一人目の適格者(ファースト・チルドレン)じゃなくても。…一人の女の子だよ」

「.........」

「…綾波は、僕が護るから」

「.........」

 

 

しばし、レイとシンジは無言で見つめ合っていた。 

 

 

「そろそろ時間だ…それじゃ、また後でね」

 

シンジは立ち上がると、けぶるような微笑みをレイに向けた。

レイは、わずかに口を開けたまま、エントリープラグ内に消えるシンジの背中を見つめ続ける。

 

「.........」

 

レイは、困惑していた。

心が細波立っている。 

 

 

碇君は、わたしを護ると言った......

 

なぜ.....?

 

 

自分がシンジを、ひいては初号機を守るということは、レイには理解できた。 

しかし、シンジは自分を護ると言う。

 

護られる。

 

その言葉の持つ意味が、シンジの意図が、レイには理解できなかった。

 

 

なぜ......?

 

なぜ......

 

なぜ......碇君。

 

 

レイは、もう姿の見えないシンジの背中に向かって、問い掛けていた。

自分の中に目覚めた、小さなぬくもりを覚えながら。

 

 

 

 

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(updete 2000/06/30)