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岩屋山ロールアウトでのフライト日記1997年 1998年1月〜3月のフライト日記へ行く

LAST up date:1997年12月13日

1997年9月12日からのお話です。  フライト日記のINDEX

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9月2日、私は、東京から大阪に転勤して来ました。初めて生活する大阪の街に期待と不安を抱きながらの単身赴任でした。前の私の職場である羽田空港から只ひとりで出発しました。前もって「見送りはいりません」と断っていましたが、上司がひとり見送りに来てくれました。妻は、仕事がある為に来ませんでした。大阪での住まいは、会社が借りている単身者用のワンルームマンションです。着いて見て驚きました。まるでホテルの様な作りです。食堂があり、朝食と夕食を注文で作ってくれるそうです。「いやはや、良い所に来たもんだ」と嬉しくなりました。
着任してから数日間は、新しい職場環境に慣れるのに必死でした。が、すぐに慣れて休みの日にパラグライダーに行きたくなりました。東京の妻に電話して「新しい住まいを見にくるついでにパラ行かない?」「行く、行く!!」と話がまとまり早速、関西でのエリア探しとなりました。

パラワールド増刊のエリアガイドをじっくりと見て、あちこちに電話しました。その中で一番応対がよく親切だったKスキー場に行く事に決めました。地図で場所を確認して、カーナビに登録しました。こうして、私と妻は、関西に来て来て初めてのパラ旅行に出発したのです。


1997年9月12日(金) 1日目

東京からJAL101便で妻が到着したのは、8時少し過ぎた頃でした。伊丹空港で拾って高速を、一路、春日インターに向けて走りました。初めて走る兵庫の道、とても新鮮でした。暫く走って、ふと吹き流しが目に付きました。「何だろう」とユーターンする事にしました。この時、まだ、買ったばかりの新車のワゴンRワイドの運転を誤って、路肩の縁石に乗り上げてしまいました。パワーがあったのが災いしてそのまま乗り越えてしまいました。気が付いた時には、遅く、ブロペラシャフトを止めているブラケットをぶつけていました。何とか縁石から脱出して走ろうとしたらガタガタと、とても走れる状態ではありませんでした。近くのガソリンスタンドで修理工場を紹介して貰い、ゆっくりとだましだまし走らせました。ここの修理工場で修理してくれた人は、後で知ったのですが、フライヤーで西川さんと言う人でした。

修理が終わって、代金を支払い、お礼を言って出かけようとしたら、西川さんが「どこへ行くの?」と聞いてきました。「パラグライダーをやりにKスキー場へ行くのです」と答えると「パラならここでも出来ますヨ。ここは、岩屋です」と教えてくれました。岩屋のエリアの事は聞いていたのですが、何回電話してもつながらず諦めていたのです。なあんだ、ここが岩屋か、では、ちょっと覗いて行こうか。と途中下車となったのです。西川さんに教わったとおり、ランディングを見に行くと、広いランディングにびっくりしました。ふと、空を見るとパラが飛んでいます。「うわあ、あんなに高く飛んでいる。いいなあ」とふたりで見上げました。後で知ったのですがこの時は単なるぶっ飛びだったらしいです。近くにいた人にテイクオフへ行く道を聞き、とりあえず行って見る事にしました。

長い林道を上ってテイクオフに着きましたが、どうしたら良いか分かりません。東テイクオフの東屋の下にいたオッチャン(宮本さん)に「TAKの人ですか?」と尋ねたら「違います。TAKさんやったら南テイクオフにいましたヨ」と冷たく答えられました。途方に暮れるふたり。そこにハーネスを担いだオッサンがテイクオフに来ました。「パラをする人ですか?」「ハイ」「それなら道の駅に行ってフライト手続きをして下さい。そして、その先にロールアウトと言う吹き流しがある建物がありますから、そこに来て下さい。念のために無線の周波数を7.64に合わせておいて下さい。テイクオフ迄の車に乗せて上げます」と親切に言ってくれました。この人がロールアウトの校長の加藤さんです。

いやあ、地獄に仏、大袈裟な、それほどありがたく思いました。道の駅に行き、手続きを申し込むと「年間ですか?」「ハイ」と言う訳で何となく年間会員の手続きをしてしまいました。夫婦揃って単純です。私は、良いとしても妻は、東京に住んでいるのに・・・。でも、年間15000円ですから、8回フライトすれば、トントンです。来年からは、10000円だと言うし、まあいいかと思いました。

手続きしてから、ロールアウトショップに行きました。もう既に、タンデムフライトして降りていた加藤さんがニコニコして迎えてくれました。岩屋でのフライトの注意点や車に乗せて貰ったらお礼に300円払って下さいとか色々教えてくれました。「ロールアウトのクラブの会費はいくらですか?」と聞いたら「それはいりません」の返事。何かお礼をしなければ、と妻と話しました。「まあ、クロカンパイロットコースがありますから、良かったら入って下さい。期限は無期限としますから」とのこと。それならばと妻とふたり入る事にしました。今日は、お金が無いと言うと「イイですヨ。いつでも」

こうして、私と東京に住んでいる妻は、クラブロールアウトに入り、クロカンパイロットコースの講習生となったのです。なんと単純な夫婦!

私は、この日のフライトは、ぶっ飛び2本でした。12分と13分の合計25分で、久しぶりの高々度フライトに満足でした。一方、妻は、サーマルを拾ってぐんぐん上げて、フライトを楽しんでいました。「あいつあんなにうまかったっけ??」と首をかしげる様なフライトでした。加藤さんは、妻の飛びを見て感心していました。そして、私の飛びを見て「いまいちですネ」と言いたげでした。

久しぶりにフライトしてすっかり満足して、加藤さんにお礼にビールを少し差し上げて帰る事にしました。この日の宿は、やはり加藤さんに紹介して戴いた、大名草(おなざ)のキャンプ場です。区長の足立広之さんに電話して許可を貰い、暗くなった大名草のキャンプ場に着きました。とっくにシーズンは終わり、今宵の客人は、私達だけでした。風呂は、少し走った所にある黒川温泉に行きました。これも加藤さんに教わりました。夕食は、昼間、縁石に乗り上げた所の中華料理店でしました。

色々な事があった岩屋山ロールアウトでの一日は、この様にして終わったのです。

この日に出会った人:加藤さん、優君、吉井さん、宮本さん、植野さん


1997年9月13日(土) 2日目

昨夜は、ぐっすりと眠る事が出来ました。朝食は、喫茶店で、コーヒーとモーニングサービスのトーストを食べました。加藤さんが一人で食事していました。色々とエリアの事やクロカンの事を説明してくれました。加藤さんは、テクニックについても惜しげもなく教えてくれました。「サーマルを拾い、上げてからフルグライドする。サーマルがあればシンクがある。フルグライドして降下しても良い。サーマルに当たったら上げて、また、フルグライドする。そして、また、サーマルに当たったら上げる。その繰り返しでクロカンする。風が強い時にフォローの風でクロカンするのは、危険なのでさせない。弱い風でサーマルで上げられる時にクロカンに出す。強い風の時は、山陰でローターが発生していて危険だ。ランディングの時は、グランドサーマルが出る事が多いのでスピードを抑えないでアプローチをして最後にフルブレークをしてフレアをした方が安全だ」と分かり易く説明してくれました。
「今日はイイと思いますヨ」の加藤さんの言葉に期待にふくらむふたりでした。土曜日の今日は、昨日と比べると大勢の人がショップに来ていました。

しかし、期待とは、裏腹に昨日と同様のぶっ飛びに近いフライト3本の私でした。妻は、この日も上げました。すっかりと加藤さんに妻の方が上手と言う印象を与えてしまいました。私のフライトは、1本目、17分、2本目、14分、3本目、8分でした。残念ながら1本もトップアウト出来ませんでした。でも、高度差480mの岩屋山は、ぶっ飛ぶだけでも満足の一字でした。
帰りは、生野さんに下道を誘導して貰い帰りました。なんと、生野さんも吹田市に住んでいて、ご近所だったのてす。

この日に出会った人:生野さん、星野さん、藤原さん、伊地知さん、松本さん、高〆さん、斉藤さん、小寺さん


1997年9月24日(水) 3日目

今日は、妻は、来ないのでひとりで出かけました。先日、生野さんに教わった下道を行こうとしましたが、出足が遅かった為に渋滞に巻き込まれてしまい、この分だといつになるか分からないと思い、高速に乗ってしまいました。早起きは三文の得と言いますが、正にそのとおりです。昼少し前に青垣に着きました。暫くショップで待っていたらハイエースが戻って来ました。水曜日は常連がいて混んでいるらしいのですが、今日は、空いていました。天気もいまいちだったせいかも知れません。今日もぶっ飛びに近いフライトでした。2分の短さと14分のリッジソアリングでした。まあ、私は飛べれば嬉しいわけでして、満足していました。この日に凄い人と出会いました。ひとりは、蔀(しとみ)さんと言うコンペティターです。小柄ながらがっちりとした体格で、フライトに対する情熱が満ちあふれていました。もうひとりの人は女性ですが、後藤さんと言う人です。ゼノンに乗っていました。私が14分飛んだフライトで、私よりずっと下を飛んでいたのに粘って粘って、そして、私より上に上げたのです。あきれました。ランディング後、加藤さんは「あの機体は、ゼノンだから負けるのは仕方 ないですヨ」と慰めてくれました。後藤さんの最後のランディングが笑えたのです。エアバッグに押されて前向きにひっくり返って着陸したのです。「なんでぇこうなるのお」と後藤さんが吠えていました。私は、笑いをこらえるのに必死でした。

この日の加藤さんの注意「学校のグランド上空は飛ばない事。落ちると危険。林の上を飛んだ方が安全」

この日に出会った人:蔀さん、後藤さん、坂谷さん、


1997年9月30日(火) 4日目

9月最後の日、ひとりで青垣に行きました。岩屋山で飛ぶ様になって、今日で4日目ですが、本格的なサーマルソアリングはしていません。でも、負け惜しみでは無くて、ぶっ飛びだけでも楽しいんです。この日は、午前中に2本8分と14分のぶっ飛びをしました。ノーマルルートの尾根上で少し回したりして粘りましたが、トップアウトは出来ませんでした。坂口一樹さんが安全山に流しました。私は、加藤さんに連れられて花谷さんと一緒に回収に行きましたが、こんなに遠く迄飛んだのかと呆れました。でも、もっと遠く迄飛んだ人がいました。吉井さんと森本美智代さんです。森本さんは、なんと、25kmも飛んだそうです。帰りはどうするのだろう、と心配しましたが、森本さんも吉井さんもヒッチハイクして戻って来ました。「凄い!」加藤さんは、「ここでのクロカンは特別な事ではないので、大久保さんも上がったら走って下さい」と普通の事の様に言います。私としては、通常のエリアから離れる事は、危険が伴うと思いすぐには出来ないだろうと思っています。

午後、8分のぶっ飛びをして、夕方、吉井さんが「今日は。アーベントが出るかも知れませんヨ」と言っていましたが、そのとおりになりました。高度こそ上がりませんが、1時間22分フライトする事が出来ました。

この日に出会った人:大村誠司さん、花谷兼三さん、坂田に一樹さん、森本美智代さん、薄井さん、ハングの小川先生


1997年10月1日(水) 5日目

昨日は、加藤さん宅の庭に車を駐車させて戴き、車の中で宿泊しました。テントの中の方が快適ですが、ひとりなので、車の中に泊まりました。なかなか快適でした。

ショップに行くと、会社を休んで来たと言う、松坂美幸さんが来ていました。彼女は、助教師の資格を持っていますが、今は、タンデムのパッセンジャーとしてのフライトを主にしています。そして、講習生の人を指導しています。初めて逢った印象は、とても明るくて気さくなお嬢さんと言う事です。大阪に来てから、会社の人は、私と話をする時に標準語を話す為、関西弁を聞いていませんでしたが、松坂さんと話して、やっと本物の関西弁に出会ったと嬉しくなりました。ポンポン話す彼女の言葉は聞いていてとても楽しいものでした。

松坂さんは、加藤さんのタンデムのパッセンジャーとしてフライトしました。私もテイクオフして、弱いサーマルを掴まえて高度を上げました。テイクオフの西側に塔がありますが、そこがサーマルポイントだと聞いていましたので、少し高度を取ってから行って見ました。あちこちからサーマルが集まって来る様でぐんぐん上がりました。南よりの風で注意しながらサーマルを拾って上げました。1200mを越えたので、無線で加藤さんに連絡しました。そしたら松坂さんから無線で「タンデムがいる粟鹿山の方へ飛んで来て下さい」と指示がありました。粟鹿山ってどこだろう?動かない私を見て「北の方です」と再度無線の声。やっとタンデムを見つけて北に向かいました。岩屋山のテイクオフを離れたら降下始めました。「降下してもどこでも降ろせるから構わず走りなさい」と加藤さんに以前言われていた事を思い出し、勇気を持ってそのまま飛び続けました。高圧線のずっと手前の尾根の上まで行くとピピピッとバリオが鳴り始めました。回し始めたら「尾根から先に行っては駄目です。戻って下さい。その近くに降ろして下さい」と松坂さんからの無線。回すのを止めて、ランディング出 来る所を探す事にしました。後で聞いたのですが、加藤さんが飛んでいる所から見たら尾根の上空で高度が無かった様に見えたらしいのです。実際は、100m以上あり、サーマルがあったので私は大丈夫と思っていたのですが、初めてのエリア以外の所でのフライトだったので、指示に従いました。

高源寺の近くに広い空き地があり、そこに降ろす事にしました。風も無く、静かに着陸出来ました。無線で無事に着陸した事を報告しました。クリーンパークで講習している優君に松坂さんが「大久保さんが高源寺の近くに降りたので迎えに行って下さい」と連絡していました。私は、機体をたたんで道に出て、ヒッチハイクして見ようと思いました。昨日、吉井さんと森本さんがヒッチハイクで戻ったので真似して見ようと思いました。すぐに軽トラックが来たので手を上げて見たら停まってくれました。「青垣迄乗せて戴けませんか?」「イイですヨ」とヒッチハイク成功です。「ロールアウトですか?」「パラする人ですか?」「いや違いますけど」車の中で色々とパラの話を聞かれるままに説明してあっと言う間にショップに着きました。初めてのミニクロカンでした。高度1220m、滞空時間1時間3分。

午後にもう1本、ぶっ飛びをしてこの日のフライトは終わりました。

この日の出来事が、後日、松坂さんが「パラワールド」誌に寄稿しています。この中に私が誘導されている光景も少し書かれています。

この日に出会った人:松坂美幸さん、加藤豪君、


1997年10月11日(土) 6日目

昨日のJAL107便で妻が東京から来ました。朝、目覚ましをかけていた筈が鳴らずに寝過ごしてしまいました。慌てて準備して出かけました。ショップに着いて、午前中は強風で飛べていなかったと聞いて安心しました。土曜日だけあって大勢でした。今日は、初めて北西のテイクオフから出ました。北西テイクオフは距離が短いので立ち上げを失敗するとたいへんです。慎重に立ち上げて出ました。7分のぶっ飛びでした。ランディングに降りて、機体をたたんでいたら、北西の方に黒い雲が出て来ました。雨が降りそうです。急いでお地蔵さんの所に行き、迎えの車に乗りました。車に乗った途端、ザアーっと凄い雨が降り出しました。山頂のテイクオフにいる妻は、大丈夫だろうか、と心配になりました。雨だけなら東屋があるので何とかしのげると思いますが、北西の風が吹いているので、横殴りの雨で濡れてしまった様です。ショップで雨宿りをしていたら山頂から皆、戻って来ました。激しい雨で、諦めて帰る人が出始めました。

雨が止む迄、ショップにいた人達と話をしていたら、ホームページを作っていると言う人と逢いました。聞いて見たら、なんと「ウドのページ」の作者の瀬川さんでした。「ウドのページ」は、見事な作りでいつも感心して見ていましたので、すっかり嬉しくなりました。実は、この日記を作成しようと思いついたのも「ウドのページ」を見てからです。瀬川さんのパラ日記は、4年にも及ぶ膨大なものです。とてもこまめに作成しています。リンクもたくさん付けていて、素晴らしいホームページです。瀬川さんから「岩屋山のメーリングリストを作りたいと思いますので、大久保さんも是非、参加して下さい」と言われました。早速、帰宅後に瀬川さん宛、Eメールを出す事にしました。

殆どの人が雨で諦めて帰った後、嘘の様に雨は止み、晴上がったので、再びテイクオフに行きました。午後4時にテイクオフしました。少しだけトップアウトして14分のフライトを楽しみました。妻もこの日、2本飛ぶ事が出来ました。着陸してから、また、雨が降り出し、この日のフライトは終わりました。激しい雨なので、テントの中で寝るのは無理と判断して大阪の家に戻りました。

この日に出会った人足立正人さん、藤原さん、山本さん、加野幸史さん、岸本好雄さん、瀬川良雄さん、藤田秀之さん、前田広三さん、大垣勝己さん、森田広明さん、三上茂さん、半田さん、石井さん、菱井正昭さん

この日帰宅後、ウドさんへメールを出して、岩屋山メーリングリストに加入しました。その後、定期的に岩屋山の仲間とメール交換をしています。


1997年10月12日(日) 7日目

今日は、寝坊に注意して、朝早く出ました。6時12分に吹田の家を出て、ショップに着いたのは、8時10分でした。でも、午前中は、北西の強風でとても飛べる状態ではありませんでした。テイクオフに行って見ましたが、寒くて、皆、下に降りました。午後、少しずつ風が弱くなり、午後3時頃に私のバリオに付けているドラッグセンサーで計測した風速は、強い時で20km/hrでした。これなら大丈夫と思い、加藤さんに無線を入れました。「下が強いのでもう少し様子を見ましょう」との連絡でした。3時半過ぎた頃、更に風は弱くなりました。再度、無線を入れると「慣れた人が出て下さい」との指示。ベテランの人に「出て下さい」とお願いしましたが、誰も立ち上がりそうになく、私は、ダミーで出る事にしました。風がすっかり弱くなってしまった為、強めの風が来た時に、クロスで一気にテイクオフしました。私は出てから「上空は荒れていません」とレポートしました。次から次へとテイクオフして来ました。グリーンパクやランディングで立ち上げ練習していた人達が、一斉にテイクオフに上がって来て、長い行列が出来ました。私は、弱くなった中をリッジで粘りながら、1時間26分フライト しました。もっと飛べる条件でしたが、混雑して来たし、暗くなってから着陸するのは嫌だったので降りる事にしました。今日も、強風で諦めて途中で帰った人が大勢いました。私と妻は、帰っても何もする事が無いので待っていて正解でした。

妻と久しぶりに大名草のキャンプ場に宿泊しました。朝、買った黒枝豆をゆでて初めて食べました。柔らかくて甘くてとても美味しく、ビールを飲みながらつい、食べ過ぎてしまいました。黒枝豆は、丹波篠山の名物でこの時期にしか食べられないそうです。「大阪に来て良かった」と食いしん坊の私は本当に思いました。


1997年10月13日(月) 8日目

昨夜の残りの黒枝豆を食べて元気いっぱいにショップに行きました。月曜日は、スクールは休みなのですが、加藤さんは、「晴れると自分達が飛びたいからやっています」と言う事で、今日もショップはオープンです。「いつ休むんですか?」と聞くと「雨が降った日ですネ」と加藤さん。「今日はイイですヨ」と加藤さんの声に期待は上がるが、加藤さんは、「良くなって欲しい」と言う希望を言っているらしいと最近、気が付きました。平日のしかも、月曜日なので空いています。テイクオフ迄行き、車を降ろす人が必要で、私は、このところずっと飛べているので、車を降ろす事にしました。ランディングで待っていましたが、岸本さんが飛びません。どうしたのだろうと不思議さに思っていたら蔀さんが、「岸本さん、無線を車の中に忘れてしまった」と教えてくれました。でも、ぶっ飛びだけだったら飛べば良いのにと思いましたが、基本に忠実な岸本さんは、無線を持って来て下さいと蔀さんに頼んで、上でサポートをしていたらしいです。

1本飛んだ人達を回収して再度、テイクオフに向かい、今度は、私も飛ぶ事にしました。南テイクオフから全員が飛ぶのをサポートして最後に飛ぼうとしたらなんと、無情のフォローの風です。セットアップしたまま待機となりました。待つ事1時間、東テイクオフから出る人がいました。東の方が風が入る様でずが、移動中に風が変わる事もあるし、このまま南で待つ事にしました。下のリボンの吹き流しが揺れ始めたと同時にテイクオフの吹き流しもアゲインストに揺れました。弱いけれど走れば出来ると思い出ました。無事にテイクオフしてノーマルコースの尾根上を流しました。少し上げを感じて回すとそのままセンタリングが続けられて上昇しました。先日の塔の所に行きたいと思っていた時に下から見ていた加藤さんから「塔の近くに行くとサーマルがありますから行って見て下さい」と無線が入りました。加藤さんは、上を飛んでいた蔀さんに「雲底はどれ位ですか?」と聞いて、蔀さんから「1700m位と思います」の返事。「大久保さん、雲底迄上げて良いですヨ」と加藤さん。「上げられれば上げたいんやけどなあ」と思いながらもずっと回し続けていました。最高高度1672m迄上がった頃 、雲の中に時々入って見えなくなりました。もう雲底だと思い、加藤さんに連絡しました。「この前と同じ、粟鹿山の方に走って下さい」と指示。この前より高度があるので余裕を持って北に流しました。高圧線の近く迄行きましたが、サーマルは無く、高圧線を越えても戻れなくなると困ると思い、高圧線を越えるのは止めました。この前は、南の方の尾根の上空からもどりましたが、今日は、北の方の尾根に行きました。小さな尾根の上でサーマルにヒットして一度500m迄降下したのが、また1000m迄上昇しました。朝迄いた大名草のキャンプ場がすぐそこに見えました。「あそこは、ローターの巣だろうなあ」と思いながら飛び続けました。出来るだけメインランディングに近くの所で降りようと南に進路を向けました。しかし、バレーウインドが強くて進みません。平地を飛ぶ時は、サーマルが無ければ降下しかありません。先日降りた高源寺近く迄戻り無事着陸しました。この前より広い範囲を飛べて満足でした。

今日もヒッチハイクをしようかと思い良さそうな車を待ちましたが、停まってくれそうな車はいませんでした。仕方がないので、ランディングに向かってトボトボと歩き始めました。そしたら、シッヨップに来たばかりの藤本さんが迎えに来てくれました。今日は、この1本で満足してフライトを終わりました。

この日に出会った人藤原さん、藤本さん、平井さん


1997年10月18日(土) 9日目

月曜日に東京に帰ったばかりの妻がまた来ました。JAL101便は、朝、8時に伊丹に到着しますが、すぐに青垣に向かいました。道は空いていて10時20分にショップに着きました。今日は、岩屋山メーリングリストのメンバーの古賀さんと初めてお会いしました。メールだけでつきあっていると実際に逢っても分かりません。古賀さんから声をかけて来てくれました。この様にして色々な方と知り合えて本当に嬉しく思います。パラをしていたお陰で、多くの人達と知り合いになれました。今日は、16分のフライトが2回でしたが、満足でした。

姫路のベンツに乗っている森本さんが、活きた車海老を持って来て下さって、「おどり」をご馳走になりました。生きたまま食べるとても残酷な料理ですが、口の中で海老が動くのを食べるのはとても美味しいものです。

今日のトピックスは、何と言っても、私がイクシオン26の試乗をした事です。中古ですが、程度は良く、加藤さんが特別に私にどうかと薦めてくれた物です。私は、ヴェルテックスがイイかなと考えていましたが、新品だと50万円もするし、車を買ったばかりで苦しい時です。加藤さんは、「これならお薦めですヨ」と言ってくれましたので、試乗をする事にしたのです。結果は、渋い中での16分のフライトでしたが、なかなかのものでした。片翼潰しをして見ましたが、回復は早く、安全性は高いと思いました。今迄のエクストラはスピードはあり、浮きもまあまあでしたが、古いのが気になっていました。古いエクストラと比べるとやはり、新古品のイクシオンが良いかなと思い買う事にしました。

もうひとつのトピックスは、桧原さんの初飛びツリーランです。本人の名誉もあり、詳細は述べませんが、回収に時間がかかりました。私は、昔、ロッククライミングをしていたので、木登りも得意でした。しかし、それは過去の話であって今、得意と言う事と違うのですが、若い時のイメージと言うのは簡単には消えないのでして、つい木に上ってしまいました。片手で身体を支えて、もう一方の手で木からラインを外す作業は大変な仕事でした。降りた時には、腕が棒の様に張っていました。「いやあ、若くないなあ」と感じた次第です。

この日に出会った人奥田さん、斉藤さん、海老さん、古賀さん、植松さん、桧原さん、


1997年10月23日(木) 10日目

自分の物になったイクシオンを手にして意気揚々と岩屋山に行きました。しかし、結果は、ぶっ飛び3本でした。弱い南風で時折、フォローの為に長い待機がありました。3本目は、サイドフォローの風の為に長い間待ちました。加藤さんが「巧く立ち上げられれば出られない風ではないです」と言うので、思い切り走って出ました。ところが、前縁が潰れて立ち上がり、見事にスタ沈しました。その後、TAKの人たちが上手にテイクオフして行く姿を恨めしそうに見ていました。気を取り直して慎重に立ち上げて何とかテイクオフして3本目のぶっ飛びをしました。

今日の教訓は、風が弱いときの立ち上げは、最初ゆっくりと立ち上げて行き、キャノピーが出来上がってからスピードを付けて走る事です。基本中の基本ですが、最近は、クロスでの立ち上げしかしていないので、弱い風の時の正面でのテイクオフをすっかり忘れていました。

東京からの最終便で妻が来る為に、早めに青垣を出ました。


1997年10月24日(金) 11日目

妻を連れて朝、6時30分に家を出て青垣に着いたのは8時30分でした。途中、霧が出ていましたが、青垣に着く頃は、すっかり晴れていました。今日のフライトは、サーマルソアリングは出来ませんでしたが、前山に取り付いてしつこく粘りました。最初の殆どぶっ飛びは、10分のフライトでした。2本目は、27分、3本目は、しつこく34分前山でリッジソアリングして粘りました。スカイエンジェル時代は、リッジソアリング専門のエリアで練習していましたから、リッジは得意です。後から前山に来た人達が皆、諦めてランディングに向かっていましたが、私は、出来るだけ粘って長く飛ぼうと思いました。降りたら「随分長く粘っていましたネ」と声をかけられました。サーマルで上がって誉められるなら嬉しいですけどリッジで長く飛んでも余り嬉しくないのが、実感です。

この日の宿は、神戸の山下さんに案内して戴き、銀山湖のキャンプ場にしました。紅葉がとても綺麗でした。


1997年10月25日(土) 12日目

天気は、上々ですが、朝から少し風が強めの傾向がありました。「もっと強くなりそうなので、早くテイクオフしなさい」とTAKの先生が講習生を次々とテイクオフさせていました。私も、早めに出させて貰いましたが、飛び上がったら上空は、安定していてそれ程強くありませんでした。でも、テイクオフして来る人が続かないのでどうもテイクオフエリアは強風の様でした。北西から出て、南テイクオフ裏でサーマルを掴んでセンタリングをしましたが、弱いサーマルでなかなか上がりません。でも、しつこくセンタリングを続けていくうちに高度が取れて、塔の方へ移動出来る様になりました。塔の前で慎重に高度を稼いで、1200mを越えた時に加藤さんに無線を入れました。「Aコースで安全山に向かって下さい」と指示がありました。パブリックの尾根上空で飛んでいたのですが、加藤さんは、練習場のグリーンパークから私を見ていた様です。パブリックの尾根の写真を撮ってから、安全山に向かって移動を開始しました。GPSの対地速度を見たら50km/hになっていました。北西風のフォローを受けての移動なので高速だったのです。イクシオンは安定していました。パブリックの尾根を出てからず っとバリオは、シンクを指示していました。安全山には、5分もかからずに着きました。安全山の近くでサーマルがあって再度センタリングしました。失っていた高度が又取り戻せました。加藤さんから「安全山から先には行かないで下さい。今日は安全山初めてなので近くに降ろして下さい」と指示がありました。宮本さんから無線で「回収に来ています。私から大久保さんは確認出来ています。安心してランデイングを探して下さい」と暖かい支援の言葉がありました。嬉しいなあ、サポートしてくれて。

岩屋山に少しでも戻ろうと思いましたが、向かい風が強くて前に出られません。森本さんから無線が入りました。「岩屋山に向かっているので、回収しますヨ」と言ってくれましたが、「宮本さんが来ているので結構です」と言いました。安全なランデイングはどこだろうと見ていたら、芝生の様な所が見つかりました。上空700m位から見ると芝生に見えますが、実は、藪でした。近づいて見て驚きました。とても降りる事は出来ません。近くに河原があり、方向を変えて河原に向かいました。風が強くて方向修正に苦労しましたが、最後は、目指した河原に無事に軟着陸出来ました。すぐに宮本さんが来てくれて、一緒に機体をたたんでくれました。

ショップに戻ったら加藤さんが戻っていて、「良かったですネ」と祝福してくれました。ロールアウトに入ってから1ケ月半で安全山に行けるとは、思ってもいなかったので、とても嬉しく思いました。

夕方、加藤さんの家の庭でパーティがあり、参加しました。姫路の森本さんが海老とかカンパチとかの魚をたくさん持って来て下さりご馳走になりました。焼き鳥もたくさんあり、食べきれないほどでした。寒さも忘れて楽しいひとときを過ごしました。安全山へのクロカンのお祝いもしてくれて良い思い出になりました。


1997年11月2日(日) 13日目

「今週も来たのですか?」と仲間から呆れた顔で聞かれました。妻が又東京から飛びに来たからです。毎週来ているから当たり前です。でも、妻は、「ハイ、飛べるときに飛んでおこうと思って」とケロっとしていました。

午前中に1本飛びました。ノーマルルートの尾根で弱いサーマルで留まって34分のフライトでした。午後からとても良いサーマルが期待出来そうでした。妻がテイクオフしてサーマルセンタリングして高度を上げていました。次に私の番と言う時に、「ハングが落ちた」と声がしました。テイクオフの前を見たら、人が乗っていないハングが南テイクオフへ続く道に飛んで行き、低い木に引っかかりました。すぐにハーネスを外してテイクオフ下の方を見に行くと、大勢の人が走っていました。無線で「小川先生が落ちたらしい」と言うのが聞こえました。

小川先生は、身体を固定するのを忘れてテイクオフしてしまったらしいと誰かが言っていました。救急車が来て、小川先生を病院に連れて行きました。警察が来て調査が始まり、取り調べが終わるまでエリアはクローズとなりました。飛んでいた人もランディングしました。

3時過ぎから再度エリアがオープンされて1本飛びましたが、どうも気落ちしてぶっ飛びで終わりました。小川先生の早い回復をお祈り致します。


1997年11月6日(木) 14日目

昨日も休みでしたが、気象情報では、強風を伝えていました。諦めて家でおとなしくしていました。今日は、飛べそうと思い青垣に出かけました。加藤さんに「良い時に来ますネ」と言われ、多分、今日も飛べると確信しました。岩屋山で飛ぶようになってからずっとフライト出来ています。確率が良いのには、自分でも驚いています。勿論、飛べそうな時にしか来ていませんが・・・。

午前中、18分のサーマルフライトでした。午後は、北西風のリッジで、1時間15分のフライトを楽しみました。アークの校長の三崎さんとPSA副会長の三宅博行さんの写真を撮らせて戴きました。ホームページに写真を載せる事にしました。


1997年11月11日(火) 15日目

昨夜は、23時50分迄の勤務で、実際に仕事が終わったのは、24時を過ぎていました。でも、パラに行くとなると元気が出て、朝、早く起きて青垣に向かいました。風はいまいちで、殆どぶっ飛びでした。2本飛んで、7分と8分のフライトでした。西上君と黒川温泉に行き、汗を流し、宿は、加藤さん宅の庭を借りて車中泊をしました。


1997年11月12日(水) 16日目

昨日もしていましたが、北西テイクオフの崖崩れを補修する工事が行われていました。工事の合間を見てテイクオフさせて貰いました。テイクオフは、北西、東、南と風向きが定まりませんでした。ノーマルルートの尾根の中腹にピンクのグライダーがツリーランしていました。回収に相当時間がかかったようです。

尾根上では、サーマルがありませんでした。前山に付いてリッジサーマルを拾ってゲインしました。でも、南西風で荒れていた為に長居はせずにランディングしました。19分のフライトでした。ランディング上空では、グランドサーマルが出てなかなか降りませんでした。


1997年12月12日(金) 17日目

1ケ月ぶりのフライトです。昨夜の最終便で妻が来ました。昨日の気象情報では、兵庫北部は、強風の予報でした。妻には、飛べそうもないから、ミナミに行き旨いものでも食べようと言っていました。朝もその様な訳でゆっくりと寝坊していました。9時過ぎに妻が起きて、「外は晴れているし、風も無いようヨ」と言っていましたが、大阪と青垣は違うからなあ、と思いながらもなんかひっかかり、加藤さんの携帯に電話しました。「飛べますヨ。来て下さい」の声に急いで支度をして出かける事にしたのです。

12時半にショップに着きました。梅ちゃんがひとりショップにいて空を眺めていました。豪君が高く飛んでいました。1ケ月ぶりだからぶっ飛びでも満足でした。今日は空いていて、蔀さん、森本さん、梅ちゃん、豪君と私達夫婦だけでした。今日は、豪君のフライトを初めて肉眼で見た妻が感動していました。テイクオフしてトップラン、そして、サーマルも無いのにグングンと高度を稼いでいく飛びに驚いていました。最後は、スパイラルで高度処理して地面スレスレ迄のスパイラルで地面に激突すると思わせて、軟着陸と言うパフォーマンスを見せてくれました。

今日は、キャンプは止めて家に戻る事にしました。


1997年12月13日(土) 18日目

家を6時15分に出て青垣には早く着きました。途中、大雨で「今日は飛べないかも知れないネ」と妻と話しました。ショップに着いて、暫く雨宿りしていたらウドさんこと瀬川さんが来ました。加藤さんが、「瀬川さんが来たんでは、今日は飛べないかも知れませんヨ」と言ってがっかりさせました。瀬川さんはソウルに乗り換えてから暫くフライト出来ていなくて先日、初フライトをしたばかりでした。

雨が止む迄、豪君のノートパソコンにインターネットエクスプローラ3.02をインストールする事にしました。パソコンに詳しい瀬川さんがいるので安心です。インストールが完了してから、早速、インターネットに接続してホームページを開いて見ました。気象情報のページやパラのページを色々と見て回りました。瀬川さんのパソコン講座に豪君もだいぶパソコン操作を修得した様です。

午前中に1本飛びました。北西風を利用してのリッジで35分飛びました。殆どの人がぶっ飛んでいましたが、836m迄上がり少し楽しめました。でも、寒さ対策がいまいちで、とても寒くて仕方がありませんでした。2本目は、前山に付いたのですが、少しリッジで飛んだだけでした。でも、久しぶりに飛べた2日間に二人とも満足でした。

18日間フライト確率100%に更に満足!!

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