雑記林花或木
[1997/09]
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(1997/09/29)大富豪ゲイツちゃん

アメリカの富豪番付で噂のゲイツちゃんが4年連続トップになった。資産398億ドル(4兆8000億円)(¨;ちなみにスピルバーグちゃんでさえ11億ドルで140位なのだ。もうここまで来ると羨ましいなんて陳腐な感情は消え去ってしまう。よく落ちるWINDOWS、胡散臭いインターネット・エクスプローラなどと陰口たたいてみても、やっぱり稼いだ奴の勝ちなのだなあ。MS−DOS3.1B、MS−DOS3.1C、MS−DOS5.0、PC−DOS6.1、MS−DOS6.2、MS−DOS6.3、MS−WINDOWS3.0、MS−WINDOWS3.1、MS−WINDOWS95とゲイツちゃんに個人的にお金を払ってきた私のおかげだ、なんて言えるほどちゃちな資産ではない。もうほとんど天上人である。これでも同じ人類なのだ、と言われてもだんだん信じられなくなってきたぞ。いまさらMACったってなあ、全部捨てるわけにもいかんし、これからもゲイツ・ブランドを使ってWebサーフィンしてゆく我が身を嘆いても仕方あるまい。家にきたマイクロソフトの押し売りに売りつけられたわけじゃなくて、自分から進んで、嬉々として買いに行ったんだからなあ。どうせMS−WINDOWS98も買いに行くんだろうしなあ。やっぱり「才能」のあるやつにはかなわんなあ。

(1997/09/28)ノートパソコン

昨日の続きだが、東芝TECRA750のカタログを見ていたら、セレクタブルベイがホットスワッパブルであると書いてある。つまり電源を入れっぱなしにしたまま、FDDやCD−ROM、セカンドHDD、セカンドバッテリーを差し替えられるということだ。すごい、ついにここまで来たか。これはすばらしいことだ。いちいちWindowsを終了させて電源を入れ直さねば違うメディアを使用できないことがわずらわしくて、ノートPCの付け替え機構を敬遠する要因になっていたから嬉しい。そう思っているノートPCユーザは多いんじゃないかな。「FDDとCR−ROMを2つのベイに同時に付けられます」と歌っておきながら「その場合はバッテリーは付けられません」などという落ちが付いてるPCなんかもあったし。今使っているTP380DはFDDとCR−ROM両方搭載済だから問題ないが、気軽に差し替えられるものならば、ひとつずつでも異存はない。DECのハイノートウルトラ2000も3GBのHDDを搭載した。それだけかと思ったら液晶が14.1インチだったのでびっくり。高くて13.3インチノートPCに手が届かないとか言ってるうちに、もうひとまわり広い液晶が登場してしまった。かといって筐体がメビウスジャンボみたいに巨根、ちゃうちゃう、巨乳、ちゃうちゃう、巨大なものではなくて、ごく普通のA4ノートPCである。もはや、そんじょそこらへんの15インチCRTなどよりも有効表示面積では上回っている。あとは値段がネックだね。そんなこんなで今日は横浜の桂花で太肉麺を食べた。

(1997/09/27)PCエキスポ

幕張メッセのPCエキスポに行ってきた。ちょっと寝坊して10時半頃に駐車場に入ったら、意外にたくさん入っていた。この前のWINDOWSエキスポも土曜日だったのに空いていたので、いい気になっていたらこのザマだ。ただ、最近は入場受け付けで行列することもなく、ズイズイ展示場へ入場できるのでいい案配だ。昼過ぎたころからかなり混雑してきた。もうはぐれたら見つけられない。午前中ならかぶりつきでおさわりできる(^^;;展示物が午後には見物人の後ろ頭しか見えなくなってしまった。

今回はデジカメ関係の新製品が多かった。我がQV−10の後裔QV−700は35万画素だがストロボ付きでいい線いってるがちょっと重くなった。コダックDC210は109万画素、コニカQ−M100も109万画素、フジフィルムのDS300は140万画素、しかし248000円だ。同じ141万画素ならオリンパスCAMEDIAは128000円で登場。どんどん高精細低価格に近づいてきた。そのかわり記録可能枚数は少なくなってくる。普通のカメラとて24枚とか36枚なので、そのくらい取れればいいという考え方もできるのだが、唯一持っているデジカメQV−10が96枚取れるもんだから、どうしてもそこに基準を置いてしまう傾向がある。

ノートPCですごそうなのは、三菱の極薄18mmPedion、MMXペンティアム233MHz、確かに薄い。東芝TECRA750、MMXペンティアム233MHzで5.1GBハードディスクぎゃああ!!!セカンドHDDをつけると9.1GBぎゃあああああ!!!定価748000円ぎゃあああああああああああ!!!

(1997/09/20)フィフス・エレメント

テレビでCMをやっていて、見てみたくなった映画、ブルース・ウィリス主演だから、きっとダイハードみたいだろうと思っていたら、ダイハード未来版だった(^^;;

時は2263年、宇宙からどえらい敵が攻めてくる。人類滅亡の危機、さあどうしよう、というお話。すごくたいへんな事なのだが、それほど緊迫感がない。全体的にギャグ漫画っぽいから、笑ってみているのが原因らしい。まぬけな異星人(ガーモリアンみたい)とかドジな武器商人とかへんなのがいっぱい出てくる。全編のそこここで笑いの小わざが光っていて確かに面白い。特撮技術も充分すごい。23世紀の街並みはまるでブレードランナーの改造版みたいで、秩序の有りそうで無さそうなみょうちきりんな未来都市、危なっかしく空中を縦横無尽に行き交う乗り物、ジェット屋形船で空中行商しているアジア人ぽいおやじなど、まんまブレードランナーだ。「強力わかもと」を思い出す。ゴミが山と積まれた宇宙空港なんて、ありそうで面白い。超敵と戦う宇宙船などはスターデストロイヤー改造版みたいだ。冒頭いきなり登場する味方の宇宙人の姿はとてつもなく異型で、すごいというより笑ってしまう。どっかで見たような奴だなと思ったら、彫刻の森美術館の芝生の上に時々鎮座ましている「作品」を思い出してしまった。

そもそもの事件の発端が、科学的というより、寓話的で、SFファンタジー物っぽいので、そのつもりで見れば充分楽しめる映画だ。

ところで上映の前宣伝でやってた、スピルバーグの「MIB」というコメディSF??も早く見てみたいなあ。宇宙人かなんかの死体の顔を開いたら、ちっこい宇宙人が出てきたぞ。12月封切りか。なんだ、あのちっこい宇宙人は?早く見たいなあ。

(1997/09/18)夏への扉 〜 3001年終局への旅

ロバート・A・ハインライン「夏への扉」冷凍睡眠で30年後に蘇生するという話である。古い作品なので30年後というのが、西暦2000年なのだ。もうあと僅かである。主人公ダンは発明家で、家事用ロボットなどを発明し、それを中心に話が回る。SFとはいうものの、ほのぼのとした語り口や状況設定で、暖かい読後感が待っている。終わりかたが素敵だ。人は誰でも、遠い未来に行ってみたいと思うだろう。人は誰でも、過去に戻って人生をやり直したいと思うだろう。心の中でスキップしてしまいたくなる物語だ。冷凍睡眠自体はいまだに実現していないが、不条理なしに未来を覗ける正当なタイムトラベルのアイデアだと思う。およそ40年前にハインラインが考えた2000年の世の中と、我々が目の当たりにしている現実とのギャップが面白い。SF作家らしく先進的に思考した、さまざまな家具調度、交通手段や生活用式、文化科学などは実際にはまだまだ達成されそうもないものが多い。しかしハインラインは当時としては、精いっぱいの期待を込めて考えたのだろう。

時を同じくして、アーサー・C・クラーク「3001年終局への旅」も読んだ。こちらのタイムトラベルのアイデアは、2001年にディスカバリー号から放り出されたフランク・プールが1000年の時を超えて仮死状態から蘇生するというものだ。これもいかにも常識的な手段である。30年どころではない。1000年である。なんと壮大なことか。フランクも冷凍睡眠から目覚めたダンと同様、想像を絶するカルチャーショックにあたふたすることになる。1000年後の現実とのギャップは我々が目にする事のできない代物である。だから何を書こうが自由自在だとも言えるし、ある種の逃げとも取れなくはないが、定評のあるクラークの科学予測能力からすれば、あながち的外れとも言えないだろう。1000年後の予測など、誰が正確にできよう。平安時代の武士皇族の誰がジャンボジェット機を想像し得たろう。クラークでさえ、人の住む宇宙ステーションを2001年の空に描いてしまったのだ。科学の進歩で先見がしやすくなったとはいうものの、これから何百年後にどんなすごいことが起こらないともいえまい。今ならさしずめ超常現象やら虚言迷信と揶揄されそうなことが日常茶飯事となっていないとも限らない。それでもこの物語には、永年クラークが貯えてきた知識と能力をフル動員して、理想の未来像を描いてある。近年世界中で話題になっているさまざまな現象や事件のその後なども描かれていて面白い。1000年後に、この本が(本があったらの話だが)古典文学として残っていたら、1000年後の人達がどんな顔をしてこの本を読むのか見てみたい。彼らこそ、現実とのギャップに苦笑いをできる人達なのだから。

(1997/09/16)コンタクト

録画18時間とはおもしろい着想だ。ジョディ・フォスター主演。この映画は宗教映画なのかもしれない。小さい頃から無線で通信をしていた少女がおとなになって宇宙からのメッセージを受信するという、いわゆるSFなのだが、UFOが来て宇宙人が来て光線銃ビビビビッというSFとは一味ちがう雰囲気だった。静かだった観測の日々が、宇宙からの通信を傍受してから、にわかに慌ただしくなって行き、政府や軍部、宗教関係者との軋轢が生じてくる。その中を冷静に生き抜く主人公。北海道が出てくるところから俄然佳境に入っていく。SFの始まりだ。映画全体に宗教観が現れている。宗教のいいところも悪い所も描かれている。宇宙との交信ひとつでお祭り騒ぎの集団が群れ集う。この映画を見ていると、神とはいったい何なのか考えてしまう。ジーザス・クライストは神の言葉を聞き、人々に説いてまわったわけだが、はたしてジーザス・クライストが聞いたのは、全知全能の神の声だったのだろうか。それは我々より遥か昔から生きている異星人との交信だったのではないだろうか。沼をかき混ぜて星を造った神ではないにしても、我々の計り知れない高度な文明技術を持った先人ならば、今の我々にとっては神と呼んでも差し支えないのかもしれない。そして宇宙の愛と協調を唱えるならば、宗教の存在も納得できないわけではない。とはいうものの金銭目当ての偏向宗教や、カトリックとプロテスタントのような異を唱える宗派との見苦しいまでの闘争殺戮には、どうあっても賛同できない。宗教が立派なものだとしても、今の人類には荷が重すぎるのかもしれない。宗教に見を任すほど人類はまだ成長できていないのだろう。幼稚な人類の前に、神はそう簡単には姿を見せてはくれないのだろう。だから異星人もまだ当分は我々の前に現れるつもりはないのだと思ってしまう。今現れていたずらに世界を混乱に陥れて、意味の無い死者続出では異星人も立つ瀬が無いというわけだ。

(1997/09/15)桂花

九州トンコツラーメン「桂花」私はここのコンドロイチン中毒患者なのです。お食事処のコーナーでもラーメン屋はいまのところ2件しか載せてなくて、そのひとつが桂花です。ずいぶん前に雑誌などで知ってはじめて食べた時はちょっとくせがあるかな、と思いましたが「3度行けばやみつき」とか書いてあったのを思い出して、勇気を出してまた行きました。するとどうでしょう、大きな桃がどんぶらこ、ちゃうちゃう、ほんとに病み付きになってしまいました。100回以上は行ってますが99%は太肉麺(ターローメン)を食べてます。肉麺汁3拍子そろったうまさで、ほかのトンコツ店へ行くと物足りなくなってしまう後遺症を併発しています。
土曜日の晩は桂花off会で太肉麺を食べました。もちろん汁は飲み干しました。参加患者は7人。きみえさん、ことこさん、もとさん、加ト吉さん、けんたお、ラーメン元博士、俺。そのあとボーリングをして、隣のレーンで5連続ストライクを出した見知らぬ石川さんに度肝を抜かれて(見られてる、と、こっちを意識し始めた石川さんはボロボロになっちゃいました)最後は6マイナス2プラス1人イコール5人になってカラオケしました。予約曲が9曲までなので、凄まじい予約争いが展開されたのです。死人は出ませんでしたが。というのは誰一人トカレフを持ち歩いていなかったからです\(^o^)/
そのときの写真です。143kbもあるタコ写真だから見ない方がいいです。

(1997/09/13)入院の記憶

いままでに一度だけ入院したことがある。小学校1年の時、肺炎で3週間くらい。弱いお子さんだったのだ。そして死んだ。もとい、死ぬかと思った。その時、世話をしてくれた看護婦さんが好きだった。というかやさしいおねえたまだったから嬉しかったのだな。退院後も数年間、年賀状を出したりしたが、そのうち結婚してどこかへ行ってしまった。おやつに出てくるミルクをかけたイチゴも好きだった。リンゲルとかいう点滴をされて、病人気分だった。もとい、ちゃきちゃきの病人だった。それ以来、入院とは縁の無い脳天気な生活を余儀なくされた。とはいうものの、いつなんどき、病は木から落ちてくるか知れたものじゃない。そうでなくても流れだまに当たりやすい昨今だけに、外科医の出番もめじろおし、おじろわし。内科小児科精神科、婦人科眼科泌尿器科、耳鼻咽喉科で淫行か?というわけで、あほ病棟が開院した。というわけもくそもないが、今の所、入院患者を募っているだけで、これといった企画も五画もないのです。洒落で入院していられるうちが花なの鴨新米ね。

(1997/09/07)嗤う伊右衛門

京極夏彦の「嗤う伊右衛門」を読んだ。いわゆる四谷怪談なのだが、めくるページの端々から面妖なおどろおどろしさが染み出してくる。この人の文は凄い。どれだけ才能があれば、このような文章が書けるのであろうか。戦慄さえ覚えるほどの筆運びだ。「姑獲鳥の夏」も読んだが、妖しい雰囲気はほとんど一緒だ。そうは言っても、物の怪や幽霊のたぐいが本当に登場するわけではない。しかし登場している。行間の節々に得体の知れないモノ達がうごめきひしめきあって、読む者の脳裏にしがみついてきて「さあ読め」「いま読め」「死ぬ前に読め」と煽り立てる。「ページを捲れ」「次はすごいぞ」「休むなよ」と囃し立てる。読者は矢も楯もたまらず時間の壁をなぎ払って読み耽ることになる。こんな文章を書く京極はどんな年配なのかと思えば、若い。天才に年齢は関係ないのだ。それにしてもこの人の文章には見慣れぬ漢字がたくさん出てくる。PCの漢字変換で素直に出てこない漢字が頻出している。「嗤う」だって出てこない。「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「絡新婦の理」「鉄鼠の檻」FEP泣かせなタイトルだ。さて未読のものも読むつもりだが、困った事に本がやたらに分厚い。通勤電車で持って歩くのが難儀だ。リブレットより厚いのだぞ。

(1997/09/05)なんのこっちゃ

テレビ見てたらちっちゃい子がインタビューされていた。:アナウンサー:「ボクは大きくなったら何になりたいのかなあ?」:ちっちゃいボク:「うーんとねえ、んーん、オデンジジュース」:アナウンサー:「んふ、んふ、んんんんふ、そうなの、オレンジジュースになりたいのぉ?」

なかなか有望な新人だな、ちゃうちゃう、子供は夢があっていいなあ、多分ちゃうちゃう、何が好き?って聞かれたと思ったんだよねボクは。夢があってよろしい子供は「あんぱんまん」とか「ドラえもん」とかいうのだな。それも冗談ではなく、理想でもなく、本気で「ドラえもん」になろうと思っているのだからいいよね。そう思っているうちが天国だな。自分がドラえもんにはなれないと思い始めたらもう大人への階段を転落していくだけだもんね。

俺は小さい頃何になりたかったのだろう?覚えてない。そのかわり、親に聞く所によると、バスが欲しかったらしい。御殿場駅前に並ぶ富士急行バスにしがみついて「バス買うぅ(;o;)」と泣いておねだりしたらしい。バスはおろか中古の乗用車でさえ買えない貧乏家族だとは思わなかったのだろう。だから今でもバスが好き、なんてことは言わないけれど。バスに乗れば酔うし、バスで通う所に住みたくないし、電車のほうが好きだったりして。

トロリーバス(所謂パンタグラフが付いていて電気で走る)は小さい頃、東京の親戚のうちに行った折りに乗った。懐かしいトロリーバスはバンクーバーの街中を元気に走っていた。あの街にいた頃は毎日のように乗っていた。あれから10数年たった今では多分もう走ってないと思うけど。市電が復活してトロリーバスも復活したら空気もかなりきれいになるのではないか。

(1997/09/02)ダイアナ元妃死亡

唐突に飛び込んできたニュースは世界中を驚かせた。あまりにも有名な美女の死亡記事。それも交通事故死である。ドライバーが飲酒状態だったなどの新事実もあるとは言え、やはりパパラッチなる極悪賞金稼ぎのインパクトが強い。有名人を執拗に追い回し、スクープを撮っては売りつける。今回もダイアナ妃が事故車の中で瀕死の状態を撮影した写真を4000万円で売りつけようとしたパパラがいたという。それが仕事だ、と言ってしまえば確かにそうかもしれないし、パパラッチが率先して撃ったり刺したりの犯罪を犯しているわけでもないが、あまりにもエゲツない。金のためなら何でもするぞという腹だ。有名税?、公人にプライバシーはない?私人にはわからんことだが、やはり迷惑なものは迷惑だ。汚職脱税三昧の被疑政治家とは訳がちがう。その情報を買うマスコミと見たがる観客がいるからだ、とも言えるけど、その報道戦争が事故死の引き金になることまでは望んでない。気分が悪い。

日本でもよく見る光景だが、死亡した被害者の親族に向かって「今の気持ちは?」などとマイクを向ける気違い報道記者がいる。聞くまでもないだろうに。聞く前から答えは判っているだろうに。馬鹿である。良識が欠如している。どうもマスコミとはそういう変な人間が集まっている所らしい。マスコミ関係者は偉いと思っているのかもしれないが、妙に居丈高にふんぞり返り偉ぶったマスコミ関係者がうようよしている。もしそれが一部の者の姿だとしても、傍から見れば十把一からげである。それは、そのような記事の得意なマスコミ自身よくわかっている筈だ。

(1997/09/01)\(^^@)/送別off会

土曜日に恵子さんの送別off会が新宿でしめやかに、というか、わいわいがやがやと執り行なわれました。参加者は\(^^@)/さん、きみえさん、HANAEさん、ことこさん、もとさん、けんたおさん、らーめん博士、こまくささん、加ト吉さん、Teraさん、みんつさん、ほそぎゃん、カカロットさんと私です。恵子さんはちゃきちゃきのアメリカ人で、ちゃうちゃう、アメリカ留学中で一時帰国中でしたが、虫歯の治療も終わったので、ちゃうちゃう、夏休みも終わったので、またアメリカに帰るのです。今度来日するのは1年後だそうです。恵子さんはボケとツッコミの両方を、そつなくこなす人で、ちゃうちゃう、いや、ちゃわないちゃわない、その過度なアメリカンジョークが日本人を震撼とさせる、ちゃうちゃう、周りの人を楽しませる、美酒爛漫な、ちゃうちゃう、天心爛漫な人です。またどこかで逢えるといいな、いいな銭湯ワァールド♪

お食事会のあと、カラオケ屋で騒ぎました。そこはデ、デ、デスコと一緒になった店だったので、個室のドアを開けるとギャワンギャギュギュガとうるさかったのです。そのデスコはサタデナイトなのになぜか閑古鳥でした。フライデナイトなら盛況だったのでしょうか?それとももう流行らないんでしょうか?

危ういところで徹夜カラオケになりそうな気配だったのですが、どうにか23時半ころに無事お開きとなりました。というのも、家が近い人が「だいじょうぶ、わたしタクシーで帰れるから」と言うんです。「か、かえるんか?」それでは置いてけぼりになって悲しい思いをしそうな人が多いので、いさぎよく帰ろうということになりました。そのかわり今度は、夕方からいきなりカラオケ屋に入って「耐久カラオケoff」でもしようという事になりました。耐久ったって、そのまま徹夜じゃつらいべな(;o;)

写真です。


CREATE:09/01/1997 by Kiyoharu Otake

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