雑記林花或木
[1997/10]
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(1997/10/27)冬の呼び声

会社帰りに吹く風は、既に冬の気配がした。昨日のほんのりぽかぽか陽気から一転して冷えた空気が吹いてきた。このままずるずると寒い季節になってしまうのか。身も心も寒くなる。

8月生まれだからというわけでもないが、寒いのは苦手だ。夏のうだるような暑さもひと苦労だが、どこかマヌケで脳天気な雰囲気がある。それに対して、冬の凍てつく寒さには耐え難い辛さと惨めさが漂う。暑さをしのげないのは単なる虚脱感。寒さをしのげないのは退廃的な貧乏くささ。

寒さは死を彷彿させる。ただ言葉のニュアンスだけのものではないのだろう。人は死にたくなると寒くなる。人は死ぬと寒くなる。冷たくなる。

残暑の後でほったらかしだったエアコンのスイッチを入れてみた。ひさしぶりだ。冷房25度になっていた。リモコンの設定だけが夏の想い出をデジタルで残したままだった。暖房28度にした。凍えるほど寒いわけではないが、ちょっと部屋が暖かくなったら心もちょっと温かくなった。

(1997/10/26)とりあえずデジカメで撮ってみた

買ったばかりのDC210で、さっそく撮りに行った。これこれこれ。時間も無かったのでランドマークの中を撮ってみた。いまいちかな。Kodakのデータカードをリブレットに読み込んでから、アイオーデータのPCカードにコピーして、TP380Dに読み込んだ。めんどくさい。それをVGAの大きさに縮小してみた。DC210は液晶画面を見ながら撮影するか、節電のためファインダーを覗いて撮影するかを選べるのだが、シャッターを押し手も音がしないので、ファインダーを覗いていると、撮れたのかどうなのかわからないので困った。撮影済写真の表示はスピーディでよい。プログレッシブJPGのように最初に荒い画像で表示されるのでスピードが早いのだ。検索や削除処理がしやすい。赤目軽減フラッシュやターマーも付いている。リモコンは付いてない。単三電池4本でどのくらい使えるのかはまだ知らない。

(1997/10/25)2年ぶりにデジカメ買った

土曜日なのに会社行って15時半までうだうだと仕事していた腹いせでもないが、秋葉原に行ってKodak−DC210−ZOOMを買ってしまった(^^;;←これはQV−10で写したのだよ。売り値64000円。100萬画素フラッシュ付き2倍ズーム。25萬画素フラッシュなしのQV−10に比べると320グラムと、ちょっと重い。デザインもちょっとおもしろい。レンズに蓋がないのが不安だが、いかにもカメラらしい。デザインの凄さはQV−10のほうが上のような気がする。レンズ部を回転させることもできるデジカメの新形態を確立したと言ってもいいだろう。まだ外に撮りに行ってないけど100萬画素で何を撮ろうか。1152×864の大画像になってしまうが、印刷するのが楽しみだ。パソコン接続キットは来週あたり販売されるらしい。しかし記憶媒体がミニカードでアダプターにセットすればPCMCIAカードソケットに入れて直接jpg画像をPCにコピーできるから問題ない。リブレットにカードを入れたら異常なく取り込めた。さて。ところが問題が起きた(-_-;)Thinkpad380DのPCMCIAソケットに入れたらカードウィザードが異常終了してしまう。困った(;o;)Kodakの説明書に注意書きがあった。Thinkpad760Cと760Eではカードが読み取れないと書いてある。PCMCIAデバイスドライバーのアップデートが必要だと書いてある。380Dもこのたぐいなのだろうか。WIZ.EXEのページ違反と出た。糞。週明けにIBMに問い合わせてみよう。

(1997/10/19)渋谷桂花

夜中に、けんたおから電話が来て、明日ラーメンを食べましょうなどというものだから、緊急渋谷桂花OFF会が発生してしまった。土曜出勤日。仕事を終えて渋谷に着くと、時間通りにらーめん元博士が来た。ありゃ?けんたおは?結局15糞遅刻したけんたおと3人で、センター街の桂花に行った。この店舗には「ディーディー麺」というトンカツが乗った麺、所謂パーコー麺のようなのがあるのでこれを食べた。

その後ぶらぶらしていたら、仕事を終えたほそぎゃんが到着したので、4人で居酒屋に入ってヨタ話に鼻を裂かせた。裂かせているうちに23時になり、けんたおが悪魔の一言を発した「ラーメン食べましょう」(¨;

プライムの桂花に向かった。残念ながら23時で閉店していた\(^o^)/

センター街の桂花に向かった。さっき食べた店である。恥ずかしい。残念ながら23時で閉店していた\(^o^)/

最悪のケースは脱したが、その近所の満龍というサッポロラーメン屋に入った。今度はあっさり醤油ラーメンを食べた(^^;;

その際、ほそぎゃんが注文したジャンボ醤油ラーメンの巨大さに絶句。すり鉢みたいで、レンゲも大きい。これがそのすり鉢の写真だ!!!

(1997/10/17)ダビンチの自転車

レオナルド・ダビンチが描いたといわれる自転車の設計図は、実は嘘だった、なんてことが書いてあった。60年代に修復作業をした修道士が2つの丸の絵に自転車の部品を描き加えたらしい、のだそうだ。あわわわわ。佐伯祐三といい、ミステリーサークルといい、時たま、こういう話題が持ち上がる。所謂、世界中をだまくらかしたようなものだが、ある意味、面白い。それによって誰が死ぬわけでもない。佐伯祐三の絵は、ださかったので妻が加筆したということだが、いいものが完成したのだから、それでいいではないか。内助の功だと思えば。ミステリーサークルは世界中のミステリーファンに夢を与えてきた。尾鰭がついてさまざまな怪現象も取りざたされて、宇宙人に夢を馳せた。黙っていればいいものを。ダビンチの自転車にしても、人々は信じてしまった。もともとダビンチの残したものには、優れたものが多く、自転車くらい考え出しても不思議とは思えないのだ。Windows95PLUSのスクリーンセーバーにまでなってしまうくらいだ。先祖代代の骨壷にマイセンのマークが入っていたり、国立博物館の埴輪くんの底にサンリオのマークが入っていたり、よくあることだ。みんな気づかないだけだ。「皆様の心の隙間をお埋めいたします」そして人々は心の隙間を埋められてしまったまま、長い年月が過ぎ去ってしまったのだ。

(1997/10/14)魍魎の匣

京極夏彦「魍魎の匣」を読み終えた。<箱の中の少女は、ほぅ、と言った> ああ、サイコだ。できすぎてる。伏線貼り放題。気づかない読者が悪い。鳶職の弁当箱みたいに厚い本だった。おしまい。え?おしまい?ほぅ。

(1997/10/13)日経01にあほ掲載

日経ゼロワンに「あほらしか」が掲載された。何か久しぶりだ。7か月ぶりだ。今回の紹介のされかたは、結構いい感じ。というのも同じ枠の中に、天下のおバカの世界百舌花さんと一緒に(十ぱあ一からげ)といった案配で載っていた。この編集した人は多分くだらないサイトがすごく好きそうな人なのだ。三輪車オヤジがMETAタグで表示され、さらに噛み紙に指を噛まれた瞬間を的確に捉えて載せてくれた。感謝顔射多謝。その他、百舌花さんの似顔絵隠れ写真とか、火星のうずまき星人目撃写真、うんこ川柳「乙女ごころと今朝のクソ」など、マニアックな図を貼り付けている。あほワールドのゆうちゃんを「うずまき星人からナルトを取って目と口をつけたような」と臆面もなく形容し、4コマ漫画が読みやすいように縦長に貼り付けたりと、まめな編者だ。

(1997/10/11)ようやく壱万こむらさき

へい、らっしゃい、こっちのページがようやく10000カウントになりました。22か月半もかかりました(^^;;;;;;夜中にどすこいさんと、あき2が気づいてリロードしていて、あき2はどすこいさんに10000を譲ろうという気持ちでいた(本人談)らしいんですが、どすこいさんが「それはありがたや、ほな、もらいまっさ」と思った瞬間、ラーメンはかせが飄々となにかひらめきました、じゃなくて10000外道を掻っ攫ってしまいました。かんとも。おめでとぉ\(^o^)/。あき2は目標通り9999をゲットしました。そういえば、あほらしかの19999もあき2が取りました。ほんまに酔狂なあんちゃんですね。いやはや。

そういうわけで今日は友人と「ラーメン博物館」に行ったんですが、込んでました(-_-;)この間いった時は空いてたので、もう大丈夫だな、とたかをくくっていたら階段の上まで並ばされて、麺を口に入れるまで1時間ちかくかかってしまいました。うーむ、あなどれんなあ、博物館。新店舗も出てました。旭川らぅめん「青葉」来年の9月までだそうです。醤油味だそうです。それはほっといて、こむらさきの王様ラーメンというのを食べました。トンコツでまあまあおいしかったのです。仮にここを「こむらさき2」とします。以前にラーメンはかせから鹿児島土産の、こむらさき持ち帰りラーメンセットを貰いました。仮にこれを「こむらさき1」とします。この「こむらさき1」セットはうちで作ったにもかかわらず、忘れられないおいしさでした。すごい!!こんなにおいしいならラーメン博物館にもあるから...と思っていた時、「こむらさき1」と「こむらさき2」は全然別の店だという怪情報をラーメンはかせから聞いて愕然としたのです。んでその「こむらさき1」は鹿児島にしかないのだそうです。嗚呼。哀号。

(1997/10/10)運動不足解消

体育の日だからというわけで、最近の運動状況。3月から近所のアスレチック・クラブに行き始めた。仕事が終わった後に行くので1時間ちょっとぐらいだが、運動不足解消策としては充分役立っている。忙しい時は残業で、行く暇がないときもあるが、週に2〜3回行ければいい、という感じだ。近頃は会員獲得競争で50000円とか取るはずの入会金が「今なら」0円などとうたっているクラブがほとんどだ。多分1年中「今なら」状態だろう。筋力アップのマシンを使ったり、自転車漕ぎマシン、ランニングマシンなどで一汗かく。近頃はランニングマシン30分くらいならなんとか続けられる。プールもあるので、短時間だが泳いだりする。無音の水中は悟りを開きそうになるくらい心安らぐ不思議な場所だ。もちろん悟りは開いてないけど。以前も御殿場のアスレチック・クラブに入ったり、前の会社の契約していたクラブに行ったりしていたが、その頃はやらなかったエアロビクスにも参加したりする。私はエアロビクスを見くびっていた。あんなワイワイダンスで運動になるのだろうか、といった気持ちでいたのだ。しかし参加してみると、それが誤解だったことがわかった。60分くらい休みなく飛び跳ね続けると汗びっしょり、終わったあとで体重を計ると400〜500グラムは減少している。多い時は800グラム減っていた。ジムマシンと違って、自分のペースでするわけではない。インストラクターのペースでするので、たまにはきつい時もある。しかし問題はきつさではなくタイミングである。動作の切り替わりがやけに早いのだ。複雑な動作が続くとついていくのに苦労する。こっちはインストラクターを見ながら必死に真似してるのに、時々「はい続けて」とか言って後ろに周られたりすると、途端にハチャメチャになってしまう。慣れもあるけど、物覚えが悪いのか臨時アルツハイマーなのか。それはともかく終わった後は気分爽快だ。シャワーを浴びて風呂に入ってくつろぐ。水風呂も爽快。これから冬に向かって、いつまで水風呂入れるのか、ちと心配だが。愚問が出るまえに言っておくが、レオタードは着てないよ。

(1997/10/06)画家リキテンスタイン逝去

アメリカのポップアート画家ロイ・リキテンスタインが亡くなった。大ファンというわけではなかったが、この人の作品は一目見ればすぐそれとわかるものだった。はじめてリキテンスタインの絵を「ほう」と認識したのはロンドンのテートギャラリーに行った時だった。戦闘機の爆撃シーンのいわゆる「漫画」なのだが、やたらとでかい漫画なのだ。でかい画面にドットでこれ見よがしに漫画風の絵が描かれている。近くで見ると点の集まりになっている。離れて見ると絵が現れる。全てが点描というわけではなく、場所場所がベタ塗りであったり、コミックに出てくる効果音やセリフまで描いてある。上手とか下手とか言うよりも、こんなふうにコミックの1シーンを描いているだけでも、表現方法によってはゲイジュツとなるのだなあ、という妙な感心をしたものだ。誰でも描けるが最早誰にも描けない。いまさら同じ事をしてもリキテンスタインの真似だとあからさまに判ってしまう。最初にやった者の勝利である。

(1997/10/05)お好み焼きoff会

昨夜は8人ほど集まって渋谷でお好み焼きoffをした。参加者はきみえさん、ことこさん、もとさん、らーめん、加ト吉さん、ほそぎゃん、けんたお、俺。雨の渋谷で5時ころからお好み焼き屋へ直行して、いきなりジュージュー始まった。カップにてんこ盛りの具をかき混ぜると、どうもポロポロ具が落ちてしまう。ここは上手な人に任せるか、めんどくさがって鉄板にばらまいてからシュビシュビっとかき混ぜちゃう。油がはねて、煙があがってメガネの内側がオイリーオイリーになってしまった。おいしいお好み焼きやら鉄板焼きやらたらふく食べて3時間ちかくウダウダやってて1800円くらい。安い安い。その後はカラオケに向かったのだが、渋谷難民の雑踏の中で二手に別れてしまった。ここで携帯電話が威力を発揮、事無きを得たのである。カラオケ屋での予約バトル2時間半あまり、歌いながら次の曲を予約する猛者まであらわれる始末で、流血死者100人の賛辞の末、お開き。今回はつつがなく帰宅できた。写真は3〜4枚写しただけで、まだカメラの中。代わりにモジラの写真でも載せておこう。提供はモジラ人格1

(1997/10/01)とんずらぴいさんの絵葉書着いた

毎度お馴染みのとんずらぴいさん、ただいまとんずら中のとんずら先から絵葉書が来ました。7月30日に脱走したぴいさんはタイ、ラオス、マレーシアと周り、今はコタパルという所に滞在中だそうです。現地で知り合った女の子と飲みに行ったりしながら、ああ、人生を満喫しているようです。そろそろ帰って来る筈が、居心地の良さに延び延びになりそうで、正月まで帰ってこないかもしれません。コタパルにいつまで滞在するのか自分でもわからないくらいだから、葉書に住所が書いてないのはいいとして、ぴいさんてば、名前も書いてありませんでした。当初の予定通り東南アジアからの葉書で、文面からぴいさんだとわかりましたが、これがアルゼンチンとかウルグアイからだったら、もうちょっと悩んだかもしれません。さて次はぴいさん、どこ行っちゃうんでしょうか?

CREATE:10/01/1997 by Kiyoharu Otake

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