雑記林花或木
[1997/11]
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(1997/11/26)風が強いよ

文字どおり風が強かった。会社帰りに電車を降りたらびゅうびゅう吹いている。少しだけれど雨も降っている。しかたなく折り畳み傘を差してポケポケ歩いていたら突風が来て傘の柄がプキッと折れた。ぎゃ!しかたなく傘の付け根の当たりを押さえてガシガシ歩いていたら、次なる突風で傘がすぼまってしまった。うにゃ!差し直すにも柄がないのでできない。このままノコノコ歩いていたらびしょぬれになってしまう。しかたなく走り出した。左手に鞄、右手に死んだ傘を持ってバシバシ走った。何で傘持ってるのに差さないで走ってるんだ?と、見知らぬ人が指を差すぅ、ごらんあれがカッパの屁だ鬼太郎のおやじぃ、んなこと言ってる暇もなくうちまで走って帰った。やっぱり濡れた。糞ぅ、傘が一本御臨終。風のせいかしら?そうじゃて。

(1997/11/24)大食い決戦OFF会

なんのこっちゃ?東西大食い決戦だそうだ。大阪からさたさんが上京、日頃の大食漢を披露するというので、東の巨頭きみえさんが受けてたった。なんのこっちゃ?

0.5次会で喫茶店に三々五々集まったのは、らめ、GT、加ト吉、ほそにゃん、こっとん、堀川、けんたお、さた、きみえ、らしか。らめは友人の結婚式だというので、ここでさよなら。なんのこっちゃ?

さて、串揚げの店に行き、わいわいがやがや食卓は進み、ついにきみえさんがギブアップしてしまった。とはいえ、きみえさんとさたさんは常人の倍は食べていた。勝者のさたさんにはきみえさんから軽井沢土産の蜂の入った酒のようなものを贈られた。2次会はけっこうおとなしく、4〜5人で居酒屋でしばし過ごし、私は電車を気にして23時半には帰った。そのあともしばらく居たらしいが、その日のうちにつつがなく終了した。

私は今月4回もOFF会をしてしまって金欠気味である。京都にも行ってしまったし、で、で、でじかめも買ってしまった。そのかわり現像のいらないデジカメで写真が撮れるから、安上がり、とはいえ、初期投資回収までは何年もかかりそうで、そうこうするうちデジカメも壊れてしまい、新しいのを買うという、堂々巡りをするに違いない。なんのこっちゃ?

これが写真です。

(1997/11/21)週間アスキー

週間アスキーを買ってみた。おお、これなら大丈夫だ、すぐ休刊(廃刊)にはなるまい。なぜなら、あほEYECOMそのまんまだからだ。EYECOMとどこが違うかというと、名前が違うだけだ。値段は320円か、なんだその20円は。せめて300円にしろ。できれば250円にしてほしい。そうすれば毎週買っても、ひと月1000円できりがいい。安くすれば売れるぞ、読まない人でもちょっと買ったりするぞ。紙の質なんて再生紙で充分だ。東京トホホ会とか、カオスとか、なおさんとか、ろくでもないのがなかなかいい。CD−ROMなんぞ付けて値上げしなくていいから、どんどん安くしよう。それでこそ週刊誌だ。

(1997/11/16)薄曇りの京都

土曜日、曇りがちだが薄日がさしている。どうやら天気は持ち直したようだ。きのう通り過ぎた京都タワーに昇ってみる。間近に見下ろす駅ビルはやたらと横に長かった。この間、横浜マリンタワーにも昇ったが、こういうタワーの内部はどこも似通っていて、どこか古ぼけた田舎臭さが漂う。全然ファッショナブルでない所が持ち味とでもいうか。

東山に向かって歩き出した。道すがらFSココイチを発見、カレーを食いたくなったが先程ホテルの朝食を食ったばかりなのでやめた。

国立博物館に立ち寄る。建立100年経った威勢のいい建物だ。閻魔王の彫像がいかつい顔でにらんでいる。静寂の中、閻魔王の顔を見ていると、私が裁きを受けているような気がする。地獄ゆきだろうか。今こいつが動き出したらコワかろう。

道を渡って三十三間堂に入る。たくさんの仏像が整然と並べられていた。

清水寺に向かう。賑わっていた。紅葉がこれでもかというほど目に飛び込んでくる。美しい。

三年坂、二年坂を抜けてバス通りへ出て昼飯を食う。みーこさんからPHSに電話が入った。指令だ「詩仙堂へ行け」

指令にしたがう前に銀閣寺へ行った。すごい人出だ。観覧通路が通勤ラッシュの駅のようだ。哲学の道も人の波で、哲学する暇もなさそうだった。

詩仙堂の庭がきれいだと、みーこさんが言っていた。確かにきれいだ。陽が当たっていたらもっとよかっただろうが、あいにく曇り空の夕刻近い時間であった。

疲れて駅行きのバスに乗ったら混んでいてもっと疲れた。渋滞で遅々として進まない。途中で降りて地下鉄で駅に向かう。

駅前で仲間と待ち合わせて、河原町に向かった。

「京都OFF会」の始まりだ。このために十数年ぶりに京都へ来たのだ。参加者は、松本さん、おじちゃま、爺、あき2、すばる、らめ、どすこいさん、さた院長、と俺。京都住まいがひとりもいない京都OFF会。

おじちゃまと爺は1次会でお別れ、2次会はカラオケに行った。途中で松本さん、さた院長、どすこいさんとお別れ、夜中の2時ころカラオケが閉店で天一へ行きらーめんを食べた。それから別のカラオケ屋にまた入り5amまで過ごした。24時間営業の喫茶店でうだうだしてから駅に戻り、ようやくお別れ。昼過ぎに家に戻って寝て起きたら20時半。これで日曜は終わった。7時間ほど歩き続けた末の徹夜OFF会は、さすがに疲労困憊だった。

(1997/11/14)雨の京都

金曜日。新横浜8時48分のこだまでおよそ2時間40分、名古屋に着いた。丸い鼻の古い車両だった。名古屋で乗り継いだとんがり鼻のひかりでおよそ1時間、京都についた。雨が降っている。

できたばかりの京都駅ビルを物珍しげにうろついていたら1時間たってしまった。あほらしいほどのでかさだ。傘をさしてビルの頂上まで昇ってみたが、ローマのコロセウムをてっぺんから見たような感じだった。空中通路なるものがある。怪しげだ。先日、東京国際フォーラムのビルにも行ったがなんとなく雰囲気が似ていた。

京都タワービルのアナウンス「京都一高い展望台からは京都の街並みが一望のもとに....」こんなうざったい雨の日でも同じアナウンスか。晴れなけりゃ昇る意味が無い。

ジュクジュクとした天候でどこにも行きたくなくなってしまう。しかたなく京都国立近代美術館に行った。京都市美術館と向かい合って建っている。その間の道の奥は平安神宮だ。行かなかった。

土曜日も怪しい雲行きだ。やな天気かもしれない。

(1997/11/13)ぴいぴい通信

とんずらぴいさんからオテマミが着きました。10月のマレーシアから、今度はタイに流れ着いたようです。「戦場にかける橋」の舞台となったカンチャナブリにいるそうです。あいかわらず本を読んだりボケボケしたりと、優雅に暮らしているようです。バンコックにも長逗留するようで、なんとアパートを借りてしまったようです。ほんとに帰ってくる気があるんでしょうかね。そのうち「ワタシ、タイ、カラキタ、ピサンアルヨ」とかいいながら来日するかもしれませんよ。

(1997/11/12)URL引越

病院のページのURLを変更した。気分が良いから変更したわけではない。そんな酔狂な暇人でもない、こともない、けれども。アスキーAIXがプロバイダ稼業をやめると言い出したのだ。寝耳にミズスマシである。只のアスキーフリーウウィもやめるようだ。ホームページ置いてる客にとっては困ったことである。たかが遊びのページとはいえ、いきなり「やめます」ではやっぱり困る。住んでる土地がいきなり気仙沼になったような、最寄りの鉄道がいきなり廃線になったような気分だ。1月24日でアスキーのHPは消滅する。しかたないから早々と年間5000円のレンタルサーバを借りて引越した。テレホタイムはちょっと重い。すぐできるはずだったが、カウンタや入力フォームのテストで4日ほど遅れてしまった。アスキーAIXは完全従量制で1分10円だったので、ほとんどメールとFTPぐらいしか使わなかった。だから月平均500円くらいしか払っていなかった。多分おおくのユーザがそんな使い方だったろう。アスキーは儲からなかった。だからプロバイダを廃業するのだろう。そういいながら企業向けのサーバ事業は続けるようだ。しかしながら企業に信用してもらえるだろうか。会社の業績を左右する大事なホームページがある日突然「やめます」なんてことになったら、洒落にならない。アスキーは経営が危ういようだからいろいろ試行錯誤しているのだろうが、週間アスキーみたいなありさまにならんとも限らない。好きだったアホEYECOMも無くなって週間アスキーになるようだし。週間だったら250円か300円くらいで売ってほしい。あれやこれやで騒々しいアスキーだ。

(1997/11/10)横浜山猫OFF会

土曜日の夜、山猫OFFで関内に向かった。山猫ろーさんが企てた無計画成り行きOFF会、無計画といっても、どうせする事は決まっているようなものだが、とにかく1次会の場所も集まってから決める手筈(手筈というか)なんと、ろーさんは自転車で来ていた。これが実に役立った。最初に集まったのは、ろーさん、こうちゃん、そのけんさん、さんしさん、こくどうさん、がっちゃん、こだまさん、きむらひろこさん、それと私で、そろそろと歩き始めて3分ほどした頃RuiRuiさんからTELが入って、ろーさんは自転車で駅に迎えに戻った。そのあと場所探しに、ろーさんは自転車で行った。居酒屋で1次会。そのうちKojiさんからTELが入り、ろーさんは自転車で迎えに行った。Kojiさん、Kenjiさん、海道さん、吉川さん、向日葵さんとゲームセンターで待ち合わせる。ここで、こくどうさんとがっちゃんはお別れ。ボーリング場へと向かう途中で、あぽりーさんからTELが入る。ろーさんは自転車で迎えに行った。ボーリングの最中にみわさんからTELが入る。ろーさんは自転車で迎えに行った。みわさんとじゅんじゅんさんが来て打ち止め。3ゲームやってからカラオケに行った。Kenjiさんは寝ると言って帰った。賢明な人だ。ろーさんは自転車を引いていった。牽引な人だ。3AMごろ、今日も仕事だといってKojiさんが帰った。不憫な人だ。海道さんと吉川さんも同じクルマで帰った。5AMにカラオケ打ち止めで外に出る。まだ暗い。ファミレスに入る。なんとなくボヤボヤ過ごすうち明るくなってきた。眠気に勝てずにRuiRuiさんが一足先に帰った。ろーさんは寝ていた。うだうだと駅に向かう11人。さあお別れだ、と思ったら、ろーさんが一言「帰りたい人は帰って」まだ何かやる気か?とりあえず私は眠いので帰った。後から聞いた話では、6人ほど残っていた人達はバドミントンを死に行った、ちゃうちゃう、しに行ったらしい。タフである。私は寝て起きたら夜になっていた。あぁあ。

最後に近い頃の写真です。

(1997/11/04)横浜馬車道まつり

関内の馬車道を文明開化の馬車が走ると聞いて行ってみた。おお、走っとる走っとる。1頭立て馬車や2頭立て馬車がモデルや一般客を乗せて、馬車道を行ったり来たりしている。人力車も走ってきた。通りのそこここに鹿鳴館時代のスタイルをしたモデルが佇んでいた。馬車道通りは休日でもそれほどにぎやかではないけれど、この日は賑わっていた。撮りおわった写真を現像するべく伊勢佐木町のほうへ行ったら、輪をかけて賑わっていた。

横浜写真館のコーナーに馬車の写真あります。

(1997/11/03)新宿ハブ酒OFF会

2日の日曜日、ねぎねぎさんの呼びかけに何となく集まってみたらOFF会になった。日記関係筋のOFFである。参加者はおいらと、ねぎねぎさん、ねぎ友達のてるちゃん、ポタラカたみおさん、みやちょさん、新屋さん、近藤さん、かわちゃん。新宿で中華小皿料理食べ放題というところに行って、ちょっと食べ過ぎた。2次会は安易に同じビルの居酒屋に潜り込む。しかしもうあんまり食べられない。みんなが酔っ払った頃、ねぎ友達のいわみさんがやってきた。あまり話す時間がなかったが、ねぎ友達は総じて飲兵衛らしい。3次会はカラオケに行くという。もう疲れてきたので、おいらと近藤さんはお帰り組。みんなは楽しんだだろうか。そうだ、なぜハブ酒OFFかといえば、ねぎねぎさんがどっかから持ち込んだハブ酒を飲もうという意図だったようだ。箱は見たんだけど、居酒屋で開けるわけにもゆかず、きっとカラオケしながら飲んだことだろう。そういうわけでハブ酒OFFなのであった。かんとも。意味の無い写真

(1997/11/02)777

10月31日抽選のナンバーズ3の309回ストレートは「777」だった。当たったわけではないけれど。そんな数字買わん。縁起はいいけれど。それで賞金はどうかといえば57100円。安い。ということは777を買った人がたくさんいたということだ。やっぱり縁起かついでいる人が多いということかな。ナンバーズ4の7777はまだ出ていない。週2回の抽選だったナンバーズの抽選が週3回に増えた。回数が増えれば当たるチャンスも増えるが、それだけたくさん買わねばならない。第一勧銀の営業戦略にはまってしまうと出費が痛い。しかたないので今まで2種類選んでいたナンバーズ4の番号を1種類に減らした。それにしても当たらないなあ。

(1997/11/01)東京モーターショー

2年に一度のモーターショー、ここ10数年、毎回同じ友人たちと行くのが慣例となっている。土日は混むからと、毎回平日に有休を取って集まる。次の日が仕事ではぐったりするので、今回は10月末日しか選択の余地はなかった。PCエキスポなどは平気でクルマで行くのだが、モーターショーだけは逆に電車を利用する。近頃は京葉線などの便も整って楽に行けるようになってきた。それほど混雑もしない。

会場内も人はたくさんいるのだが、今年は比較的ゆったりしていた。2階建て展示ができるようになり、上から見学できるメーカーもあり面白い。ベンツの展示場は一方通行のスロープを昇っていって2階に至るというユニークなもので面白いのだが、そこを電動車椅子で登りながら見学しているひとがいた。なるほど便利だな、と思っていたのだが、後で、降り口が階段になっているのに気づいた時、さっきの車椅子の人はどうしたのかと気になった。

コンパニオンの服装も緩和されたということで、レースクイーンのような水着コンパニオンもいた。自粛したはずの三菱のコンパニオンは露出度を減らしたらしいが、かえって目立つハデな色合いで笑ってしまった。モーターショーへ行く目的は「クルマ」と「コンパニオン」と「同窓会」である。大事な要素のひとつなのだ(^^;;

省エネ、地球にやさしい、アウトドアなどが目立つ。ギンギンのSFチックなコンセプトカーは近頃は少なくなり、コンパクトカーが多かった。どこのメーカーに行ってもワゴンやRVが目白押しだ。気に入ったのはボルボV40。小柄で丸みを帯びた嫌みのないスタイルのワゴンだ。リアハッチを開けるとカーゴルームがフラットになっていないので荷物の出し入れがしづらそうなのが問題だが。

今回は35ミリコンパクトカメラと買ったばかりのKodakのデジカメを併用してみた。デジカメのほうは光の加減で暗く写ってしまうことがある。その場で削除して取り直しができるのはいいのだが。デジカメは29ミリ相当の広角なのでクルマに接近しても全体を入れやすくて重宝した。

見終わってから例年どおり近所の友人宅に行きひとしきり遊んでから解散。結局家に着いたのは日付が変わってからだった。


CREATE:11/01/1997 by Kiyoharu Otake

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