雑記林花或木
[2000/03]
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(2000/03/28)救命士

 やたら真面目な映画である。変な言いかただけど。マンハッタンで救命救急を続ける男ニコラス・ケイジの話である。いろいろと胡散臭い事件や事故で瀕死の重傷を負った人々を救うことに喜びを覚えてしまうような救命士の仕事。その生真面目さゆえに、助け損ねて死んでしまった人々を思い煩う日々。その亡霊が救命士を責め立て悩ませる。やりきれなさにドラッグをやってみたり、暴挙を働いてみたり。悩みながら生きている男の真面目な物語である。怪我人を救う前にまず自分自身を救わねばならない。どうすれば自分を納得させられるのか、どうすれば救えなかった亡霊に納得してもらえるのか。良いこともあれば悪いこともある。しばしの安らぎに心を休めた男はまた、街を救いに出かけるのだ。

 決して静かな映画ではない。夜の町の喧騒、救急病棟の混乱、サイレンを鳴らして走り回る救急車はいつのまにかロックンロールを踊りながら疾走している。このリズミカルなシーンはとりわけ美しい。「ゴキゲンだぜ!」

(2000/03/27)グリーンマイル

 トム・ハンクス主演、スティーブン・キングの名作。死刑囚が最後を過ごす刑務所の物語である。そういう場所だけに、それだけで暗く虚しい雰囲気に包まれそうだが、その辺は能天気なアメリカ人だから心配ない。しかし別な意味で虚しくも悲しい気持ちに包まれる。双子の少女殺害容疑で死刑囚として収監される大男ジョン・コーフィと看守のふれあいが奇跡を呼ぶ。その奇跡は大きな意味を持ち、奇跡によって助けられた看守、しかしまた、その奇跡の為に忘れることのできない苦悩を背負ってしまった看守の人生の重さは、涙なしには語れない。

 結局泣かなかったけれど、3時間の長丁場とはいえ、終わって欲しくない、いつまでも味わっていたいような、不思議な気分の映画だった。

(2000/03/19)ケイゾク/映画

 あのぅ、犯人わかっちゃったんですけどぉ

 マニアックでもあり漫画でもあるケイゾクの映画を魔がさして見てしまった。中谷美紀は外せない今時のアイテムである。映画はますますわけわかんなくなっている。あいつら生きてたのか、いや死んでるのか。なんでみんな出てくるんだ。ますます漫画度が上がっている。まあなんでもいいけど。まやまさんもある意味ヤバイし、ヤバ度も増強、サイコホラーというか精神分裂デカというか、世の中が病んでるからこういうヤバ系が受けるんだな。

 中谷美紀と渡部篤郎のゴールデン・ヤバ・コンビはこのままドラマ「永遠の仔@天童荒太」にもつれこんで行くようだ。これまたちょっと悲しくてヤバイ作品である。中谷は最後に「あのぅ、犯人わかっちゃったんですけどぉ」って言ってくれるかな。

(2000/03/17)\(^^@)/来日記念オフ会

 シリコンバレーから恵子さんが帰ってきているので、オフ会をやった。参加者は恵子、HANAE、もと、ことこ、らめ、ぐーた、おじちゃま、けんたろ、俺。本当は土日にやりたいとこだけど、日本に1週間しかいないということで、友達にひっぱり蛸ちゅぅで毎日毎日宴会温泉と忙しいらしくて、木曜日になってしまった。渋谷駅の近所の居酒屋を安易に予約して、2年半ぶりに恵子さんに会った。あいかわらずそのまんまの恵子さんだった。恵子さんも「みんな変わってないねえ」と感想をもらしていたが、お互い様である。これが10年ぶりだったらもうちょっと変わってる鴨新米。前に会った時は「恵子@ニューヨーク」だったが、今は「恵子@シリコンバレー」である。東から西にひとり民族大移動をクルマでしてきた物語は恵子さんの日記に書いてある。次に会うときにはもっと移動して「恵子@ガラパゴス」にでもなっているだろうか。

(2000/03/11)マグノリア

 いろいろな人々が生きている。さまざまな出来事に悩み、喜び、悲しみながらそれぞれの人生を歩いている。偶然に出会う人、それまで知らなかった他人と些細な偶然で引き合わせられることもある。いままで知らなかった他人と人生で行き違い、結局目と目が合うような出会いもせずに他人のままでいることもある。もちろんほとんどがそのケースであり、短い人生の中で知り合う人の数など、たかが知れている。映画には主役がいる。人気者の俳優が演じる主役が映画の全てであり、取り巻く脇役は最初から最後まで脇役を演じて映画を盛り上げている。主役は誰よりも目立ち、誰よりもたくさん映り、活躍して、その映画の顔となっている。しかし現実の世界はそうではない。どんな暮らしをしていても、どんな地位についていても、どんな人と会っていても、それぞれの個人が紡いで行く生き様はその人の全てであり、主役はその人自身である。自分の人生の主役はいつも自分なのだ。たとえ社長と社員の関係であっても、その社員の人生ストーリーでの主役は断じて社長などではない。出会ったふたりはふたつのドラマを作り出す。たとえふたりが一緒に暮らしていたとしても、それぞれが主役のふたつのドラマはまったく別のドラマである。主役はいつでもスクリーンの真ん中で生き生きと動き回るのだ。自分はずっと人生の脇役だ、などと言ってる暇はない。自分は日陰者だ、などと嘯いている時間はない。ENDマークが出るまでは主役は脇に下がってはならない。

(2000/03/08)営団日比谷線脱線衝突事故

 かなり大きな事故が起こった。このラインを利用しているわけではないが、時たま使うこともある路線での大事故で、ちょっとびっくりした。事故のあった時間にはもう会社にいたのだが、総務のおっちゃんがやってきて「ニュース見たか?見たか?見たか?」とせっつくのでYahooニュースを見たら、脱線事故の記事が出ていた。脱線で死亡者も出たとあったので、混んでて圧死したのだろうと思っていた。

 家に帰ってテレビや新聞の写真を見て驚いた。側面がえぐれていた。これじゃあ死ぬのもわかる。凄まじい写真だった。駅のそばだからそれほどハイスピードで走っているわけではないはずなのに、多分40km/hくらいじゃないかな、それが衝突したのだから80km/hくらいにはなるか。重量のある電車だけに破壊力も大きい。去年ドイツかどこかで起こった脱線事故を思い出した。あれほどの地獄絵ではなかったが、身近な路線の事故なので生々しい。

 殺伐とした世の中なので、またテロかと思ったが、どうやら車輪がレールをせり上がってしまったのが原因のようだ。こういう理由なら逆にいつでも起こりうるわけで、また心配の種が増える。電車なんてすこぶる安全な乗り物のように思うが、本当に何が起こるかわからないのが人生である。先頭車両に乗っていたら、万が一の正面衝突で危険かな、とは考えるが、真ん中の車両に普通に乗っているかぎり、何が怖いものか、と思うだろう。せいぜい通り魔に刺されないように気をつけていれば電車は安全だ、と信じてしまうのも無理はない。これからもそう信じて乗るしかないだろう。眠くても自分で運転するわけじゃないし、墜落しないし、沈没しないし、電車ほど安全な乗り物はない。

 しかし、隔壁や天井が崩れてくるかもしれないし、暴走トラックが踏み切りから突っ込んでくるかもしれないし、鉄橋が落ちるかもしれないし、不信な荷物が爆発するかもしれないし、毒薬が振り撒かれるかもしれないし、いきなり傘でさされるかもしれないし、酔っ払いに吐瀉物をかけられるかもしれないし・・・それでも乗らなければならない電車。

 やっぱり電車は安全な乗り物であるべきだ。

(2000/03/04)ダブル・ジョパディー

 夫殺しの罪で服役させられていたのに、その夫が生きていた。事情を悟った妻は最愛の息子を取り戻すために、裏切った夫を探し始める。「二重処罰の禁止」という法律を援軍に復讐に燃える女。一度殺した人間を二度は殺せない、という理屈である。

 平穏な日常から冤罪によって一転して暗い監獄生活になるあたりはブロークダウン・パレスを思い出すが、監獄の悲惨さはブロークダウン・パレスのほうが遥かに深い。この映画の見せ所は、監獄から出た妻のチェイスシーンだからそれほど気にはならない。チェイスもスピード感があるというほうでもないが、居所のわからない夫と息子を捜し出す場面はロールプレイング・ゲームをしているような面白さがあってよい。

 「二重処罰の禁止」って殺人罪だけなんだろうなあ。まさか窃盗罪には適用されないだろうなあ。有名な絵画を盗んだ奴が捕まって絵は無事に戻ったが、釈放された犯人がまた同じ絵を盗んだら、やっぱまた窃盗罪になるんだろうなあ。ってあたりまえか。でも、絵を盗んで焼き捨てたとして逮捕されたのに釈放されたら焼かれたはずの絵がまだあった、とかいう場合にそれを盗んでも罪にならないということだろうか?

 3億円盗んだとして捕まったのに、盗まれたと訴えた人の金庫には3億円ちゃんとあったとしたら、それを盗んでも罪にならないのかな? 

 「く、くそったれ、きさまに3億円盗まれてからYahoo株3枚売ってつくった金だぞ、また盗む気か、くそったれ!」

 やっぱ罪になるわいな

 愛人玲子に旦那を殺されたという本妻節子の訴えによって捕まった玲子が釈放されてみたら、節子にはちゃんと旦那がいた、玲子はこの旦那を殺しても罪にはならないのかな?

 「ち、ちくしょう、てめえに亭主殺されてから再婚したんだよ、二度と来るな、こんちくしょう!」

 やっぱ罪になるわいな

 ※同じ「旦那」ったって別人じゃんか


CREATE:03/04/2000 by Kiyoharu Otake

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