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「日本は米が主食なのにジャ
パンで、パン食のアメリカが
米国なのはなんでや」というのは昔の漫才のネタ。
アメリカの独立記念日の人気イベント「ホットドッグ早食いコンテスト」で、TV東京「TVチャンピオン」御一行の日本人三人が上位を独占してしまったのは、まあ快挙と言っていいのだろう。前夜祭でニューヨーク市長が挨拶するほどの「伝統ある」イベントなのだから、当地の新聞が「我々の独立記念日が三匹のポケモンのために憂鬱な日になってしまった」と嘆くのも無理はない。
アメリカの前チャンピオンは195cm180kgの巨漢。それが日本の50kgの若者や40kg台の女性に全然かなわないのだから、「ポケットモンスター」と言われるのも無理はない。もう、これは「大食い」「早食い」を五輪種目に加えてもらうしかあるまい。柔道を上まわる日本のお家芸になることはまちがいない。
これほど日本が強いのは、番組が定期的に人材を発掘していることが大きいだろうが、「米のドカ食い」の伝統も寄与しているのではなかろうか。欧米人に比べ腸が長いのは知っていたが、胃まで大きい(伸縮性がある?)とは知らなんだ。
人は
一日に二合五勺の米を食べると言われていた。これに一年を掛けると約千合だ。千合を十進法の伝統的単位で表わすと
1000合 = 100升() = 10斗() = 1石() すなわち、
一石は人間一人の一年分の米の量を表わす単位だということになる。一万石のお殿さまから大名と呼ばれていたが、これは一万人の人間を預かるということに等しいわけだ。加賀百万石なら百万人、大都市である。
さらに、一石の米が取れる水田の広さが一
反()(300坪=990m2)だが、太閤検地以前は一反は360坪だった。陰暦の一年は360日だから、
一坪はちょうど一人一日分の米が取れる広さに等しくなる。
さらにさらに、一両という貨幣単位は一石の米の値段が基本だったという説もある(インフレデフレで意味なくなってしまったけれど)。
米はやはり日本人の力の源だ。水田を減らすような政策は経済的には正しくても、どこか間違っているような気がしてならない。
◇
ディーン・R・クーンツ『
ミッドナイト』(文春文庫)読了。
ここに書くことはほとんど自分の好きなことばかりで、きらいなもののことはあまり書かないようにしているが、たまには「好きでない」ことも書いてみようかと思う。
「きらい」というほどではないが「気になる言葉」について。と言っても、「使うのは絶対にいけない」とか「間違ってる」などと言うつもりはないので、読んだ方も誤解なきようお願いしたい。他人が使うのにとやかくはいわないが、自分で使うにはどうにも居心地が悪く感じる言葉を列挙してみる。
「
生きざま」
「俺の生きざまを見てくれ」なんて言われてもねえ。そんなに力まなくても「
生き方」でいいでしょ。以前は「死にざま」という言葉はあっても生きざまなんて聞いたこともなかった。「ざま」は「様」だけど、あまり「良い様」を表わした言い方ではないよね。「いい死に方」とは言っても「いい死に様」とは言わないものなあ。
「生き方」ではインパクトが足りないと思った奴が最初に使ったのだろうが、こんなに普及してしまうとは、まさか思っていなかったのに違いない。
「
世界観」
私くらいの世代だと「世界観」というのはかなり大きな概念で「キリスト教的世界観」級の規模や「ドストエフスキー的世界観」位の大きさで使わないとしっくりこない気がする。「ゲームの世界観」なんて聞くと、そんな大層なもの言いをしなくても「ゲームの
設定」くらいでいいのではないかと思ってしまう(一部の大作は例外かもしれないが)。「あなたの絵の世界観は」なんて聞かれると、「そんな滅相もない」と答えるしかない私を許してください。
「
大人」
これは「大人」という言葉がきらいだから使わないというのではなく、私自身が使う勇気がない駄目人間だということである。
「大人でしょう」とか「大人ですから」なんて言われると「すみません子供で・・」と心の中でつぶやいてしまったりする。これは私が悪いのであって、「へえ、この人は自分のこと大人だと思ってるんだあ」などと失礼なことを考えてるわけではない。ひとえに私自身「大人である」自信がないからである。2児の父親が何ぬかしてるんだと叱られそうだが、情けなくとも事実なのだから仕方がない。「父親」「夫」「職業人」あたりだとなんとかだけど、「大人か」と聞かれると自信ないなあ。ま、いいけど。
「
嬉しく思います」
これは以前掲示板の方に書いたので再録。
最近スポーツ系のインタビューなんか聞いてると「嬉しく思います」という言い回しが耳につく。
素直に「嬉しいです」と言えばいいだろうに、わたしゃ「気持ち悪く思います」
日常で聞かないからいいけど、そのうち「悲しく思います」「くやしく思います」
「痛く思います」「くすぐったく思います」なんて言うやつが出てきたりして。
まあ、これは政治家やマスコミも悪いので、「
いかがなものか」「
遺憾に思います」「
善処します」なんて「あいまい言語」を得々と使ってるようでは「嬉しく思う」や「半疑問形」に文句は言えない。それぞれ「
良くないことだ」「
謝罪します」「
おっしゃるとおりにします」と、ちゃんと言えなくてはね。
◇
井波律子『中国のグロテスク・リアリズム』(中公文庫)購入。
妻と娘は観劇に行ってしまった。と、書くと優雅な母娘のようだが、区民会館(今はなんか小洒落た名前がついている)で森下洋子が『クルミ割り人形』を踊るのを格安で観られるチケットが手に入り、娘が「えー、どっちでもいい」というのを妻が半ば強引に連れて行ったというのが真相だ。
時間の関係で残された男二人の夕食になってしまい、ひさしぶりにカレーライスを作ることにする。材料は妻がそろえてくれたのでこちらは作るだけ。楽なものだ。昔は凝ってルーも香料を揃えて自作したりしたが、もうそんな気力はない(思ったようにうまくいかなかったというトラウマもあるし)
米は息子に砥がせ、私はおもむろに包丁を研ぎ出す。別に砥がなくたって変わりがないのだが、玉ねぎを刻むのを口実に必ず砥ぐ。単に砥ぐのが好きなのである。透けるほど薄く切った玉ねぎは置いておいて、ごろりと切った人参やセロリなどの野菜と豚肉をたっぷりのニンニクと生姜と一緒に大鍋で炒める。肉の色が変ったところで水をそそぎ、しばらく煮込む。
厚手のフライパンを強火で熱し、さきほどの千切り玉ねぎをじっくり炒める。カレー造りは家中が玉ねぎ臭くなるのが欠点だ。煮立ちはじめた鍋のアクをとりながら玉ねぎを炒め続ける。玉ネギが透明になり色がつきはじめてもひたすら炒める。汗が流れ落ちるのをタオルでぬぐい缶ビールの誘惑と戦いながら炒め続けると、玉ねぎは真っ茶色になり量も最初の4分の1くらいになる。香りも濃厚な甘い匂いになる。こうなったところで玉ねぎを鍋に加え、市販のカレールーも加えてしばらく煮込む。
醤油やワインや牛乳やヨーグルトや、冷蔵庫や台所で目についたものを片っ端から入れながら味を見る。最後に塩コショウとガラムマサラとかいう香料で味を整え一段落。
汗まみれになったので、後片づけは息子にまかせ、風呂に入る。あとは冷たい胡麻豆腐を肴にビールを呑みながら、カレーが熟すのを待つだけである。
カレーは翌日の方が確実に美味くなっている。あれはなぜなのだろう。「味がなじむ」というような大雑把な話ではなく、どんな化学的変化が起きているのだろう。知らなくても味に変わりはないが、なんだか気になる。
定期的に手に入る「越の寒梅」で晩酌。「手に入る」なんて書くのがおかしな話で、かつては月に何本か父が馴染みの酒屋で買ってくるのをお相伴にあずかっていたものだ。それが今はたまに見つけても1万5千円などという途方もない値札がついている。そのあおりで、こちらも毎月買うというわけにはいかなくなってしまった。それでも今も正価通りで買えるので、なんとか尋常の味わいを楽しむことができるわけだ。
美味いのはたしかだが、「寒梅」だけが突出してもてはやされるのはやはり変だ。それとも今は違うブランドが人気で「寒梅」なんてたいしたことないと言う方が、わかってる人っぽいのかな?
それも変で、美味さが変わったわけではない。
酒は好きだが、酔うのが目的ではないのでこれで当分は楽しめる。
◇
松良俊明『砂の魔術師アリジゴク』(中公新書)、谷岡一郎『社会調査のウソ』(文春新書)購入。
今日はのんびり系のネタのつもりだったけど、
こんな事件(15歳少年一家6人を殺傷)が起きると、そんな気分にはなれないな。
個々のケースについてとやかく言う知識も能力もないけど、少年が自己を抑制するには「道徳」などより「将来の夢」が必要だと思う。「未来の自分」のためにこそ「現在の自分」をなんとかしたいし、少々理不尽なことや「今すぐはかなえられない欲望」も我慢できるというものだ。それが将来に夢も希望もなかったら、とりあえず現在の欲望に身をまかせて「なにが悪いんだ」と思ってしまうのではなかろうか。
今はその「将来の夢」を持ちにくい世の中ではあるな。もちろん「偉い人」や「世間から羨まれる人」には昔も今もなかなかなれるものではない。それでもかつては「普通の人生をちゃんとやる」ことが尊敬の対象になりえたような気がする。職人でも会社員でも公務員でも主婦でも、仕事に優れ全うした人は十分尊敬されたし、自分でも誇りを持てた。
今では、そういう「普通の人にしかなれない自分」というのを、ものすごくネガティブにしかとらえられない人が増えたような気がする。会社員とか主婦ってものすごくダサイイメージなんでしょ?当のおとーさんおかーさんも「そうだよな」と自己卑下してしまっているように思うのは気のせい?
誇りを持てない大人しか自分の将来像として描けないんじゃ、夢は持てないだろう。
さて、そういう私は息子や娘に夢を与えることができているのだろうか?
おとーさんなんか、最初からメじゃないって?
そう言っていただけるとありがたい。
BSで「全米陸上選手権」などを見る。五輪代表選考会も兼ねているのだが、文字通りの一発勝負。その分観客のボルテージも高い。棒高跳びの第一人者が試技の失敗で選考落ちしたり、番狂わせも多発したが観客も選手も良しとしているようで「潔い」。
日本の陸連や水連のみっともなさと比較すると、日本人が潔い国民だなどというのは幻想に過ぎなかったのが良くわかる。
おそらく陸連や水連の主張は「日本方式の方がメダルを獲得するにはベスト」ということなんだろうが、そんなことはない。彼らは「人を支配し組織に従わせる」ことに快感を感じる人種なのである。
教育基本法の改正(悪)を視野にいれた「教育改革国民会議」の報告が出たが「奉仕の義務化」が「意欲的に」盛り込まれるらしい。彼らも陸連や水連の幹部と同じ性癖の持ち主であるのだね。自分たちが死に絶えないうちに「徴兵制の復活」まで持っていきたいと願っていることだろう。
◇
ダン・ゴードン『
死んだふり』(新潮文庫)読了。
10年ぶりだそうな。
これが景気にどんな影響を与えるのかは、私にはわからない。
ただ、このゼロ金利政策は、そごうの水島某を典型例とするバブル期の能なし経営者のでたらめ経営のつけを、国民に支払わせるための手段以外のなにものでもない。
この十年間、もしバブル期以前の金利水準だったら、国民に支払われたはずの金額はどれほどのものだっただろう。
しかし、すべては、幻の不動産投資などに失敗した企業が借りる資金の金利を事実上無料にするために費やされてしまった。それでも馬鹿経営者のほとんどは人と予算を減らす以外のなんの方策も持てず、誰か他の人が景気を良くしてくれるのをただ待つことしかできない。
で、あるからして、金融機関救済のための6千億だの不良債権の棒引きなどは「泥棒に追い銭」以外のなにものでもない。
ああ、今日はなんの面白みもない日記だなあ。腹が立つのだから仕方がないが。
◇
田中優子編『
日本の名随筆−江戸−』(作品社)、吉行淳之介・開高健『
対談−美酒の愉しみ』(新潮文庫)読了。
う〜ん、変な夢だったなあ。
出社しようとすると、いつのまにか会社の一階が古書店になっている。
店主は
如月小春のようなちょっと小奇麗なおかみさん。
彼女が「今入ったんだけど」と言って無造作に数冊床に積み上げる。
見ると手塚治虫の初期の単行本ではないか。不二書房か?
旧い造本にカラー口絵。表紙はベレーをかぶったケン一探偵長?
タイトルは『正助荘の秘密』。ミステリーらしいが実際にはこんな作品はない。
読み出すとなかなか面白くてやめられず、あぶなく遅刻しそうになる。
内容は覚えていないが、クライマックスには炎色の巨大なキノコがでてきたような?それとも舞台となった家(正助荘?)が燃え上がっていたのかもしれない。
変なのは、立ち読みするのに、女店主の背後の脇下から両手をまわして肩越しに読んでいたことだ。要するに後ろから抱きしめるような格好だが、おかみさんも別に嫌がりもせず一緒に読んでいる。
変な夢というより、いやらしい夢といった方がいいな。
一応自己分析してみたけど、恥ずかしいので書かない。
◇
ヘレン・マクロイ『
ひとりで歩く女』(創元推理文庫)読了。奇妙な謎とラストのどんでん返しに至る伏線の見事な1948年のミステリ作品。
今日はIT革命についての
立花隆氏の言葉を引用して終わり(朝日新聞本日付け朝刊)。私なんぞが付け加えることはありません。
原子レベルの物質操作で、人はすでに『神の領域』に入った。もう始まっているのです。現実に起きていることを直視しなければ、人間は本当の意味で責任をとれません。
今の技術制御の議論の多くは、科学に対する無知、無理解、反発をもとにしている。(中略)ある日ヒトラーが出るかもしれないから技術開発をやめよう、というのでは議論はなりたたない。
ぼくは、学生には、現代の教養は外国語、コンピューター、分子生物学の三つだと言い続けました。
問題は、一般の人に驚くほど科学技術の知識が乏しく、科学へのネガティブな感情が広がっている点です。科学技術立国しか道がないのに、憂うべきことです。
付け加えないつもりだったけど、一言だけ。
「
おたく文化立国」というのはだめだろうか。諸外国から尊敬はされないだろうが、かろうじて生き延びることはできるかもしれない。
1週間もらった夏休みの後半は伊豆の海ですごし、今日帰ってきたが、娘は学校のキャンプ、息子は親との旅行なんぞちゃんちゃらおかしい年頃で、ひさしぶりに妻と二人の旅(というほどではないが)になった。
やはり、夫婦だけの旅は気が楽でいい!というのが実感。子供も両親と一緒は気ぶっせいだろうが親だって結構気をつかってたのさ。
まあ、印象に残ったことは色々あったが、小学生の時以来何十年ぶりかでみた奥石廊の奇巌の奇観には、また「マーメイド2000」なんぞを描きたくなってしまった。
TV東京の「TVチャンピオン」は好きな番組だが、なかでも今日の「プロモデラー選手権」はそのレベルの高さで「ペーパークラフト王」「特殊メークアップアーチスト」と並ぶ、三大クリエイティブ系チャンピオンで、絶対見逃せない。
今日から泊まっている海の宿のTVでしっかり見たが、今まで4度チャンピオンになった「情景王」にしてうちの息子のアイドル山田卓司の三連覇・圧勝で終わった。
予選の「変身美少女」にしても決勝の「勇気」にしても、他の出場選手とはワンランク上の印象で、このへんはペーパークラフト王の大熊さんと同じである。ただ大熊さんには野田亜人さんという超強力なライバルがいるが山田さんにはいない、というのが大きな違いだ。(大家然と治まってリングに上がらない人は勘定に入れる必要はない)
予選の変身美少女で苦戦したが、これは審査員がガキだったからしかたがない。司会の大鶴義丹のカミサン(名前が出てこない※)の「年齢の差があるから、(山田さんの方が)女の捕え方が違う(上だ)」といういかにもラテン系の感想が正しい。
40歳越しても若い挑戦者に闘志むき出しで、しかし自分の世界はしっかり崩さない山田チャンピオンが大好きである。
※思い出した。ミセス大鶴のお名前は「マルシア」でした。
ネットスケープ・コミュニケーター4.7をインストールしてみる。
サイト・リニューアルのテスト用と思って導入してみたのだが、予想以上の見え方の違いに愕然とする。
特にスタイルシート関係のバグはかなり多いようだ。BODYタグのスタイルがテーブル内で無効になったり、テーブル内で配置関係のスタイルを指定するとテーブルの外の段落の配置指定が無効になったり。
色々なサイトで言われている「チェックにはネスケを使うべき。ネスケでOKならIEもOK」というのを実感する。
私はローテクのタグパンチャーなので、WZエディターでシコシコ書きながら、ネットスケープ・コミュニケーターを更新して確認というのが一番良さそうだ。
◇
小柳ルミ子の宝石が盗難されて、一時賢也が犯人か?なんてひどい噂が流れてたけど、ルパン3世の実写に大澄賢也は良く似合うと思ってしまった。不二子ちゃん役がルミ子ちゃんでは賢也があまりにもかわいそうなので、藤原紀香と言いたいとこだけど、ここはB級でそろえて叶姉妹のどっちか。
作ってもルパンファンが怒るだけで絶対当たらないと思うけど。
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