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05/11/19(土) 吉田茂という逆説
05/11/13(日) 川端龍子展
05/11/04(金) 毒殺日記
05/11/03(木) シン・シティ
05/10/30(日) 顔は恐竜100万年
05/10/29(土) 石が出た
05/10/23(日) ひさしぶりの女子百景
05/10/21(金) 体内の固いモノ
05/10/15(土) チャーリーとチョコレート工場
05/10/10(月) 暗鬼
05/10/07(金) ぶりっ子は死語ではない/MS-IMEの気配り
05/10/02(日) 中一弥挿絵原画展/池波正太郎の絵

2005/11/19(土)吉田茂という逆説

Amazon保阪正康『吉田茂という逆説』(中公文庫)読了。

本書を読むと、小泉首相の政治手法、独断的なところ一徹なところ、そして敵対する者への対処、吉田茂に良く似ている。小泉純一郎、異端児と呼ばれているが、かなり意識して保守本流・吉田茂を範としていると見たがどうか。

吉田茂は現在の外務大臣麻生(スネオ)太郎氏の祖父にあたる。私は長男の英文学者吉田健一の父としての方が印象深い。吉田茂、言わずとしれた戦後初の総理大臣だ。

その人間像は、現代の基準で言うとやはり右翼的人物として分類されてしまうのだろう。しかし、どうしてそんな単純な人物ではない。

ばりばりの反共主義者。開戦に反対し投獄された反軍主義者。

「臣吉田茂」と自ら称する天皇崇拝者。洒脱でシニカルな英国仕込みの外交官。

日本憲法の制定時の首相にして警察予備隊という名の軍隊=自衛隊の生みの親。しかしアメリカの再軍備要請をのらりくらりとかわし、旧勢力復活を断固制した旧軍嫌い。

これらの互いに矛盾しているかに見えるすべてが吉田茂である。現代のなんでも右翼左翼でわける基準からすると、さてどこにおいていいのか困惑するしかない。まさに「吉田茂の逆説」である、

本書によれば、別に吉田茂が変幻自在融通無碍だったというわけでもない。まったく逆で、頑固一徹このうえない、ゆるがない思想の持ち主だったようだ。

「陸軍が権力を握って反米英であった20年弱は日本が本来の道を外れて変調した時期であり、その時期を除けば、明治以来の近代日本にはなんら誤りはない」というのが吉田茂の歴史観であった。

敗戦後、首相となった吉田は「昭和陸軍が登場しなければありえただろう、陸軍登場以前の歴史と連続性をもった日本」を「マッカーサーを利用して再生」しようとした。

この理念を実現する戦略という意味で、吉田は占領下の政治家外交家として実に有能な官僚であった。マッカーサーや日本政界に対する吉田の駆け引き、権謀術数が本書の読みどころでありましょう。

本書は文庫としては600頁もある大著である。内容も固くて、どちらかというと私の苦手なジャンルなのだが、これが結構面白く読めてしまった。特に中盤、開戦の和平工作、戦中の公安のスパイに見張られているような生活から投獄。本領を発揮する戦後占領化での活躍、あたりが面白い。

よくも悪くも戦後日本政治の構造・体制のかなりの部分は吉田茂が作ったのは間違いない。

没後40年近いが、ここにきて、戦略戦術が吉田茂を彷彿とさせる人物が、抜群の支持率を誇る首相として日本に君臨している。意味があるのやらないのやら、どちらににしても興味深いことではあります。

*

吉田茂元首相の旧邸宅(神奈川県大磯町)が存続の危機に陥っている


2005/11/13(日)川端龍子展

江戸東京博物館に『生誕120年川端龍子展』を見に行く。

特に前知識も無く観に行ったのだが、日本画というイメージを超えた大作ぞろいで、なかなか見ごたえある展覧会でした。

たとえば「草の実」の紺地に金泥のみで描かれたススキの群れの超絶技巧。「臥龍」の奥行きある立体的な龍図。ダイナミックな波涛渦巻く「鳴門」の大迫力。ゼロ戦の透明な機体越しに雄大な山なみが見えるという「香炉峰」の破天荒な構図。その他にも「こう来るか」というけれん味たっぷりな大作が数多い。この展覧会はおすすめ。

しかし、なぜか日本画の展覧会は常に空いている。もう少し人気が出てもいいのになあと、ちと思う。個人的には空いていてのんびりじっくり見られるのでありがたいのだが。同じ入場料なら得した気分になる。今日はその少ないお客の中に、粋な唐桟縞を着こなした美女がいて、さらに得した気分でした。

2005/11/04(金)毒殺日記

16歳の少女が起した「母親毒殺未遂事件」。少女がブログに「観察日記」を残していたことが、マスコミに格好のネタを提供しているようだ。

TVでは専門家と称する人がいつものように「現代の若者は……人より優れていることを証明しようと……ネットで全能感を……」などと躊躇せずしゃべりまくっております。よく自信満々に色々なことを言えるものだ。

ネットの専門家の方が概して謙虚のようだ。

医学都市伝説の「世の中には訳わからんことする人は多い、というあたりで勘弁して頂くしかありません。自分の痛みには敏感だが、他者の痛みには全く目を向けられないという人はいますからなぁ。あの年代なら、精神疾患の始まりである可能性は高いのではないかなぁ、というのが精一杯の意見。」というのが誠実な意見ではないかなあ。

とりあえず、少女の尊敬する人物がグレアム・ヤングというのがキモだろう。

グレアム・ヤングとはこんな男だ→「殺人博物館

映画化もされている→「グレアム・ヤング 毒殺日記

中学生にして「好きな有名人が稀代の毒殺魔」というのは、そういうふうに産まれてきてしまった、としかいいようがないだろう。


2005/11/03(木)シン・シティ

最近は映画は「夫婦50割引」をフル活用していたのだが、昨夜はひさしぶりに一人で丸の内ルーブルに『シン・シティ』を見に行った。

好悪の激しく別れる映画、私は激しく気に入りました。原作はフランク・ミラーのアメコミ。プログラムによればコミックではなく、グラフィック・ノベルと呼んでいるようだ。漫画と劇画の違いのようなものか。

どんな漫画かというかと、次のサイト(暗黒太陽通信)に詳しい。
http://members.jcom.home.ne.jp/jun1f2/archive_books/dametokillfor.html
http://members.jcom.home.ne.jp/jun1f2/archive_books/bigfatkill.html

映画は漫画の世界を忠実に再現している。原作者が共同監督に名をつらねているだけのことはある。モノクロームとポイントカラーという映像表現やキャラクターの激似ぶりだけでない。動きや情感や雰囲気や、かもしだす世界が実にフランク・ミラーなのである。正確にはモノクロではなくグレースケール。その分、漫画より映画の方が湿り気を感じて、またそこが良い。

ちょっと見だとブレードランナーなどダークな近未来を描いたSFを連想するかもしれないが、ジャンルとしてはハードボイルドやフィルム・ノワールだ。犯罪と暴力の支配する架空の街。漫画的に過激な暴力は過激すぎてブラック・ユーモアのようだ。ハードボイルドらしく胸にせまるロマン。いや、いいですな。

キャストもすごい。タフガイ刑事役のブルース・ウイリスははまり役。ハルクのような怪人マーブを演じたのはミッキー・ローク。『ナイン・ハーフ』のエロ男には見えません。私のお気に入りは娼婦の大ボス・ゲイル役のロザリオ・ドーソン、エロすぎ(下図参照)。『ロード・オブ・ザ・リングス』のイライジャ・ウッドは全然イメージの違う凶悪凶暴な猟奇犯罪者を演じている。

唯一不満なのは、シン・シティの女神、ストリッパーのナンシー役のジェシカ・アルバが脱いでいないこと。本人はストリップショーを見学に行ったりやる気満々だったらしいが、父親がダメを出したらしい。チッ。

オールドタウンの女ボス・ゲイル


2005/10/30(日)顔は恐竜100万年

左の絵をクリックすると女子百景No.112のページに飛びます。

タイトルはあと付け。顔がラクエル・ウェルチに似ているかなあというのもあとから気がついた。

自分の絵を見返してみると、なんだか髪フェチのようだ。実生活では全然そんなことはないのだが、絵に描くのは、どうも好きなようだ。

かといってヘアスタイルとかファッションにはあまり興味はない。要するに不定形なものをわさわさしこしこ描いてるのが好きなのだ。


2005/10/29(土)石が出た

一週間ぶりの診察。先生はレントゲン写真を見ながら「先週より1.5cm落ちてる。膀胱の出口の手前まで来てるからもうちょっとだな。薬を続けて縄跳びでもやって」とおっしゃる。

こりゃ、長期戦だなと思って帰ってきて、まずトイレに行った。尿の出もあいかわらず景気よいのだが、「ん?」という感じでちょっと違和感があった。

し終わってから、便器をのぞくと、なにやら異なものが水辺に落ちている。ティッシュの端でひょいと拾い上げると、あきらかに石である。痛みもなにもなく、産まれてみればあっけない。

デジカメに接写機能がないので、ボケボケだが左上がその写真。長径は約4mm。ボケててよくわからないが、表面は結晶化してごつごつしている。ファンタスティック・フォーの岩男みたいな感じだ。こいつがグリグリ狭いとこ動いていれば、痛かったのも納得。

*

石が出た出た♪石が出た♪ と、うかれて、近所に最近できたインド料理店に家族で繰り出す。気さくなインド人夫妻が出してくれる料理は、なかなか本格的。巨大なナンが軽くて甘くて絶品でした。


2005/10/23(日)ひさしぶりの女子百景

左の絵をクリックすると女子百景No.111のページに飛びます。

毎日一枚描きたいけど、それは無理。せめて一週間に一枚ぐらいはと思っても、結果は月に一枚も怪しい。

やはり毎日一枚描くぞ、と思って、やっと一週間に一枚ぐらいの結果になるのかな。

昨日の造影剤を入れてのX線検査によれば、石は10cmぐらい下降して膀胱の手前まで来たそうな。先生は「もうすぐだな」というけれど、まだ全然出産の気配ありません。調子悪いけど、だましだましのんびり待ちます。


2005/10/21(金)体内の固いモノ

先週の日曜(10/16)、突然の腹痛と腰痛に見舞われた。激痛の上に血尿まであったので、さすがにあわてて救急病院に駆け込んだ。(実際は駆けることなどできないので、家族が車を呼んで運んでくれたのですが)

診断結果は「尿管結石」。ぼうこうと腎臓の間の尿管内に米粒の半分くらいの石があって、こいつを押し出そうと尿管が痙攣するのが痛みになるらしい。

とりあえず点滴と座薬で痛みはおさまり、帰宅することができた。今後は服薬して石が自然に出てくるのを待つしかないらしい。せいぜい水やお茶をがぶ飲みして大量におしっこをするとしよう(ビールでもいいのかな‥‥)

ネットで「尿管結石」を調べてみると、体を動かす、縄跳びや逆立ちがいいなんて書いてある(一応医療関係のサイト)。早速やってますが、ほんとに効くのかいな。

病気の痛みの中ではかなり上位の方で、難産の陣痛に匹敵するらしい。これで「女は痛い思いして子供産むんだからね」などといわれたら、「おれだって同じくらい痛い思いして石産んだぜ」と言い返せる。まだ産んでないけど。

いつ石を産めるかということだが、ネットの体験談によれば、こちらの人は8日間、こちらはなんと8ヶ月だそうだ。やれやれ。どちらのサイトも作者が鉱物関係なのがおかしい。

8ヶ月かかった人は石が出る前の数日間、排尿のたびに珍々の付け根に激痛が走ったそうな。今からちょっとびびってます。8日で出た人の方は、「あれ、なんか通った」程度だったらしいが、こちらでありますように。

*

あそこの中の固いモノといえば、骨標本の通販サイトを見つけました。色々な動物の各部の骨がそろっているらしいが、ここはその中の陰茎骨のページ

えーと、人間のをさがしてもありません。人間は霊長類で唯一陰茎骨のないサルなのですね。

神がアダムの肋骨を取ってイブを作ったというけれど、人間の肋骨はゴリラやチンパンジーより少ないわけではない。だから、肋骨というのは間違いで、実は陰茎骨だったのではないかという説があるらしい。どっちだっていいけど。

槍先を障子でためす大たはけ

2005/10/15(土)チャーリーとチョコレート工場

丸の内ピカデリー2に『チャーリーとチョコレート工場』を見に行く。

ティム・バートン監督でジョニー・デップ主演、期待通り、私好みの展開と映像で2時間たっぷり楽しませてもらいました。同監督作品では『シザーハンズ』系列だ。原作はロアルド・ダールの有名な童話。未読だが、いかにもダールらしい微妙なダークさ加減がティム・バートンと妙に合っているような気がする。

なんといっても大工場の造型、特に外観が素晴らしい。ファンタジックな内部の描写も、あまりCGにたよることなく(といってもどこがCGなのか良くわからないのだが)手造りな質感が好ましい。

主役のジョニー・ディップ、その父親役のクリストファー・リーはもちろん、5人の少年のキャスティングが絶妙だ。いい子はとことんいい子に見え、悪い子はこれでもかというワルがき。童話らしく戯画化されている。

ある意味本作の主役である「ウンパルンパ族」が歌い踊るギャグが何度もくり返される。くり返しはお伽話の定型的文法ではあるのだが、ちょっとベタすぎてしつこい。ここはもう少し洒落た感じにできなかったものか、というのが唯一の不満。

*

同監督の次回作(来週公開)はパペット・アニメ『コープスブライド』。こちらはあきらかに『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』寄り。ナイトメアのジャックがカメオ出演しているのではないか、などと今から妄想中……うー、楽しみ。

ロアルド・ダール『王女マメーリア』(ハヤカワ文庫/田口俊樹訳)、トオマス・マン『ブッデンブローグ家の人々(上中下)』(岩波文庫/望月市恵訳)、スティーブ・エリクソン『黒い時計の旅』(白水社Uブック/柴田元幸訳)購入。

2005/10/10(月)暗鬼

Amazon乃南アサ『暗鬼』(文春文庫)読了。

両親、弟妹、祖父母に曾祖母。今時珍しい大家族に嫁いだ法子を待っていたのは、何不自由ない暮らしと温かい家族の歓待だった。しかしある日、近所で起きた心中事件に彼らが関係しているという疑惑を抱いた法子は、一見理想的な家族を前に疑心の闇にはまっていく。やがて暴かれる、呪われた家族の真実とは。

よくできたサイコサスペンスホラー。えらく薄気味悪く後味悪いラストはいかにもB級ホラーっぽいが、私はきらいではない。

奇態な家族の正体は早いうちに割れるので、ミステリー的どんでん返しのカタルシスはない。読みどころはやはり、嫁ぎ先の家族に疑心を感じたり逆に親愛感にとらわれたり、振幅の激しい主人公の心理描写の巧みさだろう。

文庫の初版が1993年、オウムの事件の2年前だが、この家族の「手口」はまさしく「宗教」の手口だ。新興(とは限らないが)宗教が普通の人の判断力を失わせ盲目的な信者に変えていく手順が、閉鎖的独善的な家族と被害者の嫁という関係に置換えられて精緻に描かれる。被害者だった嫁が徐々に加害者に化していくのもオウムや他のカルト(とは限らないが)宗教と同じだ。

家族や友人は無条件に大切なものではない。大切なのは「宗教にはまっていない」家族や友人だ、と私は思うのである。そして一度「はまった」家族や友人を助け出すのは容易なことではない。はまりそうな人には本書を読むのを薦めるのも良いかもしれない。


2005/10/07(金)ぶりっ子は死語ではない/MS-IMEの気配り

娘「まったく、ぶりっこ女は腹が立つ」

父「はあ?」

娘「なんで男はぶりっ子が好きっちゅうか、だまされるの?」

父「ぶりっ子って、たとえばどんなんだよ。」

娘「海行ったとき、ばりばり泳げるくせに、いい男が近づいたら、急に友だちの浮き輪うばって『波がこわ〜いん』みたいな芝居をした○○!」

父「そりゃ、強者だな」

娘「取られた子は本当に泳げないから、パニくってたんだから(ちなみにあたしじゃない)」

父「具体例はわかったから、一般的にはどんな『ふり』をするわけ?」

娘「背が低くてぇ、」

父「背は小さいふりはできねえだろう!」

娘「高いところはあたしどどかな〜い、どれどれ俺がとってやるよ、みたいな、ちっ!」

娘「あと、お化けとかでる映画こわ〜いとか。あたしだってこわいんだよ!」

父「……そういう子はこわいめにあったとき、どういう声だすんだよ」

娘「『きゃぁああ〜〜』って叫んでしがみつく、みたいな」

父「お前が楳図かずおのマンガ読んでいて、おれにうしろからワッと脅かされたときはどんな声だしたか思いだしてみろ」

娘「……『うぉおお〜!』といって飛び上がった」

父「な、こわがりとかぶりっこ以前の問題なんだよ。『うぉお〜』じゃなくて『きゃぁあ』という練習でもしてろ」

娘「……けっ」

以前、MSーIMEの(初期状態では)「(いざり)」や「(びっこ)」が変換できないという「欠陥」について書いたことがあるが、最近「支那(しな)」も変換できないことを発見してしまった。

「亜米利加」「英吉利」「独逸」「露西亜」は変換できるのに。それどころか「西班牙」や「瑞西」でさえできるのに、江戸明治以来の日本文学では比較にならないほど使われている「支那」が変換できないのはどういうわけだ。中国様にお許しをいただいていないからかな。

癩病(らいびょう)」も変換できません。これまた日本の小説でも翻訳小説でも多用されている単語なのに。差別うんぬんとは全く別の問題だと思うのだが、まったくへんてこな世の中になってしまったものだ。

私が使っている辞書はWXG4なので「支那」も「癩病」も「非人」も悪意なく無邪気に変換します。「虎舞竜」や「男闘呼組」が一発で変換できるのはどうかと思うが。

2005/10/02(日)中一弥挿絵原画展/池波正太郎の絵

合羽橋道具街のはずれにある池波正太郎記念文庫に『江戸の風景―中一弥挿絵原画展』を見に行く。

中一弥については以前、自伝のレビューを書いたので、そちらを参照していただくとして、おどろいたのは同時に展示されていた池波正太郎の絵。

絵が好きというのは知っていたが、これは趣味の域を超えている。日本画風の魚の絵など鶴太郎よりずっとうまい。鬼平の挿絵を自分で描いたものまであったが、これでは挿絵画家の方も気が抜けない。自筆の年賀状の干支の動物の絵も洒脱でいい。まいりました。

来週はかっぱ橋道具まつりなので、食器や調理道具の買物のついでによって見るのもおつなもの。30分もあれば余裕で見られます。かっぱ橋のおみやげにはストラップミニ寿司がおすすめ。

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