12/01/22(日) 眼中の人のグローバルな明治 12/01/17(火) 決定版一億人の俳句入門 12/01/10(火) 海の向こうに遺(のこ)された江戸 12/01/02(月) 正月テレビ番組を見ながら、鶴屋吉信福ハ内を賞味ス 12/01/01(日) 謹賀新年【本】私的年間ベスト10【2011】 11/12/30(金) 7月〜12月読了本 |
11/06/30(木) 1月〜6月読了本 11/03/13(日) 地震翌日_我が家の些少な被害他 11/03/12(土) 東北地方太平洋沖地震当日 11/01/05(水) 武士の家計簿 11/01/01(土) 謹賀新年【本】私的年間ベスト10【2010】 |
2012/01/22(日)[本]眼中の人のグローバルな明治
芥川全集の中の自画像的芥川があまりに暗いので、バランスを取るため颯爽とした芥川龍之介の登場する小島政二郎『眼中の人』を再読。
東大の入学が九月になるというのが話題だが、「眼中の人」によれば芥川龍之介は旧制中学を三月で卒業し一高帝大ともに九月に入学し七月に卒業している。ということは明治大正の方がグローバルだったということですね。
2012/01/17(火)[本]決定版一億人の俳句入門
長谷川櫂『決定版一億人の俳句入門』(講談社現代新書)読了。
題名から連想するようなうっとおしいところのない、私のような素人にもわかりやすい明晰明解な内容。良書だと思うが、まあ題名だけはちょっと恥ずかしい。
俳句の世界を流れる時間感覚や日本語構造にまで言及するのに、くどくなく簡潔な文章。俳人だからこそ散文においても無駄のない文章が書けるのだろうか。「奥の細道」を読めばわかるのかいな?古文の授業もっと真面目に聞いときゃ良かった。
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彼は本所の町々に自然の美しさを発見した。しかし彼の自然を見る目に多少の鋭さを加えたのはやはり何冊かの愛読書、就中元禄の俳諧だった。
――芥川龍之介「大導寺信輔の半生」。
2012/01/10(火)[TV]海の向こうに遺(のこ)された江戸
NHKハイビジョン特集「海の向こうに遺(のこ)された江戸」で見た高岡の人間国宝級の職人たちによる明治の下絵による銅製火鉢の作成過程。鍛冶師、彫金師、色付師による分業。問屋がプロデューサー。
鍛冶師はまず型枠を粘土から作る。外側の円筒・内側の円筒・底になる円盤の三つで一セット。それぞれ軸で回転する金属箆で削っていく。粘土から水分が染み出して縮むと粘土を足してまた削るをゆっくり繰り返す。
乾燥させて完成した型を組み合わせ灼熱して溶解した銅を流し込む。空気が入らないように一気に流すが急ぎ過ぎると爆発!するそうな。外枠と内枠の隙間はわずか4mm。冷えたら枠を外し、冷やしてから今度はロクロで削る。
細い帯状の模様を削り出し、全体を軽くするため内側から丹念に削ってゆく。そこへ彫金師がやってきて彫りのためには2.5mmの厚さが欲しいという。鍛冶職人としては1.5mmまで削りたいらしく不満顔だが、最後は笑顔で請け合う。いい感じだ。
彫金師は型紙に合わせて銀を削り、銅を彫って丹念に埋めていく。磨きをかけると金属同士が一体化していくのが気持ち良い。型紙にはない流線をオリジナルで追加していく。絵心もないとだめだね。
仕上げは色付師。最初は硫酸銅の溶液で洗うのだが、これが素手!素手じゃないと微妙な感触がわからないし全く荒れない手に変わるというのだが。別の染料溶液で色を付け仕上げはお歯黒入りの溶液を藁束で塗っていく。
こうして美しい茜色の銅火鉢が完成したわけだけど、工程を見るとモノの価値が分かるような気になってくる。こうして記憶をたよりに手順を書いてるだけでなんとなく楽しい。
2012/01/02(月)[TV]正月テレビ番組を見ながら、鶴屋吉信福ハ内を賞味ス
元日早々地震でご挨拶とは日本列島さんも洒落がきついが、酔っ払ってたので笑って受け流した。
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正月の番組は駅伝位しか見てないが、裏でやっていたNHKが海外向けに制作した日本武道紹介番組「SAMURAI SPIRIT」の一挙再放送が抜群に面白かった。ニコラス・ペタスがナビゲーターというのがグッド。前半の弓道や古武道を見逃したので、是非もう一回再放送してほしいなあ。
ペタスが門を叩いた武道の師範達は、空手も剣道も合気道も空手も古武道も、さすがに名人上手らしい人格者ぶりで、武道家としてのペタスをリスペクトして礼を尽くし、洒脱な人あれば真摯一徹な人ありでさすが一流の武道家と思わせたが、日本体育大学の柔道の師範だけは上から目線の無礼な口調とヤクザな風貌、日本にとって唯一の残念な例外だった。余計なお世話は重々承知だが、日本柔道の行く末が危ぶまれるところです。
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父親に好物だと言われた縁起物→鶴屋吉信福ハ内。はじめて食べたがこれは旨い。
2012/01/01(日)[本]謹賀新年【本】私的年間ベスト10【2011】
あけましておめでとうございます。
辰年の年賀状はこちらです。
例年通り昨年読んだ本のベスト10などを以下に。
(今年も順不同)
次点
2011/12/30(金)[本]7月〜12月読了本
【7月の読了本】
【8月の読了本】
【9月の読了本】
【10月の読了本】
【11月の読了本】
【12月の読了本】
2011/06/30(木)[本]1月〜6月読了本
【1月の読了本】
【2月の読了本】
【3月の読了本】
【4月の読了本】
【5月の読了本】
【6月の読了本】
2011/03/13(日)[時]地震翌日_我が家の些少な被害他
我が家は一応、東京都が防災地区として開発した建物であり、耐震基準は十二分に満たしているはずである。そのせいか幸いにして揺れは小さかったようでCD数枚が落ちたのとスライド式の本棚がずれて本が数冊落ちただけで済んだ。一番心配していた大きい方の本棚の本はぎっしり詰まっている分、圧力と摩擦で逆にずれようがなくて落ちなかったようだ。建物にも亀裂その他はない。
しかし、建物北側私道のインターロッキングが一部盛り上がったりガタガタになっている。歩くのに支障がでるほどではなく液状化しているわけもないが、盛土の堅めが甘かったのだろう。後日の修理が必須な状況。
そして、なぜかTVが地上波もBSも全く映らない。うちは3階だが上階も同じ状態らしい。下の階は異常ないとのこと。管理会社に連絡して二日後に修理に来てもらった。ケーブルTV利用だが、建物内部でのどこかで断線してしまったらしい。結局無事だった1,2階のケーブルを分岐してもらって復帰したが、震災から3日間TVが見られなかったことになる。
そのため、あの大津波の映像を見たのもやっと3日目だった。これはむしろ見られなくて良かったような気がする。妻などは直後はだいぶテンパっていたし、あの胸がつまるような映像を見たらもっと落ち込んでいたことは想像に難くない。
もちろん何日経っていても映像の衝撃度も胸がつまることも変わらない。日頃ニュース情報はネットで十分と思っていたが、やはりTV映像の影響力は馬鹿にしたものではない。
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原子炉事故のニュースはもちろん最初の頃から聞いていた。「念のため避難」というのを聞いただけで「なんかヤバそう」と思いました。当たっていたわけだけど、もちろん全然嬉しくない。
事故そのものが一番嬉しくないわけだけど、同じぐらいウンザリしたのは、まるで東日本が汚染されたことが嬉しくてはしゃいでいるのじゃないかというような騒ぎ方をしている連中がネット他で目につくことだ。
これから人々の心なども含め、まだまだ色々なことが露呈していくのだろうけど、悪いことばかりでないような予感もちゃんとするのであります。
2011/03/12(土)[時]東北地方太平洋沖地震当日
その日その時(平成23年3月11日14時46分)、私は相棒の若者と代理店の営業チーフとともに、東京駅前のツインタワービルの30階近い高層階のクライアントを訪ね、会議室でソフトウェアのデモを行なっていた。
デモも無事に終わり、質疑応答に入って15分くらいしたところで、グラリ、ときた。もちろん会議は中断、様子をみているうちに只事でない揺れになってきた。クライアント側のトップの女性の「危険ですのでひとまず出ましょう」という一言で全員一斉に部屋から退出したが、全くまっすぐ歩けず、左右によろよろしながらロビーにまろび出る。
他の部屋からも出てきた人たちが何十人もいたが、ロビーの広さは十分でひしめきあう感じはない。最初の大きな揺れは収まったが小さな余震が繰り返し来るので、とても会議室にもどれる雰囲気ではない。
さすがに大企業の受付スタッフのチーフらしき美人は訓練が行き届いていて、無駄なく案内してくれ落ち着かせてくれる。飲み物も各自に配ってくれたので、とりあえず喉を潤しながら様子を見ることにする。ゆらゆら揺れを感じながらドリンクを飲んでいると、船上立食パーティのような感じだが、もちろんそんなのんびりした気分ではない。
気になったのは家と会社それぞれがどうなっているのかだが、携帯も繋がらず、エレベーターも停まっているので、とりあえずはどうしようもない。
次に気になったのは震源地はどこだろうかということだ。ここ数日地震が連続していた東北だろうとは思ったが、連想したのは阪神大震災の記憶であり、東京でこの揺れだったら震源近くはいかほどであろうかと、ちょっと身の毛がよだつ気分である。
「竹内さん、あれ火事ですかね」と後輩が言うので、広い窓を覗いてみるとお台場方向の先から黒い煙が上がっている。(後でテレコムセンター付近の火事とわかる)
最初の揺れから30分ほど経過した時、最大級の余震が来た。男性も女性も座り込む人、多数。ただ、さすがに地震国日本の誇る最新ビル、揺れはするが落ちる物や軋みはなく怖さはさほどでない。
更に30分ほど待ったところで、とりあえず会議は後日持ち越しということになり、退散することに。エレベーターは動く気配がないので、クライアントの担当者に断って、20数階を歩いて降りることにする。幸い降りている途中に大きな揺れはなく、地上に降り立ち、代理店の女性はタクシーを広い、私たちは歩いて会社に戻った。
会社の入っているビルはさきほどのビルのような最新ビルではないので、更に揺れは大きかったようで、かなり書類は散らばりみんな片付けに大わらわとなっていた。
メディアでも東北地方に震度7ぐらいで詳しい情報はまだない。妻からのメールがやっと届き、出先から歩いて家に向かっているようだ。子供たちや親族も大過ないようでまずは一安心。
退社時間が来ても交通機関は動く気配がない。社長はとっとと車で帰ったが、たぶん今頃渋滞に巻き込まれていることだろう。
グズグズ考えていても仕方がないので「歩いて帰る」ことに決定。いまだ様子を見てる同僚に挨拶して19:00家を出る。会社から我が家へは昭和通りを真っ直ぐ行けばいいだけ。十数キロメートル程度なので2〜3時間というところか。
途中自転車屋でもあったら買おうかなと思ったが、歩きはじめてすぐそんなことは無理だとわかった。すごい人波なのだ。休日の渋谷の交差点のような人口密度。みな黙々と歩いている。車道にも車がみっしり詰まり、歩くより遅い速度で進んでいる。会社の備品らしいお揃いの白いヘルメットをかぶった若い女性の二人連れがいた。うちの会社でも買ってもらおうと思う。
途中の公衆電話に列が並んでいる。携帯は仲々繋がらないが公衆電話は少しはマシなのかもしれない。30分間隔くらいでメールを送信するが届いていることやら。
かなり寒いが、よく晴れてるのが幸い。途中の飲食店、居酒屋も一杯だ。喉も乾いてきたし、かなり誘惑を感じるがぐっと我慢して、自動販売機で熱い紅茶を買って喉と温める。1時間も歩いていると体も暖まってきた。
2時間を過ぎた頃から人もだんだん少なくなってきたが、車道は相変わらず渋滞している。バス停にたまに乗客を満載にしたバスが停まっているが、乗車は断っているようだ。
自宅最寄り駅までたどりついたが、こんな辺鄙なところまで渋滞はとぎれない。前代未聞である。
行きつけの居酒屋で空腹を満たしたいのも我慢して21:00、歩きはじめて2時間目に自宅に到着。家族もみなだいぶ前に歩いて帰宅しており、やれやれである。まずは、風呂に入ってビールが飲みたい。
2011/01/05(水)[映]武士の家計簿
ちょっと前までは映画を観に行きたいと思うと、大体有有楽町マリオンとか日比谷映画街に行ったものだが、いまやとんとご無沙汰。ということでMOVIX亀有に「武士の家計簿」を見に行ってきました。
坂本龍馬や新選組が出てこない幕末の物語でも、いい映画は作れるという見本のような映画。いやむしろそんなものは出ない方がいい映画になる可能性は間違いなく高いだろう。
原作は7年前に読んでいたが紛失、買いなおして再読。江戸時代に少しでも興味がある人は読んで損をしないことを保証します。おすすめ。
映画のストーリーは原作を読んでもらえばよろしいが、文字通り江戸時代の加賀藩士の家計簿(入払帳)から普通の武士の生活を読み解いたノンフィクションが果たして映画になるのか。こう来たかという驚きを楽しむためにも、原作を読んでから映画を見ることをおすすめする。見事な脚本でした。
キャストもおおむね結構。堺雅人はうまい。仲間由紀恵は綺麗だし、松坂慶子もハマリ役で大根ぶりは気にならないが、松坂サン瀕死の床でも全くやつれてないのが唯一の瑕疵です。息子役の若い俳優はセリフ回しが下手っぴで、少年時代を演じた子役の方がうまい。しかし、仲間さん、原作を読んでないというのはいかんなあ、堺雅人さんを見習うように。
久しぶりの劇場の大画面の映画だったが、3Dとか特撮バリバリの映画は歳取ってくると大画面で見ると目が疲れてかなわない。むしろこういう映画の方が大画面で見る価値があると感じた。仲間由紀恵さんの美貌はもちろんだが、再現された江戸時代の武士の住居の細部に目を凝らし、大写しになる美しい着物の織りの一目一目も堪能できるのは大画面ならでは。
また映画館に行くぞ、と思わせられた一本。
2011/01/01(土)[本]謹賀新年【本】私的年間ベスト10【2010】
あけましておめでとうございます。
兎年の年賀状はこちらです。
特に書くこともありませんので、例年通り昨年読んだ本のベスト10などを以下に。
(今年は順不同)