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1999年04月〜06月のフライト日記へ行く岩屋山ロールアウトでのフライト日記1999年
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1999年09月27日更新

フライト日記のINDEX

1999年7月3日(土) 急な北海道フライトの旅

妻は、暫く飛んでいません。3日から岩屋で飛ぶ事を楽しみにしていたのですが、気象情報を見ると雨の予報です。昨夜、深夜、インターネット気象図を見たら、只、ひとつ北海道だけに晴マークがありました。妻に電話して「久しぶりに北海道へ行こうか?」「うん、行く」と言う事で北海道に行く事が決まりました。
でも、問題があります。妻の機体は、青垣の加藤さんの家に置いたままなのです。一旦、青垣に行き、機体を取りに行き、それから伊丹空港から千歳に行く事になりました。でも、この雨の中、加藤さんは、ショップに来ているだろうか、と心配になりました。でも、電話したら加藤さんは、ショップにいました。

雨の中を青垣に行きました。ショップに着いたら、加藤さんと「風の妖精」がいました。パソコンのメールの設定を頼まれてやりました。そして、妻の機体をピックアップして大阪に戻りました。午後2時の千歳行きに乗りました。空港からルスツに電話したら、今日は、飛べたとまのこと。今は、北風で飛べなくなったと言っていました。妻は、羽田から千歳に直接行きます。
少し早く到着したらバゲジクレームエリアに妻がニコニコして立っていました。機体2個とバッグ2個と多い荷物をカートに載せて、道を隔てたレンターカーカウンターに行きました。すぐにレンターカーの手続きをして日産マーチを借りました。今日は、小樽に泊まり「一心太助」で食事します。伊丹空港から予約を入れておきました。一心太助は、新鮮な海の幸を安く食べさせてくれる店です。北海道にいた頃、職場の仲間と良く食べに行きました。

ところが、札幌までの道路が渋滞していて、小樽に着いたのが予約した18時半を過ぎてしまいました。ホテルを探していて、一心太助に着くのが遅くなってしまいました。着いた時、メニューは、ぼたん海老とししゃもしか残っていませんでした。食べたかった蟹は、売り切れでした。残念! でも、ぼたん海老の刺身と焼き物とししゃもを食べてお腹いっぱいになりました。最後に頼んだ鮭茶漬けは、大きな鮭の切り身がそのまま載っていたのでビックリ。一心太助からネットの友人のL.Eagleさんに電話しました。L.Eagleさんは、長谷川さんです。私からの電話に驚いていました。それもその筈です。急に電話して北海道にいると言うのですから。明日、ルスツで会う約束をしました。小樽の街を散歩してホテルに帰り、北海道の一日目を終わりました。

1999年7月4日(日

朝、7時半頃長谷川さんから電話が来ました。「今日は、飛べるかも知れませんヨ」と嬉しい情報でした。小樽から札幌経由中山峠を越えてルスツに向かいました。ルスツの遊園地の前を通過して先に行くとパラグライダー北海道と言う看板があります。そこを右折して少し行くとショップがあります。そこがランディングです。北海道らしい広大なランディング場です。ショップの駐車場に車を停めるショップからヒゲの長谷川さんが出て来ました。HPの写真と同じ顔です。(当たり前か・・・)
ショップ近くに行ってクラブ員の皆様に挨拶をしていたら「さあ、上がりますヨ」と言われました。すぐにショップで登録手続きをしました。シャトル便の料金は、300円です。エリア料金は、2000円で、普通です。

テイクオフは、南風が最適です。西風の時もサイドのテイクオフから出られます。今日の風は、本流が北です。時々、西のテイクオフに入って来ます。クラブの人が先に出ました。出てすぐに北からの風で煽られましたが無事に飛んで行きました。北風の時に西テイクオフから出る時は、右サイドの風となるので出てすぐに右翼がたたかれる危険があるわけです。何人か出た後、私も出ました。一度ライズアップをやり直して無事に出ました。何もないぶっ飛びでしたが、テイクオフすると雄大な原野が目の前に拡がりました。「ああ。北海道で飛んでいるんだ」と実感が湧きました。
妻も暫くしてからテイクオフしました。妻が飛んでいるのをデジカメで撮影しました。長谷川さんは、なかなか出なかったので、どうしたのかなと思っていたら、妻が、「ニセコから来た人が出てすぐに潰れてツリーランしたから回収を手伝っているのでは」と言いました。後で聞いたらやはりそうだったのです。
長谷川さんが最後に飛んで来たので、デジカメを連写で撮影しました。
もう、テイクオフは北風が強くて飛べない様です。クラブ員の人が携帯でどこかに電話していました。「う〜ん、飛べそうですね」と言う声が聞こえたので、どこか移動するのか聞きました。望来(もうらい)と言うエリアだそうです。そこなら飛べそうと言うので、私達も連れて行って貰う事にしました。校長の青木さんにお礼を言って移動開始しました。長谷川さんも一緒です。

ニセコと小樽を通過して望来に着いたのは、16時半頃でした。日が長いので、まだ、充分飛べます。先に着いた人達がもう飛んでいました。海風を利用したリッジソアリングです。千葉の磯根で練習した私達にとって海風のリッジソアリングは慣れています。少し強い風でしたが、妻のハーネスを後ろから押さえてテイクオフさせました。綺麗にテイクオフして飛び始めました。
私が出る時も少し強かったのですが、サポートなしで出る事が出来ました。リッジでのソアリングはエリア内での移動で行ったり来たりです。私は、1時間飛んでトップランしました。翼端を潰せば簡単ですが、今日は、翼端を潰さずに磯根で良くしていたBストール方式で降りました。1時間半飛んで先に降りた妻は、トップランの時に首かどこかを痛めたらしいです。妻の所に行くと元気がありませんでした。妻を寝かせて、妻の機体と私の機体の回収をしました。トップランはある程度危険が伴う行為なので、安易にやるべきではありません。でも、ここのトップランは広いし、リッジでのトップランで比較的危険は少なかったのですが・・・。妻は、余り慣れていないので、どうも慌ててしまった様です。ある程度の高さで万歳をすれば自然に降下して来るのですが、それが待ちきれずに操作をしたらしいです。でも、大事に至らずに安心しました。
クラブ員の人達は、先に帰りました。私達は、今日の宿を札幌に決めました。明日もここで飛ぶ事にしたからです。長谷川さんにホテルに案内して貰いました。ホテルに着いてから、長谷川さんと一緒に食事に行きました。長谷川さんは、結構、飲みます。私も酒は好きですが、一緒に楽しい話しをしながら随分、飲みました。居酒屋で食事してから、長谷川さんが「もう1軒行きましょう」と焼鳥屋さんに連れて行ってくれました。とても美味しい焼き鳥でした。そこでも又、飲みました。「明日は、仕事止めて飛びに行こうかなあ」と言う長谷川さんに妻が「行きましょうヨ」と誘っていとも簡単に行く事になってしまいました。

1999年7月5日(月)

朝、9時に長谷川さんがホテルに迎えに来ました。2台の車で望来に向かいました。予報では、快晴で風は弱い様です。案の定、北風ですが、弱い風が正面から入っていました。暫く様子を見て、少し強くなった頃、妻が出ました。10分くらいソアリング出来ましたが、弱くなってしまい、浜に降りてしまいました。私もすぐに出ましたが、私は、3分ほどで撃沈して浜に降りました。浜は、広くて安全なランディング場です。長谷川さんが車で迎えに来てくれました。
今日は、枝松さんと言うバイクで来た人と知り合いになりました。メールアドレスも持っているそうです。パラグライダーに興味があったけれどやるチャンスがなかったと話していました。私達が飛ぶのを見て、「気持ち良さそうですねえ」と感激していました。
食事したりして風待ちしました。帰りの飛行機の時間があるので、望来を午後1時半頃に出る事にしました。それ迄にもう1本飛ぶ事にしました。先に妻が出ました。風が弱くてクロスでのライズアップがなかなか出来ません。クロスで上がらない風では、ソアリングは出来ません。少し待つと良い風が吹いて来ました。そこをすかさず妻がテイクオフ。見事なテイクオフでした。しかし、停滞出来ずに沈下してしまい、またしても浜に降りて行きました。
私が出る頃は、少し強くなりました。テイクオフして右へ左へと浮きがある所を探しました。やっとトップアウト出来ました。でも、弱いです。浮きがある間に、トップランしました。まあ、気持ち良く飛べたので良しとしましょう。晴れ渡った景色の中で海を眺めてのフライトはとても気持ちが良かったです。
帰りは、途中まで、長谷川さんに道案内して貰い、無事に新千歳空港に着きました。妻とは、ここでお別れです。妻は、羽田行きの早い便に乗れました。私は、伊丹行きの最終便まで空港で時間をつぶしました。急に思い立って行った北海道パラグライダー旅行でしたが、長谷川さん始め多くの人との出会いがあって楽しい旅行になりました。皆様、本当にありかどうございました。

1999年7月10日(土) 77/94

先週は、北海道、そして、今週は、岩屋です。妻は、今日のJAL101便で大阪に来ました。北海道から宅配便で送った妻の機体がやっと届いて安心です。昨夜は、深夜1時半迄仕事でした。今日の天気は、最高のフライト日和です。青垣迄のドライブは、約2時間です。いつもは、疲れからぐっすりと眠っている妻が、今日は、ずっと起きていて話しています。仕事上の事とかの色々な出来事を話しています。私は、聞きながらあいづちをうちながら運転しました。途中、UDOさんこと瀬川さんから携帯に電話が入りました。「加藤さんが大久保さんに講習生のテイクオフを見て欲しいと言っているんですけれど・・・」「ああ、今、篠山近辺ですから、あと、40分位かかります」「分かりました」と言う事で、電話を切りました。
青垣に着いて、ショップに顔を出すと、加藤さんの奥様の真由美さんがいました。1ケ月半ぶりです。冗談を言う私にいつも優しく笑ってくれます。真由美さんと話しをしていたら、中年のおっさんが若い綺麗な女性とショップに入って来ました。「あのう、松原と申しますがテイクオフへは、こちらの車に乗せて貰えるのでしょうか」と聞いて来ました。私は、てっきり体験かなにかの人と思いましたが、実は、あの「ガンコ親父」こと松原さんだったのです。失礼致しました。一緒にいたのは、畠中さちよさんです。

加藤さんが戻って来て、一緒にテイクオフに上がりました。テイクオフで畠中さんが、「何かここのエリアで注意する事はありますか?」と聞いて来ました。う〜ん、この様な質問は、なかなか出来ないなあ、と感心しながらも「東テイクオフから出る時は、確実に立ち上げないと痛い目にあいます。出来れば北西から出た方が良いです。どちらから出るにしてもしっかりとキャノピーが出来上がってから出て下さい」と通常ビジターに伝えている事を言いました。その後、「安全山と言う所がクロカンの入門コースですが、行った事がありますか?」「いえ、岩屋では、ぶっ飛びだけです」と言うので「今日は、上がったら一緒に安全山に行きましょう」「お願いします」と言う事で約束しました。

私は、少し荒れた中を11時46分にテイクオフしました。出てすぐに、持ち上げられましたが、テイクオフ前が荒れていただけでした。後は、どうと言う事はない普通のサーマルの荒れ状態でした。30分位平凡なサーマルソアリングをして、ランディングに向かいました。タンデムで飛んで降りた加藤さんから「ランディング上空にサーマルがありますヨ」と無線が入りました。すぐにそちらに移動してサーマルコアの中でセンタリングしました。弱いですが、確実に育っているサーマルでした。同じサーマルに黄色いレスポンスが入って来ました。あの、さちよさんでした。目で合図をして一緒のサーマルで回しました。グングンと高度を上げて、1400mを越えてすぐに雲の中に入ってしまいました。私は、以前、雲中飛行で気分が悪くなった経験があるので、すぐにセンタリングを止めてフルグライドしました。同時に「加藤さん、安全山方面に向かいます」と無線で言いましたが、返事がないので「ショップ、取れますか? 安全山に向かいます」と再度、伝えました。雲中から移動を開始したので、雲の外に出た時は、大分移動していました。安全山迄は、約7分で着きました。安全山上空で、1260mでした 。松原さんと植松さんから無線が入りました。さちよさんは、私を見失ったようです。
私は、そのまま安全山を通過して、どこか降ろす所を探しました。この辺は、何度も来ているので、河原の広い所は知っています。でも、もう少し行こうと思い、夫婦橋方面に翼を向けました。北西テイクオフから出て、メインランディング上空からの移動なので、経由すると結構な距離です。しかし、途中の山では、浮きが感じられず、夫婦橋近くの河原に降ろす事にしました。
上空から見て、とても良い着陸地点だと思い、アプローチしました。足が地に着いた途端、ぬかるみで滑ってしまいました。滑った瞬間、胸のデジカメがケースから飛び出てしまいました。気が付いた時には、デジカメは泥の中。しかも、ハーネスの金属部分にヒットしたらしく液晶モニターのガラス面に引っ掻き傷が付いていました。あ〜あ・・・・。

ショップに電話したら真由美さんが出て、「武貞君と藤原さんが迎えに向かっています」と言う事でした。嬉しいなあ。間もなく、武貞君から携帯に電話が入りました。その後、無線が通じる所まで来て、すぐに回収して貰えました。私は、回収に来てくれた講習生の人達には、「クロカンの講義」をお礼にする事にしています。ランディング場所とか、クロカンの時の注意事項とか、帰りの車の中で、喉がカラカラになるくらい喋りまくります。今回も感謝の念で喋りました。
今日は、クロカンも出来たし、もう、飛ばなくても良いと思っていたのですが、またもや誘われてテイクオフに上がりました。夕方です。テイクオフしたのが、16時です。クロカンの時のフライト時間は、1時間5分でしたが、このフライトは41分でした。北風が強い中でしたが、センタリングしているうちにパブリックの尾根の上に来てしまい、気が付いたら戻れそうもない所でした。ハングのランディングに降ろそうと思ったのですが、後ろを見たら私より低い高度でメインランディングに向かおうとしているグライダーがありました。「あれが向かうなら私も向かわなければ」と思いました。降りてから分かったのですが、安全山に行ってリターンして来たTAKの高藤さんでした。感心しました。無事に、メインランディングに降りました。

夜は、久しぶりにロールアウトメンバーとの飲み会でした。妻は、最近、飲むと胃が痛むと言っていたのですが、この日は、気持ち良く飲んでいました。翌日も胃の痛みはなかったとか。ストレス解消できたのかな。

1999年7月17日(土) 79/96

昨日は、遅番、そして、今日は、パラ。いつものことですが、やはり、寝不足です。今日は、7時に起きて頑張って青垣に向かいました。宮崎から、ネットの友のKazueさんがロールアウトに来る事になっていたからです。
ロールアウトのショップに着いたのは、9時半です。ショップにKazueさんがいました。加藤さんと真由美さんが笑顔で出迎えてくれました。今日は、助教員の人が誰も来ていません。加藤さんに依頼されて、私がテイクオフを見る事になりました。今日の講習生は、皆、知っています。ちゃんと走ってテイクオフしてくれる人ばかりなので安心です。テイクオフに着いたのですが、ランディングを見る「風の妖精」が来ていません。NPの比較的上手な人を最初に出す事にしました。皆さん、ちゃんと走ってテイクオフしてくれました。
暫く、待っても「風の妖精」は来ません。「どうしよう」その時、加藤さんから、「大久保さん、寺本さんと菱井さんが上がりますから、飛んで下さい」と言う無線。「はい」
順番待ちして、私の番が来て、飛びました。「見事なテイクオフ」でした。(誰も言ってくれないから自分で言う・・・(^_^;))
このフライトは平凡なぶっ飛びでした。でも、とても楽しいフライトでした。ストレスを感じる事がなく、自由に飛べました。

午後、Kazueさんをタンデムで飛ばす為に加藤さんと一緒に上がりました。Kazueさんは、会社の研修で大阪に来たついでに、岩屋に来たのです。ゆっぺの協力がありました。そして、MISTRALさんの。

結果、加藤さんのタンデムは、超豪華サービスで、エリア全体を巡るものでした。途中、私は、「加藤さん、戻って来ないのですか?」と無線を入れたほどです。でも、「風の妖精」がランディングを見てくれたので、逐次、講習生の人達も出る事が出来ました。

このフライトでは、当初、私は、車を降ろすつもりでいたのですが、Y君がちょっとした事からスタ沈してしまいました。Y君は、「今日は、飛ぶのを止めて車を降ろします」と言ったので、それならば、と私も飛びました。平凡なぶっ飛びでした。

今日は、Kazueさんと会う為に、岩屋に来たのだから、飛べただけでも嬉しかったです。

そして、久しぶりに、寺本夫妻と会い、良かったと思いました。帰る時に挨拶をしたら「ええっ、大久保さん帰るの?」と惜しまれました。う〜ん、後ろ髪を引かれる思いでした。明日から、また、仕事です。明日の天気は、多分、雨でしょう。梅雨明けまでもう少しです。台風4号が発生したとニュースでは伝えていました。

1999年7月11日(日) 78/95

妻は、昨日のフライトで3時間半も飛んだのです。私は、這々の体で、メインランディングに戻り、その後は、おとなしくしていたのに・・・・。今日は、薄曇です。昨日の様なサーマルは期待出来ません。妻は、加藤さんの薦めで、試乗機のボナンザで飛ぶことになりました。今日の北西テイクオフは、昨日と違って風は弱くクロスでの立ち上げが難しい状態でした。妻は、それでも何とか出て行きました。殆どぶっ飛びでした。でも、後で感想を聞いたら「回し易いのと持ち上げられる感じがした」とのことでした。

私は、10時にテイクオフして30分足らずで降りました。渋い中でのフライトでした。見ていた人達は、「しつこく回していた」と言っていましたが・・・。
今日は、夕方の便で東京に帰る妻の為に早めに青垣を出なければなりません。2本目は、12時半に妻とタンデムで飛びました。タンデムで飛ぶには、少し風が弱かったのです。でも、森本のお姉さま、ARCの慶ちゃん、ロールアウトのベテランの荻野さんのサポートを受けて、何回かのやり直しで何とかテイクオフしました。妻にフライトルートを説明しながら飛びました。浮きがなく、10分のフライトで降りました。このフライトのランディングは、妻に誉められました。タンデムフライトで初めて会心のランディングが出来ました。
13時半に青垣を後にして、帰途に着きました。帰宅して、風呂に入った妻を再度、車で伊丹空港迄送ったのですが、リニューアルオープンして初めての日曜日で、空港入り口から車の渋滞でした。途中から妻を車から降ろして徒歩で空港ビルに向かわせました。結果、これが良かったのです。あのまま、車で向かっていたら多分、出発に間に合わなかったでしょう。判断と決断は的確にしないといけないなあ、と改めて思いました。それにしても中身が濃い7月です。

1999年7月22日(木) 80/97

昨夜は、やはり仕事が遅くまで残ってしまいました。梅雨明けしたら、大阪地方は、どっと暑さがひどくなりました。夜になっても気温は下がらず、熱帯夜です。扇風機を一晩中回しっぱなしです。
今朝は、5時50分からのNHKテレビの気象情報で、風の情報を確認しました。弱い南の風からその後、北風に変わると伝えていました。多分、岩屋は南西で飛べないだろうと思い、ゆっくり出発しました。朝、8時、外は、もう、30度以上になっています。青垣に10時半に着きました。ショップには、誰もいません。無線で「JI3KSTこちらは7L3GXBです」とコールしたら加藤さんから「皆、グリーンパークにいます」と答えて来ました。1機だけ飛んでいましたが、この様な風の時に飛ぶ人は、例の鳥人間の蔀さん以外にいません。
グリーンパークに行くと講習生が一生懸命に練習していました。暑いのでたいへんです。吉井さん、武貞君、出口君、藤原さんが手伝っていました。私も手伝いましたが、暑さで汗が吹き出ました。

昼は、やぶ蕎麦に行きました。午後、講習を始めたのですが、風が強くて危険なので、中止となりました。
夕方、テイクオフの風が収まったので、上がりました。時々、北西テイクオフに正面から入って来ましたが、基本的には、南西の風なので、飛ぶなら南テイクオフです。南西の風の時は、出てすぐに吹き下ろしの風で叩かれる危険があります。弱い南西の風の時なら状況を見て出られますが、万一潰された時の対処が確実に出来る事が必要です。今日のメンバーを見て、吉井さんは、「大久保さんがダミーで出るより仕方ないですネ」「う〜ん、そうですねえ」まあ、飛べないときでも、大勢いるからたたむのはわけないと開いて準備しました。
弱い風が正面から入って来ました。苦手な正面でのテイクオフですが、クロスの風ではないので、出ました。出てすぐに左に向かって山から離れたのですが、案の定、沈下が大きく、とても、前山には届かない感じでした。それでも、何とか前山の中腹に取り付きました。しかし、上げはなく、敢え無くランディングに向かいました。その後に出た出口さんと吉井さんは、沈下もなく高い高度で前山に来て、リッジソアリングをしていました。ほんの少しのタイミングでこうも違うのです。今日、私は、運を使いませんでしたが、吉井さんと出口さんは、運を少し消費してしまったので、残りの運は、少ししかないのではないかと思います。(^_^)

汗をいっぱいかいたので、ビールが美味しかったです。加藤さんにビールをご馳走になりました。夜は、加藤さんの家で大宴会をしました。パソコンを吉井さんから受け取りに来た、松本嬢の心のこもった「こだわり」のスパゲティは絶品でした。そして、加藤さんが用意してくれた「米のこころ」と「人」と言う日本酒は、何とも言えない爽やかな澄み切った味でした。それでいて、コクがあります。アルコールが駄目な吉井さんが、珍しくお代わりをしていました。飲んべえの中島君は、顔色変えずにグイグイと…。そして、いつもは、早く寝る加藤さんがこれまた珍しく11時過ぎまで、飲みながら談笑していました。
久しぶりに来て、飛べない日にいきなり1時間以上も飛んでしまう、ダンディ吉井も凄いですが、この酒は、きつと魔力があるのかも知れません。今年の青垣は、暑い夜です。

1999年7月23日(金) 80/98

昨夜は、あんなに飲んだのに朝は、すっきりしています。「良い酒は、残らない」と言いますが、本当の様です。今日も天気が良い様です。しかし、外の木々の揺れが激しく、風の強さを物語っています。ショップの吹き流しは、南西の風で踊っています。とても、飛べる風ではありません。今日で3日連続南西の風です。
ショップで加藤さんに「画像処理」についてレクチャーしました。レクチャーと言っても、私自身勉強中なので、たいした事は教えられませんが…。豪君の写真の明るさやコントラストを調整したりして、加藤さんは、「これは凄いですねえ」と言って楽しんでいました。画像処理は、センスがモノを言うので、加藤さんの様にセンスが良い人は、上達も早いようです。
昼は、昨日と同じく、やぶ蕎麦に行きました。昼過ぎになっても風は弱くならないので、午後1時過ぎに青垣を後にしました。

1999年7月28日(水)

今朝のJAL101便で妻が来ました。しかし、気象情報によると強風です。伊丹空港に迎えに行き、そのまま自宅へ戻りました。今日は、飛べそうもありません。一日パソコンに向かっていました。妻は、日頃の疲れかぐっすりと眠っていました。

1999年7月29日(木)

今日も飛べる天気ではありません。昨日、加藤さんから電話が来て「明日、行きます」と言ったので、電話を入れました。でも、出ませんでした。メールを出して伝言板に書き込みして行かない事を知らせました。10時頃に加藤さんから、私からの電話の「着信あり」を見て電話をくれました。加藤さんも明石の家にいるとのこと。今日も絶望です。

1999年7月30日(金) 80/99

今日こそは、と思って出かけました。朝の気象情報では、南西の風で雨の予報です。太平洋高気圧の勢力が弱く、その北側のへりを通って湿った南風が吹き込んでいます。途中の道の木々の葉が大きく揺れています。強風を示しています。ショップに着くと松本さんと言う方がいました。私のホームページを見ている方だそうです。ロールアウトのA・Bコースに入校したそうです。でも、今日の天気では飛べません。青垣では雨が降っていました。プロカメラマンの藤原次郎さんが撮影して来た、インスブルックでの世界戦のビデオラッシュを見せて貰いました。約7時間あります。早送りで大体のシーンを流しました。NOVAのパーティのシーンでは有名な選手も映っていました。飛べない「合宿」が始まりました。

1999年7月31日(土) 80/100

本日も南西の強風。気圧配置が変わらない限りこの強風はなくならない様です。グリーンパークに行き、立ち上げをやろうとしましたが、強風です。妻をサポートして立ち上げをしました。暫く立ち上げをしていない妻は、要領を得ません。後ろでサポートしていると、私の意志と反対の行動をするのでイライラします。どうしてこうもにぶいのだろうか?
結局、風が強くなりすぎて講習生の人達は、出来ませんでした。やぶ蕎麦で食事をしました。夕方、少し風が優しくなったので、ハングのランディングで立ち上げの練習をしました。私も少ししましたが、すぐに止めて、妻の指導をしました。私の言う事を聞かず「そんなことしていない」と言い張るので、それならば、と証拠のビデオを撮影する事にしました。動かぬ証拠に妻は、自分の非を認めざるを得なかったのは、その夜の事です。ビデオは、強情な講習生を黙らせる良いToolです。

1999年8月1日(日) 80/101

う〜ん、今日も全く同じ気象です。南西の強風です。昨日より強そうです。グリーンパークの講習も無理の様です。ハングのランディングで立ち上げしている人がいたので行って見ました。アスリートネオと言うひと時代前のキャノピーで立ち上げをしていました。私も借りてやりましたが、ちっとも面白くありません。やはり、立ち上げと言うのは、自分が今、乗っている機体で練習しなければ意味がないと思いました。立ち上げて遊ぶ事が目的ならそれでも良いと思いますが、私が立ち上げするのは、あくまで飛ぶ為です。私は、実用的な、飛ぶための立ち上げだけをしたいと思います。ハングのランディングで立ち上げてグランドハンドリングは上手なのに実際のテイクオフでクロスのテイクオフで出られないのは、どうも、納得行かない事です。

しかし、練習を良くしている人は、やはり、立ち上げが上手です。名人と言われるYさんは、つい最近、P証を貰ったのですが、飛べない日でもコツコツと立ち上げの練習をしています。しかし、そんな彼も古い前の機体でやっています。新しい機体は、惜しいからでしょう。でも、それは違うと私は思います。新しい機体で立ち上げ練習をしてグランドハンドリングする事によって、その機体の特徴を知って本当の扱い方を知るのだと思います。

1999年8月2日(月) 80/102

日本列島の等圧線が4本あります。私の過去の経験から、0から2本でないと飛べません。3本以上の時は、必ず強風です。風は、等圧線に沿って流れますから、今日も南風、青垣では地形から南西の風となります。朝、5時55分からのNHKの気象情報で、風の情報があります。それによると南の黄色でした。平地で黄色ですから、650mのテイクオフでは赤色と同じ強い風が吹くのは当然です。朝、一番で今日も飛べないと知り、がっかりです。東京から来た勝野君もがっかりです。でも、仕方がありません。天気の事は、誰のせいでもありません。
今日は、「独鈷の滝」に行く事にしました。いつも看板で気になっていた所です。すぐ近くにあるのですが、誰も行った事がないそうです。時間は充分にあります。妻と行く事にしました。その滝の先に「五台山」があります。クロカンのルートになっています。クロカンに行くのにその山の位置も知らずに行くのは本来は無謀な事です。この様に時間がある時には、一度登って見るのも良いと思いました。急に決めたので、飲み物として水だけを持って出かけました。ビデオカメラとデジカメ、そして、位置の記録の為にGPSも持って行きました。駐車場から滝までは、徒歩で5分位です。小さいけれど涼しい滝です。滝が登山口になっています。山頂迄、2230mの標識がありました。良く整備された登山道に汗を流して約1時間で山頂です。山頂からいつも飛んでいる岩屋から安全山へのクロカンのルートが良く見えます。霧山を越えてタキ連山への山々も。周辺の位置関係がとても良く分かりました。
ショップに帰ってから、加藤さんに五台山を含めたクロカンのルート取りについて説明を受けました。風との関係でどの様に飛ぶかについて、とても分かり易い講義でした。五台山へのルートは、逃げる所が少ないので慎重に飛ぶ必要があります。でも、今日の講義と実際に登って見て五台山がとても身近な山に思えました。いつか行ける日が来ると思います。

1999年8月3日(火) 80/103

今朝の気象情報では、昨日より等圧線が1本多く、5本です。今日は、朝、帰宅する事に決めました。東京に帰る勝野君も同乗する事になりました。伊丹空港迄送りました。案の定、朝から強風でした。こんなにも長期間飛べない日が続くのは本当に異常の様です。私達は、単なる遊びですが、加藤さんにとっては仕事ですから深刻です。いつ迄、この気象が続くのでしょうか?
朝のNHKニュースでは、台風の影響もあって朝鮮半島では豪雨に見舞われて死者も出たそうです。そして、昨年に引き続いて農作物への被害も相当なものだそうです。その人達の事を思うとパラどころではありません。
ついに1本も飛ばずに私達の「合宿」は終わりました。飛べなかったけれど、楽しい事が沢山ありました。人に感謝されて、私達と一緒の時を過ごせた事への喜びを耳にして嬉しくなりました。そして、なによりも「無事」であった事が大きな感謝です。妻は、次の機会に期待を持ってJAL108便で東京へ帰りました。

1999年8月9日(月) 81/104

昨夜は、深夜まで仕事でした。3時過ぎに寝て、今朝の5時55分からのNHK気象情報で風の予報を見ました。南東の青色から東の青色でした。やや弱いと言う表示です。すぐに起きようとしましたが、身体が言う事を聞きません。また、眠りに入ってしまいました。それでも、8時には起きて準備しました。8時40分に家を出発しました。道の駅に10時50分に着きました。加藤さんから電話が入って「これから道の駅に行きますから、待っていて下さい」途中、キキちゃんの車と一緒だったので、その事を伝えて、無事に二人ともスクール号に乗せて貰えました。加藤さんのほかに矢田名人、荻野さん、それとタンデムのお客様が乗っていました。

南テイクオフに正面から良い風が入っていました。加藤さんのタンデムが出て、キキちゃん、矢田さん、荻野さんと次々に出ました。最後にテイクオフにひとり残った私は、寂しくひとりでテイクオフしました。クロスでライズアップしてすぐに浮き上がりました。風は強めです。南のノーマルルートでソアリングしました。7月22日に飛んで以来です。やはり空は気持ちが良いです。
11時53分テイクオフして15分のフライトでした。2本目は13時57分テイクオフして27分フライト、987m迄上がりました。久しぶりのフライトで戸惑いました。やはり、暫く飛んでいないと勘が鈍ります。3本目はおまけの夕方フライトです。17時30分テイクオフして13分のフライトでした。夕方は少し穏やかになりましたが、南東の風が強めに吹いていました。矢田名人は5本も飛んで、最後は、ランディングしてから暫く、立ったまま膝に手をやってじっとしていました。かなり疲れた様子。荻野さんは、荒れた中を長時間飛んでいました。流石ベテランパイロットです。例の蔀さんも鳥に返っていました。キキちゃんは、加藤さんとタンデムフライトをして、最後のスパイラルで首が曲がったまま、でくの坊状態で降りたとか・・・。私もタンデムの後を追って行こうとしたのですが、腕が不足でした。

今日は、伊藤さんも来ていて、楽しく飛んでいました。それと講習生の渡辺君も夕方、少し長い時間ソアリング出来ました。
夜は、加藤さんの家でキキちゃんとケイちゃんの料理で楽しい食事をしました。本当に久しぶりのフライトに岩屋がやっと元気を取り戻しました。

1999年8月10日(火) 82/105

昨夜の予報では、雨でした。大阪は、多分、雨だと思います。青垣は、不思議にも晴れたのです。ショップに行くと、プロカメラマンの株式会社SSの藤原次郎さんが来ていました。世界戦のビデオ編集の打ち合わせに来ていたのです。

昨日の暑さが嘘の様に、今日は涼しい北風でした。それでも、日中は日差しがきつかったですが・・・。朝、一番、上がりました。アークのケイちゃんと前田さんが一緒に上がりました。それと矢田名人、講習生の安福さんです。北西テイクオフ正面に弱い風が入っていました。矢田さんに最初に出て貰いました。次にケイちゃん、前田さん。加藤さんがランディングに着いた頃、安福さんに出て貰いました。今日も最後に私がひとりでテイクオフしました。曇っている事もあって平凡なぶっ飛びでした。9時58分テイクオフして6分のフライトでした。前田さんの車で上がって2本目飛びました。11時46分、北西テイクオフから出ました。最高高度1070m。前田さんは高い所を飛んでいます。TAKの人達も大勢テイクオフしました。DKの加賀山さんも飛んでいました。なかなかゲインしないし、北風が強くなって来たので、少し前の方に出て飛びました。テイクオフの上でセンタリングしていると南の方に流されます。下からケイちゃんが「ランディングの風がコロコロと変わっているので注意して下さい」と無線を流してくれました。北風の時には、グリーンパーク側からの風との合流で吹き流しがコロコロと変 わります。私は、この様な時は、ハングのランディングに降りる事にしています。丁度、センタリングしながらパブリックの尾根の上で飛んでいました。高度は、700m位です。少し上がったので、加藤さんに「安全山方向に流します」と言いましたが、応答が無かったので、ショップに伝えました。フォローの風に乗って安全山に向かいました。こんなに低い高度で出たのは、初めてですが、町に近い「Aコース」なので安心して飛びました。途中、杉本自動車の尾根で上げて又、流しました。大塚病院近くの河原に降ろす事にしました。GPSの対地速度は、50km/hrを指しています。180度向きを変えると垂直に降下して無事にランディングしました。無線は、多分通じないだろうと思いましたが、入れて見ました。何回かのコールにショップの加藤さんの奥様の真由美さんから応答がありました。河原から歩いて県道に出て待っていると豪君の車で真由美さんが迎えに来てくれました。「私が来ていると大久保さん、必ず安全山に行くのね」と言われました。この安全山行きは、23本目です。同じ所を何度も飛んでいるとだんだんと分かって来ます。今日の距離は、テイクオフから7.44kmでした。クロカンとしては 、短いですが、エリアを離れて飛ぶ事に意義があると自分に言い聞かせています。そして、将来は、その積み重ねでもう少し長い距離を安全に飛びたいと思います。

午後からグリーンパークで体験の人達の講習の手伝いをしました。講習中ににわか雨が降って来て、中止。夕方、テイクオフに上がりましたが、北西の風が強くて諦めました。矢田名人と荻野さんは、ハングのランディングでグランドハンドリングに行きました。見上げた人達です。TAKの人達が飛んでいました。私は、18時過ぎにショップを後にして帰途に着きました。2日間とも飛べて、しかも、久しぶりのミニクロカンも出来て充実した休日となりました。

1999年8月21日(土) 83/106

妻が東京から来る筈でした。朝の気象情報で余り期待出来ない状態でした。出かける準備をしている時に、妻から電話が来ました。羽田空港に着いたのですが、飛行機が満席で乗れないそうです。「諦めます」と言って切りました。あんなに楽しみにしていたのに・・・。
仕方がないので、ひとりで青垣に向かいました。青垣の道の駅に着いたのが、10時半でした。空を見ても誰も飛んでいません。ショップに着いたら、雨が降って来ました。少しして止みましたが、私は、どうも飛ぶ意欲が湧きません。テイクオフに上がる人の車を降ろす事にしました。
午後、今度は、私も飛ぶ気で上がりました。13時過ぎ、講習生の人達のテイクオフを見て上げました。風は、南テイクオフに少し、右サイドで入っています。殆どの人が出てから、私は、14時18分にテイクオフしました。クロスでのテイクオフです。ノーマルルートを飛びましたが、上げは無く、10分でランディングしました。ショップに戻ると激しい雨が降って来ました。「今日は、もう駄目だな」と思っていたら、夕方、雨が上がりました。また、上がると言うので、釣られて車に乗ってしまいました。テイクオフの入り口にTAKの人達が大勢いました。風が乱れているらしいです。暫く、待って見ましたが、林が鳴き出す程の強い風となりました。諦めて下山しました。

夜、青垣町佐治川祭りです。花火を見ました。夜店が並ぶ商店街を歩きましたが、どこから来たのか大勢の見物客がいました。祭りのクライマックスは、仮装大会でした。にぎやかな太鼓に合わせて踊るグループや、TAKチームは、サンバのリズムに乗せて「産婆」のパフォーマンスで盛り上げました。ユッペは、ビキニを着ていました。可愛かったので、写真をパチリ。
加藤さんの家に戻ってから、美味しいお酒を飲みました。

1999年8月22日(日) 84/107

気象情報は、南風でしたが、岩屋は弱い南西風でした。午前中は、グリーンパークで講習の手伝いをしました。暑い斜面で身体を動かすと汗が滝の様に流れます。でも、午前中は、風が安定していて沢山練習出来ました。一部の人達は、山頂から飛んでいました。でも、南西成分の風が吹いているのと、弱い為に難しいらしいです。
昼食後、上がりました。午前中からずっと風待ちをしていた人達がテイクオフの吾妻屋で疲れた様に休んでいました。私達が上がった時、北西正面に良い風が入っていました。植松さんがさっさと準備して出て行きました。風待ちの人達が出るのかな、と思っていましたが、誰も立ち上がらないので、私が出ました。準備をしている時、坂谷さんが「荒れてやばいですから注意して下さいよ」と言ってくれました。「ありがとう」と返事してクロスで出ました。テイクオフして直後、揺さぶられました。ノーマルルートに沿って前山に向かおうとしていた時、左の翼が走り、次の瞬間、右の翼がバサッと全部潰れました。身体が右に回転したので、思い切り左のブレークコードを引き、右ブレークでポンピングしました。すぐに回復しました。そのとき、加藤さんから「もっと右の尾根に向かって下さい」と無線が入りました。右のノーマルルートの尾根の上に行ったら、突然バリオが鳴き出しました。すかさず右にセンタリングを始めました。バリオは、5.5m/sの上昇率を示しています。「よーし、上がる所迄、上げてやろう」とさっき潰れた事はすっかり忘れてセンタリングしていました。時々、グラグラと 翼が動きますが、体重をしっかり入れてセンタリングしていると何ともありません。加藤さんから「流されるままに回し続けて下さい」とアドバイスが入りました。南の方に流されてパブリックの尾根の上で1091mで頭打ちとなってしまいました。風は、240度から20km/hrで吹いています。このまま高度を保ちながらハングのランディングに降ろす事にしました。ハングのランディングでは、10数人の立ち上げの練習をしている人達が見えます。キャノピーの向きからすると南風らしいです。高度処理をして着陸体制に入りました。立ち上げするのを止めて皆、私に注目しています。慎重に丁寧にランディングしました。足が地に着いてから少しグランドハンドリングしてからクロスにして、Bストールでキャノピーを降ろしました。我ながら綺麗に出来たと思っていたら、松尾さんに「さすが大久保さん、上手に降ろしますねえ」と誉めてくれました。満足!25分間のフライトでした。

岡野さんが「私の車に乗ります?」と言ってくれました。ありがとう。すぐにショップに戻る事が出来ました。
夕方、風が安定して着たので、又、上がりました。東風が入っています。見ると南テイクオフにも入って来ました。講習生の人達は、南に行きました。東テイクオフは、弱いので、テイクオフ失敗する人が続出で時間がかかります。朝から待っていた人達もやっと出る事が出来ました。長い待ち時間の末、やっとテイクオフしました。風は、弱かったけれど、クロスで、上がるまで下に下がって上げました。でも、このフライトは、何もなく安定したぶっ飛びに終わりました。8分間のフライトでした。
ショップに戻ったら、また、上がる人達が準備していました。私は、帰る時間だったので、加藤さんに挨拶してショップを後にしました。天気と風がいまいちでしたが、飛べて良かった二日間でした。
夕方のフライトの時、GPSが作動しなくなりました。今日は、8月22日です。さては、と思ったのですが、帰宅後、電池を交換したら作動しました。単なる電池切れでした。

1999年8月27日(金) 84/108

昨夜は、夜中迄仕事。帰宅が午前2時でした。寝たのが、3時半でした。5時55分の風の予報で、南風の青でした。多分、岩屋は南西になると思いましたが、行くより仕方ありません。妻がJAL101便で到着するので、8時に伊丹空港に行きました。夏休み最後の日曜に帰るので、帰りの便は予約してチケットを買っておきました。ショップに着くと加藤さんがひとりでパソコンをしていました。暫く、ショップでビデオを見たりしていましたが、家にバリオとGPSを忘れて来た事に気が付きました。テイクオフは南西で飛べそうもないので、大阪の家に取りに戻る事にしました。加藤さんは、「わざわざ戻らなくても・・・」と言う顔をしていて、呆れていました。でも、私は、この様な時は、駄目なんです。時間もあるし、戻っても充分に間に合うし・・・。我慢できないんです。

往復、180キロ、忘れ物を取って来ました。ショップに戻ると、中島君が奥様の綾子さんといました。美人の奥様は、お茶目な人です。聞くと、妻も一緒に加藤さんの運転するランクル40で河原を暴走して来たらしいです。皆、感動していました。岩のバウンドで座席から飛び上がり、屋根に頭を打って、一部頭髪が抜けた人もいたらしいですが・・・。
私がショップに入った時、皆、ご機嫌でした。すかさず、ビールが出されました。皆、もう、飲んでいたのです。負けずに飲みました。空を見ても、今日は飛べそうもない・・・。

夕食は、綾子さんの手料理で、福島のKazyさんから戴いた「皆伝」と言うお酒を飲みました。加藤さんと付き合う様になってから、酒の味にうるさくなりました。いや、美味しいお酒を飲んでいると、まずい酒が飲めなくなるのかも知れません。「皆伝」は、まったりしていますが、爽やかで、すう〜と吸い込まれる様な美味しさです。綾子さんが結構いけます。このまま飲むと、「風の妖精」の飲み分がなくなりそうです。飲みたい気持ちを抑えて、冷蔵庫にしまいました。飛べなくて、大阪往復したけれど、こんな美味しいお酒があれば、ご機嫌になる私は、超単純?

1999年8月28日(土) 84/109

今朝の風の情報でも、南西です。昨日より強い予報でした。でも、外を見ると無風です。妻と一緒に、テイクオフに上がりました。途中も無風でした。ところが、テイクオフに着いたら、ビュンビュンの南西の風でした。ビデオを撮影してガッカリして降りました。ハングのランディングは、とても良い風が入っていました。妻がライズアップの練習をしたいと言うので、手伝いました。ビデオを撮影しました。クロスライズアップは、何年もやっているのですが、どうも、妻は、下手です。実際に飛ぶときもクロスで出ているのに、グランドハントリングをすると下手です。でも、今日の特訓で大分、コツが分かったらしいです。

喫茶店パブリックで朝食を食べました。ショップに戻ると何人かの講習生が来ていました。でも、今日は、南西で飛べません。グリーンパークで練習しました。途中、雨が降って来て、中止しました。昼食は、やぶ蕎麦に行きました。
今日も飛べなかったけれど、ロールアウトの仲間と会えて、楽しい一日を過ごしました。

1999年8月29日(日) 85/110

昨日に続いて、朝、早くテイクオフに上がりました。高〆、古郷、正子です。私は、車を降ろす事にしました。テイクオフに着いた時は、弱い北西の風でした。しかし、すぐに、正面から4mから5mの良い風が入って来ました。クロスでも充分に上がる風です。岩崎さんが上がって来ました。古郷誠ちゃんが出て、次に妻が出る準備していたら、バリオの電池がないのに気が付きました。バリオの電池交換の為に高〆さんに先に出て貰う事にしました。クロスで見事に立ち上げていざ、出ようとして正面に振り返った時に転んでしまいました。あ〜あ、勿体ない・・・。まあ、その後も色々ありましたが、何とか出ました。妻は、正面から出ました。その後、岩崎さん。皆、ぶっ飛びでしたが、安定した気流の中の飛びでした。何よりも妻が5月以来やっと岩屋で飛べました。

ショップに戻って再び、上がりました。テイクオフへ上がる車中、私は、またもや、バリオとGPSの忘れ物に気が付きました。もう飛ぶ気がなくなりました。岩崎さんの車を降ろす事にしました。皆に「飛べばいいのに」と言われましたが、断りました。私は、いつもと同じ状態でないと飛びたくないのです。飛ばなくても良いのです。と言うわけで、車を降ろしました。
ショップには、講習生の人達が集まって来ました。加藤さんに断って上がる事にしました。テイクオフは私が見る事にしました。皆、久しぶりに飛べそうなので、張り切っています。

パラのテイクオフは、風が弱い時は、とても難しいです。講習生の人の中には、途中で浮力を感じるとハーネスに座ってしまう人がいます。そうするとその時点で速度がなくなってしまい、スタ沈してしまいます。講習生の人達に「絶対に座っては駄目ですヨ。最後まで駆け抜けて下さい。飛べばハーネスが上に上がって自然に持ち上げられますから」とくどく言いました。そのせいか、全員、とても良いスカッとする様な良いテイクオフを見せてくれました。
講習生の人が次から次に上がってくるので、加藤さんが途中で「大久保さん、時間がないので飛んで下さい」と無線を入れてくれました。まだ、大勢の人が残っていたのですが、甘えて、出る事にしました。弱い風でしたが、クロスで二度上げして出ました。このフライトはぶっ飛びで終わってしまいました。フライト時間7分。
先に出た妻は、私の「誘導」でうまくサーマルを捉えて、高度を上げて安全山に向かいました。久しぶりのフライトで大きな飛びをするとは!
ぶっ飛びで終わった私を気の毒に思った加藤さんは、「また、上がって飛んで下さい」と言ってくれました。ランディングからそのままテイクオフに上がりました。講習生の人達が一緒でしたので、その人達が出るのを見る事にしました。植松さんがトップランして降りたので、講習生のテイクオフは、植松さんに任せて、私も出る事にしました。私が構えると風が弱くなってしまいました。暫く待って僅かに入った風を捉えて、クロスで出ました。出てすぐに南のノーマルルートでサーマルを捉えてセンタリングしました。12時41分テイクオフ。このフライトは、1時間7分でした。パブリックの尾根を回ったりして岩屋周辺で飛びました。久しぶりに飛んだと言う感じがしました。降りてから、ショップに戻り、遅い昼食を食べて、妻が戻るのを待ちました。今日の最終便で東京に帰らなければならないので、早めに出る必要があります。無線で「正子は、どこにいますか?」と聞いたら、加藤さんから「正子さんはフライト中です」と応答がありました。3時を過ぎても降りて来ないので「そろそろ時間だから降りましょう」と言いました。やっと降りて来ました。どうも、帰りの時間をすっかり忘れて夢中 で飛んでいたらしいです。呆れたノーテンキです。

すっかり満足した妻をピックアップして慌ただしく、青垣を後にしました。久しぶりに飛べたので無理もありません。楽しい思い出を持って妻は、最終便で東京に帰って行きました。
昨日と今日、但馬空港でフェスティバルがありました。

1999年9月2日(木) 86/111

昨夜は、24時30分迄会社にいました。昨夜の気象情報では、今日の天気は、雨。降水確率は、60%以上です。当然、岩屋も雨の筈です。飛べるとは、思えないので、帰宅後、テレビを見ながら酒を飲んでいました。眠くなって寝たのが、午前4時です。一日、のんびり過ごすつもりでした。朝、7時半、電話で起こされました。「大久保さん、飛べますよ。来て下さい」加藤さんからです。寝ぼけまなこでぼんやり聞いていました。「ん? 飛べる?」外を見たら傘をさして歩いています。雨です。信じられません。でも、加藤さんがうそを言う筈がありません。朝食を食べてから出かける準備しました。9時半に家を出て、青垣に11時50分に到着しました。空を見上げたらパラが高く飛んでいます。「信じられない」青垣の天気は、予想が出来ません。高く飛んでいたのは、ケイちゃんです。加藤さんの誘導で高く上げていました。

講習生の梅木さんが車を降ろしてくれると言う事で、加藤さんとケイちゃん、そして、私が飛ぶ事になりました。加藤さんは、とても良い風の中、北西からクロスでテイクオフしました。塔の所に行き、あっと言う間に高く上げました。次にケイちゃん。まあまあの風でしたが、出てすぐに風が弱くなりました。ケイちゃんはリッジも取れず、殆どぶっ飛びでした。ところが、私が出ようとしたら、風がなくなってしまい、出られなくなりました。前にもこの様な事がありました。カメラマンが来て、色々と質問されました。どうせとべないんだからと親切丁寧に解説委員をしました。ついでにロールアウトの営業部長も務めて宣伝しました。私の口調が説得力あったらしく、下に降りたら早速、パンフを貰いに来たそうな。
飛べないでグダグタしていたら、ぶっ飛んだケイちゃんが又、上がって来ました。加藤さんはと言うと呆れた事に一人で安全山に行ってしまいました。ケイちゃんが来たせいか、飛べる位の風が来ました。北西テイクオフからクロスで出ました。塔の近くに行き、暫く遊んでいましたが、ケイちゃんが出たら又、風がなくなってしまいました。ケイちゃんが降りた後にすぐにランディングしてしまいました。14時2分東からテイクオフ、最高高度775m、2.6m/s、23分のフライトでした。

初フライトの藤崎君のテイクオフを見ました。南から出ました。藤崎君が出る時だけ、正面から風が来ました。とても良いテイクオフで出ました。私は、東から出ました。先に出たケイちゃんは高く上げています。1300m上げていたと後から聞きました。ケイちゃんは、安全山に飛んで行ってしまいました。その時、私は、まだ東テイクオフで順番待ちをしていました。蔀さんが来たので、私は、最後からひとつ前に飛びました。先に降りた臼井さんから「ランディングは荒れていて、アプローチにシンクがあります」と無線が入りました。確かに飛んでいて、荒れていました。荒れていると言う事は、サーマルがあると言う事なんですが、余り上がりません。16時1分東からテイクオフ、最高高度729m、5.0m/s、54分のフライトでした。加藤さんから「上がったら安全山に飛んでいいですヨ」と無線。「う〜ん、上がらないのヨ」と独り。サーマルセンタリングしてパブリック尾根に流されて、600m、このままランディングも芸がない、と南に行ける所迄行こうと流しました。流して分かったのですが、沈みません。レベルキープしながら安全山に着いてしまいました。信じられません。安全山で少しリッジ を取って飛びました。「美味しいお米ノサイロ」の近くの休耕田に無事に着陸しました。加藤さんが藤崎君と一緒に回収に来てくれました。飛べないと思った日に飛べて、しかも、低い高度でのクロカンも出来てとても嬉しい日でした。夕食は、加藤さん、臼井さん、そして、「美人の」松本嬢を呼んで楽しく飲みました。飛ばなかった松本嬢が一番盛り上がっていました。遠くにいるTMさんに電話までして素面(しらふ)のTMさんを困らせたりして・・・・。ごめんなさい、TMさん!

1999年9月3日(金) 87/112

今日もとても良い日でした。吉井さん、植松さん、森本さん、海老さん、寺本夫妻、小寺さん、ケイちゃん、藤原さん、前田さん、中島君、キキちゃん、成美ちゃん、平日だと言うのににぎやかでした。10時7分、今日は、早い時間にテイクオフしました。サーマルが出始めでした。東からクロスで出られました。長い時間、南のノーマルルートで渋いサーマルに遊ばれてしまいました。少し前に高々度フライトを始めて間もない頃、長時間フライトしてビックリさせた成美ちゃんが今日も3時間半の長時間フライトをしてしまいました。機体はボレロ、センタリングもとても上手です。天性のものです。私もこのフライトは、3時間1分でした。900m位の所でウロウロしていたのですが、昼過ぎにやっと高く上げられました。カヤマチの尾根に渡って、高く上げて、Cコースで安全山に行きました。安全山上空で1000m、更にそこで1160m迄上げて、再び、Cコースでリターンしました。カヤマチに着いた時は、850mでしたが、そこで1360m迄上げました。加藤さんから「カヤマチからダイレクトに五台山に向かったらどうですか?」と無線が入りました。初の安全山リターンで満足でしたが、折角ですから、五台山 に向けました。しかし、五台山の尾根の突端に取り付いたのですが、上げが無く、撤退する事にしました。集落のどこに降ろそうかと見ていたのですが、稲刈りがまだ終わっていないので、河原迄戻る事にしました。杉本自動車の尾根でサーマルを感じて少しゲインしました。でも、疲れがあって諦めました。杉本自動車裏の河原に着陸しました。このフライトでは、途中、GPSの電池切れで使えなくなり、更に、ドラッグセンサーの表示が出なくなり、とても、気になりました。でも、バリオは正常でしたから、何とか飛べました。キキちゃんが回収に来てくれました。

ショップに戻って、昼食を食べていたら、植松さんがランディング回収をして戻って来ました。「また上がらない?」と言うので、甘えて上がる事にしました。でも、疲れが出ていたので、南テイクオフで暫く休んでいました。そうしたら、平日だと言うのに、まあるい顔が上がって来ました。そうです。ユッペです。バリオの電源が入らないとかで、ブツブツ言いながらいじっていましたが、結局直らずにそのまま飛んで行きました。ユッペのテイクオフは、今日も見事でした。休んでいたら風がなくなってしまいました。無風の中を蔀さん、森本さん、エビさんのサポートで正面からテイクオフして出ました。穏やかなぶっ飛びでした。16時30分テイクオフ、6分のフライト。
日中、日差しが強い中を長時間飛んでいたので、顔が真っ赤に日焼けしてしまいました。ヘルメットの跡がクッキリと。
豪君が今晩、青垣に来るそうです。私は、明日は、早番勤務なので、会わずに帰って来ました。帰る間際、扇沢さんが飛ぶのが見えました。田中美由喜さんも豪君と一緒に来るそうです。次の土日は、おふたりと豪君、正ちゃんのPWC選手4人が岩屋で飛ぶ事になります。

1999年9月9日(木) 88/113

昨日と今日が休みですが、昨夜、私が管理者をしている「伊丹空港メーリングリスト」のオフミがあった為に飛びに行けませんでした。今日の天気は、飛べそうなので、朝、早く起きて準備しました。しかし、昨夜の酒が残っていて、身体が言う事を聞きません。朝5時50分からの気象情報を見て南風と言うのを見て、ひょっとしたら南西になるかも知れないと思い、又、眠ってしまいました。ようやく起きて7時半に家を出ました。車を運転していて、途中、どうしても眠くなりました。篠山の山の中で車を止めてリクライニングをしてぐっすり眠ってしまいました。30分以上も眠っていた様です。10時40分に道の駅に着きました。道の駅で寺本夫妻と会いました。ショップに着いたら、加藤さんが出迎えてくれました。昨日撮った豪君のビデオを見ました。北西テイクオフでグランドハンドリングと10cmの高さでのテイクオフでのリッジソアリングは見事なものです。キャノピーの魔術師とでも言いましょうか、とても、高度なテクニックです。

人が集まったので、テイクオフに上がりました。今日は、平日だと言うのに結構人が大勢来ています。豪君、優君が揃いました。坂谷さん、保位田さん、荻野さん、神田さんと大勢でした。
東京に転勤になった勝野君が来ていました。講習生は、中西君、勝野君と寺本和代さんです。3人とも安定したテイクオフで出ました。講習生が出た後は、私も自由に出る事が出来ます。しかし、私が出た時は、リフトは全然なく、殆どぶっ飛びでした。結局、今日は、3本飛びましたが、皆、殆どぶっ飛びでした。3本目は、加藤さんにサポートして貰って出ました。ランディンクしたら雨がポツリ。アークの八木君始め、皆で私の機体をたたんでくれました。たたみ終わってショップに戻ったら、雨が土砂降りになりました。加藤さんは、飛ばずに臼井さんの車で降りて来ました。加藤さん、どうもありがとうございました。ぶっ飛びでしたが、とても気持ちの良いフライトが出来て幸せでした。さあ、明日から又、元気に仕事です。

1999年9月14日(火) 88/114

天気は西から崩れる予報です。午後から関西地方も雨になりそうとの事ですが、午前中は何とか飛べるのではないかと淡い期待を持って出かけました。昨夜は、遅番で寝不足でしたが、頑張って早く起きました。大阪は晴れていましたが、篠山近辺から雲行きが怪しくなりました。柏原に入ったら雨が降って来ました。道の駅に着いた時には、青垣も雨でした。風も南西です。道の駅で蔀さんと慶ちゃんがいました。二人とも、「午前中は持つと思っていたのに・・・」と残念がっていました。ショップに着いたら、雨の予報にも関わらずやはり、何人かが来ていました。雨は止みましたが、空を見たら雲が南西から早い動きをしていました。富士見の増田さんもショップにいました。久しぶりの再会です。
待っていても多分、飛べないと思い、加藤さんに挨拶をして帰途に着きました。大阪に戻って準備をして、東京行きに変更しました。三鷹の父に久しぶりに会いに行く事にして、13時30分発の飛行機に乗りました。

1999年9月25日(土) 89/115

台風18号が猛烈な勢いで通り抜けました。1991年の台風19号と同じ様な台風でした。昨日、大阪地方も多少台風の影響がありました。今日は、台風一過で良い天気が予想されていました。実際には、青垣は雲が多い天気でした。妻が101便で東京から来て、伊丹空港に迎えに行きました。その足で青垣に向かいました。青垣に着くともう飛んでいる人が見えました。加藤さんに頼まれて、講習生の人達のテイクオフを見る事になりました。南テイクオフで何人かの講習生の人の飛ぶ指導をしました。W君が講習生の最後にテイクオフした時に、左の翼端が折れたままテイクオフしてしまいました。浮きが悪く、しかも左に向かった為に背の高い木に突っ込んでしまいました。10m位の高さです。私は、すぐに、そのままじっとしている様に無線で指示しました。そして、ショップと加藤さんに報告しました。その時、テイクオフにいたのは、私の他は、妻と松本さんだけでした。女性だけでは救出出来ないので、応援を依頼しました。レスキュー置き場から梯子を持って来て貰いました。梯子を持って戻った時、加藤さん達は上がって来ていました。その時、W君は、私の指示を守らずに、ハーネスを外してしまっ ていました。両手で木に掴まっている状態です。人間の握力は非常に弱いので、すぐに力尽きてしまいます。ハーネスをしていれば、落下する事はないのに・・・。

フライヤーの皆さん、運悪くツリーランした時は、勝手な行動をとってはいけません。特に、自分の身体のセルフビレイ、つまり自分の身体の確保は確実に取って下さい。高い木から落下したら取り返しがつかない大怪我をしてしまいます。場合によっては、命を失うことになります。加藤さん、前田さんの見事な木登りと回収技術で無事に人間も機体も回収出来ました。

再び、講習生の人達のテイクオフを見ました。私も飛ぼうかなと思っていたら、南テイクオフはフォローになってしまいました。北西テイクオフに風が入っているので、移動しました。久しぶりに会った寺本さんが飛ぶのをビデオで撮影しました。人が飛ぶのを見ているとサーマルに入った時とか良く分かります。ビデオを撮影しながら、寺本さんに「回して下さい」と指示したら回ってくれて高く上がりました。私は、15時42分に北西テイクオフから出ました。715mの高さまでしか上がりませんでしたが、52分のフライトを楽しみました。最高上昇率は、4.4m/sでした。高度があるうちに、片翼潰しをしました。左翼をしてから、回復動作をして、今度は、右翼を潰しました。磯根では、しょっちゅうやっていましたが、岩屋では余りやっていません。高度を失うので、何か勿体ない気がするからです。1本しか飛べませんでしたが、講習生の人達が飛べたし、しかも、初飛びをした人もいましたので満足でした。初飛びは、福知山の大槻夫人です。一部の人のランディングの誘導もしました。それにビデオ撮影も出来ました。妻も久しぶりに来て、2本飛びました。夜は、加藤さんの家でビデオを見ながら宴 会をしました。やはり、仲間と話しをしながら飲む酒は旨い!

1999年9月26日(日) 90/116

昨夜は、楽しいお酒を飲みました。妻は、少し飲み過ぎた様です。今日は、朝、ランディングの草刈りをしました。草刈り機を使うのにはコツがいります。石や土を削らない様に草を根本から切るのに動かす方向の歯を少し浮かして動かすのです。腰全体で動かして刈ると楽に綺麗に出来ます。草刈りもなかなか楽しいものです。ランディング場が見る見る綺麗になるのは、とても気持ちが良い物です。

今日も、講習生の人達のテイクオフを見る事になりました。ところが、今日の風は、東でした。岩屋の東テイクオフは、短いので失敗すると痛い目に遭います。その為、経験が浅い講習生の人は、ここからのテイクオフは禁止されています。風が東から変わりそうもないので、1本私が飛ぶことにしました。10時42分テイクオフして10分のフライトでした。その後、すぐに又、テイクオフに上がって講習生の人達が飛べるか見ましたが、風は変わりそうもありません。講習生の人達は、一旦下山して下で待つ事になりました。12時43分、今日2本目のフライトをしました。北西テイクオフからクロスで出ました。先に世良さんが出て、すぐに私が出ました。世良さんのボナンザがノーマルルートの先を飛んでいました。私は、今日の風は、出来るだけ北風が当たる場所で浮きを取るべきだと思い、南テイクオフの北側で粘りました。暫く粘っていたらやっとリフトに当たりました。すかさずセンタリングを続けて1200m迄上がりました。私は、いつも加藤さんから「上がったらクロカンに出て下さい」と言われていたので、今日も「加藤さん、大久保です。安全山方向に流します」と無線を発しました。加藤さんか ら「了解です」と応答がありました。26本目の安全山行きです。カヤマチの上で、センタリングして1395m迄上がりました。カヤマチから安全山はすぐです。対地速度50km/hrから62km/hrの速度でした。今日のベルテックスは沈みません。安全山上空で1100mです。安全山でまた上げて、安全山の南西側の山に移動しました。そこの北斜面に良い風が当たっていてリフトがありました。関西墓園の上空を通って次の山に移動をかけました。しかし、シンクにはまってしまいました。南の方向は、何度か来た事がある夫婦橋です。夫婦橋近くに降ろそうと方向を変えました。夫婦橋を過ぎて高い高圧線があります。この高圧線は、今日の高さでは危険なので高度処理をして、刈り終わったタンボに降ろす事にしました。隣のタンボは、稲刈りの最中でした。急に空から降って来たパラグライダーに驚いて仕事の手を休めたおじさんに「すみませーん」と挨拶したら、大きく手を振ってくれました。40分のフライトでした。最高上昇率は、4.5m/sでした。ショップに電話して回収を依頼しました。暫くして奥田さんが私の車で迎えに来てくれました。ショップへの帰り道に妻からの無線で、安全山に向かっているのを聞き ました。ショップに戻って昼食を食べてから、妻の回収に行きました。妻は、6本目の安全山行きを達成しました。たまにしか、飛びに来ないのに、安全山に行ってしまう妻を私は、「凄い!」と思います。一緒に安全山まで行ったのは、古郷誠さんと本田さんです。しかし、二人はまだ飛んでいたので、一旦、ショップに戻りました。

夕方、風が穏やかになった頃、講習生の人達もテイクオフに上がりました。ところが、依然として東風でした。加藤さんがテイクオフを見る事になり、私は、東テイクオフから、今日3本目のテイクオフをしました。17時28分、クロスでテイクオフ。7分の穏やかなフライトでした。

1999年9月27日(月) 91/117

こんなに飛べて良いのでしょうか? しかし、今日は、私にとっては、余り良い日ではありませんでした。南テイクオフで全員が出るのをビデオ撮影していて、最後に出ましたが、左のトレーリングエッジのフレークコードのラインが絡まっていました。そのまま出てしまったのですが、異常事態なので、翼端折りして緊急降下しました。10時15分テイクオフして5分で降りました。翼端を戻すと黙っていてもバリオが鳴るほど良いサーマルが出ていました。残念無念!でも、すぐに加藤さんから「すぐに迎えに行きます。上がって下さい」と無線が入りました。車が着いて、二人の人が走って来て、たたむのを手伝ってくれました。豪君と芦田さんです。豪君は、尾神の日本選手権大会から帰ってすぐてした。加藤さんと豪君は、タンデムのお客様を乗せる為に一緒にテイクオフに上がりました。タンデムのテイクオフと芦田さん、宮本さんのテイクオフと他のスクールの人のテイクオフも撮影してまたもや、最後にひとりでテイクオフとなりました。どうも、疲れている様です。クロスでテイクオフしたのですが、失敗しました。加藤さん達が上がって来て、サポートして貰い、今度は成功してテイクオフし ました。11時50分テイクオフして20分のフライトでした。最高高度810m、最高上昇率3.2m/sでした。ランディングしてから、妻が「タンデムやりましょうか?」と言って来たのですが、今日、東京に帰る妻のスケジュールを考えるとハードなので止める事にしました。今日も何人かの人がクロカンに出ました。昨日と比べて天気が良くて、とても暑い一日でした。今迄撮影したデシタルビデオを加藤さんに貸して、青垣を後にしました。帰宅後、夕食を食べてから、妻を伊丹空港に送りに行きましたが、108便の東京行きは満席でした。旅客係の人と相談して、関西空港からの最終便なら空席があるというので、妻はバスで関西空港に行きました。疲れているのに可哀想に・・・。でも、たくさん飛べたから良いでしょう。(^_^)

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