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1999年07月〜09月のフライト日記へ行く岩屋山ロールアウトでのフライト日記1999年
1999年10月〜12月 Last up date:1999年12月26日

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フライト日記のINDEX

1999年10月8日(金) 92/118

昨夜、24時迄の勤務でした。連休前で、妻は、飛行機が満席で、関空に着きました。関空から伊丹空港行きの最終バスに乗り遅れてしまい、梅田までのバスに乗りました。仕事が終わってから、梅田まで迎えに行き、家には遅く到着です。気象情報は、曇で余り良さそうではありませんでした。それでも、久しぶりのフライトなので、8時前に出発しました。今日の講習生は、八幡君と牧田さんが来ていました。テイクオフは私が見て、ランディング誘導を加藤さんがしました。全員が出てから、最後に私が12時44分に1本目フライト。8分のぶっ飛びでした。弱い北風で北西から出ました。

2本目は、これまた最後に14時38分テイクオフして10分のぶっ飛びでした。15時過ぎに加藤さんも一緒に上がって、加藤さんは、最新鋭機のクリンプトンで飛びました。私が15時38分にテイクオフして塔のところでソアリングしていた所に加藤さんがジワジワと上げて来ました。他の人達は、少しソアリングしていましたが、コース取りが良くなくて結局、全員降りてしまいました。今日の風は、北風であり、大箕山の方向からの風です。地形から上昇する所は、北向きにカール状になっている山の所しかありません。そこ で上げて塔の方に移動するのです。弱いサーマルを捉えてじっくりと回します。少しずつ上がるのですが、それでも、私は、最高高度が883mで233mゲインしただけでした。塔の下の方から「キーキー」と鹿の鳴く声が聞こえていました。加藤さんは、私より上げて安全山に流して行きました。残された私は、一人で飛んでいてもつまらないので、北西テイクオフにトップランしました。そして、残っていた車を降ろしました。講習生の二人もソアリングが出来て、3本のフライトが出来ました。41分のフライトでした。妻も3本フライト出来て満足でした。

1999年10月9日(土) 93/119

昨夜は、加藤さんの家に泊めて貰いました。朝、早めに出てショップに行きましたが、テイクオフの風は強そうでした。上がっても多分、強くて飛べないだろうと思い、暫く、ショップでビデオを見ていました。マイク・クングのフライトの凄さをビデオで見ました。グランドハンドリングも自由自在です。キャノピーが生き物の様に動きます。MISTRALさんがショップに来ました。自家製ビールを戴きました。9時半頃、テイクオフに上がりました。テイクオフはそれ程強くありませんでした。しかし、下の風は強くて飛ぶのが危険な状態でした。テイクオフの風が安定して弱くなった頃、ダミーフライトで植松さんがテイクオフしました。風が弱くなってしまい、植松さんは、少し粘っていましたが、降りてしまいました。次に私が二人目のウインドダミーでテイクオフしました。私が出た時は、強い風が来て、クロスで上げて、テイクオフしてすぐに塔の方向に移動出来ました。ベルテックスは、速い機体なので、ある程度強い風でもフライト可能ですが、中級機では、風に掴まって前に出ない恐れがあります。上空の風は、15km/hrから25km/hrで した。

私が出たのが、10時21分です。塔の所でホバリングしながらテイクオフを見ていましたが、少しして、ベテランの吉井さんが出ました。吉井さんは、私のすぐ近くまで来たら、グングンと上げて行きました。私も吉井さんの後を追って上げました。他人のフライトを見てリフトがある所を探すのは、大切です。パブリックの尾根の方でセンタリングしていたら、強い北風なのでカヤマチの方に流されて行きます。1000mになった時に、加藤さんに「安全山方向に流します」と無線を入れました。「風が強いので谷には入らないで下さい。危険です」と注意がありました。カヤマチでは、先日、強いリフトを経験していたので、期待して行きましたが、それ程のものはありませんでした。そのまま安全山方向に向かいました。途中でリフトを感じてセンタリングしました。1153m迄上昇して安全山に向かいました。安全山に着いた時は、850mでした。安全山上空でもリフトはありませんでした。植松さんが無線で「回収に出ているから、ユメタウン迄行ったら」と言ってくれました。「でも、高度が無いしなあ・・・」東を見たらユメタウンの赤い看板がすぐそこに見えました。追い風なので着けるだろう、と思 い、「お言葉に甘えてユメタウンに行きます」と返事しました。対地速度60km/hrの速いスピードです。ユメタウンの近くには何度か降ろしていますが、ユメタウンの上空を飛んだのは、初めてです。上空から写真を撮りました。少し先に休耕田がありましたので、そこに降ろそうと向きを北に変えたところ、垂直降下を始めました。下には、家があります。アクセルを一杯踏んで隣の畑に無事に着陸しました。1時間7分のフライトでした。最大上昇率5.0m/sです。そこは、黒枝豆の刈り取った跡の畑でした。キャノピーが破れると困るので、隣の店の駐車場に移動しました。でも、風が強くて畳めません。やっとのことで何とか畳んでいたら、植松さんから無線が入りました。無事に回収して貰ったら、吉井さんもこちらに向かっているので回収して欲しいと無線が入りました。安全山方向からこちらに向かって凄い速度で飛んで来ました。「子供達が空に向かって手を振っているので、ここに降りたら」と植松さん。「もう戻れません」と吉井さん。少し先の川の近くのタンボにランディングしました。

回収して貰い、ショップに帰ると強い風で飛べなかった人達がテイクオフにいて、お腹が空いたのと寒いので、一旦降りると言って来ました。只ひとり飛んでいた本田君が安全山に行くと言うので、私が本田君の車で回収に行きました。回収から戻ったら、また、テイクオフに上がると言うので、乗せて貰う事にしました。妻は、「タンデムで飛びたい」と言うので、タンデム機だけ持って行きました。加藤さんもタンデムフライトです。加藤さんが出てから私達のタンデムも出ました。強めの北風で比較的楽にテイクオフ出来ました。妻のハーネスの後ろにバリオとGPSを掛けました。良く見る事が出来て快適です。15時49分テイクオフ。北風の時のリフトのある所を妻に教えながら飛びました。妻は、「タンデムでも飛べると楽しいね」と大喜びです。テイクオフは、まだ強風らしく、出る人が暴れるキャノピーに遊ばれているのが見えます。北に向かう時は、対地速度が21km/hrですが、塔の方向に行く時は、50km/hrです。二人で体重移動しながら旋回します。30分以上飛んだので、降ろす事にしました。ランディング上空に行くとグランドサーマルがボコボコと出ていました。降下したかと思うとまた 上がります。結構荒れています。高度処理をするのに10分位かかりました。無事にランデイングしてほっと一息です。42分のフライトでした。

上の風が収まった様で、加藤さんから「ランディングの誘導をして下さい」と頼まれました。先日、初めて誘導しましたが、スクール生の誘導は難しいです。言う通りに操作して貰えれば問題ないのですが、中には、言うとおりにしてくれない人がいます。それと、反応が遅い人とか・・・。右と左を間違える人等々・・・。でも、無事に全員、アウトサイドも怪我もしないで着陸しました。何人か誘導していると要領が分って来ます。先ず、名前を呼んでからゆっくりと指示を言う事、短く言う事、一度にひとつの指示だけを言う事。操作が遅い人には、早めに言う事、でも、旋回する時の体重移動が全員不足しているのに気がつきました。「体重移動しているつもり」の人が多い様です。ビデオを撮って貰い、加藤さんや豪君の飛びと比較すれば、一目で分かる筈です。
夜は、加藤さんの家で鍋の宴会をしました。瀬川さんが買って来てくれた美味しい地酒と、寺本さんの飛び入りのお酒で久しぶりに加藤さんも遅くまで飲んでいました。パラ談義で楽しい夜が更けて行きました。

1999年10月10日(日) 94/120

昨夜、成美ちゃんと八幡君に瀬川さんが「明日は、8時に上がって飛ぶヨ」と話していました。日中、風が強くなったり荒れるとスクール生の人達は飛べなくなるので、早いうちに飛んだ方が良いのです。でも、遠くから通っているので、多分、来ないだろうと踏んでいました。道の駅に登録に行ったら、すれ違った車は、八幡君でした。ショップに着いたら、成美が・・・。植松さんの車で6人上がりました。南テイクオフから植松さんがダミーで飛んで降りました。下の誘導を植松さんがしました。私は、テイクオフを見ました。ビデオ撮影をしました。8時42分、最後に私が出て、のんびりとゆったりしたフライトを楽しみました。

ショップに戻って、他のスクール生とパイロットの人達も乗って再度上がりました。吉井さんがテイクオフを見てくれると言うのでお任せしたのですが、吉井さんが車を降ろしている間に次から次へとスクール生が上がって来ました。皆さん飛びたい気持ちで一杯です。私がテイクオフを見る事にしました。一体何人の人が出たのでしょうか? しかし、昼頃、ブローが強くなってスクール生は、ゲートクローズになってしまいました。私が出ようと準備したら、テイクオフの 風はフォローになってしまいました。下の吹き流しは、少しずつ入っていたので、そのうちに入ると思い待っていました。5分位して弱いけれど正面から入って来ました。クロスで下がりながら立ち上げました。翼が出来たので、振り返って走ろうとしたらフワっと浮き上がりました。次の瞬間に下に落ちてしまい、その時に全体重を左足にかけてしまった様です。すぐに右足を着いて、地面を強く蹴りました。そのままテイクオフして出て行きました。10分位飛んでいたら、左足の甲の部分がズキズキと痛んで来ました。足を着いた時に怪我をしたのかも知れません。でも、我慢出来ない程ではなかったので、ノーマルルートを通って、前山に取り付きました。前山の先を見たら、シグマ3が飛んでいました。妻です。とっくに降りたと思っていたのに、まだ飛んでいたのです。前山周辺は、かなり荒れていました。サーマルは出ていますが、続きません。ランディングの吹き流しは、真横です。古郷誠さんから無線で「下の風は強いですから気をつけて下さい」と言って来ました。強いなら片足ランディングが出来るだろうと思い、足が痛い事を無線で伝え、片足で降りる事を伝えました。高度処理をしてアゲ インストでアプローチしました。風が強いので、片足でフワリと降りました。降りて片足でケンケンして止まりました。23分フライトしていました。すぐに「美人」が3人走り寄って来て、ハーネスとかキャノピーを持ってくれました。左足を地面に着いたら、力が入りません。そして、ズキンと痛みます。ランディングの端に腰を下ろして休みました。海老さんから湿布を貰って貼ったらひんやりして気持ち良かったです。ショップに戻って加藤さんに報告しました。すぐに病院に行って診て貰った方が良い、と言うので、柏原日赤病院へ行きました。X線撮影して貰ったら、甲の関節部の骨が小さく欠けている様だと診断されました。大きく骨折していないので、心配はいらないそうです。ちょっとした不注意でこんな怪我をしてしまい残念です。病院の車椅子に乗り、妻に押して貰いましたが、余り良い気持ちではありません。

帰りに介護用品販売店で杖を買いました。杖をつけばゆっくりですが、何とか歩けます。10月は、これが最後のフライトです。15日に会議があり、それが終わったら夕方の飛行機で東京に行きます。17日が長男の結婚式、18日から28日迄、研修です。東京の家から通勤となります。丁度、足の治療の為に良い機会となったのかも知れません。
いつも怪我の危険があるのですが、慎重に行動すれば、防げたものと思います。それ程の大事に至らなかった事が不幸中の幸いでしょう。加藤さん、真由美さん始め、皆様にはたいへんご心配をかけて申し訳けございません。本当にありがとうございました。

1999年11月06日(土) 95/121

不注意で怪我をしてから、かなり日が経ちました。10月15日に東京に行き、17日は、長男の結婚式でした。当然、剥離骨折の足では、靴が履けず、黒いスニーカーで列席しました。歩けないので杖をついて・・・。燕尾服姿に杖をついて、少し色がついた眼鏡の当日の私は、かなり貫禄があった様です。姪が「おじちゃん、カッコいい!」と慰めてくれました。
会社の研修もあり、29日迄東京暮らしをしました。30日に帰阪しましたが、まだ、足は、完治していません。東京の病院から大阪の病院に転院して治療中てす。

月に一度の、妻が飛びに来ました。当然、私が運転手です。妻は、月に一度の欲求不満をはらすかの様にかなりの勢いで来ました。こちらは、傷痍軍人と同じです。まあ、風が良かったら飛ぼうと下心はありましたが・・・(^_^)
土曜日と言うのでスクール生が大勢いました。いつもの様にテイクオフを見ました。風が良かったので、つい、私もぶっ飛んでしまいました。久しぶりのフライトに緊張しました。妻が「私は、いつも月に一度なんだから・・・」と言っていました。そうです。月に一度と言う事は、1ケ月ぶりなのです。う〜ん、大変な事です。2本目もぶっ飛びしました。でも、なんだかとても気持ちが良くて感動しました。パラグライダーがこんなにも気持ちが良いものだったのだと再認識しました。

口々に皆さんから「もう大丈夫ですか?」と質問攻めに会いました。誰かが、私が岩屋に来なかった期間を3ケ月以上と思ったていたそうです。たった1ケ月ですヨ。いや、まだ、1ケ月は経っていないって・・・。少しうるさい奴だからって、そんなに長く感じるとは!
夜は、加藤さんの家で大宴会でした。TMさんと言う富士見の人が持って来てくれた「美味しい酒」をご馳走になりました。はっきり言って美味しくありませんでした。私は、根が正直なので、つい、「何ですか、こりゃあ、マズい!」と声を上げてしまいました。「人間が口にする様なシロモノではない」と言ったかどうか覚えていませんが・・・。
でも、加藤さんが「これは美味しいですヨ」と別なお酒をついでくれました。そして、寺本さんの手作りの煮込みを戴きました。とても美味しくて後を引きました。ごちそうさま。

1999年11月07日(日)96/122

昨日は、つい、飲み過ぎました。足の怪我に良いわけがありません。まだ、腫れていると言うのに・・・。長男が新婚旅行先のバリから買って来たお土産のトラジャコーヒーを入れました。美味しい香が部屋の中を漂いました。
今日は、朝からとても良い天気です。朝早くテイクオフに上がりました。今日も、最初、私がテイクオフを見ました。スクール生の人達に1本でも多く飛んで貰いたいと言う気持ちで、テイクオフ状況をビデオに収めながらテイクオフ指導をしました。

天気が良く、日差しが強かったにしては、サーマルが弱くぶっ飛びコンディションでした。3本飛びました。妻は、松本さんのX-RAY22を借りて飛びました。今のシグマ3もとても良い機体だと思いますが、そろそろ乗り換えようかと思い始めたのです。親切な松本さんが快く貸してくれました。
夜は、黒井屋さんで食事しました。加藤さんから赤ワインをご馳走になりました。酒は余り飲まない方がいいんだろうけれど・・・。

1999年11月8日(月)97/123

昨日の気象情報では、今日は雨です。確かに朝、雨がポツリと落ちて来ました。でも、少ししたら晴れ間が・・・。ハングの名手波多野さんがGPS12を持って来て「これマイル表示なんやけど・・・」と言うことで設定のお手伝いをしました。

蔀さん、慶ちゃん、波多野さん、正子、豪君と私がテイクオフに上がり、渋いテイクオフから飛びました。波多野さんが車を降ろしてくれました。穏やかなぶっ飛びでした。私は、この1本で飛ぶのを自粛しました。明日からまた仕事をしなければなりません。車のドライバーに徹する事にしました。再びテイクオフに上がったらとても良い風が北西正面に入っていました。リッジがとれそうでした。波多野さんがゼノンで飛んでリッジソアリングを始めました。次に加藤さん。妻も飛びました。慶ちゃんも・・・。豪君は、フランテックで飛びましたがサイズが小さかったので、沈下して行きました。「さようなら・・・」ほかの人がソアリングしているのに、この言葉は寂しすぎます。蔀さんが出てから、私は、車を降ろしました。メインランディングに慶ちゃん、豪君、正子を回収に行き、再度上がりました。加藤さんは、クリプトンで、「安全山に行きま〜す」と無線。波多野さん、蔀さんは一体どこを飛んでいるのやら・・・。正子は、勝野君のXRAY20を借用して試乗する事にしました。テイクオフはすんなりとクロスで立ち上げて出ました。出てすぐにグングンと上昇して行きました。リッジサーマ ルが出ている様でした。慶ちゃんも同様。豪君は、今回は、クリプトンに変えました。加藤さんを安全山に回収に行く為に降りました。妻は、高く飛んでいました。「安全山に向かえばいい」と言いましたが「慣れていないからいい」と無線。妻には、「13時半には帰るからネ」と言っておきました。加藤さんを安全山北側で回収してショップに戻り、「正子、もう、降りましたか?」と無線を入れたら「もう降りなければ駄目?」だと。「帰りの時間はとっくに過ぎていますヨ」いつかもこんなシチュエーションがあったなあ・・・。自分が帰る時間も忘れて飛んでいるなんて、とんだ豪傑です。

まあ、なんとか帰りの飛行機に間に合い、妻はも東京に帰りました。私は、久しぶりに飛んだのと、怪我した左足を庇って歩いた為か、右足の膝が辛くなりました。でも、3日間で6本も飛べたのですから、ラッキーでした。そして、久しぶりに仲間と会えてとても楽しい時間を過ごす事が出来ました。明日へのエネルギーを充電する事が出来たと思います。

1999年11月19日(金) 98/124

例によって昨夜は、24時迄仕事。今回、妻は、用事がある為に来られません。朝の気象情報を見たら飛べそうな天気でした。しかし、3時に寝たので頭がまた朦朧としています。7時迄また眠りました。食事をしてから、ゆっくり出かけました。ショップに着いたら、加藤さんが出て来ました。植松さんが来ているそうです。キキちゃんが飛んで降りたので、ランディングに迎えに行きました。講習生の誘導の為に加藤さんがランディングに来る為に、キキちゃんをグリーンパークに送りました。グリーンパークでは、可愛い(?)女性がひとりいました。今日の講習生は彼女ひとりでした。風は良くありません。手伝いをしようとしましたが、生憎の風でした。そのうちに降りた人達が上がるらしいので、ショップに行きました。一緒に上がりました。LoocyさんとMISTRALさんが来ていました。東テイクオフに弱い風が入っていました。私が出る時、結構、いい風が来ました。クロスで立ち上げましたが、振り向く瞬間、恐怖が蘇りました。怪我の事です。体制が受け身になって風とは、反対の方向に向けた様です。2度目も同じ失敗です。風は、少し、右クロスですが、今迄の自分なら平気で出 られる風です。メンタルな面で恐怖心があり、行動が逆に出てしまいます。3本目、やっとうまく上げて出ました。でも、心残りです。塔の方向へ行きましたが、渋くてゲイン出来ません。結局、21分でランディングしてしまいました。この時間飛んでいた人は、うまくゲインして粟鹿の方へ流した様でした。久しぶりのフライトだし、リハビリフライトなので、飛べるだけで幸せの私は、楽しく飛んだと思っています。

リフライトで上がった時は、南テイクオフに風が入っていました。しかし、弱い風でした。講習生の人達を出してから、正面で出ました。正面で出る分には、問題はないのですが、足の筋力が弱っていて余り走れません。無事にテイクオフしました。殆どぶっ飛びでした。夕方、また、上がりましたが、南西の風が強くなっていて飛べませんでした。
夕食は、ルナちゃんとスカーレットと加藤さんで氷上の「なんでもかんでも」と言う美味しいお店で「豪華な」食事をしました。加藤さんの家に帰ってから、ふたりで夜遅く迄話し込んでしまいました。美味しいお酒とパラの話題があると時間が経つのも忘れてしまいます。昨夜、寝不足だったのも忘れて・・・。年を取ると忘れっぽい? でも、ちゃんとぐっすり眠りました。(^_^)

1999年11月20日(土) 99/125

昨夜、遅かったので、とても眠かったです。朝、いつもの様に、5時50分からのNHKテレビの気象情報で風情報を見ました。南風から西風の青でした。南西の風になるかも知れません。外を見たら雲海がべったりでした。とても飛べそうもないので、もうひと眠りしました。7時45分に起きて、出かけました。喫茶店パブリックでモーニングサービスの朝食を食べてから道の駅に登録に行きました。道の駅では、今日、「収穫祭」が行われていました。りんごを1個買いました。100円です。真由美さんと会いました。
ショップに着いたら、先発組は上がったそうです。無線が入って、植松さんがテイクオフしました。その後、スカーレットが・・・。ランディングにスクール無線を届けに行きました。スカーレットを回収して戻りました。今日も明るく優しいスカーレットに「ありがとう」と言われると今日もいい日だと思いました。

ショップに集まって来た人達とテイクオフに上がりました。講習生の人達が大勢いるので、テイクオフを見る事にしました。スクール生の人達は、場数をこなして経験を積む必要があります。皆さん、飛びたいのです。テイクオフを見なければ飛べません。私も自分で飛びたいのですが、それ以上にスクール生の人達は、飛びたいのです。その様な眼差しを感じて、テイクオフを見る事にしました。しかし、今日の風は不安定です。何人も潰されています。大きく潰された機体を指差して「見て下さい。あの様になったら飛ぶのが怖くなって嫌になりますヨ」と言ったら皆、理解してくれました。片翼が潰された時は、旋回に入らない様に潰された側と反対の方のブレークコードを引いて旋回を止めなければならないのですが、引き過ぎると速度を殺してしまって失速する危険があります。一瞬の操作なので経験と勘が物を言います。私は、何度も潰されていて、怖い目に遭っていますが、今迄、大事故にあっていないと言う事は、操作がある程度、的確だったからだと思っています。海風の安定したエリアでマヌーバーを練習していたので、潰れからの回復は経験があります。でも、今日の荒れた空域では、ス クール生を飛ばせる訳には行きません。
結局、加藤さんからの無線で、私が飛ぶことにしました。13時過ぎにテイクオフしました。しかし、荒れた空域はどこにも無く、13分でフライトは終わりました。何か、上で見ていた時と全然違うのでがっかりしました。すぐにテイクオフに上がって、待っていたスクール生の人達を再び見る事にしました。南テイクオフは、右クロスの南西の風です。北西テイクオフを見たら正面から入っています。車は、上に上がりました。南は、フォローが入っています。北西から少しですが、正面から入っています。何人かのパイロット証の人達がテイクオフしました。比較的経験があるスクール生を出しました。しかし、暫くすると、南西になってしまいました。南テイクオフを見たら、南西ですが、出られそうです。南から移動して来た人達も含めて、全員、南に移動しました。

南テイクオフも基本的には、南西ですから、右クロスです。しかし、上手に立ち上げられればそのまま正面を向いてテイクオフすれば、出られる風でした。私は今日、1本しか飛んでいなかったので、出たかったのですが、熱い眼差しのスクール生の人達の視線が眩しくて、結局、最後迄、テイクオフを見ました。
何とか、出て行き、最後にふたりのスクール生の人が残りました。暗くなったので、失敗したら止めようと思いました。ふたりとも失敗して、「今日は、止めます」と言ったので、次に、私がクロスで立ち上げました。しかし、完全に真横の南西の風では出られる筈もなく、結局、諦めました。立ち上げて、改めて、南西の風の怖さを知りました。暗くなったテイクオフで機体を畳んで、迎えに来てくれたルナちゃんとBMWさんに迎えられました。寒いのに身体が熱くて汗が出ていました。う〜ん、残念。
明日は、雲海を見に早く上がろうと言われましたが、美味しい酒と久しぶりの妖怪のお喋りで楽し過ぎてつい、夜、遅くなってしまいました。BMWさんの美味しいお酒と、妖精が持って来てくれた美酒に酔いしれた夜でした。例の「XXXX酒」も顔を出しましたが、誰も手を出そうとしませんでした。TM君が来る迄、このお酒は、待っている様です。

1999年11月21日(日)100/126

岩屋に通い始めて、2年2ケ月が経ちました。今日で、飛べた日が丁度100日です。今日は、3本飛べました。今日迄で、岩屋で飛んだ本数は、191本になりました。一日、1本飛べれば満足の私としては、100日で191本と言う数字は、満足です。岩屋に通った日が、126日ですから、フライト確率は良い方でしょう。今年の夏休みに一気に確率が悪くなりましたが・・・。
朝、7時30分にテイクオフに上がりました。テイクオフから見る雲海はとても素敵です。カメラマンが大勢来ていました。墨絵の様な山並みにパラグライダーがゆっくりとフライトしている風景はとても綺麗です。カメラマンからは、赤とかピンクの色が好まれている様でした。ピンクのタンデム機で加藤さんが妖精とタンデムで飛ぶ時に「これを待っていたんだヨ」とカメラマンが口々に言いました。植松さんは、早々と飛んでいました。加藤さんが出た後、ルナちゃんと新形君が出るのを見ました。ふたりが出た後、暫く、風が弱くなってしまい、カメラマンの人達と話しをしました。質問攻めにあいました。でも、皆さん、パラに対して、「羨ましい」と言っていました。少し風が出て来たので、カメラマンの人達にサポートをして貰ってクロスで出ました。北西から私がテイクオフすると、一斉に歓声が上がりました。静かなぶっ飛びでした。8分足らずのフライトでした。下から無線で、「下が濡れているから、道路に降ろした方がいい」と植松さん。「よし、道路がターゲットだ」とばかり、道路に降ろしました。機体は濡れずに済みましたが、堅い道路にランディングしたので、傷めた左足にショッ クが・・・、あ〜あ。

今日は、植松さん、妖精、そして、豪君がいるので、私は、自由に飛んでいいと言われました。再度、テイクオフに上がりましたが、北西テイクオフの風は、左クロスの南西でした。弱くてとても出られません。スクール生には難しい風で暫く待機となりました。私が出ようとして構えていたら、加藤さんが上がって来て、「無理しない方がいいですヨ」と言われました。少し風が入って来たので、正面から出る事にしました。いつもならどうと言う事もなく、出られた筈でした。左足がテイクオフの敷物に躓いてしまいました。頭からコテンと前のめりに転んでしまいました。一瞬の事で、どうしてその様な事が起きたのか分かりません。足の踏ん張りが効かない所に躓いた事が原因でした。眼鏡のレンズが外れてしまいました。何とも滑稽な姿だったことでしょう。心配して駆けつけてくれた人の顔にも、笑いをこらえているのが分かりました。後で、その風景を思い浮かべて、自分でも大笑いでした。まるで漫画のシーンでした。すぐに「誰もビデオ撮っていないよネ」と周りを見回しました。
加藤さんから、「クロスで出た方がいいですヨ」と言われて風が入るのを待ちました。

11時少し前にクロスで出ました。しかし、風は弱くて、結局、7分余りのフライトでした。ランディングしたら空高くパラの花が咲き始めていました。少し出るのが早かった様です。再度、上がりました。3本目です。一日に、こんなに上がるのは、珍しい。北西テイクオフは依然、風が弱くて出るのが難しい状態が続いていました。少し待ったら、良い風が来て、スクール生の人が出て行きました。ところが、狭いエリアで多くのパラが飛び始めていたので、誘導の必要なスクール生に待ったがかかりました。妖精から「先に出てください」と言われて出ました。クロスで出ました。出てすぐに南テイクオフの裏でリフトがあったので回しました。先に出た人が同じ空域で回していたので、方向を合わせました。先にいた人は、離れて行き、沈んでしまいました。私は、慎重に回してトップアウトしました。しかし、サーマルは弱くてとても回し切れません。22分間飛んで降りました。久しぶりに「飛んだ」と言う感じを受けました。

気になる仕事が頭の中にあり、疲れもあったので、早めに帰りました。
今日は、学科検定の講習会があったので、吉井さんが講師で来ていました。吉井さんも用事があるとかで、飛ばずに帰りました。早く帰ったのですが、途中の道路がメチャクチャに混雑していて、帰宅したのは、18時30分を過ぎていました。
疲れたけれど、とても楽しい3日間でした。

1999年12月11日(土)100/127

妻の正子がJAL101便で東京から来ました。今朝の気象情報を見て、今日は、天気が悪く、行っても飛べないと妻に言いました。加藤さんと会い、話しをするだけでも楽しいからと青垣に向かいました。実は、妻のクロスカントリー技能証の申請が許可されたのでした。今日は、妻の合格祝いをして貰える事になっていたのです。飛べなくてもロールアウトの人達と会う事が楽しみでした。ですから、妻にとっては、飛べなくても嬉しい日だったのです。道の駅に着いたら、植松さんが普通の姿でいました。聞くと、会社の人達と蟹を食べに日本海の方に旅行だそうです。いいなあ。道の駅では、冷たい雨が降っていました。ショップに着くとこの天気なのに数人の人がいました。早速、妻は、クロカン技能証の申請書を書きました。
時折、太陽が顔を出しましたが、テイクオフは飛べる風ではありません。結局、飛べない一日は終わって、加藤さんの家でパーティが始まりました。この年になってクロカン証を貰えるなんて夢の様ですと妻が喜んで感謝の挨拶をしました。美味しい酒が並びました。私は、妻の為にスペインリオハのワインを2本持って来たのですが、あっと言う間に空いてしまいました。日本酒だけではなくて、美味しいものは何でも飲んでしまうのですねえ。いつもは、21時前に寝る加藤さんも珍しく、遅くまで酒を飲みながら談笑していました。酒を飲みながら聞く、加藤さんの「パラグライダーの極意」はとても為になります。私のテクニックは、この「酒」と共にあると言っても過言ではありません。(^_^)

1999年12月12日(日)101/128

怪我をしてからテイクオフの時に不安があります。風が弱い時のテイクオフは特にそうです。今日は、2回もスタ沈してしまいました。クロスでテイクオフして躊躇しているのが原因です。怪我の時の情景が蘇ります。北西テイクオフから3本ぶっ飛びしました。風は穏やかでした。曇っていたので、サーマルはありませんでしたが、のんびりとフライト出来ました。でも、テイクオフの失敗が私の頭の中から離れず悩みが深くなりました。うまくいっている時は、何とも思っていなかったのに・・・。

1999年12月13日(月)

明日までの予定で青垣に来ていたのですが、昨夜、遅く、妹から電話があり、父の具合が悪くなって緊急に入院したと連絡がありました。妻と朝、早く、青垣を後にして東京行きの飛行機に乗りました。久我山の病院に着いたら、父は、応急処置が適切だったお陰で無事でした。ほっとしました。気になる事があるとパラグライダーって出来ません。やはり、平和な時しか飛ぶ事が出来ないのです。

1999年12月25日(土)102/129

飛行機に乗れたら来ると言っていた妻が早起きして、東京から来ました。今日は、ロールアウトの忘年会です。昨年の忘年会は仕事で参加出来ませんでした。今年は、丁度私の休みの日に当たっていたので是非参加したいと思っていました。そして、出来ればフライトもしたいなあと。でも、青垣に着いたら風が強めです。まあ、飛べなくても仲間と楽しいひとときを過ごせれば嬉しいです。豪君は、22日にオーストリアのインスブルックにあるNOVAに行きました。1年間NOVAのテストパイロットの仕事をする為です。才能を活かすチャンスが与えられて豪君は本当に幸せです。

風が強いけれどランディングでの立ち上げ練習は出来ます。この所、テイクオフに不安があった私は、練習しました。久しぶりに真剣にグンドハンドリングをしました。グランドハンドリングをしていて気が付いた事がありました。フライト中にブレークコードのレスポンスを良くする為に2ケ月前にブレークコードの長さを調整したのですが、クロスで立ち上げている時にブレークコードを引いていないのにトレーリングエッジが引かれるのです。クロスで立ち上げている時に、両手にトグルを持っているのですが、短く調整した為に引かれてしまっているのに気が付きました。当然、上がりが悪くなります。5cm伸ばしました。そうしたら嘘の様に素直に上がって来ました。なあーんだ、そうだったのか。それからの立ち上げは以前の様に楽に出来る様になりました。頭上で立ち上げて自由自在にグランドハンドリングが出来て、パラを始めた当初の様に喜びを感じました。目一杯グラハンをしたので、身体中が痛くなりました。汗びっしょりです。嬉しくて足の痛みも忘れていました。

夕方、風が治まったようなのでとテイクオフに上がりました。クロスでのテイクオフに自信が出来て、堂々とテイクオフ出来ました。しかし、ブレークコードが少し長い様です。後、2cmか3cm位調整が必要だと思います。パラって本当に微妙です。
でも、あんなに悩んでいた事が今日のグラハンで解決しました。やはり、グラハンはパラの基本です。
当然、夜の忘年会は楽しく、美味しいお酒をご馳走になりました。ロールアウトのメンバーは平均年齢が高いと言われていますが、どうしてどうして、今日は、一気に若返りました。やはた家のご子息ふたりが豪君の弟子入りをしてメンバーとなったのです。忘年会は、パイロットだけではなくて、まだ、高々度フライトをしていない人も参加して親交を深めました。「最初は誰でも他人です」でも、知り合った時から、仲良くなれるのです。来年も楽しいフライトが出来る様に、最後のシメは私がやらせて戴きました。

1999年12月26日(日)102/130

朝、起きたら外は、雪が降っていました。うっすらと雪化粧です。冬型になった様です。風も北西、テイクオフは雪雲に覆われています。飛べないかも知れないけれど、テイクオフに上がって見ました。テイクオフでは横なぐりの雪でした。一時、激しく降りました。1時間ほど待ちましたが、諦めました。こんな日に飛ばなくてもきっと良い日がある筈です。テイクオフから下る道は、降った雪が積もっていました。スタッドレスのタイアを付けていても慎重に運転しなければいけません。
今日は、飛ぶのを諦めて早々に青垣を後にしました。昨日が今年最後のフライトとなりました。

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