雑記林花或木
[1997/05]
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(1997/05/26)PHS32K通信

秋葉原のラオックスで32Kパルディオデータ通信カード(DC1S)を買ってきた。電話機がSHARPだからカードもSHARPにしておいたほうが無難だそうだ。SがシャープでPがパナソニックでNがNECである。10000円だった。さっそく設定を始めた。あ、なんということだ。リブレットの外付けFDDを会社に置きっぱなしだ。それではとメビウスのCD−ROMをFDDに付け替えて(めんどくせえぜ)付属のドライバFDからtempにコピー。それを今度はPCMCIAメモリカードにコピーしてリブレットにコピー。次にコネクターをPHSに接続、電源を切って、と書いてあったが、ええいままよと、待ち受け状態で接続、反対側をカードに接続したところで、リブレットのカードスロットに挿し込む。すると「新しいカード」のインストール画面が現れた。あとはマニュアルどおりに設定は完了。

新しく作ったダイヤルアップネットワークはなぜかリブートしないと現れない。再立ち上げの後、PHSを繋いだままでべっこあめ横浜PIAFS対応アクセスポイントにダイアルした。接続完了メッセージが出るまでが速い、7秒くらいだ。うちの加入電話は今時プッシュホンではないのだ。ジコココー、ジコココココココー、ジココココーと鳴るアナログなので、平素の接続には30秒くらいかかる。それにくらべると、あまりにもスピーディにあっけなく繋がったので感動した。

さて寝ぼ助ぷぅを立ち上げる。ゲゲゲ、遅い。DX4−75相当のCPUではちょとつらい。接続スピードの貯金はパア\(。o・)/になった。リブレット50ならもうすこしましだろうけど。べっこあめのHPを呼び出すとちゃんと出てきた。アスキーのHPもちゃんと出てきた。スピードは実質29.2kなので、28.8kアナログモデムとほとんど同等なのだが、気のせいか、速く感じた。気のせいかなあ?メーラーの確認もしておこうとEUDORAを立ち上げると、あわわ、みーこさんからメールが来ちゃった。ちょうどいいから送信テストもしよう。たどたどしい指で、打ちにくそうに返事を書いて送信。OKだな。確認のため、べっこあめ東京とアスキー東京にも接続した。金はかかるが何の問題も無く、途中切断もなく繋がった。ふぅ、よかったよかった。PHSとカードで約15000円だった。あとは基本料金2700円+電話代が心配だけど、ぜったいPHSでチャットはやめようと心に誓うのであった。そういえば、USロボティクスの56kモデムが15000円で売っていたなあ。

(1997/05/25)PHSを買った

携帯電話のほうが便利だよ、と言う人もいたが、まだ基本料金や通話料金が高いのでやめた。時期が来たら検討してみるにやぶさかではない。DDI、アステル、NTTパーソナル。どれを選べばいいのだろう。いろいろと調べたり聞いたりしたが、似たり寄ったりである。利用可能エリアもだいたい同じ程度だった。ただ、実家のある御殿場にマルがしてあったのはアステルだけだった。これを基準に選んでもいいのだが、たまにしか行かない所まで気にしてはいられない。それなら本当に携帯電話のほうが役に立つ。選択条件はPIAFS32Kデータ通信もできるものなので、その中で一番小さくてきれいなデザインだと感じた、NTTパーソナルのパルディオ312Sに決めた。それなら京セラデータスコープや東芝ジェニオのようなPDAもいいかと思うが、まだまだ値が張る。データスコープはモデムカードとしても使えてかっこいいが、もうすこし軽量小型になってほしい。ジェニオも通信するにはかっこいいが、電話をかけた時、あのでっかい箱を耳に当てて「もしもしぃ」とかやっている姿を想像するとなんだかマヌケそうなのだが、あなたどう思います?

いくつかの販売店を見に行くと、これがまたびっくり、店によって4〜5千円の開きがあるのだ。今時PHS電話機など只とか100円とかで買える妙な時代だが、32K対応機種はまだそうはいかない。近所のスーパーでは11800円で売っていた。その他、9800円の店や、7800円の店などがあったが、ちょうどいいタイミングでおあつらえ向きの新聞チラシ広告が入ってきた。5800円!あ、安い。さっそく広告のどっきりカメラチェーン「キシフォート」へ行くと確かに5800円で売っていた。白は品切れだが青があったので買ってしまった。割引セールらしく、実際は4990円(税別)で買えた。

単なる電話機のつもりでいたら200ページもあるマニュアルが付いていた。いろいろな機能を覚えるだけでもたいへんだ。習うより慣れろだけど。そうやってマニュアルと格闘していたので、これを書くのが1日遅れてしまった。

(1997/05/18)逆柱いみりの漫画

逆柱いみりの「MaMaFuFu」というコミックを手に取ってしまったのが運の尽き、買わざるをえなくなってしまった。なんという異様な世界なのだ。ちんちん電車が走る下町風情の町並みのそこここに、魑魅魍魎を7倍にして2で割ったような生き物が、当然のように生息している。日本髪の女の顔をした妖鳥が中空に舞っているのを見た時点で、買っていく気になった。1100円。そんな魑魅魍魎と普通の人間が平然と生活を営んでいる妖気に満ちた街角。日本か中国か韓国か、意味不明な文字が書かれた、前時代的なアジアの下町、または九龍城のような怪しげに入り組んだ迷路、工場に腐臭が漂う。その中を渦巻き猫が無気力そうに歩き回る。鳥獣戯画なのか、ヒエロニムス・ボッシュなのか、とにかく奇形の生物がたくさん出てくる。妖しすぎる。吉田戦車が描くような生き物に似ているが、もっと精神的狂気が強い。らーめん博物館のジオラマが汚染されたまま100年たったような町並みの異様さは天下一品である。本のなかで南伸坊が「夢に出てきた情景だ」と評している。なるほどそうなのかもしれない。うなされそうな夢である。汗びっしょりで目が覚めた時天井が低く垂れ込めてくるような、熱のある時に見る夢魔の街角なのである。

(1997/05/17)邪眼鳥

筒井さん復活第1作の「邪眼鳥(じゃがんちょう)」を読んだ。おお、不条理な世界が帰ってきた。最初は、おや、と思うが、からくりが判ると、場所と時間と魂のシームレスな変移が心地よくなってくる。前も後もない。右も左もない。あの人はこの人であったり、或いはその人かもしれない。というようなことを思ったとか思わなかったとか。いま起こった事はあの時起こるかもしれない事で、なぜ取り返しに来たかといえばそのうち隠すはずだからであります。皆様にお集まり頂きましたのは他でもあります。わたくしがここに取り出しましたものはあなたが取り出したからなのでありましょう。よく読み終わってみたいものでした。因果は巡るうしみつ時。

2本めの「RPG試案−−夫婦遍歴」も「邪眼鳥」と同様に「脱走と追跡のサンバ」や「夢の木坂分岐点」を彷彿させるような、不可思議な虚構と現実の行きつ戻りつを繰り返すもので、私はこのパターンが好きだ。読み進むうちに気が狂いそうな麻薬である。さすがに、のめり込んで現実がわからなくなるわけではないが、ぜひ一度そんな体験もしてみたいものだ。サリーちゃんのように。薬使わず本だけで。薬ってなんだ?ブロンせきどめか?「RPG試案−−夫婦遍歴」にはRPGもそうだが、パソコンやMS−DOS、WINDOWS、インターネット、プロバイダなどのお馴染みの言葉が出てくる。書いた時代がわかってしまう。何十年も経ってから読むと、きっと何のことやらさっぱりわからないのだろうな。

(1997/05/13)あらいぐまくんってば

いやあ、カナダはトロントのぱあ事件が新聞に載っていました。ぱあな容疑者はドーナツ屋さんにガチョウを連れ込み、お客に向かって「金出さないとこいつの首切るぞ」って言いました。哀れに思ったひとりのお客がお金を渡したら、ぱあはガチョウを釈放しました。さて味を占めたぱあ容疑者は街中の通りすがりの人に向かって「$50出さないとこいつの頭を石でかち割るぞ」と、あらいぐまの赤ちゃんを掲げたのです。なんにも知らないあらいぐまくんは「高い高い」してもらって御満悦だったかどうだか知りませんけど、ぱあ容疑者はあっというまに逮捕されてしまいましたとさ。

幻の後日談:味を占めたぱあ容疑者は次に犬を連れてきて$500要求しました。その次には馬を連れてきて$5000要求しました。ぱあが連れてくる動物はどんどんエスカレートするばかりです。ついにアフリカ象を連れて来て$50000要求しました。そんな大金だれが払うでしょう?あれあれ、酔狂なお金持ちが払っちゃいました。とうとう最後にはキングコングを連れて来て$50000000要求しました。ところが目を放した隙に鎖を引き千切ったキングコングは、ぱあ容疑者をわしづかみにすると、高々と掲げてウッホウホホウと雄たけびを上げました。人間にはそう聞こえたんですけど、キングコングはこう言っていたのです。「バナナを100トンくれないと、こいつを握り潰すぞ」そんなこととは露知らぬ人間たちは、ただ、遠巻きに眺めているだけでした。バナナが貰えないと判ったキングコングは、予告どおりに、ぱあ容疑者を握り潰してしまいましたとさ。過ぎたるは大猿がごとし、という格言は本当だったのですね。

(1997/05/12)(今日の外道)あきにー14000番おめでとう

\(。o・)/あきにー(keishi@x.age.ne.jp)あほらしか14000番おめでとうございます。いやあ、よかったよかった、ほんとうによかった。かあ?こっちむきにメール頂いたのでこっちに書きました。あっちむきにメールが来たならあっちに書いたでしょう。かあ?あきにーはここの6000番も取ったらしいです。あきにーは「お兄さん」だからあきにーってハンドル名にしてるんです。いったい誰のおにいさんなんでしょうね。ぜんぜん血縁関係でも友達でもないのに、「こわいお兄さん」なんていう呼び方もありますし、まったく見ず知らずのくせに「ちょいとお兄さん」なんて呼びかける人も街角にいますから、あきにーが誰のお兄さんかという疑問は当然生まれてくるものですね。そのあきにーが、近頃おやじギャグに走っているという聞き捨てならない噂を小鼻に挟みました。間違えました。小耳に挟みました。それでこの頃では「あきにー」改め「あきおやじ」というハンドル名に変えるという噂を小脇に挟みまして颯爽と駆けて行く後ろ姿が悩ましいわたくしです。

(1997/05/08)平気でうそをつく人たち

これは、M・スコット・ペックという神経科クリニックの先生が書いた本だ。副題が「虚偽と邪悪の心理学」、自らの治療経験から得た貴重なデータを綴っている。嘘をつく人の精神分析なのだが、嘘をつくと言っても、嘘も方便とか、いたずらっ子の嘘のような他愛もない話ではなく、真剣に他人を陥れるための嘘、他人を傷つけるための嘘である。この嘘つき者を本書では「邪悪な人」と呼んでいる。

邪悪な人に、継続的に嘘をつかれることによって人生まで変えられてしまいそうな被害者の心理や、治療過程に焦点をあてている。この被害者が邪悪な人の子供であるケースが多く語られている。つまり、邪悪な心を持った親のために、精神的苦痛に苛まれている子供がいるというのである。不思議なことに、クリニックに駆け込んでくるのは、被害者である子供からではなく、加害者である親だったり、その親に連れられて来る子供なのだ。親は、自分の子供が精神異常を起こしていると信じ込んでクリニックに連れてくる。そして治療してほしいと言うのだが、分析するうちに、ほんとうに治療が必要なのは、親なのだということが判ってくる。親は自分が邪悪な人であるという自覚を持っていないのだ。自覚していたら治療院を訪れるはずがない、というわけである。だから不思議でもなんでもないのだ。邪悪な人は自ら進んで精神治療をうけることを望まないようだ。邪悪な人は相手の気持ちを思いやることなど考えたこともないようだ。

集団の悪についても語られている。ベトナム戦争の虐殺事件について書いてあるが、異常な状況下では人間の精神が退行して、分別というものが無くなってしまうのだそうだ。「精神的まひ」と呼ばれる状態で集団催眠のような現象が起こるらしい。南京大虐殺にしてもサッカー場流血騒動にしても、また、どこかの洗脳集団にしても、同じような集団心理退行現象が引き起こしたものなのかもしれない。集団心理というのは恐いものだ。平素はおとなしい人で、街ゆく酔っ払いに辟易としていても、集団になった途端に、居酒屋の前の路上にはみ出して大声でワイワイやってしまうのは、どうやら酒だけのせいではないらしい。

邪悪な人は、自分の邪悪性を他人に投影する性癖があるのだという。他人を疑うことは、すなわち、自分でもそうするだろうという邪悪な心があるからだ。とはいうものの(^^;;。人を見たら泥棒と思ってしまう私は邪悪な人なのかな?

また、邪悪な人は、他人の邪悪な振る舞いに対して、攻撃的なのだという。それは自分の邪悪性を隠蔽するための心理作用なのだ。とはいうものの(^^;;。死刑廃止論に諸手を挙げて賛同できない私は邪悪な人なのかな?

順風の時に立派な人が、逆風でも同じように立派に振る舞えるのなら、真に善良な人なのだそうだ。どんなにやさしい人でも、苦境にたたされたら自分本意になってしまう。それは邪悪なダークサイドから手招きされているようなものなのだろう。どんな時にもフォースを正しい方向に使わなければ、ダークジェダイの暗黒に取り込まれてしまうのだ。スターウォーズでした。

(1997/05/04)中華街で扇子を買った

名ばかりのゴールデンウイーク、降るといわれた雨も降らず、横浜中華街はひと、ひと、ひと、いぬ、ひと、うま、ひと、ねこ、ひと、さる、ひと、かば、ひと、わに、ひと、の大混雑だった。道は地面が見えないし、そこかしこの××飯店は飯時でもないのに行列の雨アラレ。待てない人々はバタバタと飢餓に倒れて遺体の山である、わけでもないが。とりあえず買い物。20袋入り烏龍茶ティーバッグ通常200円を買おうとして、いつもと違う店に入ったら、なんと150円で売っていた。安いから2箱買ったら309円だといわれた。おばちゃん曰く「うちはまだ消費税3%でやってますよ」吹き出しそうになったが、<安いうえに3%>のお礼を言って出た。うちは3%ってどういうこちゃ(゚_。)?(。_゚)。天気がよく暑かったので「扇子」を買って扇いだ。(^o^)嘘である。これが買った扇子の写真。刃渡り1メートル(刃渡りって言うか!)羽を広げると差し渡し180cm。狭い部屋の中ではデジカメで入りきらない。下に写っているのはデスクトップPCである。もちろん嘘である。これはリブレットだ。金きらきんの地に梅の木と鶴が書いてある。縁起がいい。しかし大きすぎて扇げない。こんなので扇いだら涼しくなる前に汗だくになってしまう。なんの役にたつのか?役になんかたたない。それは買う時点でわかっていた。でもちょっとばかばかしいのでつい買ってしまった。3800円を3500円にまけてもらった。3500円でばかばかしい思いをするのなら安いものだ。これを欲しい人は中華街へ行こう。買った店の名前は知らないが、関帝廟の前あたりの中華雑貨店である。これを振って踊るカレー大王も見てみたいな。

(1997/05/03)ブラマンクはいい

ブラマンク生誕120年記念展を5月18日まで渋谷Bunkamuraでやっている。8年前には、没後30年展というのをやっていた。なんだかんだ理屈をつければ毎年開ける。フォービズムの画家ブラマンクの雪景色が好きだ。何か陰鬱な不安めいた空色と、薄汚れた轍の残る道路に、殴り書きしたようなホワイトがひときわ目を引く。寒そうだ。雪が止んであとは晴れるのを待つだけ、という雰囲気ではない。気が付けばまた降り出して吹雪になりそうな予感をはらんでいる。寒がりな私は、その場に居合わせたいとは思わないのだが、塗り付けられた衝撃的な色使いと、筆使いが、脳裏に焼き付いて離れない。今回は、枯れた木立の隙間からのぞく青白い空と、幾重にも積もり重なった白い雪が印象的な「雪景色」の絵が気に入った。もうひとつ、「花」の絵、これは花瓶に差したマーガレット?のような白い花と黄色い花が画面狭しと殴り描かれてている。花びらは原形を無視して飛び跳ねている。まるで踊り狂う花びらの残像のように。

(1997/05/01)ジャパン・アズ・ナンバカワン

女子高生2人が老女を殴って現金をかっぱらったというニュースがあった。どうなってんの、この世の中は?こいつらは付近で金勘定している所を捕まったらしい。「ちっ、まずったな、今度はうまくやろう」とでも思っただろう。あくまでも想像だが。心にダムはあるのかい?(←なんかいまいち)無い無い。オヤジ狩りなどと称して通行人から金奪ってるやつらもいる。先日テレビでは、集団で通行人から金品を奪う少年強盗が映し出されていたが、これは外国の貧困に喘ぐスラムの出来事だった。だからと言って許されるものではないが、もっと許せないのは日本の悪ガキのケースである。やつらは多分貧困に喘いでなどいないだろう。へたすりゃ、そこらへんの中流気分家庭より金持ちだったりするかもしれない。今夜の飯に困って引ったくりしたわけではない。飯なんて家に買えればたらふく食えるだろう。単に遊ぶ金が余分に欲しいだけだ。ポケベルだろうとたまごっちだろうと何不自由なく揃っている。それでも足りないものは他人から奪い取る。そのためなら他人の痛みなど屁とも思わない。きっと親がそういうふうに教えたのだろう。教えたのでなければ、逆に何も教えなかったのだろう。ただ甘やかして来ただけ。義務教育100%と豪語している日本は教育先進国なのか。どうもそうではないようだ。学籍簿に名前を登録させるだけで、真っ当な人間教育など知ったことではないと、事務教育に明け暮れる教師のせいにするのもうなづけるが、結局根本は馬鹿になった親の責任である。馬鹿親の背中に馬鹿子を乗せて、そのまた背中に馬鹿孫乗せて、馬鹿親こけたら皆馬鹿になるてなもんで、年月を追うごとに馬鹿度が増してきたのだ。このひったくり女たちも親にでもなった頃、もっと若い世代の理不尽さに目を廻すことだろう。そりゃしゃあないなあ、あんたが親なんだから。ジャパン・アズ・ナンバカワンは最早止められないのだ。

CREATE:05/01/1997 by Kiyoharu Otake

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