Columns: Subculture
サービス化に乗れなかったレガシーゲーマー
Subcultureソーシャルをはじめ、娯楽が多様化し、生活者の余暇時間の奪い合いになっている中で、ビデオゲームが「サービス化」していくこと、つまり、初期費用はほぼ無償で、利用量に応じて料金を支払う課金モデルになっていくことはほとんど必然とも言えます。代表的なものが近年、ソーシャルゲームで猛威を振るっているアイテム課金制です。また、プレーヤーの行動履歴を逐一取れることで、遊ばれ方を分析して、継続的なゲームの改善ができることも、サービス型の強みです。提供側の事情としても、ゲームサーバを維持するためには、サーバやネットワークインフラのコストが毎月かかってくるわけで、売り切り型の収益モデルでは、インフラの維持ができません。
一方で、昔ながらのパッケージベースのゲームに慣れているレガシーゲーマーは、この流れに完全についていけないでいます。レガシーゲーマーの1人として、アイテム課金のどこに躓いているのかを考えるため、レガシーゲーマーの肌感覚としてOKなものと、NGなものを非電源系ゲームを含めて並べてみます。
【OKなもの】カード収集要素のあるパッケージゲーム(例えばポケモンカードGB、カルドセプトシリーズ)、パッケージゲーム内のギャンブル要素(例えばドラクエのカジノ)、パッケージゲームのオマケのダウンロードコンテンツ、カードゲーム(TCG以外)
【NGなもの】アイテム課金、トレーディングカードゲーム
初めから明らかではあるのですが、つまり、閉じた世界でカードを収集すること自体は好きなのであって、要はリアルマネーを多く投入した方が勝つ、というところに躓いているわけです(*1)。
レガシーゲーマーは、ゲームの重要な娯楽性を、ゲーム作家が造り上げた、現実世界とは異なるゲーム世界の「理」(ことわり、ルール)を、OODAループ(→OODAループ - Wikipedia)のようなフィードバックサイクルを通じて発見、解明していくところに見出しているのだと考えられます。よくある「レベルを上げて物理で殴る」のは、作業でダルいのですが、それもプレイする中で発見されたゲーム世界の理であることには変わりありません。
しかし、リアルマネーを投入した方が勝つゲームでは、ゲーム世界の理が綻んでおり、現実世界に向けて開けてしまっています。現実世界のゲームはカネを多く持っているプレーヤーが強いのは自明ですから、新たな理を見つけ出すまでもありません。現実世界もそれはそれで面白いのですが、わざわざゲームでやる必要がない、ゲームの楽しみがスポイルされていると感じてしまうわけです。
ただ、サービス化=アイテム課金モデルしかないわけではなく、月額課金モデルがあります。オンラインゲームの一部はもとよりそうですし、ニコニコ動画をはじめ、多くのネットワークサービスは、月額課金(あるいは時間課金)です。月額課金モデルの欠点は支払額に上限があることですが、利点としては、課金によりゲーム性を壊さないことがあります。アイテム課金の方が稼げるうちは、支払額に上限がないアイテム課金モデルが選ばれるでしょうが、もし仮に行き詰まった場合は、月額課金モデルは落とし所の1つになるのではないでしょうか。
(*1)タダで遊びたいと思っているわけではないので、「課金しなくても遊べる」ことが重要なのではなく、課金がゲーム攻略の決定的な要素になっていないことが重要なわけです。艦これがレガシーゲーマーにも比較的受け入れられているのは、初期に数千円を払ったらほぼストレスなく遊べるパッケージ型なのも要因の1つと考えられます(廃課金してスピードアップすることはできますが)。ただし、原価構造としては、やはりサーバ・ネットワークインフラにコストがかかり続けるわけですから、どこか新規参入が頭打ちした段階で、困ることになるはずです。その前に手が打たれるとして、ゲーム性が大きく変わることは懸念材料です。
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Posted: 2013年11月17日 00:00 ツイート