長命山観音院
本尊 大日如来
弘長2癸酉年祐俊法印開創、祐俊万治3年8月15日示寂、その後文化6己巳年教主法印中興せり、明治40年2月大火の際類焼し、堂宇宝物等悉く灰燼に帰せしが、本尊のみは辛うじて免るることを得たり、45年4月假堂を営み入仏式を行へりと。境内719坪。
御本尊の右には十一面観音、左には不動尊の脇侍仏があり、十一面観音はご本尊と同じく鎌倉時代の作と伝わります。正面の建物は集会所として使用されていたもので、奥に本堂があります。
江戸時代の五街道の一つ、中山道に関するサイトで、インターネット黎明期から作っていましたが大分古くなってしまいました。武蔵国児玉郡誌の内容も追加しています。
長命山観音院
本尊 大日如来
弘長2癸酉年祐俊法印開創、祐俊万治3年8月15日示寂、その後文化6己巳年教主法印中興せり、明治40年2月大火の際類焼し、堂宇宝物等悉く灰燼に帰せしが、本尊のみは辛うじて免るることを得たり、45年4月假堂を営み入仏式を行へりと。境内719坪。
御本尊の右には十一面観音、左には不動尊の脇侍仏があり、十一面観音はご本尊と同じく鎌倉時代の作と伝わります。正面の建物は集会所として使用されていたもので、奥に本堂があります。