◆ まみむめも - 魔魅夢MEMO ◆ HOME
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なぜ年末のTV番組はこんなにつまらないのだ。しかたがないので録画した『
ポワロ』と『
コロンボ』ばかり見ている。
ポワロの『アクロイド殺し』。あの原作をこう処理したか、という感じ。
コロンボの再放送は美人の女警官が出てきた。コスプレに興味はないけど、これは描いてみたいな。来年のCGの予定は「サーカス」「女警官」といこう。
◇
暮れが押し迫って、急に事件が立て続けに起きているような気がするけれどなにごとだろう。
29日以降に起きた強盗事件などは、28日に仕事納めをした奴が犯人ではなかろうか?迷推理?
精神病治療中の人間の傷害事件も複数起きたけれど、年末年始で病状関係なく一時退院させられたのではなかろうか?邪推?
◇
ということで、今世紀も暮れ行く。来年はどんな世紀がやってくることやら。
◇
『恐竜クライシス』読了。→レビュー。
24日に放映されたNHK-BS『
ドキュメンタリー・クロサワ』。
冷静に考えて、20世紀の日本が世界に生み出せた文化遺産は、クロサワの映画くらいではないかな。千年後に編まれる文化史の20世紀の項目に載っている個人名は
黒澤明ぐらいしか思いつかない。私の無知なるゆえもあるのだろうが。あとはノーベル文学賞の川端、大江ぐらいか。しかし国際的普遍性という意味ではクロサワが突出しているように思える。
(クロサワの評価は日本的エキゾチズムのゆえという見方には私は与しない)
20世紀限定でなければ
北斎とか
紫式部とかまだまだいるとは思うけど。
番組のネタになっていたのは黒澤明自身の半生記『
蝦蟇の油』(岩波同時代ライブラリー)だと思う。
これはなかなかいい本で、やはり映画界に入ってからの記述が面白いのだが、当時の検閲や会社の姿勢にこれほどの才能が押しつぶされる様子は痛々しいかぎりだ。しかし文章にはいきどおりはあっても、呪詛や怨念といったドロドロしたものを感じないのは、やはりクロサワがなにより映画そのものを愛しているからなのだろう。
これほどの巨匠の半生記にしては、自慢話は少なく、むしろ自分に影響を与えてくれた、兄や師匠や(最後は袂を分かった)
三船敏郎への思い出や感謝が綴られている。
師匠である
山本嘉次郎監督の思い出の章が私は一番好きなのだが、なかでもお気に入りのエピソードを紹介しておこう。
黒澤明がはじめて山本嘉次郎に脚本を書かされたのは、時代劇『水野十郎左衛門』だった。水野が江戸城前の立札の法令について仲間の町奴達に伝える場面を、黒澤は原作通り、水野が読んできた立札の内容を仲間に話すところを書いた。それを読んだ山本は「小説ならこれでよいがシナリオはこれではいけない」とスラスラと書き直した。それは水野が立札を見てきて話すなどというまだるっこしい事の代わりに、水野は立札を引っこ抜いて担いでくると仲間の前におっぽりだし「これを見ろ」と、ずかりと言わせていた。
「私は、恐れ入った」と黒澤は書いている。
なんだか宮本武蔵と沢庵和尚や悟空と亀仙人のような剣豪師弟物語を読んでいるようではないか。
私のクロサワベスト5はつきなみだか『
椿三十郎』『
七人の侍』『
羅生門』『
野良犬』『
赤ひげ』といったところか。他にも好きなのはたくさんあるので、気分で変る日替わりベストだが。
また『羅生門』の木洩れ日の森が見たくなった。
◇
続く25日の筑紫哲也ニュースは
手塚治虫の特集。
手塚治虫が生きていたら、「21世紀を迎えるにあたって」ベストコメンテーターだろうな。遺伝子操作・ナノテク・ES細胞と「ブラックジャック」向けの題材も沢山あるし、やはりもう少し長生きして欲しかったというのが偽らざる気持ち。
そうだ、続発する医療ミスに関してのコメント依頼が手塚治虫に殺到したことも絶対間違いない。なんとも間抜けな世紀末であることかな。
◇
グレッグ・イーガン『順列都市』上下(山岸真訳/早川SF文庫)、リチャード・レイモン『殺戮の野獣館』(大森望訳/扶桑社ミステリー文庫)、吾妻ひでお『銀河放浪』1・2(マガジンハウス)購入。
『
銀河放浪』(特に1)は95年前後の吾妻ひでおのもっとも脂の乗り切っている感じのSF漫画短編集。12枚位でなぜこんなに面白い話が描けるのだろう。同じ作者の『
メチル・メタフィジック』を思い出させる傑作。
栗本薫の小説は以前数冊読んだきりで、特に感想もないのだが(『
火星の大統領カーター』だけは面白かった)、
中島梓名義の『
ベストセラーの構造』には感心したものだし『
コミュニケーション不全症候群』も読んでいる。だから「小説はもう一つだけど本をいっぱい読んでる頭のいい人」という印象をもち続けていた。
最近ネットで栗本薫の(あまりよくない)話題に遭遇することが多いが、「ふ〜ん」てなもんで気にもとめなかったが、次のサイトにぶちあたって驚いた。
→
グインサーガへの手紙 ゲイの方が栗本薫の本のあとがきに抗議した往復書簡集だが、抗議者のメールはヒステリックなところもなく理路整然としていて、ネットでは珍しいくらいまっとうな抗議文だと思う。
対して栗本薫先生の返信は・・・・う〜む、すぐちゃんと返事したのは偉いと思うが、すごい内容だ。
抗議者の主たる抗議(要旨)である
『「ヤオイが必要な人たち」のためにヤオイを書くことはその人たちの擁護になるかもしれないが、ゲイの人たちの擁護にはならない。むしろ有害である面もあるので、ゲイの人たちのために書いていると言うことはやめて欲しい』
に全く回答せずに論旨をずらしていらっしゃる前半はどうでもいいが、すごいのは後半。
誤字と誤植は作家の責任ですか?誤字は多少は責任があるかもしれませんが、それを最終的にチェックするために編集者がおり、誤植に関しては「なんで、作家が、印刷所のミスに責任をとれると思うんですか?」と叫びたいですね。(中略)またいくつかの誤字は私がワープロの変換をそのまま出したためにおきました。気づかなかったのは私が無知蒙昧かもしれませんが、最初に辞書で設定したのはその辞書ソフトの製作者だと思うのですが、それも私の責任でしょうか?
(中略)
間違った文法と不適切な言葉については「感覚の違いです」と申上げるしかありませんね。私は夏目漱石が「単簡な」と書くのが好きでした
私は自分の文章が好きですし、自分のおそらく粗雑かもしれない文章が性にあっています。精緻な正確な文章で100巻の小説をかくことはできないと思います。
・・・・『グインサーガ』読んでなくて良かった。自分の文章の粗雑さの弁解に漱石を引き合いに出すとは、なんともはや。漱石の造語は漢語の素養からのものであって、栗本氏が読者に指摘されている誤用とは似て大いに否なるものだ。デッサンの狂いを指摘された画家が「ピカソが好きだから」と弁解するくらい外している。
かつて『グインサーガ』の愛読者で今物語の変質に怒り抗議してる人々の気持ちもわかる。私も平井和正の『
幻魔大戦』で同じような思いをした。
余計なお世話かもしれないが、一般的読み手として一番いいのは、「これは違う」と思ったら、
作者が急死したと思って読むのも買うのも速やかにやめることですね。
一生は有限なり。対して読むべき本は無限と言っていいほどあるのだからさ。
◇
『ハンニバル』読了。→レビュー。
弟の息子(小学校低学年)はサンタクロースの存在を疑っている。「なんで鍵掛けてあるのに入ってこれたんだ?」と質問されて弟は答えに窮したらしい。日頃戸締りに気をつけるよう注意しているのが変なとこで裏目に出るものだ。
一緒にいた私の息子が「きっとサンタさんは仮面ライダーのように超能力があるんだよ」とフォローしてやったらしいが、仮面ライダーに家に忍び込む超能力なんてあったか?
興味を惹かれたのでうちの子供たちにいつまでサンタクロースを信じていたか聞いてみたが、もう一つはっきりしないようだ。ただ、娘は、ある年からサンタがプレゼントをくれなくなったが友達の家には来たと聞いて、「ち、ひいきだ」と思ったことをはっきり憶えているそうだ。
たしかに、いつだったかは忘れたが「もうサンタでもないだろう」と「親からのプレゼント」に切り替えた。しかし、その時はまだサンタを信じていたんだね。これは失礼いたしました。まあ、うちはクリスチャンでもないし、いいじゃん。
そんな言葉はない。
クリスマス・イブとは思えない暖かさなので、前倒しで大掃除をした。WEBのクリスマス絵はそのあおりでなし。年賀状も終わっていないし。
例年通り、年賀状を印刷していたら、インクが切れてしまった。プリンタはほとんど年賀状専用機と化しているのに、肝心の時に切れてどうする。と言っても去年の年賀状印刷時に入れ換えたきりだから責めるのは酷か。
国民皆ネットになればメールで済むのに面倒なことだと思うが、まだやめられない。21世紀にも年賀状健在なり。
不景気なのに周囲でPCを購入しようかという人が増えて相談されたりする。たいていはインターネットが目的だが、安くなったことが最大の動機のようだ。PCの家電化は機能でもコンセプトでもなく、価格低下が一番という結論だが、メーカーさんはつらいだろう。
インターネット加入はケーブルテレビが増えてきた。常時接続月5000円でスピードが段違いなら、独占NTTに大枚払うよりいいだろう。
しかしわが家はダイアルアップのまま、世紀を越え行く。ベータのビデオデッキも一緒だぜ。
いくらアナクロとはいえ、来年は息子にケータイを買ってやらねばなるまい。
私はケータイを持っていないが、若者のケータイマナーなどは別に気にならない。電車の中では私も含めて酔っぱらいの中年の方が絶対迷惑だし、歩きケータイより歩き煙草の方が嫌いである。
しかし、ケータイ依存で利用料金が何万にもなるのは困ったことだと思う。余計なお世話だろうが、ケータイを控えてもっと本を買ったり旅行したりうまいもの食べたりしてもらいたい。
通信業界は世界に比べても十分に安い市内通話料で争ったりしてないで、移動体通信の料金を劇的に下げんかなあ。ケータイ絶対優先の消費が他にも向いて景気が良くなること確実だと思うが。
◇
『鉄砲を捨てた日本人』読了。→レビュー。
言わずと知れたTVチャンピオンだけど、今回はもう一つかな。
決勝の「氷の女王」の作者は空耳の人に似てたけど、それはともかく胸が裂けて気色悪い幼児が出てくる絵面は、『トータルリコール』を連想してしまう。ちょっと独創性に欠けた感じ。
チャンピオンの「Breathing Wreath」はさすがの造形だけど、私の好みは予選の「Shell Venus」。この人はタイトルもうまい。
しかし、審査員の
楳図かずお先生盛大に驚いてたけど、私はあなたの漫画の方がずっと怖かったと言いたい。
山田卓司さんの驚き方もかわいかったね。
◇
Photoshop6.0のバージョンアップは今回はパスする方に気持ちが傾いている。
強力になった(らしい)レイヤー機能は楽しみだが、躊躇するのはインターフェイスの変更だ。
さほど保守的なつもりはないので、変更そのものは気にならないが、今回のツールパレットが細長いバーになるのはちょっと困る。縦にもなるならかまわないのだが、横長形状以外は選べない。パレットを整理してコンパクトに収めようというコンセプトなのだろうが、私はマルチモニタにしてパレットを右側のサブモニタに置いているので、全然邪魔ではないのだ。横長バーになって縦方向のドットを取られるのは痛い。バーをサブモニタに持って行くと今度は右端がやたら遠くなってしまう。
同じような意見も見かけるので、次のバージョンアップまで(決して安くない)年貢はやりすごそうと思う。今のところ5.0に不満はないことだし。(いつ気が変るかしれないが)
NHK-BSで再放送している『
シャーロック・ホームズの冒険』は英国時代劇的雰囲気が面白くてよく見ているのだが、気になることがある。
ホームズも相棒のワトソン博士も言わずと知れた英国紳士で、シルクハットに燕尾服といった出で立ちでさっそうと活躍する。しかし、その格好で煙草の吸い殻をなんの躊躇もなく道に投げ棄てるのだ。アメリカのハードボイルドな探偵たちなら不思議ではないが、ホームズには似合わないようが気がするのだがなあ。
もっとも、18、19世紀のロンドンは糞尿の臭いただようゴミだらけの都市だったという話もあり、煙草の吸い殻ぐらい問題にもならなかったのかもしれない。それとも、紳士は道にゴミを捨てないというのは、こちらの思いこみで、かの国では道をかたづけるのは労働者階級の仕事で、紳士階級はそういうことに気をつかわないものなのかな。
日本も最近ゴミだらけになってきたような気がする。江戸はかつては来日した欧米人が驚嘆するほどゴミのない清潔な都市だったというのに。もちろん公徳心のような精神面ばかりが原因ではあるまい。例えば、江戸時代の長屋なんて店賃を溜める貧乏人ばかりで大家さんは大変だろうと思っていたが、長屋の「便所の汲み取り権」で十分にペイできる仕組みになっていたらしい。肥料の価値が高かったからだが、こういったエコロジカルなシステムがうまく回転する社会であったということだろう。
江戸文化の盲目的礼賛の危うさはわかっているつもりだけど、煙草の吸殻だらけの東京の街路を歩いていると、文明は進んでも文化は衰退する、なんていうしゃらくさい言葉が浮かんできてしかたがない。
◇
八重洲ブックセンターの1Fで来年のカレンダーを物色。例年買っていたクリタルシリーズの
池田ヒロミの絵が今回はもう一つ気に入らないので、
笹倉鉄平の風景画に変更。あとは取引先からいただいた
ミッシェル・ドラクロアのカレンダーがあるから、これでおしまい。
家族もあるので空山基やフラゼッタのカレンダー(あるかどうか知らないが)にするわけにもいかないのだ。
4Fで空山基の『
Torture(拷問)』と『
Gynoids reborn』を眺める。欲しいけど、既に持っている画集とのダブリが多い上に高い(『Torture』が6900円)ので決心がつかず。うう、お金持ちになりたいと思う一瞬。
◇
『女検死官ジェシカ・コラン』読了。→レビュー。
ロバート・J・ソウヤー『フレームシフト』(内田昌之訳/早川SF文庫)、ハリー・アダム・ナイト『恐竜クライシス』(尾之上浩司訳/創元推理文庫)購入。
ひさしぶりに変な夢を見た。
どこかに団体旅行に来ている。団体が職場だか地域だかなんだかはわからない。
おじさんたちの宴会がつまらないので、数人で抜け出す。
宴会をやってるのに、外は昼間。先に海岸が広がっている。一緒に出てきた若者たちは浴衣姿で海に石を投げたり、石でキャッチボールを始める。
私は独りで海岸線を歩いていく。
砂浜が終わり、低い堤防沿いに歩いていくと、小さな漁船が何艘か帰ってくる。堤防の上から地元の人が、舟の上に座っているおばさんに声をかける。
「今日は何がとれたかね」
「恐竜がとれたよ。きょうりゅう」
恐竜?
舟を覗き込もうと堤防に近寄ると、突然、堤防の向こう側から白い巨大なものがガバッと立ち上がる。
なんと巨大なニワトリである。真っ赤なトサカのてっぺんまで2m以上は軽くある。口を大きく開けて白い首をのけぞらせている。さすがに(夢の中だというのに)おどろいた、ビビった。
ニワトリは堤防のこちら側に歩いてきたが、最初の動作よりゆっくり落ち着いた様子なので、もう、こわい感じはしない。
近くに寄ってみようと思ったところで、眼が覚めてしまった。
クリスマス用にローストチキンにしたら千人分位は軽くあったのではなかろうか。
◇
昨日のボクシング日本ミニマム級タイトルマッチ。
チャンピオン徳山のジムの会長さんは
金沢英雄なんだね。懐かしや。Jr.ミドル(今のスーパーウェルター)級の元東洋チャンピオンで大阪の人気者だったけど、格下の当時の日本チャンピオン
輪島公一に2RであっさりKOされてたな。金沢が弱いのではなく輪島が強かったからで、あの団子屋のおっさん、現役当時はむちゃくちゃ強かった。
「踊るさんま御殿」に出て「俺にもっとリーチがあったら5階級制覇してたよ」と言ってたけど、今のようなチャンピオン乱立時代だったら可能かもしれない。もっとも、短いリーチを克服しての独特の輪島スタイルだったからこそ魅力があったのもたしかだけどね。
◇
『人獣細工』読了。→レビュー。
まだじっくりは見ていないのだけど、昨日買った二冊の画集について。
◇
野田昌宏編『
図説ロボット』(河出ふくろうの本)
著者はベテランのSF作家だが、日本一のSFパルプ雑誌コレクターとして名高い。そのSFファン垂涎の『
野田コレクション』が、「ふくろうの本」のシリーズとして4冊も刊行されるという(歓喜)。本書はその第1回目。収録された図版の量は半端でなく、これで1800円は安い。
もちろん、登場するロボットたちはデザイン的にはレトロこのうえなく、現在のハリウッド映画や日本のアニメに登場するロボットに比べると野暮ったい。日本人の贔屓目かもしれないが鉄腕アトムやエイトマンに出てきたロボットたちの方がはるかにかっこいい。
それでも古めかしくも懐かしい挿絵たちを眺めていると、なんともワクワクした気分になってくるのが不思議だ。はじめてSFなるものを読んで興奮した日々、あの頃の記憶を刺激されるからなのかもしれない。
この『野田コレクション』だが、はるか大昔『
少年マガジン』のグラビアで4回に渡って紹介されたことがある。そう、いまや、胸の大きいアイドル少女たちに占拠されているあの巻頭グラビアである。(読んでないので最近もそうかは知らないが)
かつての『少年マガジンのグラビア』は「謎の生物事典」「世界の怪奇事件」「忍者の武器」「恐竜時代」なんて感じの特集が定番で、
小松崎茂や
石原豪人や
南村喬之の挿画が楽しみだった。当時の小中学生は少年マガジンから雑学を得たりセンスオブワンダーを感じたりしていたのだ。
その時の『野田コレクション特集』4回は、1回を除いて今も保存している。
◇
空山基『
THE GYNOIDS Genetically Manipurated』(河出書房新社)
こちらは版型も大きいけれど値段も高い。6000円。しかし店頭で見たときは「これは買わねばならぬ」と思ってしまった。
例によって、過去の絵にアイテムを描き加えたりしたものも多いのだが、それが決して二番煎じやお手軽に挙げるための手法には見えない。「今回はここまで遊び倒して見ました」という稚気のようなものを感じる。
稚気と言っても表現は過激。男性も女性も性器はいささかの躊躇もなく精細に描かれている。リアルすぎて逆に全然猥褻感はないくらいだ。
大蛸(軟体触手!)に犯される女性や、ロボット(金属触手!)と交わる女性、なんてのは良くあるモチーフだと思うけれど、ここまで描かれてしまうと、次に描く人は勇気がいるだろうと思う。
空山基の世界が好きな人には「買い」です。
◇
『罪と罰』読了。→レビュー。
ノエル・ペリン『鉄砲を捨てた日本人』(川勝平太訳/中公文庫)、ロバート・ウォーカー『女検死官ジェシカ・コラン』(瓜生知寿子訳/扶桑社ミステリー文庫)、野田昌宏編『図説ロボット』(河出ふくろうの本)、空山基『THE GYNOIDS Genetically Manipurated』(河出書房新社)購入。
あまり野球に興味はないのだが、昨夜のニュースステーションにゲスト出演したエンゼルスの長谷川投手はクレバーな人だね。ベースボールは情報戦だということを平易な言葉で素人でもわかる言葉で語ってくれた。いかに強豪揃いのメジャーリーグで「目立たない」ようにするか。自分の投球の印象をいかにコントロールしていくかを年単位で考える。ほーら、やはり優秀な人間の日本からの流出は始まっているではないか。
◇
大相撲の新決まり手。とっくり投げや大逆手など、なかなかいい命名だが、素首落とし(そっくびおとし)は以前からなかったっけ。朝日新聞の「この手は従来『はたき込み』とされることが多く、この手が多すぎると不評を買っている千代大海にとっては、格好の『隠れみの』になりそうだ」という記事には笑った。たしかにその通りで激しく同意だが、ここまで書いちゃって大丈夫なのだろうか。と、思ったが本人は本当に喜んでるいるらしい。救いがたし。
しかし、いくら命名を増やしても、実際に使う力士がいなくては「必殺技」を見ることはできない。ただ体重を増やして押したりひいたりだけでは格闘技とは言えないのではないかな。土俵を大きくしたり体重制にしたり、どんな方法をとっても、手に汗握る攻防や大技が光る大相撲を復活させてもらいたいものだ。
輪島の「下手投げ」なんて本当に「必殺技」という切れ味だったなあ。現二子山親方の先代貴乃花も細い体で「上手出し投げ」や「つり出し」といった豪快な技を繰り出して勝つ姿は魅力的だった。いまやおかみさんの「小股すくい」で土俵を割りそうだが。
浜崎あゆみとそのファッションを見ていると、どこかで見たどこかで見たぞ、という既視感、遠い記憶をつつかれているような気分がぬぐえなかったのだが、それがようやく判明した。
別冊太陽の『
新世紀少年密林大画報』(平凡社)に載っていた
1枚の絵。
そう、ある年代以上の人間には懐かしい、
山川惣治の絵物語『
少年ケニヤ』の
金髪の美少女ケイトである。
娘にこの絵を見せたら、「おーっ、あゆそのまんまではないか」と感激していた。やっぱりな。
山川惣治は
小松崎茂より7歳年長で小松崎が「先生」と呼んだ挿絵画家だ。小松崎が少年のメカフェティッシュな興味を刺激する絵で人気を呼んだのに対し、山川は密林冒険ものを得意とし、子供心にどこか原初的なエロスを感じさせる画風だった。晩年には『
十三娘(しーさんめい)』なんていう中国活劇絵物語を角川(だったか?)から出していたので憶えている方もいるかもしれない。
この別冊太陽は、私も名のみ知っていた
椛島勝一の細密なペン画等の「南洋冒険小説」の挿絵を集成した特集で、あの
横尾忠則が構成している。
手塚治虫が輝かしき(だけではないが)科学の未来のユートピアを提示するまでは、少年たちは「南洋」の「密林」の幻想にユートピアを見ていたのだろうな。当時の「熱帯」のイメージは文明に侵略される脆弱な自然ではなく、文明の太刀打ちできない「魔界」としての密林を蔵する謎のエリアであった。だからこそのユートピアであって、来るべき21世紀には確実になくなってしまうことだろう。
淋しいと言っても、詮無いことだけどさ。
◇
『刀と首取り』読了。→レビュー。
いしいひさいち『私には向かない職業2』(創元推理ポケット)購入。
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