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渋谷シネクイント『
ギャラクシークエスト』
これは評判に違わぬ傑作。
スタートレックのパロディのような(架空の)TVシリーズの人気者たちが本物の宇宙戦争に巻き込まれるという話なので、パロディとして紹介されているようだが、むしろ「本格的SF映画」と言った方がいい。
基本的にはコメディで、場内は爆笑の渦。私も、半信半疑でついて来た妻も、久しぶりに映画を見て腹が痛くなるほど笑った。コメディなのに嬉しいのはSFXに手を抜いていないこと。さすが
ILM。宇宙船もクリーチャーも宇宙空間も見事で、インデペンデンスデイやMIBのような駄作とは一味も二味も違う。
なにより映画にとって一番大事な脚本が良くできている。無駄な描写が全くないし(これは監督の手腕ですな)、伏線の利き方が秀逸。あの通信機の取り違えを、ああ活かすとは思わなかった。
主役(カーク船長?)はトイ・ストーリーのバズの声をあてた
ティム・アレン。桂三木助に似ている。
異星人(Mr.スポック?)役はダイ・ハードのテロリスト、
アラン・リックマン。いかにもシェイクスピア役者。
紅一点は
シガニー・"リプリー"・ウイバー。リプリーとはちょっと違う「金髪グラマー」役。うーん、なんていい女なんだろう。
ああ、きれいどころはもう一人いた。アシタマニア〜ナの浜田マリに似た異星人の女の子。ただし正体は触手いっぱいで章魚そっくり。正体を見てもめげないクエストの技術担当のおじさんとHしてしまう。
こんなに面白いのに、なぜ一館でしかやっていないのだろう。そんなにマニア向けではないのだがね。渋谷は人が多くて苦手なのだ。あと、プログラム(パンフレット)が小さいくせに変な包装で千円は高過ぎ。
Never give up! Never surrender!
◇
『フレームシフト』読了。→レビュー。
隆慶一郎『一夢庵風流記』(新潮文庫)読了。
フレッド・カサック『殺人交叉点』(創元推理文庫)購入。
東京創元社はいい版元である。元のとれないこうした本をたくさん出している。「ポオ全集」も「リラダン全集も売れはしまいが、いまの文化の中になくてはならないものである。(久世光彦「朝日新聞」読書欄 本日付)
いわれなき贔屓以外のなにものでもないが、私は同じ本が東京創元社と他の版元で出ていたら、まず創元版を買う。私にとってアシモフの「帝国シリーズ」は『ファウンデーション』ではなく『銀河帝国の興亡』なのだ。
このへんはマイクロソフトではなくアップル贔屓という感覚に似通っているかもしれない。(こちらの方面では私はWinユーザーだが。)
創元がSFを出しはじめたときからのつきあいで、まずはミステリーファンにSFを紹介するのにフレドリック・ブラウンという選択も好ましかった。
E・R・バロウズの火星シリーズ、E・E・スミスのレンズマンシリーズ、前衛的作品を紹介してくれた年間SF傑作選。何と言ってもJ・G・バラードのめくるめくインナースペース。ホーガンをはじめて読んだのも創元だった。
誰が書いていたのか知らないが創元文庫の目録の三行ほどの紹介文が名文で、まだ見ぬ名作の数々を読んだような気にさせてくれたものだった。今はもう手元にないが、得べくんば、当時の目録を手にいれてもう一度読んでみたい。
しかし「ポオ全集」は売れないのかな。あの宝石箱のような傑作群を文庫四冊で読めるなんて、日本も捨てたもんじゃないと思うけどなあ。絶対お得です。
◇
昨日の世界ライト級戦。
畑山は前回の快勝のあと危惧したとおり、苦戦の末の負けに等しいドローだった。辛うじて防衛したが、次はランキング一位との指名試合、正念場だ。
できれば、今回の挑戦者リック吉村と前回畑山にKOされた坂本博之との試合を組んでもらいたいものだ。もちろん畑山の指名試合防衛が前提だが、勝者には畑山への再挑戦権を与える。そうすればリックでも坂本でも勝者のボクサーとしての商品価値は再生するだろう。だれかこのくらいのマッチメーキングはしてくれないかな。
◇
『本の運命』読了。→レビュー。
森首相退陣必至の状況になってきたが、問題はこういう「品性」の人間をトップにいただいて平気でいられるようになってしまった、われらの感性です。
ゴルフと宴会大好き首相の「あれは危機管理の対象ではなくて(単なる)事故だろう」という言葉に、事故に会われた人々やその家族は怒り心頭だと思うが、その方々の何割かは自民党や公明党や保守党に投票して間接的に森総理を選んだのだろうと思うと、なんだかやるせない。
世界一長いタイトルの映画はなにか、ご存知だろうか。
それは『マルキド・サドの演出のもとに シャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』原題『The Persecution and Assassination of Jean-Paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis de Sade』、ピーター・ブルック監督が1966年に撮ったイギリス映画 である。
フランスのシャラントン精神病院に収監されていたサド侯爵が、当時、精神病治療の一環として採用されていた「心理ドラマ」の演出をする。檻に入れられた患者たちが看守の検閲により再三中断させられながら演じる(フランス革命で活躍し後に暗殺された)マラーのドラマは、異様な緊張感と奇妙な力に溢れていた。
では二番目に長いタイトルは、と言うと『博士の異常な愛情/又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』原題『Dr.Strangelove/or:how I learned to stop worrying and love the bomb』。
監督・脚本はあのスタンリー・キューブリック、1964年の英米合作作品である。
ジョ−ジ・C・スコットなどの名優がキャスティングされているが、なんといってもDr.Strangeloveを演じたピーター・セラーズの怪演が凄い。アメリカ映画協会(AFI)が選んだ「愉快な米映画ベスト百」でも三位に選ばれている。
もっとも、このベスト、一位が『お熱いのがお好き』で二位が『トッツィー』というのが、もう一つだよなあ。私だったら『毒薬と老嬢』と『俺たちは天使じゃない』(デ・ニーロのリメイクではなく、ボガードのオリジナルの方ね)は外せない。
昔々、この最長タイトル映画を池袋文芸座の2本立てで同時に観た。内容的にもスタッフ・キャストにも共通点はないのだから、タイトル長ツートップというだけでカップリングしたのに違いない。最近、こんな遊び心のある映画館があるだろうか。いや、文芸座はちゃんと復活して健在だけどね。
なぜ、唐突にこんな話題を書いたかというと、シャラントン精神病院が舞台の『侯爵サド』を読み終わったところだからである。
◇
二番目に長いタイトルの私の下手っぴなパロディ。
恐竜への過剰な愛情/または私は如何にしてはみだしを心配するのを止めマスクを使うようになったか
◇
『侯爵サド』読了。→レビュー。
『歴史if物語』読了。→レビュー。
別役実『道具づくし』(早川NF文庫)、梅田功『悪戦苦闘ED日記』(宝島社新書)購入。
動物愛護法違反(動物虐待)猫を洋弓銃で殺した銀行員を逮捕 知らない間に平成版の「生類憐れみの令」みたいな法律ができていたんだね。
「生類憐れみの令」は馬鹿将軍やその馬鹿母の「お犬様かわいや」な発想から生まれた天下の悪法ということになっているが、戦国の遺風を残した殺伐した人心を太平の世にふさわしい穏やかなものにする、という側面もあったらしい。けだものでさえ殺生まかりならんのだから、ましてや人殺しなど、というわけだ。農民が農作業の道具である牛馬を殺して食べることを禁止する意味合いもあったのかもしれない。
今回の事件、まるで殺人事件のような扱いだが、昔は自宅によその猫が来たらすぐぶち殺すこわ〜いオヤジは結構いた。都市伝説のたぐいかもしれないが「犬殺し」「猫殺し」も街を徘徊していた。「犬を放しとくと犬殺しに連れていかれちゃうよ」と良く言われたものだし、連れていかれたらそれは運命と思って悲しくともあきらめなくてはいけなかったのだ。
私が隣人だったら、猫撃ち銀行員より「被害者」の猫放し飼い飼い主の方が、はっきり言って迷惑である。
私自身は虫や蜘蛛も殺すのはいやだし(蚊とゴキブリは例外)、フンに迷惑しても猫や犬に罪はないと思う。ましてボウガンで狙い撃ちするメンタリティには共感しようもない。
しかし、マスコミやネット上で「かわいい生き物を殺すなんて、なんという残酷な」的な意見を見聞きすると、殺されたのが猫でなくネズミだったらどうなのだろう、とどうしても考えてしまう。猫は他人の所有だったというのは違いにはならない。動物愛護法はそういう法律ではないだろう。ネズミは害獣だと言うなら、自分の庭に入り込んだのが大型犬だったらどうだろう。家に幼い子供がいたら・・・・
そう考えると「虐待」と「生活防衛の権利」の境界線はかなり難しそうだ。
私は世間に野良猫がいようと野良犬がいようとかまわないと思う。それが自然だ。ただし、彼らが庭に糞をしたら石ぐらい投げる自由は欲しいものだ。彼らが幼い子供に怪我させる可能性があったら棒で殴るかもしれない。その犬や猫は死ぬかもしれないが躊躇はしないだろう。
しかし、自分や子供が余計な殺生をするのは許さない。相手が「かわいくない」蛇や蛙や虫であってもだ。許さないのは「動物愛護法」があるからでも動物たちが「かわいい」からでもないのだ。
そして人間は人間以外の動物を殺す自由と権利があることも忘れてほしくない。「純真な」牛や豚の眉間を叩き割ったり「かわいい」鶏の首を絞める仕事を毎日している人がいるから、子供たちは大好きな牛丼やステーキを食べられるというものだ。
それと「生命の大切さ」や「環境保護」は別の問題だ。むしろ人間の命が他の動物の命で養われてることをちゃんと認めてこそ「生命の尊厳」や「地球環境の大切さ」がわかるというものではないだろうか。
10年前まで住んでいた家には、青大将と巨大なひき蛙がいた。飼っていたわけではなく、いつのまにやら住みついていた。本当に23区内かというような話だが事実である。青大将は普段は物置にいたが、天井裏のネズミを食べていたに違いない。ひき蛙は縁の下に住み雨が降ると外に出てきた。たまにしか出会わないが、会うとお互い「お、まだ生きていたか」てなもんである。今回の事件となんの関係もないといえばないが、なんとなく想いだしてしまった。
その家も再開発で今はもうあとかたもない。
妻に「
モニタリングによるテレビ番組実態調査」なる用紙が、子供の学校のPTAから送られてきた。日本PTA協議会が文部科学省から委託を受けておこなっているそうだ。
モニタの対象になっている番組は、まあバラエティ番組が並んでいるわけだが、うちが指定されてきたのは「笑う犬の冒険」。日曜夜8時のウンナンのコント主体の番組だそうな。
おいおい、その時間は『新日曜美術館』で
織作峰子さんのご尊顔を拝見することに決めているんだぜ、ということで「笑う・・」の方を録画しておいて私もモニタにお付き合いしてみた。
調査表の項目は「過激な暴力」「過剰な性行為」「いじめの肯定」「生命を軽んじる」「勤労を軽んじる」などの「描写があったか」という設問がならんでいる。
「ギャグがすべってる」「内輪うけばかり」「脚本が最低」などの項目がないと書きようがないじゃないか。
たとえ、いじめっ子がヒーローで喧嘩にあけくれ彼女とHしまくり真面目に働く家族を馬鹿にして最後は血まみれで死んでいく番組だって、こんなぬるい、くそ面白くもない番組よりはいいだろう。あんな寒い学芸会が、仮にもプロの芸人の出し物なのだろうか。俗悪番組の代表のように言われたドリフだって、俗悪には違いないがコントは面白かった。昔はよかったという話が聞きたくないなら、NHK深夜の「
お笑いオンエアバトル」でもいい。あちらの若手芸人たちの方がずっと真摯なネタを見せてくれる。
しかしどんなにくだらない番組でも文部科学省という「おかみ」が文句をつけちゃあいけないな。子供に見せたくないなら、親が自分で判断して自分で見せなければいいことだ。
ああくだらないくだらない。
◇
真中瞳ちゃんがTシャツを脱ぐタイヤのCMはどきりとしますなあ。写真集は出さないのだろうか。久米宏さんなら30冊ぐらい買いそうではないか。
◇
『あやし〜怪〜』読了。→レビュー。
『祈りの海』読了。→レビュー。
オウム真理教(アレフ)の
上祐史浩幹部が東京都世田谷区南烏山のマンションに転居した。ここには教団信者二十数人も入居している。
今までの転居先と違うのは、転居してきたらオウム信者だった、というのではなくマンションの所有者自らがオウムと連絡をとって転居を促したらしい。しかも所有者自身は信者ではないという。
いい悪いではなく、この大家さんとその考えには興味がわく。情報もないので、近所との折り合いなど歯牙にもかけない、よく言えば独立独歩、悪く言えば変わり者で狷介な頑固親父を想像してしまうが、どうだろうか。
昨夜のトゥナイト2、
山本晋也カントクのコーナーは「にっかつロマンポルノの女神たちPart7」。タカラジェンヌ出身のロマンポルノ女優
朝比奈順子さんの登場だった。若い時はスクリーンやグラビアにお世話になりました。
強力に官能的な作品もあったけど、どちらかというとコメディが多かった印象。私はどうもコメディエンヌ系に弱いらしい。「ダーマ」や「アナ・バナナ」の
ジェナ・エルフマン、「ヤング・フランケンシュタイン」の
テリー・ガーなんてところが私の女神たち。
シャーリー・マクレーンや
ゴールディ・ホーンもいい。
順子お姉さまは多少ふっくらしたがまだまだお美しい。声も品のいいしゃべり方も変わらず、懐かしかったですねえ。ロマンポルノの女優さん、有為変転激しい中で(行方不明なんて方もいるし)現役の女優らしく(というと変だが)立派なお住まいで優雅な暮らしが垣間見え、なんとなくほっとしたというのは余計なお世話だが、私の勝手なファン心理というものであります。
◇
外務省だか内閣官房だかの機密費流用事件。
機密費というんだから、国賓の夜の接待にAV女優を雇ったり(ブルネイ国王がらみでそんな話がありましたな)、汚職事件でキーになる人間を自殺に見せかけて殺すのに
ゴルゴ13みたいなプロに依頼したり、007でボンドが使うような変な武器を作ったり、なんてのに使うのが本来だろう。←偏見?
しかし、実態は内部の飲み食いなんてのの処理が多かったんでしょうな。だから個人の流用も表に出にくかったに決まっている。
ロマンのかけらもないことであるな。
◇
『ファニー・ヒル』読了。→レビュー。
大相撲初場所千秋楽は、
貴乃花が
武蔵丸に決定戦に持ち込まれたがこれを制して14場所ぶり21回目の優勝。
両横綱とも好調だったが、本割を見るまでもなく今場所の力強さは武蔵丸が上だと思っていた。一敗しているとは言え灰色熊のようなパワーを漲らせた武蔵丸を、決定戦で攻めきった貴乃花の集中力は賞賛に値する。
左上手をとって攻め立てながら、武蔵丸が得意の右下手をこじいれてすくってきたのをとっさに上手をはなして防ぎ、すぐ左前みつを取り直して攻め続けたスピードと勘の良さ。やはり相撲はまぎれもなき格闘技だと再認識させてくれた一番。
決定戦前の両者の表情、淡々とした武蔵丸と、憑かれたように鉄砲を繰り返す貴乃花の姿をリアルタイムで追っていたのも、臨場感あって久しぶりにわくわくさせられた。
じじいの繰言のようで申し訳ないが、昔はこんな手に汗握る取り組みが、番付上位とは限らず、一日に一番や二番は必ずあったものだ。
人気低迷と言われて久しい大相撲だが、工夫しだいでまだまだ面白くなると思うのだが。そのためには八百長を根絶して面白い取り組みを増やすのが一番。
今の地位に応じた給料制は、番付の上昇下降が収入に直結し、大勝ちするより長く幕内にい続けることが一番得な制度になっている。七勝八敗でも六勝九敗でもたいした違いがないため、七勝七敗の相手に星を売るということが横行する。これを一勝負一勝負ごとの賞金制に変え、勝ち星に地位ごとの定数を乗じた金額を払うようにすれば、星を売ることは必ず損することになって八百長は減ると思うのだが、どうだろうか。財団法人日本相撲協会殿。
◇
ブッシュ新政権が誕生したが、この
ブッシュ氏、典型的なテキサスカウボーイのようだ。
ハーバート大出のくせに、勉強が苦手で読書嫌い。夫人の愛読書は「カラマーゾフの兄弟」だが、大統領はもちろん読んだことはなく読むのはもっぱらスパイ小説。夫人が本から色々な人生を学んできたと言ったのに対し、本人は酒の上の失敗から人生の教訓を学んできたそうだ。
早稲田出のわれらが
森総理と好敵手のようではないか。
もっとも森首相はかけねなしの俗物のようだが、大統領の方は庶民的な性格をアピールするための自己演出の可能性もあるので、森さんお仲間だと思って安心してると足をすくわれるかもしれない。ご用心。
◇
『順列都市』読了。→レビュー。
ジョー小泉のひとりごと。
ジョー小泉氏は、私が全てのスポーツの解説者で最高だと思っている、ボクシング解説者。なにより「私はボクシングが好きなんだ」という気持ちが伝わってきて好もしい。それでいて情に流されず知的で論理的、英語に堪能で情報も豊富。WOWOWのエキサイトマッチで名解説が楽しめるが、ジョーさんが発射する零下30度級の駄洒落に困惑するアナウンサーと無視する相棒の浜田解説者(元世界チャンピオン)という別の楽しみもある。
上記「ジョー小泉のひとりごと」は彼のWEB日記で、最近愛読しているのだが、1月15日の「ひとりごと」はボクシングファン以外にも面白いかなと思えたので紹介しておく。
かなりの恐妻ぶりと仕事人間ぶりを強調していて、なかなか笑える。いかに試合レポートをWORDで早く書くかの工夫など、あたかもボクシングの効果的なコンビネーションを考えているかのようだ。
ジョー小泉氏の著作 『
ボクシングバイブル』のミニレビュー。
東京都庭園美術館。
ルネ・ラリックはアール・ヌーヴォーのモダン・ジュエリーの先覚者にして、アール・デコのガラス工芸の巨匠。見事すぎる工芸品を堪能。裸女や昆虫・魚をモチーフにしたデザインはモダンでかっこいい。庭園美術館自体のシャンデリアや入り口のガラスレリーフもラリックの作品だ。
ゴージャスなどという言葉ではとても足りないティアラやネックレスやブローチ。ダイアナ妃やグレース・ケリー王妃が身につけたら、どれほど美しく光り輝くことだろう。想像するだけで豪奢な気分になれる。安上がり。
といっても落とした照明で繊細な宝飾品を見るのは、少々疲れる。なかなかの人気で混雑もしていたし。
◇
昨日TVで放映した『
インデペンデンス・デイ』で米大統領が宇宙人に対して核攻撃を決断するときのセリフ。
「彼らの思考が読めた。イナゴと同じだ。(中略)核でみな殺しにするしかない」
う〜む、56年前の米大統領も似たような決断をしたのではないかな。
「ハラキリだの特攻だの理解不能な某国人はイナゴと同じだ。(以下同様)」
非アメリカの(Un-American)[形容詞] 邪悪な、許しがたい、異端の。ビアス『悪魔の辞典』(西川正身訳)
昨日の話題の「豚」については、ビアスは次のように定義している。
豚(Pig)[名詞] 食欲がすばらしく旺盛な点で、人類にきわめて近い近い動物。ただし、すばらしく旺盛であると言っても、その食欲の範囲は人類に劣る。豚だけは食べようとしないから。
インドネシア「味の素に豚の酵素」事件。
イスラム強硬派の存在感回復作戦とか、日本の圧倒的なシェアを切り崩すための欧米の陰謀説とか、諸説紛々だ。
ここをお読みの方なら私が罰当たりの不信心者だということはご存じだと思う。イスラム教にしろなんにしろ、戒律なんてものは21世紀中にはなくなってもらいたいと思っているが、宗教的なことは別にしても味の素は不注意だったかなという印象。
豚だから日本人にはピンとこないけど、もし味の素を作るのに「猫の酵素」や「鼠のホルモン」を使っていると発覚したら、いくら最終製品に入ってはいないと言っても大騒ぎになるのではなかろうか。
ところで、何故イスラム教では豚食が駄目なのだろう。ヒンズー教で牛が神聖だから食べないのと一緒だろうか。それとも豚は不浄だから?キリスト教原理主義でもヒヅメの割れてる動物は不浄だと聞いたことがあるけど、関係あるのだろうか?
◇
「世田谷一家四人殺害」事件。
今後、個人でもセキュリティ専門会社と契約するところが増えるだろう。ボディガードの需要も増え、腕に覚えのある若者には有望な就職先になるだろう。
住宅自体も今よりさらに高度なセキュリティシステムが、必須要件になるだろう。
もちろん、それらを利用できる人は裕福な層に限られ、利用できない人々との2極文化はますます進むことだろう。
以上、ほぼ間違いのない近未来予想。利用できない層間違いなしの私は、体鍛えるぐらいしか仕方がない。狙われる財産もないのでその必要もないか。
◇
藤本ひとみ『侯爵サド』(文春文庫)購入。
NHK-BS2で1月8日の放送。
吉本多香美、
林家こぶ平という「素人」に、芸大の先生や美人版画家
山本容子といった「玄人」が芸術の見方を解説しながら、ピカソの『ゲルニカ』、マティスの『ダンス』、ガウディの『サグラダファミリア聖堂』、ウォーホルの『マリリン』……、20世紀に生まれたアートの名作をカウントダウンする、なかなか見ごたえのある番組。
他の出演者は
森村泰昌、司会は『新日曜美術館』のお洒落な
石澤典夫アナウンサー。
後半、戦後の抽象芸術に入ると、こぶ平や多香美ちゃんの困惑ぶり(芸の内だろうが)もいや増し、「玄人」たちの教えにも熱が入る。
美輪明宏的雰囲気をただよわす森村泰昌氏が発言した。
「絵というより、パターンとかテキスタイルと見てしまってもいいのよ。誰に似合うかとか。私はこの絵の『柄』をここにいる人の誰に着せたいか考えたんです」
うわ、美女が二人(山本容子、吉本多香美)いるのに、どっちと言ってもカドが立つぞ、ここは先輩を立てて山本先生かな、などと思っていたら
「それは石澤さん」
石澤アナウンサーの困ったような笑顔と多香美ちゃんの口をおおった驚き顔が印象的でした。
◇
ネットで発見した「やおい」の新解釈。
やめて
おしり
いたい
◇
グレッグ・イーガン『祈りの海』(山岸真訳/早川SF文庫)購入。
新宿まで映画を見に出かけたのだが、目当てのプログラムは予定より早く終わっていた。こちらも予定変更で伊勢丹美術館『
ベルギーの巨匠5人展』を観る。
ご多分にもれず
マグリット、
デルヴォーは大好きで回顧展等にも何度か行っている。今回は全80点ほどのこじんまりとした展覧会だが、デルヴォーの『
夜警II』など未見の大作もあり、なかなか楽しめる。画集でしか知らなかった
アンソールや、初見の
スピリアールト、
ぺルメークの作品もそれぞれ、全く違う画風でいながら、幻想的、表現主義的なところは共通していて私好みの作風でありました。
マグリット、ペルメークなどはベルギーの紙幣にもなっていて、紙幣そのものが展示されていたが、紙幣とは思えないような美術展のチケットを思わせる美しい配色で、そんな紙幣を使える国がちょっと羨ましかったり。
◇
『もてない男』読了。→レビュー。
三が日は例年通り、湯沢高原でスキー。毎日しっかり降り続け、例年になくいいコンディションの雪面で気持ち良く滑ることができた。
一日目は強風でゴンドラの運行が中止していたので、シャトルバスで石打丸山に。ここは結婚前に妻や仲間と良く来ていた所で懐かしかったけれど、当時の面影は全然ない。リストもゲレンデも食堂も空いていて、かつてのリフトも食事も30分待ち当たり前の混雑ぶりが嘘のようだ。
技術革新と競争激化と趣味の多様化、とりわけ数少ない「人を呼べる事業」であるスキー場の急増による競争原理の浸透が大きい。経営する側は大変だろうが消費者にはありがたい。PC業界もインターネット業界も同じだ。通信業界も早く競争原理が働くようになって消費者寄りになって欲しいところだ。
◇
5日は新年早々親戚の葬式に参列したのだが、武士筋の家のせいか禅宗の葬儀であった。
現れたお坊様はヒクソン・グレイシーのような魁偉な容貌、堂々たる体躯。読経は尼さんとの朗々たる二重唱で、グワシャーンと銅拍子(シンバル)まで鳴らす音響効果。最後に「
はぁーっ!!」と裂帛の気合いをかけたのには、腰を抜かしそうになった。
いやあ、有り難いもん見せてもらいました。合掌。
◇
12/30〜1/3
桐野夏生『
錆びる心』(文春文庫)読了。
小谷野敦『もてない男』(ちくま新書)、駒田信二『漢字読み書きばなし』(文春文庫)購入。
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