◆ まみむめも - 魔魅夢MEMO ◆ HOME
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掲示板の方で『
平気でうそをつく人たち』の話題が出た。
私もいままで生きてきた中で、色々な「うそつき」に出会ってきたし、自分でもうそをついてきた。
思い返してみると、一番「うそ」が多い日常を送っていたのは小学生の頃だったような気がする。年を経るにしたがって、うそをつくと結局は損をするという知恵が身についてきた。
小学生時代はそんな知恵がないくせに、人間関係は大人顔負けの熾烈なパワーゲームだったりする。ゲームの兵器は人によってさまざまだ。喧嘩、スポーツ、勉強、財力、兄弟が番長、漫画がうまい、物まねがうまい、Hな知識が豊富・・・・あらゆることが武器になり毎日を生き抜いていくための手段になる。
その中にいたのですね。「うそをつくこと」をパワーゲームの武器にしている男が。
彼は「親が金持ち」だの「親戚が芸能人」だのというホラを上手について、級友の尊敬を集め(馬鹿な小学生だった私たちは簡単に尊敬してしまったのだ)仲間うちに君臨していた。
その彼が発明した幾多のホラのなかでの極めつけが「
スーパー戦車キングタイガー」だった。
当時の貧しかった日本の小学生のオモチャの最高峰は「プラモデル」だった。なかでもラジコンなどは、そんなものがあるらしい、というだけで高嶺の花もいいところだったのだ。
ホラふき男は私たちに、彼の兄が持っているという超高級プラモデルの戦車の話をしてくれた。
それは日本で何台しかない限定モデルで、めちゃめちゃ高価で高性能なうえ、兄が改造してさらにパワーアップしたので、日本一の戦車のプラモに間違いないと言うのだ。
大きさは50cm×30cmくらいで、時速50km、人が上に乗っても時速30kmで走ることができる。操縦は当然ラジオコントロール。
これだけでも、幼稚な小学生軍団には驚異羨望なわけで、そんなすごいものの持ち主の弟であるホラふき男は、自然と尊敬されることになる。
当然私たちは「戦車を見たい」。しかし「兄貴はその戦車を命より大事にしていて俺にもめったに触らせてくれない」ということではしかたがない。アホアホ小学生は憧れのスーパー戦車を空想し、いつか見せてもらおうとホラふき男をよいしょするのであった。
見せることができない分、ホラふき男は戦車情報を小出しにして、私たちのイリュージョンがしぼまないように栄養を与え続けてくれる。
いわく
「戦車砲に手製の砲弾をつめると300mとばすことができる」
「戦車には鎖鎌がついていて塀を登ることができる」
「水陸両用で水に浮いてキャタピラで推進することができる」
「1キロ離れたところからでもラジコンで呼び寄せることができる」
はては
「万引きを見つかった兄貴が戦車を呼び寄せ乗って逃げた」
「追いかけてきた警官だか店員だかを唐辛子入り砲弾を撃って撃退した」
「眼に砲弾を受けた相手は失明したかもしれない」
ここまでくると、いくら阿呆なハナたれ小学生でもおかしいと思うのが普通だ。そこまでやったら、普通、ニュースになるだろう。その前にそんな戦車のオモチャがあること自体がニュースだ。SFの世界だ。
決定的だったのはホラふき男が最後に付加した画期的機能「ボタン一つでポケットに入るほど小さくなる」であった。
今までの話によると、戦車には大型モーターが4つとかなりの本数の乾電池が積まれている。その他通信機能やギアや砲弾を考えるとそんなに小さくすることは
絶対に不可能だ! ここでそこまで論理的に考えるのならもっと早く気づけよ、と今から思えばその通りなのだが、なんせ小学生、少しずつエスカレートする嘘は見抜け・・・・いいえ、私が馬鹿でした、阿呆でした間抜けでございました。
やっと真実に目覚めた日本一間抜けな小学生は、当然級友を問いつめる。
「ポケットに入るなら持ってこいよ」
「だめだよ、兄貴に怒られるよ」
「なら、お前んちに行くから見せてくれよ。見るだけならいいだろ」
「兄貴、友達に貸しちゃったんだって」
「その友達んち教えろよ。頼んで見せてもらうから」
「俺を信用しないのかよ」
「信用してるから見せてくれって言ってんだよ」
・・・・執拗きわまりない追求に、ついに稀代のホラふき男も「全部嘘でした」と白状せざるをえなくなった。
白状して一瞬のうちに権威も地に落ちたホラふき男がどうなったかは・・・・書かぬが花でしょう。
◇
スティーブン・ミルハウザー他『夜の姉妹団』(柴田元幸編訳/朝日文庫)購入。
今日は東京都議会議員選挙。妻が選挙管理委員をやっている(やらされている?)ので、朝6時起きで投票所に詰めっきり。私は留守番。子供たちを指揮して掃除洗いもの昼食作りなどを一通りやらせ(みずからは手をくださない)てから、放免してやる。
これで、夕方投票しに行くまで、のんびり一人で絵を描ける。お国のために働いている妻には申し訳ないが・・・・極楽極楽。夕食は小さなレストランをやってる弟のところでハンバーグやサラダなどを頼み、子供たちが食べ終わったあとは一人「新日曜美術館」を見ながらゆっくり冷や酒を呑む。つまみは蕪の浅漬け。極楽極楽。
「新日曜美術館」は童画家武井武雄の特集。「刊本」という、絵、装丁、造本、文章まで手がけた絵本のシリーズが素晴らしい。螺鈿、浮世草紙風、寄木細工、ゴブラン織、等々、ありとあらゆる技法を駆使した宝石箱のような作品。長野の美術館に展示されているらしい。
見たい。
大学入試の判定ミスがあいついでいる。原因は判定システムのプログラムミスだという。
「今後二度とこういうことの起こらないように」と言っても、必ずミスは起ります。プログラムからミスを除くことはヒジョーに難しく(実感・・・・)事実上不可能である。別系統から出た結果(財務系システムなら最終残高とか)がある場合は照合テストもできるが、入試判定のように「プログラムが法律」の場合はそれもむずかしい。今回のように「国語三教科のうち最高点を採用」のような個別の条件がたくさんあるときは、微妙な例をもれなくサンプリングするのも至難の業である。
では、どうすれば良いのか。
現実には運用しながらミス(バグ)が出たら速やかに直す、というつまらない結論になるわけだが、入試のような一発勝負は影響が大きくなってしまう。
今回は時間が経ってから発覚したのでさらに問題が重く大きくなってしまった。結果発表直後にわかれば訂正もしやすいし、こんな大事にはならなかったはずである。
要は、自分が本当に不合格かどうか、受験生一人一人が発表直後に検証できるように、大学が「情報公開」すればいいのだ。試験当日は解答の控えを持ち帰れるようにする。発表では合格者番号だけでなく全員の受験番号と得点を発表する。もちろん合格分岐点も同時に掲示する。どんなエキスパートがするデバッグより、利害関係人当人のチェックの方が厳密かつ執拗であるのに決まっている。
まあ、情報公開すると情実合格などはやりづらくなるので、都合が悪い大学があるかもしれないけどね。
その代わり、一定期間(発表後2ヶ月くらい)以内に異議申し立てがない場合は以後一切大学の責任はなしとする。そういうデジタルでシンプルなのが私は好きだが、ねったりもにゃむにゃな方が好きという人も多いのかもしれない。
読冊日記によれば大阪の児童殺傷事件の犯人
宅間守は、やはり「
反社会性人格障害」ということらしい。専門家の分析は私の床屋政談などと違って、さすがに読み応えがある。
◇
宇多田ヒカル嬢が大阪の事件の被害者の一人に曲を捧げるらしいけど、あれだけ自分の歌が流れる葬儀の模様がTVで映されて、ファンだったと言われては反応してしまうだろうね。
しかし、ここまで特定の被害者の映像がマスコミで露出されるというのはどういうことなのだろう。遺族が納得づくでマスコミにビデオや作文や写真を渡したのだろうか。同じ親の感覚として見ると不思議です。正直にいうと不可解な感じがする。幼くして亡くなった我が子をもっと世間に知ってもらいたいということかな、はたまた地域性かなでも他の子は出てこないし、などと考えてしまう。
オウム真理教徒に殺害された弁護士一家のしあわせそうな生活の映像には素直に涙をさそわれた。今回の被害者の女の子の映像の無邪気さにも当然痛々しさを感じるが、それを公開することへのこの違和感はなんだろうなあ。お前も同じようなひどいめにあってみればわかる、と言われそうだが、そうなったらマスコミに「ほっといてくれ」とわめいている自分しか思い浮かばない。
日本の遺族=親って、もっと口が重い印象があったのだけれど、変ってきたのかな。
◇
『オトラントの城』読了。→レビュー。
『心とろかすような』読了。→レビュー。
『夜の旅その他の旅』読了。→レビュー。
澁澤龍彦『悪魔の中世』(河出文庫)、濡木痴夢男『縛りと責め』(河出文庫)、岡本綺堂『中国怪奇小説集』(光文社文庫)、山田風太郎『死言状』(角川文庫)購入。
ホレス・ウォルポール『オトラントの城』(井出弘之訳/国書刊行会)購入。タケさんに教えてもらったEasySeekの「探し物情報」に登録して発見。
文化庁の「国語に関する世論調査」の結果について書こう、と思っているうちに天声人語に先を越されてしまった(<はりあってどうする)。「情けは人のためならずの意味を半数が誤って理解していた」というのが一番のトピックらしい。
理解しているもなにも若者ははなっから知りゃしないだろうと、数日前にうちの子どもたちに聞いてみた。案の定、「えー、知らなーい」という反応。しからば、どういう意味だと思う?と聞いてみると「情けをかけて助けるのはその人のためにならない、という意味でしょ」と、見事にこちらの思惑通りの返事をしてくれた。もちろん正しい意味を偉そうに教えてやったわけだが、このことわざ、もう少し長い言い方があってそれが省略されたらしい。元々は「情けは人のためならず、巡り巡りて己が身のため」というのだが、これなら間違えようがあるまい。
昔の人ははじめて聞いても「人へ情けをかけるのは自分のためでもあるのだよ」ととったのだろうし、現代ならわが子たちの解釈が自然なのだろう。これは現代の情の薄さを表わしているようだが、昔の方がことわざですすめなければ情けをかけなかったとも考えられる。薄情だったというより余裕がなかった、というべきだろう。それでもやりくりして人に親切にするのは決して損ではないよ、という「徳」のすすめだ。
豊かになった現代は、人々が他人を援助する余裕はできたが、情けをかけないと悲惨な状態におちいる人は(日本では)昔に比べれば激減しただろう。怠けているだけ(かもしれない)の人間を甘やかすのは、相手をスポイルすることになる。現代的解釈(誤用)の方が正しいような気がしてきたなあ。
偉そうに子どもたちにことわざを講釈した私だが、当然国語力には全然自信がない。「誤用!御用だ!」というページには一般的な誤用の例があげてあって面白い。私も「自首」の意味は全く間違えていた。レッサーパンダ男は「出頭」したのであって、自首したのではないのね。
大阪池田小殺傷事件の犯人宅間守は結局「精神障害者を偽っていた」ということらしい。さもありなん。
佯狂者のおかげで精神医療や法改正についての議論が今までになくもりあがっているのだから皮肉なものだ。レッサーパンダ男や佐賀バスジャック少年や池袋の無差別殺傷事件のときとは何が違うのだろう。
池田小の教師の一人は宅間とにらみ合ったすえ、タックルして背中を刺され重傷を負ったらしい。お気の毒なことだ。とっさのことだし、子どもたちをかばわなくてはならないしパニック状態だったのだろうが、刃物を持った相手にタックルは危ない。やはり現場が教室なら椅子だろう。武器にするなり投げつけるなり、こちらも得物を持ってやっと四分六というところか。力道山もブルーザー・ブロディも花形敬も、不意をつかれたとはいえ、素手では刃物にかなわなかった。
「自衛のために武器を持つ」が当たり前になるのが一番こわい。とはいえ、家中の武器になるものの位置を確認してしまったよ。
小泉首相は刑法改正に前向きだということだが、精神障害者も厳罰に処せるようにするというのでは問題解決にはならないだろうね。私が障害者も一般人と同じように法律適用と書いたのは、結果として措置入院であっても、司法手続きを踏んだすえの「判決」であってほしいということだ。最初から不起訴だと事件の詳細は闇の中になり、被害者の肉親もなぜ殺されたか何も知らされないということになってしまう。
措置入院もあとは一般病院に判断おまかせということではなく、重大犯罪を起こした患者用の公立の専門施設が必要だろう。そして施設の内容は常に情報公開されなくてはならないし、退院後のケア(監視の意味も当然ある)もシステム化しなければならないだろうし・・・・要は金かけろってことね。私たちも国に安全をもとめるなら税金負担を覚悟しなければいけないだろう。消費税10%ももうすぐだ。やれやれ。
◇
『
「こころ」はどこで壊れるか』の副題は「精神医療の虚像と実像」だ。養護学校で長年障害児教育に携わってこられたフリーライター
佐藤幹夫氏が
滝川一廣先生にインタビューするという構成になっている。
終章に近く、インタビュアーが少年犯罪に関連して、東京新聞のコラムの「キレない子供をつくるために」という記事をとりあげる。
記事は精神科医が書いているということで、心がけねばならない十の項目があげられている。
1.よくしかる、よくほめる。
2.外で遊ばせ、けんかをさせること。
3.テレビやゲームを制限し、本を読ませること。
4.あいさつをしっかり。
5.夜更かしをさせない。
6.子供部屋をつくらないこと。
7.食事には十分注意すること。
8.お年玉は現金を渡さないこと。
9.親子で物語を共有すること。
10.何より夫婦仲がいいこと。
うーむ、私などはほぼ全滅だ。強いて合格と言えば7と10くらいか。10は妻に言わせれば違う意見かもしれない。7も子どものためというより自分のためだ。
インタビュアー氏も、ほとんどの項目で失格です、せめて1と7ぐらいは死守して、あとはしかるときはできるだけ理由を言い聞かせることは心したい、などと滝川先生に愚痴?をこぼしてコメントをもとめる。
それに対する先生の答えがいい。
「キレない子供をつくるために」といったようなことにあんまり一所懸命にならないことでしょうね、まず大切なのは。そんなことのために子育てをしているのではないでしょう。なにであれ「こういう子をつくるために」なんて育てられたら子どもも迷惑だし、そもそもそのような子どもが作れるなんて考えるのは傲慢なことですね。そんなふうだから子どももキレちゃうのでは(笑)。
ひょ〜っと肩の力が抜けるようなコメントでしょ。インタビュアーがなかなか熱い方なので、なおさら脱力感が心地よい。それでいて、当たり前の内容なのに目からウロコが落ちるような感じがする。
たとえば10も、それはすばらしいことですけど、夫婦仲がよいのは互いに好きだからおのずとそうあるのであって、キレない子どもを作るために仲よくではいずれ「仮面夫婦」が関の山ではないでしょうか
まさしくそうだろうねー。
◇
青木良輔『
ワニと龍』(平凡社新書)購入。
八人もの児童がきちがいに殺されるという大阪の事件。痛ましさと不条理感に言葉もない。犯人の精神鑑定が行われるらしい。またマスコミ上では御用達の「識者」が大いに「分析」してくれることだろう。
レッサーパンダ男のときの精神科医福島章先生のお言葉にはまいったなあ。レッサーパンダ男が数年おきに不機嫌状態になっていたらしいという情報に対し、「それは循環性不機嫌症候群です」とコメントされた。それって診断でも分析でもなく、ただ名前を付けただけではないのか。すりむき傷を見て「それは摩擦性皮膚剥落症候群です」って言われてもなあ。
そんな「有名精神科医のコメント」に日頃疑問をいだいている方には、次の本をおすすめする。
◇
『「こころ」はどこで壊れるか』読了。→レビュー。
子供部屋のエアコンが故障した。風は出るが、冷たくならない。もう5年以上になるので寿命なのだろうが、修理で直るといいな。買い替えとなると
家電リサイクル法対象品だから別途費用が必要だし。
さらに、マルチモニターの一台がお亡くなりになってしまった。壁紙の国分佐○子ちゃんが突然大きくなったり小さくなったりしたと思ったら、フェイドアウト・・・・画面は真っ暗に・・・・佐○子さんは二度と帰ってきませんでした。(メインモニターの方にはご健在ですが)
取引先のリースアップしたのを無料でもらってきたNANAOの17インチなので、まあ目一杯働いたということでしかたがないところだろう。
TWOTOPインターネットで、やはりNANAOの17インチ、29,800円也を発注した。PCのモニターは
家電リサイクル法の対象ではないらしい(環境省に確認した)ので、こちらのご遺体処理は粗大ゴミになるのだろうね。
最近通勤路の途中でも、ちょっと空き地があると不法投棄されたらしい家電の残骸(TVが多い)が目につく。家電リサイクル法の話が出たときからこうなることは馬鹿でも(私でも)予想がついたけどね。日本の官僚は優秀だというのは、少なくとも15年以上昔の話なのだろう。
なんにしても外務官僚と戦闘モードに入っている
田中真紀子外相を野党は応援するべきではないかね。別に田中女史のファンでもないし支持もしていないが、小泉人気に押されている野党にとって、ここで自民党のアキレス腱とばかり外相を攻撃するのは、絶対得策とは思えんのだがなあ。
鳩山代表や
志位委員長、
土井委員長というところが、田中大臣の発言を「わが意を得たり」という顔をして、官僚や自民橋本派を攻撃してこそ、小泉人気を自民党ではなく野党に向かわせることができるというものではないか。
◇
記載を忘れていた読了本をまとめて記述。レビューは追って。
平賀英一郎『
吸血鬼伝承』(中公新書)、小島貞二編『
艶笑落語名作選』(ちくま文庫・定本艶笑落語2)、『井上ひさし『
珍訳聖書』(新潮文庫)、リチャード・ニーリイ『
殺人症候群』(角川文庫)、筒井康隆『
魚藍観音』(新潮社)、井上章一『
キリスト教と日本人』(講談社現代新書)、トルストイ『
イワンのばか 他八編』(中村白葉訳/岩波文庫)読了。
滝川一廣『「こころ」はどこで壊れるか』(佐藤幹夫編/洋泉社y新書)購入。
◇
『ゴッホの遺言』読了。→レビュー。
昨夜のBSマンガ夜話は白土三平先生の『忍者武芸帳−影丸伝』だった。
嬉しかったなあ。私の中ではほぼNo.1の漫画。「火の鳥」よりもずっと上です。(まあ、上下をつけなくてもいいけど、そのくらい思い入れているということで)
作品の良さ凄さは、色んな人が色んなとこで書かれているので、私が屋上屋を架すようなことはしない。
番組では、いつも辛口のいしかわじゅん氏の思い入れたっぷりのコメント(くの一蛍火のエロスとかね)にウンウンうなづいている自分がちょっと恥ずかしかったり、夏目房之介氏の「手塚治虫の直系の後継者が白土三平で、白土三平の後継者は永井豪と宮崎駿
」という言にヒザを(ほんとうに)たたいたり、いやあ面白かった。オタキング岡田斗志夫氏は年代のせいか作品への距離感を表明していたが、そうか、わからないか。縁なき衆生だ、しかたがない。
昔ほど熱心にマンガは読んでいないが、スピード感、迫力では白土作品を越えるものはいまだないように思える。アップを迫力と勘違いしてるのや、格闘技雑誌の写真を上手に模写してリアルだと思ってるのばっかりだ。このへん反論がある方もいるかもしれないが、聞く耳持たないので悪しからず。
ドラゴンボールの武天老師(亀仙人)は影丸の師匠無風道人にそっくりだ。同じようなことを考える人は他にもいるようで、こんなページを見つけた。スター・ウォーズ・サーガは、SF白土三平だった!というのだが、エピソード1が黒澤明の乱や蜘蛛の巣城の影響を受けているのは私も感じてた。しかし、白土作品まではどうかな。まあ、面白いからいいけど。
影丸というと横山光輝の「伊賀の影丸」の方を連想する人も多いかもしれないが、もちろん横山の方がパクってるのだからね。名前だけでなく「伊賀の影丸」のストーリーやキャラクタもかなりの細部まで山田風太郎の『甲賀忍法帖』のあからさまなパクリである。たとえば不死身の悪役「薬師寺典膳」をぱくったのが「不死身の忍者・天の邪鬼」だ。今だったら損害賠償請求、漫画家生命抹殺ものだろう。
BSマンガ夜話に続いて大島渚監督の怪作と誉れ?も高い『忍者武芸帳』が放映された。渋すぎるぜ、NHK-BS2。
・・・・しかし、これは見なかったほうが良かったかな。
『影丸伝』の漫画の原稿をそのまま撮影して、ナレーションや声の吹き替えを入れたという、まあ「意欲的な実験作」だ。きちっとアニメ化してあればいいのだが、やはり漫画というものは自分のリズムで読んでいかねば気持ち悪いのだよな。
それとも大島渚のリズム感が悪いだけかな。
漫画が「駒割(だけでなく)とページレイアウトで時間を表現する芸術」であることを再認識させてくれたという意味でも貴重な作品ではありました。
と思ったら2chでは結構人気だな。若者たちも感動しているではないか。感心感心。
見逃した人はDVDも出ている。それよりなにより原作を読もう。(豪華愛蔵版を買っちゃおうかなア・・・・)
◇
チャールズ・ボーモント『夜の旅その他の旅』(小笠原豊樹訳/早川書房)、トルストイ『イワンのばか 他八編』(中村白葉訳/岩波文庫)購入。
今日は猥談なので、そういうのが嫌いな方はご注意ください。
フジテレビ『笑っていいとも』には「まじっすか」というコーナーがある。私も今日、日曜日の「増刊号」で初めてみたのだが、ようするに素人がへんてこな特技を披露するコーナーだ。
で、今日の素人さんは「つば(唾液)をシャワーのように飛ばせる」若い女性。なんだそりゃという芸?だが、見てびっくり。きっかけにレモンを一口食べると、数秒後には舌の下側から二筋の唾液がまさしく噴水のように1mくらいもほとばしった。
唾液といってもさらさらの水のようで見た目の汚さはない。
小学生の頃に気がついたそうで、自覚的にもできるが、酸っぱいものをたべたときなど無意識に出てしまうこともあるそうだ。
ここで私が連想したのは、セックス時にある種の女性に見られるという現象「潮吹き」である。昔、最初に「私アノ時に潮を噴くの」と言い出して一世を風靡した窪園某という女性は「小便じゃないの」とインチキ呼ばわりされたり、果ては色気違いのように扱われたりさんざんだった。現象自体は珍しい例だがどうやらあるらしいということに落ち着いたようだが、だれもがそんな女性にめぐりあえるわけでなく、私もおおげさな話しだろうぐらいに思っていた。
しかし、本日21世紀にいたって、めでたく舌下腺から唾液を噴出させる女性を見て、場所こそやや違え、似たような器官がある女性器にも同様な現象が起きる可能性はある、と確信することができた。
いや、だからどうだというわけではないが、司会のタモリ氏とか何食わぬ顔で驚いていた中年組は、絶対私と同じ連想をしていたに違いないのだ。
当の女性は「彼氏とけんかすると噴きかけてやるんです」などと無邪気に話してはいたけれどね。
手塚治虫の代表作『
メトロポリス』が映画化されてもうすぐ公開されるらしい。原作は傑作で、幼いときに読んだときは子供漫画には珍しい(手塚漫画では珍しくない)悲劇的ラストに衝撃を受けたものだ。映画の予告編を見たときは「背景のCGはすごいけど、キャラの絵柄が好みじゃないなあ」という疑問符つきの感想だった。
しかし、昨日の朝日新聞夕刊の記事を読んで疑問符が×印に変ってしまった。
脚本の
大友克洋がインタビューに応えて曰く
原作のしゃれたセンスを生かしつつ、手垢で汚れた部分を変え、現代的なスパイスも加えて脚本にしました
主人公ロボットが男にも女にもなるという原作の設定は新鮮さがないので、ティマは人格のない無垢な花のような存在にした。
うーん、大友克洋ともあろう者がこういうこと言うかな。ミッチイ(主人公ロボットの原作の名前)の両性具有性こそメトロポリスの魅力の中心ではないか。幼な心にも手塚のしかけた官能性は十分に感じたし、自覚していたわけではないがあきらかにそのエロチシズムに魅了されていた。私にとってアンドロギュナスの出てこないメトロポリスはメトロポリスではないのだ。
もちろん私が特別スケベなガキだったという可能性もあるが、たとえそうだとしても、納得はできない。
手塚治虫はSF映画の古典である『
フリッツ・ラングのメトロポリス』を意識したわけで、元祖メトロポリスに出てくる悪の手先のロボットが美少女マリアに変身するシーンのエロティシズムの手塚的表現がミッチイだと思うのだ。
大友克洋の乾いた作風と手塚の湿ったエロチシズムはやはり合わないのだなあ。
私の思い過ごしかもしれないので、見に行って面白いと思った人は教えてください<未練な奴
◇
『模倣犯』読了。→レビュー。
『芸術新潮−バルテュス追悼特集』(新潮社)、井上章一『キリスト教と日本人』(講談社現代新書)、幸田露伴『幻談・観画談』(岩波文庫)、井上ひさし『珍訳聖書』(新潮文庫)、リチャード・ニーリイ『殺人症候群』(角川文庫)、筒井康隆『魚藍観音』(新潮社)、宮部みゆき『心とろかすような』(創元推理文庫)購入。
TV東京の
TVチャンピオンでももっともレベルの高いペーパークラフト、しかも歴代のチャンピオンが雌雄を決するグランドチャンピオン大会。期待にたがわぬ素晴らしい戦いだった。どんな大スターも出ていないが、見ていて贅沢な気持ちがする番組だ。
アメリカで活躍しているご婦人の作家がゲストで参戦していたが、日本のペーパークラフトのレベルの高さに驚いてもらえただろうか。すごい日本人はイチローと野茂だけではないのだぜと変なナショナリズムを感じてしまうのが、ちょと恥ずかしい。
なんといっても決勝の
大熊光男さんの作品は素晴らしかったなあ。審査員の方々がこぞってほめていたディテールもすごいけど、主人公の空飛ぶスクーターと山里の地平との距離感がなんともいい。
チャンピオンになった
野田亜人さんはまた泣いてしまった。しかも2度も。プロ中のプロで第一人者なのにこれだけ素直に闘志をあらわにする性格が、この人の場合はなんだか微笑ましい。大熊さんも40歳近いのに笑顔が少年のようで、私はこのお二方のファンであります。
◇
人殺しのレッサーパンダ男が捕まって取り調べを受けているということで、報道のヘリコプターの音がうるさい。浅草署の映像なんていいから殺人犯の写真を早く出しなさい。
それにしてもコンビニで撮られていたというビデオ映像はなぜぼかしをかけた状態でしか公開されなかったのだろう。第二の殺人を防ぐこととだれだかわからない人のプライバシーを守ることとどちらが優先すると思っているのだろうか。
◇
小林英樹『ゴッホの遺言』(情報センター出版局)、吉田健一『絵空ごと/百鬼の会』(講談社文芸文庫)、円地文子『妖/花食い姥』(講談社文芸文庫)購入。
ゴールデン・ウィークと言われても、毎度の混雑に嫌気がさしてここ数年はとくに遠出もしない。子供たちもようやく親との旅行をねだるような年齢は越したので、のんびりしたものである。
絵を描いたり本を読んだりちょこっと大工仕事をしたりTVを見たり気まぐれに料理をしたり、ただただ平穏に過ぎていく休日、ほんとうのところこういうのが一番好きなのだ。
◇
5月4日 芸大美術館『
よみがえる日本画展』
模写と修復。デジタルデータ化した『
序の舞』のプリントアウトはなかなかの画質で驚く。現物と見比べるとブルー系の彩度がちょっと高いかなと思ったが、気になるほどではない。褪色を計算に入れてわざと彩度を上げている可能性もあるな。
日本画は洋画に比べてマチエールが平坦な分、デジタル化には向いているのかもしれない。ただし、模写や複製目的なら十分だが、修復ということになると、筆による描線の再現などはまだまだアナログ技術にはかなわないらしい。それでもデジタルとアナログを融合させることで修復技術は格段に進歩しているようだ。
人類の精華を次代に残すことにこれほどの努力が費やされている一方で、バブル期に買い求めた名画を自分の葬式に一緒に焼いてくれとのたまった某大昭和製紙の元?会長のような大馬鹿野郎も存在する。皮肉というか不条理というか、考えると脳味噌が渦を巻いて遠心分離してしまいそうな気分になる。やれやれ。
◇
5月5日 NHK-BS『地球に好奇心〜
ゴッホ死の真相』
連休中にみたTVでは一番面白かった番組。
天才の画業を狂気の産物とみなすのは、われら凡人の怠慢でありますな。あれほどの絵にはもちろん情念の手綱をとる理知的な画家の脳があったのに決まっている。
ということで、小林英樹『
ゴッホの遺言 贋作に隠された自殺の真相』(情報センター出版局)を購入(予定)。
◇
5月6日
スネークガール 妻と買い物に出かけたとき寄った本屋で、なつかしき、楳図かずおの『
へび少女』の文庫版を買う。
「学校の怪談」なんぞが好きな娘に勧めると、えらく気を入れて読んでいる。そーっとうしろに回って「わっ」と声をかけると、
ンギャ〜〜!!とこちらの鼓膜が破れるような悲鳴をあげて飛び上がった。
娘が読み終わったら、今度は息子が真剣な顔で読んでいる。今度はさすがに驚かすのはやめにした。
次は『
ミイラ先生』の文庫版を探してこよう。けけけけ。
日比谷みゆき座で
チキンランを観る(4/29)。
クレイアニメは、あまり複雑な顔にはできないせいか、どれも似たようなつるんとした顔になる。今回は登場するキャラクタのほとんどが「メンドリ」なのだからなおさらだ。そのためか、セルアニメに比べても、登場人?物に感情移入するのに時間がかかる。
しかし、それも前半養鶏場逃走失敗のくりかえしあたりまでで、中盤のチキンパイ製造機の中の逃走劇からは、インディ・ジョーンズばりのジェットコースタームービーとなって、クライマックスのスペクタクルまでしっかり乗せられてしまう。面白い。
このチキンパイ製造機の造形がすばらしい。禍々しく重々しく美しい。
そして、いささかクラシックなまでにきちんと伏線を張りまくった脚本が、さすがの職人技を思わせる。
一途で強気なヒロインと、流れ者で調子がよくもう一つ信用できないがにくめないヒーロー。お互い憎からず思いながらも喧嘩ばかりして・・という古典的なラブストーリーも王道だ(どちらもニワトリだけど)
ヒーローの正体がばれるシーンがセリフで説明せずいかにも映画的。ここだけで星(はつけていないが)一つ追加してもいいくらいだ。
◇
こんなに面白いのに娘も息子もつきあってはくれない。ならばと留守番させといて、妻と新橋近くまで足をのばして中華料理を食べて帰る。君らは冷蔵庫の残り物でも始末してなさい。(ちゃっかり、台湾みやげにもらった金華豚ソーセージまで食べられてしまった、くっそー)
◇
チキンランの前に流れた予告編の中では、やはり
ティム・バートンの『
猿の惑星』が面白そう。7月の公開が楽しみだ。
しかし、
郷ひろみの次の新曲は、ジャケット写真で獣人というか猿男のメイクをするのだね。スリラーの二番煎じのような気もするが、6月末頃の発売だというから、映画(猿の惑星)との相乗効果でも狙っているのだろうか。
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